こんばんは、めいです。
最後のブログ。
何を書こうかと数日前から考えていたのですが、結局何も決まらないまま今日を迎えてしまいました。
引き続き考えながらぼんやりと過去のブログを読み返し、感じたのは、文学の話ほんとに一つもないな…ということ。普通にバレてるだろうなと思いつつ名言したことはなかったのですが(何故かちょっと気恥ずかしかった)、私は日本語学を専攻していました。
日本語学を学んで来た中で一番印象に残っているのが、「誤用は変化の始まりである」という先生の言葉です。
そもそも私が日本語学に興味を持つようになったのはまさに”誤用”が始まりで、日常生活に馴染んでいる日本語の誤用を扱ったテレビ番組を観て面白いと感じたことがきっかけでした。
それ以降自然とテレビや街中で聞こえてくる誤用に意識が向くようになったのですが、そのうち、無意識に”誤り”であるということに対して目くじらを立てるような感覚になってしまっていて。
そんな時に「ことばはそもそも様々な変化を経て今の姿になっていて、当然これからも変化していく。誤用はその変化の一種であって、一概に悪と捉えるべきではない」という先生の話を聞いて、ハッとしました。
誤用が生まれることにも、多くの人が同じ誤用をすることにも、その誤用が社会に浸透することにも、必ず言語的な要因や、時代的・社会的な背景があります。そして、そうやって人々の営みに連れ添い、共に変わっていくことばというものを、私はとても興味深く感じたのです。
卒論のテーマも、ある種の誤用について、そんなところに焦点を当てて書きました。もちろん細かい反省点は山ほどありますが、4年間の集大成として、自分の興味を形にすることは出来たかなと思います。
2年次からはほとんどリモート授業で、正直に言えば大学での学びというものを実感しづらい部分もありました。それでも、振り返れば日文での4年間がちゃんと自分の中に残っています。
日本神話も百人一首も能も浄瑠璃も太宰も全部。難しかったけど、やっぱり面白かったし楽しかったです。先生方、ありがとうございました。日文で学べて良かった!
そして、2005年から途切れることなく繋がれて来たこの日文ブログ。3年と少しの間、その繋ぎ手の一人でいられたことを光栄に思います。他の誰よりどうでもいい話しかして来なかった自負と申し訳なさがあるのですが、ほんの僅かでも楽しんでいただけること、時々するお節介アドバイスで参考にしていただけることがあったなら嬉しいです。
まだまだ募る想いはありますが、全て言葉にしようとすればきりがないので… 名残を惜しみつつ、この辺りで筆を置くことにします。
石井先生、ブログ部の皆さん、友人たち、そして今この文を読んでくださっている貴方へ、ありったけの感謝と愛を込めて。
ありがとうございました!またいつか!