こんばんは。かつーんです。
一昨日21日、卒業式及び卒業記念パーティーがありました。
それぞれの詳細は他のメンバーが(多分)語ってくれるので省きますが、祝辞を下さった方の中にワタナベエンターテインメント代表取締役社長であり、渡辺プロダクション代表取締役会長でもある渡辺ミキさんがいらっしゃいました。
(「あさが来た」の成澤泉役の瀬戸康史さんの所属事務所のご縁と仰っていました)
渡辺さんに祝辞を頂くと知った時、驚きのあまり息を呑んでやや前のめりになってしまいました。
と言うのも母と渡辺さんが同級生なので、大層驚いていただろうと思ったからです。
母は少しでも顔を合わせられないかと卒業式が終わってすぐに探したものの、残念ながら会えなかったそうです。
それでも同級生が壇上に立って話すのを見て、とても感慨深かったと言っていました。
不思議ですが、こういう巡り合わせはあるのだとほっこりしながら思いました。
さて、今日から4年生の最後の記事が連続してアップされます。
私がトップバッターであることについては少々「解せぬ」という気分ですが、どうぞ6日間4年生の振り返りにお付き合い下さいませ。
このブログで記事を書かせて頂くことになったのはご縁なのですが、ブログの記事を書くということは私にとってそう簡単なことではありませんでした。
なぜなら、どのような記事を書けば良いのかということを考えるのが難しかったからです。
記事の内容は「日本文学科の女子大生が、どのような大学生活を送っているのかが分かるようなもの」ということ以外特に規則がなく、本当に自由です。
しかし、ブログとして公開する以上読み手は必ずいる為、その人達がどのような記事を読みたいのかを意識した方が良いのではないかと考えました。
そこで個人的なルールとして、資格関係や履修、授業、自主ゼミなど大学関係の情報をなるべく多く盛り込むことにしました。
したがって過去の記事を見て頂ければ、そのような硬めの記事にちょくちょくぶつかることと思います。
ブログの「情報発信」という役割を、私なりに重視してみた成れの果てです。
先程「難しかった」と書きましたが、要は難しく考えすぎていたに過ぎません。
しかし、読み手を意識して書くということは、大変勉強になりました。
私は文章を書くことがそう得意ではない上に、外出してネタを捻出するということもあまりしなかったので、結構記事を書くのに苦戦しました。
その中で読み手を想定し、書きたいことや書かねばならないと思うことを整理して、必要な分を分かりやすく簡潔に書くことは、本当に良い訓練になりました。
最初の頃の記事と比べて、最近の方が不必要な内容を省いたり、拙いながらもオチをつけたりして、僅かに内容や情報量のバランスが良くなっている気がします。多分ですが。
(テスト中など明らかに手を抜いているものは除きます)
このことを含めても、このブログで記事を書く機会に恵まれたことは、本当に有難かったと思います。
この記事を以て一書き手ではなくなりますが、後輩はまだまだ書き続けます。
そうして脈々と続いていく様を、今度は一読み手として眺めながら、このブログを通して培ったものを何かに活かしたいと思います。
それでは、今までお付き合い頂き、本当に有難うございました。
投稿者「katuun」のアーカイブ
学びは続く、いつまでも
こんばんは。かつーんです。
暖かくなったかと思えば寒くなり、晴れたと思えば雨が降る、正に三寒四温といった天気が続きますね。
雨はあまり好きではないのですが、杉の花粉が飛び交うこの時期だけは例外で、諸手を挙げて大歓迎しております。
種の存続を考えると仕方のないことと思いつつも、憎たらしいものは憎たらしいです。
杉花粉撲滅運動を掲げる弟に倣う訳ではありませんが、つい「くたばれ杉花粉」と言ってしまいます。
(言葉が悪いのはご容赦下さい)
友人は割と花粉症でない人が多いので、この苦しみを共有できないのが少々残念です。
ただ花粉症はとかく苦しいので、かかっていない方が1日でも長くかからずにいることを祈ります。
さて、今回はあるシンポジウムに参加して徒然と考えたことについて少し取り上げたいと思います。
先日12日(土)に日本女子大学文学部・文学研究科学術交流企画「定家のもたらしたもの」の第3回シンポジウム「定家の築いた『古典』とは」があり、そのお手伝いをしてきました。
お手伝いと言っても会場のセッティングと誘導をちょろっとしただけで、一般の参加者の方々と同じようにお話を聞き、懇親会にも出席して美味しいものを頂いたので、役得と言わんばかりのお仕事でした。
パネリストの方が有名だったり、このシンポジウムが最終企画だったりと様々な理由から大勢の方が来場し、定家のネームバリューの凄まじさを再確認しました。
因みに、以下がパネリストの方とそれぞれの題です。
伊井春樹先生 〈阪急文化財団逸翁美術館館長・大阪大学名誉教授〉
『源氏物語』の本文と書写活動と
浅田徹先生 〈お茶の水女子大学教授〉
書き入れ注記から見る定家の古典観
杉本まゆ子先生 〈宮内庁書陵部文書研究官〉
古今伝授に見る定家
お話の中に聞き慣れない言葉がちらほらあり、精進が足りないことを実感させられました。
浅田先生は「一般の方がいる中、専門用語を多用しても着いてきてくれた(記憶が薄れた上での意訳)」と仰っていましたが、恐らく普段の学会などよりも噛み砕いた説明をされていらしたのだろうと思うので、まだまだ勉強不足なのだと思います。
『源氏物語』の写本の系統や、勘物(古写本の持つ研究的な書き入れ)など興味深い話の種はいくつかあるのですが、懇親会での印象的だった発言を取り上げます。
懇親会ではパネリストの方は勿論、懇親会に出席した先生方のご挨拶も伺いました。
その先生の一人が「勉強はいつまでも続く」といったようなことを仰っていました。
当たり前と言えばそうなのでしょうが、勉強することはいつまでもなくならずにあり続けるんですよね。
児童、生徒、学生という枠を越えても勉強することはできるし、常に勉強していかねばなりません。
私はまだしばらく机上での勉強が主ですが、同級生は就職して異なる勉強を重ねていきます。
それぞれがそれぞれの道を歩き始める今だからこそ、ひどく印象的に思えたのかなとぼんやり思いました。
(先生が仰りたかった意味とは異なった受け取り方をしていますが)
連綿と続く女性の社会進出
こんばんは。かつーんです。
皆様は昨日の朝ドラ「あさが来た」をご覧になったでしょうか!?
成瀬先生もとい成澤泉が次回予告に登場しましたよ! 少々コメディチックでしたが!
1月30日の話で初登場してからそう間もない再登場ということで、きゃーきゃー叫んで喜んでしまいました。
(まだ先は長い為に、銀行の話がもうしばらく続くと思っていたので)
女性銀行員の採用の話に始まり、その教育や勤務実態を描き、働く女性の社会的立場を窺わせる場面を挟んで、成澤泉の「女子の教育に興味はありませんか!?」に続くのが非常に自然かつテンポが良くて、とても面白くて良いなぁと思います。
女性が活躍する歴史ドラマはいくつかありますが、明治以後の女性の社会進出の最初を取り上げたものはそう多くは見られないような気がします。錯覚やもしれませんが。
そう考えるとこの作品は結構貴重なのかもしれないと、あさが計算の練習をさせている場面を見てふと思いました。
さて、今回は先日行った友人との女子会(多分)について少し取り上げたいと思います。
先週の水曜日に、日本文学科に進学した附属生の友人と久しぶりに集まって、一緒に夜ご飯を食べてきました。
(ここでは日本女子大学附属中学校あるいは附属高等学校に通っていた人を「附属生」と呼んでいます)
卒論のゼミが異なる為にあまり遭遇しない上、バイトなどの都合でなかなか集まることもできず、春休み中に一度会おうという話が無事成った次第です。
お酒を飲んだことも相まって、話の内容は多岐に渡りましたが、最初に挙がった話題は就職に関することでした。
友人は皆無事に決まったようで、研修や入社日の話を聞いてほっとしたと同時に、友人が知っている知り合いの就職先の話も聞くことができました。
中でも特に印象深かったのは、他学科ではありますが附属生の何人かがCAになったという話です。
近年はどこに行っても就職難だと耳にします。
しかし、その傍らでこのように就職している同級生が何人もいます。
上述の話が印象深く感じられたのは、取り上げられた名前が少なくとも4・5人いた為です。
知り合いでそれだけCAになっているということは、66回生の中でCAになった人はそれ以上にいる筈です。
つまり、就職難と言われる中でも、私の友人や知り合い、もとい日本女子大学の学生はしっかり就職している人が多いのではないかと考えられます。
(かなり暴論じみた見解だと思いますが、記事の長さ上ご容赦頂けると幸いです)
勿論、就職した人の中には思うような就職ができなかった人も多くいると思います。
人生が懸かっていることとは言え、それでも粘り強く就活を続けて最終的には就職先を勝ち取ってきていることは、やはり大変かつ素晴らしいことなのだと思います。
就職難はまだまだ続くでしょうが、これから先就活する皆さんも無事就職できて、女性の社会進出が続くと良いなぁと思います。
ところで、附属生の友人は皆「あさが来た」を視聴しているとのことでした。
五代友厚に傾倒して五代ロスになった人もいれば、成澤泉役の瀬戸康史に少々の不満がある人もいる一方で、ちゃらんぽらんさが目立つ初期の新次郎の方が良いと思う人などもおり、「あさが来た」の感想も様々出ました。
皆かなり楽しんで観ているようですが、やはり万人が良いと思うものを提供するのはかなり難しいのだと思います。
その2ヶ月は長いか短いか
こんばんは。かつーんです。
今度の月曜日、即ち25日に久方ぶりに母校である附属高校に行ってきます。
というのも、その日に附属高校の2年生が対象の学科説明会があり、そのお手伝いをすることになったからです。
学科で勉強できることや取得できる資格、卒業後の就職先の例などを4、5分で簡単に説明し、全学科の説明が終わった後に開かれる個別相談で相談にのることが仕事です。
2016年度の大学案内や、日本文学科に対してよくある質問一覧は既に受け取り、話す内容の順番は大体決まったので、あとは時間内に収まるよう何度か練習するのみとなりました。
僅かな時間で大勢の人が日文を目指すようアピールするのは流石に無理ですが、日文に進学しようか迷っている人や、進学した後が想像できずに不安を抱えている人の手助けになれるよう、また日文の魅力が少しでも伝わるよう、頑張りたいと思います。
取り敢えず、他の学科は2人お手伝いがいるようなのですが、日文だけ私1人で迂闊に風邪がひけないので、残り数日気を付けたいと思います。
さて、今回は卒論提出後の4年生のあれこれについて取り上げたいと思います。
4年生は先月中旬に卒論を出したので、卒論の演習授業以外に授業をとっていなければ、羽を伸ばしたり、就職先で要求された資格を取得すべく勉強したりしている方々が大半かと思われます。
私のようにレポートだ試験だと言っている人も一握りはいるでしょうが。
ただ、2月には卒論の口述試験が待っています。
これを受けなければ卒論の単位を取得したとは認められず、這ってでも行かねばならない大事なものです。
また、受けたからといって確実に通るとは限らない大変恐ろしいものです。
(余程酷くない限りは大丈夫だという話を聞くと同時に、受ければ卒業できると安心して良いものでもないという話も聞きます)
今年度は9日(火)に行われると先日掲示が出ました。
先生と2対1で行うとのことですが、かなーり細かい所まで突っ込んで聞いてくるようなので、試験が終わったら卒論のコピーと再度にらめっこしようと計画しています。
私達の学年は例年よりも1.2倍くらい学生が多く、その分時間が掛かる為、先生方も大変そうです。
それから、一部の4年生は卒論の発表をします。卒論発表会です。
3年生は必修ですが、1・2・4年生は自由に聞くことができ、私も赴く気満々でいます。
上代、中古、中世、近世、近代、日本語、漢文、日本語教育、図書館学の9分野の卒論が午前と午後に分けて発表され、間の休憩時間では卒論そのものを読むことができます。
中古は今年3人が発表するのですが、えりこさんがその一人に選ばれました! ぱんぱかぱーん
さとよさんやさえこさんも発表するようで、友人や知り合いの名前を他にも見つけた時は「私の周りの人って、やっぱり優秀な人多かったんだなぁ・・・・・・」としみじみ思いました。
いずれも興味深い卒論ばかりなので、今から聞くのが楽しみです。
(発表用のレジュメを作らなければならないえりこさんやさとよさん、さえこさんは大変でしょうが)
2月8日(月)の9時半から、百年館低層棟の505教室にて行われるので、どのような卒論を書いているのか興味がある在学生の方は、是非出席して下さい。
これらが終わると、何事もなければ後は卒業まっしぐらになります。
今はまだ2ヶ月先のことだと笑っていますが、恐らくこの2ヶ月はあっという間に過ぎるのでしょう。
それまでの間にやれることはなるべく取り組んで、悔いの残らないように過ごしたいと思います。
「愛校精神」とは何なりや
こんばんは。かつーんです。
我が家では昨日に引き続き、駅伝でテレビが占領されています。
というのも弟が愛校精神(早稲田)を持った陸上好きな上、両親もスポーツ観戦が好きな方なので、朝からチャンネルが日テレに固定されているのです。
(CMに入るとちょろっとチャンネルを切り替えることならありますが)
ニューイヤー駅伝にしろ箱根駅伝にしろ、一聞けば五ぐらい返してくれる解説者がいるのは有難いのですが、私はそこまで好きでもないので、「早稲田って今何位なの? 4位? ふーん」といった感想しか出て来ません。
抜いたり抜かされたり抜かれそうになったりする度に、「行け行け行けー!」だとか「よしよし」だとか「あー!」だとか叫んで一喜一憂する様を見ると、幸せそうだなぁと思います。
昨年は風邪をひいていたにも関わらずテレビにかじりついて観ていたので、本当に好きなことに対しては誰であれそんな感じなのでしょうが。
何はともあれ、元日から3日までは昼頃までのチャンネル権など回ってこないので、のんびり惰眠を貪ろうかと思います。
さて、今回はちょっとした愚痴を書き連ねようと思います。
(……ネタがない訳ではありませんよ?)
夕食後に、年末に撮っておいたとあるクイズ番組を観ていた時のことでした。
東大・京大の学生に聞いた有名な女性の偉人のランキングを基に、写真や映像などから偉人の名前を当てたり、その人物に関連づけた問題に答えたりするクイズで、広岡浅子がその一人として出て来ました。
広岡浅子よりも前に村岡花子が出て、朝ドラ「花子とアン」で有名になった旨が解説中にあったので、広岡浅子の解説で「『あさがきた』についても触れるだろうし、良い宣伝になるな」と暢気に考えていました。その時までは。
予想通り「あさがきた」に触れてくれたのですが、問題はその後でした。
「女性の教育にも力を注ぎ、日本初の女子大学『日本女子大学』を設立」(ややうろ覚え)というテロップが出て、広岡浅子が日本女子大学を創立したと受け取れる説明がされたのです。
思わず「原稿書いたの誰だ!?」と叫んでしまいました。
仕方のない部分もあるというのは分かっています。
日本女子大学の設立に広岡浅子が関わっていたのは確かで、この表現もあながち間違いではないというのは重々承知しています。
そもそもクイズ番組の簡潔な解説の中で、そこまで正確な表現を求めるのもお門違いなのでしょう。
短い時間の中で、その点にしっかり触れてくれたことを喜んで終わるのが普通の形なのだと思います。
ただまぁ、日本文学を追究する学科にいて、国語を司る職業を目指す者としては、なるべく正確な表現を心掛けたいなぁと思う訳です。
あながち間違いのない表現と言えど、この部分だけを見れば「広岡浅子=日本女子大学の設立(創立)者」と受け取る人は多いと思います。
クイズ番組を観た人全員が、それで得た知識のみで自分の知識を構築しているとは思いませんが、初めて知った人はそれをちょっとした知識として得る訳です。
実際のこととは少しずれた情報が広まってしまったように感じられて、もどかしいような、居心地が悪いような、複雑な気分になります。
正しさだけを重要視する訳でもありませんが、やはり少々納得し難いんですよね。
これも愛校精神の形の一つなんでしょうか。うーむ。
いずれにせよ、しがないテロップに過剰反応しているだけとも言えますがね!
それはさておき、今月末には「あさがきた」に成瀬先生もとい成澤泉が登場するんですよね。
前々回の記事の枕で取り上げた時は随分先だと感じていましたが、いざ1月に入るとあっという間にその時が来たという気がします。
何やらNHKの番組でもほんの少し取り上げられていたようですし、その時が刻一刻と迫っているということです。
それより前にレポート提出やら定期試験やらが待っているのは気が重いですが、一月末を楽しみにしたいと思います。
侮り難し、各種スポーツとポップカルチャー
こんばんは。かつーんです。
やっと! 成瀬先生の! キャストが! 発表されましたね!!
しかも瀬戸康史さんです! 十五代ヘンゼルです!
(因みにヘンゼルというのは、NHKの番組「グレーテルのかまど」における瀬戸さんの役名です)
ある友人が「ちょっと恰好良すぎない?(意訳)」と言っていましたが、私を始め、母や別の友人は概ね満足です!!
名前も「成澤泉」だそうで、成瀬先生と苗字の音が近いのも良いと思います。
前回の記事で成瀬先生のキャスト発表を待っている旨を書きましたが、まさかその1週間後に発表されるとは、良い意味で裏切られました。
どうやら1月末の回辺りから出演されるようなので、今からとても楽しみでなりません。
さて、今回はラグビーを中心とするスポーツとポップカルチャーについて、思うことを書き連ねたいと思います。
私の両親は(テレビでの)スポーツ観戦が好きです。
サッカーや野球、テニス、水泳、スケートなど、面白そうな試合であれば割と何でも観ます。
その中でも結構好んで観ているのはラグビーです。
今日も早稲田と慶応の試合があり、2人で観戦していました。
私は両親ほどスポーツ観戦が好きではありません。
しかしルールやポジション、強豪校の大雑把な歴史など、聞くと教えてくれることが多いので、ぽけーっと一緒に観る時もあります。
父によると、ラグビーは昔そこそこ人気のスポーツだったけれども、近年は以前よりもマイナー寄りになってしまい、最近五郎丸選手の影響でまた少し注目を集めつつあるとのことです。
ただ、特に人気が爆発したのは、山下真司さん主演のドラマ『スクール☆ウォーズ 〜泣き虫先生の7年戦争〜』が流行った頃だろうとも言っていました。
(※あくまで個人的見解なので、受け取り方には個人差があるかと思われます)
このドラマは私が生まれる前に放送していたものなので、そう知識はないのですが、今でも懐かしのドラマ特集といった番組で見かける気がします。
ラグビーとドラマの話をした時、父は他のスポーツについても軽く話してくれました。
例えば、バスケは一昔前までは不良がやるもののような、悪い印象があったということ。
それが井上雄彦さんの漫画『SLAM DUNK』が流行った頃にイメージが大きく変わって、今のような割と人気のスポーツになっただろうということです。
(※これもあくまで個人的見解に過ぎません)
父の話を聞いて、スポーツの人気とその当時流行ったドラマや漫画とは、結構密接な関係にあるのだろうとぼんやり考えました。
例えば、少し前ですが映画・ドラマ『ウォーターボーイズ』が放映された頃には、新聞やニュースでシンクロブームについて取り上げられていました。
稲垣理一郎さんと村田雄介さんの漫画『アイシールド21』が連載されていた頃、アメリカンフットボールの知名度が少し上がったという話を聞いたような気がします。
最近であれば、渡辺航さんの漫画『弱虫ペダル』の影響でしょうか、自転車部での活動云々といった話を耳にする機会が増えたように思います。
スポーツに限らず、ほったゆみさんと小畑健さんの漫画『ヒカルの碁』で囲碁が、末次由紀さんの漫画『ちはやふる』で競技カルタが、より注目されるようになったと考えられます。
全てのスポーツや競技が、ドラマや漫画で知名度を上げたとは言いませんが、スポーツや競技に対するそれらの影響は、結構大きいのではないかと思います。
しっかり視聴率や売り上げなどの統計を取ったり、当時のニュースや記事を追いかけたりしたら、ちょっとしたポップカルチャーの研究になって、案外面白いのかもしれないとぼんやり考えました。
ところで、私の叔父は会話の中で早慶をネタにすることが時折あるのですが、スポーツ観戦はあまりしないようです。
ネタにするくらいなら、何かしら早慶の試合を観たらどうだろうとつい思ってしまいました。
問、当記事において「3」とは何の数か
こんばんは。かつーんです。
今、我が家のリビングにある時計が生き急いでいます。
1週間ぐらい前から5分、10分と少しずつ早い時刻を指すようになっていたものの、数日前から1時間ほど先走るようになり、今では2時間近く時間の先取りをしています。
結構長く使っている時計なのですが、今回のようなことは初めてで少し驚きました。
止まる気配も遅くなる様子も全くないので、どこまで急ぐのか少々わくわくしながら見守りたいと思います。
さて今回は上手くまとめられなかったので、「サザエさん」の次回予告に倣い
1.かつーん、露骨に朝ドラの宣伝をする
2.かつーん、控えめに国語国文学会秋季大会の告知をする
3.かつーん、食事中にNHKの本気を垣間見る
の3本立てでお送り致します。
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蜻蛉づくし紀行
こんばんは。かつーんです。
突然ですが、皆様は疲れた時にどのような甘いものをよく摂取なさるでしょうか。
私は年間を通してチョコレート(ココアも可)を摂取することが多いです。
今日も調べ物をしていて休憩する際に、生協でチョコブラウニーを買ってしまいました。
普段、生協ではお菓子類をあまり購入しないのですが、85円まで値下げされていたのと、程良い大きさだったことから食欲に負けました。
思考力が低下している中での糖分補給だったこともあり、とても美味しく感じられて、思わず10本くらい買い占めて非常食にしようか真剣に悩んだほどです。
やはり甘いものは偉大ですねぇ。
さて、今回は小旅行について少し取り上げたいと思います。
一昨日、ちょっとしたご縁で京都に小旅行に行ってきました。
大まかな行程は以下の通りです。
上村悦子先生のお墓→粟田神社→月心寺(走井)→蝉丸神社[上社、中社、下社]→関寺(長安寺)→打出浜(琵琶湖湖畔)
時間の都合で石山寺には行きませんでしたが、この行程は少しばかり『蜻蛉日記』の石山詣の行程に則しています。
9月頭に行ってきた中古自主ゼミ旅行では『蜻蛉日記』に関する場所に行ってきたのですが、今回の小旅行でもこのような具合だった為「最近、愉快なくらい『蜻蛉(日記)』づくしだけど、これは『蜻蛉』をしっかり勉強せよという啓示なのだろうか……」と思ってしまいました。(苦笑)
約1ヶ月前にフィールドワークの大切さを痛感したばかりですが、やはり実際に訪れて見て分かることは多いと再度確認しました。
例えば、走井の名前の由来は何なのか考えることができました。
走井には名前の由来が2つあるとされます。
①水が井戸からよく湧き出てくることから
②水が駆け回るように流れていることから
唐崎祓を扱っている間も走井が出て来ましたが、いくつかの注釈書では①の説を取っていました。
小旅行の資料の中にあった『東海道五十三次』の風景画や、月心寺で下の走井を見て、①の説を取ってもおかしくはないと感じました。
(今回の小旅行を引率して下さった方は、②の説が有力なのではないかと考えていらしているようで、私も②の説寄りですが)
他には、京都から琵琶湖までの遠さを痛感しました。
今回の小旅行では、粟田神社から月心寺の移動の際に京阪電鉄を少し活用したぐらいで、後は全て徒歩で回りました。
自主ゼミ旅行で少しは慣れているので、比較的傾斜が緩かったこの行程では、筋肉痛になることもなく歩き終わることができました。
ただ、打出浜が遠かったのは確かで、道綱母が這う這うの体で行ったのも無理なかったと思いました。
(『蜻蛉日記』の石山詣の記事にて、逢坂の関を経て打出浜に到着した際「関うち越えて、打出浜に死にかへりて至りたれば」(『角川ソフィア文庫』より引用)と書かれています)
また、逢坂の関についての理解が深まりました。
道中で逢坂の関に関する掲示を見られたことも大きいのでしょうが、実際に歩いて体感したことが良かったのだと思います。
山を拓き、道を舗装した現在では、昔逢坂の関であった所を辿るのは割と容易いです。
しかし、和歌で逢坂の関を越えること、あるいは越えられないことが詠まれていたり、牛車では逢坂の関を越えられなかったのではないかという説があったりすることから、様々な意味で当時は大きな関門だったのだろうと推測されます。
改めて、当時逢坂の関を越えることは大変だったのだろうと考えました。
そのような具合で、今回の小旅行もまた勉強になることばかりでした。
再度頂いた資料を見返して、今後の勉強に役立てたいと思います。
ところで、蝉丸神社の上社、中社、下社全てに蝉丸の「これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関」の歌碑がありました。
それぞれの社のできた経緯を見ると、いずれの社にも歌碑があるのは当たり前なのですが、連続して見たことで有難みが半減したような気分になりました。
せめて移動させるとか、何か方法を取れば良かったのではないかと思ってしまいます。
意味のある「確認」を
こんばんは。かつーんです。
いよいよ後期の授業が始まりましたね。
私は月曜に登録している授業がないので、厳密には明日から大学通学を再開するのですが、レポートの提出やら卒論含む諸々の期限が近付いたと思うと……。
……あと2週間、いや1週間くらい夏休みがほしいです。
特に弟は来週のシルバーウィーク明けから後期が始まる為、まだのんびりしており、非常に恨め、いえ羨ましい思いでいっぱいです。
(おのれ、文kげふんげふん)
まぁ、うだうだ愚痴をこぼしたところで何も変わりはしないので、気持ちを切り替えて後期の授業に臨みたいと思います。
ただ、前述の諸々で昼夜逆転が直っていないので、それだけは早く何とかしなければ……。
さて、今回は2週間前に行った中古自主ゼミ旅行について少し取り上げたいと思います。
9月1~3日の間に、京都に行ってきました。
簡単な日程は以下の通りです。
1日目:北野天満宮、御室仁和寺、妙心寺
2日目:比叡山延暦寺(横川地区、東塔地区、西塔地区)
3日目:風俗博物館、京都国立博物館
それぞれの日の内容を細かく書き連ねるとくどいので、簡単にまとめるに留めておきます。
ということで、感想をば。
まず、どの日も天候に恵まれました。
1日目と3日目は雨に降られたので、厳密に言うと恵まれていないのやもしれませんが、降られたタイミングが良いことが多かったです。
(3日目は建物内にいることが大半だったので、左右されずに済んだと言えますが)
中でも1日目は、北野天満宮を見学している途中で小雨が止み、京福電鉄北野線で移動中に降られ(降りた駅では止んでいました)、仁和寺の中を見学している時と屋根のある休憩所でゆっくりできる時に酷い雨をやり過ごすことができました。
2日目も雨に降られなかっただけでなく、山の上ということもあってとても涼しく、快適な気分で歩き倒せました。
雨が降る中、静かな仁和寺の庭園を眺めるのも風情があって良かったのですが、やはり天気が良いと見学しやすくて有難かったです。
天候に恵まれるという運の良さに、感謝したいと思います。
それから、フィールドワークは大事なものだと改めて感じました。
技術が発達し、便利な機械が普及した昨今、私達は行ったことのない場所の知識や情報を簡単に入手することができます。
その為、旅行は感動や景観の「確認作業」であると感じている人が増えたように思います。
確かに、写真や映像で見られる(或いは見られた)ものを、直に自らの目で見に行くことは、ただの「確認」でしかないでしょう。
しかし、事前にしっかり勉強をした上で歩き、見聞きすることで、単なる「確認」ではなく、過去の人たちの行動を追体験するような、何か意味のある「確認」にすることができると思います。
例えば、『蜻蛉日記』を取り上げている中古文学演習Ⅰの授業で、私は道綱母が唐崎祓をする所を扱っています。
今回の旅行では唐崎に行きませんでした。
比叡山に向かう途中で通り過ぎただけです。
それでも電車や比叡山の上から琵琶湖を含めて眺めることはでき、京都駅からの遠さや琵琶湖の大きさを改めて痛感し、道綱母の旅路に思いを馳せられました。
また、北野天満宮を訪れた日は防災の日だった為、社殿の横で消火訓練が行われており、珍しいものが見られたと少し喜びました。
宝物殿などいくつかの社殿は工事中で見られず少々残念に思っていたのですが、貴重な体験ができて、『徒然草』第52段の仁和寺の某法師はもったいなかったと小さく笑ったほどです。
更に、延暦寺に行った時はバスを駆使して各地区を回ったものの、きつい坂道を歩き通したり急な階段を上り下りしたりしたので、親鸞聖人を始めとする数々の法師の修行は大層厳しかったのだろうと思いました。
(特に法然上人の修行の地とされる法然堂は本当に急な坂の下にあり、上るのも下るのも大変でした……)
お神籤発祥の地である元三大師堂では、お神籤の由来を僧侶の方から伺えて、とても勉強になりました。
目的が観光でも勉強でも何でも、自分の足で訪れて見るのならば、やはり意味のある旅行にした方が楽しくて良いと思います。
(その為には入念な準備が必要ですが)
旅行が単なる「確認」にならないように楽しむことができれば、言うことないですね。
ところで、延暦寺を回った日はひどく疲れたものの、回っている最中は引きこもりで体力なしの自分にしては元気に歩き回ることができました。
(翌日しっかり筋肉痛になりましたが)
そのことを帰ってから母に話すと、「6年間毎日生田の山を登っていたおかげじゃないの?」と言われました。
他に思い当たる運動がないので、恐らくこれのおかげなのでしょうが……え、まさかほんまかいな。(真顔)
塵も積もれば山となってくれるようなので、皆様もどうぞ小さなことでもこつこつ積み重ねて下さい。
自愛は大事
こんばんは。かつーんです。
今日で世界陸上が終わりましたね。
私の家族は割とスポーツ観戦が好きです。
中でも陸上は弟が好きなスポーツで、ここ何日かずっとテレビのチャンネルがこれに占領されていました。
予想よりも結果が芳しくなかったようですが、1人メダルを獲得して2人入賞した上に、女子リレーで日本記録を叩き出したようなので、まぁ良かったのではないでしょうか。
来年のオリンピックに繋げられると良いなぁと思います。
さて、今週に入ってからかなり涼しくなりましたね。
私は塾講師のアルバイトが一段落ついたこともあって、体調がやや不安定になりました。
というのも、お腹が仕事をしすぎて、割と頻繁に腹痛を催すんです。
おかげでSのつく整腸薬に、ここ数日はお世話になっています……。
忙しかったのが落ち着いたり、急に天候不順になったりすると、私は割と腹痛を催すことが多いです。
今はまだ夏期休暇中なので、多少体調を整えるべくのんびりできるのですが、明後日から中古自主ゼミ旅行に赴くんですよね……。
ゼミ旅行はとても楽しみなのですが、いつ腹痛に見舞われるのかと思うと、少々憂鬱な気分になります。
しっかり整腸薬を装備して、万一の時に備えようと思います。
ということなので、どうぞ皆様も体調には充分お気を付け下さい!