こんにちは、れいです。
先日無事卒業式を終え、ついにブログ更新も最後の1回となりました。
卒業式では、学科の総代として成瀬記念講堂で学位記を受け取りました。総代のお話をいただいたのは卒業論文の口述試験の日だったのですが、試験終了後のほっとしたところで、驚きと嬉しさでいっぱいになったことを覚えています。この4年間は、総じて頑張ったと自負できるのですが、それでも紆余曲折あったり、努力が実を結ばないという経験もあった中で、最後、とても良い締めくくりになったと思います。
大学生活は全てが濃く、どこから振り返って良いものか分からないのですが、日常や思いを書き綴ったブログが、宝物の一つになりました。
このブログでは一度も話したことがなかったのですが、私は小学校から日本女子大学にお世話になっています。小学校では、1年生の時から毎週の宿題に日記があったのですが、その経験を通して私は「書く」ことが大好きになっていました。6年間書き続けた日記帳は今でも大切にとってあり、また中学、高校でも「書く」ということを私自身大切にしていました。
大学に入学してからは、同じ「書く」といっても、レポートなどはテーマを決めて根拠を持って論理的に述べていくことが必要であり(この手続きも好きなのですが)、自己表現の場としての「書く」機会は減っていました。その物足りなさを感じていた時にこのブログ部にお誘いいただき、思いっきり自分の感情をしたためることができる場所ができました。お話をくださったアドバイザーの先生には、感謝してもしきれません。
今回、改めて今までのブログを読んでみたのですが、特に1、2年生のブログの構成や文章が下手で恥ずかしくなりました。突然話題が飛んだり、話し始めたと思ったら「また今度!」と終わってしまったり、はたまた同じことを繰り返し言ってしまっているなど…。こんなものを堂々と世に出していたなんて、と思うのですが、一方で日本文学を学び始めた時の純粋な眼差しや、その時々の感動や興奮が真っ直ぐに伝わるものが多く、恥ずかしいけれど書き残しておいて良かったと感じました。
読み返した中で、特に印象的なブログがいくつかあったので紹介します。
1つ目が、2019年4月27日「舞台「良い子はみんなご褒美がもらえる」」https://mcm-www.jwu.ac.jp/~nichibun/blog2/?p=9870です。
2年次に上がったばかりのこのブログ、あちらこちらに文章が飛んでしまっていて読みにくさ極まりないのですが、
これは和歌世界でも同じことが言えると思うのです。たった31字の中でどんな想像が膨らませられるか。実際に昔の人がそう思って詠んだかは分かりませんが、私たちは和歌を読んで頭の中でその景色や情景、または心情を想像することができる。言葉というツールを使って、時代や場所を超えて繋がることができるのは、本当に素晴らしいです。
と書いてあり、ハッとしました。私は卒論で鎌倉時代初期の和歌を扱ったのですが、注釈のない和歌を読むことは想像以上に大変で、和歌史の変遷や言葉の持つ意味を一つ一つ考え始めると、迷宮入りしてしまうこともしばしばでした。今も和歌が大好きで、だからこそ院に進学して和歌を研究したいと思っているのですが、この2年生の時のブログには、高校時代に和歌を読んで日文に行こうと思った時の(良い意味で)単純な面白さや感動が記されていて、忘れていた心を取り戻してくれるようでした。
2つ目は、2019年8月7日「二十歳」https://mcm-www.jwu.ac.jp/~nichibun/blog2/?p=10438
「自分の信じた道を歩いて下さい。」
母からの手紙にあった一節です。一年後、十年後、先のことを考えると、すごく不安になって、空回りしそうになります。そして、未来の夢に向かって着々と歩を進める友人を見ていると、なぜ私はいつまでも足踏みしているのかと焦ります。
でもこれを読んだときに、少し、自分に自信を持てたように思いました。そして、素直に「こうなりたいな」と考える自分の姿を、純粋に描き出せるような、そんな気持ちになりました。
このブログは(我ながら、ですが)この3年間の中でも気に入っていて、時々読み返しています。特に、4年生ではそれぞれ就活、進学など具体的に将来を考える時期にあたり、どれだけのことをしても、これで良いのだろうかと悩むことばかりでしたが、素直に「今できることを精一杯に取り組む」ことこそが私にとっての正解なのだと、いつも答えをくれるブログでした。
3つ目は、2019年12月27日「変わることはきっと素敵なこと」https://mcm-www.jwu.ac.jp/~nichibun/blog2/?p=11236
まず、今となっては書けないタイトルだなと思っています。コロナ禍になってからは、社会の急速すぎる変化に、「変わらないこと」「変わらずにいられること」に強みがあるのでは?と感じるようになり、変化することをむしろ嫌ってしまった側面があります。
一方で、このブログで私は「成長していく自分が少し楽しみでもある」と言っています。コロナウイルスという社会不安がなかった時を随分と遠く感じるのですが、年齢や周囲、世の中のこと、付随する全てのことを取り除いた先のシンプルな感情は、ここにあるのではないかと最近感じるようになりました。
そしてこのブログには、クリスマスライブに行った時の感想を書いているのですが、
クリスマスライブで見た時の由貴さんは、一年前と随分変わっていました。前も今も由貴さんは綺麗で妖艶だけれども、前はもっと彼女自身が繊細で、触ったらすぐに傷ついてしまうようなガラス細工であって、美しいがゆえに、あと一歩で崩れてしまいそうな脆さがあったように思います。けれども今回は、表情が随分柔らかくて優しくなって、何よりもその場があたたかく甘美でした。幸せな空気を吹き込んで昇華させているように感じられて、同じ濃厚で刹那的な時間なのに、由貴さんの違う面が見られたような気がして…むしろこれが本当の姿かもしれないけれども、それはどうであれ、素敵な変化に見えました。
忘れることのない光景ですが、今となってもこれ以上の言葉で表現できないだろう、と思います。4年間行き続けたライブで、その場の空気に色や雰囲気、温度があることを初めて知りました。
こうして1、2年生の頃のブログを振り返ってみると(今回挙げていない記事も含めて)やはりどこかに出かけたという話題が多いように思います。一方で3年次からは、コロナ禍・オンライン授業という環境下の中で、自己の内面を書いたものが多くなっていったようにも思いました。途中は少し拗らせてしまっているようにも感じるのですが、そういう自分の多面性を知れたのも大きかったです。
続いて3年次、4年次のブログも3つ紹介します。
2020年11月9日「私の源氏物語」https://mcm-www.jwu.ac.jp/~nichibun/blog2/?p=13204
演習で一年かけて、『源氏物語』の続編(二次創作)を書いた『山路の露』を読んでいた時のブログです。4年間の中で最も日文らしい話題だった上、『源氏物語』が母と子の物語だということを強く意識し始めたのがこの時期であり、その時の心情が細かに書かれているのがお気に入りのポイントです。
『山路の露』は浮舟物語の後日談を書いたもので、最終巻夢浮橋からしばらく過ぎた、薫二十八歳の秋から物語が始まります。ちょうど先週発表担当だったのですが、その際に源氏物語からの継承という視点で、浮舟物語を読み直しました。すると、母中将の君にとって、娘浮舟は身分意識の中で自己投影の存在としての側面も持つことにも気がつかされました。
平安・鎌倉期の物の捉え方や言語をそのまま全て現代に引き寄せて考えることは危険なことではありますが、一方で喜びや悩み、悲しみといった人々の情動は何百年という月日を越えてもなお変わらないのだと思います。親子(特に母と子)の話題は、誰しもが当てはまることであり、それを繊細に描き出した『源氏物語』と、源氏を愛してその敬意の念を持った人が書いたであろう『山路の露』を通して、新たな古典の読み方を知りました。
続いて、2021年6月19日「孤独と生きる」https://mcm-www.jwu.ac.jp/~nichibun/blog/index.php/author/mochida/page/2/(このブログから、サイトリニューアルにより個別のURLを出すことができないので、スクロールして見てください)
私は一時期、ブログの中に歌詞や詩を挿入するスタイルで書いていた時があり、その中で一つ好きなブログを選んでみました。
歌詞や詩を入れることにより紡ぎ出されるある種の世界観をブログ全体に描き出すことで新しい表現や手法を学び、得ることができ、自分の世界をまた一つ広げることになったと思います。
そんなコンサート、アンコール前の最後の曲を聞きながら、とてつもなくしみじみと「孤独」を感じてしまいました。私、怖いほど美しいもの、透き通ってきれいなものを見たり聞いたりすると、人間って孤独なんだなぁって思うんですよね。上手く言葉で表せないのですが、どんな人間にも「孤高」な側面があって、その淋しさというものは美しさに繋がるところがあると思うんです。ごめんなさい、分かりにくくて。
前、電車に乗っていて、夕暮れ時だったのですが、透き通った空の青と消えかける橙色が綺麗に川に写っているのが見えて。で、水面に写るその青の部分は黒に近く見えるんですが、黒ではない吸い込まれそうな深い青色をしていて。橙は、空よりも柔らかな色をしていたのですが、その深い青色から柔らかな橙のコントラストに、他を寄せ付けない美しさと暗い孤独を感じました。
美しいものを単に「美しい」と表現するのは簡単だけれど、美しさにもきっと様々な種類があって、私が好きなのは、透き通っていて、明るいだけではないどこか寂しさのある美なのだなと分かり始めた時期のブログです。忘れがたい光景をどのようにしたら言葉にできるのか、言葉にならない感情をなんとかして言語化していく試みが、少し上手くいった文章なのかな、と思います。
最後は、2022年3月12日「大叔母の家に」https://mcm-www.jwu.ac.jp/~nichibun/blog/index.php/author/mochida/です。
恐らく、この春休み最も思い出に残る日だったと思います。
窓に広がる暗闇からは、春の夜らしい、微かな暖かさと寒さの混ざった、少し物悲しい風が肌をなでていきます。
大学生の最後に、大叔母のこと、そして家族をことを改めて考えたことが、これからの新しい生活をより良い方向へと導いてくれると信じています。
そして、自分の幸せの形を描くことのできた今、心に積もるものをこのブログと心の中に、静かに留め置いておきたいと思います。
大叔母のこと、家族のことはこれ以上語ることができないのですが、一つ言えるのは「書く」ことが自分の痛みや経験を昇華させてくれた、ということです。このブログは、ぎりぎりまで公開するか迷っていたのですが、私の中で「忘れてはいけないこと」でもあるため、一つ形にできて良かったと思います。
こうして3年間と少しのブログを振り返ってみると、文章を書くという行為が、その時々の思いを書き留めるものとなっていて、そして自分を認めていく力になっていたか気づかされます。
大学入学時、私は色々な意味で自分のスタイルを見失っていました。模索する時期だったという見方もできますが、簡単に自分で自分のことを否定する見方をしたり、育ててきたアイデンティティを自信を持って周りにさらけ出すことができなくなっていました。
この4年間、毎日の授業は本当に楽しく、また国文学会委員や自主ゼミでの活動、そして何よりも卒論執筆という経験は私を大きく成長させてくれました。その中の一つであるブログ部の活動は、私が私のままで良いんだな、と思わせてくれる場所でした。この中での私は、ある意味普段の自分よりもずっと、素直だった気がします。「書く」ことで、私は私を肯定することができるようになったと思っています。
最後になりましたが、アドバイザーの先生方、ブログ部の方々本当にありがとうございました。
今後は一読者として楽しませてもらいます!
外では、春の雨が静かに桜を濡らしていきます。夜になり冷たくなった空気を感じて、ブログ部を卒業するのが本当に名残惜しく感じられました。
書く場所がなくなるのがあまりにも寂しいので、4月からもまたどこかでブログを書いているかもしれません。もし今後私のことを見つけたら、是非文章の中でお会いしましょう。
それではまた。4年間の感謝を込めて、ここで筆を置きたいと思います。