“観世流能楽研究会”という、何とも長い漢字だらけの名前のサークルに所属しているわかです。
今回は、我がサークルの必須アイテム「扇」についてちょっとお話しさせていただきたいと思います。
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1年の頃に初めて買った、練習用の扇が壊れたのはいつだったでしょう。
骨組みの部分はさすがしっかりしたもので問題ないのだけれど、いつしか観世水が描かれた地紙の部分が裂けてしまって、閉じたままの舞ならまだしも開かなくてはならない舞だと使い物にならなくなってしまいました。
他の4年はみんな無事なのですから、多分私の使い方が荒かったんでしょう。
全員が一番練習する、成瀬記念講堂・能舞台で出す仕舞で皆が鬘物(かずらもの:女性が主役)を出す中、私が修羅物(しゅらもの:武士が主役)ばっかりやってたことは多分関係ないはずです。
多分…うん…。
頃合いを見て直しに行きたいです…。
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能楽で使う扇は初め、開くのも大変です。
使い慣れていない扇は、要(かなめ)が緩んでいないためとにかく固い。
そしてサイズが一般的な扇と比べて大きいため、持ち慣れていないうちは手になじまないからすぐに手が痛くなるし、自分の思うようにまったく動かせない。
扇を買ったばかりの頃、先輩の扇を触らせてもらったことがあり、その手になじむ感触・開きやすさにとても驚きました。
指導をしてくださる先生は、美しく悠々と、扇で刀を作り、盾を作り、盃を作り、泣く仕草をしました。
「練習を重ねれば、いつか自分の扇もこんな風に柔らかくなるのだろうか」
「先生のように扇を操ることができるようになるのだろうか」
そう思ったことを覚えています。
あれから3年。扇はすっかり手になじみました。
そして「先生のように」とはいかないまでも、共に様々なものを表してきました。
時には刀になる、盾になる。酒を注ぐ器になる、酒を受ける盃になる。
顔を隠すように添えれば泣き、左手を添えてぱっと離せば、そこから花弁が散っていく様を表せる…。
一本の扇に、無限の可能性がある。
3年たった今でも新しい発見が多く、能楽って奥深いなあと改めて思わされます。
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めでたいことに、今年度我が観世流能楽研究会にはたくさんの新入部員(当サークル比)入ってくれました。
今年も、彼女たちが自分だけの扇をもち、その一本の扇が持つ可能性に驚かされる時期が来たんだなあ、と思うとなんだか感慨深いです。