京都旅行

学割が効くうちに!ということでフットワークが軽くなっているえりです。
昨日まで友人たちと京都に行ってきました。

そこでもっとも印象に残った場所の紹介をばさせていただきたく。

皆さんは「島原」をご存知でしょうか?わかりやすくいうと、京都の吉原です。
実は現在、当時の姿を残す揚屋(現在の料亭)である角屋内部が公開されています。
10時開館ということで、9時半にホテルを出発しバスに揺られること約20分、そこから歩いて10分弱、やってきました島原大門!
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江戸時代、この門より向こうに花街が広がっていたと思うと、門をくぐる時に(実際に行ったことはないけれど)キャバクラに足を踏み入れるようなドキドキ感を覚えますね!浅草寺の門ほどの大きなものを想像していましたが、それよりも3〜4回り小さい門でした。当時この辺りが花街でしたよ、という地図もありましたが、そちらを見ても徒歩で一周10分もかからないのでは?というような小規模なものでした。ちょっと夢を見すぎていたようです。

現在、大門をくぐった先は普通の住宅街が広がっています。
住宅街をしばらくいくと、時代を感じさせる大きな建物が見えてきます。これが角屋です。
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角屋は現存する唯一の揚屋建築で、国の重要文化財に指定されています。「揚屋」とは冒頭で軽く説明したように、現在で言う所の料亭です。太夫や芸妓をおかず、宴会・茶会・歌会などに使用されるお店で、妓楼とは全くの別物です。かつては江戸の吉原、大坂の新町にもありましたが、吉原では江戸時代中期以降揚屋形式の営業を行うお店がなくなってしまいました。新町では揚屋が残っていましたが、戦時中に空襲で焼失、唯一残ったのがこの角屋、というわけです。
夜は「置屋」と呼ばれる芸者や遊女を抱えているお店から女性を呼び、宴会の盛り上げ役を担ってもらいますが、昼間は歌会や茶会に使われていました。お庭には三つの茶室が遺っています。松が印象的なお庭は、確かに夜しか使わないのはあまりにも勿体無いと思わせる綺麗なところでした。
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この角屋、景観や一室の広さを優先し、柱を意図的に配していない箇所がいくつかあります。その最たるものが中庭に面した廊下の門です。
写真をご覧ください。ここが角屋の正面玄関です。当時のお客さんはここから屋内に入って行きました。石畳が斜めに配されているのがわかるでしょう?これは、門をくぐって中に向かう際に中庭が見えるように、という工夫なのです!玄関に対して垂直に道を作った場合、ここから見えている中庭は死角になります。さらに、この玄関からの見通しを確保するためにあえて!廊下の曲がり角に柱を立てていません。現在の耐震基準を大きく下回る構造ですね!景観重視のその姿勢、嫌いじゃない・・・
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屋内から中庭を見るとこういう感じになっています(下の写真参照)手前の石は富士山に見立ててあるそうです。先ほどあげたお庭の写真を見てもらうとわかると思いますが、この日は快晴でした。にもかかわらず、中庭が見えるこのお部屋の暗いこと!これでも電気が部屋の隅に付けられているのですが・・・。これは、新しく建てられた隣のお家に日照権を侵害されているわけではなく、当時からこのお部屋は昼間から暗かったそうです。そのため、昼間からたくさん灯りを焚いて使用していました。その結果、煤で天井がコーティングされ完璧な防虫効果を手に入れました。おかげさまで現在でも綺麗にお部屋が残っているそうです。煤による防虫効果まで計算されていたとしたら、当時の職人さんの発想に舌を巻くしかありません。
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京都は何回行っても飽きませんね!生きているうちに苔寺にいくのが夢です。三名勝史跡庭園をコンプリートしたい!!!

最後に、京都で撮れた小鳥ベストショットシリーズを置いて今日の記事を終わりにします。
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最後の一羽だけ名前がわからない・・!悔しい・・・!