私の魔法

小さい頃の私は、本気で自分が魔女になれると思っていた。

自分だけの魔法の杖。自分だけの魔法。ホウキ。魔法陣、呪文。ありとあらゆる妄想をはりめぐらせ、いつ自分が魔女になっても大丈夫なように、ありとあらゆるシミュレーションをしていた。

もちろん、20歳になったいま、魔法なんてものは使えない。小さな私の、そんなイマジネーションの源は児童文庫だった。青い鳥文庫に角川つばさ文庫、ポプラポケット文庫……。たくさんの夢と魔法が詰まっていた。

久しぶりに、家の本棚の整理をした。この前自分の部屋を片付けた時に溢れた本を、どうにかどこかに入れ込みたくて目をつけたのが、小学生のころに擦り切れるほど読んだ児童文庫の本棚である。この本棚は、何度母に断捨離しろと言われても守り続けてきた本棚だった。

しかし、児童文庫は大抵シリーズ物だ。本棚をまるまるひとつ、ギュウギュウに占めているくらいには場所をとってしまう。……もうそろそろ卒業の時かもしれない。一冊一冊、思い出を振り返りながら箱に詰めて行く。

結果、3つだけどうしても思い入れのあるシリーズを残すことにした。


箱に詰めた本の数は、数えるのも億劫になりそうなほどの量である。入れた箱を、持ち上げることはおろか、動かすことさえ難しい程の重さである。

これは当時____小学生だった私の思いの重さでもあるかもしれない。

色々なものに憧れた。魔法、怪盗、探偵。

ワクワクするような夢物語が児童文庫にはたくさん詰まっている。

そんな児童文庫が私に与えてくれた魔法は、私の中で今でも息づいている、そんな気がする。

考える葦

人間は考える葦である。
では、人から思考が失われたら何が残るのだろうか。

最近、AIの普及が凄まじい。
数年前まではイラストAIが手掴みでラーメンを食べる少女を描いたりするのを笑って見ていたのに、いつのまにかイラストレーターとAI絵の区別すらつかなくなってしまった。
一体いつからこのAIブームは爆発したのだろうか。数年前からちょこちょこAIが持て囃される場面はあったが、ここまでではなかった気がする。
いつの間にかchatGPTは人間の相棒!みたいな顔をしていた。

この学科にいると、口酸っぱく「AIをレポートに使うな」と言われる。
正直、その話を鼻で笑っていた。
いやいや、レポートをAIに書かせるって笑
そんなことするより自分で書いた方が早いでしょうに笑……なんて感じで。
とある先生はこう言っていた。
リアペやレポートを見ていると、その人の文章のくせが嫌でもわかる。AIはそれが無い。
ほかの先生はこうも言っていた。
AIの情報はだいたい間違っている。間違っていることでもそれらしく書けるのがAIの特技。
その通りだと思う。人が書く文章にはその人らしさがあらわれる。それはもう顕著に。
このブログ部なんてもろにそうだと思う。石井先生がその人の文章が読みたいと思ったら声をかける。
文章には作者の人となりがよく出るものだ。
だから文学の研究の多くは作者ごとに語られるのだと思う。

chatGPTに、私の推しについて聞いてみる。
ぜーんぜん違うことを、ドヤ顔で語るchatGPT。
私は鼻で笑う。そりゃそうよ、と。
AIは集合知である。AIが取り込む情報には、正しい情報も間違った情報もある。
正直自浄作用のあるWikipediaの方がよっぽど信用に足る。
なのに、他の大学に通う大学生の友人だったりは平気な顔をして「chatGPTでレポートを書いた」なんて言う。
1年生の頃は、その発言をする人を心の底から軽蔑していた。でも、ここ2年でAIに頼って文章を書く人が圧倒的に増えた。全員を軽蔑していたら友達がいなくなってしまうほどに。
「ググッたらこうだった!」が、「chatGPTに聞いたらこうだった!」にあっという間に置き換わってしまった。
chatGPTが言ってた、を情報のソースとして提示する人もよく見かけるようになった。
140文字の呟きに、「@grok 要約して」「@grok ファクトチェック」なんてリプライがついてるのをよく見かけるようになった。

今、私たちは時代の転換点にいる。
その転換点はきっと、悪い方に向かっている。
人間は考える葦である。
思考をやめた人間は、思考を他に委ねた人間は、一体なんなのだろう。
ただの肉人形に置き換わるか、これからも考える葦であり続けるか。
これについて、chatGPTの答えを聞いてこのブログを締めようと思う。

AIがしているのは、果たして思考なのだろうか。AIは形すら残らない。

袖があるので振ってみる

だいぶ間が開いてしまったが、私しらは先日成人した。
まぁ厳密にいうと、成人したのは18歳の頃だが、言葉の綾というもの。20歳の方の。振袖を着る方の。
私の出身は横浜市なので、成人式は横浜アリーナで行われた。
新成人の朝は早い。3時に起きて、車で着付け屋さんに向かって、5時半には着付けが終わった。
朝は早い、というか、ほぼ寝ていない。寝たらメイク崩れるし、背もたれに寄っかかったら帯は潰れてしまうし、髪も崩れる。そもそも、苦しすぎておちおち寝てもいられない。
せっかく読もうと持って行った本も目がしょぼしょぼしてほぼ読めずじまいだった。
こそこそ学園アイドルマスターをぽちぽちやって、ツイッターを眺めて、時間が過ぎるのを待つ。周りがみんな晴れ着なのは綺麗だったが、眠い目には刺激が強くて、情報量で脳がやられた。
いつもと変わらないツイッターの暗い画面と内容が一番の心の拠り所だったのを覚えている。
自分の晴れ姿なんて、自分で見えない分には何も面白くない。苦しいだけである。

そんなこんなで時間を潰していると、中高時代の友人と合流することができた。
途端に待合室が華やかに見える。知らない人の晴れ着は別に感慨深くも何もないが、中高6年間を共に過ごした友人の晴れ着姿は流石にグッとくる。
大人になったねぇ、綺麗だねぇと話して、話題は互いの近況報告になり、たわいもないオタクトークになる。
私がおしゃべりなら、私と仲良い友人は皆おしゃべりなのである。類は友を呼ぶ。

成人式は別に感動もなくしれっと終わり、成人した実感とかも特に湧かないまま我々は横浜アリーナから放たれた。アイドルのコンサート帰りに歩く方が感慨深い道である。
小学校時代の友人を探してフラフラと歩く。
先述したように、私は中学受験組なので小学校の頃の友達なんて一握りしかいない。
同じ習い事だった友達と、その子と同じ中高だった子。あと、幼馴染がもう一人。これだけ。
受験期からみんなとは会わなくなってしまったので、それはそれは感慨深かった。
「みんな大人になったねぇ、昔はこーんなだったのに」とみんなの母親ヅラをしてしまう始末である。
でも仕方ない、本当に昔は“こーんな”だったのに、みんなが大人になっていたのが悪い。
小学校の他の同窓生の行方が気になったので、集まった人の中で唯一地元の中学に進学した幼馴染に同窓会の有無について聞いてみると「無いか、私が呼ばれてないか、かな!」と明るく言っていた。もう我々に残された同窓会の可能性は無くなった。

その後は中高で同窓会があったので、振袖で向かった。ヘロヘロである。早く帰りたかったが、みんなの顔を見たら疲れも早々に吹っ飛んだ。
2年しか離れていないので、みんなの変化は髪色とメイクくらいだ。中身も全く変わっていない。
ただ髪色とメイクだけでもみんな相当変わって見える。晴れ着効果だろうか、みんながちゃんと大人になったからなのだろうか。
私が通っていた中高では、次は28歳の時に同窓会がある。28歳の時は流石に人が変わっているだろう。
いつの間にかこの大学生活も折り返しである。
ついこの前この大学に入り、ついこの前ブログ部に加入し、ついこの前2年生になったというのに。
私にとって、自分の母校である小学校は思い出いっぱいの幸せな場所だった。同じく母校である中高は、いまだに自分の居場所であり、そこでできた思い出は言葉通りかけがえのないものであり、そこでできた友人も同じく何にもかえがたい友人である。2年後には、私はこの大学をも母校と呼ぶようになってしまう。
すでにこの大学で過ごした2年間は何よりも尊い大学生活である。3年生にもなると、大学に行く時間も少なくなってしまう(なんだかんだ毎日いるが)。1つ1つの経験を噛み締めて歩んでいきたい。

20歳を迎えて、区切りと呼べる今、強くそう思う。

「どんでん返し」の罠

ミステリ小説にハマっている。特に「どんでん返し」系の。
ここで具体的な作品名を挙げることは避けたい。なぜなら、その小説が「どんでん返し」であることを明記するのは作品のネタバレ・・・そんなことは読書好きの間では当たり前のことだからである。

確かに、「予想を裏切られた!」なんて体験は、予想だにしないところから飛んでくる方がパンチがあって、経験としての価値が高いような気がする。
“裏切り“は、予想なんてできないからこその“裏切り”だ。

ただ、1つ困ったことがある。そんな気持ちの良い「どんでん返し」を食らってしまうと、次が欲しくなってしまうのだ。
次なる“裏切り“を、より良い「どんでん返し」を。
そうなると、私のようなせっかちで単純な人間は「どんでん返し 小説」で検索をかけてしまう。
だって許してほしい!私が味わいたいのはただのミステリではなく、あのどんでん返しの快感なのだから!

そんな探し方をして、「とある1行でこの物語はひっくりかえる」……なんて帯を見てしまったら、その本の楽しみ方が減ってしまうという人もまあ多くいることだろう。
だが安心してほしい。名作のどんでん返し作品はどこでどんなどんでん返しが来るのかなんて予想できない。
わかっていても、予想だにしないタイミングで予想だにしないとこから飛んで来るからパンチは攻撃たりえるのである。
小説を読んでいる間、「思ったより普通の小説だな・・・」とか、「ま、この辺が伏線なんだろうな」とか、そんなことを考えていたら作者の思う壺だ。そして、「とある1行でこの物語はひっくりかえる」系の帯を書いたコピーライターの思う壺でもあるだろう。
そもそも、そんなことが書かれた帯がある時点でその物語に「どんでん返し」があることがわかってもその本は面白いのである。もっとホンシツを見ようよ、なるほどくん。

あと、普通にミステリ小説を読んでいるとたまに一切ネタバレなく「どんでん返し」を食らうことができたりする。こんなラッキーどんでんがあったりもするから、「どんでん返しの表記はネタバレだ!」派の皆様も快感を味わいたい時は気軽に調べて摂取していいと思う。
皆様も、よきどんでん返しライフを。

桃の缶詰のシロップ漬け

さくらももこは、私の心の師である。
さくらももこのエッセイに出会ったのは私が小学生のときだった。児童小説ばかりを読んでいた私は、そこで初めて「エッセイ」というものに触れたのだ。
ユーモアいっぱいで、まるでさくらももこ本人が話しているのをそのまま書き起こしたかのように自由な文章。文章って、こんなふうに書いていいんだ!そんな衝撃を受けたのを、今でも覚えている。
小学6年生のとき、エッセイを書こうという授業があった。この前家の片付けをしていたらなんと発掘できたので、そのまま載せてみようと思う。なんせ小学生の文章なので、だいぶ拙いものだがどうか微笑ましいなと思ってみてほしい。

「花粉症。」
涙があふれてとまらない。別に悲しくも、痛くもないのに。
これは全て、花粉症のせいだ。
一番つらいのは、花粉症がつらくてたまらない時にかぎってチューリップ画があることだ。外に出るのがつらいのに加えて、チューリップの花粉が目にしみる。涙目になったらすぐに誰かが「泣いてる!?」というのも、照れくさいし、なんだかはずかしい。泣きたくなる。もうすでに涙目だが。
そんな時がくると、「もう春か。」となる。春には、いいこともいっぱいある。先程あげた、チューリップもだ。でも悲しいかな、花系の春を感じることは私にはできない。
鼻がムズムズし、目がかゆくなり、のどがくすぐったくなると、春の合図。「春が来てしまった・・・」と感じるのは、そんな時である。

あれ、小学生にしてはなかなかいい文章なのでは?
書き起こしながらそんなことを考えてみる。ちなみにこの文章を書くことになった課題はこれ。


こう見ると割と課題を無視している気がする。まあいいか、いい文章だし。
この文章を提出したところ、友人たちからは大絶賛され、感想をいっぱい書き込まれた。
鼻高々になる私。
そしてこの授業の後、優秀作品として先生にクラス全員の前で朗読された。
人並みの羞恥心と余分な自意識を育てた今の私なら顔面が発火する勢いで赤面し、内臓を口から飛び出させて恥ずかしさに悶え、死に絶えていただろうけど当時の私は調子乗りのナルシストだったためにドヤ顔で担任の先生の朗読を聞いていた。

どう?あたしの文章、みんなと違うでしょ?そりゃそうよ、あたしは将来小説家になるんだから!
みたいな具合で。そしてこの褒められた経験から、「あたし、小説家じゃなくてエッセイストになろっかな〜」とか言い始めた。
母には、「エッセイストになるには色々な経験をしなくちゃ。ほら、さくらももこだって漫画家の経験があるからあんなに面白いんでしょ?」と諭され、「やっぱ小説家かァ〜」と思ったりもした。

そして今私は、さくらももこ展の感想を話そうとしたまま自分の話で字数を埋めてしまっている。

しらの2024年

大晦日の記事を任され、書いているのは1月15日。(本当にごめんなさい)
せっかく大晦日だ。2024年にやったこと、行ったところを振り返っていきたい。

1月
テストとレポートに追われる日々。
アレルギーのせいで食べられなかったパフェを人生で始めて食べる。
パフェの食べ方が分からず混乱するも、「みんな分かってないよ」と励まされ、安心する。
ブログ部顔合わせ。ブログ部同期のみんな、もっと仲良くなれたらいいな・・・。
授業最終日に近所に住んでいる大学のジャニオタ友達と集まってカラオケ大会。今年もやります😉
そのくらい。

2月
スマホを買い替える。ホームボタンがなくなり、困惑。
いまだにFace IDに慣れていない。日によって顔が違いすぎるのが原因。
高校の友達とスキーに行く。小学校ぶりのスキーだけど意外になんとかなった。
友達に教えまくるも、自身は怖くて上から滑らず。
夜、試しに一番上から滑ってみるも、スピード調節ができず全速力で降りてしまい、死を感じる。生き延びる。
そのあとは寒空の下、ただ感傷にひたる。満足するも、霜焼けで足がかゆくなる。
サークルの春合宿に行く。富士急ハイランドに行くも、雪のためほとんどのアトラクションが中止になる。
何気に楽しむ。絶叫は好きだし乗りたかったけど、富士急のはちょっと怖かったため。
なぜか先輩に混じってお化け屋敷に行く。怖がりの先輩たちと団子になって進み、遅すぎて後ろの人たちに大迷惑をかける。
先輩があげた悲鳴にビビって悲鳴をあげていたので、正直お化け屋敷自体のギミックは何も覚えていない。
ディズニーに行く。1日目はダッフィーフレンズのバウンドコーデ、2日目は高校時代の制服。
これについては過去のブログ(「閃光」)で少し触れた。楽しかったが、二日間ディズニーはガチで辛かった。
今年も同じメンバーでディズニーに行く。今年も止まるが、前乗りにするだけである。二日間ディズニーは、もうむり。

3月
サークルの先輩たちの卒業。泣く。これについても過去のブログ(「逃げ足」)で触れている。ちなみにこのブログは先輩に見つかった。勘弁してくれ、どこから見つけたんだ。
小学校ぶりに能を見に行く。能に関する授業をとって、あらかじめ知識を多少入れてから見に行くも、やはり難解だった。楽しかった。
お台場に行く。ティフォニウムという、VRの体験施設に遊びに行く。VRを使って暗い屋敷を探検する。
本当に怖かった!!エレベーターに乗ったり色々したはずなのに、実際はただ何もない部屋をぐるぐる回っていただけらしい。面白かったのでまたいきたい。

4月
親友とピューロランドに行く。そろそろまた行きたい。ピューロランドが足りていない。
たまたま高校の友達に会ったり、ピューロで人生初のガトーショコラを食べたりした。
コナン映画を見に行ったり、吉祥寺で謎解き街歩きをしたり。謎解きにはこの位からハマり始めた。
SCRAPの謎解きに間違いはない。謎解き街歩きにはこの後にもよく行っているので、多分また話題に出る。
あとはテレビ千鳥のイベントに行った!幕張メッセで大吾とノブを見られて、とても満足だった。
企画Vが流れているとき、同じタイミングで6000人が爆笑していて、いつも同じものを見て笑っているんだなあとなんだか感慨深かった。

5月
サークルで後輩ができた!少数だが仲良くなれた後輩と話していたら、先輩が「あれ?笑しら、軍団作ったの?」といじられた。調子がいい後輩ばかりだったので、「俺らずっとしらさんについて行きます!」とか言ってたが、今そいつらはほとんどサークルに顔を出していない。おい。
結果、私だけが「あれ?軍団は?笑」と先輩にいまだにいじられ続けている。
あとはサークルの友人と上野動物園に行った。楽しかった。
「私、動物園に行きたい!」と曇り無き眼で言い始めた友達のために、私が動物園を楽しむのにふさわしいメンツを集めた。その友達が「あのメンバーで水族館に行きたい!」と言ってからだいぶ経ってしまったので、そろそろ動き出そうと思う。

6月
岡崎体育のライブに行った。面白かったし、曲も良かったし、EDMでノリノリに踊り狂った。
クラブに行ったらこんな感じなのかなとかも思ったりしたが、いかんせん岡崎体育のライブなので平和だった。事前情報で、アンコールで出てくるのが異様に早いというレポがあったが、本当にはやかった。すぐ出てきて思わず笑ったが、体育ファン的には当たり前だったようで普通に受け入れられていた。それもおもしろかた。
あとずっと好きだった歌い手さんの活動休止前最後のワンマンライブに行った。これについても過去のブログ(「太陽のような人」)参照。あとはサークルの同期ライブ。楽しすぎた記憶しかない。ネタ飛ばしたけど、別のコンビで一位をとったのでモーマンタイ!全然ダメだけど!楽しかった。

7月
20歳になる。
何度かの失敗を経て、酒の飲み方を覚える。どうやら私は絡み酒らしい、楽しく酒を飲むと「みんな大好き😭」などと言い始める。20歳になってから半年、ようやっと覚えてきた気がする。あとは過去のブログ(「20歳と母とわたし」)参照。
あとは母とニューヨークの単独ライブに行った。母がニューヨークのファンなのと、普通にわたしも大好きなのでめちゃめちゃ楽しかった。お笑い芸人の単独ライブは、健康に良い。そのコンビの世界観を存分に浴びられる。あと、サークルの友人とピクニックに行った。公園でお団子を食べて、カラオケで歌いまくった。
あとは横浜の謎解き街歩きをしたり。よく知る横浜だが、普段あまりいかないところに行けたりもして楽しかった。長傘をなくした。今もまだ新しいのは買っていない。
ずっと大好きだったゴールデンボンバーのライブに行った!本当に本当に本当に楽しかったし、キリショーはかっこよかったし、バンドのライブとは思えないほど笑った。写真集発売のお知らせ、金爆が!?と思い、笑いどころだと思ってしまったけどファンの人たちは普通に喜んでいた。そりゃヴィジュアル系バンドだしな……そりゃそうか…と反省した。金爆、これからも大好きである。金爆、サイコー!!

8月
小田原謎解き街歩きに行ったり、謎解きフェスティバルに行ったり……。SCRAPには随分お世話になった夏だった。おかげですっかり謎解きにはまる。フェスでは、割と難し目の謎解きを滑り込みギリギリでクリアして達成感がすごかった。今回は1日だけの参加だったので、次はもう少し長くたくさんの謎を楽しみたいところ。
あとバイト先の友達と旅行に行った!みんなでボドゲをしたり、線香花火をしたり。夏を思う存分満喫した。
星空を見ながらアツい恋バナをしたりもした、夏すぎる。あとはM−1に出る予定だったが、相方の都合が悪くなって出られなくなった。来年は出たい!

9月
自動車学校に通い始めた。車に対しては苦手意識がだいぶあったので(「安全運転を目指して」)正直めちゃめちゃ嫌だった。しかし、8月に行った旅行でずっと友達に運転を任せきりにしてしまったことが申し訳なかったので今後のために取るか……と重〜〜〜い腰を上げたのである。先延ばし癖があるので、思いついたその日に自動車学校に電話した。行動力の化身である。おかげで、9月と10月は自動車学校の思い出しかない。
サークルの夏合宿に行った。後輩が可愛い。ちなみにまだ仲良くなりきれていないので、今年こそは頑張りたい。
親友と大阪旅行に行った!楽しすぎた。ユニバと観光を満喫した。友達は旅行慣れしていないので、大阪案内が楽しかった。親友も楽しんでくれたようで何より。なぜか、大阪のドンキでカラコンデビューを果たした。なぜ?
昆虫展に行ったり、イマーシブフォートを満喫したりした。イマーシブフォートは、体験型の施設でシャーロックホームズの世界に入り込んだり、ヘンゼルとグレーテルの世界に入り込んだりと、新感覚のアトラクションが多かった。お、面白かった〜〜!書いているうちにまた行きたくなってきた。これについてはまた行ったときに詳しく書きたいところ。
あとはサークルの先輩と友達と廃病院に肝試しに行ったりもした。肝試しにかこつけていちゃついているカップルと鉢合わせて、10人ちょいではしゃいでいた陰キャ集団たちは閉口した。気まずかった。

10月
自動車学校を卒業し、無事免許を取得!!だがそこからずっと運転練習をサボる。最近やっと練習を始めた。頑張りたい!車、乗り回したい!
サモエドカフェにも行った。(モフモフ部)目白祭とかもあったが、10月は自動車学校が忙しすぎてあまり覚えていない。自動車学校の記憶しかない。

11月
忙しすぎてほぼ休みがなかった半年の蓄積で、体と精神を壊す。この辺からのんびりスケジュールに切り替えるようになる。
サークルの文化祭!楽しかった記憶しかない。もう早く次の文化祭をやりたい!だが、その頃にはわたしの敬愛する4年の先輩たちがいないので、ずっと2024年の文化祭を繰り返したい。
SnowManのライブを見に、北海道まで行く(のんびり、さっぽろ)。
実質、母との北海道旅行。すれ違う人全員オタクだった。比喩ではなく、本当に。
推しは光り輝いていた。
親友とはじめてオケオールをする。楽しすぎてもはや記憶がない。
一切飲酒をしていないのに、泥酔レベルで暴れまくった。ずーっとSnowManを歌っていた。

12月
はじめて落語を見に行く。はじめての寄席は楽しかった。落語、漫才、手品(!?)など。
昼の部をまるまる見たので、お尻と腰が悲鳴をあげたが、楽しかったので大満足だった。
卒論のテーマを落語にしようかな、とちょっと浮気する。
成人式の前撮りをする。カメラマンさんの褒め方がプロすぎて面白かった。家族写真を欲しがらない両親を必死に説得する。家族写真なんて絶対にあったほうがいいんだから。
はじめてスカイツリーに行った。スカイツリーが出来た時から、いつか空いたら行こうと思っていたら、なんと12年経っていた。つい最近できたように思っていたのに、スカイツリーができた時私は8歳だったらしい。スカイツリーは高くて綺麗でさすが新しい施設だな……と思っていたけど、12年経っているからもう新しいなんて言えないのかもしれない。他には前から行きたかったミュシャ展に行ったり。江ノ島水族館では真珠取り出し体験をした。好きなアコヤガイを選んで、ピンセットで真珠を探り当てる。私が選んだアコヤガイに入っていた真珠はなんか光沢がなくてBB弾みたいだった。運が悪かったなァなんて思いながら、どのアクセサリーに加工するか悩んでいると飼育員のお姉さんに「多分もう1個真珠ありますよ!」と言われ、固まる。えっ、じゃあこれ、何?と思っていると、「それは真珠の核ですね」とサラッと言われた。核?真珠の核…?なんかわかんないけど、ラッキーらしい。無事ご立派な真珠が見つかり、素敵な指輪に加工してもらった。他にも、前回のブログ(あのころ)で書いたように、京都にニンテンドーミュージアムを見に行ったりもした。稲荷山神社を山頂まで登ったり。死ぬほどきつくて、その割に山頂で景色が見られるわけでも無かったのでもう二度と登らないことを決めた。あまりにきついものだから、一緒に登っていた他の海外観光客とアイコンタクトして励ましあっていた。あの時のおにいさん、ありがとう。

こうして振り返ってみると、この1年はあまりにも充実していて、長かったようにもあっという間だったようにも思える。

今年、私は3年生になる。早いものだ、いつのまにか大学生活も折り返し。

2025年も充実した1年にしていきたい。今年私と関わってくれた人達に最大限の感謝を。


あのころ

あのころ、小さな画面には私の全てがあった。
友達との連絡手段なんて無かったあのころ、連絡帳に「4じ、〇〇公園。もちもの!ゲーム、おかし!←ぜったい」なんて殴り書きのメモをして。キックボードをかっ飛ばして向かうと、もう通信を始めている友達がいた。

妖怪ウォッチ、どうぶつの森、トモコレ、ガルモ。
友達に借りて遊んだポケモン、リズム天国、マリオカート・・・。
あのころ、私の青春は3DSに全て詰まっていた。

学校でも飽きずにゲームの話をして、3DSLLを持ってる人なんてヒーローで。
攻略本を必死に読み込んで暗記して、我が物顔で語っていた。

20歳になった今でも色褪せない。そんな10年前の記憶たち。
3DSも、Wiiも、今のSwitchもたくさんやり込んだ人生。たった20年の人生だが、きっとバカに出来ないような時間を任天堂に注ぎ込んできた。
先日、京都へ旅行に行った。目的は2ヶ月前にオープンしたニンテンドーミュージアム。

入り口にあるのはマリオの土管!ユニバぶりの再開に胸が高鳴った。
本館に入ると出迎えてくれるのはキノピオたちの合唱に、壁一面に広がる任天堂キャラたち。
任天堂好きとしてはこれだけで胸がいっぱいである。

ニンテンドーミュージアムの中は一部写真撮影が禁止されていた。
正直、一番盛り上がったのがそこなので記憶にしかないことが惜しい。
けれど、写真に撮らないことで目に焼き付けようとじっくり見て周り、ひとつひとつの展示を見ながら思い出を語ることができたのも事実なので、任天堂好きはぜひ自分の目で確かめて欲しい。

展示の内容は、任天堂の歴史だった。任天堂が作ってきたハードの変遷と、それに伴ってうまれたソフトたち。
任天堂のものではない妖怪ウォッチなんかはないだろうと思っていたら、当時の思い出のソフトたちはほぼ全てあった。マイナーだと思っていた、私が人生で一番やりこんだRPGも展示されていて少し泣きそうになった。今まで生きてきた人生のすぐそばにあったゲームをショーケースの中で見かけると、ぐっと込み上げてくるものがある。

自分の知らない世代のゲームでも、色々な歴史が知れて面白い。
マリオってこんな時から覇権とってたんだな・・・みたいな。
テーマごとの展示なんかもあって本当に本当に面白かった。

本当にじーーっくり見て、一時間半はかかっただろうか。
私は行きそびれたがトイレにもBGMがかかっていたりと凝られていたらしい。行けばよかった!無念!


Wiiを処分したことを本当に後悔している。もう遊ばないだろうといつの間にか家からなくなっていた。
休日に父と飽きるまで遊んだWiiのゲームたち。家に友達を呼ぶことがなかったので、パーティーゲームの遊び相手はもっぱら父親だった。
Wii Sports resortとかね。大好きだった。
展示を見終わると、体験コーナーにうつる。巨大ゲーム機で遊んだり(!)することができる。

久しぶりにWiiリモコンに触って、バランスボードに乗った。
当時の色々な記憶が蘇ってきた。懐かしい、ただひたすらに。展示を見るのに時間をかけすぎて、体験コーナーは駆け足になってしまったけどそれでも大満足だった。

ニンテンドーミュージアムは、ゲームに思い入れがあるほど、
ゲームを遊び、ゲームと遊んでいた人ほど楽しめる場所であると思う。
とりあえず、家に帰ったら3DSの充電を待っている間にSwitchでもやろうかな。




のんびり、さっぽろ

北海道に行ってきた。
目的はアイドルのライブ。最高のライブだった。ありがとう、推し。
まだ始まったばかりのツアーについてあれこれ書くのは無粋だろう。
今回は1泊2日の北海道旅行(遠征)with母のことについて書いていきたい。

朝9時過ぎ。北海道到着。
前日は雪が降ったらしい。アスファルトに積もった雪は東京ではまだまだ見られないものである。
訪れるのは二度目の札幌。全体的に規模が大きい街並みに圧倒される。
ホテルのチェックインは14時。暇を持て余す親子ふたりである。

寒さに凍えながら、何をしようどこへ行こうかと話し合う。
お昼ご飯はラーメンを食べよう!ということですすきのに足を運ぶことにした。
食べたいラーメン屋がしまっていたので、朝でも空いているラーメン屋を探し、彷徨っていた。最終的には全然関東にもあるチェーン店の味噌ラーメン(一応北海道発祥)を食べた。隣の席に座っていた人が、どうやら夜の街すすきのの界隈の人らしく、少しオトナで興味深い話をしていたものだから母と二人、会話に聞き入ってしまった。念の為断っておくと、話していたおじさんの声がものすごく大きかったものだから、盗み聞きしたというよりは聞こえてしまった、と言った方が正しいと思う。そんな感じで思いもしないところですすきのを感じた。

ポケモンセンターに足を運んでみたり、あてもなくさまよってみたり、時計台の小ささにガッカリしたりしながらホテルのチェックイン時間を迎えた。

ライブ終わりには母と初めて晩酌をして、北海道の美味しいご飯に舌鼓をうった。
次の日、またもや朝からひたすら暇で、豚丼で腹を膨らませたあと、私たちはまた札幌のど真ん中でお方に暮れることになった。

もうここまできたら空港で時間を潰そう、ということで約五時間、空港を練り歩いてみることにした。
新千歳空港はさ須賀というべきか、かなり遊ぶ場所が充実している。「ハローキティハッピーフライト」でサンリオキャラクターと世界を旅してみたり、「ドラえもん わくわくスカイパーク」ではなんとドラえもんと実際に会うこともできた。合間にカフェでのんびりしたりしながら、案外空港の中で五時間はあっという間に過ぎていった。

北海道。観光目的で訪れたわけではなかったからこそ、のんびり羽を伸ばして遊ぶことができた。
多分もう、札幌とすすきのは地図なしで歩ける……ような気がする。


モフモフ部

私が所属するサークルでは、野球が好きな人で草野球をする「野球部」や、釣りが好きな人で釣りにいいく「釣り部」などがある。
私はこの前、動物をモフモフする「モフモフ部」の一員としてサモエドカフェに行ってきた。
かなり大きなサークルで人を集めた部活である。複数人でカフェを貸切にできるプランで思う存分モフモフを堪能してきた。

私自身、動物カフェに行くのはこれが2回目である。1回目は猫カフェに行ったので、わんこと触れ合うカフェに行くのは初めてだった。サモエド。とても可愛いわんこ。白くて、大きくて、モフモフで、何より笑顔が可愛い。あとかわいい。モフモフだし。動物動画が見たくなったら、とりあえず検索窓に「サモエド」と入れるくらいにはサモエドが好きである。

そして向かうサモエドカフェ。貸切……ワクワクが抑えられない。思う存分もふる!もふるぞ!と意気込んで中に入った。
響き渡る鳴き声。足元を駆け抜ける白い影。

サモエドが、元気すぎる。

え!?思っていたより元気!?いいことだけど!!
いいことだけど、触れない!?

撫でようとしても、簡単にすり抜けていくデカくて白いいぬ。さながらアタック西本の角刈り通り抜けのようである。手にふわっと触れるだけでタッタッタ……と走り去ってしまう。
モフモフとは、刹那的なものなのかもしれない。
うちのサークルはいわゆるコミュ障ばかりなので、そんな犬を見て無事犬見知りを発揮していた。
「これ、俺たち触れなくないか?」
「犬同士で遊んでる……。」
「多分、ヒトが邪魔なんだよ……。」
と次第に自らの種族を後悔するようになってしまった。我々がヒトなばっかりに……。

犬同士も、じゃれているだとか、遊んでいるとかというよりは、命を賭した狩りをしているかのような様相だった。スタッフさん曰く、本当に遊んでいるだけらしいのだが、それにしては血の気が多く、正直怖かった。やはり犬。野生の心を忘れていないのだろう。サモエドの血走った目と剥き出しの歯を見ながら、平和主義なヒトはそっと座り込んだ。サモエドの邪魔にならないところで。

そんな私たちの様子を見かねたスタッフさんが私に声をかけてくれた。「お姉さん、おんぶしてみます?」スタッフさんの足元には、おとなしくちょこんと座るサモエド。さっきまでの気迫はどこに行った?格の違いを感じた。

・・・!?おんぶ・・・!?

「いいんですか!?」考えるよりも先に声が出た。
もちろんですよーと笑いながら、スタッフさんはいとも容易く私の背にサモエドをおんぶさせた。
ずっしりとした重み、耳に感じる息遣い、あたたかな体温、そして、モフモフの毛並み……。

そこから先の記憶はない。
サモエドカフェ、最高でした。

最近の気付き

あれ、言葉が出てこない。
ブログを書いていて、そんなことが増えてきた。
昔はとめどなく、流れるように語彙が出てきて言葉を紡げていた。
ほぼ何も考えず、まるで友人に悩みを話している時のように滔々と感情を吐き出し、さらけ出すことが出来ていたのだ。
それは、私が負の感情に苛まれ、鬱々とした気分の中このブログを書いていたからである。

しかし、ここ最近は違う。
なぜかは知らないが、鬱屈とした日々からは少し離れた日常を送っている。
そう、元気になってしまったのだ。
嬉しい!ピース!と言いたいところだが、なかなか素直に喜べない。
私のこのマイナス思考と吐きそうになるくらいの憂鬱が私の創作意欲の源だったからである。
文章が、書けなくなってしまった。
ここ最近のブログは、正直あまり好きではない。自分の文章はだいぶ好きな方で、前は書いているさなかでも自分の文に酔いしれることさえあったのに、今は書きながら首を傾げることが増えた。
これはいけない。本当にいけない。
小学校の頃から書くことが好きだった自分の、アイデンティティの喪失である。


ここでふと気がついた。
私、最近本読んでないな……と。

最近、というのはかなり広い範囲である。
日本文学科にいながらも、本を読むのは自分が授業で取り扱っている資料だけ。
自分が好きな本を読む機会がめっきり減ってしまっていた。
この理由に心当たりがある。私には、時間が無い。
サークル、バイト、友人との食事……それらに追われていて、めっきり自分の時間というものが減ってしまった。
朝は自動車学校、昼はバイト先の友人と、夜から朝にかけてサークルのイベント、そしてそのまま授業に向かう……なんて日もあった。ノンストップである。
過去、私を憂鬱に陥れていたのもそんな忙しすぎる毎日だったのだが、今私を元気にしているのもまた、忙殺されるような日々であった。
その中で、自分の好きな本を読む、というのはなかなか難しいことだった。
本を読もう、自分のために。ある日、ふと思ったのである。

最近、ミステリを読んでみたいと思うことが増えた。なんとなく、どんでん返しという言葉に惹かれる。どんでん返し、味わいたいな……と乗換駅の本屋を眺めて思ってみては、乗り換えのために急いで駅のホームへ向かう、なんてことをしていた。移動中に読むことが出来ればいいのかもしれないが、電車の中で本を読むと酔ってしまうことが多くて、あまり長続きしなかった。
そして私は、電子書籍に手を出してみた。
色々比較してみた結果、導入したのはhontoというサービスである。大日本印刷が手がけているなら安心だし、クーポンやアプリのUIなども魅力的だ。


さっそく、いくつか気になっていた本を買ってみた。
まず、かまど・みくのしんの「本を読んだことがない32歳がはじめて本を読む」。
今電車広告などでよく見かける本だ。この本は、私がずっと好きで読んでいるウェブ記事シリーズを書籍化し、新たな文章を加えたものである。ずっと読みたかったから、かなり嬉しい。この本に関してはもっと沢山語りたいので、また後日ブログに残したい。

また、岩波明の「文豪はみんな、うつ」。これは、良い文章とうつ病は隣り合わせだという持論があったため、タイトルに惹かれて購入を決めた。まだ積読。

そして、恩田陸の「月の裏側」。恩田陸の名前はずっと知っていたが、作品を手に取ったことはまだ無かった。読了済。恩田陸の文章はとても好みだった。心理描写が巧みで、特に日常を描いた会話がリアルで真に迫っている。あまりにも文章が好みだったもので、せっかくの電子書籍だからと好きな文章にマーカーをひいてみたりもした。紙の書籍だとなんとなくはばかられて出来なかったことである。読み終わったあと、どうしてもこの感動を残したくて久しぶりに読書ノートを作ってみたりもした。昔作ったこともあったが、長続きした試しがないので今回こそは続けてみたい。

肝心のミステリも最近になってようやっと購入に踏み切った。児童文学の類を除いては初のミステリになると思う。いや、ホームズシリーズを読んだこともあったか、いや、途中で諦めたんだっけか……。とにかく、ほぼ未知の領域である。選んだのは、綾辻行人の「十角館の殺人」。ミステリの名作と名高いこの作品からミステリを読み始めてみたい。今まさに読んでいる途中であるが、やはり面白い。どんな展開が待っているかなかなか読めない、これは私がミステリ慣れしていないのもあるかもしれないが。

他にも東野圭吾や、気になっていたエッセイなどもポイントや図書カードを使って購入してみた。電車の中や、スキマ時間にささっと読めるのはやはり便利である。
電子書籍で物足りなさを感じるのは、紙の感触と読み進めている時に感じる本の厚み、重みくらいか。やはりそこはどうしても紙書籍が愛おしく感じる。
まだ家には大量に紙の積読がある。これも読んでいかなきゃ……、と、久しぶりに読書に前向きになっているここ最近である。

ここまで書いて、ふと思った。
書きやすさが違う。鬱々としていないのに、文章がスラスラと出てくる感覚は久しぶりだ。
良い文章に必要なのはマイナス思考ではなく、良い文章を読むこと、なのかもしれない。