京都・ハーフタイム

まいますです!💟

本日9月30日をもって、京都での一年間の半分が終わります。
そして明日からは、残り半分のスタートです!

今回のブログでは京都に来てからのおよそ半年間を
写真とともに、自分用の記録も兼ねて振り返っていきたいと思います。



京都での生活を始めたのは、学校がスタートするよりもかなり早め、3月の7日です。

何でこんな早く来たんだったか・・・
全く覚えていないのですが、
おそらく単に早く京都に来たかったのだと思います。

出発の日は高校の友達にお見送りに来てもらい、
東京駅でお昼を食べ、ゴンチャに行き、
スタバに行き、かなりドタバタで新幹線に乗りました。
友達がいなければ絶対乗り遅れていたと思います。
いつも助けてくれてありがとうTT



こうして京都に到着した私。
日々予定を詰めては京都を中心に駆け回っており、
事細かに書くと大変なため、
日付と共に箇条書きで連ねていきます。



3月
10日
お散歩!長徳寺、平安神宮
11日
サイクリング!北野天満宮、平野神社、おいしいプリン屋さん🍮
13日
雲ノ茶カフェでイチゴスイーツ🍓
14日
わたさんと東寺付近をお散歩。お食事。
15日
京都国立博物館
16日
東本願寺、西本願寺までお散歩👣
19日
銀閣寺
25日
菅原院天満宮でお餅、壬生寺
28日
おいしいサンドイッチのカフェ、高台寺🍞
29日
おいしいチーズケーキ屋さん🧀



4月
1日
京田辺キャンパスでオリエンテーション!醍醐寺でお花見🌸
3日
友達と着物で清水寺
4日
三井寺でお花見🌸
7日
おしゃれな喫茶店☕️
9日
大阪にミュージカル観劇
10日
平野神社でお祭りのお手伝い🌸
25日
一限前に清水寺
27日
友達とカフェ、本能寺
28日
宇治(の途中)までサイクリング!イチゴのパフェ



5月
14日
空きコマに金閣寺までサイクリング🚲
15日 
葵祭!と、先輩とクレープ
18日、19日
春期リトリート!(同女の催し)🕯
22日
人生初USJ
23日
授業で京菓子資料館見学🍵



6月
4日
かわいくておいしいアイス
11日
バイトの後に夜カフェ🍴
15日、16日
サークルの合宿で滋賀県の琵琶湖!
18日
鴨川の納涼床でイタリアン🍕
19日
京都市考古資料館
22日
廬山寺、護王神社、チーズケーキ屋さん
26日
USJ



7月
6日
摩耶山ドライブ🚗
7日
大阪で舞台観劇
15日
浴衣で祇園祭👘
17日
祇園祭 山鉾巡行
18日
友達と大阪のパンケーキ屋さん🥞
24日
祇園祭 山鉾巡行
25日
下鴨神社 みたらしまつり🍡



8月
2日
USJ
3日
大阪 淀川の花火大会🎇
4日
おいしいかき氷屋さん、高台寺🍧
6日
和歌山へドライブ!千畳敷と海鮮丼
9日
川沿いでバーベキュー
10日
高校野球観戦!⚾️
12~15日
関西旅行!
天王寺、貴船、嵐山、和菓子作りなどなど・・・
16日~18日
大阪でミュージカル観劇
五山送り火、伏見稲荷、銀閣寺⛩
26日
滋賀へドライブ🚙
~29日
和菓子について、夏の特別講義
西尾八ツ橋、細見美術館、末富
渉成園



9月
9日、10日
合宿!和歌山の海に海鮮🌊
11日
着物でお散歩、納涼床
12日
USJ
13日
鶴屋吉信で和菓子
16日
伏見桃山城、御香宮🏯
17日
とらやで和菓子、京都御所でお月見🌕
23日
梨木神社 萩まつり
26日
長楽館へお散歩🐾



めちゃめちゃ長くなっちゃいましたね。
ほんとにわたしの思い出用だ。

こうしてみると、随分と濃い半年を過ごせたんだなって
なんだか満足した気持ちになります。

実際すでにかなり満足しています。

こんなに楽しくて充実した半年を過ごすことができたのは、
ひとえに周りの方々のおかげです。

京都で仲良くしてくれている友達、バイト先の方々。
寂しいときに相手になってくれる中高大の友達。
日本女子大から私を送り出してくださった先生方。
受け入れてくださった同志社女子大の先生方。
京都にいくことを認めてくれて、
様々な面でサポートを続けてくれている父母。

たくさんの方々のおかげで、何物にも代えがたい貴重な経験ができています。

日本女子大に入学して、
国内交流生として大好きな京都にくることは、
高校三年生の夏からの夢でした。

まだまだ行きたいところはたくさんあります!
残り半年間、初心を忘れず
毎日を大事にいろいろな経験を積んでいこうと思います!

最近、新しく夢を見つけました。
国内交流生に選ばれるよりも難しそうな夢ですが、
とりあえずその新たな夢に向かって、成長していくつもりです!
自己満振り返り会でした。
ありがとうございます!

では!💟

続・七言絶句

こんばんは。夜分に失礼。ごきげんよう、あやめです。残念ながら私はごきげんではありません。

秋雨だからです。雨が降ると頭痛がするタチなので、雨が降る季節はごきげんななめになります。また、今日のような休日は、せっかくのお休みなのに丸一日何もしないで無駄に過ごさないと、後の一週間不調を引きずります。ので、日中は大抵冬眠中のクマみたいに閉じこもっています。そのうえ今日は雨でした。雨だと体調がすこぶる悪い。朝起きられないのはもちろんのこと、気力がなくなって本当に何もできなくなります。夜になってようやく元気が出てきたのに、今度は眠気に押しつぶされそうになっております。マヌケなことです。そういうわけで、本日のお相手は湿度が高い私であります。

さて、ここから、前回書いた内容の解説をはじめます。随分お待たせしてしまいました。もうそういうのはお腹いっぱいですよの方は読み飛ばしてここでお別れしましょう。まだ読める!という体力自慢はもうしばしお付き合いくださいませ。

◆◆◆

タバコの匂いが染み込んだ車のシートに深く沈む体を、支えることすら能わずに、臭くて嫌なそれに安心している私の嗅覚がそこにあった。

→父親がタバコを吸います。それが嫌で、匂いが嫌で、煙いのが嫌で、父親が嫌で、いやなくせに、しかし、体調が悪い時にふいに流れてきたタバコの煙に、なんだかんだで安心しているような私がいることに、最近気が付きました。結局タバコの匂いも父親のことも好きなんだな、と思いました。体調が悪ければ悪いほど、様々に香る空気の中からタバコの匂いをわざわざ拾って、それで気持ち悪くなったり、ならなかったりしながら、それで安心している節があります。馬鹿なことだなと思います。

●●●

暑くてかなわない、内側から湧いて出る水滴に、醜さを覚える。

→うだる暑さが、どうしても一匹の「生物」になりさがってしまう暑さが、大した功績もないのに人間の顔をしたつもりで生きている途中で「その」現実をつと突きつけてくるかたまりの様に感じる。自分はやっぱり醜い一匹なのだな、と思い知らされる。汗が、あとからあとから湧き出してくる。ぬぐっても、ぬぐっても、しまいには背中を伝って。この伝う汗の気持ち悪いこと。私の内面も、状態も、外見も、醜い一匹なんだと、思いました。とはいえ、まわりにいるみなさまだって、等しく汗びしょになっているのに気が付けば、あ、私だけではないや、と我に返る・自意識の過剰さに気が付くことができるのです。それを、苦しい満員電車の中で、白昼夢のように想い起こします。人がたくさんいるところでは、不思議と「ひとり」を強く感じるものです。

●●●

優しくして差し上げよう、という隣人救済の気持ちは、実は区別意識から来ていて、抗えない劣等感は、これに起因していた。

→昔、小学生のころだったか、クラスで仲間外れにされている男の子がいた。私も仲間外れにされた経験があったから、その子のことを庇ったり、一緒に話したりしよう、と思った。その子は心に傷を負い、あまり登校しなくなってしまった。その時は本気でその子に寄り添っているつもりだったし、本気で「やさしく」「してあげて」いたつもりだった。が、これって、どれだけ彼のためになることだったのだろう。私の勝手な「加害者」「被害者」という区別のせいで、「加害者」の意見も聞かず、肩入れをしていた、その「エゴ」のキツさに、中学生で気が付き戦慄した。ああそうか。やさしさ、とはこんなに難しいことなのか。身勝手なものなのか。私はなにか、取り返しのつかない嫌なことをしたのではないか。と、おののいた。なんて自意識の強い、なんて身勝手な、なんて上から目線の行いだったことか。彼はそんな私のことを軽蔑したっておかしくなかったのに、中学生になっても、特に変わらず接してくれた。それもすごくかなしく思った。確か、そのころから私は、飄々としている、と言われるようになったんだったと思っている。

●●●

優等生は、とうの昔に優等で無くなっても尚、そのレッテルに縛られる。

→遠い昔、それこそ小学生とか中学生のころ、私は優等生で通っていた。狭い地域だったから、同級生のお母さん方や、ご兄弟方にも、優等生だと評されてきた。中学生で初めての定期テストで、どのくらいが「ふつう」かわからなくて(裏を返せばどのくらいから「すごい」のかも分かっていなかった。完璧主義の酷かったあの頃の私はその点数を価値のない、ゴミのように扱って、満点をとれない自分を呪っていた)、同級生の「テスト何点だった?」という無色の質問に、純粋にシンプルにありのままに答えて(私には無価値な点数だったので、誰に言ったところで大したことはないと思った)、それが有り得ないくらい高いことが周囲の反応からようやくわかった。よくわからなかったので先生にも聞いた。先生は目が飛び出んばかりに驚いていた。しかもそのテストの点数が、3年生の先輩にも広がってしまっていた。どうやら驚愕した同級生が、3年生のご兄弟にも話したのだろう。そしてそれが広がったのだろう。人の口に戸は立てられぬ。

さて、高校に進学して、優等生から劣等生に真っ逆さまに転落した。残念ながら高校では全くの問題児となってしまった。不登校(私は「五月雨登校」だったと言い張っている)なので、勉強には当然ついていけなかったし、部活は通いもできなかった。みんなにお荷物に思われているような気がして、怖かった。マア、今思い返せば、中学の頃が異常だったのだ、と思うが、高校時代も異常だったので、「異常」に気が付かなかった。

劣等生がしょんぼりしながら街を行く。そこに中学時代の同級生が「最近どう?」と、これもまた無色の質問をする。これが怖い。高校では本当にたいへんな落ちこぼれをやっているのに、それが理解されない。確かに進学した高校は(質問したその同級生と比較したら多少は)偏差値が高いけれど、それだけだと思った。高校時代に逆転されることなんてザラだと思っていたし、私は落ちこぼれなので逆転されたと思っていた。が、どんなに言葉を割いても、そのことが理解されない。いやまああやめちゃんは賢いからさ、みたいな言葉で線を引かれて、それにくらべてあたしはさ、のような言葉が続いた。

その線から内側に入れてもらえたことは、ついぞ、無い。

●●●

自己理解が進む程、新たな自分の可能性に心躍らせ、新たな情報を求めて外へ出て行く、と見せかけて、世界が狭く・独善的に、嬉しくない情報を棄てて殻にこもる内向になっていく。

→大学生になって、高校時代の不登校不健康ライフがあまりに苦しく、もうあんなのは嫌だ、と思い、原因を探るべくとりあえず自分を知らなければならない、と思って徹底的に自己分析をしました。おかげで自分の新たな面に気が付いたし、自分の行動の原因がなにだったのかわかりました。とても面白く、ためになる活動だったと判断しています。一方で、苦手、あるいは嫌な事象にぶち当たると、私は向いていないから、と投げやりになるようになった、と思います。自分を知って、もっと良くしていこうと思っていたのに、私を構成するピースが何なのかを集めるだけの機械になってしまったのかもしれません。あるいは、私が「私らしい」モノを拾い集めて、それこそを「私」としてくみあげているような不自然さ、ぎこちなさ。悲しくて嫌なことは排除して、私に都合のいい、わたしだけの楽園を築いて、そしてきっと、その楽園の運営をするのにも飽きて、またデカダンスを気取るのだろうか。それを憂いて、また内側に向くのでした。

●●●

目指すはあの丘。たった1人で何が出来るか、いや出来やしない、それなのに、どんどん独善になる、そこに劣等を感じる、筈である。

→人は一人で生きていけない、という言葉があります。私が恐れる言葉の一つです。私はできたら一人でいきていきたい。でも、人より強いか、といえば、むしろ逆で、よわっちいのだと思います。だから、とてもひとりではいきていけません。恐らくこのギャップに「恐れて」いるのだと思います。なにもひとりで成し遂げられやしない薄ぺらな自分を認めると、完璧主義の私が【error】を表示します。自分を赦したことは、これまで一度だってなかったように思います。そもそも私は、「私」をただの「機関」だと思っているのかも。

●●●

エンドループ。賢い私は同じ夢を見る、いつも同じところを廻る、どこから入っても、行き着く先は、出口は同じ。出られた試しは無い。

→上記のようなことを、しつこくしつこく思い返している私がいます。誰に責められたわけでもなく、ひとりで悲しく自分を責めます。どうアプローチしても、結局ここにたどりつきます。即ち「自意識過剰」。だから、なにか。全く生産性のない思考。前に進まない会議。むしろ勝手に傷つくのでマイナスでしょうか。今日はうまく自分を認められるだろうか、と全く違った切り込み方をしても、最後たどり着くのはいつもここ。そんな時は布団にくるまってカーテンを閉め切って、無理やり無駄な情報を脳みそに流し込んで、訳が分からなくなってきたところで電源を切ります。そうすると、一時的に問題を先延ばしにできるのです。

●●●

七言絶句、というタイトルは、カッコつけてみただけで、ほんとうは全く七言絶句ではないことはお判りでしょう。ただ、7つの塊を、連想ゲームみたいにつなげたことと、全部ニヒルみたいに気取った言葉でできていること、それを聞いたあなたが、絶句しちゃうような自意識の強さがあるのは確かだから、「七」「言」「絶句」と言えばそうなのかもしれませんね。

◆◆◆

ため息が出るような一日でした。雨だからです。否、明日早期選考の二次面接があるからです。吸ってはため息、吸ってはため息。頭痛のタネが増えて、呼吸が浅くなります。昨日はとっても元気だったのに。人生万事塞翁が馬。運命論者になってしまいそう。と、くだらない・役に立たない・問題解決にならないことをネチネチ考えついては、ぽつり、ぽつり、とやることを思い出しています。そしてまた、ため息。ため息ばかりついていては、幸せが逃げてしまうという言葉を、タイミング悪く、今、思い出して、新鮮なため息がうまれました。元気な男の子です。はあ。

今回は短めだよ

暑さ寒さも彼岸までとはいうけれど、最近は季節が季節や国の垣根を越えて交流する時代。

そんな時代だからこそ存在できるメニューを今日はひとつ、お教えしましょう。虎屋さんの栗のかき氷です。芋名月が過ぎてから市場に出回る栗が、夏の名物かき氷とコラボなんて、本当に面白い時代になったものです。

私はかき氷に蜜栗をプラストッピングして、最後の一口で一気に味わいます。ホクホクした栗がラストを華やかに盛り上げます。店員さん曰く、練乳をかけるともっと美味しいらしいです。強いですね。

一緒に頼むのは暖かいコーヒーでも良いんだけど、ここはあずき茶か期間限定のアイスティーでしょ。せっかくのかき氷を興醒めさせることはさせてはいけません。

かき氷も最近はたくさんのお店が出てきて、自宅でも美味しいかき氷が作れるようになったけれども、この美しい盛り合わせは虎屋さんにしか出来ません。本当に美味しい。もう他の栗スイーツは食べれないね。そんな令和ならではのかき氷は虎屋にあります。喫茶がある虎屋さんのお近くを通る時は是非。ちなみにかき氷が終わればこれまた美味しい粟ぜんざいやお汁粉がやってきます。本来なら毎月毎週通うべき場所なのです。

満願

自称本好きとして生きてきて、どうにかこうにか好まぬお勉強にも精を出し、日本文学科にまで転がり込んでくると…やはり好きな作家を問われる機会というのは人よりも多い。それにしても、だ。正直に申し上げて、その回答で「三島由紀夫」と答えるコトほど微妙な空気が流れることはないだろう。もし、他にも「この作家さんを答えたら微妙な空気になっちゃった!」というご経験があればぜひお伺いしたい。日文生の中にはそういう経験をお持ちの方もいるやもしれぬ。
兎も角、三島由紀夫。彼の名を口にすると人それぞれ色々なリアクションを見せてくれるが、どれもこう、若干の苦笑いと共にある。特に年齢が上になればなるほど引き攣った笑みや耳を疑うような反応を頂戴するワケだが…(個人の感想)

わかっている、勿論わかっている!!おそらく!!!!

特に世代によってはまだメディアのコンプラ云々が緩かった時代にかなりショッキングな映像と共に世間とお茶の間を揺るがしたりとか。思想も行動も色々とね、えぇ…





だが、惚れてしまったんだ、仕方がないだろう!
艶やかで破壊的で悪魔的、道徳や倫理なんかお呼びでない、恍惚。劇的なそれは読む劇薬。お行儀よく育っていたはずの美学と価値観が瞬く間に腐食しドロドロに溶けてしまう。あぁそうだ、辞書の「背徳」の言葉の意味へは彼の作品を付すがよかろう。
中学校の図書室、9類が置いてある一番奥の、きっとお掃除当番の見逃した埃たちが集う、内緒の内緒の集会所。その本棚に挟まれた狭苦しい一角が洗礼堂。そうに違いないわ。




何方だったろう、たしか昨年か今年に受講していた講義で先生が「他人に勧められて読む本ほど面白くないものはない」と仰っていたのを何故か今思い出した。
たしかにその感覚も何となくは理解できる。だが。。。私は常日頃、他人に布教するのもされるのも好んでいると宣言している(つもりだ)し実際にそういうヤツだ。だって、いいじゃない。
他人の「お勧め」、そこにはその人が勧めたいと思うだけの魅力と熱意が詰まっている。そうして読み始めると、勧めてくれたあのお方はどこがお気に召したのだろう?ここなんかお好きだったのかしら?そういった趣味もあるのね・・・云々。好き勝手な当てずっぽうをして、読む。本自体が持つ物語に付随して、その物語がヒトに与えた感想、影響、エピソードと共に味読できるという寸法だ。
その意味では書き込みのある古本なんかも好きだ。傍線や丸の囲い、その一つ一つにどんな感動があったのか……なんて魅力的なスパイスエピソードだろう。

結局、本は読まれることでしか完成しない。著者というシェフが作り上げた料理に、読者という料理人もどきが好き放題な味付けをして嚥下する。そんな料理人もどき先駆者の方々のスパイスを諸共に味わいたい。

が、しかし。問題はこのスパイスたち。なかなか市場に出回らない。
近頃じゃァ良い時代になったもので、インターネットの大海原に本の感想が投稿できるサイトやら通販のレビューやらでそれなりに揺蕩っている。それでもやはり、このマーケットは極端に小さい。特にニッチな本になればなるほどその傾向は強まる。結果として、黄金のスパイスを求める私はボッチ大航海時代に成り果てているのだ。哀れですね。


随分と回り道したもんだが、私が言いたいのはそう。【ご興味のない方!!ぜひ三島由紀夫読んで下さいね!
ご興味のある方は放っておいても読むでしょう。まぁなんにせよ、別に好きになってくださいなどとは申し上げていない。むしろその逆の方が私はわくわくするかもしれない。世の中、面白い本ばかりでなくとも良いはずだ。一度読んでしまったが故に、一生後悔するような、幾度となくちらちらと日常に影を落とすような、、、蝕んでくる一冊との事故みたいな出会いを、是非。


ここまで私は立て板に泥水といった具合の最悪なお喋りを繰り返してまいりましたが・・・
もしかすると件の先生は「他人に勧められただけの本は面白くない」「殊更に勧めるまでもなく相手が自然と読みたくなるような紹介をするべき」という意味で仰ったのかもしれない。もしくは「閉鎖的且つ個人的な活動である読書においてオススメという行為自体がナンセンス」なのか。いやはや真意など分かりっこない。
……やたらと振りかけたスパイスで、素材の良さがお釈迦になっている。どうやら私は相当な味覚音痴らしい。




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⚪︎月△日 夢が叶った日だった。茹るような暑さも、度々吹っ飛んで来ては私のメガネに正面衝突する虫も、延々と続く砂利道と階段も、全ては些事。文学の道へと転がり落ちてはや数年。猪口才にも程があるが、好きな作家さんなんてのもできて。その作家さんの記念館なるものにもう長いこと心を捕らえられてしまっていた。

そんな、念願。

場所は山梨県に位置する「山中湖文学の森公園」の奥深く。15個もの有名歌人たちの歌を讃えた句碑に道草をたらふく頂きつつ歩くこと数十分。見えてくるのはそう―――「三島由紀夫文学館」。
暖かな日差しが差し込む中庭にはかつての三島邸にあったアポロ像が再現されている。




東京生まれの彼の文学館が何故山梨県に?
私もそう思っていたのだが、公的機関による資料保存を望んでいた御遺族のご意向と当時準備が進められていた「山中湖文学の森公園」の構想が合致したことによる開設らしい。勿論、この地は三島作品に幾度となく登場するなど彼自身とも浅からぬ縁がある。

どのような縁があるかと言われれば、例えば『豊饒の海』であるとかが挙げられるのだが…その辺りは語り始めると長くなるため機会があれば貴方様自身の目で記念館の展示をご覧いただきたい。
主な展示としては三島由紀夫の生涯を辿るようにして展示室がぐるりと一周している。文学館の方が用意されたであろう小さなPOPのようなものもあり、見るべきポイントがとても丁寧に解説されている。基礎情報に関しても補足などで細やかに配慮がされており、事前知識の有無に関わらず楽しめるはずだ。個人的には三島が幼稚園生の頃に使用していた自由帳や小学生の頃に提出した作文といったものが印象に残っている。興味深い資料は数多くあったが、その2点はあまりにも保存状態が良いので仰天したのだ。たしかな筆で書き著された作文は、小学生とは思えないほどの整った文と字の美しさにキャプションの言葉と自分の目を疑うほどであった。
その他にも映像室では彼の生涯をムービーの形でまとめたものから、特定の一作品にフォーカスしたものまで色々な知識に親しむことができる。そして何より、特別企画展示が素晴らしい。
私が訪れた際は「推しの演劇—新世紀の三島演劇—」という特集展が行われていたのだが、こちらは通常展示とは異なり「小説家」としての三島ではなく「劇作家」としての三島にスポットライトが当てられている。
そう。小説家として名高い彼だが、実はインターネットで検索してみるときちんと「小説家・劇作家」と表示されるようにその才能は舞台の方面にも発揮されている。しかもその「舞台」は能楽や歌舞伎からオペラまで多岐に渡るのだ。彼自身が舞台へ上がることも演出や脚本を担当することも様々あり、三島がいかに「演劇」に対して精力的であったかが窺える。



特に有名なのは「近代能楽集」であろうか。本学でも能楽に関する講義を通して、能に親しんだことのある方も少なくないだろう。「近代能楽集」では8曲の作品が収められているが、その中でも「葵上」や「卒塔婆小町」、「班女」などは聞いたことがある方もいるはずだ。
それではこの「近代能楽集」とは一体何なのか。簡単な理解としてはパロディといったところだが、もっともっとオタク的に分かりやすく申し上げるのならば謂わゆる「現パロ」だ。しかしながら、ただ時代設定を近代的にしたのではない。中世に比べて、様々な演出や技術の増えた「近代」の舞台で最も「劇的」に映えるように作られている。否、作り込まれている。
現在文庫化されている「近代能楽集」は戯曲本、脚本のような形で楽しめるのだが、読んでいると頭の中で「あぁこのシーンはきっと映える!」とそんな妄想が止まらなくなる。是非とも舞台で観たい作品である。

今回の企画展では、【そんな素晴らしい三島作品たちの中で一体どの曲を舞台でやってみたいか】という質問に対する演劇関係者らの投票結果なども展示されていた。そしてそして、三島自身の書き残したオペラ「サロメ」に対する熱意溢れる「わが夢のサロメ」等々の資料も所狭しと並んでおり、三島自身の舞台への情熱と後世の演劇界が持つ三島作品への情熱という二方向を眺めることができた。なんて満足度の高い企画展示だろう…。来年は記念すべき「三島由紀夫生誕100周年」であるため、さらなる特別展示が予定されているらしい。就活との睨み合いの行く末次第では私も非常に行きたいところだ。


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さて、こんな具合で私の念願でしたのは「三島由紀夫文学館」ですが・・・もちろんその他にも色々と巡って参りました!
まず彼の文学館と同じように「山中湖文学の森公園」の中に位置するのが「徳富蘇峰館」。神奈川にある記念館とは別に、彼が生前別荘を構えたことから建てられています。





徳冨蘆花の兄であり、生涯を通してジャーナリズムや歴史書の整備に心血を注がれたお方が徳富蘇峰です。弟の蘆花は小説家として有名ですが、その実兄である蘇峰は雑誌『國民之友』を発刊したことや『國民新聞』で知られています。最初の頃は弟の蘆花も同じ新聞社にいたようですが、日本が帝国主義を唱え始めた時代に彼らの新聞も一時右傾したことがあり、そのような思想の方向性から彼ら兄弟は別々の道を辿ることになりました。
記念館には数多くの書簡が残されており、蘆花が蘇峰を皮肉るような内容もちらほら……どう見ても揉めてそうなのもちらほら……という感じでしたが、そんな中でも蘆花の小説を蘇峰が雑誌や新聞で紹介しているようなのを見るとなんだかんだ仲は悪くなかったんじゃないのかなァ~なんて勝手に思ったりもします。


それはそれとして、この徳富蘇峰、めちゃくちゃご長寿!なんと享年は95歳…!
56歳から『近世日本国民史』という超超超長編の歴史書を書き始め、90歳の時に全100巻もあるそれを完成させました。
本当に信じられない筆のパワフルさです・・・。56歳の新聞記者リタイア後から書き始めて100巻ですよ、、??まさに人生を懸けた一冊です(百冊あるけど)。

そして蘇峰は実際に別荘として山中湖の地を利用しており、山中湖に関係する詩や石碑も様々あります。訪れてみると分かるのですが、本当に自然豊かで場所によってはまるでジャングルです。それ故か、散歩が趣味だった蘇峰は道すがら良さげな植物の大きなツタを見つけると持ち帰って杖にしていたようです。何言ってるかわからないと思いますが、大丈夫です、私も分かりません。
真面目に記念館の展示を見ていたら、突然目の前に大量の(多分30本くらい)杖が生えていたのです。置いてあったんじゃない、生えてました。うん。
なんと生涯で無数の杖を使っていた蘇峰の杖コレクションの““一部””が展示されていたようで、それがあんまりにもシュールで意味が分からなすぎて「んんん…??え……????」とややしばらく大困惑しておりました。その他にも杖に関わる珍エピソードが沢山紹介されており、展示を見ながら同行者と爆笑していました。他に来館者がいなかったとはいえ、ちょっとお行儀よろしくなくて反省はしておりますが、、、もう本当に堪えきれないものがあるので、是非とも皆さん一度行ってみてほしいです。
記念館行ってあんなに吹いたの初めてかもしれない、わりと好きになっちゃったもん蘇峰さん。(失敬)


ちなみに三島由紀夫文学館と徳富蘇峰館は共通入館券となっており、これだけボリューミーな二つの館を合わせて500円で巡ることができます!!しかも大学生なら学割で400円!これはもうハッピーセットで行くしかないってモンですよ!間違ってもどっちかだけとか切ないことしないでね!!!泣いちゃうから、私が。





そしてそして、所要時間だけなら今回の旅のなかで最もかかったのが「天下茶屋」!!
なんとバスは1日に1本、車でも麓から1時間ほど。これはもう、免許持っててレンタカーできる人しか行けないタイプのやつですよ。が、しかし。残念ながら私めは無免許。マリカでも常にジュゲムにお世話になっている私めに運転なんかさせてはいけません。
その為全力でタクシーにへばりついたのですが…なんと片道で6600円位かかりました。ヒッ……一泊できちゃうよォ。。行かれる際は免許の取得をオススメします。



そんなこんなで漸く辿り着いた天下茶屋ですが、現在は「天下茶屋」と「峠の茶屋」の2店舗が存在しています。手っ取り早くほうとう鍋を味わいたい場合は麓にある「峠の茶屋」に行くのが最適かもしれません。
しかしながら今回向かったのは峠の奥にある「天下茶屋」。〈富士には月見草がよく似合う〉なんて一文で知られる太宰治の『富嶽百景』で登場していた茶屋です。実際に太宰もほうとう鍋を召し上がったとか、放蕩と聞き間違えてピキったとかなんとか…色々言われてるよ~とお店の方からお伺いしつつ、私もほうとう鍋を頂いてきました。
東京では気温が35度を超えるような日が続く夏休みに行ったのですが、山間の標高の高さからか天下茶屋の気温は23度程で上着が必要なくらいでした。つまり、鍋を食べるにはもってこいな気候というワケです。アツアツの鍋はきっと一年中いつ訪れても美味しくいただけます。


さらにここを訪れたら忘れてはいけないのは2階にある「太宰治文学記念室」。お店から少し歩いたところに『富嶽百景』の記念碑があるのですが、そちらが作られた当時の記録や井伏鱒二、太宰治が使用した茶室などお店の雰囲気をより楽しめる展示が見られます。残念ながら閉店作業の関係でじっくりと見ることは叶いませんでしたが、ほうとう鍋を味わえただけでも満足です。
公式ホームページには17時閉店となっているのですが、私が訪れた日は15時に閉店でございましたのでもし行かれる際は事前にお電話をされるか、お時間に余裕を持って展示室までご覧になると良いかもしれません。天気が変わりやすい地域であるため、営業時間等ももしかしたら流動的なのかしら…?



何はともあれ、こちらのお店の方が本当にお優しい方々で、様々なお話を聞かせてくださいました。3日も山梨にいたのに雨女すぎて、一度も富士山を拝めなかった私めのために四季折々の富士山の写真を見せてくださったり…とてもとても楽しい時間を過ごすことが出来ました。
それにしても晴れてはいるのにずぅっとお天気雨で、見たい景色には常にモヤがかかっておりました。。今度はてるてる坊主でも引っ提げてリトライしたいところです。天下茶屋の皆様誠にありがとうございました。



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ハァ〜〜〜〜長いッッ!!いいですか、これ書くのに一ヶ月くらい使ってます。纏まらなかったのです。どうにもこうにも。何でしたら最初はこの倍近くの分量がございました。割愛に割愛を重ねたということ。
幸福にも書きたいことが多すぎて、言葉が感情に追い付かない。全くもって読みにくい、駄文でしょう紛れもなく。本当はもういっそゼンブ消そうかとも思ったのですよ。
でもまァ、このみっともないこんがらがった紀行文モドキも、その中から平々凡々たるオタクの熱意だけは、もしかしたら心優しい貴方様が拾ってくださるかな。などと。




大学2年生の夏休み、私のこんな3日間。

まさに、満願。



私は三島由紀夫の「文学」が好きだ。太宰の「文学」はどうだろう。難しい。
イヤヨイヤヨモスキノウチ?

のんびりと。

お久しぶりです。

夏休みの間サボ、、ではなくお休みいただいておりました。ブログ部の部員の素晴らしい文章力と中身の詰まったお話の数々に私の記憶は読者の皆さまの中からすっかり抜け落ちていることでしょう。

まぁマイペースを貫きすぎている私が悪いので、心機一転皆さまの記憶に残るような良いブログ(?)を書けるように頑張りたいと思います。

 と意気込んでみたもののテーマを決定するところから始まります。

折角1年最大のイベントがあったので、夏休みを振り返るのが無難かな、でもいつも同じことしているような、、何か真新しいテーマないかな、、などなど考えているとすっかり時間が過ぎて結局1文字も進んでないということはよくあるものです。

 そもそも私は適当なことを文章にまとめるのは好きでも、構想を練るとなるとかなり時間がかかるタイプの人間です。テーマを自分で決めるって難しい。講義の期末レポートでもテーマを自由に選んでください、と言われるとあれもこれも…とパニックになり一旦放棄して気づいたら提出ギリギリなんてことも多々あります。

 色々と考えている時間は、それはそれで楽しいので良いのですが、すぐに決定して行動に移せる人に憧れる気持ちも沢山。優柔不断な人よりスタイリッシュでカッコいいですよね。カッコいい大人に近づくために努力したいものです。

大人と言えば。大学3年生になって誕生日を越したこと年齢も21歳になりました。最近大学や高校時代の友人と話すのは「私たちまだ19歳の気持ちじゃない?」ということ。お酒は呑めるし、大学生活もなんとなく上手くやっているので、3年生の自覚はあるのですが、21歳の自覚がどうも浮かばない。友人は病院の問診票に堂々と「20歳」と書いた始末。(この話をしたときに初めて間違いに気づいた様子でした。)

高校生のときに思い浮かんでいた21歳とは乖離があるからでしょうか。

大学1年生の後輩を見ていると体力的にも精神的にも自分の良く言えば落ち着き、悪く言えば衰えを感じますが、まだまだ未熟、赤ちゃんみたいなものだと実感する日々です。

 さて、無事にとりとめのない話を書き綴り、ブログに掲載できるくらいの文量になりました。

たまにはテーマを決めずに思いついたことそのまま表に出すことも楽しいものですね。次回は私の夏休み数少ないお出かけを記録していこうと思います。

ぐだぐだな文章にお付き合いくださり、ありがとうございました。

また次回お逢いしましょう!

ロリィタ

 皆さんこんにちは、あかりです。先日、初めてロリィタ服を購入しました。絵本に出てくる女の子が着ていそうな機能性度外視のお洋服、ロリィタ。袖を通せば気分は小公女。そんなロリィタ服ですが、欲しいと思えばすぐ手に入るほど世の中は甘くなく…。

値段が!可愛くない!!

 そう、ロリィタブランドで全身揃えようとすると軽く10万は吹き飛ぶのです。デザインが可愛ければ可愛いほど、ロリィタの値段は可愛くなくなるのです。ああ無情。とはいえど、せっかくなら頭のてっぺんからつま先までロリィタになりたい。少なくともメインのお洋服はちゃんとロリィタブランドのものにしたい。でもブランドのオンラインショップを覗くと、行けども行けども5万や6万という数字ばかり。中にはワンピースだけで10万円台になるものも…。着物並みに高いです。もはや家賃です。とても学生が手を出せるものではありません。しかし、それは新品を買おうとした場合の話。そして私は気づいたのです、古着と言う選択肢があると!

 と、大げさに書いていますが、要は金がなくて古着に走っただけです。しかも結局ブラウスとジャンパースカート、頭物で1万円を余裕で超えてきました。ちなみにその後パニエ(新品)を買ったので合計で2万円以上しました。ご祝儀かな?夏休みロリィタのために稼いだバイト代が面白いくらいの勢いで溶けていきました。でもぎりぎり予算内で収まったので良かったです。

 せっかくなので字数稼ぎも含めて、買いに行ったお店について少しお話ししようと思います。今回行ったのは「Closet Child」(以下クロチャ)という古着屋さんで、ロリィタを扱う古着屋さんの中では珍しく実店舗があります。オンラインショップなら他にもロリィタの古着屋さんはいくつかありますが、実店舗があるのはクロチャしか知りません。店舗があるのは大体東京の池袋、新宿、原宿、秋葉原ですが、横浜や大阪にもあるそうです。やっぱり古着だとどうしても汚れとかシミが気になる時があるので、お店に行ってちゃんと目で確認できるのはありがたいです。私が行ったのは池袋1号店で、アニメイトのすぐ近くの雑居ビルにありました。池袋東口からサンシャイン通りを歩いていけばすぐなので、ロリィタに興味のある方は是非行ってみてください。Metamorphose temps de fille(通称メタモ)やInnocent worldなどの有名どころも結構ありました。個人的に嬉しかったのはaxes femme kawaii(以下kawaii)のお洋服が沢山あったところです。axes femme(以下axes)というブランドの中でも、特にロリィタに特化したブランドで、ロリィタブランドの中でも比較的価格が安く、デザインも可愛くて個人的に激推ししてるブランドです。ちなみにaxesとkawaiiはテイストが似ているようで全然違って、axesはあくまでもガーリーなお洋服を扱うブランドになります。いや何が違うんだよと思う方は、より少女心を刺激してきて、パニエ必須な方がkawaiiだと思ってください。

 とまあ、そんな推しブランドの存在を認識したからには買わない訳にはいかず。気づいた時にはkawaiiの姫袖のブラウスとジャンパースカートを手にしていました。ちなみに今回の買い物で一番高かったのがこのブラウスで、これだけで渋沢さんが羽ばたいていきました。悔いはありません。

 パニエだけは新品が欲しかったので、クロチャでは買いませんでした。パニエがなかったわけではなかったのですが、やはり確実にふっわふわに膨らむようなものが欲しかったからです。パニエは消耗品で使っているうちにどうしてもボリュームが減っていってしまうにも関わらず、ロリィタを着る上では最重要アイテムと言っても過言ではないので、ちゃんとしたものを選びに行きました。

 パニエを買ったお店の名前はTo Alice。ロリィタの他にも、地雷系などのお洋服を扱っているお店です。売っているロリィタのジャンルも複数あり、甘ロリ、ミリロリ、和ロリなどがあります。特にミリロリはまだまだ取り扱っているブランドが少ないので、本当に嬉しいです。ちなみにミリロリは軍服っぽいデザインのロリィタファッションで、可愛さとかっこよさを兼ね備えたジャンルです。他は字面で何となくイメージがつきそうなので、説明は省かせていただきます。気になる方はググって下さい。そしてロリィタの沼に溺れてください。

 少し脱線してしまったので話を戻しますね。To Aliceのすごい所は、これだけのジャンルが揃っているのに価格はkawaii並みに安いことです。つまり一言でいうと神!ロリィタデビューに困ったらとりあえずTo Alice行けば間違いない。私が保証します。

 To Aliceの店舗があるのは原宿と池袋ですが、今回行ったクロチャから近かったというのもあり、私はサンシャインシティの地下1階にある店舗に行ってきました。パニエだけでも黒・白の二色があり、パニエの種類も通常のふわふわなパニエだけでなく、ワイヤーパニエも売っていました。ワイヤーパニエはその名の通りパニエに通っているワイヤーがお洋服にボリュームを持たせるもので、夏場に重宝される種類のパニエです。私はというと、ふわっふわのチュールに憧れていたので普通のパニエを買いました。ちなみに大体5千円ほどしました。

以上が池袋で私が行ったロリィタのお店になります。ドロワーズやお袖留めなどまだ持っていない必需品は、買ったり作ったりする予定です。全部揃ったら、どこかに着ていきたいです。

それでは今回はこの辺で。また次回お会いしましょう。

ことば

こんにちは。

今日はまじめに履修のお話。

私は日文の授業を受けながら、教職課程を履修しています。日文の教職課程で取得できるのは中学・高校の国語の教員免許です。

教職課程は、毎年数コマずつ学校教育に関係した授業をコツコツコツコツ受けていきます。最初は講義形式の授業が多いのですが、だんだん実践的な授業も増えていきます。例えば、授業の内容や構成を考えてみたり、学習指導要領(学年ごとに学習の目標が書いてあるものです)を読んでみたりするなど。今私は3年次ですが、模擬授業をするなんていう授業もあります。

模擬授業…。私も学校の授業はまじめに受けてきたつもりですが、いざ自分が授業をする側に立つとなると、緊張します。言葉もしどろもどろだし、あらかじめ準備してきたとはいえ頭は真っ白だし。あそうだ、もし教職課程に興味のある方がいらっしゃいましたら、授業をする先生の言葉とか、活動の流れとかを観察してみるとおもしろいかもしれません。あとは、自分が学校で使っていたノートとかも少し本棚に眠らせておくと吉です。

教職課程は忙しいのでは?と気になる方もいらっしゃるかもしれませんね。私の感想としては、それは授業の組み方次第です。通年で登録する授業が50単位くらいになるところで抑えておけば、3年次までに「卒業に必要な単位数」のほとんどを履修し終えることができます。もっとも、数年ごとに履修に関する規定は改訂されるようですので、履修の際には『履修の手引き』をよく確認してくださいね。

その他には、所々で書類の提出があったり、レポートの提出があったり、ガイダンスや教育実習事前指導などもありますが、流れ星に3回お願い事を言えとかいう難しいことは言われません。あ、でも提出期限が短いものはしばしばありますね…。 最近私が食べ物以外で考えていることは、最適な怒り方とは何か、です。いえ怒り方に限る必要はないのですが、自分の気持ちや考えを相手にちゃんと伝えるにはどのような言葉を使えばよいのか、です。せっかく文学とか日本語とかの勉強をしているので、せめて「ふえぇぇぇ」以外のきれいな言葉を使っていきたいものです。

架空の行方不明

8月初旬。行方不明展という企画展に足を運んだ。
「行方不明」に関する展覧会。好きなホラー作家が企画したということもあって、その企画の不気味さに惹かれてチケットを購入した。

ちなみに私はホラーが苦手である。ホラー映画やお化け屋敷などは特に苦手。
大きい音や映像はもちろん、雰囲気にあてられて恐怖心を掻き立てられてしまう。
だが怖いものは好きだ。小説やWeb記事などは好んで読んだりもする。
この企画展はどうやらホラー要素はないらしい。だがいかんせん怖い。怖いものは怖い。
テレビ東京で放送されていた事前番組を見てよりその恐怖心は大きくなった。

行こう、そう意思を固めた瞬間にホラー大好き、オカルト大好きの友人に連絡を入れた。
怖い時はその子に手を繋いでもらおうと思って。実際ほとんどずっと手を繋いでもらっていた。

この企画展は、架空の「行方不明」をテーマにしている。
架空の「行方不明」、というのは文字通り、フィクションであり実際には存在しない人々、あるいはモノの行方不明を扱っているということである。
例えば実際には存在しない行方不明者を探しているビラ、行方不明になった人の家に遺されていたもの……などである。

入り口には「探しています」と書かれた紙が壁一面に貼られていた。

この人たちは存在しないとわかっているのに、探している人たちの悲痛な思いを想像して胸が締め付けられるような思いになる。フィクションだとわかっていても。

「行方不明展」は4つのコーナーに分かれている。
「身元不明」〈「ひと」の行方不明〉
「所在不明」〈「場所」の行方不明〉
「出所不明」〈「もの」の行方不明〉
「真偽不明」〈「記憶」の行方不明〉

足を進めていくたびに、「行方不明」の言葉が持つ意味合いが徐々に変化していく。
「行方不明」になりたがる者や、身近な人が「行方不明」になったことによる不思議な現象……。

オカルト的な側面や、SFチックな設定も見えてきて、奥にいけばいくほど、最初に抱いたのとは違った「行方不明」の真実が見えてくる。「行方不明展」をでたあとは考察がそれはそれは捗った。
もう展示は終わってしまったが、この「行方不明展」はどうやら書籍化するらしい。
ぜひ、この不思議で不気味な世界観を味わってみてほしい。

田舎の時の流れは遅い~最近のGOOD BUYを添えて~

こんにちは、さくらです。
前回は宮城県の旅をお届けしましたが、本日は山口県の旅です。
旅というか、帰省ですが。

中学2年生までは山口県に住んでおり、毎年夏と冬には祖父母の家に帰省するようにしています。そう努めているというよりかは、祖父母から「帰っておいで」と飛行機代が振り込まれるので帰らない訳にはいかないのです。
毎年帰ってるわりには意外とブログに書いたことないかもしれないと思い、今回のテーマに選んでみました。

しかしまぁ、山口県って何も無いんですよね。

いや県を括ると下関市や岩国市に失礼かもしれないですが。山口市には何も無い。
祖父母の家の周りにはさらに何も無い。

家は木造の平屋で、虫がめちゃくちゃにいるし、廊下は歩くと軋む。近くのスーパーは歩いていく距離では無いし、自販機も徒歩20分くらいの病院まで行かないと無い。
加えて電波は常に2本しか立っていない。
お風呂は未だに火を焚いて温める方式です。

もう皆さんが想像する典型的な田舎。トトロのサツキとメイの家に近いかもしれません。

帰省をテーマに書き出しましたが、もう既に書くことがない。だって何も無いから。
今まで私がテーマに選んで来なかった理由が分かりました。

何とか捻り出すとすれば花火をしたことです。
行きの飛行機で姉と話していたなかで、そう言えば花火を長らくしてないね、という話になりました。
一軒家でも無ければ意外と花火ってするタイミングが無いんですよね。公園も火気厳禁のところが多いですし、マンションのベランダや駐車場でやるわけにもいかない。
大学2年生の時に友達と海に行き、花火をしようとなったのですが、海の風が強すぎて断念。もしかしたら関東に来てから一度も花火ってしてないかもしれない。
花火のいちばんの思い出は幼少期に父親の兄が酔っ払って花火で蟻を焼いていたことです。
思い出というかトラウマ。
普段は優しい叔父なのにその時は本当に怖かった。

人の集まる花火大会もあまり好きではないので、本当に花火というものに触れるのは久しぶりでした。

空港に着いてから祖父母に花火をしたいと提案し、スーパーに寄ってもらいます。
しかし時期は9月半ば。
花火ってもうシーズンオフなんですよね。
こんなに暑いっていうのに、暦の上ではセプテンバーだから。
見つからないならいいか~、と諦めて家に帰ったのですが、祖父がわざわざ色々なスーパーやドラッグストアを回り買ってきてくれました。孫に甘い祖父で最高です。

生ぬるい風に吹かれて、蚊取り線香を焚きながら花火の光を眺める。
夏を取り戻した気分でした。

帰省の中で暇すぎて【新海誠風の写真を撮ろう】という試みを一人でしていたのですが、その写真を1枚お裾分けしておきます。
電線が無ければわりと新海誠。
ファンに怒られるかも知れませんが。
では(思い出の少なさに比例して)内容が少なくなってしまいましたが、本日はこのあたりで。

と、終わろうと思ったのですがこのブログの下書きを書いてから公開日までのあいだにいい物を買ったので共有します。

共有というか、オススメというか、宣伝というか。

買ったのはこれ!【深淵ポーチ】

最近メイク道具を増やした関係で今まで使っていたポーチに収まりきらなくなってしまいまして。(そもそも以前から何とか入っている状態ではあった)

加えて、チャックがしまらないと持ち運びに不便だと気付いてしまい、ずっといい感じのポーチを探していたところに出会ったのがこちらのポーチ!

なんか最近流行りましたよね、深淵って。

外見はシックな印象のポーチなのに、開けると深淵が覗いているという遊び心……。

しかも高さがあって中途半端な大きさのマスカラやコンシーラー、化粧下地などが縦向きに収納できるんです。あとでっかいメイクブラシも入る。

これは現在東京ドームシティで開催中の「トーキョーディスカバリーシティ!2024不思議な扉と100の謎」で購入しました。

https://www.tokyo-dome.co.jp/quizknock/discovery-2024/

ちなみに通販のサイトもありますので、こちら↓のリンクからも購入可能です。

https://quriostore.com/products/abgrund?srsltid=AfmBOop1RWqTlOiHpi05DfuO9NqCjYCJgR7hzQFYmgEwjSOUd1kVCh8q

皆さんの想像を超えて使いやすいと思います。お値段はなかなかしますが、それを考えても今年の中で割と上位に入るGOOD BUY。

皆さんもぜひ一緒に深淵を覗きましょう。

テクノロジー

 秋って季節、いつの間になくなったんですか?十年一昔なんて言いますがひと昔前はまだギリ秋ってあったと思うんですよ。8月末とか9月頭は夏に比べて朝晩なんか少し涼しい風が吹いて、秋を感じるなって思っていた気がするんですけれども。今年は9月に入っても基本はまだ半袖で過ごせますもんね。と思ったらやや肌寒い日もあって何着たらいいか分からない。クーラーのやめ時も分からない。風邪ひかないよう気をつけましょうね。

 向ける対象はなんでもいいんですが、皆さま、「推し」っていますか。私は推しって言葉があんまりしっくりこないので普段なかなか使わないんですが、まあそんなことは置いておいて。世間的に使われる、いわゆる推しが私にもいます。その方、歌を歌われる方で。今ってインターネットの普及の影響もあり音楽へのハードルが下がってきているじゃないですか。特にインターネットを介してなら「生歌」を「リアルタイム」で聴くことがかなり容易だと私は思っています。そんな中ですが私の応援している方、16年くらい活動してきて一度もライブをしたことがなくて。インターネット発の歌い手なんですが「歌枠」みたいな形で生歌を歌うこともほとんどなくて。しかし、ここにきて彼女がライブに出演すると。なんでも彼女、こんなに長く活動しているのに顔どころか姿を見せたことすらなくて。かなり謎に包まれた方ですがここ数年Live2Dや3Dアバターを用いて少しずつ姿を見せてくれるようになり、そして今回その3Dアバターでライブに出演することになったんですね。Live2D、3Dアバターを彼女が初めて使った時も衝撃的でしたが、ライブをするなんて、と界隈が一旦ひっくり返ってました。今でこそ例えばゲームキャラクターの3Dアバターライブ、Vtuber、MMD、VRChatなんかにもだんだん見慣れてきてそういうこともあるかと思えますが、彼女の活動してきた16年間、そして私が応援してきた9年ほどを考えると技術の発展ってすごいなと思う出来事でした。良い時代になったなと。こういう技術が出始めの頃、私も「初音ミクのライブってなにするんだろう、モニター見るの?じゃあパソコンで良くない?」とか思いましたが、この辺徐々に上手くリアルとバーチャルの融合がされてきているような気もしますね。最近は生バンド生演奏で歌うライブも多くその辺りからもリアリティを感じます。尤も私がバーチャルに対して肯定的な気持ちをもっているからであり、世間的に見たらまだまだなのかもしれませんが。でも近い未来、もっと境界が曖昧になっていくんだろうなと思いますよ。こういう話をしていると私は必ずサマーウォーズを思い出します。
 だいぶ話が逸れましたが、その彼女が出演したライブが14日にありました。結果から言って、本当に最高でした。あぁ、彼女は生歌も上手いし運動神経も良いんだと実感させられましたね。めちゃくちゃ良かった。余談ですがこの手のライブ、つまり3Dアバターを用いるライブは歌が別撮りだったりダンスはアクターがやってたりどちらも本人だけど全篇収録で生で行われているわけじゃなかったりなどすることもありますが、どうも本人の話を聞く限り全部生で行われたらしい。歴は長いとはいえ初めてのライブで割としっかり踊りながら全然音外さずに踊るのただただすごいなあと思いました。夢のような幻のような日でした。

 好きなものの話、久しぶりにした気がします。当たり障りじゃない根っこに近い部分の好きなものを誰かに話すの私は割と避けがちなんですが、昂ってたくさん書いちゃった。これもまたある程度の匿名性がこちら側にも読み手側にもあるからなんだろうなと思います。これはたまに書いてる気がしますが、第一私は私の書いたブログに読者がいないと思って書いてますからね。読み手を意識したらなにも書けないかも。顔を突き合わせての付き合いも大事だけど、インターネット越しの付き合いも程よく楽で有難いなと思う質だからこそバーチャルを受け入れやすかったのかもしれませんね。便利な技術には正しく乗って人生を豊かにしよう。では。