こんばんは、まなです。桜を眺めていたら、あっという間に3月が終わってしまいそうです。ESを書き続けては己と向き合う日々。延々と続くかのように思われることも必ず終わりがある。そのことを信じてただひたすらに花粉が過ぎ去るのを待つばかりです。
最近、映画を観に行くことが増えたような気がします。今までは自宅で観る方が気楽だと思っていたのですが、姉に誘われてずるずると映画館に連れていかれることを繰り返していたら、いつの間にか自宅よりも映画館で観ることが増えました。流石と言うのは少々見当違いな気もしますが、やはり映画を観るための施設ともあって、なかなかに快適で癖になりつつあります。ドリンク代がもう少し安くならないかなあという不満はありますが、サービス代だと思い込みながらジュースを買っています。近日中には『オッドタクシー イン・ザ・ウッズ』というアニメーション映画を観に行きます。舞台挨拶を兼ねた上映なので、楽しみ半分、緊張半分のドキドキで胸が高鳴ります。『オッドタクシー』、知らない方はぜひテレビアニメ版を要チェックです。概略は……なんだかネタバレになってしまうような気もしますが、極端に言えば、動物アニメの皮を被った伏線張りまくりミステリアニメです。めちゃくちゃ面白いのでアニメを見た勢いでそのまま私と映画館に行きましょう。ポップコーン代は払わせていただきますよ、責任を持って。それなりに。
最後に一つ。本日をもってブログ部の4年の先輩方が卒業してしまいます。何分、別れというものはいつまで経っても慣れないのが困りもので、延々と続くかのように思われることも必ず終わりがあることを再び自覚してしまいます。いざこのように直面するとただただ寂しさが染み入る心地です。先輩方、今までありがとうございました。桜咲き舞う輝かしい旅路に幸あれ。
それでは、またいつか。
月別アーカイブ: 3月 2022
山賊と料理。
こんにちは、あこです。
もうすぐ春休みも終わりですね。昨年は長すぎる休暇に苦しめられましたが(私は長い自由時間が苦手です…汗)、今年は静かに、でもしっかりと日々を過ごすことができました。
家族や祖父母たちとの時間、友人たちとの時間、そして自分だけの時間。上手く言えないけれど、自分が「どうやって生きたいのか」や「どうやって日々を過ごしたいのか」が、この春休みを通じて、ちょっとだけ分かったような気がします。でもまだ纏まらないので、今回のブログには書けません!!!(笑)
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最近、「変わったね」と母に言われました。
何が変わったのか。食の好みです。(また食の話…!!!)
以前の私は、フルーツサンドに見向きもしなかったし(←生クリームが苦手だからです。)、母が作ったお菓子もさほど食べなかったし、料理やお菓子作りも全く興味がありませんでした。
でも、最近はフルーツサンドを買ったりマドレーヌを母に作ってもらったりお菓子作りをしたりと、確かに「変わって」います。コーヒーも、いつの間にか飲めるようになりました。
食の好みが変わった理由はわからないけれど、料理やお菓子作りを始めたきっかけの一つは分かるような気がします。それは、母の味はインターネットやレシピ帳で調べても出てこないということに気づいたことです。
いつものことながら、「え、今更???」な話ですよね。すいません(汗)
でも、本当にそうなんです。今まで料理なんて全く興味なかったし、「やんなきゃいけなくなったらレシピ本とかネット見ればできるっしょ」と思っていました。でも、私の”好きな味”・”食べたい味”はそれらには載っていないんですよね。簡単で美味しい作り方はたくさん載っているけれど、”いつもの、これまで食べてきた味”は載っていないんです。
そのことに気がついた時、私は初めて焦りました。
(「大学を卒業したらすぐに家を出よう」と思っていたわけではないけれど、)”いつもの料理”を食べられるのはあと少しなのかもしれない。いつか自分が作る料理は、”いつもの味”ではないのかもしれない。自分が”好きな味”を作り出せないまま、料理することになるのかもしれない。
今がタイミングだと思いました。
というよりも、適度なやる気と時間があって、これまでほど料理に対する抵抗がない今しかないような気がしました。
そんなこんなで、春休みはちょっとだけ料理をしました。母に「さすが山賊。」(←最近の私のあだ名(?)です。大雑把、というか雑な行動が多いので名付けられました…)と嫌味を言われながら、ちょっとした料理やお菓子を作っています。
料理やお菓子作りをしてみて分かったのは、作るだけが料理じゃないということです。私はよく「片付けまでが料理です。」と母に怒られていたのですが、その意味がやっと分かりました。
食材を買って、家まで運んで、下処理をして、作って、盛り付けて、片付ける。
料理ができるまでには、”作る”時間の何倍もの時間と手間がかかっていたのです。
もちろん食材は買わないと手に入らないということも、食事をしたら片付けが必要なことも知っていました。だけれど、私が一瞬で食べる料理は、たくさんの時間と手間がかかっているということを”分かって”はいませんでした。
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料理は、案外楽しいです。誰かに食べてもらって、美味しいって言ってもらえると嬉しいです。でも時々しか料理しない私でさえ、誰かのために料理をすることに、”虚しさ”に近い感情を感じることがあります。
重い食材を家まで運んで、みんなが食べやすいように下準備をして作った料理が一瞬で消える。
「美味しい」などといった反応があれば別だけど、無反応だったり不機嫌な顔で食べているのをみると、「何のために作ったんだろう」と思ってしまいます。
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私自身、料理に無反応(ひどいときは文句を言う)だったことや、不機嫌な態度で食事をとったことはたくさんありました。その時は、学校で嫌なことがあったり、やらなくてはならないことに追われていたりして、余裕がなかったのだと思います。でも、逆に言えば、学校で嫌なことがあっても絶対に料理は出てくるし、食事の準備はしなくて良いから、やらなくてはならないことだけに追われていればよかったのです。それはきっと、私にとっては幸せなことで、料理を作った人(=母)にとっては悲しいことだったに違いありません。
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私が春休みにやったことは”母親の味を受け継ぐ”というほど大袈裟なほどではないし、正直そこまで熱心に取り組んではいません。でも、料理の作り方を知るのは楽しいし、実際に料理が完成すると嬉しいです。それに、(ちょっとだけど)料理をし始めたことで、お店で売っているお菓子やレストランでの食事も一層楽しくなりました。料理そのものだけでなく、お店の雰囲気や一緒に食事をする人、その人との会話も大事なんだなと改めて感じています。
まだまだ料理初心者ですが、これからもゆる〜く続けていきたいです。
それでは、また。
つかの間の休息とはいかず
こんにちは、みどです。
私は今、実家の福島に戻っています。良いですね、地元って。戻ってくるたびにそう思います。生まれ育った故郷の空気が、一番身体に馴染みます。実は、元々実家に戻る予定は無かったんですよね。
何故なら、只今絶賛就活中だからです。
就活という言葉の響き。嫌ですね。できるなら聞きたくない…。
三月後半、多くの企業のES提出締め切りが迫っている中、実家の母からの「いつ帰ってくるの?」のLINE。私は戻らないつもり…というか戻っている暇はないという感じでしたけど、母は「え?春休みでしょ?帰ってくるの当たり前でしょ?」という感じで帰ってこないと不機嫌になる母。
母親の顔色を窺いつつ、時間を見つけて24日に帰省。帰省中もずっと某就職サイトのアプリとにらめっこしながら説明会やESを書いたりしていました。そんな時、母から「せっかく帰省したんだから買い物に行こう」と言われ、買い物に付き合うことに。結局、その日予約していた説明会を断念し、母の機嫌を損なわないように、丸一日時間を潰してしまいました。
結局、就活のことが気になりすぎて実家に居られない…と思い、東京に帰ることにした29日。父からは「え?早くない?もっとゆっくりしていけばいいのに」と言われました。そんな父親の思いとは裏腹に、私は早く帰って説明会の予約しないと…ES書かないと…という思いでいっぱいでした。
そんな、五日間の帰省。これを読んで、あなたはどう思いましたか?
帰省したのに、家族との時間を作らずに自分のことに必死になる親不孝な娘だと思いましたか。
私は、悔しかったです。
21歳になっても、親の顔や機嫌を窺いながら行動するみじめさ。
知り合いが内定を取ったという話を聞いて、焦ってしまっている自分。
時間をかけて出してもお祈りされるES。
結果、自分を否定しまくった帰省になりました。オワタ。
というのは、冗談で。就活のことに対して、応援してくれたり配慮してくれる家族や知り合いがいるっていいな!!って話です。ちょっと愚痴っぽくなっちゃいましたね。
まとめると、「焦りは禁物。マイペースに就活するべし!!!」ってことです。
お母さんお父さん、親不孝な娘でごめんね。
次帰る時はお土産に、内定持っていくからねーーーーーー!!!!!!!!
牛歩
次の年度がすぐそこまで来ていますね。あと数日で2年生になると思うと、こう、そわそわというか、居ても立っても居られない気がします。
皆さんは”新しいこと”、好きですか。何でもいいんです、”新しい環境” ”新しい友達” ”新しい靴” ”新しい学年”……。わくわくしますかね、それともどきどき?すくんでしまう?私はとってもびびりな性格なので、”新しいこと”に対してあまり積極的になれない方だと思います。もちろん楽しみだなという思いもあるのですが、どうしても不安や心配の方が占める割合が多くなってしまいます。食べ物は美味しいと分かっているものを食べたいし、変わっていく周りや自分自身に寂しさや不安定さを覚えてしまう。新しく買った靴にびびってすぐ履けない。数え上げたらキリがありません。”新しいこと”がたくさん降りかかってくるこの時期は憂鬱な気持ちになってしまいます。私の場合、いざ始まってしまえばけろっとしてどうってことなくなるんですけれども。
「推しが有名になったら応援する気持ちが冷めてしまった」という趣旨のことをたまに聞くことがあります。正直全く理解できないなと思っていました。だって、数字が全てじゃないにしても応援するからには活躍してほしいんですもの。でも、ずっと頑張ってほしいと思って応援してきた人が徐々に活躍の幅を広げ昔と活動のプラットファームを変えた時、寂しいな、とふと感じました。この「寂しい」の気持ちは、躍進を喜ぶ気持ちと同時に湧いてきたものなので正確には冷めてしまうこととは異なると思うのですが、純粋な喜び以外の感情が生まれたことに自分のことながら驚いてしまいました。この一件を思い出す度、私は不安定さを楽しむタイプではなく、安定さに安心するタイプなんだと再実感します。
諸行無常の世の中、”新しいこと”に踏み出す勇気、それを楽しめるメンタルがあれば……!と何度も思いましたが、19年も生きてきて性格なんてそうそう変わらない。ですが19年生きてきて、そろそろこの「どうしてもそわそわしてしまうこと」にも慣れてきました。これから先も”新しいこと”を前にして幾度となくそわそわしながらもしぶとく生きていこうと考えた19歳春です。
2022年3月31日1:30
お久しぶりです、まなみです。
最後の更新だって思ったら何書けばいいんだろ〜となってしまって更新がめちゃ遅れてしまいました!
実は今まで死ぬほど真面目に更新してて、ほとんど遅れたことないから最後くらい許して!普通最後こそ綺麗に締めるのか?まあいいや🤧
いつも好き勝手に話してますが、一応ここは日本文学科のブログなので😡、4年間のまとめ!みたいな話をしたいなーと思いま〜す!!今回も好き勝手ではありま~す!
私はあんま器用な方じゃないからゼミに何個も入って…とかはできなかったけど、4年間何を頑張ったかと言われたら学業かなって思ってて🤨
今まで、もっと実用的なことを学べる学科に行くべきだったとか、4年間無駄だったとか言われたりしたけど、私は日本文学科で学んだことは無駄じゃないと思っています。
恥ずかしい話なんですが私は中学生の頃、憧れの高校に入学するのをモチベに勉強を頑張ってたので、高校に入った途端勉強する意味が分からなくなっていたんですよね(笑)。
だから、大学に入って学ぶことの面白さを知れたのってすごく嬉しくて。
勿論目標のために勉強することにも意味があると思うんですけど、学ぶことは自分自身を豊かにすることに繋がると知れたのはすごくいい経験でした。
そのおかげで、これからは自分が好きなものだけじゃなくて、広く深く学んで豊かな人間になれたらいいなーという夢?もできました!
あとは自分の考えに自信を持てるようになったのも成長したところだなーと考えています。
ぶっちゃけ1年生の頃は先生が何言ってるか分からなかったし、課題もなんのためにやってんのか分からなかったけど、学びを積み重ねるうちに段々と知識が繋がっていって、応用が効くようになっていきました。
論拠となるものが自分の中にあるから考えに自信を持てるし、こういうことでは!?って閃きが生まれたりしてすっごい気持ちいいんですよね。
自分は適当なこと言ってるわけじゃない!ってお墨付きもらえたのはすごく嬉しかったな〜!
私は自分に自信がなくて、すーぐ知らんけどって言って逃げちゃうんですが、卒論では私はこう思うんですが❓っていう気持ちを形にできたかなと思ってます。
あとは〜よく分かんないけど、国語って答えが一つじゃないから曖昧な学問な気がするんですが、だからこそ学びがいがあったなーと思っています!
受け取り手の解釈次第だからってなんでも好き勝手言えるわけではなくて、何かを主張するにはきちんと自分の論を補強していく必要があります。
その中で自分の考えが間違ってると気づくこともあるし、何を主張したいのか、どうしたら説得力が増すのかを考えて工夫していく力ってのは文学を読む以外でも大切なことだと思います。
だから一つの物事に対して多角的に見る力と工夫する力とか根性が身に付いたのはすごい良かったです!
勿論文章を読む力とか書く力とか、備わって……たらいいよね!
だから私の4年間は無駄じゃなかったよ〜!否定しないで〜!
そう思います!
7年間だったり4年間だったり3年間だったり2年間だったり1年間だったりお世話になった皆さん本当にありがとうございました。理想的な大学生活とは言えないだろうけど、私なりにたくさん学んでたくさん楽しいことできたのかな〜って思ってます。
4年間日本文学を学んで、大好きな先生がいる中世文学ゼミで大好きな作品で卒論を書いたのは私の人生において大切な財産です。
これからの人生どうなるか分からないですけどまあまあな感じで生きれたらいいなー!
最後まで読んで下さってありがとうございました!
じゃあね〜👋
桜狂いと書き狂い
桜を見に行った。近所の河川敷まで。風の強い花曇りで春らしい気候であった。
桜を見て「これはいけないな」と思った。何て言ったって桜はちょっと美しすぎる。ある季節になると、これだけ太い無骨な幹から、淡く小さな花々が一面に咲いて辺りを染め上げてしまったら、困ってしまう。だって否応なく美しい。しかも長くは続かず、散ってしまう。その散り際も甘やかなこの季節特有の風に乗って、はらりはらりと舞うように落ちてしまうのだからたまらない。これは歌だって詠むし、集まって愛でるし、物語にもなるし曲にもなる。愛されてしまうわけだ。桜が咲けば喜んで、散ると悲しんで、桜が無ければと思ったり、散るからこそと惜しんだり、その美しさに妖しさを覚えたり、桜の樹の下を考えてみたり。今でも春の新曲は桜が歌われ、薄いピンクの花びらのデザインで我々は春だなと思う。桜は変わらずそこに在るだけなのに、ずっと桜に魅入られてこの地に生きる人々が桜を作品にしてきたことを私は文学を学んで知った。つくづく文学を学んでいて良かったなと思った。
話は変わるが、これが最後のブログらしい。思えば三年間、先生にひょいと引き抜かれて、だいたい月に二回、よく書いたものだ。ブログ部に抜擢されたときにも先生に話したが、月に二回も文章を書ける場を与えてもらえるのはありがたかった。私は自分の文章が好きだし、読んでもらえるのも好きだが、自発的にはなかなかやらないので。忙しいときもあったけれどやはり楽しかった。今月は何日だから、と覚えて、間に合わないことも多かったのだが、何を書こうと考えるのは、忙しい生活から、自分の好きなことを、創作を行える時間を引っ張り出してきてくれた。本当に感謝している。その記念にこのブログの内容、主に創作部分を印刷会社に依頼して本としてまとめるつもりだ。自著をまとめて本にするなんて恥ずかしくないのかい?何の意味が?だまらっしゃい。私が楽しいからいいのだ。他にも大学生中に書いた創作をまとめたりしたいし、そういえば卒論の製本もまだだった。でもきっと形にすればこの先も生きていけると思う。
文章を読むのはもちろん書くことが好きであること、文学を学んだこと、そのどちらもがあったから、先に書いたように桜に対する思いを自分の言葉で書けたし、それをとても嬉しく思っている。どうやら私のアイデンティティや私自身が私に感じている価値は、芸術を嗜むことができる能力と芸術を表出できる能力なんだと思う。少し大きくでてしまったかな。だからこのブログ活動は楽しかったし、ブログを書き続けられたことに価値を感じている。創作を月に二回書けたのは我ながら自信にもなった。できればこの先もこのような活動を続けていきたい。これを読んでる方へ。他の日付の「はるか」名義のブログも読んでいただいてご興味おありでしたら何卒。
ただまあこの四月から始まる仕事は文章を書く仕事ではない。ええ、そこはどうにも上手くいかなくて。しかしなんとか物を書く仕事もやっていきたいので頑張る所存。いつも作家を憎く思っているからね。物を書くことが仕事になるなら、仕事の時間外で物を書く時間を捻出しなくて良いではないか。羨ましい。ご興味おありでしたら何卒。
4月からは将来の関係で北の方へ三ヶ月だけであるが引っ越しをしなければならない。社会人になるのも嫌だったし、社会人になりたくないし、社会に貢献なんてしたくない、と思春期の感傷のようなものを未だに引き摺っている愚かな私である。気持ちはすっかり花曇り。しかし今日桜を見ながら「この地域では卒業式には間に合わず入学式の頃には散ってしまうから悲しい」と呟いていたら、ふと4月1日には盛りであることに気づいた。桜の満開の時期は新社会人の時期らしい。なるほど。などと思えば、春の憂鬱にうなされていた心もほんのりと色づいた。今日の夜バスに乗って、北へ向かう。桜前線を追いかけて。
くるとし
こんばんは!みずほです。
今回は前回に引き続き大学生活後半戦を振り返っていきたいと思います。
それでは3.4年をプレイバック!!!
~3年次~
春休みからコロナ事情が怪しくなり、開始早々1か月暇人と化した3年次。確か5月スタートとかだったような記憶があります。この時はまだ楽観的で「夏くらいには収まって後期からは対面だよな~」とか思ってました。世間もまだ暢気でしたよね。ところがどっこい、一向に収束しない、と言うより広がっていくウイルス。授業も全面的にオンラインとなり、zoomやらteamsやら慣れないアプリと格闘する毎日。周りの友人はインターンが難しくなり大変そうでした。かく言う私も教職の必修である「介護等実習体験」が流れてしまいオンラインでの履修となりました。
そんな3年次、いちばん頑張ったことと言えば学会委員活動です。春休み前から色々動いていたのでそれらが実現できず、またすべてオンラインに移行でたたき台作りからのスタートでしたから毎日ひいこら言ってました。それでも頑張れたのは同期3人がめっちゃくっちゃに優秀なリスペクトピーポーだったからです。このメンバーじゃなきゃあのクオリティで活動できなかったと思います。自慢の友人たちです。良い感じに適材適所でそれぞれの持ち味が光る組み合わせだったなと思います。なんでも積極的に率先して動けるKちゃん。デジタルに強くオンライン対応が神だったHちゃん。何事にも丁寧で繊細な気配りのできるRちゃん。そしてみんなの隙間埋め職人わし。委員長として代表を務めてはいましたが、細々とした作業が向いている私は、みんなの取りこぼしを拾っていく方が性に合っており、本当に良いバランスでお仕事できていたなと思います。やりたいことの半分もできなかった1年間でしたが、得たものが0ではないことは確かです。
~4年次~
3月からブログ部長に就任し、平社員からいきなり昇進してしまいました。正直「私で本当に大丈夫ですか……?」感は否めませんでしたが(今も)とにかく1年頑張ろうと、Twitter支部にも入会。まさか自分がマシュマロ回答側になるとは思いもよりませんでした。人生何が起こるかわかりませんね。
4年次の大イベントは教育実習と卒論でしょうか。
教育実習については以前お伝えした通り、詳しく書いちゃうと捕まっちゃうのでざっくりと。本当に怒涛の3週間でしたね。今思い返してもつらいことばかりでしたが、子どもたちの笑顔や無邪気さに癒された毎日でもありました。
卒論は3年次から温めていた内容を。実際興味を持ったのは2年の演習からなので足掛け3年向き合っていたことになります。私が取り上げたのは『蜻蛉日記』における人物像演出についてです。兼家の描写に注目して論じる予定が、気づけば作者の自己演出にスポットが当たっていました。大学院でも引き続きこの辺りを掘っていけたらなと思っています。
今後卒論生になる方々へ、これだけは覚えておいてほしいこと。
自分は一人しかいません。卒論と向き合って無理をしなければいけないときが必ず来ます。でもだからこそ自分自身を大切にしてあげてください。自分に優しくできるのも休ませてあげられるのも自分しかいないんです。無理をするならその分楽しみや休息を。壊れる前に誰かに相談を。私とのお約束です。
さてさて私の4年間をばーーっと振り返ってみました。いかがだったでしょうか。
まあまあありふれた大学生活だとは思いますが、なかなか楽しい4年間でした。
たくさん学び、たくさん働き、たくさん踊り、何よりも推しに捧げた1460日。
その中の3年間、ブログ部員として先生先輩後輩友人と活動できたことは貴重な思い出となりました。
連続ドラマすら1クール見られない飽き性で何をするにも三日坊主な私が、3年間という長い間ブログ執筆を続けられたのは本当に奇跡のような経験です。最後の一年はブログ部長の大役まで任せていただき感無量でございます。4月からは一読者として陰からひっそりブログ部活動を応援したいと思います。
本当に長い間お世話になりました。ありがとうございました!!!!!
おやすみなさい。良い夢を。
夢の続きで会いましょう。
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風の間 花弁踏みしめ寄る音に 振り向く間際 春の匂いが
untitled
こんばんは、さやかです。
…最後になるブログに、何を書いたら良いのかわからなくて。
かなり悩んだのだけれど、答えが出ないまま、今文章を打ち込んでいます。
日本女子大学で過ごした4年間はあっという間でした。1・2年は授業やサークル、バイトでほぼ毎日外出してました。超インドア派の私が週7日外出。信じられません。あの頃のバイタリティが、今欲しいです。
…3年になる直前にコロナ禍になって。様々なことができなくなって。何度も悔しい思いをしたし、何度も悩んだ。通学時間が無くなって、満員電車に乗らなくて良いとかの良かったこともあるけれど、悲しいことの方が多い気がする。「コロナ禍でこんな悲しいこともあったけど、こんな嬉しいこともあったよね!」みたいにテレビとかでは言われがちだけれど、私はそんなふうには思えない。やりたかったこと、叶えたかったこと、たくさんあったから。なぜ今コロナ禍なのかと、何度も思ったから。きっと、この思いは当分消えない。でもいつか、数十年経った時に、「こんなこともあった」と素直に、冷静に、受け止められる日が来るのだろうか。
4年。進路決定に苦しめられ、病み、たくさんの方にご迷惑をおかけしました。いや、進路だけではなく、コロナ禍や人間関係など、ストレスはきっと他にもあって。進路は最後の引き金に過ぎなかったのかもしれない。3年1月から4年8月頃までは、1人で部屋で泣いていた記憶しかありません。それでも、今普通に笑ったりできているのは、無事進路が決まったこと、そして支えてくれる人がいたからです。だからこそ、このとき支えてくれた人には、これからたくさん恩を返したい。普通に笑顔で生活ができること、それが本当に尊いことなのだと感じられた1年でした。
さて、特に何も考えずに筆をすすめたところ、良い感じの文章量になってきましたので、このあたりで筆を置こうかと思います。
日本女子大学日本文学科で出会った人たち、ブログ部に誘ってくださった先生、ブログ部員に最大限の感謝を。そして、ブログ部の繁栄を祈って。
私を肯定する
こんにちは、れいです。
先日無事卒業式を終え、ついにブログ更新も最後の1回となりました。
卒業式では、学科の総代として成瀬記念講堂で学位記を受け取りました。総代のお話をいただいたのは卒業論文の口述試験の日だったのですが、試験終了後のほっとしたところで、驚きと嬉しさでいっぱいになったことを覚えています。この4年間は、総じて頑張ったと自負できるのですが、それでも紆余曲折あったり、努力が実を結ばないという経験もあった中で、最後、とても良い締めくくりになったと思います。
大学生活は全てが濃く、どこから振り返って良いものか分からないのですが、日常や思いを書き綴ったブログが、宝物の一つになりました。
このブログでは一度も話したことがなかったのですが、私は小学校から日本女子大学にお世話になっています。小学校では、1年生の時から毎週の宿題に日記があったのですが、その経験を通して私は「書く」ことが大好きになっていました。6年間書き続けた日記帳は今でも大切にとってあり、また中学、高校でも「書く」ということを私自身大切にしていました。
大学に入学してからは、同じ「書く」といっても、レポートなどはテーマを決めて根拠を持って論理的に述べていくことが必要であり(この手続きも好きなのですが)、自己表現の場としての「書く」機会は減っていました。その物足りなさを感じていた時にこのブログ部にお誘いいただき、思いっきり自分の感情をしたためることができる場所ができました。お話をくださったアドバイザーの先生には、感謝してもしきれません。
今回、改めて今までのブログを読んでみたのですが、特に1、2年生のブログの構成や文章が下手で恥ずかしくなりました。突然話題が飛んだり、話し始めたと思ったら「また今度!」と終わってしまったり、はたまた同じことを繰り返し言ってしまっているなど…。こんなものを堂々と世に出していたなんて、と思うのですが、一方で日本文学を学び始めた時の純粋な眼差しや、その時々の感動や興奮が真っ直ぐに伝わるものが多く、恥ずかしいけれど書き残しておいて良かったと感じました。
読み返した中で、特に印象的なブログがいくつかあったので紹介します。
1つ目が、2019年4月27日「舞台「良い子はみんなご褒美がもらえる」」https://mcm-www.jwu.ac.jp/~nichibun/blog2/?p=9870です。
2年次に上がったばかりのこのブログ、あちらこちらに文章が飛んでしまっていて読みにくさ極まりないのですが、
これは和歌世界でも同じことが言えると思うのです。たった31字の中でどんな想像が膨らませられるか。実際に昔の人がそう思って詠んだかは分かりませんが、私たちは和歌を読んで頭の中でその景色や情景、または心情を想像することができる。言葉というツールを使って、時代や場所を超えて繋がることができるのは、本当に素晴らしいです。
と書いてあり、ハッとしました。私は卒論で鎌倉時代初期の和歌を扱ったのですが、注釈のない和歌を読むことは想像以上に大変で、和歌史の変遷や言葉の持つ意味を一つ一つ考え始めると、迷宮入りしてしまうこともしばしばでした。今も和歌が大好きで、だからこそ院に進学して和歌を研究したいと思っているのですが、この2年生の時のブログには、高校時代に和歌を読んで日文に行こうと思った時の(良い意味で)単純な面白さや感動が記されていて、忘れていた心を取り戻してくれるようでした。
2つ目は、2019年8月7日「二十歳」https://mcm-www.jwu.ac.jp/~nichibun/blog2/?p=10438
「自分の信じた道を歩いて下さい。」
母からの手紙にあった一節です。一年後、十年後、先のことを考えると、すごく不安になって、空回りしそうになります。そして、未来の夢に向かって着々と歩を進める友人を見ていると、なぜ私はいつまでも足踏みしているのかと焦ります。
でもこれを読んだときに、少し、自分に自信を持てたように思いました。そして、素直に「こうなりたいな」と考える自分の姿を、純粋に描き出せるような、そんな気持ちになりました。
このブログは(我ながら、ですが)この3年間の中でも気に入っていて、時々読み返しています。特に、4年生ではそれぞれ就活、進学など具体的に将来を考える時期にあたり、どれだけのことをしても、これで良いのだろうかと悩むことばかりでしたが、素直に「今できることを精一杯に取り組む」ことこそが私にとっての正解なのだと、いつも答えをくれるブログでした。
3つ目は、2019年12月27日「変わることはきっと素敵なこと」https://mcm-www.jwu.ac.jp/~nichibun/blog2/?p=11236
まず、今となっては書けないタイトルだなと思っています。コロナ禍になってからは、社会の急速すぎる変化に、「変わらないこと」「変わらずにいられること」に強みがあるのでは?と感じるようになり、変化することをむしろ嫌ってしまった側面があります。
一方で、このブログで私は「成長していく自分が少し楽しみでもある」と言っています。コロナウイルスという社会不安がなかった時を随分と遠く感じるのですが、年齢や周囲、世の中のこと、付随する全てのことを取り除いた先のシンプルな感情は、ここにあるのではないかと最近感じるようになりました。
そしてこのブログには、クリスマスライブに行った時の感想を書いているのですが、
クリスマスライブで見た時の由貴さんは、一年前と随分変わっていました。前も今も由貴さんは綺麗で妖艶だけれども、前はもっと彼女自身が繊細で、触ったらすぐに傷ついてしまうようなガラス細工であって、美しいがゆえに、あと一歩で崩れてしまいそうな脆さがあったように思います。けれども今回は、表情が随分柔らかくて優しくなって、何よりもその場があたたかく甘美でした。幸せな空気を吹き込んで昇華させているように感じられて、同じ濃厚で刹那的な時間なのに、由貴さんの違う面が見られたような気がして…むしろこれが本当の姿かもしれないけれども、それはどうであれ、素敵な変化に見えました。
忘れることのない光景ですが、今となってもこれ以上の言葉で表現できないだろう、と思います。4年間行き続けたライブで、その場の空気に色や雰囲気、温度があることを初めて知りました。
こうして1、2年生の頃のブログを振り返ってみると(今回挙げていない記事も含めて)やはりどこかに出かけたという話題が多いように思います。一方で3年次からは、コロナ禍・オンライン授業という環境下の中で、自己の内面を書いたものが多くなっていったようにも思いました。途中は少し拗らせてしまっているようにも感じるのですが、そういう自分の多面性を知れたのも大きかったです。
続いて3年次、4年次のブログも3つ紹介します。
2020年11月9日「私の源氏物語」https://mcm-www.jwu.ac.jp/~nichibun/blog2/?p=13204
演習で一年かけて、『源氏物語』の続編(二次創作)を書いた『山路の露』を読んでいた時のブログです。4年間の中で最も日文らしい話題だった上、『源氏物語』が母と子の物語だということを強く意識し始めたのがこの時期であり、その時の心情が細かに書かれているのがお気に入りのポイントです。
『山路の露』は浮舟物語の後日談を書いたもので、最終巻夢浮橋からしばらく過ぎた、薫二十八歳の秋から物語が始まります。ちょうど先週発表担当だったのですが、その際に源氏物語からの継承という視点で、浮舟物語を読み直しました。すると、母中将の君にとって、娘浮舟は身分意識の中で自己投影の存在としての側面も持つことにも気がつかされました。
平安・鎌倉期の物の捉え方や言語をそのまま全て現代に引き寄せて考えることは危険なことではありますが、一方で喜びや悩み、悲しみといった人々の情動は何百年という月日を越えてもなお変わらないのだと思います。親子(特に母と子)の話題は、誰しもが当てはまることであり、それを繊細に描き出した『源氏物語』と、源氏を愛してその敬意の念を持った人が書いたであろう『山路の露』を通して、新たな古典の読み方を知りました。
続いて、2021年6月19日「孤独と生きる」https://mcm-www.jwu.ac.jp/~nichibun/blog/index.php/author/mochida/page/2/(このブログから、サイトリニューアルにより個別のURLを出すことができないので、スクロールして見てください)
私は一時期、ブログの中に歌詞や詩を挿入するスタイルで書いていた時があり、その中で一つ好きなブログを選んでみました。
歌詞や詩を入れることにより紡ぎ出されるある種の世界観をブログ全体に描き出すことで新しい表現や手法を学び、得ることができ、自分の世界をまた一つ広げることになったと思います。
そんなコンサート、アンコール前の最後の曲を聞きながら、とてつもなくしみじみと「孤独」を感じてしまいました。私、怖いほど美しいもの、透き通ってきれいなものを見たり聞いたりすると、人間って孤独なんだなぁって思うんですよね。上手く言葉で表せないのですが、どんな人間にも「孤高」な側面があって、その淋しさというものは美しさに繋がるところがあると思うんです。ごめんなさい、分かりにくくて。
前、電車に乗っていて、夕暮れ時だったのですが、透き通った空の青と消えかける橙色が綺麗に川に写っているのが見えて。で、水面に写るその青の部分は黒に近く見えるんですが、黒ではない吸い込まれそうな深い青色をしていて。橙は、空よりも柔らかな色をしていたのですが、その深い青色から柔らかな橙のコントラストに、他を寄せ付けない美しさと暗い孤独を感じました。
美しいものを単に「美しい」と表現するのは簡単だけれど、美しさにもきっと様々な種類があって、私が好きなのは、透き通っていて、明るいだけではないどこか寂しさのある美なのだなと分かり始めた時期のブログです。忘れがたい光景をどのようにしたら言葉にできるのか、言葉にならない感情をなんとかして言語化していく試みが、少し上手くいった文章なのかな、と思います。
最後は、2022年3月12日「大叔母の家に」https://mcm-www.jwu.ac.jp/~nichibun/blog/index.php/author/mochida/です。
恐らく、この春休み最も思い出に残る日だったと思います。
窓に広がる暗闇からは、春の夜らしい、微かな暖かさと寒さの混ざった、少し物悲しい風が肌をなでていきます。
大学生の最後に、大叔母のこと、そして家族をことを改めて考えたことが、これからの新しい生活をより良い方向へと導いてくれると信じています。
そして、自分の幸せの形を描くことのできた今、心に積もるものをこのブログと心の中に、静かに留め置いておきたいと思います。
大叔母のこと、家族のことはこれ以上語ることができないのですが、一つ言えるのは「書く」ことが自分の痛みや経験を昇華させてくれた、ということです。このブログは、ぎりぎりまで公開するか迷っていたのですが、私の中で「忘れてはいけないこと」でもあるため、一つ形にできて良かったと思います。
こうして3年間と少しのブログを振り返ってみると、文章を書くという行為が、その時々の思いを書き留めるものとなっていて、そして自分を認めていく力になっていたか気づかされます。
大学入学時、私は色々な意味で自分のスタイルを見失っていました。模索する時期だったという見方もできますが、簡単に自分で自分のことを否定する見方をしたり、育ててきたアイデンティティを自信を持って周りにさらけ出すことができなくなっていました。
この4年間、毎日の授業は本当に楽しく、また国文学会委員や自主ゼミでの活動、そして何よりも卒論執筆という経験は私を大きく成長させてくれました。その中の一つであるブログ部の活動は、私が私のままで良いんだな、と思わせてくれる場所でした。この中での私は、ある意味普段の自分よりもずっと、素直だった気がします。「書く」ことで、私は私を肯定することができるようになったと思っています。
最後になりましたが、アドバイザーの先生方、ブログ部の方々本当にありがとうございました。
今後は一読者として楽しませてもらいます!
外では、春の雨が静かに桜を濡らしていきます。夜になり冷たくなった空気を感じて、ブログ部を卒業するのが本当に名残惜しく感じられました。
書く場所がなくなるのがあまりにも寂しいので、4月からもまたどこかでブログを書いているかもしれません。もし今後私のことを見つけたら、是非文章の中でお会いしましょう。
それではまた。4年間の感謝を込めて、ここで筆を置きたいと思います。
修
みなさん、こんにちは。ここです。
早いもので、最後の更新になってしまいました。これまで、ブログ部で私の記事を読んでくださった方々、本当にありがとうございました!
そして、大学も無事に卒業することができました。私にとって、大学は、「自分の好きな勉強に没頭させてもらえる場所」でした。そして、「自分の好きな勉強に没頭する」ことを許してもらえるのは、後にも先にも大学時代しかないだろうと思います。
中学と高校では、どうしても広い分野の勉強が必要ですし、社会人になれば、仕事や自分の生活に時間を割かれる中で時間を見つけなければならなくなります。大学に通わせてもらい、自分の好きな勉強に集中できる環境を与えてもらったこと、本当に恵まれたことで、大切にするべき時間でした。
よく、大学での学びに対する「将来役に立つのか」という問いかけを見かけます。そして、私のやってきた勉強は、「役に立たない」と切り捨てられる方に分けられることが多い。
しかし、私は四年間を終えて思うのです。学部での「専門的な勉学」に対して、社会での有用性を求めることは間違っている、と。
私たちは、大学で、当然より専門的な知識も身につけます。しかし、本当に大学で学ぶことで重要なのは、知識ではないのではないでしょうか。
私たちは、より高度な学びを得るための、目的の設定の仕方や、調査の手段や、思考の方法を学んでいるのです。大学は、高度な学び、高度な思考の「基礎」を身につけさせてもらえる場所だろうと思います。そして、それは絶対に生きていくうえで必要なスキルでしょう。
というか、そもそも物事を「役に立つか」「立たないか」という物差しで測ること自体、なんていうか…ナンセンスですけどね。
無駄なことを楽しめたり、全然完璧になれなかったり、不合理に生きているから、人間は面白いのであって。まあ、そこらへんも文学に触れて実感したものかもしれません。
全然理解できない正義とか全然理解できない感情が確かに他者の内にはあること、逆に、自分が感じている違和感や自分の中にある不満が、他者の内にもあること、そんなことを文学は教えてくれます。ただでさえ複雑で、理解が難しい人間が、異なる時代、世界で紡いだものの中に、何か真理を見出そうとする、その作業が「楽しい」。それで十分人生の「役に立って」いるし、私たちを豊かにしてくれます。
つまり、この世に役に立たないものなんてない!ということです。誰かの視点で、誰かの思想で、「役に立たない」ことや「無駄に思えること」も回り回って何かしらの力になっていくものでしょう。
日本女子大学は、本当に平等に学びの機会が与えられる大学です。与えられたことをやっているだけで、ある程度のことが身についてしまいます。そして、どの先生方も、本当に丁寧に真摯に学びを与えてくださいます。
これから大学に入学される方も、今大学で学んでいる方も、大学で素敵な学びが得られるますように!
それでは、またどこかでお会いしましょう!
さようなら!