考えたこと

最近おもちゃのシャンデリアがほしくてたまりません。せきねです。
今回、書きたいなァと思うことは、「BLの持つ魅力」について。
苦手に感じたり「勘弁!」と思ったりした方は本当にごめんなさい。どうぞ見なかったふりを。

以下たたみます。

BLとは。
男性(少年・青年)同士の恋愛を題材とした作品・文化の総称。
ここではとくに女性が受取り手となるジャンルのことをさして云う。
うっかり知らずに続きを読んでしまった方、だ、大丈夫ですか。

先に申し上げますと、記事の主題として、「BLの持つ魅力」は少々語弊がありました。
投稿者がしばらく気になっていたことは、「BL作品が女性読者に与えるカタルシスとは何か」ということです。
ボーイミーツガールでは満たされない何かを満たしてくれるからこそ、ああいったジャンルが必要とされている。では、女性読者はBLによって何を満たされているのか。
きっとさまざま需要があり供給があるのだろうと思われますが、投稿者なりに一要因を挙げてみたいと思います。

唐突で申し訳ないのですが、一時期ツイッターでまことしやかに流れた俗説(?)があります。
「腐女子は異性による性的なトラウマを抱えている」
そして、それが原因でBLにはまる。

こうした捉え方はBLに縁のない方、とくに男性の方に多いのでは、と思われます。
「男に何か恨みでも…?」と首をかしげたくなる気持ちは分からなくもありませんが、これはあまり現実的なハナシではない。
BL作品で注目されがちなのは「男性キャラ同士の恋愛」ですが、「女性キャラの存在の希薄さ」も、要素として十分着目に値します。
どちらかといえば、「恨み」が向いているのは「異性」というよりも「同性」、「自身の性」であるように思われるのです。

男性でいえばホモフォビア(同性嫌悪)、女性でいえばミソジニ―。
ミソジニ―が女性にはたらく場合、それは「自己嫌悪」としてあらわれる。
「女に生まれて損をした」
「こんなとき男性に生まれていたらなァ」
程度の差こそあれ、一度はこのようなことを思ったり感じたりなさったことのある女性は決して少なくないのではと思います。

自分が「女性」であることへの不満。不満とはいかないまでも、ちょっとした毎日のストレス(なめた口をきかれたり、変ないたわりを受けたり)。「主体」への願望、「客体(主体の支配下におかれる存在)であることへの嫌気」そうしたものがBL受容の下地になっているように考えられます。

そしてミソジニーが男性にはたらく場合、それは「女性蔑視」として表れる。
どうも訳語が過激ですね…。
男性を「性的主体」、女性を「性的客体」と見做すこと。「貫く者」を優位におき、「貫かれる者」をその所有対象と見做すこと。つまりは女性を「モノ」として見做すこと。
「客体」としてまなざされるということは、「値踏み」をされているということ。
これはなかなかのストレスであるように思われます。

最近は「男性=値踏みをする側」、「女性=値踏みをされる側」と一概にいえなくなってきていると思われますが、やはり「見る側(主体)=男性」、「見られる側(客体)=女性」の図式は根強いものです。
端的にそれが象徴されているのは、成人向けの映像作品ではないでしょうか。
そう考えると、女性向けのAVにBLものが多いのもうなずける話です。
男女の組み合わせでは、どうしてもその女性の中に客体としての自身の性を見出してしまう。

BLに「女性キャラが出てこない」ないし「女性キャラが恋愛対象として作中扱われない」という現象には、「客体視される女性」を極力排除するという作り手の意図があるように思われます。
BLが女性読者にもたらす快感は、「客体であることからの解放」、これがそのひとつであると考えられます。
腐女子は程度はそれぞれ、ミソジニ―を抱えている。

わりとこれは普遍性があるのではと、何となく思います。