この時期、大学構内のどこかで一日一度は必ず発されているであろう挨拶。
「卒論どう?」
それ挨拶じゃねーよ、というツッコミはなしの方向でお願いします。
こんばんは♪まゆです。
学科によって提出時期は異なるのですが、史学科や日本文学科は卒業論文の提出がもう来月に迫っているので、おそらく両学科の4年生は大学で知り合いに遭遇したらまずこの言葉が条件反射のように飛び出すのではないか、と思われます。
そして、その挨拶に返す言葉はただ一言。
「やばい。」
これに尽きるとも思います。
実際に崖っぷちに立たされている人はもちろん正直に心の赴くままに発言するわけですが、本当は着実に書き進めてきたのでそんなに危機感は無いなぁという人であろうと、「卒論どう?」という問いには「やばい。」で返すのがお約束(と、私が勝手に思っている)なのですよ。
例えるならば、中学や高校の定期テスト前に「テスト勉強どう?」と聞かれて、全科目一夜漬けの奇跡に掛けるぜ!!という人も、しっかりきっちり計画的に勉強を進めている人も、等しく
「全然やってないよ~。」
と答える、あの感覚に似ています。
嘘を吐くつもりも、卑下するつもりもない。
敢えて言うならば、「儲かってまっか。」と聞かれたら「ぼちぼちでんな。」と答えるのが真の商人の証であるように、「卒論どう?」と聞かれたら「やばい。」と答えるのが日本文学科4年生の証…!!
…なんて事はありません。
実際には「順調に書き進んでるよ~。」という人もいれば、「もう規定文字数は超えてるよ~。」なんて人もいることでしょう。
ただ単に私自身が思考の迷路に迷い込み、論文が書き進まず、「卒論どう?」と聞かれる度に「やばい。」と答える以外に仕様もない状態にあるというだけで…およよ…。
「私はこの作品についてこう思います。」ということを、しっかりとした論理のもとに説明していくってやっぱり難しいなぁ…と、つくづく思います。
小さい部分にこだわっていて、いざ全体を見てみたら論理が通らなかった、なんてこともあります。
でも、作品を読んで、その中にルールを探して、分析して、組み直して、という作業はやっぱり楽しくて、もっと良く読んだらわかるかも、もっと良く考えたら何か見えてくるかも、と思わせてくれるのも文学の魅力のひとつなのでは…とも思うのです。
…最後、無理矢理良い話にしようとしていますが、つまるところ「卒論もっと頑張りましょう」という話でした。頑張ります。
最後に最近もらったお土産の写真を。
これ、全部小さい(直径3㎝くらい)お饅頭で、手前のオレンジ色のが柿、その右隣が桜餅、2列目がクマ、3列目がコアラ、一番後ろにちょこっと見えてるのがトナカイ(最初リスかと思ったら、”赤鼻のトナカイさん”なんだそうで…)。
小さいながらも一人前(?)なお菓子で、見た目にも癒されました(・ω・*)