人類なんて関係ない、のか

ご無沙汰しております、みちるです。

時計の針に追われているんです。

「いびつなイメージの話をしているのかい」

いびつではありませんよ、きわめてよく調整された掛け時計のイメージ。そうでなければ何だと言うの。
刻一刻、という言葉を発明したひとはすごい。それを受け取る各人の時間感覚や意識する時間のスケールによってまったく異なる「刻」が現在の地点から最低でも二度、等間隔に訪れる。基本的に「刻一刻」を見つめる必要性のもとにある人間は切迫した状況に立たされていることが多いが――そんなことはどうだってよいのです。今申し上げたいのは、私の目の前に「刻」は秒針のふらふらとした弱なる動きとして出現しているということ。小さな規模の時間を意識するのにはだいぶ神経をつかうというか、死のマラソン(とは、何ですか)を走らされている感じがあっていやだ。
いやだ、とか言っていられるほど、余裕の生活をしていないのですが。

 

(間奏)

 

言葉で、我々の領域で闘う機会がある。それも目の前に。

口喧嘩?そんなレベルではございませんこと。
もっと薄明の原野に拡がる闘争の領域における精神活動、ないし文学営為それ自体に向き合う場ですわ。

私は、自分の或る作品が哀しいものだということを、そのように受容されることを初めて知った。今更ながら文章作法の徹底に悩まされ、多様なメディアでの表現にそれぞれコミットする胆力が肝要であることを思い知った。自分もこういうものが書きたいと思う大変ろくでもない文章に出会い、これを物真似しているようではどうしようもないといってがっくりと肩を落とした。今回の、まだ準備運動の段階にある闘いにおいて、学問と祭りの間の子ように”文章”自体を扱うことを知った。勿論、神輿のない祭りである。

 

何かを書くために、いいや違う。する、動く、生きて身体を働かせるには、異なる地平へ出ていかなければならないことがある。何もない、誰もいないところへ。そしてそこから戻ってくるのに必要なのは他でもない自分の努力であって、誰かに託すような仕事ではないのです。

「砂」

布は波を打ち破り、寄せては返し、返しては寄せる。一定のリズムを作り出せばきっとまだ出来ることがある。
友人から見ると私はもう今にも力尽きて消えてしまいそうに見えるらしいけれど、私は生きます。申し訳ないけれど、やっぱり書くことにします。これが現代の「村の家」になるかもしれない。

ふとしたとき、一人で家にいるのに女の叫び声が聞こえることがあります。どうやら耳鳴りの一つとあって、もうそろそろ大変。困ってないから許されているだけだって、まさか思っていいはずはないのですが。
ひとまずあと二回授業の発表をこなし、先に述べた闘争の中に身を投じていきます。それによって人類がどんなに楽しくなってしまうかなんて、私には関係のないことですが。

 

またお手紙書きますね、大好きです。    みちる

自律神経を笑うものは自律神経に泣く

こんばんは、さゆりです。

自律神経が乱れている気がする。

最近というよりいつもなのですが、ここ数週間は取り分け自律神経が荒ぶっているのです。

季節の変わり目はよく、「自律神経が……」とか言われているのを聞きますよね。

たかが自律神経、されど自律神経。

疎かにしているといつのまにか調子が悪くなってしまいます。

これをすれば劇的に変わる!という魔法みたいなものではなくて、小さな積み重ねがいつの間にか「あれ?心身の調子が良い!」という驚きに変わっているものなので、地味でありながらも結構大事なんだなぁとしみじみと感じます。

というのも、お恥ずかしい事に私が不健康極まりない生活を続けているからなのですが……

だって課題が終わらないんだもの!という言い訳はさておき、自律神経というのは軽く崩した程度なら立ち直りは早く、相当乱れていると戻すのも大変なのだということをここ数日で学びました。

脳ってマルチタスクが続くと疲れて思考が整理できなくなるらしいですね。体の疲労が取れても脳疲労が取れないと疲れが取れないんだとか。

以前瞑想とストレッチ云々……というお話をしたかと思うのですが、最近は〆切に追われて寝る前の1時間を取ってあげるのすら難易度が高く……江戸時代の作家が締め切りに追われている話は聞いた事がないのですが、近代だったらよくありますよね。文豪達の自律神経もさぞ荒ぶっていたのでは……?と思ってしまいました。

先日ふっと文豪も温泉を楽しんだこともあったのではと思ってネットサーフィンしてみたところ、芥川の『温泉だより』という作品を知りました。青空文庫でも読めますし、Kindleでも読む事ができます。

個人的には縦読み形式の方が慣れているので現在進行形でKindleで読んでいるところです。

想像通りやはり少し難解というか、正直なところ、これは面白い!と言う事は出来ません。(面白いと思うものでもないかもしれませんが)ですが、温泉という身近なものがテーマに設定されているといくらか読みやすく、頭に入りやすい気がしました。ちなみにほっこりするような話ではないです。

普段平安か江戸の文学ばかり読んでいるせいか、近代ものを読むとギャップがすごくてびっくりしてしまいます。とりあえず目の前の課題が終わったら、中世の文学も読みたい!久しぶりに現代ものも読みたい。なかなか結果が出ないと焦ったり落ち込んでしまうこともありますが、根気強く頑張ろうと思います。

寒暖差がなかなかに辛い季節なので、みなさんも自律神経を整えていきましょうね。

今回はできなかったので、次は部活についてのお話を。ではまた!

切迫のパラレル・アンサンブル。

皆さん、こんにちは。ずきです。

10月29日の今日は、「ドリアの日」だそうです。ホテルニューグランドで初めて提供されたのが始まりだったとか。https://www.hotel-newgrand.co.jp/doria1029/
いよいよ冬が近づいてきましたね…。温かい料理が恋しい季節です。

私は今日、近くのコンビニで買ったドリアを昼ご飯に食べました。これは「ドリアの日」だと知る前だったので、本当に偶然。

……いや?もしかすると、これは偶然と見せかけた”必然”だったのかもしれません――。
人生というのは、幾つもの”偶然”が重なり合って成り立っている…。そう思うと、不思議なものだと感じます。例え、それがとてつもなくどうでも良いような選択であったとしても……。

・・・

1.「今日の昼は、ドリアで決定。間違いない。」
2.「いいや、ここは控えめに肉まん1つだ。夜ご飯に響いてしまう。」
3.「夜ご飯のことなんて気にする必要はない。豪快にラーメンでも食べれば良いじゃないか。」
私『どうしよう……………』
1.「ちょっと待った。入店から既に15分も経っているのに、買い物かごに商品が何も入ってないとはどういうことか…!?早く決めるんだ!!!」
2.「何だって…!ならば、もう肉まん一択だ!会計が早く済む!」
3.「肉まんだけじゃあ、空腹は満たされない!とにかく、がっつり食べられるラーメンを選ぶんだ!」
私『う~~~ん……』
1.「ドリアだ。」
2.「肉まんだ。」
3.「ラーメンだ。」
私『ええ~~~~~~……………』
1.「ドリアだ!」
2.「肉まんだ!」
3.「ラーメンだ!」
私『…よし、決めた。』『温め、お願いします。』
店員さん「は~い、ドリアですね~。お会計320円で~す。……お支払いはバーコード決済で、こちらレシートですね~。ありがとうございました~。」

・・・

1.「ほら、言った通りだ。しかも今日は「ドリアの日」だってよ。食べない理由がないでしょうよぉ。」
2.「最後までレジ先に置いてある肉まんの誘惑に負けそうになっていたからな。じゃあ、次は肉まんで、よろしく~。」
3.「今回だけは「ドリアの日」に免じて許す…。ただ、今回だけだから!次こそラーメン選ばせるからぁぁぁ!」

・・・

最近よく、この3人が言い合いをしているんです。ただでさえ優柔不断である私が、さらに優柔不断になるだけなのに……。
今回は、ただ昼ご飯を選ぶだけの阿呆らしい人達にしか見えない会話でしたが、普段は良いアドバイスをくれる、とても頼もしい存在なんです。私にとって欠かせない3人。今後も何かを決める際には、必ずこの”3人”に頼ることになることでしょう。だからどうか…お手柔らかにお願いしますよ、お三方……?

・・・

ドリアを選んだからなのかは良く分かりませんが、この日は特にコレといった出来事はなく、平凡で平和な1日を過ごしました。
では、この時の選択が肉まんだったら?はたまた、ラーメンだったら?それとも、今回の選択肢にはなかった、おでんだったら…?
少し違った未来があったのかも…なんて考えてみると、少し面白いような気がします。そういえば、さっきの”3人”は誰だったのかって?どうやら、別世界で逞しく生きている3人の「私」のようなのですが………果たして、どうなんでしょう?(笑)

・・・

10月29日土曜日の昼食に、私はドリアを選びました。「ドリアを選んで食べる」という世界線で生きることを決めた、ということです。そしてこの後、私は夜ご飯に何を食べるのか、翌日は何時に起きるのか、買い物に出かけるか否か……。「ずき」という人間は様々な選択をしながら、着実に未来へと進んでいくのです。それは、私だけでなく、この地球上にいる誰でも同じことが言えるわけなのですが………。

……嗚呼、なんだか変に難しい話になってきてしまいましたね。
まあ、こういった「何気ない日常」を大切にしながら生きていきたいという思いから生まれた、へんてこりんな話だと思ってくだされば幸いです。

大学3年生。大学生活も残り約1年5か月になりました……。

・・・

皆さん、どうかお体にお気を付けてお過ごしください。
それでは、また。

履修

 最近、目覚まし時計に尽く敗北しています。いや、逆に目覚まし時計が私の目を覚ませていない、つまり職を果たせていないという点においては私の方が勝っているのかもしれません。皆さんは朝、強いですか?私はすごく弱いです。寒くなったからなのか、ここ2週間くらい寝坊し続けています。朝シャッキリ起きられる人ってどうなってるんだろう?仕組みが違うとしか思えない。

 オタクの界隈で何か作品を享受することを履修と言うことがあります。色んなジャンルのオタクたちから勧められてそのうち履修したいなと思ってる小説やら漫画やらアニメやらソシャゲやらが何年も前からとんでもなく溜まっていて、本当に追いきれなくなっています。履修したい気持ちはとってもあるんですが、なんにしても時間が無い。自ジャンルだって相当厳選してるのに追いきれてない。
 こんなこと言ったら怒られちゃうかもしれませんが、大学の教授が講義する時って私たちで言うところの推しジャンルを布教してる時みたいな感覚なのかなとか思います。オタクは「お願い履修してくれ」って思いながら布教してると思うのですが、講義なら絶対に履修してくれるの(そりゃ履修登録してるんだから当たり前に”履修”する訳ですけれども)良くないですか?なんなら浅くとかじゃなくてガッツリ履修して内容理解して、それぞれ自分とは全く違う視点から解釈したレポートとか出てくるの、布教してる側からしたら超楽しそう。
実際はそんな簡単な話じゃないかもしれませんが、でも思い返してみると高校までの先生もおそらく研究してたであろう専門の内容の時とか好きなんだろうなっていう内容の時の授業は楽しそうでした。大学なら、推しジャンルに興味がある人が履修しにくるって考えたら私なら嬉しくなってはりきっちゃうかも。

    なんだかんだ、私はどんなジャンルでも知らないを知るのがすごく楽しいので色んなものを履修して色んな知識を得たいなと思ってます。この秋を履修の秋にしたい……!頑張ります。では。

八十八鍵に広がる

こんにちは、とみーです。最近、日が沈むのが早くなってきましたね。
私は郊外住みで自転車のヘビーユーザーなのですが、少し前まで夕日を眺めながら漕いでいた時間がすっかり星空観賞の時間になりました。車も通らない真っ直ぐ伸びた畑道・田んぼ道で空を見上げて漕ぐのが、高校時代からのお気に入りです(危ないので軽率に真似はしないでくださいね)。
星座に詳しいわけではないですが、秋冬はとっても分かりやすくオリオン座が輝くのでついつい探してしまいます。


さて。皆さんは何か続けている趣味などはありますか? 
私はピアノを二十年近く続けています。特に大会も発表会もない穏やかなレッスン教室で、弾きたいなあと思ったクラシック曲を持ち込んで指導していただいています。
現在は「クララ・シューマン」という女性が作曲した曲に興味があって、弾いているところです。繊細で丁寧な曲調が多く、弾き方も解釈によって変わってくるので大変面白いものです。

シューマンというと「ロベルト・シューマン」という有名な男性の作曲家が思い浮かぶ人が多いかと思います。クララは彼の妻で、彼女自身とても才能のあるピアニスト・作曲家でした。19世紀のドイツで天才少女と言われ、公演も多く行うなど表に立って活動する才能あふれる女性だったのです。

クララはロベルトと愛ある結婚をして8人の子をもうけますが、夫が本当に精神的に繊細すぎたために、クララが妊娠中も演奏会を開き、家庭も家計も担っていました。それでも夫は病むし自殺未遂もする。

ロベルトにはブラームス(※ハンガリー舞曲第五番などは耳にしたことがあると思います)という優秀な弟子がいて、クララも仲良くしていました。ブラームスは苦労の絶えないクララを支えていた事実があるため、恋人説などもあります。
私のピアノの先生はクララの作った曲を見て、「この辺はブラームスの作曲方法と似た手法が入っていて、さりげないアピールみたいになっていて面白いのよ。忍ばせたくなるのが女心ね」など言っていました(笑)

クララとブラームスの恋人説が本当かは分かりませんが、それでも彼女は夫や家族に対して献身的で、愛と才能を存分に発揮した女性でした。ロベルトは病んで結局若くして亡くなりますが、夫の名誉のために、クララは亡くなった後も彼の作曲した曲を演奏して回るなどして、子育てしながら曲を広めていました。並みの苦労ではなかったでしょう。
私の先生はクララがお気に入りだったみたいで、ふと「クララやりたい」と言ったら大喜び。彼女の人生について色々教えてくださいました。
(彼女の人生が気になった人はぜひ調べてみてください! 女性の芸術家関連だと私はクララ、画家のアルテミジアの話が好きです)

こういった作曲家の人生と曲が生まれた年代を比べ、どんな思いを抱えて作った曲なのか想像しながら弾くと、曲の中にある苦悩や喜びの調べがより深く理解できるのではないかなと思います。
こういうふうに地道に人生と作品を辿るのは、文学とも似ていますね。


ピアノは弾く前にチューニングもなく、調律してあれば八十八鍵の多彩な音を誰でも不自由なく出すことができます。ピアノを楽器の王様にしたのはこの性質だと私は思っています。「音を出す」という段階から苦労する楽器は多いですし、たたけば定まった音が必ず出るって実は結構特殊なんですよね。

誰でも同じ音が出せて、それでも弾く人・弾き方によって違う音色が出てくる。初心者も玄人も音楽を奏でられる。それぞれの楽器に奥深さがありますが、最もポピュラーな楽器といえるピアノから得られるこの面白さが私はとても好きです。
昔弾いた曲でも作曲家について知り、自分自身も人生と経験を積み重ねてから弾くと全然違う音色が出てきます。そんな発見をするたびに、ピアノは私の一生ものの趣味なのだと思います。

ピアノに限らずですが、何か継続しているものを大切にするとそれだけで価値のあるものになると思います。皆さんもなにかそういうものがあれば、ぜひ大切にしてくださいね。

それでは、また。




強運

こんにちは、ゆきほです🍵

先日、数少ない地元の友人のうちの1人と1年ぶりに会ってきました。

中学を卒業してから早5年。積極的に交友関係を築いていくタイプの中学生ではなかったこともあり、現在も連絡先を知っている地元の友人は、ちょっと前にブログでも書いた幼なじみと先日会ったこの友人の2人しかいません。そう、「数少ない」なんてもんじゃない。全地元の友人の2分の1です。

私と彼女の関係の1番の特徴、それは「お互いの私生活には特に興味がない」ということです。初対面の時にもしかしてこの子は私の趣味を全部把握した上で話しかけてくれたんじゃないかと思ってしまったくらい趣味が合う友人ですが、その趣味以外の時間に何をして生きているのかはお互いほとんど知りません。中学生の時はさすがに毎日会っていたのである程度の情報は知っていましたが(登校と部活くらいだったので)、現在の彼女は恐らく私が今通っている学校の名前を知らないし、私も彼女の学校の最寄り駅から『多分あそこだろうな~』と推測しているというレベルの情報量です。

自分の細かい情報を話すまでもなく、すぐに意気投合できる人ってそう簡単に出会えるものじゃないと思います。「久しぶり~!」とかもなく、会った瞬間に昨日も会ったっけ?というくらい自然に話し始める。別れるときも「また明日」くらいの軽い別れ方ができて、それからまたしばらく会わなくても絶対にまた会うという根拠のない自信がある。

……あ、「しばらく会わなくても」とか言っちゃったけど、借りたマンガは早めに読んでお返しします。

∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴

・普段なら絶対座れない朝の電車で、最寄り駅の次の次の駅で目の前に座っていた人が降りてくれて座ることができた
・乗り換えの駅に出ていた期間限定のお店ですっごくおいしい大福を買えた
・某スマホゲームのガチャで、辛うじて貯まっていた10連分で最高ランクの推しが出てきてくれた
・直後に回した別ゲームのガチャ(初回につき石半分)で即推しを引き当てた
・好きなドラマシリーズの初回放送日だった

これ全部、ある1日のうちに起こった出来事なんです。

善行を積んだ記憶はない、かと言ってここ数日不運だった記憶もない、突然やってきた超超幸運な日。朝の電車の時点で今日はいい日だな~と喜んでいましたが、2回目のガチャで推しの顔が出てきたときにはさすがに驚いてソファーから落ちてしまいました。

大福をおいしく食べて楽しみにしていたドラマを見終え、ベッドの中で今日は何かいいことばっかりでいい1日だったな~と総括しにかかった直後、私の頭の中を一抹の不安がよぎります。

…あれ?これもしかして明日めちゃくちゃ不運になるんじゃない?

だって、これと言っていいことをしたわけでも意識的に運を上げるための行動を取っていたわけでもないんだから。どこかで大なり小なり今日使いすぎた分運の辻褄を合わせることになるでしょ?それ明日なんじゃない?

***

翌日。
ガチャやくじ引きなど不運が露わになりそうなことはしない、落とし物をしていないかちゃんと確認する、よそ見をしながら歩かない、こぼしそうなものは持たない……

前日とは打って変わった、私的には「対不運対策」万全の状態で過ごした1日の結果は、

・美容室の予約がいっぱいでできなかった

これはもう「不運な日」じゃなくて「普通の日」ですよね。美容室がいっぱいだったのは私の運の問題じゃないですし。

毎日こういう日だったらいいのにな、とは思うけどそれができれば苦労しません。でもちょっとだけ期待して運気を上げるための行動とか調べてみようかな?と思う今日この頃です。

それでは、また!

時間を無駄に。

こんにちは、あこです。

今日、新しいパソコンが届きました。

2年間のオンライン生活と無駄に強い指圧のせいかキーボードがすり減ってしまい…..

これから本格化する(であろう)卒論と就活を見据えて、買い替えることにしました。

新しいパソコン、快適です!!!

*****

最近、時間を無駄にしました。

こんな言い方をすると私がいつも時間を有効活用していると思われてしまうかもしれませんが、もちろんそうじゃありません。

「あー今日はなーんもやりたくない。」「だるーい。」「ねむーい。」みたいな日だってあるし、頑張る気持ちはあったけど朝起きたら13時だったとか、朝早く起きたのにボーッとしてたら昼が来たとか、そういうこともあったりなかったり。

でも、今回の「無駄にした」っていうのは、ちょっと違います。

深夜12時から深夜2時過ぎまで、スマホで漫画を読み続けたのです。

誤解がないように言っておくと、漫画を読む時間を「無駄」だと言いたいわけではありません。

私も漫画は好きです。時間を忘れて読み続けることができた日は、幸せです。

でも、今回は違うのです。

読みたくて読んだわけでも、面白くて読んだわけでも、時間を忘れて読んだわけでもないのです。

なんかもう、全部が嫌になっちゃって、「明日がきて欲しくないから寝ない!」って思って、読みたくもないのに漫画を読み続けて、1時半過ぎから頭が痛くなって、次第に寒気がして、2時過ぎには気持ちも悪くなってきたから、「そろそろ体が危ない」って思って、観念して寝る、みたいな。

文章にすると、しょうもなさ倍増ですね。

しかも、その生活を3日続けました。

やらなきゃいけないことは、たくさんあるんですよ。

やりたいことも、たくさんあるんですよ。

12時に寝たら翌朝スッキリ目覚めて、やる気が出るってことも、知ってるんですよ。

だけど、やる気を出したくなかったんです。

頑張りたく、なかったんです。

日々を大切に生きる。とか、もうやめてしまえ!って、思っちゃったんです。

すっごい辛いことがあったとか、そういうことじゃ全然ないです。

だからこそ、救いようがない。

本当に、救えない。

誰も、救えない。

*****

救えない日々から抜け出せたのは、単純にもう飽きたからです。

頑張らないで生きることに、飽きました。

あと、精神的に辛すぎる。

「今の自分何やってん。」「ほんとしょうもない。」「早く寝たらいいのに。」

そう思いながら自堕落な生活を送るの、キツいです。

しかも、当然ながら、やらないといけないことは減りません。

何なら、増えていきます。

そろそろやろって、思いました。

*****

今日のブログは、何の深みもありません。

じゃあいつもは深いのかって言われると、

それもまた答えはNOですが。

ただただ、時間を無駄にしたよっていうだけのブログです。

この経験から学んだことは〜みたいなことも、特にありません。

ただ、久々に「完全なる時間の無駄」をしたので、残しておこうと思いました。

私はいつも忘れます。

自分の失敗を忘れ、過ちを忘れ、あたかも間違いを犯してこなかったかのように、記憶を改竄させてしまいます。

そんなことないですよ。

あなた、結構失敗してますよ。

勘違いしてるだけですよ。

未来の自分に向けて、今日のブログは書きました。

自分とちゃんと向き合ってね。

*****

「無駄にしていた時間を無駄にしないように。」

いつかのボクらの時代で、俳優の中村倫也さんが言っていました。

妙に心に残っている言葉です。

しょうもなくて、救えなくて、無駄な時間。

それでも、後悔はしていないから、どうしようもない。

今日は、早く寝ることにします。

それでは、また。

あさのさんぽ

こんばんは、まなです。一昨日くらいから喉の痛みと咳に悩まされています。加湿器は稼働しているし、幸い熱もない。まさか秋の花粉かな~と思いつつ、とりあえず市販薬を飲んでいます。もう少し長引いたら病院へ行かないといよいよ不味い……でも卒論が……。

ちょっとした体調不良が延々と続く日々。やっぱり原因は睡眠不足や不摂生であるとは考えています。思い当たる節がありまくりですね。健康には気を遣わないと、と言い続けて何年経つのか。これ何回ここに書いたんでしょうか。覚えてないです。どういう状態が健康と言えるのか。もう分かりません。

まあとりあえず行動してみよう。と、早起きして近所を午前中に散歩してみることにしました。もっとも活発に行動するのが深夜である身としては中々辛かったですが、早寝した甲斐もあって何とか起きることが出来ました。近所は緑や公園が多いので、歩くだけでも心地良い。何より私に染みたのは朝日の光です。最初は眩しくて辛いといった感じでしかなかったのですが、段々じわじわと身体が温まるような感覚を覚え始めました。これが……早起きの特権か……と地味に感動。夜の静けさにも引けを取らない心地良さ。日陰に入れば秋特有の涼しい風が肌を撫で、葉の擦れる音を耳が拾い取る。イヤホンを外して良かったと思う瞬間でした。

夜は夜で好きなところは沢山ありますが、朝の散歩も捨てがたいことを学びました。でも私のブログ更新は夜が専ら。察せられますね。

それでは、また。

生まれて初めて。

秋桜を透かすゆふかげ吾がもとに入るはいつかとこころもとなし——まい

コスモスの花びらを透かしている夕日が私のもとに届くのはいつであるか(自分の心も見透かされてしまうのではないか)と気がかりです。

まいです、ごきげんよう❀

先日、地元のコスモス畑に行ってきました。

最近は冷たい雨が降ることも多い中この日は気持ちの良い秋晴れで、うっすらと汗をかくようなお天気でした。

遠くから見ても紅、薄紅、黄色の揺らぎが可愛らしく、近づいてみると一本一本があまりに繊細なことに気づかされます。

守ってあげたくなるような可憐さが秋の桜と呼ばれる所以であり魅力なのでしょう。

*****

さて話はかわって、先日友人からこんなお誘いがありました。画面に一部が表示されたLINEの通知を見ると

“まいちゃんまいちゃん!○○ちゃんと話してて、今度早めの時間に来てキッチンカーで…”

ああ、最近大学ではじまったキッチンカーのランチメニューを頼もうということだな、と思いました。ところがいざLINEを開くと、あれ、思ったよりメッセージが長めです。

“…今度早めの時間に来てキッチンカーでお昼買ってねるねるねるね作ろうって話になったんだけど、時間空いてたらまいちゃんもどう??”

あまりの突然な変化球、完全に守備範囲外をつかれた私はどうやら時を止めることに成功していました。

ああこのあいだの話ね、となるわけでもない唐突な「ねるねるねるね」との再会。

(こんなタイミングで会うなんて。前もって分かっていたならおしゃれしてきたのに……)とはなりませんでした。時が動き始め再びスマホの画面を見た時には「もちろんさんせい。」と送っていました。

次の日。校内の購買にあるねるねるねるねを見つめると衝撃の事実に気が付きました。

「私、ねるねるねるねったこと、ない……」

とてもよく知ったなじみ深いものだと思い込んでいたのですが、ひとめ見たとき、見たことはあるけれどそう言えば話したことない…といったような感情が湧き上がってきました。

「まさか、人生ではじめてねるねるねるね食べる瞬間に立ち会えると思わなかったよ」

となりで真剣な眼差しを向ける友人。目の前には開封されたねるねるねるねキット。

さぁ、そのときが来ました。

小さな袋をやぶり、トレーに入れていく。ひとつ、またひとつと……。

人生初のねるねるねるねは、実験のようでわくわくする楽しいものでした。

どうやら流行っているようで(?) こどもはもちろん大人にも人気だそうです。

ねるねるねるね、大ブーム到来……!?

そんな人生初めてを体験した貴重な一日となりました。

最後に。前回もお菓子のこと書いてなかったっけ?という疑問にはお答えせず、一言失礼しますね。

トリックオアトリート!

神席にて夢の一時間🎂

こんにちは。れいかです。

この2週間を少し振り返ると、バイトの友達や高校の同期と外出し、高速教習を無事に終え、先週はゼミの発表がありました。
国道246も初めて走りました。
残すは、みきわめと試験のみ。いよいよ学科の勉強をして、来週には効果測定に合格しなければいけません💪

色々書きましたが、今日のブログの内容は、もう一択です!
余韻が抜けません。というよりも、ずっと抜けないでほしいです。
昨日、初めてバースデーイベントに行ってきました!
明後日の24日に23歳を迎えるアンジュルムの上國料萌衣(かみこくりょう もえ)ちゃん。(愛称はかみこ。以下、かみちゃん)

かみちゃんの美しすぎるお顔はもちろん、透き通った歌声がとても好きで、今回イベントに申し込みました。
席番号はちょうど1週間前にメールで来ました。
目に入った時は、自分の目を疑いましたね。
1階2列21番
アンジュルム全体のライブも2階席でしか見たことがなくて、1階席ということだけでも嬉しいのに。
2列って何事!?!
メールの下に記載されている集合・整列時間を見てみると、1列目の記載は何もなくて、なんと1番前の席でした!試しにホールの座席を検索すると、真ん中のブロック。
期待を膨らませ、会場に向かいました。

実際に席についてびっくり。
ステージとの距離がとんでもなく近い。いつもは遠く(2階席)から見下ろす姿勢なのに、ステージを軽く見上げる角度なのが不思議な気持ちでした。
そして、想像していたよりもセンター寄りの座席でした。開演前、スタッフの方がスピーカーの裏にお水を置いていたのですが、その位置が私の目の前。かみちゃんの給水タイムを誰よりも近くで見させて頂きました。
「お水を取る時にかみちゃんがしゃがんだら、目が合っちゃうかも👀♡」と勝手に妄想していたら、本番のとき実際に目を合わせてくれて、お手振りまでしてくれました……!!!(ヲタク大歓喜🙌)
イベント中、4回は確実に目が合いました!

「今年は一人でのイベントだから、たくさん歌いたくて……」とのことで、1時間で10曲聴くことができました。
他のメンバーの配信などを見ていると、イベントの半分くらいコーナー(クイズや企画)をやるメンバーもいるみたいですが、昨日は募集した質問回答の時間が少しあったものの、ほぼソロライブ状態でした🎤
歌っているときの表情や目線の些細な変化も、すべて肉眼で鮮明に見ることができて、本当に感激しました。ニコニコ笑ってトークしている時と、曲の世界に入り込んでパフォーマンスしている時のギャップが凄かったです。
スイッチが切り替わる瞬間が見えた気がしました。

推しを目のあたりにして、カッコ良い!尊い!と感じるのはもちろんなのですが、「人間ってこんなにキラキラ輝けるんだ……」と思いました。
衣装、ヘアアクセサリー、瞳の輝き、小さすぎるお顔……
完璧すぎる外見に加えて、澄み渡った満面の笑みと透明感のある歌声。

今週は朝から夜までお仕事が入っていて、23時くらいに家で大熱唱して練習していたと話していましたが、週末にはいつものようにライブをやって、今回のイベントの練習もして。
もともと持っている素質や実力に驕らずに、ひたむきに努力をし続けてきた結果の、眩しすぎるかみちゃんなんだなぁと思い、しみじみと見上げてしまいました。

6月に森戸知沙希ちゃんの卒業コンサートを観た時も感じたのですが、ストイックに努力し続けている人が輝いている時のオーラって画面越しでも見えるんだなと。
かみちゃん、ちぃちゃん共に学年が自分の1つ上ということもあって、同世代が活躍して、多くの人に感動を与えている姿に胸を打たれます。
私はアイドルではないし、力を注ぐべき対象は歌・ダンス・トークではないけれど、一生懸命さや、コツコツ地道にとことんやりきる姿、人から貰うばかりでなく何かを与える存在になること、一つずつ見習いたいと思いました。
応援して、応援される関係性でありたいからこそ、どんな時も 推し に恥じない自分でいたいです。

こんな大きなことを言ってみたものの、等身大の私はバイトのない日は昼まで寝ていたり、部屋の片付けに一向に手をつけられなかったり、勉強を始めるのはいつもギリギリ……。
本当に情けない限りですが、この感動と胸に残る余韻がささやかに私を励ましてくれている気がします。

ハロプロを好きになってから、アイドルとして、そして人間としても尊敬したくなる存在(推し)が本当に増えました。
年上も、同い年も、年下も。
これまで、それぞれの「自分磨き」の成功例をたくさん見させてもらったからこそ、私も良い波に乗って自分自身の向上を誓います。

それでは、また。