『いまさら翼といわれても』

読書が趣味と言えるほど本が好きなわけではないのですが、いざ読み始めると、立っている電車の中、信号待ちの横断歩道、トイレ等、その物語が終わるまで本は離しません。なので、一冊の本を読み終えるまでに二日以上は絶対にかからないです。

そして、読み終わった後は、物凄い後悔に襲われます。

一度読んでしまった本は、もう二度と「初めに読む感動」を味わうことが出来ないからです。

ですので、本当に楽しみにしている小説は、発売日には買わずに、本屋でもほとぼりが冷めてから買うことにしています。

 

そして先日、実に3カ月間楽しみにとっておいた小説を遂に読み始めました。そしていつものように、その日中に読み終わりました。

それはそれは、ものすっっっごい、後悔しました。

初めて読む時に感じる、ページをめくる感覚を、この本に対しては味わうことはできない。

軽く絶望です。

 

米澤穂信『いまさら翼といわれても』

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我慢していた3か月間、タイトルからわかることを自分なりに考えていました。

「いまさら」「いわれても」ということは、以前から言われていたことが何かのきっかけで全く逆のことを言われるようになってしまったのだと考えられます。そしてその事を「いまさら」と表現するということは、あまり嬉しい状況ではないのでしょう。なぜなら、それが喜ばれる状況であるのだとしたら、「いまさら」という表現は使わないからです。この言葉には「遅すぎる」「そんなことを言われても困る」という意思が感じられます。タイトルなので根拠は提出できませんが…。

そして、次の言葉「翼」から導き出されるものは、鳥、自由、飛ぶために必要なもの等。様々なキーワードが考えられますが、前に付いている「いまさら」と一緒に考えると、鳥よりも自由のほうがしっくりきます。

まとめるとこうです。

 

以前は、「翼(自由)」とは異なることを言われていたけれども、何かのきっかけで「翼(自由)」と言われるようになった。しかし、それは「いまさら」言われても困るのだ。

 

これは誰の言葉なのか、言葉ではなく形容だとしたら誰を指すのか。なんだかゼミで発表したくなってきました。。皆の意見聞きたい。。

ネタバレは絶対に嫌なので、興味がある人は是非、米澤穂信「氷菓」から読むことをお勧めします。