こんにちは、あこです。
一昨日、セミを助けました。持っていた日傘に乗せてあげると、ミーーーーンと鳴きながら元気に飛んで行きました。気をつけて生きるんだよ!!
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夏になると、ベランダやマンションの廊下、道路などでひっくり返っているセミをよく見かけますよね。動かないのでもうダメかな?と思う方もいるかもしれませんが、脚が開いている子はまだ生きています!!ぜひ助けてあげてください。
セミを助ける活動(?)を始めて10年ほど経ちますが、私は未だにセミを触ることができません。なのでいつも傘をセミの脚に近づけて、傘を掴んだのを確認したらゆっくり持ち上げて飛ばす…という方法をとっています。触らずに、しかもセミと距離をとりながら助けることができるのでセミが苦手な方にもオススメです。
※因みに、セミは成虫になってから1週間の命だと言われますが、実際は2~3週間生きるそうです。知らなかった…!!
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私は最近、”切れていた人との縁が再び繋がる”という経験をしました。
「縁が切れていた人」とは高校2年生の時に3週間お世話になったホストファミリーです。ニュージーランドで暮らす70代の老夫婦で、確か私の祖父母と同じ年齢でした。
ホームステイ初日。初めてのNZ、初めてのホームステイ、初めての英語での生活……元々英語が苦手なのに加え、初めてだらけの環境に緊張していた私はファザーに「東京は暑いと聞いているよ。東京の”temperature”(=気温)はどれくらいなの?』と聞かれて混乱に陥りました。というのも、私は”temperature”(=気温)と”temple”(=寺)を勘違いし、東京のお寺の数を聞かれたのだと思ったのです。
「東京のお寺の数!?!?えっわからない!!!」とパニックになった私は「Sorry,I don’t know…but maybe many many temples…」とよくわからない回答をし、ファザーたちをも混乱させることになりました。
初めてきちんと聞き取れた英語は、その日の夜にマザーに言われた「You just like a chicken」。前後の言葉は聞き取れなかったのでどういう文脈・意図でこの言葉が出てきたのかは分かりませんが、マザーは鶏が好きで鶏のグッズをたくさん集めていたので、多分褒められたんだと思います。(ポジティブ解釈)
そんな不安極まりない始まり方をしたホームステイでしたが、1週間ほど経つとそれなりに円滑なコミュニケーションを取ることができるようになりました。湿度を上げようと部屋で濡れタオルを干して床を濡らしたり、使ってはいけない石鹸を使ってしまったり、ベッドを温める装置の電源を消し忘れて火事のリスクを高めたり……。たくさんの失敗をしてその度にきちんと怒られましたが、一緒に買い物に行ったり料理を作ったりしてとても充実した3週間でした。
そして帰国後も、メールでの交流が約1年間続きました。月に1度のやりとりでしたが、その月の出来事やNZでの思い出などを送っていたのだと思います。しかし、ある勘違いをきっかけに私は連絡をしなくなり、交流は途絶えてしまいました。
※因みに勘違いが起きた原因は私自身にあります。ファザーからのメールに「成長したあこの顔が見たいから、今の写真を送ってください」と書いてあったのを、「あこの顔を忘れてしまったから写真を送ってください」と訳してしまい、忘れられたことが悲しくて、拗ねて返信をしなかったのです。自分の勘違いに気づいたのは2ヶ月ほど前です。英語力の大切さを感じた出来事でもありますし、私自身の幼稚さと器の小ささを実感した出来事でもありました。今更ながら反省しています。ごめんなさい。
自身の勘違いに気づいてから1ヶ月。今更メールを送るのも図々しいとは分かっていたのですがやはり諦め切れなくて、2年間連絡をしなかったことに対する謝罪と、3年前にお世話になったことへの感謝をメールに認めて送信しました。
あれから3年経っているのだから、今度こそ忘れられているかもしれない。返信が来なくても仕方ない。と自分に言い聞かせながらも、メールが届いてないかな…とパソコンをチェックする日々。2週間ほど経ち、半ば諦めながらパソコンを立ち上げると1通のメールが届いていました。
Dear ○○
△△ and I both remember you,I don’t think I will ever forget you…….(以下略)
返信が来たこと、私を覚えてくれていたこと、全てが嬉しくて、思わずうわっ!!!!と声が出てしまいました。勝手に連絡を絶って、勝手に連絡を再開して、本当に自分勝手だと思います。だけれど、今回返信が来たからには、再び縁が繋がったからには2度と同じ過ちを犯すまい。と心に決めました。
思えば、人との縁というのは切れやすく、繋がりにくいものだと思います。もちろん、出会った人は大切にすべきですし、出会った人全てと関係を続けるというのも一つの理想だと思います。ですが、今までの人生を振り返ってみると、繋がりたかったけれど勇気がなくて繋がることができなかった人や、先の私のように、小さなプライドや勘違い、劣等感などから自らの手で関係を絶ってしまった人などもいるのではないでしょうか。
縁がなかった。
そうかもしれません。だけれど、その時に繋がらなかった”縁”や、切れてしまった”縁”はそれっきりではなくて、後に繋がることもあると思うのです。もちろん、自分の行動を肯定・正当化するつもりはありません。”一期一会”という言葉がある通り、その時にしか出会えない・繋がれない人がいるのも事実です。だけれどその一方で、”縁”というのは切れたら切れっぱなしというわけでもないのではないでしょうか。
私は、”縁”というのは繋がるか、切れるかのどちらかだと思って生きてきました。ですが、今回ファザーとの交流が2年ぶりに再開したことで、”再び繋がる”可能性もあるのだということを知りました。何度も言いますが、”縁”は切らないのが1番です。だけれど、1度は切れてしまった”縁”が再び繋がる可能性が少しでもあるのなら、今からアクションするのも無駄ではないのではないでしょうか。
“人との縁を大切に”
今回の経験を通して、この言葉の重みが分かったような気がします。
“人との縁”、そして”人との出会い”に一層感謝しながら、今後も生きていきたいと思いました。
それでは、また。