幸せ者より、皆様へ。

皆さん、こんばんは!ずきです。

3月31日は「体内時計の日」だそうです。「新年度から改めてバランスの良い生活を心がけていく」という意味が込められているのだとか。
まさに今、私が苦労しているところ…。「今日は何の日」と検索し、一番上にこの記念日が出てきたとき、私はパソコンの画面に向かって、こう叫んでいました。
『うわ~~~!!!それを…言うな~~~!!!!!!!!!』
朝7時に起き、慣れない自炊をこなしていた朝の生活リズムは、数日前に寝違えたことにより、一気に崩れ去りました。約2週間分の早起きの努力は、きれいさっぱり水の泡。
「寝違えたら安静にしておけ!」というのが寝違えた後の基本対処法らしいのですが、横になるのが一番しんどいんです…。必然的に寝不足になりますよね。
数日経った今も、首と左肩の痛みは完治しておらず。奇妙な上がり方をした左肩が、鏡に映っています。寝違えをこんなに引きずったのは初めてです。こんな満身創痍な状態で、新年度を迎えることになるとは……。私の「新社会人になるための完璧な計画」は何処へ行ってしまったのか…………。

大学4年間ですっかり夜型になり、朝が本当に苦手になってしまった私。
さすがに今日で学生卒業ですからね!!!起きます!がんばります!!!

・・・

いよいよ明日から新年度です。色々なことが切り替わる時期ですね。

「切り替わりの時期」ということで、ご報告です。
3月31日をもちまして、私を含む、4年部員6名が卒業となります。ここで改めて、4年部員の名前紹介です。(ずき以外、五十音順)
あこ🌱、みちる💌、もこ🌾、やな🍥、ゆうな🍳、ずき🌛

2021年2月から、私たちの活動は始まりました。あれから約3年、本日の卒業を迎えました。あっという間にここまで来てしまったように思います。

大学に通うことができず、悔しい思いをした1年次。
本当に少しだけ対面授業が再開され、対面で人に会うことの大切さを学んだ2年次。
やっと大学生らしい生活が送れるようになり、「実質、大1だから!」と言い張った3年次。
お互いを慰め、励まし合いながら卒業論文を執筆した4年次。

沢山の経験と思い出が詰まった4年間の大学生活が、終わろうとしています。

・・・

私は今、画面の向こうで泣いています。泣きながら、ブログを書いています。
大学では、全然泣くようなキャラに見えなかったかもしれないけれど、割と涙もろいんです…。今、画面がよく見えていません。誤字をしませんように。

正直、もっと晴れやかな気持ちでブログ部を卒業できると思っていました。でも、いざ当日を迎えてみると、これまでの思い出と色んな感情が蘇ってきて、どうも上手く文章がまとまりません。

・・・

正直に話すと、私は今年に入ってからのブログ執筆が一番辛かったです。これまで楽しく書けていたブログが、突然楽しく書けなくなりました。遅刻して投稿することが毎回のようになり、「これはマズいな……」と思いながらも結局、更新最終日を迎えてしまいました。理由は自分でもよく分かりませんが、気づかないうちに自分にプレッシャーをかけていたのかもしれません。
前回の3月12日投稿も、本日投稿したものです。本日2回目の投稿。部長であった身としては、あまりにもお恥ずかしい話です…。

・・・

そんな卒業間際の特大スランプを救ってくれたのは、同期の皆が書いたブログでした。皆のブログを読んで、また泣きました。顔がぐしゃぐしゃになるまで泣いて、気がつきました。
「書く」って苦しいときも勿論あるけど、楽しいものだということ!最後の更新にして漸く、これまでの感覚が戻ってきたような気がします。
ありがとう…!同期の皆には、様々な部分で助けられました。感謝しても、感謝しきれません。

皆とブログが書けた私は、本当に幸せ者です!!!卒業おめでとう!!!

・・・

何にも出来なかった自分が、ブログ部員として、それから部長として、ここまでやって来ることが出来たのはブログ部員の皆さんやアドバイザーの石井先生、このブログを読んでくださった全ての皆さまのおかげです。心からの感謝を込めて。

そして、ブログ部員の皆さん!ブログ部のこれからを、皆さんに託します。
ブログ部はもちろん日本文学科、そして日本女子大学を盛り上げていってください!
少し離れたところから、応援しています!

・・・

人同士でも、文章でも、またどこか別の場所で偶然会って、「また会えたね。」なんて言えたら、それはとても素敵なご縁だと思います。その日が来ることを夢見て。なんだか近いうちに、叶うような気もします。そのときまで、しばしのお別れです。

大丈夫!きっとまた会えます。だから、最後はいつもの挨拶で締めますね!
今まで、本当にありがとうございました!!!

・・・

それでは、また!

「普通」だっていいじゃない?

こんにちは!やなです。
すっかり暖かくなってきました。ぽかぽか陽気で気がついたら眠ってしまいそうです。

***

今回で私「やな」の最後の更新回を迎えました。
あっという間の3年間でした。
1年生の2月頃に入部して、3年間で書いた記事の数はなんと今回で65個。
圧巻ですね。
楽しんでいただけた方がいたらとても嬉しいです。

ブログは読みやすさを大切に、あっさりボンゴレ味を目指して書いていました。他の部員たちと違って特別なことや上手な文章は書けないけれど、こういう人が1人はいても良いかな、と。内容が思いつかず、苦しんだこともあったけれど、そのときどきでベストを尽くせたので満足しています。どこにでもいるような、等身大の女子大生をお届けできているといいのですけれど。

私は特別学業に優れた、素晴らしい学生というわけではありません。成績優秀者として何か名誉を与えられたことはないし、卒論だってとてもではないけれど立派なものを仕上げられませんでした。テーマだってどこにでもある、ありふれたものですし、穴だらけで見れたものではありません。

ブログ部についても、先輩たちのブログがあまりにも素晴らしくて、「この中に私が紛れ込んで良いのだろうか……」と実は入部を躊躇していました。元々文章を書くことが好きだったこともあり、入部を決意したのですが、入部したらで同期はみんな個性的で、「自分」をしっかりもっている姿を見て、ありふれた文章しか書けない私はなんて個性がないんだろうと思っていました。

そう、あれは2年生の終わり、春休みのことでした。ブログ部では毎年、新入部員を迎えた春にお話し会が開催されているのですが(ありがたいことです)、毎回、会のはじめに部員ひとりひとりが自己紹介をする機会があるんです。その中で部員に向けてどのような感じのブログを書いているかを自分で紹介するんですが、同期も先輩方も、それぞれの「私」について楽しそうに話していました。
そんな中、私だけが「まだ自分のブログの方向性が決まっていません」と答えた瞬間、すごく悲しい気持ちになったことは今でも覚えています。

その頃の私はものすごく迷走していて(読んでいただければわかるのですが)、せっかく入ったのだから、他の人と違うことをして、埋もれないようにしなければ!という思いでいっぱいでした。何を書いても誰かの二番煎じになってしまうような気がしていました。

しかしあるとき、美味しかったご飯の紹介をしたら思ったより反響が良くて。私も書いていて楽しかったので、最後の1年半ほどは殆どご飯の紹介をしていました。
ご飯の話なんて、ブログのよくあるテーマだし、「個性的」なブログを書けるようになった、とは思いません。それでも私はご飯をテーマに選んでからすごく楽しかったです。
そして1年後のお話会、顧問の石井先生に「やなさんはいつも美味しそうなご飯の話をしているわね」と言われ、やっと自分の方向性が決まったんだなあと思い、とても嬉しかったです。

そうそう、私たちが思っているよりみんな読んでくれているんですよね。本当にありがたいことです。
「読んだよ!」や「やなちゃんのブログ、面白かったよ!」と言ってくれることが本当に嬉しくて、何度も救われていました。ありがとう。あなたたちのおかげで書き続けられました。

***

ブログ部の下級生はみんな個性的で、上手な文章を書いている姿を見てきているので、私が言えることは何もないかもしれないけれど、もし、人知れず個性に押しつぶされそうになっている人がいたら、ぜひ「そのまま書き続ける」ことをおすすめしたいです。

みんな個性豊かである必要はないんです。そりゃあもちろん、個性豊かな文章の方が人目を引くし、読み応えがある文章に憧れる気持ちはわかります。私だって入部したときからずっと、とある同期のファンをやっていますし。

たまには普通の人が混じっていたって、それはそれでブログ部に彩りを与えられているんです。
私は3年経ってようやく気がつきました。
そしてきっといつか、続けていてよかった!と思う日が来ますよ。そう、私のように。

最後だし、柄にもなくブログについて語ってみました。ちょっと恥ずかしいですね。最後まで上手な文章を書くことはできなかったけれど、まあ、それも「私」ということで。2020~2023年度の色とりどりのブログたちの、1色になれていたとしたら、私の役目は果たせたかな。胸を張って卒業できそうです。

最後に、大好きな菅井友香さんが櫻坂46を卒業した際に発表された楽曲をBGMに、筆を置こうと思います。
櫻坂46『その日まで』
https://youtu.be/F2lWsUJotmc?si=TMceioTYM93r9KjY

***

ちょっとアイドルとゲームとバンドと、そして美味しいご飯が好きな、どこにでもいるような「普通」の女子大生が担当しました。

それでは皆さん、またどこかで。

私の言葉。

こんにちは、あこです。

いよいよ、最後のブログ更新です。

大学生活4年間を振り返ろうかな。ブログ部での活動を振り返ろうかな。家族や友人、先生たちへの感謝の言葉を綴ろうかな。卒業式の話をしようか。4月からの抱負を書くのもいいかも。

考えてないようで、色々考えていた、最後のブログ。

けれど、何事も予定通りにはいかないものですね。

書きたいこと、いや、私が書かなればならないことが、分かってしまいました。

最後くらいカッコよく終わりたかったけれど、カッコ悪いまま終わるのもまた、あこらしいのかも。

乱文の予感。

そうかもね。いや、きっとそうだ。

“痛い”ブログになるかも。

うん。私もそんな気がする。

やっぱり、内容を変えた方が良い?

それもアリだね。でもきっと、3月中には間に合わないよ。

そもそも、ご自分が”上手い”ブログを書けるとお思い???

確かに。それもそうだ。

今更、何も気にすることはない。

いつも通り、とりあえず書いてみよう。

*****

昨日、弟と大喧嘩しました。

もちろん「お前なんて大嫌いだ!」「バーーカ!バーーカ」「バカって言う方がバカなんだ!バーーカ!」みたいなかわいい(?)喧嘩ではないですよ。

姉(22歳)と弟(20歳)が己の命と誇りを賭けて闘う、例のヤツです(激やば)

序盤は、いつもの喧嘩でした。(”いつも”とは)

①些細な出来事が起こる→弟不機嫌になる

②(弟曰く)あこが棘のある言い方をする→弟かちーーん

③かちーーんの態度に対して、あこが一言申す

④弟、更にかちーーん

⑤口を出すなと言われ、あこもかちーーん→解散

はい、ここまでは世間様でもよくありますよね(圧)

些細な出来事始まり、険悪ムード終わりってヤツです。

こういう時は、時間が大事。

とにかくその場を離れて、それぞれの部屋に引っ込む。お互いに顔を合わせない。

大体、それでどうにかなります。(あこ調べ)

ただ、昨日はそうはならなかった。

色々あって前日の出来事が持ち出され、互いが感情的になり、昨日どころか過去の出来事まで遡り、母も巻き込んで、更にヒートアップという、稀に見るカオス具合でした(恥を知れ)

因みに、”前日の出来事”とは、昨日の前日、つまり一昨日の夜に行われた、弟に関する話し合いのこと。

まぁ”話し合い”と言うよりは、弟が話をして、私と母が「いやちょっと待て」「〇〇についてはどう考えてるんだ」「⬜︎⬜︎はどうするの?」と、ツッコミ&質問をしながら聞いている、という感じ。

本当は話の内容を書いた方が分かりやすいと思うのですが、その内容があまりにアホ&突飛すぎて、今の段階で人様にお話できるような話ではないので、内容は伏せておきます。

まぁとにかく、突飛でアホだけど、真面目な弟の話を、私は前日に聞いていたワケです。

ただ、それは私にとってあまりに衝撃的で、昨日もずっと、頭のどこかに”その話”がありました。

だからこそ昨日はいつもより感情的になったし、私自身がカチンときたし、”落ち着く”ことができなかったのだと思います。

そしてその大喧嘩の中盤。私は弟にこんなことを言われました。

「あこはいつも、俺を見下してる。それが本当に許せない。俺が中学の時だってそうだった。

俺が、テストで学年1位だったって言ったら、「あなたは〇〇中学で1番なんでしょ。そんなの大したことない。私は日女で3番なんだから。」って、言ったじゃないか。そういうところが、本当に嫌なんだ!!!」

衝撃でした。

正直、その発言自体は覚えていません。ですが、似たような事に関する別の発言で、母にこっぴどく怒られた記憶は鮮明にあります。つまり、こういった発言は1度や2度ではなかった、ということです。

自分の発言について、弁解するつもりはありません。学校の知名度や偏差値について何かを言う、更には、比較してバカにしたような発言をするというのは、最低な行為です。

自分の発言を正当化するつもりもありません。というか、どこをどう切り取っても、どんなに”良い”解釈をしようとしてもできないくらい酷い発言だから、正当化なんてできるはずがありません。

ただ、そんな発言をしておいて「信じてくれ」とは言えませんが、今のあこは、あの時とは違います。

結果として、弟は大学受験をし、他大学へ進学しました。ですが、もし彼が受験をしなくても、そしてもちろん、弟ではない方々に対しても、あの時のような思想を持って、あの時のような発言をすることはありません。

でも。

今の私がどんなに反省し、あの時から”変わった”と言っても、あの時の言葉が、あの時の”傷”が、”なかったこと”になることはありません。

私はあなたのことを見下していない。あの時はそう言ってしまったけど、少なくとも”これまでずっと”見下していたなんてことは、絶対にない。本当は、怖かっただけ。秀でていない自分を認めるのが、怖かっただけ。

ーーーーー

ずっと、弟より秀でていたいと思って生きてきました。

「優秀でありたい」というプライド以上に、「秀でていなければ」という焦りがありました。

生まれながらに心臓が弱かった弟。入退院を繰り返し、幼い頃は、目の前で何度も、救急車で運ばれていきました。

その度に、私は祖父母に預けられ、母はポテトチップスと短い手紙を置いて、付き添いのため、足早に病院へ向かいました。

祖父母は優しすぎるほどに優しかったし、その頃は曽祖母も生きていたから色々な意味で活気もあって、普通の家族のようでした。

小学生になると、私は”弟の姉”になりました。

弟が休むたび、職員室へ、連絡帳を届けに行きました。

「〇〇君のお姉ちゃん」

私のことを尋ねた校長先生に、担任の先生は、そう答えました。

「ああ、〇〇君のお姉ちゃんね」

校長先生はそう言って、教室から出て行きました。

他の友達は、その子自身として認識されているのに、私は”〇〇君のお姉ちゃん”でしかない。

姉や兄を持つ子達が、「〇〇ちゃんの妹さん」「〇〇君の弟くん」と言われるのは、分かる。

だって、姉/弟より「後」に、入学しているのだから。

でも、私は、弟より2年も「先」に入学した私は、なぜ「〇〇君のお姉ちゃん」と呼ばれなければならないのか。

私は、「私」ではない。

「〇〇くんのお姉ちゃん」という言葉は、重く、重く、私にのしかかってきました。

ーーーーー

命の危険がある息子と、命の危険がない娘。

病を抱えた孫と、病を抱えていない孫。

手術が必要な弟と、手術の必要がない姉。

どちらが”大変”か、どちらに手をかけるべきか、それは明らかです。

もちろん、私も分かっていました。小学生、何なら弟が生まれた時から、分かっていました。

それでも、やっぱり、心のどこかで、私を優先してほしい気持ちがありました。

私の話だけを、聞いてほしい。私のことだけを、見てほしい。私のことだけを、考えてほしい。

何かがあった時、もしも何かが起きた時、私はきっと、”優先”されない。

例え、”その時”までは、私のことだけを見ていたとしても、”その時”が来たら、きっとみんな、弟の方へ行ってしまう。

当然のことです。別にそれが「弟」と「姉」でなかったとしても、人として、それは正しい選択です。

だけれど、最後に選ばれるのは、私ではない。

その悲しさと一抹の不安感は、言葉にできないモヤモヤ・イライラとして、心のどこかに、居座り続けました。

ーーーーー

私は中学受験をして、女子校へ入りました。

女子校なので、弟は入って来られません。

「弟がいる」

そう言わない限り、私に弟がいることは誰も知りません。

「〇〇君のお姉ちゃん」

そう呼ばれることも、もちろんありませんでした。

弟は、中学受験をして地元の私立へ入りました。

本当は、別の中学を受験したいと言っていました。塾の集団クラスに入って、皆と一緒に勉強して、皆と同じように受験をしたいと、思っていました。でも、それは体力的にできないから、個別教室で対策を重ね、地元の私立中学へ入学しました。

そして、勉強に目覚めて、ぐんぐん成績を上げていきました。

私はそれが、怖かった。

小学生時代、私の方が勉強ができました。

中学時代も、紆余曲折はあったけれど、そこまで”悪い”方ではありませんでした。

「勉強と運動だけが、判断基準ではない」

「人間としての豊かさとは何か」

勉学はもちろん、運動や芸術に長け、様々な経験を積み、自分たちらしく、自分の人生を強く生きようとする友人たち。

勉強はその人の”一部分”でしかない、ということはさすがに分かっていましたが、それでも自分が”頑張っている”対象としては、やはり”勉強”がありました。

私と弟の道が、再び重なるような気がしました。

ただでさえ”関心”を引く弟なのに、私よりも”優秀”になってしまったら、私はどうなってしまうのか。

私の分野に入ってこないで。これ以上、私を”サブ”にしないで。「〇〇君のお姉ちゃん」にしないで。

負けたくない。そういう気持ちも、もちろんありました。

だけれど、ええ、この際、ハッキリ言いましょう。

私は、弟にコンプレックスがありました。

人に優しく、人に愛される弟へのコンプレックスと、家族に構ってもらえることに対する嫉妬心とが、心の中でぐちゃぐちゃに混ざり合っていました。

実際、「私の分野」と言うほど、私は成績がめちゃめちゃ良かった訳でも、周囲から一目置かれていた訳でもありません。

でも、当時の漠然とした「弟より秀でていなければならない」という焦りは、真っ直ぐそのまま”勉強”に向かっていました。

正直、その焦りがいつまで続いたのか、私は覚えていません。

こんなに「焦りが〜」とか「不安感が〜」とか言っといて何だよって思われるかもしれないけれど、本当に、分からないのです。

個人的には高校2年以降は色々安定してきてた(気がする)ので、高校1年生の時には抜けてきていたのでしょうか。よく分かりません。

でも、きっと、弟にそう言った時には、まだまだ”渦中”だったのだと思います。

だから許して、なんて言えないけれど、あの時はごめんね。本当に、酷いことを言いました。

*****

3年間、ブログ部員として、自分と、そして自分の言葉と、向き合ってきました。

卒業式では、答辞という大事なお役目をいただき、多くの方々の前で自分の言葉を話すという、大変ありがたい機会にも恵まれました。

あこちゃんの文章はリズムが良くて、心にスッと入ってきたよ。

あこちゃんの文章は、穏やかさの中に”熱さ”があるよね。

あこさんの優しい人柄が、滲み出ていたと思います。

そう、言ってくださる方々がいました。とても嬉しかったです。

言葉は、目には見えません。

書き残したり、録音したりしない限り、記録に残ることはありません。

しかし、言葉は残ります。

人の心に、人の思い出に、記憶として、残ります。

なかったことには、できません。

“撤回”することも、できません。

言葉は、時に優しく、時に厳しく、誰かを勇気づけるかもしれません。

言葉は、時に寄り添い、時に励まし、誰かの傷を癒すかもしれません。

言葉は、時に鋭く、時に無遠慮に、誰かの心を引き裂くかもしれません。

誰かを思い浮かべる時、どんな言葉が浮かびますか。

人生を振り返る時、どんな言葉が思い出されますか。

あなたは、どんな言葉と共に生きてきたのだろう。

そして私は、どんな言葉をかけて生きてきたのでしょう。

*****

ブログ部員として活動した約3年間。

3年間の私の言葉が、ブログとして、ここに残っています。

これらの言葉に、嘘はありません。

もちろん、今日のブログにも。

その時、その時に、思ったこと・感じたことを書いてきました。

心は常に、変わっていきます。

心は、ナマモノです。

その時でなければ、感じることができません。

その時でなければ、書くことはできません。

だけど、”言葉”は違います。

(筆者/発話者の意図に関わらず)、”その言葉”として、相手に、そして未来に、残ります。

4年間、言葉と向き合ってきました。

22年間、言葉を使って、生きてきました。

これからも、言葉と共に、生きてゆきます。

私の人生の側には、いつも言葉がありました。

あなたの人生の側にも、きっと言葉が、ありました。

人は、言葉を紡いで生きてゆく。

私は、私の言葉と共に、生きてゆく。

どんな言葉を、かけたいか。

どんな言葉を、残したいか。

どんな言葉と、生きたいか。

これまでにかけられた言葉。これまでに紡いだ言葉。これまでに、出会った言葉。

全部、全部抱き抱えて、私たちは前へ進みます。

ありがとう。そして、ごめんね。

お世話になった、全てのひとへ。

あなたの人生が、あなたにとって、素晴らしい日々でありますように。

健康で、幸せで、そして平和な日々で、ありますように。

あなたがあなたとして、生きられる日々でありますように。

また、どこかでお会いしましょう。

それでは、また。

しんせい

ご無沙汰しております、みちるです。

 

さて、ここに二つの運命がある。

ひとつは栄華そのものといってよい真白の光
ひとつは深海の底より見上げる玉虫色の光

光の認識こそが我々の生であるならば、この数年、私は確かに生きながらえていたことになる。
いずれの運命が己の必然であっても、それで後悔するほど自分は人間じみていない。

 

予感がある。きっと終わりが近い。

 

(間奏)

 

私が紡いだ言葉が、いったいどれほどの質量をもってこの世界に位置づけられているか。
考えるだけで気が遠くなるほど、それは重たい。

自分の存在がいかに矮小なものであると考えても、言葉だけは違う。言葉は鼠からくりのように増えていき、信頼や確信や祈りなどを伴ってあなたへ向かう。
言葉に絶対的な価値がある、とは言わない。しかし言葉はあなたに向けられて初めて特別な愛着を生じさせる物理的なオブジェとなり得る。小説も、手紙も、そうしたオブジェの連なりとしてあり、即ち我々の解釈によって高く昇っていく煙のようなものであるかも知れない。

私が煙を欲するのも、言葉への欲に重ねてのことでしょうか――笑ってください。

あなたはきっと、私の手紙のすべてを受け取ってはいないでしょう。ヒントは、耐荷重。
けれど、きっとそれでよい。
膨大な詩のなかの一行、一行きりでも、あなたに到達したなら、こんなに幸運なことはありません。

私は振り子のように気分を揺らしながら、つねに気高くありたいと願う。
そうした矛盾に苦しめられた4年間だった。
今は、この矛盾に助けられて聖なるものへの志向もまた生じるとわかった。
それで何かが楽になったり、救われたりといったことは何もないけれど、私はこれでよいと言える。

高貴な私の言葉なら、あなたへ淀みなく届くだろうと思う。そうならなかったということが、私の青さの証明になるかは知らない。
そしてこれからは、到達できないこと、実現できないことの原因を「若さ」や「青さ」といったものに求められなくなっていく。少しずつではあるものの、確実に変化していく。そうなって、大学に残る私は再び追い詰められていくのだろうか。それともひたむきな求道者として地獄の深くまで歩んでいけるだろうか。

卒業の時を迎えて、こんなにも分からないとは予想していなかった。加えて、わからないことをこんなにも負債として把握しないとも考えていなかった。
自分が日々新しくなっていくなら、その方が素敵だ。知っている人や分かる人、たんにそうなったとしても虚しいなら、「分かる」瞬間は聖なるものへ向かう過程にすぎない。

 

愛を語り、しあわせになろうねと言って死に、刑に服し。繰り返して今は一体何度目の命か。
それでも私。4年間、沢山書いてくれてありがとう。
沢山歌ってくれてありがとう。
沢山恋愛してくれてありがとう。
誰かを傷つけ、悲嘆に暮れさせ、生活を奪い、転向を招き、沈黙させ、取り返しのつかない逃げ方をさせて、復活させないままに冬を越し、にもかかわらず自分だけは生きながらえてくれてありがとう。

あなたがそうかは分からないけれど、朝を迎え床に就くまで、世界より発せられる責苦を浴びて暮らす人間がいる。私も、きっと誰かも。いつ背負ったかもわからない罪を抱えながら、それが罪ではないと発覚するまで苦しみ続ける。
けれど逃げないでいたい、まだあなたに伝えていないことがある。春の夜の夢には運命の女が現れること、絶対の母はもういないこと、青春の幻影は――これは語るべきでない。

 

「よくわかりますが、やはり書いて行きたいと思います」

 

私はそう答えた。
誰に?
世界に。

私も、あなたも、二度と停止することがないように。
生きてさえいれば、とまではまだ言えない。しかし「生きてさえいれば」はユークリッド空間における特別な点となっている――あまりにも自明であるためか、この事実はひどく霞んで見える。

きっとあなたは私の仕草を忘れるけれど、私は忘れない。
あなたに書いた手紙――正しくは、ボトルメールのすべてを。

二つの運命がある。
それらの間でひき起こる交感はあまりに共時的で、私たち、まるでお隣さんのようだった。
気が遠くなるほど遥か遠くにいるなんて、誰が想像しただろう。

さて、これが最後の種明かし。
真白の光は、純白の便箋とオーヴァーラップしてくれただろうか。
私はあなたのおかげで、玉虫色の月光を眺めることが出来た。

これを最後に、もうあなたへ手紙が届くことはないでしょう。
1870年、ジュール・ヴェルヌからの便り。
2024年、天体に惹かれて満潮。

満潮”ではない”という仕方でいずれ来る干潮のとき、私たちが最後に認識する光がどうかこの世で最も美しくありますように。
ずっと、ずっと祈っています。書き続けながら、祈っています。
どうかみなさんお元気で。水の色に名前をつけながら、届かないお手紙書きますね。

 

またお手紙書きますね、大好きです。   みちる

校歌を聴くのは2回目だった。1回目は喜ばしくも成績優秀者賞を受賞し、創立記念式典に呼ばれた時だ。私はその日初めて自分の大学の校歌というものを聴いた。涙した。

  ここに生まれて 日本の
  文化をおこす 使命あり
  女子大学の その名こそ
  永久に我等が ほこりなれ

ずっと何者かになりたかった。この世に生まれたからには、何かを成し遂げなければならないと思って生きてきた。伝統ある小学校に、中学校に通い、皆の期待を背で感じ、活躍する姿を見せることに喜びを感じていた。しかし、中学の後半からか、高校に入ってからか、そもそも「期待」を感じなくなっていた。いつからか、期待されるのは、面にたって活躍するのは、男だった。授業中も、課外活動も、学校行事も、キラキラ輝いているのはいつも男子で、女子はその補佐だった。合唱祭や文化祭など、女子が輝ける行事もあったけれど、なんとなく重要視されていなくて、学校行事で一番大事なのは体育祭で、体育祭は男子のためのものだった。

6歳離れた姉がいる。姉は中学も高校も、県内で有名な女子校に通っていた。私は小学生の頃、姉の学校の体育祭を見に行った。体育祭の主役は、もちろん女子だった。勇ましい声で応援歌を歌い、力強い演舞を披露していた。女が女を担ぎ上げ、騎馬戦をやっていた。

応援団も、騎馬戦も、私がやることはなかった。やる権利がなかった。でも、やりたかったのだと思う。

女だからと言って、遠慮していたことが沢山あったのだと知った。知らず知らずのうちに、男子に譲っていたことが山ほどあった。女子大に来たら、誰の目も気にせずに、のびのびと勉学に励むことができた。授業中に、いくら質問してもいいのだ。どれだけレポートを書いてもいいのだ。熱心に何かに励むことを馬鹿にする人はいない。むしろ褒めてもらえる。自分が自分らしく輝ける環境があった。

賞をいただいた時、あなたはあなたのままでいいんだと、言われた気がした。輝ける場所で輝けばいいのだと、背中を押された気がした。そんな時に聴いたから、校歌が刺さった。

  ここに生まれて 日本の
  文化をおこす 使命あり

いつからか、文化をおこすのは、自分ではないと思っていた。しかし、文化をおこすことは、使命であった。自分は、文化をおこす側の、人間であった。

校歌を聴くのは2回目だった。ご唱和くださいと言われ、歌えるわけがないと、ざわつく椿山荘に、ニヤリ、とした。今から流れるのは、ざわざわした雰囲気を一瞬で変える、凛々しい歌だ。校歌が流れ始めると、やはり空気が締まった。モニターに映し出される歌詞をみた。また、涙が出そうになった。

  女子大学の その名こそ
  永久に我等が ほこりなれ

行きたい大学ではなかった。たった1点足りずに落ちた大学のことを、ずっと引きずっていた。センター試験の点数しか、誇れるものがなかった。人前で大学名を言うのが恥ずかしかった。そんな私が、堂々と、袴を着て、学位記を持ち、卒業する。間違いなく、本学が、私を変えた。

ずっと何者かになりたかった。この世に生まれたからには、何かを成し遂げなければならないと思って生きてきた。間違ってなどいなかった。自信をなくす必要はなかった。使命を持って、誇りを持って、自分の足でわだちを作る。私の後ろには、私の生き方が広がっている。

私は今日、日本女子大学を旅立つ。

輝く4年間に、ありがとう。

(2024年3月20日)

大相撲入門

こんにちは、ゆきほです🍵

今月前半もお休みをいただいたので、1ヶ月ぶりの更新となります。1ヶ月空くと何から書けばいいのか分からなくなっちゃいますね。

今年の春休みはいろいろとやらなくてはいけないことがあり、去年までと同様に毎日ダラダラ過ごす……とはいきませんでしたが、「週に1回は絶対に楽しみな予定を入れる」と決めていたため、大学の友人たちと旅行へ行って念願の舞妓さんになったり、高校の友人たちと”映画館で”バレーボールに励んだりと、楽しいこともたくさんしました。自分のメンタルケアは大学生になってから上手になったような気がしています。

もっともっと最近の話だと、先日のブログ部の顔合わせ会で1年生のしらさんが話していたぽちゃガチョというゲームをはじめてドはまりし、ジム作りに勤しんでいます。

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さて、今回は満を持して大相撲の話をちゃんとしようかと思います。

大相撲が好きという話はブログでも数回書いたことがあるし、友達の間でも知れ渡っているので別に隠しているわけではないのですが、最近敢えてブログで相撲の話題は避けていました。

昨日尊富士が「初土俵から10場所」「関取在位2場所目」「新入幕」で幕内優勝するという快挙を成し遂げて3月場所が終わり、今日は朝からニュースで会見映像がたくさん流れていました。
このニュースを見た時『すごいスピードで優勝したということは分かる、でもそれってどれくらいすごいことなの?』って思ったりしませんでしたか?

……そうなんです。今の私たち世代で大相撲が分かる人ってめちゃくちゃ少ないんです。私は今まで生きてきて、相撲が分かる同年代の人にはほとんど出会ったことがありません。やっぱり分からない話だと読んでいて楽しくないよな~と思い、敢えて書かないようにしていたというわけです。

でもせっかくだからブログで相撲の話したい……!と思ったため、今回は「リンク先に飛ばなくても分かる!大相撲入門」を目標に、このブログだけを読めば大相撲がちょっとだけ分かるようになります!という文章を書いてみました。今後相撲の話をする際には今日のこのブログへのリンクを貼るので、定期的に読んでいただけると嬉しいです。

※今回のブログはなかなか長いです。下書き段階のWordでは標準のレイアウトで10ページ(約6000字)あります。お時間のない方は一旦画面を閉じて後で読むか、一応章を分けてみたのでちょっとずつ読むことをおすすめいたします。私より前に更新された記事を読みたい方は大変申し訳ございませんが頑張ってスクロールしてください。

①大相撲ってなに?

大相撲を一言で説明すると、ずばり「相撲版プロ野球」です。

野球にもプロ野球があって、高校野球があって、社会人野球があって……といろいろな形態があるように、相撲にも高校相撲があって、実業団相撲があって、クラブチームがあって……といろいろな形態が存在します。大相撲はその中でも相撲を仕事としている力士(言ってみれば”プロ相撲選手”です)が相撲を取る形態のことを指します。
ちなみにプロ野球を好きな人全員が春夏の甲子園も熱烈に楽しみにしているわけではないように、私は大相撲以外の形態については全く詳しくありません。「相撲」という競技をしているという点では一緒なのでもちろん見れば分かりますが、今誰が強くてこの大会はどういう大会で……というのは大相撲以外分からないという感じです。

大相撲には「本場所」という興行が年6回あり、この本場所の結果によって「番付」が上下します(番付については後ほど詳しく説明します)
本場所が行われるのは奇数月で、1月・5月・9月は東京両国の国技館、3月は大阪、7月は名古屋、11月は福岡で各15日間行われています。先日3月の大阪場所が終わったので、次の本場所は国技館で行われる5月場所ということになります。

②番付ってなに?

番付とは「力士の強さランキング」のことで、本場所の結果によって毎場所上がったり下がったり据え置きになったり……と変化していきます。大相撲は番付社会なので番付が上になればなるほど強くて偉いということになり、ある意味とっても分かりやすいです。番付で力士の階級は6つに分かれています。説明用に表を作ったのでご覧ください!

15日間ある本場所で幕内と十両の力士は15日間毎日、幕下以下の力士は7日相撲を取り(幕下以下は人数が多く、全員が毎日相撲を取ると時間的に大変なことになってしまうため取組数が少ないです)、8回(4回)勝って最終的に勝った数が多くなるとその場所は「勝ち越し」、逆に8回(4回)負けて最終的に負けた数が多くなると「負け越し」と呼びます。勝ち越したら番付が上がり、負け越したら番付が下がり、勝ち負けの数がそれぞれ多ければ多いほど上下する幅も大きくなるというわけです。

昇進に条件がある横綱と大関は本場所でたくさん負けてもその地位から落ちることはありませんが、大関は2場所連続で負け越すと陥落して関脇に戻ってしまいます。1場所負け越して後がなくなった状況のことを角番と言ったりします。
その点横綱が大関に陥落することはありませんが、実力・中身共に常に最強であることが求められているため、弱くなったら潔く引退しなくてはいけません。

表の中で赤字で示した幕内・十両は「関取」と呼ばれ、固定給が出たり身の回りの世話をしてくれる付き人の力士がついたりと、かなりの好待遇になります。逆に言うと青字で示した幕下以下の力士は固定給がありません。

じゃあ幕下以下の力士はどうやって生活しているの?と思いましたよね。

力士達は階級問わず全員が相撲部屋に所属しており、部屋で集団生活を送っています。相撲部屋には現役を引退した力士である親方(親方の話はちょっとまた難しいので今回はあまり触れません)がいて、その親方を現役時代から応援しているファン(タニマチと呼びます)もいます。親方のファンや所属している力士のファン達が後援会を作って金銭的な援助をしてくれるので、そのお金で幕下以下の力士は生活しているというわけです(日本相撲協会からも補助金が出ています)

あとは相撲と言えば「力士が土俵で塩をまく!」というイメージがあるかと思いますが、実は土俵上で塩を撒くのは関取だけです。化粧廻し(足首くらいまである長くて大きい前垂れに派手目な刺繍が入った儀式用の廻しで、各力士のスポンサーが贈ってくれるため企業名が入っているものがほとんどです)をつけて「土俵入り」という儀式をしたり、締め込み(本場所で使う装飾がない普通の廻し)の色を自分の好きなカラフルな色にしたりできるのも関取だけで、幕下以下の力士は黒一択となります。

この辺はググればもっと詳しくて分かりやすいサイトがたくさん出てくるので一旦置いておくとして。ここで、実際の令和6年3月場所の番付を見てみましょう。

『1番上に横綱って書いてあるから、これは幕内の番付だな……!?』と思った方、しっかり読んでくださりありがとうございます。これは日本相撲協会のホームページからお借りした幕内の番付の上の方です(スクショの都合でここまでしか入りませんでした)

横綱は1人しかいない、大関は4人いて一番上にいる(東と西では東の方が強いです)のが霧島だから前回の本場所で1番勝った大関は霧島なのかな……?とここだけ見てもちょっとだけ大相撲が分かるようになった気がしませんか?

それではここで、冒頭に書いた今場所の尊富士の優勝を思い出してみましょう。

「初土俵から10場所」→本場所があるのは年6回だから、まだ力士になってから2年経っていない
「関取在位2場所目」「新入幕」→先場所は十両だったけど十両は1場所でパスして今場所初めて幕内になり、600人近くいる力士の頂点に立った

分かってから見るとめちゃくちゃすごくないですか??

③実際に本場所の取組を見てみよう~イマジナリー大相撲~

さて、本場所と番付について分かればもう実際の本場所を見てもある程度ついていくことができるかと思います。ここからは実際の取組を見ていきたいのですが、今回はこのブログだけで大相撲を分かるようにしたいということで、実際の映像を見た私が文字に起こして説明する「イマジナリー大相撲」で解説していこうと思います。皆様も想像力を働かせてお付き合いください。

千秋楽はまたちょっと流れが変わってくるので、14日目の結びの一番(最後の取組)を見ていくこととしましょう。琴ノ若と豊昇龍の大関同士の取組です。

本場所の取組は大体番付や勝った数が近い人と対戦が組まれることが多いですが、大関同士や横綱と大関の取組は盛り上がるため、大体最後の方に組まれます。また、今回優勝した尊富士のように番付下位の人は、横綱や大関と対戦しないで優勝することがないように、優勝の可能性が出た終盤になってから通常の取組編成ではありえないくらい番付が高い人と当てられたりもします。ここで負けて優勝を逃してしまう力士もたくさんいますが、尊富士はそれでも勝てたからすごいんです。

それではまた想像を土俵に戻してください。直前の取組が終わったら呼び出しが次の取組の力士を呼び上げて、琴ノ若と豊昇龍がそれぞれ土俵に上がってきました。

土俵に上がったら改めて行司が両者の四股名を呼び上げ、この取組が今日最後の取組ですよ~ということも宣言します。ここから両者は関取の取組にしかない「仕切り」という儀式みたいなものを繰り返します。

仕切りの最中には、身長サイズの大きい旗みたいなものを持った人たちが土俵上をぐるっと一周歩きますが、これは幕内の取組に対して企業が「懸賞」を懸けることで、土俵上で企業の名前が書かれた「懸賞旗」を掲げてもらうことができるという制度によるものです。旗1つにつき7万円で懸けることができるそうで、その力士の地元の企業や、化粧廻しを贈ったスポンサーの企業が懸けることが多い印象です。その7万円のうち3万円は勝った力士に贈られますが、この琴ノ若と豊昇龍の取組には38本の懸賞がかかっているので勝った方は114万円を手にするということになります。すごいですよね。

懸賞旗も全て回り終わり、ついに取組が始まります。土俵の外から差し出されたタオルで汗を拭き、塩を手にして最後にもう一度まきます。その最後にまいた塩で滑って負けてしまうという例もままあるので注意が必要です。塩の量にルールはないので、雪ですか?というくらいたくさんまく人もいれば、体感小さじ1くらいしかまかない人もいます。

廻しをバンバン叩いたりして気合いを入れながら土俵の中心部まで歩き、真ん中にある2本の白い線よりそれぞれ外側に手をついて、両者の両手がついたタイミングで取組がスタートです。

相撲のルールはご存じの通り、「土俵の円の外に出るか足の裏以外の場所が土俵についたら負け」というとってもシンプルなものですが、今回は琴ノ若が豊昇龍を土俵の外に押し倒す形で勝ちました。勝った力士も負けた力士も土俵上に戻り一礼して、負けた力士は土俵を降り、勝った力士はもう一度名前を呼び上げられて懸賞金を受け取って幕内の取組が1番終わります。日によっても変わりますが、ここまでで大体10分かからないくらいというところでしょうか。

④大相撲ってどこから見はじめればいいの?

今回のこの説明の中で皆様に声を大にして言いたいこと。それは「スポーツを見る習慣がない人にこそ大相撲を勧めたい」ということです。

まず先ほどもお話ししたように、大相撲はルールがめちゃくちゃ分かりやすいです。
「土俵の円から足が出るか、足の裏以外の場所が土俵から出たら負け」なんて、覚えるまでもなく直感的に分かるルールだと思いませんか?

あとは競技時間がめちゃくちゃ短いということもおすすめポイントです。
先ほど一緒に想像した幕内の最後の取組でさえ全部合わせて10分かからないくらいで完結するという点からも分かるように、相撲は1つの取組に一瞬で決着がつきます。「この取組長すぎて飽きちゃうな……」なんてことは絶対にあり得ないため、とっかかりやすいんじゃないかな?と思います。

ただ1つの取組は短いとは言っても、本当に全ての取組を通しでみようとすると朝の9時くらいから18時までずっとやっているのでとっても長いんです。テレビの中継は午後からですが、さすがの私もいきなり6時間テレビに貼りついて見てくれとは言いません。3パターンほどオススメを考えてみたので、まずはこちらをお試しください。

①とりあえず大相撲ってどんなものなのか軽く見てみたい!
→14時くらいからの大相撲中継で幕下の上位の取組を見てみることをお勧めします。

先ほど書いたように関取の取組には「仕切り」という儀式みたいなものが毎回必ずあり、1つの取組にかける時間が少し長くなります。もちろん仕切り中に実況・解説を聞くのもおもしろいですが、一旦大相撲の雰囲気を軽く見てみる分には仕切りがなくてサクサク進む幕下以下の取組がいいんじゃないかなと思います。14時半くらいからは十両の土俵入りもあり、ここまで見ると『おお……!相撲だ……!』という感じがしてくる気がします。

②まずは強い力士の取組を見てみたい!
→17時半くらいからの幕内再終盤の取組を見てみることをお勧めします。
仕切りはありますが、取組数は恐らく2~3番だけでしかも出てくる力士は大関・横綱クラスの名前は知っている!という人たちだと思うので、見やすいんじゃないかなと思います。終盤になれば優勝に関わってくる取組は最後に来ることが多いため、優勝争いだけをちょっとだけ齧ることもできます。

➂全部見るんじゃなくて、注目されている取組だけをサラッと見たい!
→場所中に21時からのNHKニュースを見ることをお勧めします。
『え!?それもありなの!?』と思いましたよね、ありです。場所中はスポーツコーナーの最初に大相撲コーナーがあり、優勝争いに関わるような取組や面白かった取組を見ることができます。本場所のいいとこどりができるのがニュースなので、18時台にはまだ帰宅できないよ……という方にもお勧めです。

こんな感じで大相撲の話をしてみましたが、どうだったでしょうか。私はたくさん相撲の話ができて満足です。
もしこれを読んで大相撲気になる!と思ったら、5月14日から始まる5月場所をぜひご覧ください!

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最後に2点ほどお知らせがあります!

まず1点目です。来年度のブログ部部長をずきさんから引き継ぐことになりました。ずきさんからお話を頂いたときは、高校生のときに1読者としてこのブログを楽しみに読んでいた私が、ついにここまで来てしまった……!と感慨深くなりました。
1年間精一杯がんばりますので、よろしくお願いいたします!!

そして2点目!明日から4年生部員の最後のブログ更新ウィークがスタートします!
先ほど高校生のときにこのブログを楽しみにしていたという話をしましたが、私の入学直前にブログ部に入部されたのが今年の4年生の先輩方で、何なら初更新からリアルタイムで読んでいたので、ラスト更新が本当に、とってもとっても寂しいです。
もこさん・みちるさん・ゆうなさん・あこさん・やなさん・ずきさん(この順番で更新予定です)のブログをお楽しみに!!私もすっごく楽しみです!!!!

ではまた!次回のブログは4年生になった、「ブログ部部長」のゆきほがお届け予定です。

筋肉は裏切らない

こんにちは、さくらです。

せっかく早起きしたのでブログを更新しなくては、とパソコンを開きました。

先日ブログ部に新しく入る方々とお話したことで「もう一年たったのか」と気付きました。更新日が決まっているため半ば強制的とはいえ、おおよそ月に2回、年にしたら24回ほど継続的に文章を書くことなどそうそうないので感慨深いものです。

私は他人の文章を読むのが好きなので自分のブログより他の方のブログを読むことに熱を注いでいます。日本文学科だからか、皆さんの元々の特性なのか、本当に文章が美味い。誤字じゃありません。上手い文章は美味いんです。先日1年生の方のブログを読ませていただいた時「おっ!」となるものがありました。とても喉越しが良い文章。あと2年足らずで皆さんの美味い文章に肩を並べられえるようになるのでしょうか。

導入はこれくらいにしておいて表題となっている話題に入ります。

筋肉。そうそれは人間の身体にとって大部分を占め、非常に重要な働きをする細胞の集まりです。筋肉が弱ると人間の身体も弱る。人間の健康にとって切っても切り離せない関係なのです。

当の私。小学校の頃は足が速かったですし、中学時代は運動部。高校でもリレーの選手をやるなど文学部の中では運動が出来そうな人間だと思っています。1年生の時、必修の体育で初めに全学科体力テストがあるのですが、毎年平均得点の学科最下位は日文史学科らしいです。非常に不名誉。

入学当初はまだギリ?JK時代のノリと勢いで何とかなる遺産に頼っていましたが、流石に20歳を超えるとヤバいらしいです。

最近の悩み、腰が痛い。

バイトが基本直立不動の立ち仕事なのでどうしても立ち方の癖が出てしまい、左重心になってしまいます。気を付けてはいるのですが、長年染み付いた感覚は無意識のうちに出ているようで……。左側の足の付け根から腰に掛けてが動くとピキッと痛みが走ります。

どうしたものか。医療系で働いている知り合いに相談するとストレッチと筋トレ。筋肉は身体を救うと教わりました。てっきり病院に行けと言われると思っていたのでびっくり。(もちろん痛みが酷いようなら行けと言われました)とにかく腹筋と足回りのストレッチで大分変わるそうなので3週間前から少しずつ実践しています。

するとなんかあれ?ちょっとマシかも。と思えるくらいまではきました。まだ痛いは痛いんですが、ピークの時よりかはずっとマシです。筋トレとストレッチ、すごい。

おまけにちょっと腹筋まで復活してきて鏡を見るのが楽しいです。マッチョが鏡の前で写真撮る気分が分かりました。あとついでに若干、本当に若干脚が細くなった気がします。出来の良い大根がちょっと出来が悪くなった感じ。ストレッチと筋トレで美脚が手に入るなら安いもんですね。

一時期Produce101 The Girlsにハマりスタイルを良くするために出来もしないダンスをはじめ、一時間で力尽きた時のことを考えれば十分な成果です。

締めの挨拶をしようというときに急に思い出したのですが、今!絶賛!Bリーグマスコットキャラ投票が開催されています。我らがサンロッカーズ渋谷のイケクマ【サンディー】に皆さん清き一票をよろしくお願いします!!

https://www.bleague.jp/mascot/2024/shibuya/

web投票はこちらからできます↓

https://questant.jp/q/moy20240326

Bリーグ知らないな、バスケ見たことないなという方もお気に入りのマスコットキャラ見つけてみてください!あわよくばサンディーを一緒に推しましょう!!

ぶらりずっと徒歩の旅

まいますです!💟

1ヶ月ぶり2度目の更新です^_^

最近の私はコアラのマーチ集めにハマっています。

というのも、コアラのマーチは今年で40周年だそうで、絵柄に数百種類もの名前、苗字が印字されてるのです!

絶対に自分の名前を引きたい!

そんなこんなで現時点で合計10箱を購入したのですが、ひとつも出ず…

太っていないかだけが心配で、今日から筋トレを始めました。せめて10日は続けたいです。

さて、本日3月21日で京都に引っ越し2週間になります。

この間家具を揃えたりバイトをさがしたりとドタバタでしたが、すっかり落ち着いて今は大学が待ち遠しい気持ちです。

3月10日より作業を手伝ってくれていた母が関東へ戻り、いよいよ本格的に1人になってしまいました。

母を見送りすることもないのでとりあえず散歩。

今出川から東へと歩き続け、マップを確認すると平安神宮が先にありました。

ということで第一の目的地は平安神宮に決定!

向かう途中綺麗な桜が。

長徳寺に咲いている早咲きのおかめ桜です。青空に鮮やかなピンクがとても映えていました!

平安神宮に向かう最中にも道中にさまざまな石標が。

大河ドラマや時代劇の世界が、何百年も前には同じ場所で繰り広げられていたと思うと、ドキドキします。

こういったものに縁遠い場所に住んでいたので、京都にいるとふとした瞬間に長い長い日本の歴史を感じてじーーん…とします。

特に授業で習ったような知っている名前が出るので、深い知識がなくても、あ!となることが度々^ ^

そこからもう少し歩くと、平安神宮に到着!

あまりにも現実離れした空間に圧倒されました。

平安神宮のホームページによれば、社殿はお祭りしている桓武天皇が開かれた当時の平安京の正庁、朝堂院を約8分の5規模で再現しているそう。

青空×木々×大極殿×砂利が広がるこの景色、本当に感動します!

日本人全員にお勧めしたいです。

さて、平安神宮を出てマップを確認すれば、ずっと下ったところには八坂神社が。

街並みを楽しみたいし節約もしたかったので、電車は乗らず、引き続き歩き続けました。

道中立ち寄ったのは、満足稲荷神社です。

『小さな神社で、大きな満足。』というキャッチコピーの通り、ひっそりと佇んでいる感じの神社なのですが、目を引くものが非常に多かった印象です。

不摂生が祟って口内炎が立て続けにできていたため気持ちを込めて岩神さんをさすってきました。

興味深い授与品も多く、こちらもぜひ訪れてほしい神社のひとつです!

そしてようやく辿り着いたのは八坂神社!

この日は本当に天気に恵まれ、赤と青と緑の色合いが非常に綺麗でした。

大国主社と本殿にお参りし、おみくじと御朱印をいただきました。

祇園方面のため人も多く、あまりしっかりと回ることができなかったのが心残りです!

暖かくなったらリベンジしたいです。

この日はここで終了とし、烏丸通を北上して帰宅しました。

およそ3時間で、歩くだけでさまざまな場所を巡ることができ非常に濃密な時間でした。

景色もいいし散歩しやすいし、京都ってすごい!

少し歩いただけで名所があるという素晴らしさが散歩モチベを上げてくれます。

京都にいる間たくさん歩いて痩せられたらいいなあと思いつつ、コアラのマーチを食べ続ける毎日です。

そろそろこの生活を終わらせたいので、私の名前、早く出ますように…。。。

では!💟

My Hobbies ーギター編ー

皆さんこんにちは。みちこです。

今回は、前回の続きで、私の新たな趣味であるギターについてお話しようと思います。

続きとはいえ、物語のように連続性のあるものではありませんが、読んで頂くと、趣味に対して私がどのように考えているかが分かりやすいと思われますので、一応紹介しておきます。

前回の記事は、以下のリンクから読むことが出来ます。

https://mcm-www.jwu.ac.jp/~nichibun/blog/index.php/author/namekata/

お手数ですが、こちらから「My Hobbies ーイラスト編ー」というタイトルのブログ記事をご覧下さい!

それでは、ギター編、始めていきます。

私がギターを始めようと思ったのは、至って短絡的なものです。それは、

「小説を書くことも絵を描くことも趣味の私が、音楽も趣味になって作曲が出来るようになったら、マルチクリエイターになれるのでは!?」

という、ただそれだけのものでした。どれも、ただ自分の頭の中に浮かんだ言葉やイラスト、旋律を表現したいというだけのものではありますが(笑)

本格的にプロになって、みたいなことは考えていませんでした。これに関しては、今も考えは変わりません。

とはいえ、理由はそれだけではなく。

私の仲が良い友人たちがこぞって楽器を始めたからです。

中学3年生の頃、私は当時仲の良かった4人と、バンド組めたらいいね~なんて本気なのか冗談なのか分からない夢を語っていました。というのも、私たちは当時共通のコンテンツにハマっており、それが「女子高生たちがバンドをする」ことが主軸となっているスマホゲームだったからです。

(ちなみにそのタイトルは「バンドリ ガールズバンドパーティー」というものです。よければ検索してみてください。最近バンドの数が増えてさらに大きくなってきたコンテンツなので…!)

そのコンテンツの影響を受けてなのか、夢を実現させたかったからなのかは分かりませんが、私の周りの友人たちは一斉に楽器を始めました。

これが私がギターを始めるきっかけとなった直接的なエピソードです。

ではなぜその波に乗らず、大学生から始めることとなったのか。

それは、私が楽器未経験者であったということと、高校生になり大学受験を控える身でそのようなことをしても良いのか悩んでいたこと、そして何より、楽器を買うのが高かったというのが主です。

中学時代に楽器を始めていた友達は軒並みピアノをやっていたり、何かしらの楽器経験があったので、未経験の私が飛び込めるものではないと判断してしまいまして。

それにまあ、学生のうちって意外と忙しいものですからね。中々新しいことに手を出している余裕はなかったです。

そんなこんなで、せめて色んな意味で自由になる大学生になってから楽器は始めようと思いました。

そしてその決断を、大学生になった昨年の春に、実際に行動に移した、という次第です。

次に、私がこの趣味を一年続けてきてよかったと思うことを書きたいと思います。

前回の記事にも書いたことではありますが、それは、「世界の見え方が変わる」ということです。

例えば何気なく曲を聴いている時。ギターを弾いていなかった頃には意識していなかった、ベースの音やドラムのリズムの一節が際立って聞こえたり。私が好きな奏法がアルペジオという奏法だということも。

ゲームで何気なく流れているBGMにも、好きな旋律があったり、それを具体的に説明できるようになったりすることは、間違いなく私がこの一年間、ギターと少しでも向き合ってきた結果だと思います。

とはいえ、聞き分けることはできても、実際に弾けるか否かは別のお話であるということも、この一年で痛感しました。

初心者向け!簡単!と動画などで紹介されている曲でも、実際に弾いてみると楽器未経験者の身にはめちゃくちゃ難しいことが分かりました。

未だに完璧に弾けるようになった曲は一曲もありませんから(笑)

じゃあ一年間私は一体何をしてきたんだ、って話になりますが。

確かに、ギター奏者としての私はほとんど成長をしていないことになります。

しかし、「音楽を聞く」ことにおいて、気付きが増えたというだけでもギターをやって良かった、と思っています。

以上、二回にわたって、私が趣味に対してどのような考えを持っているのか、お話をしてきました。

私にとって趣味とは、「自分の世界を広げてくれた・自分の世界を豊かにしてくれた」ものです。

イラスト然り、ギター然り。小説然り。

でも私は単に、「知的好奇心」が旺盛なだけかも知れないです。

このブログ記事を書いていて、そう気づきました。

趣味を通して何かを知っていくことで、それに関連するものや日常生活が少し変わったものに見えてくる。

全く関係なさそうなのに、実は関連性があって、それに気づけたときのあの達成感。

「あっ、これってそういうことなんだ!」

ーーーこんな体験、皆さんもどこかでしたことがあると思います。

特に、自分が小さくて、何も知らなかった頃のことを思い返してみて下さい。そんな体験が、きっとどこかにあったはずです。

私はそれを味わいたくて、これらの趣味を楽しんでいるのかも知れないな、と今回新たに気付きを得ました。

趣味って、単にその人の心を救うだけじゃない。

何か学びを得て、気づき、その欲求を満たしたいからこそ、私は趣味を楽しんでいる。

おそらく、趣味についてこんなに深く考えている人は少数派でしょう。

ですが、こんな考えを持つ人もいるんだな、と心に留めてくださるだけでもうれしいです。

次回は…そうだな…私の「推し」について話そうかな、と思います。

単に「推し語り」や「布教」をするわけではなく、「私にとって推しはどのような存在なのか」。

そんなことを綴っていこうかと思います。

長くなってしまい、大変失礼いたしました。

それではこの辺で、失礼します。

美の難しさ

高知出身で京都の大学に通う知人と話すとき、私のボケやツッコミはたいていすべる。

そもそも話す速度が違う。

笑うタイミングと、尺と、呼吸の深さと、なにかが少しづつ違って、その違いに私は毎度癒される。と同時に、アイスホッケーのごとく机上で見事にすべっていく私の言葉たちに、少々涙を捧げる作業にいそがしくもなる。

西と東の会話では時間の流れ方が少し違うのかしらんと思い、もしそうであれば、私はいつのまに気が短くなってしまったのやらと思うも、気の短さのために思い続かず。

*****

まいです、ごきげんよう❀

この春休みに大学の友人ら6人で京都大阪旅行に行ってまいりました。その6人の中にはこのブログ部に所属しているメンバーも数人いるので、お話がかぶることがあるかもしれませんが、お許しください。

メインは清水寺周辺での舞妓体験でした。

メンバーの一人が「舞妓は10代までらしいからなるべく若いうちに体験したい」と言い(その発言の時点で既に20代に突入し1年が経過している)、そのために京都に行くという順序で決まっていきました。

舞妓体験では、お化粧からお着物、頭まで舞妓さんと同じようにセットをしてもらい、写真撮影のほか周辺の土地を散策することができます。

6人のうち3人は先にお着物選びを、残りの3人は先にお化粧をという手順になりました。

〈鏡台前。襦袢の襟が触れる首元に涼しさを感じながら息を潜めているとたちまち鬢付け油が顔と肩周りに塗られていきます。〉

それが想像以上に力技で笑、鬢付け油って硬いんですね。髪の毛のワックスのようなテクスチャ、するすると塗り広げられるようなものではないので、スタイリストさんが手につけた鬢付け油を頬に塗っていく仕草とは反対方向に顔を振り動かすくらいの気持ちでいないと、うっかり顔がもっていかれてしまいます。

〈天井の灯りをてらてらと映す肌に、広いハケでおしろいが塗られていく。おでこから鼻先まで冷たい筆が撫でていく感触に不思議な安堵感が湧いていきます。〉

この時点で目を開けるともう、誰という感じです。私たちはどうして鏡を信じられるんでしょうね。どうやらそこには「白塗りの私」がいるようでした。

目の際と唇に紅を差し、姿を見つめると、「私は作品になった」と感じました。鏡を見ているようで他人を見ているような、人を見ているようで色を見ているような不思議な感覚です。

同じように化粧を終えた友人たちは私の思う舞妓さんの表情をしていました。アイラインがタレ目に引かれ口角が引き締まり、想像する「舞妓」です。ところで私は、なんだか舞妓というより歌舞伎役者のような仕上がりになっていました。アイラインがつり目に引かれていたのかな、はんなりというよりイケメンになっていて笑、新鮮な気持ちになりました。

肌が白くなるということで「肌に合わない色」というものがなくなるとの助言をいただき、着物選びをしました。(振袖は紫味とある赤を着たから青系かな…でもピンクも王道で可愛いし…黒も着てみたい…。)

白になりました。

白地に昇って行くような青い洋風な花々。

そこに黒地に金糸の帯を合わせると着物は表情を変え、大人しい雰囲気からたちまち威厳ある様相になりました。着物ってそこが魅力ですよね。

*****

カメラマンさんに6人の集合写真を撮っていただき、さっそく60分の散策へ。

お団子食べたり抹茶飲んでる写真とか撮りながら歩く、という想像をしていた私は甘かった…。

「舞妓さんは外で食べません。飲みません」と言う着付け屋の女将。

「でも、今回は写真撮影はOKにします。ほんとは写真を撮られるのも撮ることもだめなんですけどね」

重いカツラ。不自由な体。締められた帯。そして、飲食NG散策…。私たちはここにきて舞妓の現実を突きつけられたのです…!!

予定ではこの舞妓体験をする前に、清水寺で食べ歩き、ある程度お腹がふくれているはずでした。しかし、京都駅から清水寺方面へのバスが長蛇の列でしばらく乗れそうになく、徒歩にしたことで、昼食を取っていなかったのです。

空腹に畳み掛ける空腹。かなりハードな1時間になる予感がしました。

……しかし、しかしそれでもまだ私たちは甘かったのです。

本当に大変なのは、空腹ではありませんでした。本当に大変なのは、「注目の的」になることでした。

そんなじゃないだろうと鼻で笑わないでください。

問題は数。舞妓の格好をした人(というか観光客にとってはリアル・舞妓)が6人いたら、確かに見応えがあり、派手で、目立たずにいることの方が困難です。

交通に影響が出るほど路に外国人観光客の方が集まり、一緒に写真を撮ったり知らない間に盗られたり、前にも後にも進めない!という状況。漫画にありがちな、“有名人が普通に街に出たら風で帽子が飛ばされて正体がばれ急に大騒ぎになる”的な具合に人が集まり、いや、でも有名人と言うよりは動物園のパンダを見るように囲まれていました。あれは間違いなく人生で最も注目された瞬間でした。

…空腹。飲食なし。重いカツラ。きつい帯。身動きの取れない着物。そして、想定外の注目…人、人、人…。

体験場所に戻るとみんな一回り痩せたようでした。そして素の姿に戻った時の開放感溢れる笑顔。

「10代まで」もある意味、納得です。

*****

今、写真を見返すと、楽しかったな〜いい体験したな〜と幸せな気持ちが先行しますが、いざ書いてみるとこんな苦労があったようですね。

女子大学生6人の京都旅はこんなものでしょうか。

とにもかくにも楽しいよき旅でした😊

ちゃんちゃん