ーロス

 超どうでもいい話(微妙に下ネタ)
 附属中学に入学した当時私は大変緊張しており、
 割と連日のように図書室へ行っていたのですが、
 ふと世界文学全集の背表紙に目が留まりました。
 ホ
 メ
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 ロ
 ス

 本来ならばこれが正しい姿です。
 しかし心ない生徒によってペンでいたずらされ、
 ホ
 メ
 エ
 ロ
 ス

 こうなっていた。ヒャッホー!!!
 おかげで緊張が和らぎ、結果なかなかの青春を過ごせました。
 感謝してもしきれません。どうもありがとうございました。
 あの落書きはもう何らかの手立てで直されちゃったかなー
 それもいささか寂しい話ですが、
 かつてここに私を慰めてくれるものがあった、
 それが私を慰めようと生じたわけではないにせよ、
 実際それによって私は慰められ、癒された。
 ということを、他の誰でもなく私が知っているのである……
 これよりも素晴らしいことがほかにあろうか? いやない!
 しかしそれはそれとして
 写メくらい撮っておくべきだったのも確かだ!
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 続きで北村透谷の話をするけど私の知識はまだまだ付け焼き刃です。これからハンダ付けするよ!
 でも透谷やってたらストレスのあまり(かな?)髪の毛を引っこ抜きまくる癖ついたから卒論は別の人にしたほうがいいのかもしれん……


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 透谷は本名を門太郎といい、没落士族の家に産まれた作家です。
 長じて21才のとき、思想犯として収監された国士の嘆きを描いた作品『楚囚之詩』で日本初の自由律長詩を書きました。しかしながら、これを自費出版した直後に自主回収するという奇行に出ています。自費出版って結構お金かかるのになぜそんなことをかましたのか? 本人はこれについて「あまりにも過激な内容になっちゃったからお上に怒られる気がする」という主旨のことを言いましたが、近年では「実際のところ自らその内容の未熟さに気付いていたからではないか?」などと人は言います。そんなこと言われちゃう透谷かわいい。
 ちなみにこの詩、影響元と目されるバイロン『シヨンの囚人』と共にとりあえず読んでみました。未熟かどうかは私の未熟な脳味噌だとやや分かりませんが、ア~こりゃ売れないでしょうね~とは思った。時代柄これに共鳴する人が買うことはあるかもしれないが……なんかものすごく大層なものであることは分かるんだけど、普及するものではないだろう。つーか透谷の文章ってだいたいそんな感じばっかね。平易な文章、平易な内容といったものから懸け離れている。そして本人もそれを自覚していたようである……(『蓬莱曲』について透谷自身が「これを5ページ読んだあと疲れてないやつがいたら相当すごいと思うわ」という主旨のことを言っている)
 あと透谷はロマンティックな恋愛至上主義者としても知られていますが、そうした思想に目覚めたのは石坂ミナと結婚したあとなので、彼はかつての自分の性的放蕩や童貞喪失のやり方のまずさ(※八王子の遊郭で娼婦相手に夜通し遊び呆けて捨てた)(らしい)をさんざん悔い、嘆き、呪ったといわれています。やだ~かわいい。などという軽率な発言を許して欲しい。少しなりとも軽率に扱わないことには私の脳がこの話題に及べないのだ……今はとにかく透谷に対して愛や親しみを持ちたいのだ……
 そもそも16歳そこらのこわっぱが遊郭通いなんてしちゃうからそうなるのよ。透谷のヒモだったという大矢さんも、仮にも年上たるもの「おまえさすがにそりゃねーわ」とコメントするのみに留まらず、もっと本腰入れて止めてやればよかったものを。一糸まとわぬ姿の透谷を閨房から引きずり出して路頭に正座させてやればよかったものを。それが成人の義務である! とまでは言わないものの、大矢さん左翼主義者でしょ? 当時は左翼にせよ右翼にせよ日本国を愛し今以上に良くしようという考えあっての主義ではないか。そんなすばらしきものの信奉者が我が日本国の次世代を支え形成してゆく有望なる若人のイチモツの放蕩を看過してはならないのではないか。自慰し過ぎると体調崩すって三島由紀夫が仮面の告白で言ってたよ……自慰が悪いってんなら性交もたぶん悪いだろう。少なくともよくはないだろう。梅毒もらって頭が狂ってニーチェの轍を踏んでも知らんぞ
 もちろん性的放蕩や霊的放蕩(?)やそのほか放蕩などといった若々しい行為は若々しいうちにしておけという考えも支持すべき点はありますが、少なくとも透谷や三島のように主義思想を死んでも貫こうとするような真面目さと頑固さを持つ人は、自分にそうした性質があるということが分かった時点で、たとえまだ自分が奉ずべき主義思想が見つかっていないとしても、決して軽率なことをしてはいけないと思います。なぜならそういう人たちはあとで後悔したとき自殺しはじめるからです。そうでない人たちはサウスパークのように生活するもよろしいでしょう。己の内面的充実のために性的放蕩が必要であるというならば性的放蕩するべきですし、内面的偉業の有終の美を飾るために自殺が必要だというならば、さすがに止めることはできません。内面とは人間ひとりびとりの箱庭です。ただ箱庭を外包しているのは肉体であり世界にとっての共有物です。私はできれば友人であれ家族であれ他人であれ死体とか見たくないし葬式にも出たくないしそもそもあんまり死んでほしくない。
 吉田松陰かく語りき(高杉晋作に)。
死して不朽の見込みあらば、いつでも死ぬべし。
 生きて大業の見込みあらば、いつでも生きるべし

 心にとどめ置くものとしてはちょっと直球過ぎるきらいもあるが、こんな文章が友達から手紙で送られて来たら嬉しい気がするねー。
 そうです透谷は自殺しています。芝公園で首を吊り、27歳というあまりにも若過ぎる死でした。ジミヘンドリクスでもあるまいに……
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 そして私が現在やっているのは透谷の戯曲『蓬莱曲』です。
 一言で言えば、厭世家の貴族青年・柳田素雄が、死せる恋人・露姫の面影を求めて精霊の棲む富士山へ登り、四苦八苦したあげくに自殺するという話です。その狭間には芸術への賛美などが含まれており、とても幻想的で不可解な世界が織りなされています。
 そう。不可解。めちゃくちゃ不可解。透谷本人も言っているように、これがとにかく読みづらい。ついでに因縁をつけてしまうが、何だか微妙に語呂も悪い。そのためテンションが上がり辛い。話を把握できているという自信がない。読み易く翻案した『蓬莱曲』を売り出したら金をとれるのではないか?
 『蓬莱曲』は『楚囚之詩』と並ぶ透谷の長編著作であり、バイロンの『マンフレッド』からかなり色濃く影響を受けています。もはや換骨奪胎といっても過言ではないようにさえ見えるでしょう。もちろん作品がその内奥に宿しているものは(恐らく)まったく違うのですが、ストーリーラインの流れ、ワンシーンずつの情景における類似は甚だしく、また透谷自身も、その創作そして思想に対するバイロンの影響をほとんど常に認めています。
 ちなみにこれ扱うにあたって初めてきちんとマンフレッド読んだ。面白かった。ただ主人公のマンフレが万能すぎてちょっと釈然としない。美男で魔法使えて魔王とも対等に喋って悲痛な恋のトラウマがあってありとあらゆる学問を修めてて御貴族さまで城住みと来たよこの男……ファウストは本性がその知識に見合うだけの老博士ですし、柳田素雄はその性格において人間の身に見合うだけの弱さを持っていますが、マンフレは若くて強くて賢くてそのうえかっこいい。なめとんのか。しかしこの造詣が災いしてか人物的な魅力としてはちょっと乏しいような気もする。普通に少女漫画を読む感覚で評してごめんね
 できれば私が骨肉を捧げたいのはゲーテの(じゃなくてもいいけど、とにかくモチーフとしての)『ファウスト』であり、そして透谷は「『マンフレッド』及び『フォースト』」という文章を残しているので、そっちから何とか比較研究的な形で『蓬莱曲』へ持っていけないかと目論んでいるところです。しかし、正直ファウスト+マンフレッド+素雄の比較研究は既に使い古された論点であるような感がなきにしもあらず。否、明らかに使い古されている。枕草子で言うところの御簾上げシーンの元ネタに白楽天の漢詩が使われている! ということを論じるくらいのレベルで使い古されている。困った。
 かつても言いましたが、もし日本文学科で『ファウスト』をやりたいというだけならば、森鷗外が単に日本初の翻訳をするのみならず『玉櫛笥両浦島』というファウストの老若転変を思わせる詩劇も残してくれているのでやりやすいでしょう。けど、森鷗外でファウストとか正直もう見るのも書くのも飽きたわって感じあるじゃん?(だがこれは私が若いころからひたすらそのネタでレポートを乗り越えてきたせいかもしれない) あとファウストに関しては個人的に森鷗外訳よりも好きな翻訳がいくつかあるので、テクストが鷗外になるのは本意にあらず。
 ちなみに『蓬莱曲』は鷗外が『ファウスト』を国内初翻訳する前に成立しています。つまり日本に初めて現れたファウスト博士とは、ここに『マンフレッド』を通して発現されたものが初めてであると考えられるのではないでしょうか? 割と屁理屈かもしれんけどな。
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 ファウスト訳についてですが
 山下肇と高橋義孝の言葉づかいが好きです。山下肇はゲーテ全集3、高橋義孝は新潮文庫にそれぞれあります。大山定一(世界古典文学全集50)もシンプルですばらしいと思った記憶があります。あれは注釈の位置がいいね! 興が削げるけどね! ただし完全に過去の遺産の知識なので、世界古典文学全集50じゃなかったらメンゴ……茶色い表紙に金で文字書いてあるやつの最後のほうのナンバーだったのは間違いない。あと黒と赤と金の装丁の全集も割と面白かったけど誰の訳だったか忘れたし何全集だったかもさっぱり失念。でも図書館に行ったら確実にあります!(ただし挿絵がついているので、できれば最初に読んでほしくはないと思います)
 あと柴田翔の日独中韓ファウストシンポジウムのときの講演を文字にしたのがなかなかかっこよかったよ~
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 自慢させてください!
 あさってファウストの舞台観るよ!