こんにちは、あすかです🍒
あっという間に一年生が終わってしまったことが信じられないのですが、新たな一年生に参考にしていただくためにも、記憶の新しいうちに授業を振り返ってみたいと思います…!
日本文学科には、単位取得が必須となる「必修科目」の中に【日本語日本文学リテラシー演習】という授業が設定されています。学籍番号によっていくつかのクラスに振り分けられ、担当の先生のもと、日本語や日本文学にまつわるレジュメを作成し発表をする、といった内容です。
後期の授業の中で鬼門とも噂されていたはじめての「演習」授業。レジュメの発音がようやく板についてきたところなのに、自分で作るだなんて…とドキドキしていましたが、先生の模擬発表や、図書館とデータベースの利用方法にまつわるガイダンスの中で、資料作成の基本を学ぶことができました。
私が割り当てられたクラスの担当は、ブログ部でもお世話になっている、石井倫子先生。
石井先生のクラスでは、『新古今和歌集』中の和歌が一人につき一首ずつ割り振られ、和歌の表現や歌意、作者について情報をまとめて発表をしました。
私が担当したのは、摂政太政大臣藤原良経の
「いはざりき今来んまでの空の雲月日へだてて物思へとは」
という一首。
まずは先生が準備してくださった資料や文献を調べて、私訳を作るところから始めることにしました。
「あなたはおっしゃいませんでしたよ。「すぐ訪れよう」と言って約束をしたけれど、あなたが訪れるまでに、空の雲が月や日を遮るように、こんなにも長い月日を隔てて物思いをして待てなどとは。」
この歌には「男を待つ女の心」が詠まれています。
平安時代、女性は自由に恋人に会いに行くこともできず、ひたすら相手を信じて待つことしかできなかったのです。
「月日」という一語に天象としての月と太陽に加え、歳月の意とを掛けあわせることで、雲に覆われてしまう空に、恋人が訪れないままひたすら過ぎていく日々の虚しさが重ねられています。
見上げた空に誰かを思わずにいられない感覚を持ち合わせている人が現代にどれだけいるでしょうか。
初めはひたすら難しくて大変な授業だとばかり考えていましたが、悪戦苦闘しながらも、文献やデータをもとに自分なりの考察をまとめていくことで、和歌の解釈や『新古今集』内での配列の意図に迫る作業には大きなやりがいが感じられました。
また、数百年前を生きた人々の感性やその言葉選びには、とても心を動かされました。
ときに切なくなったりときめいたり、はたまたドン引きしたり…とさまざまな感情に触れながら授業を受けられることが、文学部の魅力の一つではないでしょうか。
その中でも今回の【日本語日本文学リテラシー演習】は「文学研究」の基本を学ぶことのできる有意義な授業であったと感じます。
ここまで読んでくださった皆さん、お付き合いいただきありがとうございました。
限られた大学生活、日本語も日本文学も精いっぱい楽しみましょうね!