みなさん、こんにちは。
ここです。
なんだか一気に秋が深まりましたね。それでもやっぱり本格的な冬とは違って、昼間はあたたかいので、毎日着る服に困っています。
さて、今日は少し日本文学生らしく、文学的(?)な話をしてみたいと思います。というのも、卒論の為に調べて面白かったこと、考えたことがあったので、感想というか、主観が入りまくりな解釈というか、そういうものをダラダラ書き連ねてみようかな、という感じです。
一応調べたことに基づいて考えたものではありますが、全くをもって正当と言える情報ではありません。
こういう風に思う奴もいるんだなあ、と思いながら読んでいただけると幸いです。
「色好み」という言葉は聞いたことがあるでしょうか?簡単に言うと、恋愛を沢山楽しむ人のことです。
王朝時代は、こういう類の人々が評価される時代でした。かの有名な光源氏も、数多の女性と様々な恋愛をしていますよね?近代の女性から言わせてみれば、「とんだ遊び人だ!浮気者!」といった具合になりそうな人ですが、彼は王朝の時代にあって、理想的な貴公子だったわけです。
それは、この「色好み」と評されるような、多情な人に当時の人々が憧れたからに違いありません。現代からすると「うん?」となりそうなところですよね。
ちょこっと文学を齧っているだけの私のような人間でも、こういう価値観のギャップには苦しむことはとても多いです。
近代に生まれ育った私たちが、意識せずに古典文学を読んだ時、その本当の面白さはたちまち消えてしまいます。「え?なんでこんなことするの?」とか「え?なんでこんな人に恋するの?」とか…色々な疑問に邪魔されて、「うーん、なんかよく分からない話だな」という感じになってしまう。
それで、じゃあ今度はその価値観を理解してみようと色好みについて調べ始めると、難解な言葉に翻弄されて、結局自分の体の中に落とし込みきれずに終わってしまったり。(と言うか私はいつもこれです)
まあ、卒論に使う時などは綺麗で正しい言葉を使って述べられている方が良いので、そのままでいいのですが、自分の世界に少しでも引き寄せて砕いて考えてみた時、(それが正確かどうかはひとまず置いておいて)面白い!と思える瞬間があるんじゃないかなあ、と私は考えています。
で、まあ、要するに、「色好み」なんて言葉で言われるとちょっと遠くにお綺麗に見えるけれども、結局は「モテ」に社会的に広く価値を認めていた、ということなんじゃないかなあ…と私は思ったわけです。
「モテる男/女」に憧れる!って言葉になると急に分かりやすいような気がしませんか?
清少納言が『枕草子』に書き残した、いろいろな男性とウィットに富んだ掛け合いをするような女性は、現代でもかっこいいなあって思われるような気がします。男性についても同様。学校1のモテ男(チャラい)と恋に落ちる!という感じの物語は沢山あります。モテる人は魅力的、要約するとこれだけなのでは。と思うわけです。
一夫多妻制で、社会が全面的に「モテ」に価値を見出している世界で行われると、流石にちょっと乱れ過ぎじゃない…?と言った感じで、我々からすると少々ぶっ飛んでいるというか、変に見えてしまいますが、根本的な人間の思想というか価値観は、すごく身近に感じられるものなんじゃないかと思います。
実際、一夫一妻制である現代でも、明確な恋人関係を結ばずに色々な人と遊ぶのが良い!楽しい!という価値観の人も結構いますよね。それがデフォルトの世界が王朝の世界だったということなんじゃないでしょうか。
まあ、もちろん当時でも嫉妬深く束縛する人はいたようですし、庶民は全くこんな風じゃなかったという見解もあるようなので、一概に全員が全員そうだったとは言えないのですが、こういうゆる〜い見方というか、自分の世界に引き寄せて考えてみると、古典が読みやすくなると思うのです。
多分もっと早く気づいて取得しておくべき技術だったのだと思うのですが、なんだかんだ頭で分かっていても自力で辿り着くにはしっかり4年かかってしまいました。
でもやっぱり、こういった自分の中でちょっと成長したな〜と思える瞬間があるととても嬉しいです。前より古典を広い視点で楽しめているような気もするし。
最初にも書きましたが、これはあくまで「色好みを調べてみて何となく浮かんだ私の感想」でしかないので、全く役に立つものではないし、しっかりとした論拠があるわけでもありません。
でも、単純に作品を読むだけならこれくらいゆるく噛み砕いて読むのも面白いのでは?思ったので語ってみました。
卒論は大変ですが、楽しいです。こういう全く卒論に関係ないような思考に耽るのも楽しい。まあ………大変ですけど……。
いい勉強になるなあと日々思っていますが、そんな呑気なことを言っていられる時期でも無くなってきてしまったので、気を引き締めて頑張りたいと思います。
それでは。また。