しらの2024年

大晦日の記事を任され、書いているのは1月15日。(本当にごめんなさい)
せっかく大晦日だ。2024年にやったこと、行ったところを振り返っていきたい。

1月
テストとレポートに追われる日々。
アレルギーのせいで食べられなかったパフェを人生で始めて食べる。
パフェの食べ方が分からず混乱するも、「みんな分かってないよ」と励まされ、安心する。
ブログ部顔合わせ。ブログ部同期のみんな、もっと仲良くなれたらいいな・・・。
授業最終日に近所に住んでいる大学のジャニオタ友達と集まってカラオケ大会。今年もやります😉
そのくらい。

2月
スマホを買い替える。ホームボタンがなくなり、困惑。
いまだにFace IDに慣れていない。日によって顔が違いすぎるのが原因。
高校の友達とスキーに行く。小学校ぶりのスキーだけど意外になんとかなった。
友達に教えまくるも、自身は怖くて上から滑らず。
夜、試しに一番上から滑ってみるも、スピード調節ができず全速力で降りてしまい、死を感じる。生き延びる。
そのあとは寒空の下、ただ感傷にひたる。満足するも、霜焼けで足がかゆくなる。
サークルの春合宿に行く。富士急ハイランドに行くも、雪のためほとんどのアトラクションが中止になる。
何気に楽しむ。絶叫は好きだし乗りたかったけど、富士急のはちょっと怖かったため。
なぜか先輩に混じってお化け屋敷に行く。怖がりの先輩たちと団子になって進み、遅すぎて後ろの人たちに大迷惑をかける。
先輩があげた悲鳴にビビって悲鳴をあげていたので、正直お化け屋敷自体のギミックは何も覚えていない。
ディズニーに行く。1日目はダッフィーフレンズのバウンドコーデ、2日目は高校時代の制服。
これについては過去のブログ(「閃光」)で少し触れた。楽しかったが、二日間ディズニーはガチで辛かった。
今年も同じメンバーでディズニーに行く。今年も止まるが、前乗りにするだけである。二日間ディズニーは、もうむり。

3月
サークルの先輩たちの卒業。泣く。これについても過去のブログ(「逃げ足」)で触れている。ちなみにこのブログは先輩に見つかった。勘弁してくれ、どこから見つけたんだ。
小学校ぶりに能を見に行く。能に関する授業をとって、あらかじめ知識を多少入れてから見に行くも、やはり難解だった。楽しかった。
お台場に行く。ティフォニウムという、VRの体験施設に遊びに行く。VRを使って暗い屋敷を探検する。
本当に怖かった!!エレベーターに乗ったり色々したはずなのに、実際はただ何もない部屋をぐるぐる回っていただけらしい。面白かったのでまたいきたい。

4月
親友とピューロランドに行く。そろそろまた行きたい。ピューロランドが足りていない。
たまたま高校の友達に会ったり、ピューロで人生初のガトーショコラを食べたりした。
コナン映画を見に行ったり、吉祥寺で謎解き街歩きをしたり。謎解きにはこの位からハマり始めた。
SCRAPの謎解きに間違いはない。謎解き街歩きにはこの後にもよく行っているので、多分また話題に出る。
あとはテレビ千鳥のイベントに行った!幕張メッセで大吾とノブを見られて、とても満足だった。
企画Vが流れているとき、同じタイミングで6000人が爆笑していて、いつも同じものを見て笑っているんだなあとなんだか感慨深かった。

5月
サークルで後輩ができた!少数だが仲良くなれた後輩と話していたら、先輩が「あれ?笑しら、軍団作ったの?」といじられた。調子がいい後輩ばかりだったので、「俺らずっとしらさんについて行きます!」とか言ってたが、今そいつらはほとんどサークルに顔を出していない。おい。
結果、私だけが「あれ?軍団は?笑」と先輩にいまだにいじられ続けている。
あとはサークルの友人と上野動物園に行った。楽しかった。
「私、動物園に行きたい!」と曇り無き眼で言い始めた友達のために、私が動物園を楽しむのにふさわしいメンツを集めた。その友達が「あのメンバーで水族館に行きたい!」と言ってからだいぶ経ってしまったので、そろそろ動き出そうと思う。

6月
岡崎体育のライブに行った。面白かったし、曲も良かったし、EDMでノリノリに踊り狂った。
クラブに行ったらこんな感じなのかなとかも思ったりしたが、いかんせん岡崎体育のライブなので平和だった。事前情報で、アンコールで出てくるのが異様に早いというレポがあったが、本当にはやかった。すぐ出てきて思わず笑ったが、体育ファン的には当たり前だったようで普通に受け入れられていた。それもおもしろかた。
あとずっと好きだった歌い手さんの活動休止前最後のワンマンライブに行った。これについても過去のブログ(「太陽のような人」)参照。あとはサークルの同期ライブ。楽しすぎた記憶しかない。ネタ飛ばしたけど、別のコンビで一位をとったのでモーマンタイ!全然ダメだけど!楽しかった。

7月
20歳になる。
何度かの失敗を経て、酒の飲み方を覚える。どうやら私は絡み酒らしい、楽しく酒を飲むと「みんな大好き😭」などと言い始める。20歳になってから半年、ようやっと覚えてきた気がする。あとは過去のブログ(「20歳と母とわたし」)参照。
あとは母とニューヨークの単独ライブに行った。母がニューヨークのファンなのと、普通にわたしも大好きなのでめちゃめちゃ楽しかった。お笑い芸人の単独ライブは、健康に良い。そのコンビの世界観を存分に浴びられる。あと、サークルの友人とピクニックに行った。公園でお団子を食べて、カラオケで歌いまくった。
あとは横浜の謎解き街歩きをしたり。よく知る横浜だが、普段あまりいかないところに行けたりもして楽しかった。長傘をなくした。今もまだ新しいのは買っていない。
ずっと大好きだったゴールデンボンバーのライブに行った!本当に本当に本当に楽しかったし、キリショーはかっこよかったし、バンドのライブとは思えないほど笑った。写真集発売のお知らせ、金爆が!?と思い、笑いどころだと思ってしまったけどファンの人たちは普通に喜んでいた。そりゃヴィジュアル系バンドだしな……そりゃそうか…と反省した。金爆、これからも大好きである。金爆、サイコー!!

8月
小田原謎解き街歩きに行ったり、謎解きフェスティバルに行ったり……。SCRAPには随分お世話になった夏だった。おかげですっかり謎解きにはまる。フェスでは、割と難し目の謎解きを滑り込みギリギリでクリアして達成感がすごかった。今回は1日だけの参加だったので、次はもう少し長くたくさんの謎を楽しみたいところ。
あとバイト先の友達と旅行に行った!みんなでボドゲをしたり、線香花火をしたり。夏を思う存分満喫した。
星空を見ながらアツい恋バナをしたりもした、夏すぎる。あとはM−1に出る予定だったが、相方の都合が悪くなって出られなくなった。来年は出たい!

9月
自動車学校に通い始めた。車に対しては苦手意識がだいぶあったので(「安全運転を目指して」)正直めちゃめちゃ嫌だった。しかし、8月に行った旅行でずっと友達に運転を任せきりにしてしまったことが申し訳なかったので今後のために取るか……と重〜〜〜い腰を上げたのである。先延ばし癖があるので、思いついたその日に自動車学校に電話した。行動力の化身である。おかげで、9月と10月は自動車学校の思い出しかない。
サークルの夏合宿に行った。後輩が可愛い。ちなみにまだ仲良くなりきれていないので、今年こそは頑張りたい。
親友と大阪旅行に行った!楽しすぎた。ユニバと観光を満喫した。友達は旅行慣れしていないので、大阪案内が楽しかった。親友も楽しんでくれたようで何より。なぜか、大阪のドンキでカラコンデビューを果たした。なぜ?
昆虫展に行ったり、イマーシブフォートを満喫したりした。イマーシブフォートは、体験型の施設でシャーロックホームズの世界に入り込んだり、ヘンゼルとグレーテルの世界に入り込んだりと、新感覚のアトラクションが多かった。お、面白かった〜〜!書いているうちにまた行きたくなってきた。これについてはまた行ったときに詳しく書きたいところ。
あとはサークルの先輩と友達と廃病院に肝試しに行ったりもした。肝試しにかこつけていちゃついているカップルと鉢合わせて、10人ちょいではしゃいでいた陰キャ集団たちは閉口した。気まずかった。

10月
自動車学校を卒業し、無事免許を取得!!だがそこからずっと運転練習をサボる。最近やっと練習を始めた。頑張りたい!車、乗り回したい!
サモエドカフェにも行った。(モフモフ部)目白祭とかもあったが、10月は自動車学校が忙しすぎてあまり覚えていない。自動車学校の記憶しかない。

11月
忙しすぎてほぼ休みがなかった半年の蓄積で、体と精神を壊す。この辺からのんびりスケジュールに切り替えるようになる。
サークルの文化祭!楽しかった記憶しかない。もう早く次の文化祭をやりたい!だが、その頃にはわたしの敬愛する4年の先輩たちがいないので、ずっと2024年の文化祭を繰り返したい。
SnowManのライブを見に、北海道まで行く(のんびり、さっぽろ)。
実質、母との北海道旅行。すれ違う人全員オタクだった。比喩ではなく、本当に。
推しは光り輝いていた。
親友とはじめてオケオールをする。楽しすぎてもはや記憶がない。
一切飲酒をしていないのに、泥酔レベルで暴れまくった。ずーっとSnowManを歌っていた。

12月
はじめて落語を見に行く。はじめての寄席は楽しかった。落語、漫才、手品(!?)など。
昼の部をまるまる見たので、お尻と腰が悲鳴をあげたが、楽しかったので大満足だった。
卒論のテーマを落語にしようかな、とちょっと浮気する。
成人式の前撮りをする。カメラマンさんの褒め方がプロすぎて面白かった。家族写真を欲しがらない両親を必死に説得する。家族写真なんて絶対にあったほうがいいんだから。
はじめてスカイツリーに行った。スカイツリーが出来た時から、いつか空いたら行こうと思っていたら、なんと12年経っていた。つい最近できたように思っていたのに、スカイツリーができた時私は8歳だったらしい。スカイツリーは高くて綺麗でさすが新しい施設だな……と思っていたけど、12年経っているからもう新しいなんて言えないのかもしれない。他には前から行きたかったミュシャ展に行ったり。江ノ島水族館では真珠取り出し体験をした。好きなアコヤガイを選んで、ピンセットで真珠を探り当てる。私が選んだアコヤガイに入っていた真珠はなんか光沢がなくてBB弾みたいだった。運が悪かったなァなんて思いながら、どのアクセサリーに加工するか悩んでいると飼育員のお姉さんに「多分もう1個真珠ありますよ!」と言われ、固まる。えっ、じゃあこれ、何?と思っていると、「それは真珠の核ですね」とサラッと言われた。核?真珠の核…?なんかわかんないけど、ラッキーらしい。無事ご立派な真珠が見つかり、素敵な指輪に加工してもらった。他にも、前回のブログ(あのころ)で書いたように、京都にニンテンドーミュージアムを見に行ったりもした。稲荷山神社を山頂まで登ったり。死ぬほどきつくて、その割に山頂で景色が見られるわけでも無かったのでもう二度と登らないことを決めた。あまりにきついものだから、一緒に登っていた他の海外観光客とアイコンタクトして励ましあっていた。あの時のおにいさん、ありがとう。

こうして振り返ってみると、この1年はあまりにも充実していて、長かったようにもあっという間だったようにも思える。

今年、私は3年生になる。早いものだ、いつのまにか大学生活も折り返し。

2025年も充実した1年にしていきたい。今年私と関わってくれた人達に最大限の感謝を。


あのころ

あのころ、小さな画面には私の全てがあった。
友達との連絡手段なんて無かったあのころ、連絡帳に「4じ、〇〇公園。もちもの!ゲーム、おかし!←ぜったい」なんて殴り書きのメモをして。キックボードをかっ飛ばして向かうと、もう通信を始めている友達がいた。

妖怪ウォッチ、どうぶつの森、トモコレ、ガルモ。
友達に借りて遊んだポケモン、リズム天国、マリオカート・・・。
あのころ、私の青春は3DSに全て詰まっていた。

学校でも飽きずにゲームの話をして、3DSLLを持ってる人なんてヒーローで。
攻略本を必死に読み込んで暗記して、我が物顔で語っていた。

20歳になった今でも色褪せない。そんな10年前の記憶たち。
3DSも、Wiiも、今のSwitchもたくさんやり込んだ人生。たった20年の人生だが、きっとバカに出来ないような時間を任天堂に注ぎ込んできた。
先日、京都へ旅行に行った。目的は2ヶ月前にオープンしたニンテンドーミュージアム。

入り口にあるのはマリオの土管!ユニバぶりの再開に胸が高鳴った。
本館に入ると出迎えてくれるのはキノピオたちの合唱に、壁一面に広がる任天堂キャラたち。
任天堂好きとしてはこれだけで胸がいっぱいである。

ニンテンドーミュージアムの中は一部写真撮影が禁止されていた。
正直、一番盛り上がったのがそこなので記憶にしかないことが惜しい。
けれど、写真に撮らないことで目に焼き付けようとじっくり見て周り、ひとつひとつの展示を見ながら思い出を語ることができたのも事実なので、任天堂好きはぜひ自分の目で確かめて欲しい。

展示の内容は、任天堂の歴史だった。任天堂が作ってきたハードの変遷と、それに伴ってうまれたソフトたち。
任天堂のものではない妖怪ウォッチなんかはないだろうと思っていたら、当時の思い出のソフトたちはほぼ全てあった。マイナーだと思っていた、私が人生で一番やりこんだRPGも展示されていて少し泣きそうになった。今まで生きてきた人生のすぐそばにあったゲームをショーケースの中で見かけると、ぐっと込み上げてくるものがある。

自分の知らない世代のゲームでも、色々な歴史が知れて面白い。
マリオってこんな時から覇権とってたんだな・・・みたいな。
テーマごとの展示なんかもあって本当に本当に面白かった。

本当にじーーっくり見て、一時間半はかかっただろうか。
私は行きそびれたがトイレにもBGMがかかっていたりと凝られていたらしい。行けばよかった!無念!


Wiiを処分したことを本当に後悔している。もう遊ばないだろうといつの間にか家からなくなっていた。
休日に父と飽きるまで遊んだWiiのゲームたち。家に友達を呼ぶことがなかったので、パーティーゲームの遊び相手はもっぱら父親だった。
Wii Sports resortとかね。大好きだった。
展示を見終わると、体験コーナーにうつる。巨大ゲーム機で遊んだり(!)することができる。

久しぶりにWiiリモコンに触って、バランスボードに乗った。
当時の色々な記憶が蘇ってきた。懐かしい、ただひたすらに。展示を見るのに時間をかけすぎて、体験コーナーは駆け足になってしまったけどそれでも大満足だった。

ニンテンドーミュージアムは、ゲームに思い入れがあるほど、
ゲームを遊び、ゲームと遊んでいた人ほど楽しめる場所であると思う。
とりあえず、家に帰ったら3DSの充電を待っている間にSwitchでもやろうかな。




のんびり、さっぽろ

北海道に行ってきた。
目的はアイドルのライブ。最高のライブだった。ありがとう、推し。
まだ始まったばかりのツアーについてあれこれ書くのは無粋だろう。
今回は1泊2日の北海道旅行(遠征)with母のことについて書いていきたい。

朝9時過ぎ。北海道到着。
前日は雪が降ったらしい。アスファルトに積もった雪は東京ではまだまだ見られないものである。
訪れるのは二度目の札幌。全体的に規模が大きい街並みに圧倒される。
ホテルのチェックインは14時。暇を持て余す親子ふたりである。

寒さに凍えながら、何をしようどこへ行こうかと話し合う。
お昼ご飯はラーメンを食べよう!ということですすきのに足を運ぶことにした。
食べたいラーメン屋がしまっていたので、朝でも空いているラーメン屋を探し、彷徨っていた。最終的には全然関東にもあるチェーン店の味噌ラーメン(一応北海道発祥)を食べた。隣の席に座っていた人が、どうやら夜の街すすきのの界隈の人らしく、少しオトナで興味深い話をしていたものだから母と二人、会話に聞き入ってしまった。念の為断っておくと、話していたおじさんの声がものすごく大きかったものだから、盗み聞きしたというよりは聞こえてしまった、と言った方が正しいと思う。そんな感じで思いもしないところですすきのを感じた。

ポケモンセンターに足を運んでみたり、あてもなくさまよってみたり、時計台の小ささにガッカリしたりしながらホテルのチェックイン時間を迎えた。

ライブ終わりには母と初めて晩酌をして、北海道の美味しいご飯に舌鼓をうった。
次の日、またもや朝からひたすら暇で、豚丼で腹を膨らませたあと、私たちはまた札幌のど真ん中でお方に暮れることになった。

もうここまできたら空港で時間を潰そう、ということで約五時間、空港を練り歩いてみることにした。
新千歳空港はさ須賀というべきか、かなり遊ぶ場所が充実している。「ハローキティハッピーフライト」でサンリオキャラクターと世界を旅してみたり、「ドラえもん わくわくスカイパーク」ではなんとドラえもんと実際に会うこともできた。合間にカフェでのんびりしたりしながら、案外空港の中で五時間はあっという間に過ぎていった。

北海道。観光目的で訪れたわけではなかったからこそ、のんびり羽を伸ばして遊ぶことができた。
多分もう、札幌とすすきのは地図なしで歩ける……ような気がする。


モフモフ部

私が所属するサークルでは、野球が好きな人で草野球をする「野球部」や、釣りが好きな人で釣りにいいく「釣り部」などがある。
私はこの前、動物をモフモフする「モフモフ部」の一員としてサモエドカフェに行ってきた。
かなり大きなサークルで人を集めた部活である。複数人でカフェを貸切にできるプランで思う存分モフモフを堪能してきた。

私自身、動物カフェに行くのはこれが2回目である。1回目は猫カフェに行ったので、わんこと触れ合うカフェに行くのは初めてだった。サモエド。とても可愛いわんこ。白くて、大きくて、モフモフで、何より笑顔が可愛い。あとかわいい。モフモフだし。動物動画が見たくなったら、とりあえず検索窓に「サモエド」と入れるくらいにはサモエドが好きである。

そして向かうサモエドカフェ。貸切……ワクワクが抑えられない。思う存分もふる!もふるぞ!と意気込んで中に入った。
響き渡る鳴き声。足元を駆け抜ける白い影。

サモエドが、元気すぎる。

え!?思っていたより元気!?いいことだけど!!
いいことだけど、触れない!?

撫でようとしても、簡単にすり抜けていくデカくて白いいぬ。さながらアタック西本の角刈り通り抜けのようである。手にふわっと触れるだけでタッタッタ……と走り去ってしまう。
モフモフとは、刹那的なものなのかもしれない。
うちのサークルはいわゆるコミュ障ばかりなので、そんな犬を見て無事犬見知りを発揮していた。
「これ、俺たち触れなくないか?」
「犬同士で遊んでる……。」
「多分、ヒトが邪魔なんだよ……。」
と次第に自らの種族を後悔するようになってしまった。我々がヒトなばっかりに……。

犬同士も、じゃれているだとか、遊んでいるとかというよりは、命を賭した狩りをしているかのような様相だった。スタッフさん曰く、本当に遊んでいるだけらしいのだが、それにしては血の気が多く、正直怖かった。やはり犬。野生の心を忘れていないのだろう。サモエドの血走った目と剥き出しの歯を見ながら、平和主義なヒトはそっと座り込んだ。サモエドの邪魔にならないところで。

そんな私たちの様子を見かねたスタッフさんが私に声をかけてくれた。「お姉さん、おんぶしてみます?」スタッフさんの足元には、おとなしくちょこんと座るサモエド。さっきまでの気迫はどこに行った?格の違いを感じた。

・・・!?おんぶ・・・!?

「いいんですか!?」考えるよりも先に声が出た。
もちろんですよーと笑いながら、スタッフさんはいとも容易く私の背にサモエドをおんぶさせた。
ずっしりとした重み、耳に感じる息遣い、あたたかな体温、そして、モフモフの毛並み……。

そこから先の記憶はない。
サモエドカフェ、最高でした。

最近の気付き

あれ、言葉が出てこない。
ブログを書いていて、そんなことが増えてきた。
昔はとめどなく、流れるように語彙が出てきて言葉を紡げていた。
ほぼ何も考えず、まるで友人に悩みを話している時のように滔々と感情を吐き出し、さらけ出すことが出来ていたのだ。
それは、私が負の感情に苛まれ、鬱々とした気分の中このブログを書いていたからである。

しかし、ここ最近は違う。
なぜかは知らないが、鬱屈とした日々からは少し離れた日常を送っている。
そう、元気になってしまったのだ。
嬉しい!ピース!と言いたいところだが、なかなか素直に喜べない。
私のこのマイナス思考と吐きそうになるくらいの憂鬱が私の創作意欲の源だったからである。
文章が、書けなくなってしまった。
ここ最近のブログは、正直あまり好きではない。自分の文章はだいぶ好きな方で、前は書いているさなかでも自分の文に酔いしれることさえあったのに、今は書きながら首を傾げることが増えた。
これはいけない。本当にいけない。
小学校の頃から書くことが好きだった自分の、アイデンティティの喪失である。


ここでふと気がついた。
私、最近本読んでないな……と。

最近、というのはかなり広い範囲である。
日本文学科にいながらも、本を読むのは自分が授業で取り扱っている資料だけ。
自分が好きな本を読む機会がめっきり減ってしまっていた。
この理由に心当たりがある。私には、時間が無い。
サークル、バイト、友人との食事……それらに追われていて、めっきり自分の時間というものが減ってしまった。
朝は自動車学校、昼はバイト先の友人と、夜から朝にかけてサークルのイベント、そしてそのまま授業に向かう……なんて日もあった。ノンストップである。
過去、私を憂鬱に陥れていたのもそんな忙しすぎる毎日だったのだが、今私を元気にしているのもまた、忙殺されるような日々であった。
その中で、自分の好きな本を読む、というのはなかなか難しいことだった。
本を読もう、自分のために。ある日、ふと思ったのである。

最近、ミステリを読んでみたいと思うことが増えた。なんとなく、どんでん返しという言葉に惹かれる。どんでん返し、味わいたいな……と乗換駅の本屋を眺めて思ってみては、乗り換えのために急いで駅のホームへ向かう、なんてことをしていた。移動中に読むことが出来ればいいのかもしれないが、電車の中で本を読むと酔ってしまうことが多くて、あまり長続きしなかった。
そして私は、電子書籍に手を出してみた。
色々比較してみた結果、導入したのはhontoというサービスである。大日本印刷が手がけているなら安心だし、クーポンやアプリのUIなども魅力的だ。


さっそく、いくつか気になっていた本を買ってみた。
まず、かまど・みくのしんの「本を読んだことがない32歳がはじめて本を読む」。
今電車広告などでよく見かける本だ。この本は、私がずっと好きで読んでいるウェブ記事シリーズを書籍化し、新たな文章を加えたものである。ずっと読みたかったから、かなり嬉しい。この本に関してはもっと沢山語りたいので、また後日ブログに残したい。

また、岩波明の「文豪はみんな、うつ」。これは、良い文章とうつ病は隣り合わせだという持論があったため、タイトルに惹かれて購入を決めた。まだ積読。

そして、恩田陸の「月の裏側」。恩田陸の名前はずっと知っていたが、作品を手に取ったことはまだ無かった。読了済。恩田陸の文章はとても好みだった。心理描写が巧みで、特に日常を描いた会話がリアルで真に迫っている。あまりにも文章が好みだったもので、せっかくの電子書籍だからと好きな文章にマーカーをひいてみたりもした。紙の書籍だとなんとなくはばかられて出来なかったことである。読み終わったあと、どうしてもこの感動を残したくて久しぶりに読書ノートを作ってみたりもした。昔作ったこともあったが、長続きした試しがないので今回こそは続けてみたい。

肝心のミステリも最近になってようやっと購入に踏み切った。児童文学の類を除いては初のミステリになると思う。いや、ホームズシリーズを読んだこともあったか、いや、途中で諦めたんだっけか……。とにかく、ほぼ未知の領域である。選んだのは、綾辻行人の「十角館の殺人」。ミステリの名作と名高いこの作品からミステリを読み始めてみたい。今まさに読んでいる途中であるが、やはり面白い。どんな展開が待っているかなかなか読めない、これは私がミステリ慣れしていないのもあるかもしれないが。

他にも東野圭吾や、気になっていたエッセイなどもポイントや図書カードを使って購入してみた。電車の中や、スキマ時間にささっと読めるのはやはり便利である。
電子書籍で物足りなさを感じるのは、紙の感触と読み進めている時に感じる本の厚み、重みくらいか。やはりそこはどうしても紙書籍が愛おしく感じる。
まだ家には大量に紙の積読がある。これも読んでいかなきゃ……、と、久しぶりに読書に前向きになっているここ最近である。

ここまで書いて、ふと思った。
書きやすさが違う。鬱々としていないのに、文章がスラスラと出てくる感覚は久しぶりだ。
良い文章に必要なのはマイナス思考ではなく、良い文章を読むこと、なのかもしれない。

架空の行方不明

8月初旬。行方不明展という企画展に足を運んだ。
「行方不明」に関する展覧会。好きなホラー作家が企画したということもあって、その企画の不気味さに惹かれてチケットを購入した。

ちなみに私はホラーが苦手である。ホラー映画やお化け屋敷などは特に苦手。
大きい音や映像はもちろん、雰囲気にあてられて恐怖心を掻き立てられてしまう。
だが怖いものは好きだ。小説やWeb記事などは好んで読んだりもする。
この企画展はどうやらホラー要素はないらしい。だがいかんせん怖い。怖いものは怖い。
テレビ東京で放送されていた事前番組を見てよりその恐怖心は大きくなった。

行こう、そう意思を固めた瞬間にホラー大好き、オカルト大好きの友人に連絡を入れた。
怖い時はその子に手を繋いでもらおうと思って。実際ほとんどずっと手を繋いでもらっていた。

この企画展は、架空の「行方不明」をテーマにしている。
架空の「行方不明」、というのは文字通り、フィクションであり実際には存在しない人々、あるいはモノの行方不明を扱っているということである。
例えば実際には存在しない行方不明者を探しているビラ、行方不明になった人の家に遺されていたもの……などである。

入り口には「探しています」と書かれた紙が壁一面に貼られていた。

この人たちは存在しないとわかっているのに、探している人たちの悲痛な思いを想像して胸が締め付けられるような思いになる。フィクションだとわかっていても。

「行方不明展」は4つのコーナーに分かれている。
「身元不明」〈「ひと」の行方不明〉
「所在不明」〈「場所」の行方不明〉
「出所不明」〈「もの」の行方不明〉
「真偽不明」〈「記憶」の行方不明〉

足を進めていくたびに、「行方不明」の言葉が持つ意味合いが徐々に変化していく。
「行方不明」になりたがる者や、身近な人が「行方不明」になったことによる不思議な現象……。

オカルト的な側面や、SFチックな設定も見えてきて、奥にいけばいくほど、最初に抱いたのとは違った「行方不明」の真実が見えてくる。「行方不明展」をでたあとは考察がそれはそれは捗った。
もう展示は終わってしまったが、この「行方不明展」はどうやら書籍化するらしい。
ぜひ、この不思議で不気味な世界観を味わってみてほしい。

安全運転を目指して

自動車学校に、入学した。
正直、本当に運転したくない!なぜなら、絶対に、絶対に人を轢くからである!!

人間の状態で角を曲がる時でさえ角にぶつかるのに、車に乗ってぶつからないわけがない。
「最初は怖いかもだけど慣れるよ〜〜☺️」なんて言われるが、
20年経っても人体の操作に慣れていないのだからよくわからないバカデカ機械を操作できるわけがないのである。
私にとって、車なんてものはガンダムでありエヴァである。
碇ゲンドウが「シンジ、エヴァに乗れ」というように、うちの母が「しらちゃん、車に乗りなさい」というのだから、居もしないミサトさんに泣きつきながら、存在しない綾波レイを心に宿して自動車学校を契約したのである。エヴァンゲリオン、見たことないけど。こんなアニメだっけ?

この前初めて車の操作を教わるための模型のような機械に乗った。
変なレバー操作、ハンドル操作、ペダル操作…………。

多い多い多い多い多い多い多い!!!!!!!!!
やることが!!!多い!!!!!

発進するまでにやること、そんなにあるの?
アクセル踏むだけじゃないの?

なんならアクセルとブレーキも踏み間違えそうなくらいだ。
もう免許を返納したい気持ちである。まだ免許を持っていないのに。

今日くらいは「車の運転ができない!」って話をさせてもらえませんか? | オモコロ

高校生の時、この記事を見て深く共感した。そのレベルである。
この記事は本当にいい。今の私の気持ちを代弁している。
運転したくない。人を殺めたくないという感情はそんなに間違ったものだろうか?
運転したくない!!!

でも、もう30万親に払わせてしまったからには、親の期待を背負って私は乗り込むしかないのだ。

エヴァンゲリオンに。

人生かもしれない

横浜駅をぶらぶらと歩いていたら、「ヨシタケシンスケ展」のポスターが目に入った。
「りんごかもしれない」「りゆうがあります」などの作品がとても好きで、そもそも絵本というコンテンツが大好きなわたしは引き寄せられるようにそのチラシを手に取った。

「ヨシタケシンスケ展かもしれない」
原画とか飾ってあるのかな、ふうん、見に行ってみようかな。
そんな軽い気持ちだった。元々展覧会に行くのは好きだったから。
絵本も好きだ。小さいころから、ずっと。最近のお気に入りの場所は絵本の家。目白から大学へ行くまでの道のりにある、青い入り口が目印の絵本屋さんだ。国内外問わずさまざまな絵本が置いてあり、絵本のグッズなんかも置いてある。そこを眺めながら、「あ、ヨシタケシンスケさんの絵本だ。」と海外版の『りんごかもしれない』を、英語なんてわからないのに眺めて見たりもした。
絵本が好きだ。心が踊る、声に出して読んでみたくなる。

ヨシタケシンスケさんは、その中でも特段好きな作者だった。
くすりと笑えるユーモアに遊び心、その中に見える深いメッセージ性と人生観。
隅々まで読みたくなるような絵本ばかりだ。絵柄も可愛らしくて唯一無二。
原画などの展示が見られるなら、グッズとかも欲しいし。
とても楽しみにしていて、同じく絵本が好きな母とともに足を運んだ。

チケットを購入する前から、入口の至る所にスタンディパネルが飾られていた。
違う方を指さして「会場はこっちかもしれない」だとか、「あなたをずっと待っていたのかもしれない」だとか。ヨシタケシンスケ節の遊び心が散りばめられている。


入場して、一番初めに目に飛び込んできたのは、ダンボールで作られた展示場だった。


「ほんとうの会場はこっちかもしれない」と「いりぐち」と書かれた小さな扉に矢印が伸ばされている。
可愛らしく、ヨシタケシンスケらしい「入り口」に胸が高鳴る。

そのまま奥へと足を進めると、たくさんの「カブリモノ」と目があった。
「カブリモノシリーズ」の展示。ヨシタケシンスケの昔の制作物らしい。
カブリモノを制作し、その機能とアイデアスケッチを展示していた。
わたしは、この展示が一番好きだった。一気に心を奪われたのだ。
カブリモノの中にケチャップとマヨネーズを入れて、オーロラソースでいっぱいにすることで死にいたる自殺装置に、頭の自動販売機。ブラックユーモアと、詩的な一言がとても刺さって、釘付けになった。

特に印象に残ったのは「HOOK ME」という「カブリモノ」。
カブリモノについたフックが体全体を持ち上げている。
作品説明はたった一文。


「ぼくが今まで宙に浮くことができなかったのは、何もひっかかるものがなかったからなんだ。」

カブリモノシリーズを堪能した後広がるのは、普段からヨシタケシンスケが記録しているアイデアスケッチの数々だった。
壁一面に、ヨシタケさんの世界観が広がる。

普段の生活でどのようなことを考えているのか、手に取るようにわかるメモの数々。
ヨシタケシンスケの作品は、こういうところが出発点になっているのだと感じられるような展示だった。この展示を見るのには、時間がいくらあっても足りない。
目についたものを眺めるだけでもたくさん共感できるポイントがあって、時間が許すなら目の届く限り全てを見たいと思うほどだった。

一言とともに、小さな絵が添えてある。
感性が羨ましくなった。羨ましい、と思うと同時に、この色々考えてしまう思考をどこにも書かず、発散せずにとどめたままだと苦しいだろうなとも思う。
書き、描くという行為がこれほどの感性を育てているのだろうか。

その奥にはさまざまな展示があった。
子供向けのミニゲームや、学生時代の制作物。
そして、作品群のアイデアスケッチだ。

どのような過程を踏んでヨシタケシンスケの絵本が作り上げられていったのか、本人直筆の付箋で注釈がつけられながら追うことができる。
本当に面白かった。作家の頭の中をのぞいているようで、大人たちは食い入るように見入っていた。

この展示会は、大人が訪れるとさまざまなものを感じ取れるようなものになっていると思う。
人生のこととか、いろいろ。たくさん考えることがあったし、たくさん学ぶことがあった。
私がヨシタケシンスケの絵本が好きなのは、こういうところなんだろうなと思った。

展示会は好きだ。時には人生観さえ変わることがある。
ぜひ、「ヨシタケシンスケ展かもしれない」に足を運んでみてほしい。

20歳と母とわたし

どうやら、生まれてから20年が経ったらしい。
私はなにか成長したのだろうか?

図体ばかりでかくなって、精神は依然として赤子のままだ。今日もぬいぐるみを抱いて眠る。

20年、色々なことがあった。
嫌なことも、悲しいことも、辛いことも、
楽しいことも、幸せなことも、嬉しいことも。
たくさん、本当に色々なことがあった。
人生のサビはもうそろそろ終わる。そんな気がする。
エピローグがはじまって、第二章がはじまるのだろう。第二章の主人公はおそらく私では無いはずだ。おそらく、きっと、上手くいけば。

誕生日、母にプレゼントを貰った。
ノートに私の幼少期の写真がたくさん貼られたアルバムだった。
母と共にわらう幼き日の私がそこにいた。
愛されていた記憶。愛されている自覚。
もう子供には戻れないことを実感するとともに、私はこれからも一生このひとの子供なのだと思った。幸せだった。今も、幸せ。
私の名前の候補に、「奏」というのがあったそうだ。由来はスキマスイッチの奏。
その話を聞いてから、奏を聞くと母に重ねるようになった。
そのアルバムにも、奏の歌詞が書いてあった。書いてあったというか、貼られていた。コピーで。ちょっと笑った。

けど、その歌詞があまりにも重く、深く、刺さってきたものだから親の前でしゃくり上げて泣いてしまった。私は子供の頃から泣き方が変わらないらしい。とても泣き虫なのに、泣くのが下手なのだ。
ページをめくる。少しずつ私が大きくなっていく。小学生の私は、今よりずいぶん幼いはずなのにとても大きく見えた。母からのメッセージにも、たくさん泣いた。
次のページも、ママからのメッセージです。
と書いてあったので、ああ、私はきっと、絶対に泣いてしまう。そう思いながらページをめくった。

SnowManの曲の歌詞が、貼ってあった。

崩れ落ちて笑った。
おい、母よ。嘘だろ?
今の母娘の共通の趣味は、SnowManである。
それも母のハマりっぷりがもうとんでもなく、元々感性が若い母だが、その中でもきっと今が一番とびきり若い。もう、それはそれは、とんでもなくハマっているのだ。
いやいやいや、それにしてもだろう、母さんや。
娘の、20歳の、誕生日の、アルバムの!最後のページである!!
SnowManて!!!しかもラブソングて……。
いい曲でしょう?と言われた。いやいい曲だけれども。しかも、特に伝えたいところだったらしいところには赤いマーカーが引いてあった。あっ、ここが伝えたかったんだ……と思い、じわじわ来てしまう。

その曲はオレンジKISSという曲で、そして私の推しのイメージカラーはオレンジである。
「ほら、康二くん(私の推し)カラーだから、オレンジKISS!♡」と母。
本当にかわいい母である。

そういえば、中学受験の時に合格はちまきに寄せ書きを書いてほしいと母に頼んだことがあった。
その時母がハマっていたハイキュー!の名言を書かれた。
確かあの時は「ママの言葉で書いて!」と怒った気がする。
私も20年変わっていないが、母もおそらく20年変わっていない。ずっとずっと、とても可愛らしくて、面白くて、天然で、そして私をなにより愛してくれている母である。

太陽のような人

太陽のような人が好きだ。
誰かのために太陽になってくれる人が好きだ。
そして私も、そのような人でありたいと、思っている。

小学生の頃、親のiPadでニコニコ動画を見ていたら、親にバレた。
当時親は「ニコニコ動画はニートが見るもの!」みたいな偏見があったようで、「ああいう人たちみたいになっちゃうよ!」と言うようなことを言われた覚えがある。
実際間違っていないし、ニコニコ動画は教育に悪い。絶対に。
実際、こんな人になってしまった。ニコニコ動画を見ていたから。

中学生になり、自分のスマートフォンを買ってもらい、私はとある文化にどハマりした。
「歌い手」
今一番有名な歌い手は誰だろう。Adoかな。
ボカロ曲やJPOPをカバーして、動画サイトに「歌ってみた」動画を上げる人たち。
元々ボカロ曲が好きだったのもあり、のめり込んだ。

歌い手文化は、間違いなく私の青春である。

当時はなかなか痛々しいオタクだったが、クラスのカーストトップにいた子達もオタクっぽかったし、
何より通っていた女子校はみんな仲が良かったので、それはそれは元気に黒歴史を量産した。
しかし、お互いがお互いの黒歴史を握り合っているのでそれは特段恥ずかしくはない。
女子校だったので、学年が上がるたびに謎の自浄作用のようなものが働いて、
私のようなオタクも少しずつ垢抜け、オタクな部分はそのままに痛々しい部分を隠すことができるようになった。

そして、コロナ禍が始まると同時に私は「歌い手」文化にあまり触れなくなる。
ボカロ曲は好きだった。歌ってみただって。
しかし、別の推しができてしまったのだから仕方ない。
正直、後半の方はライブに行く以外はあまり推しへの熱量も低くなっていた。

そうなっても変わらず聞いていた歌い手が1人だけいた。
その人だけは変わらず聞き続け、歌ってみたも、オリジナル曲も、投稿されるたびに必ず聞いていた。
彼の太陽のような歌声が好きだった。
その人の書く歌詞と、その人の作る曲が大好きだった。

その人のことはもちろん大学に入ってからも追いかけ続けていて、
推しとまではいかなくとも好きなアーティストとして名前をあげたくなるくらいには好きだった。

先日、その人の活動休止が発表された。
太陽のような人だった。その人は、私たちのために、誰かのために太陽な人であり続けていた。
そんな日々に、疲れてしまったらしい。

私もそうだ。人といるときは常に気を張る。
常に私でいようと、元気に振る舞う。
演じているわけではないし、どちらも私だ。
でもたまに、自分の置き場所がわからなくなる時がある。
眠れない夜、呼吸する姿勢を忘れるように。
そんな日々に疲れる気持ちが、よくわかる。
想像でしかないけれど。

今までその人のライブに行かなかったことを激しく後悔した。
もっと、その人の歌を聴いておけば良かった。
発表された活動休止前のラストライブ。
衝動だけで、二日間の通し券を一枚分予約した。
初めてのライブソロ参戦が決まった。

そして迎えた1日目。1日目はその人の友人を詠んだフェス形式、2日目はワンマンライブという構成だった。
1日目。中学時代の私の推しもいた。久しぶりに聞いた歌声だった。
元推しの歌声は変わらず、性格だって変わらなかった。
ああ、こんな人だった、そう思った。
推しでなくても、中学時代に私が青春を捧げた人たちが次々と出てくる。
数年前と違う客層に驚きながら、青春を懐かしんで、1人で泣きながらペンライトを振った。
ボカロ曲も、彼らのオリジナル曲も、すべて大好きだった。

ボカロ曲も、歌ってみたも、サブカルチャーだ。
あまり大声で人には言えない趣味だったように思う。特に大人には。
でも、その会場は愛で満ちていた。当時中学生だった、私たちみたいなファンたちが大人になったのだと思う。

2日目のワンマンライブも、本当に素晴らしかった。
眩しくて、目が焼けそうだった。
太陽のような人だ。この人は、太陽でいてくれたんだ。
そう思うと、彼の言葉一つ一つが涙を誘う。
ライブの締めくくり、彼は「あなたたちひとりひとりが僕にとっての太陽です。」といった。
ファンにとっての太陽もまた、きっと彼だったのだろう。

好きな人のライブにもっと行こう。
推しは推せる時に推せ、なんていうけれど、推しじゃなくても好きになれる間にちゃんと好きでありたい。