新見先生のお話

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 ―「支援」とはなにか―

 すでにご承知のことと思いますが、本学は、20025月、お茶の水女子大学、津田塾大学、東京女子大学、奈良女子大学とともに、アフガニスタンにおける女子教育の復興および改善の支援を目的として連合体、コンソーシアムを結成しました。2002年度のプログラムとして、事前研修の後、今年2月には、アフガニスタンのカブールから20名の指導的女子教育者を招き、各女子大学、JICAなどにおける研修を共同で実施しました。また、来年1月から始まる2003年度の研修プログラムの準備も整い、16名の女子教員が来日される予定です。本学は各附属校園とともに、コンソーシアムと連携して、学内ワーキンググループを結成し、研修受入れを中心に、講演会、写真展の開催、募金活動、教育資材の寄贈など、さまざまな活動をしてきました。

 私も、このような活動に参加し、少しでもアフガンの教育復興支援に携わることができたことに、ささやかな喜びを感じました。今年の夏、カブールに帰国された研修生を訪ね、研修の成果を調査された先生の報告を聞くと、日本で学ばれたことがいろいろな面で生かされている事がわかりまました。これもまた嬉しいことでした。

  しかし、こうしたアフガンとの関わりの中で、今私が思うのは、「支援」とは何だろうということです。支援をする側は、今申しましたように、何か良いことをしているという使命感や何かを成し遂げたという満足感を得やすいのです。でもよく考えれば、復興支援とは破壊や殺傷、飢餓、離散という悲劇的な事態を前提にしているのです。また支援と言っても、大規模な物的支援と並行して、長期にわたる人道的支援も考えなければなりません。国レベルになれば、さらに利権の確保や軍事上の戦略などの現実的問題も絡んできます。現に傷つき、苦しむ人々を援助することは必要です。しかし、支援するに際して、たとえ直接の責任がなかったとしても、このような事態が生じたことにまず深い反省と原因の究明がなければならないのではないでしょうか。大事なことは、このような支援を必要としない世界を作り出すこと、すなわち、武力による攻撃や破壊を食い止めるために、平和的解決という困難で地道な努力をすることではないかと思います。女性教育者研修の過程で、アフガニスタンの現状、19世紀以降の長い戦乱の歴史、さらにもっと古い伝統と文化の国としての歴史などを知るにつけ、そして何よりもアフガンの女性たちの悠揚迫らぬ威厳と同時に暖かい人間性に触れると、この人たちとこのアフガンという国と、支援する側とされる側として出会いたくなかった、と強く感じました。

 イラクの人々は、すでに長く苦しんでいるのではないでしょうか。今、また自衛隊はその人道支援として派遣されるということです。しかし、英米のイラク攻撃自体の正当性に関する検証もなく、また双方の多くの戦死者を悼む気持ちも忘れ、カッコ付き戦後統治に対するイラク国民の声が聞こえない状況において、日本の自衛隊が武器を携行し、軍隊として、あいまいな「非戦闘地域」に出ていくことに疑問を感じざるをえません。国民の合意はもとより、政府自身の明確な説明がないままでは、再び破壊と殺戮が繰り返され、さらなる支援が必要な状況が作り出されるのではないでしょうか。国連を中心にした国際協力の組織化によって深刻化する紛争や対立に各国と集団的な行動を通じて対処すること、また我々は戦争や武力に対して臆病であることを表明する勇気を持つことが今必要ではないでしょうか。