血液型と性格の話 - あとがき(5/5)
第1回、第2回、第3回、第4回を一通り読んでいただければ問題無いと思うのですが、以下、念の為に補足させていただきます。(思いのほか長くなりました。)
筆者は「血液型と性格の関連」を肯定も否定もしていないつもりです。数限られた個人的経験からは「関連が有る」と感じますが、証拠(下記参照)に乏しい現状では、肯定は勿論、否定も困難、つまりは「関連が有るとも無いとも結論できない」との意見です。
言わずもがな、「無い」は「有る」よりも証明が困難な命題です。例1:浮気が有った事実は、一瞬の証拠を突き付ければ事足りますが、無かった事実(身の潔白)は、24時間365日、疑惑の全期間のアリバイを示さなければ証明できません。例2:宇宙人や幽霊や神様の存在を、肯定するのは簡単(連れてくれば良いだけ)ですが、否定するには、「探し方が不十分」な可能性を排除するために、ミクロからマクロまで、天国や地獄や転生先などの異世界(仮)を含め、全宇宙の完璧な探索が必要であり、現状それは不可能です。例3:STAP細胞は「あります」と簡単に証明できたはずですが(作れば良かっただけ)、あらゆる可能性を検証して「無かった」と結論するために、はるかに多くの時間と労力と税金を要しました。例4:最近、筆者は精神科医に「あなたの正常を証明する診断書は書けません」と言われましたが、その理由は、どれだけ診察に時間をかけようと、潜在的な疾患/障がい/問題が絶っっっ対に無いとは保証できないからです。筆者が見るからに異常者だったから、ではありません。多分。
血液型と性格の関連も、言ってしまえば浮気調査と同じです。関連が「有る」と主張したいなら完璧な証拠を1つ示せば良いだけですが、「無い」と主張したい場合、「調査が不十分/不完全」の批判を躱すために、誰にも文句のつけようが無い、徹底的で網羅的で完璧な調査が必要であり、本来非常に難しい/手間のかかることなのです。更に言ってしまえば、現在の調査手法が未熟であり、そもそも完璧な調査が出来ない可能性もあります。新しい技術によって、それまで見えなかったことが見えるようになり「常識」が覆される、なんて例は、科学の世界では枚挙に遑がありません。
また、こちらも言わずもがなですが、ヒトという動物は学習能力が高く、生まれ持った遺伝子だけで性格は決まりません。誕生(あるいは受精)後の環境(経験)に強く影響され、その経験は、81億人の誰一人として同一ではありません。歳を重ねるだけで、血液型は変わらなくても性格は変わりますし、たった一つの経験が、人間を大きく成長/堕落させることもあります。遺伝子だけでヒトの性格を語り尽くせるわけがないのです。ましてやABO遺伝子だけで。
しかし、0%か100%かの議論をしているわけではありません。たとえ数%でもABO式血液型と性格の関連が支持されるのであれば、もはや「関連は無い」と言ったら嘘になりますから、「関連は有る」と言うのが筋です。
これらを踏まえた上で、血液型と性格の問題に決着をつけるには、どのような「証拠」が必要でしょうか?
これまで行われてきた様々な調査(参考1、参考2)は、筆者の知る限り、基本的には「アンケートと統計」の類と見受けられます。社会学的/心理学的な調査と言えるでしょうか。現実問題として、ヒトを対象とする研究の多くは、このような「主観に依存するデータ」に頼らざるを得ません。この点に目を瞑り、回答者全員が測定機器の如く、共通の基準と高い精度で自己/他者を評価できると仮定しても、得られる証拠は決定的とは言い難く、「統計的に有意」以上の結論を述べること(例:経験や思い込みなどの後天的要因を排除すること)は困難です。
遺伝学(の原理主義)者が考える決定的な「証拠」とは、相関関係ではなく因果関係であり、遺伝子操作によってしか得られません。順遺伝学に対して逆遺伝学と呼ばれる、「遺伝子に手を加え、特徴が変化するか調べる」手法です。具体的には、「一卵性双生児の片方のABO遺伝子(にヒッチハイクする性格遺伝子(仮))を書き換え、血液型を教えずに同一の環境で育て(あるいは多くを経験する前の赤ん坊の時期に)、両者の性格を比較する」などです。しかし言うまでもなく、ヒトでこれをすることは許されておらず、今後も許されることはないでしょうから、この線から決定的な証拠を得ることは断念しなければなりません。
となると、動物実験になります。やや古いですが、2001年に山本文一郎博士らが、「マウスにもABO遺伝子があり、作られる酵素はA型とB型両方の活性を持つ」と報告されています。その後どこまで研究が進んだかフォローしておりませんが(参考)、この遺伝子をA型やB型やO型に書き換えて、マウスの性格(行動)が変化するかを調べるのは、個人的には少し面白そうに思います(注:変化しない(したらヤバい)とは思います)。なお、サカナはABO遺伝子を持っておらず(カエルにはあるようです;参考)、残念ながらメダカでこのような実験はできません。
しかし結局のところ、マウスやメダカで起こる現象がヒト(大和民族)で同様に起こるとは限りませんから、やはり動物実験からも決定的な証拠は得られません。決定的証拠が示されない以上、どこまで状況証拠を積み上げられるかにもよりますが、将来的にも「血液型と性格の議論」は続くだろうと予想されます。過去を見に行くことも、46億年かかる実験をすることも、全知全能のお父様にお越しいただいて証言・再現していただくことも叶わないため、いまだに決着の目処が立たない進化論と創造論の議論と同じです。
遺伝の話はヒステリックになりがちで、差別にもつながりやすいので(参考)、迂闊な発言をすることも、迂闊に発言を信じることも、厳に慎まなければなりません。今回、そんな話題に筆者が踏み込んでしまったのは、学科HPの科学コラムを更新するためのネタが他に思いつかなかったのと、筆者の周囲(やweb上)に「血液型と性格に、関連が有ると言う人はお馬鹿で、無いと言う人がお利口」みたいな論調が蔓延している気がしたので、一度きちんと思考を整理してみようと、発作的に思い至ったのが動機です(7年ぶりのサバティカルで、要らんことをする時間と気力があったせいもあります)。結果、筆者個人と致しましては、『決定的な証拠が示されていない現況においては、有ると断定する人も無いと断定する人も等しくお◯◯なのであって、後者が前者を一方的に「エセ科学信奉者」と糾弾できる道理は無さそう』に思う次第です。
以上、詳しい(正しい)お話はこの分野がご専門の先生方にお尋ねいただくとして、「遺伝学っぽい与太話」を冷静に楽しんでいただけたなら幸いに存じます。もし「遺伝学者ぶってるけど、アンタ色々と間違ってるよ」などもございましたら、大変お手数ではございますが、ご指摘・ご指導いただけますと誠にありがたく存じます。
最後までお付き合い、ありがとうございました。




血液型と性格の話 - Genetic Background(4/5)