死の「栄光」
「栄光」という言葉には、「輝かしいほまれ、大きな名誉」のほかに、「幸いを表す光」という意味があります。このコラムでは、後者の意味の「栄光」を扱います。
中島敦や太宰治など、文豪の名をもつキャラクターが繰り広げるバトルアクションアニメ、『文豪ストレイドッグス』にも名前が登場する、戦前に活躍した推理作家・小栗虫太郎の長編小説に『黒死館殺人事件』があります(「青空文庫」で無料で読めます)。この作品は、夢野久作『ドグラ・マグラ』、中井英夫『虚無への供物』とともに、日本探偵小説史上の「三大奇書」と呼ばれており、メインストーリーをのみこむ夥しい衒学趣味(神秘思想や占星術、宗教学、物理学(!)、医学、薬学、心理学を含む)が特徴です。
この小説における第一の殺人事件の犠牲者(ダンネベルグ夫人)の死体は、「三大奇書」の名に恥じぬ空前絶後のものです。関連する章「栄光の奇蹟」から、一部抜粋してみましょう。「見よ!そこに横たわっているダンネベルグ夫人の死体からは、聖らかな栄光が燦然と放たれているのだ。ちょうど光の霧に包まれたように、表面から一寸ばかりの空間に、澄んだ青白い光が流れ、それが全身をしっくりと包んで、陰闇の中から朦朧と浮き出させている。その光には、冷たい清冽な敬虔な気品があって、また、それに暈とした乳白色の濁りがあるところは、奥底知れない神性の啓示でもあろうか。…」
『黒死館殺人事件』はホラー小説でも宗教小説でもなく、れっきとした推理小説です。よって、この「栄光」の謎解きも、探偵役の「法水麟太郎(のりみずりんたろう)」先生によって(一応)なされています。その説明は次の通りです。「サントニン(回虫の駆除剤)が腎臓に及ぼした影響が、一方あの屍光の生因を、体内から皮膚の表面へ担ぎ上げてしまったのだ…寝台の塗料の下…には歴青様の層があっ(た)。…この歴青様のものが、ウラニウムを含むピッチブレンドであることは云うまでもあるまい…ダンネベルグ夫人もやはり砒食人―常日頃神経病の治療剤として、夫人は微量の砒石を常用していたのだ。そうすると、永い間には、組織の中にまでも、砒石の無機成分が浸透してしまう。したがって、サントニンによって浮腫や発汗が皮膚面に起ると、当然、そこに凝集している砒石の成分層が、ピッチブレンドのウラニウム放射能をうけなければならないだろう」
おそらく、上記の法水先生の説明を読んで、すぐさま「なるほど、よくわかりました」と言える人はほとんどいないのではないでしょうか(笑)。まして法水先生は、事件に関係しているのかいないのかよく分からない蘊蓄を機関銃のように繰り出して、そのたびに周囲を「なに、○○!?」と驚愕させる一方で、肝心の推理をことごとく外す(笑)という「迷」探偵なので、油断はできません。「光を放つ死体」のメカニズムはどういうものなのでしょうか?本当にそんなことがありうるのでしょうか?少し考えてみましょう。
法水先生の説明を整理してみると、栄光のメカニズムは以下のようになります。
(1) ダンネベルグ夫人は、「砒石」を常用していて、何かの「無機成分」が身体に蓄積していた。
(2) 死の直前、サントニンを飲んだことで、その無機成分が皮膚の表面に露出した。
(3) ダンネベルグ夫人の死体が横たわっている寝台の下には、「ピッチブレンド」というウラニウムを含む鉱物粉末が敷かれており、ウラニウム(ウラン)から出る放射能が、皮膚に付着した無機成分を光らせて、栄光を生じさせた。
こう整理すると、結構単純なトリックに思えますが、いろいろとツッコミ所はあります。どうやって放射能が「無機成分」を光らせたのでしょうか。そもそもその「無機物質」とは何なのでしょうか。これらについて考えるヒントになるので、まずは『黒死館殺人事件』が書かれた時代の科学史をおさらいしておきましょう。
『黒死館殺人事件』は、雑誌『新青年』の1934年4月号から12月号にかけて連載され、1935年5月に新潮社より単行本が刊行されました。ウランを含む薬品から放射線が出ることは、『黒死館殺人事件』連載の38年前の1896年に、フランスの物理学者ベクレルによって発見されていました。そして、放射線を出す元素ウランが、オーストリアの金属鉱山の「ピッチブレンド」と呼ばれる黒い鉱石に含まれていることも、以前から知られていました。ピッチブレンドから取り出したウランをガラスに混ぜたり、陶磁器に塗布したりすると、鮮やかに発色するため、興味をもたれていたのです。有名なキュリー夫人は、このピッチブレンドに注目し、大変な努力の末、数トンのピッチブレンドから約0.1グラムの新元素「ラジウム」を抽出しました。こうした研究により、キュリー夫人は1903年にノーベル物理賞、1911年にはノーベル化学賞を受賞しています。
ラジウムを混ぜた色素は放射能をうけて蛍光を放つため、一時、夜光塗料として広く用いられました。利用先として特に注目されたのは、時計の文字盤でした。夜でも見える時計は、第一次世界大戦の軍用時計として利用されて以来、様々な業界で重宝されました。文字盤に夜光塗料を塗る作業は、貧しい女性たちにとって非常に良い仕事だったので(賃金は平均的な工場仕事の3倍以上)、多くの女性がこの仕事に従事しました。こうした「文字盤を塗る女工たち」は、やがて「ラジウム・ガールズ」、あるいは「ゴースト・ガールズ」として知られるようになりました。というのも、勤務時間が終わるころには、彼女たち自身が暗闇で光るようになったからです。彼女たちはしばしば、よそ行きの服を着て仕事をしました。仕事後の夜のダンスホールで、その服とともに光る自分に注目が集まったからです。この「ラジウム・ガールズ」が、虫太郎に「栄光」のアイデアをもたらしたのかもしれません。
さて、「ラジウム・ガールズ」はなぜ光ったのでしょうか。その秘密は、作業工程にありました。腕時計の小さな文字盤に塗料を正確に塗るため、彼女たちは塗布用の筆を唇でくわえて整えていたのです。その結果、筆を口に含むたびに、少量の塗料が放射性ラジウムとともに飲み込まれました。飲み込まれた塗料は体中に広がりながら、ラジウムの放射能によって蛍光を発し、彼女たちを光らせていたのです。
2011年の福島第一原子力発電所事故の後に生きる私たちは、放射性物質を体内に入れてしまうと(内部被ばくといいます)、ガンになりやすくなると知っています。しかし、20世紀前半の当時、そうした認識は十分ではありませんでした。ラジウム・ガールズの多くはあごの壊死や骨肉腫などを発症してしまいました。犠牲者は100人を超え、最も若かった犠牲者は作業時点の年齢がわずか11歳だったそうです。この事件の和解が成立したのはニュージャージー州で1928年、イリノイ州で1938年でした。この10年間は、『黒死館殺人事件』の連載期間(1934年)と重なっています。また、単行本が刊行された1935年には、キュリー夫人の娘(イレーヌ・キュリー)夫妻が人工放射能の研究でノーベル化学賞を受賞しています。『黒死館殺人事件』が執筆された時代は、「放射能」がよくも悪くもトレンドだったのです。その渦中にいた虫太郎が、「放射能」や「ピッチブレンド」、さらには「ラジウム・ガールズ(=人体の発光現象)」に関心をもったとしても何の不思議もありません。なお、「ラジウム・ガールズ」事件は、『ラジウムガールズ』というタイトルで、2018年に映画化されました。
ラジウム・ガールズの悲劇をもたらしたラジウムは、ピッチブレンドの中にごく微量しか含まれていないためか、法水先生もラジウムではなく、ピッチブレンドの主成分であるウランからの放射能を「主犯」扱いしています。ところで、厳密にいえば、「放射能」とは、放射性同位元素が放射性崩壊を起こして別の元素に変化する性質(能力)を意味します。夜光塗料を光らせるのは、放射性崩壊に際して放出される「放射線」です。放射線にはいくつかの種類がありますが、寝台の下から人間の皮膚を通り抜け、蛍光物質を光らせることのできるのはガンマ線しかありません。そして、ウランの同位体のひとつであり、ピッチブレンドなどの天然ウラン鉱物中に含まれる「ウラン235(陽子数92、中性子数143のウラン原子)」は、たしかにガンマ線を放出します。つまり、法水先生の説明(3)は、それなりに妥当性があるのです。
問題は、発汗などによって体内から皮膚に移り(説明(2))、しかもガンマ線によって光る「砒石の無機成分(説明(1))」とは何か、ということです。法水先生は、具体的な物質名をいっさい述べていないので、こちらで推理するしかありません。
まず「砒石」から調べてみましょう。砒石はヒ素を主成分とし、硫黄や鉄を含む鉱物を指します。時代劇で時々でてくる「石見銀山」もしくは「猫いらず」とよばれる薬は、砒石を細かく砕いたもので、殺鼠剤として使われました。ヒ素を含む鉱物は世界中に分布しているので、これを原因物質として持ち出すことはよいのですが、問題は、ヒ素鉱物には蛍光を発するものがあまりないことです。
私の知るかぎり、蛍光を発するヒ素鉱物は、フランスの鉱物学者アダムが1866年にチリで発見した「アダマイト(水砒亜鉛鉱:Zn2(AsO4)(OH))」くらいです。アダマイトは、黄色、もしくはくすんだ緑色あるいは青緑色の晶脈状の結晶として産出し、くすんだ緑色のものが、もっともよく蛍光します(http://toolate.website/stone2/folder/adamite/index.htm)。代表的な産地はメキシコのオハエラ鉱山ですが、日本でも宮崎県で産出したことがあります。だからアダマイトが黒死館にあり、「砒石」として服用されていたとしても、まったく不自然というわけではありません(もちろん、死ぬ間際に、発汗によって体内のアダマイトが皮膚にいきなり沈着するかは大いに疑問ですが)。しかし…。
前述の通り、ダンネベルグ夫人の栄光は「澄んだ青白い光」でした。一方、アダマイトの蛍光は「緑色」です。残念ながら、色が違う。ピッチブレンドに含まれるウランの(正確にはウラニルイオン(UO2)2+の)蛍光も緑色です。『黒死館殺人事件』の連載時、青い蛍光を放つ物質として知られていたのは、私の知る限り、キュリー夫人が抽出したラジウム塩化物しかありません。しかし、著者の虫太郎は「ラジウム・ガールズ」事件の顛末を知っていたのか、法水先生に「ラジウム化合物なら皮膚に壊疽が出来るし、着衣にもそんな跡はない」と、ラジウム原因説を全否定させています。
ラジウムのかわりに、法水先生が着目したのは、「カトリック聖僧に関する屍光現象」でした。彼は言います。「アヴリノの『聖僧奇蹟集』を読むと、新旧両教徒の葛藤が最もはなはだしかった一六二五年から三〇年までの五年ほどの間に、シェーンベルグ(モラヴィア領)のドイヴァテル、ツイタウ(プロシア)のグロゴウ、フライシュタット(高部アウストリア)のアルノルディン、プラウエン(サキソニー領)のムスコヴィテス――と都合四人が、死後に肉体から発光したという記録を残している…。」法水先生は、光の色については言及していません。しかし、原典の『聖僧奇蹟集』にあたって色を確認すれば、謎の「無機成分」の手がかりがつかめるかもしれません。そこでこの文献について調べてみたのですが…。
結論から言えば、この文献は存在していませんでした(!)。モデルとなった(と思われる)文献はありました。イタリアの証聖人アヴェリノSaint Andrew Avellino(1521-1608:https://www.newadvent.org/cathen/01472b.htm)の書簡集(全五巻)です。この文献は1731年にナポリで発行されています。しかし、前述の屍光現象が起こったのは「1625年から30年」、著者アヴェリノの死後17年後のこと、アヴェリノが記録できるはずがありません。そもそも書簡集には屍光に関する記述自体がありません。「シェーンベルグのドイヴァテル、ツイタウのグロゴウ、フライシュタットのアルノルディン、プラウエンのムスコヴィテス」なる「聖僧」たちが実在したのかどうかすら不明です。以上のことから、たのみの「カトリック聖僧に関する屍光現象」は、法水先生が苦し紛れに脳内で捏造したものと推定できます。さすが「迷」探偵・法水麟太郎!
せめて「緑の栄光」としていれば、まだ現実性があったものを、虫太郎がなぜ栄光を「青白く」したのかはわかりません。緑の光は、夜光時計の文字盤として当時かなり知られていたので、謎めいた黒死館のイメージにあわないと判断したのかもしれません。
こうして、奇書『黒死館殺人事件』の冒頭を飾る、「ウランからの放射線による、死体を包む青白い栄光」は、残念ながら「ありそうにない」とわかりました。ところが2013年、まったく意外なところから、「死体を包む青い光」が、本当に発見されたのです。報告したのは、ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンのジェムズ教授の研究グループで、相手は人間ではなく線虫(C. エレガンス)でした。ジェムズ教授らは、死にゆく線虫に紫外線を当てて観察することで、死の過程で青い蛍光が放たれることを発見しました。この光は次第に強くなり、死の瞬間に最大に達し、直後に消えるそうです。青色の蛍光をもたらしたのは、ウランでもラジウムでもなく、「アントラニル酸」でした。アントラニル酸は、図1のような分子構造をとる芳香族アミノ酸の一種です。

哺乳類に対して催乳作用を示すため、ビタミンL1とも呼ばれます。青色蛍光のきっかけは、アントラニル酸が突然生成されたことではなく、アントラニル酸を閉じ込めていた細胞膜が壊死と同時に破れて、細胞内の酸性コンパートメント(区画)からアントラニル酸が放出されたことだったそうです。ジェムズ教授らの研究は、死を遅らせる方法を理解し、開発するのにも役立つかもしれません。興味のある方は、原著論文(英語)をご参照下さい。
戦前の探偵小説に描かれた、荒唐無稽に思えた「青色の栄光」ですが、21世紀になって、「科学的で有益な事実」として思わぬ形で復活しました。こういうことがあるから、自然科学は面白いのです。
なお、本学科には線虫を研究している研究室や、アントラニル酸のように面白い活性をもつ有機化合物の合成に挑んでいる研究室、科学史に関係した記事(日本語)を公開している研究室があります。興味があれば、そちらもご参照下さい。

