内地はつまらないところだ。神戸の街を歩きながら、貞子はそう思った。街は煤け、人々はボロ切れのような着物を着ている。これから何を信じて生きていけばいいのか分からないのだろう、意味もなく勉強させられている時のように、目の奥になんの光もないような人たちがノロノロと歩いていた。夕焼けに街は真っ赤に燃えていたが、人々の心には情熱ひとつ感じられなかった。
貞子が神戸に来たのは、つい数日前のことだった。思えばここ数日は、一年がいっぺんに過ぎ去ったような、そんな日々だった。貞子は大連に生まれ、大連で育った。なに不自由のない暮らしを送っていた。だが日本が戦争に負けたことを知らせるラジオを聞いた日から、大連での生活はすっかり変わってしまった。いつかここを離れなければならない。だが、それがいつになるのかは分からない。宙ぶらりんな生活がしばらく続いた。そして終戦から一年ほどたった頃、引き揚げ船が来るという噂が流れた。ああ、ついにここを離れる日が来たのだと思った。内地は女学校時代の故郷訪問で一回行ったっきりだったから、今どんな状況なのかよく分からない。よく分からない「故郷」に行くくらいなら、ずっと大連にいたいと思った。だがそんなことを言っていても仕方がない。戦争が終わってから、外では中国人が暴動を起こしているし、ソ連兵は家に侵入して金目のものを持っていく。内地に帰るしか選択肢はなかった。
内地に帰ってきて、大陸は恵まれていたのだと感じた。もう、大連は日本のものではない。日本のものではないからといって、私の生まれた場所でなくなるわけではない。けれど、帰る場所ではなくなってしまった。大連に残してきた父と母のお墓にも、いつお参りに行けるか分からない。気づけば私も内地の人と同じように、希望も何もない顔をして歩いていた。だめだ、だめだ。私は大連生まれなのだ。東京よりも華やかな街で育ったのた。女学校にも通っていたのだ。放課後は友達とタクシーに乗って喫茶店に毎日のように通っていたのだ。家に帰れば、纏足の使用人が「お嬢様」と迎えてくれていたのだ。こんな私が、煤けた街で、土気色の顔をしていてはいけない。
貞子が家へ戻ると、ちょうどお姉さんが庭に出ていた。
「あら、貞ちゃん帰ってきたの」
「うん、ただいま」
「神戸の街はどう?大連に比べたら田舎だけれど、ここもなかなか悪くないでしょう。まだまだ慣れないこともあると思うけれど、ゆっくりして行って頂戴ね」
お姉さんはテキパキと喋って、家の中へ消えていった。貞子はなんとなく家の中に入る気になれず、土間に座った。ゆっくりと沈んでいく太陽を見ながら、ぼんやりと引き揚げの時のことを思い出していた。
引き揚げ船に乗る前に、ソ連兵の検閲があるらしいと聞いた。金目のものを持っていることが分かったら、その場で殺されるかもしれない。女だと分かれば、どこかに連れて行かれるかも分からない。貞子は長く伸ばした髪を坊主にし、今までに大連で撮った写真だけを腰に巻いて、引き揚げ船に乗り込んだ。引き揚げ船の中は暗く、暗く、これからどこへ連れて行かれるかも分からない、本当に日本へ帰れるのかも分からない、不安な空間だった。時折船が大きく揺れるたびに、貞子の気持ちも大きく揺れた。この船が日本のどこについても、今までの生活は帰ってこない。きっと今まで経験したことがないような苦労が待っている。それでも、帰るしかない。腰に巻いた写真をぎゅっと抱きしめ、船が到着するのを待った。
船は博多に着いた。博多は引き揚げ者たちで溢れかえっていた。内地に親族がいる人たちは列車にパンパンに詰められて、それぞれの地方へ向かった。貞子は神戸で暮らすたった一人の姉を頼り、神戸に向かった。
神戸に着くと、姉は貞子をとても歓迎してくれた。無事でよかった、無事でよかったと、涙を流しながら貞子の坊主頭を撫でた。そして、ここでは自由にしていいからね、と部屋の一室を貸してくれ、貞子の神戸暮らしが始まったのであった。
初めは物珍しく楽しかった神戸での生活も、次第に居心地の悪いものとなった。街も人も灰色で、活気も何もない。大連で聞いていた内地の様子とはひどく違っていた。姉は貞子に優しく接してくれており、神戸の家での生活に不満はなかった。だが姉も終戦後、生活を切り詰めて暮らしていた。貞子が来たことで、姉一家の生活を圧迫していることは明らかだった。
「あら、貞ちゃん、こんなところに座って何をしているの」
土間に来ていた姉に声をかけられ、貞子は顔をあげた。日は今したがた落ちたようで、あたりは段々と暗くなっていた。
「お姉ちゃん、戦争は、終わったんかねえ」
貞子は呟くように言った。
「そうねえ、暮らしは全然楽にならないし、まだ終わってないみたいよねえ」
「戦争が終わることは、あるんかねえ」
「貞ちゃんが、戦争は終わったと、思った時が、終わった時なんじゃないかしら」
「そういうもんかしら」
「そういうものよ」
姉はもう用はないと思ったのか、暗くなる前に入りなさい、と伝え家の中へ消えていった。
貞子はしばらく考えていた。戦争は終わったと思った時が、戦争が終わる時。この街に居続け、姉の家に世話になり続けて、果たして戦争が終わったと感じる日は来るのだろうか。自分一人で新しい土地へ行き、仕事を見つけ、生活をしていった方が、もっと面白いのではないだろうか。もちろん大変な苦労が待っているだろうけれど、それでもその苦労の中に、何か見つけられるのではないか。つまらない顔をして、つまらない街で生きていくより、よっぽどいいのではないか。貞子は街を一刻も早く出たくなった。どこへ行っても、内地は内地だから、変わり映えしないかもしれない。けれど、どこかへ行けば、何か変わる気がする。貞子は衝動を抑えきれなくなった。急いで家の中へ入り、荷物をまとめた。大連から大事に持ってきた写真を抱え、今までお世話になりました、と手紙を残し、貞子は家を飛び出した。どこかに着いて身を落ちつけてから、お姉さんにはゆっくり手紙を出そう。私がいるせいで生活は苦しくなっているのだから、無理に止めることはしないだろう。それよりも、今、行動したいのだ。
戦争を終わらせる。激しい思いを抱いて、貞子は神戸の街を去った。日はすっかり落ち、深い闇が貞子を包んでいた。
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あとがき
福岡生まれ、福岡育ちのもこです。私が福岡で生まれ育った理由は、引き揚げ船が博多港に着いたから、それだけです。本籍地があるとか、代々福岡に住んでいるとか、そういうことではありません。
貞子とは、私の父方の祖母の名前です。祖母は私が生まれた時には亡くなっており、私の父も高齢になり記憶があやふやなことから、今回書いた文章にはフィクション性が強い部分も多々あるかもしれません。しかし、虚構を恐れ、何も書かなければ、誰に伝えることもできないと、私は思いました。
私は自分自身について考える時、自分の背後には必ず戦争というものがぴったり引っ付いているのだと感じます。父方の祖母は大連生まれ、祖父は台湾生まれ、どちらも引き揚げ者です。そして母方の祖母は長崎生まれ、原爆の影響なのか、長崎の親戚はどうも短命です。
あの時、懸命に生きた人たちのおかげで、私たちは今ここにいます。8月15日は、戦争が終わった日であると同時に、戦争についてじっくり考える日です。私たちの世代にとって、戦争はもう、馴染みのないものかもしれません。しかし、いま私たちが生きていること、このことに思いを巡らせる時、やはり戦争について考える必要があるのではないかと、私は思っています。
2022年8月15日 もこ