砂漠とレジュメ

みなさまこんにちは、てるです。

12月といえばクリスマス。しかし、帰り際イルミネーションがきらきらしていると、クリスマスというより、「今年も終わるのだなぁ」としみじみした気持ちになってしまいます。なんとも切ないきらめき…
でも、今年こそはイルミネーションのイベントに行ってみたいと意気込んでおります。

ここ最近は、演習の翻刻をひたすらやってます。日文の学生なら必ず通る門(その名は変体仮名)があるのですが、久々に見ると読めなくなっていて焦ります。最初は、変体仮名って言葉に出すのすら恥じらいを覚えていたのに、最近はごく普通に使っていて、「これが日文というものかな」とたまに実感。

この前友達と、おそらく建築学科の方が持っている(設計図をいれる用?)長い筒とか、理学部の白衣を見ていて、「日文もなんかアイテムほしいよね」という話をしていたんです。そこで、何を持っていたら日文って分かるのかなと話し合っていて出たのが、発表用のレジュメ。あとは、分厚い注釈書。

共感してくれる方がいると信じますが、演習発表のレジュメは他の学科とは特異な形式なんじゃないかな、と思います。あとは、半分に折っていく作業が大変なのです。図書館で、レジュメを折っているひとを見ると、「日文なんだな…」と勝手に考えてしまいます。間違っていたら、ごめんなさい。

2年生もそろそろ終わりますが(テストやレポートはまだ終わっていませんが)、やはり今年は演習の印象が強かったです。3つの発表が終わり、残すところ一つですが、毎度のように自分が甘かった点に気づかされます。

あと思うのは、目の前のことを一つずつこなしていくことが大事…。論文集めを後回しにすると、のちのち苦労しますし、結局またやるべきときがきます。多くのレポートを抱え震えている私が言うのもなんですが、一つずつ終わらせたり、突き詰めることが重要だと痛感しています。

そして、2年生といえばこのブログです。私がブログを書き始めたのは確か2年生に入ってからでした。過去の記事に遡ると、当初私は、「恋とはいかなる形をしているのか」という考察をしておりました。そして、ここでのせるか迷いましたが、私がだいたい2年ほど前に書いていたメモにも「恋とはいかなるものか」についての考察があったのです。

「普段は保てているはずの理性や常識にピシリとヒビが入って、あっという間にぬるりとした生温かい液体がその隙間を侵食する。まるで羊水の中に浸ったかのように、安堵に包まれた、同時に外に産まれでる緊張感も交えつつ、その絶妙な具合に酔いしれるのである。」

ん??これは別人が書いたのかな??そう信じたいいいいうおおお穴があったら入りたい!!!

私は、思ったことや、考えたことをちょくちょくメモしますが、今となっては黒歴史だ…。でも、ひとは多分そのときの気分で考えや感情が揺れると思うので、その一瞬一瞬が「完全な一回きり」なのではないでしょうか。案外あなどれない、貴重な瞬間なのかもしれない。

今回の話の内容を書く原動力となったのは、最近読んだ伊坂幸太郎先生の『砂漠』という作品です。脇役の西嶋は、集団のなかで浮きがちな男なのですが、当の本人はあほみたいに自分の意志を貫き通しています。彼の語りに呆れることのほうが多いのですが、時にひとの心を抉ります。

西嶋の「今、目の前で泣いている人間を救えない人間がね、明日世界を救えるわけないんですよ」と言う名セリフも素晴らしいですが、何より、こんな大学生活羨ましい(だいぶハードな部分もありますが)と思わせてくれる一冊なので、おすすめいたします…!

さてさて、だんだん冷えてきたので、体調には気をつけて生活していきましょう!

では、また!