バトンタッチ!

こんにちは、とみーです。
いよいよ北風も強く、急に寒くなってきましたね。体調を崩さないように気をつけましょう。

さて。中世の卒論ゼミでは、月一で行われていた4年次の発表がいよいよ終わりました。本格執筆期間突入です。来週からは3年次のみで演習ということで、1年が経つ速さをひしひしと感じます。
教室には行けませんが、心の中で彼女たちのことを応援しています…!

卒論について、私たちは夏休みに半分ほど書き、中間レポートとして提出したものがあります。しかし、追加で調べた内容や章立ての都合もあり、微調整して改築も必要です。

残りの期間で何をどれだけできるのか……ドキドキですね。同じ4年次の皆さん、一緒にがんばりましょう💪

短いのですが、本日はこれで。それでは、また。

こんなもんでいいか

 前回、小学生の時に受けた国語の授業について書いたのですが、なんとその時の担任の先生が読んでくださったようです。しかもその経緯が、私の母親がブログを読んでいてそれを先生にメールで送ったようで……。恥ずかしいやら恥ずかしいやら恥ずかしいやらの気持ちでいっぱいです。そもそもブログ部にお声がけいただいた時に母に「こんな活動をすることになった」という報告こそしたものの、その後一切活動について話したことがなかったのでまさか読んでいたなんて知りませんでした。言ってよ……。

 日に日に寒くなり、日も短くなり、気が付けばもうすぐ12月ですね。いかがおすごしでしょうか。
この間、過去に書いたブログを見返したら最初の何回かこういう挨拶をしていたので久しぶりにしてみました。途中で意図的にやめたのですが、そのことすら忘れていましたね。ざっと見返していると3回に1回くらい息切れ回が挟まっていて、あーあの時忙しかったな、などと思い出していました。
自分が書いた内容ながら過去の日記とか作文とか、ツイートとか、それからブログとか、読み返すのはなかなかしんどいものがあります。
当たり前ですが! ブログは! ツイ消しできない!! 封印も! できない!!
ブログである以上不特定多数が読むことを分かって書いているのですが、一方で誰も読んでいないだろうとも思いながら書いています。読者を意識しすぎたら私はきっと何も書けない。まあこんなもんでいいか、の気持ちで毎回上がっています。毎回は嘘かも。最初の2回くらいはがちがちに読まれることを意識していたのでとんでもなく時間がかかっていましたしめちゃくちゃ推敲してました。今年度、時間に追われるようになった結果がこれです。どんどん書いていかないとね、終わらないんでね。3回目くらいから割り切っていくことを覚えました。まあ今回も遅刻してるのですが。
ブログ、別に人に読まれること自体は全然良いんですが、広大なインターネットの海に適当なこと放流してどっかの誰かが見てるかもな~くらいな感覚で更新しているのであまりに身近な人とか私を良く知っている人に読まれるのは若干の気恥ずかしさを覚えます。他の人はどうなんだろう、と今ふと思いました。

 全然まとまらなかったのですが今回はこんな感じで終わろうかなと思います。これが”こんなもんでいいか”です。では。

気が早い。

こんにちは、あこです。

先日、2022年度の国語国文学会大会を終えました。

思えば、国文学会委員が全員で取り組む行事は国文学会大会が最初で最後。(多分)

3年間、あっという間でした。なんて、振り返るにはまだ早すぎるけれど、確実に「一段落ついた」タイミングではあると思います。なんだか、嬉しいような、寂しいような。

「国文学会って忙しそう」「委員長、大変そうだね」「国文学会、嫌じゃないの?」と言われることはあるけれど、(そして確かに楽ではないけれど)それ以上に、国文学会での活動は充実していて、楽しいです。

委員長になった時から心にずっとあった想いは、「委員のみんなに国文学会での活動を楽しんでほしい/国文学会を好きになってほしい」ということ。

まだまだ”終わり”じゃないから詳細は触れないけれど、1年生で国文学会に加入してから今に至るまで、たくさんの出来事がありました。その中で、同期・後輩が辞めていく瞬間が、一番辛かったです。辞めることは悪いことではないし、責めるつもりも全くないけれど、やっぱり、仲間がいなくなるのは、色々な意味で、辛い。

だからこそ、せっかく国文学会に入ってくれたなら楽しんでほしいし、成長の機会にしてほしい。(相変わらずの上から目線…汗)

1年間の活動を終えた時に「1年間、先輩に頼まれたことだけやってて、何にも身に付かなかったな」とか、「先輩の活動報告ばかり聞いてて、自分は何もやらせてもらえなかったな」とか、「国文学会、楽しくなかったな」とかは、絶対に思ってほしくなかったのです。

その想いがどれだけ私の行動に現れて、どれだけ効果があったかは分からないけれど、年度末に「国文学会委員、悪くないな」「活動、結構楽しかったかも」と思ってくれる人が増えるように、残りの活動も全力で頑張ります。

なんだか今日で国文学会を引退するかのような文章ですが、まだまだ引退じゃありません(笑)

それと、念の為に言っておきますが、後輩に「絶対辞めるな」とプレッシャーをかけているわけでもないです。辞めた元委員さんたちに、何かしらのわだかまりがあるわけでも、もちろんありません。

国文学会委員の任期は、1年間です。

1年間で辞めても、2年間で辞めても、問題ありません。

ただ、続けてくれたら嬉しいな〜っていう気持ちを、隠してないだけ。(これまた迷惑ですね笑)

もちろん、4月からの新規委員さんも大歓迎ですよ。

少し早い勧誘をしてしまったところで、今回は止めておこうと思います。

委員の皆さん、いつも本当にありがとう。これからも、よろしくお願いします!

難解

こんばんは。気温変化に負けない身体になりたいまなです。またお会いしましたね。まるで自分が朝活できているかの報告する場所になっているかのようです。ここが告解室ってやつですか?

Q.朝活は?
A.出来ていません。卒論のせいです。お許しください。

最近はポケモンと卒論のことしか考えていません。ポケモンのネタバレを極力避けながら、卒論の題材に関連する実存哲学について脳みそを掻き回しています。早くポケモンがやりたい。現存在とは何か。ニャオハ。実存的交わりについて。混沌。

難しいことを考えるのは辛いですが、理解して言語化出来たときの喜びは、たまたま入ったカフェのアイスティーが美味しかった時の喜びに似ています。あれを味わってしまうと、抜け出せなくなります。作者から「これが果たしてお前に解るか?」という挑戦状を受け取り、「楽勝だね」と破り捨ててしまいたい衝動。でも実際、即座に解ることはそうないので、かっこつけて破り捨てたものをこっそり拾ってつなぎ合わせて唸りながら思考を巡らせています。

見栄を張りたい。でもそうも言ってられないとき。人に泣きついて頼る素直さを持ちたいです。

それではまた。未来の自分が卒論を書き終えていますように。

親しいものがいちどきに……

こんにちは。れいかです。

「秋晴れ最高!」と思っていたら、あっという間に冬の空気になってきました。
行く先々で、大きなクリスマスツリーにお目にかかることが多いです🎄
卒論の提出日が着々と近づいている事実、そして次は社会人になる年なんだと少し実感します。

一昨日、本校の公認サークルである、日本女子大学合唱団の定期演奏会に行ってきました♪
創立九十周年、第六十五回の演奏会です✨
演奏自体も素晴らしかったのですが、指揮者と責任者を兼任する友人の勇姿を見ることができて、心から嬉しかったです。

この友人とは、1年生の時に取っていた毎日英会話のクラスが一緒で、時々話す間柄でした。
団員減少のコロナ禍を乗り越えて、後輩たちを仲間に加え、みんなから慕われながら団を引っ張ってきたことがひしひしと伝わってきました。舞台上で生き生きと指揮をして、楽しそうに歌う彼女の表情は煌めいていました。
バレエ仕込みの綺麗な姿勢や細かい所作もしなやかで、舞台に立つ者としても憧れるところがたくさんありました!

1st ステージでは、新川和江作詞・信長貴富作曲の「春」を歌っていました。
この曲は中3の音楽会の学年合唱で歌って以降、高校のコーラス部でも何度か歌う機会があり、卒業式の日に同期で涙しながら円になって歌ったこともあるくらい私にとって思い出深い一曲です。
一昨日久しぶりに聴くことができて、約5年前に一緒に歌ったコーラス部の先輩や同期の表情、指揮をする恩師の顔が蘇ってきて、目頭が熱くなりました。


私はもう悲しむまい
アケビも藤も槻木も
みんな忘れずに芽を吹きだした朝
恵みの春だもの

あぁ人よ
かの樹木らの偉大なる生存力をたたえよう

過ぎ去った陰惨な冬の苦しみはもう言うまい
地上は明るい輝きに満ちた春の朝だ

高校生の時、「震災の被災地に思いを馳せて……」と先生がおっしゃったこともありました。
戦争、災害、事故、事件……そういった危機にも重なる歌詞だと思います。
同時に、一人の物語としても受け取ることができます。

ちょうど7年前、12月に控えた音楽会に向けて、この曲を毎週練習していました。
中学3年生。まだ合唱を本格的に始める前の私です。
藻掻き続けた10代と、回想するのも苦しい大学2・3年。
それを経験した今の私が、「春」を深く聴き入ることができる喜びをじんわり感じます。

私はハマると2週間~1ヶ月の間、同じ曲を毎日のように聴くので、久しぶりに曲を聴くとその時の心情が思い出されることがあります。
苦い気持ちになることもあれば、Happy気分全開のときも。
「音楽は時間の芸術」と言うように、生の音は「今」にしかないけれど、そのかけがえのない「今」が未来の音と呼応するとき、過去の自分と再会できたような気持ちになります。

輝きに満ちた恵みの景色。
青空の下で鮮やかに踊る紅葉が、希望と親愛の屋根であったなら、「春」もすぐ近くでひっそりと出番を待っていることでしょう。

贅沢

まいです、ごきげんよう❀
本日は二本立てでお送りいたします。

先日、家族と父方の祖母とで、祖母の実家である千葉、御宿に行ってきました。
たった二両の短い電車に揺られながらうつらうつらしていると、気が付けば真白でふわふわとしたススキが揺れる駅についていました。
御宿は私の地元・埼玉よりも暖かく、穏やかな風が西日の合間を縫って流れていました。
お墓参りをし大きなカタツムリを見ました。御宿の虫は大きいのです。
旅館で一休みをしすぐ近くの海にでました。薄灰色の砂はきめがこまかくサラサラで、「月の砂漠」で有名のとおり浜辺というより砂漠のようです。靴で踏むと少し足が不自由になって、砂の中に軽く沈みました。11月も後半、はだしになるなんてことは頭にありませんでしたが、反射のように私は靴と靴下を脱ぎすてて、冷たい砂浜を広大な海めがけて駆けだしました。
夕陽を包んだ海は、ひんやりとした砂浜にくらべてほの温かく、私に安心感をもたらしました。高い空には海上特有の流れのある雲が広がっていて、そこには彩雲もぽっかり浮かんでいました。
砂のカンバスには誰かが飾りつけたようにたくさんの貝殻がちりばめられていて、それをひとつ拾っては、無心でポケットにしまいこんでいた自分。何か、大切な何かを、決してこぼすことのないように拾い上げる必要がある…そんな使命感を覚えたのでした。
勢い良くしぶきをあげたあと波の痕を刻んでゆく水際。跳ね上がった水滴の中に夕陽が昇ってくる瞬間の息を呑む美しさ。
自然が生きているという事実を否応なしに知らされました。

叔父のいびきでよく眠れなかったことはさておいて、とても素敵なオフシーズンの御宿旅でした。

*****

第2幕は、さわがしいお話。
大学の友だち6人でパーティーをしたお話です。
東京のレンタルスペースを予約し、ハロウィンとメンバーの1人の誕生日とクリスマスの全てをひっくるめたパーティー(お菓子とたこ焼きパーティーという別名は置いておいて)をしました。
集合場所の池袋駅で、集合することそのものに困難を要し無事難関を突破するとさっそく材料の買い出しに出かけました。
…恥ずかしながら普段実家暮らしで家族に甘えていた私。各材料の相場やら配置場所やらが全く分からずこれまた苦闘する羽目になりました。

なんやかんや想定外の苦難を乗り越え、さっそく始まったパーティーは大盛り上がり。人生初のたこ焼きづくりで学んだことは、「自分が面倒みた子には愛着が湧く」ということ。最後まで球体になれずたこ焼き器に残っていた子が、ようやく丸くなりお皿に移されたとき、気づけば会場で拍手が沸き起こっていました。そして次々と飛び交う「卒業…おめでとう!!」という激励の言葉。
食べる時にはもうどれが自分の育てたたこ焼きかなんて考えず美味しんでいるのだから私たちは幸せものです。
持ち帰れるように小袋包装を買おうといっていたお菓子。みんなでわいわい選ぶと不思議とどれ1つとして小分けになっていなかったものの(笑)あっという間に食べ切り、そのままミニゲームで盛り上がるという贅沢すぎる時間を過ごしました。そして自然と出てくる、「次はあれしようよ!」「あそこ行こうよ!」の声の黄色のやわらかさ。今しかない時間を共に過ごしたいと思える仲間が見つかることはこの大学に入って良かったという言葉とイコール、そういっても問題ありませんよね。

色々あった11月も、もうすぐ終わり。
でも、色々ある毎日はこれからも続きます。それが幸せ。

お茶会

今日は他学科の子とお茶してきました!

先日、ベトナム、フエ大学外国語大学(←「大学」が2回つきます!)の先生とのお話会がありました。
そこで知り合った子で、彼女も交換留学生のチューターをしています。
会って話したのはその日が初めてだったのですが、もっと話してみたいと思い、お茶に誘いました。
その日初めて話した人にお茶に誘われたら、びっくりして断ってもおかしくないのですが…
彼女は誘いを受けてくれました!ありがとう!!

木曜日は基本的に午前中の2コマまでしか授業がありません。
受験生の皆さん、日本女子大学に入ったら、木曜日は全休にしてバイトするもよし!遊ぶもよし!ゆっくり過ごすのもよし!です。

私は遠隔授業2コマで、彼女は2限が対面授業でした。お昼に大学前で待ち合わせして、大学近くのカフェへ。
普段は授業後、さっさと駅へ向かってしまうのであまりカフェに詳しくないのですが…
調べたら大学付近の穴場カフェがたくさん出てきました…‼︎

今日行くことにしたのは雑司ヶ谷駅近くの「yurucafe」です。
店内はそれほど広くありませんが、ゆったりとしていて、いい雰囲気です。
彼女はふわとろオムライス、私はピザトーストをたのみました。うん、おいしかった!

初めてお茶するにしては会話が大盛り上がり。
パートナーの留学生とどこへ行ったとか、今度みんなで一緒にお茶しようとか…
お互いどんな授業を受けてるとか、卒論のゼミ決めはいつあったとか何を選んだかとか…
同じ授業をとっていて驚きもありました!
「日本文化史2」という仏像の授業です。
毎週いろんな仏像を見て、どんな姿かとかどんな場面かなどを見ていきます。
この授業を受けていると、全国の仏像を見に行きたくなってしまいます…‼︎

話していると、入り口近くだったこともあり、通行人と目が合う合う(笑)

「あれ?あの人さっきもここ通ったよね??」

「あれ?今度は誰かと合流したみたい」

「向かいのお店に入って行ったね」

「カフェかな?気になるね」

ということで、お店を移動しました!

「yurucafe」のおむかいさんは「はちくまカフェ」です。
ドアの前からクマさんがたくさん!かわいいお店!
はちみつのドリンクやデザートが楽しめます。
彼女はハニーミルク、私ははちみつジンジャーティーをたのみました。
お茶を飲みながら、今までどの国に行ったことがあるとか、次はどこ行きたいとか、将来何になりたいとか、またお茶しようとか…

話って尽きないですね。
結局2時間以上話して帰りました。
帰り際に、次は留学生の子も誘ってお茶しようと話し、わかれました。
同じ学科の子と、とっている授業について、先生について、どうでもいい話題について話し合うのも楽しいですが、他学科の子とお互いの授業を紹介したり夢について話したりするのも楽しいです。

ということで、一緒にお茶してくれる人、大大大募集中です!!
学科・学年なども関係なくお話ししたいです!!
わたしも声をかけて回るので、皆さんもよかったら声かけてください!!

みんながそれぞれ何に興味を持っているのか、普段何をしているのか、とても気になります。
一人一人にストーリーがあって、その人にしか感じとれないものがある。
みんなと話せるって考えただけでもワクワクしちゃいます。

今日も皆さんの一日がワクワクであふれますように。素敵な一日になりますように。

#小諸藤村ツアー

旅行に行った後にその旅行の詳細を文章にするのはナンセンスだと思っている。しかしまあ、今回くらいは書いてもいい気がしている。

長野県小諸市というところに行ってきた。ここは島崎藤村ゆかりの地である。藤村の生まれは馬籠というところであり、小諸ではない。小諸は藤村が小諸義塾の教師として5年間生活した町である。

この小諸市で、観光局が島崎藤村ゆかりの場所を巡るウォーキングツアーをやるというので、それに参加してきた。それだけに参加する予定であったが、運良く全国旅行支援が始まったため、せっかくならと温泉旅行を兼ねて小諸に一泊することにした。これが旅のきっかけである。

東京から小諸へは高速バスで行くのが安い。3時間、眠っていればすぐに到着する。小諸高原という、本当に何もないただの田舎道に降り立った私はまず、松井農園へ向かった。ここは小諸で一番大きい農園で、りんご狩り発祥の地ともされている。りんごの樹と樹の間に、島崎藤村「初恋」の詩碑がある。

これだけでもう、来てよかったと感じる。私と藤村との出会いは、中学の頃に習ったこの「初恋」の詩である。恋という言葉が持つ桃色のイメージが、りんごの赤い色と響き合って、詩全体が薄紅に見える。この薄紅が、心に残り続けている。高校になって、あまりにも暇な化学の授業中にこっそり電子辞書で「破戒」を読んで、読破した時の感動。その後に「新生」を読んでちょっと気分が悪くなったのも、思い出……。

松井農園ではりんごをたくさん食べた。持ち帰り用のりんごを、小諸郵便局に持って行ってすぐに実家に送った。小諸駅まで歩き、そこからバスで菱野温泉・常磐館という旅館に向かった。この旅館も有名で、芸能人や政治家などがよく泊まっているようだ。旅館から登山列車に乗って向かう露天風呂が有名で、これがものすごく気持ちいい。

山というのは静かだ。都会にいると何かしらの騒音をずっと聞いているが、山にはそれがない。全くの無音の中、冷たい風を浴びながら、ぬるい温泉に浸かる。非常に気持ちがよい。朝6:00に起きて、朝風呂に向かったのだが、これもよかった。朝の澄んだ空気に、もうもうと湯気が漂う中、素っ裸で小諸城下を見る。霧がかかっていてうまく見えないのもまたよい。

常磐館を後にして、2日目は観光局主催のツアーに参加した。小諸駅から、藤村の旧居、懐古園、中棚荘を巡る。とにかく小諸には藤村関連のものが多い。街を歩けば何度も「藤村」の文字を目にする。代表的なお土産でさえ「藤村もなか」。どれだけ小諸の人々に藤村は愛されているのか。

ツアー客は中棚荘に向かった。中棚荘というのは藤村ゆかりの旅館だ。そこに到着するとなぜか小諸市長がいらっしゃった。観光局主催のこのツアーを見学しに来られたようだ。突然の市長の登場に、ツアー参加者一同歓喜。ツアー参加者は文豪とアルケミストというゲームの影響で、若い女性が殆どだった。そのことを、市長は喜んでいた。

私は文豪ゆかりの地として、北原白秋の柳川、高村光太郎、宮沢賢治の花巻、小林多喜二の小樽に行ったことがあるが、それらの都市では文豪はあくまで観光資源の一つであった。しかし小諸は違う。藤村がとにかく小諸の中心。島崎藤村あっての小諸なのだ。島崎藤村が好きな人で、小諸に行って満足しない人はいないだろう。その文都としての魅力は、小諸にしかない。藤村の聖地として、これからも観光が盛り上がっていくといいなと感じた。

しかし藤村好きでなくても、充分楽しめるのが小諸である。美しい懐古園の紅葉を紹介しておこう。

珍しく旅の詳細を書こうと思って書き始めた文章だったが、いつの間にか叙事が叙情になり、終盤を迎えている。

小諸はいいところだった、と一言だけでも伝わるような、そんな旅行だった。旅行支援や小諸市が企画するキャンペーンと重なり、無料でもらえたお土産が数多くあった。たくさん貰ったりんごはお世話になった先生にお渡ししたが、それでもまだ沢山ある。毎日食べている。美味しい。

小諸はいいところである。りんごが好きな人は是非行ってみてほしい。長野県小諸市である。

夢が教えてくれること

こんにちは、みどです。

最近、寝不足が加速していて、ベッドに入ると10分もしないうちに寝てしまうことが続いています。ダラダラと、布団の中で寝れずにスマホを何時間もいじってしまうよりはいいかな…と思っていたのですが、「ベッドに入ってから1分以内に眠れる状態は、日頃から睡眠負債が蓄積しており慢性的に睡眠不足の状態にあり、なんとか睡眠時間を確保しようと必死になっている状態、または寝酒をして一気に寝落ちしている状態が考えられます。」という記事を見つけてしまいました。きっと、というか絶対睡眠負債めちゃくちゃかかった状態なんだろうな、良くない状態だな…と思ったのと同時に、「特技:睡眠。0.93秒で眠りにつくことが可能」と言われているドラえもんののび太君が心配になりました。のび太、日頃のストレスできっと睡眠負債が溜まっているんだろうな…。

あと、私、めちゃくちゃ夢を見やすいんです。毎日見てると言っても過言ではないくらい、頻繁に見てます。夢を見ている状態って、脳が休まっていない状態だとどこかで聞いて、これもあまり良くない状態だな~と感じています。ただでさえ、そんなに睡眠時間が多いわけではないのに、夢を見ているわけですから、寝た後にすっきりしたことはここ最近全くないです。やばい。でも、起きた後に見た夢を思い出して夢占いで検索するのは楽しいです。それくらいしかメリットないですね。

ついにこの間は、久々に悪夢を見ました。疲れとストレスが生み出した悪夢。
どんな内容だったかというと、学校のような場所で、中学時代に仲の良かった子と一緒に、何故か宗教団体の人達に追いかけられていて、逃げ回ったのですが、ある教室で友達と私は追い付かれてしまいました。そして、宗教団体の人達に銃で友達は頭を撃たれて倒れてしまいます。次に私にどんどんと迫ってくる銃を持った人たち。私の目の前に来て、こう言いました。「今から弾を一つだけ入れる。頭に銃を撃って、命がけのロシアンルーレットをしよう」目の前で弾を一つだけ入れるところを見せられ、銃を渡され、「お前からだ」と言われました。目の前で起こってることと、これから死ぬかもしれないという恐怖で、私は大声で「やだーーーーーーーー!!!!!」と何回も泣き叫びました。

ここで、目が覚めて悪夢だと気づきました。めっちゃ怖くないですか!?!?!?
本当、夢で良かったです。これには米津玄師もニッコリしながら「夢ならばどれほど良かったでしょう♪」というレベル。もう怖すぎて、寝汗びっしょりでした。もう見たくない夢です。
ちなみに、過去にもう一つだけ悪夢を見たことがあって、その時は真っ暗なところに台があってその上に髑髏が置いてあって、それを見ていると台の後ろから大量の血が流れてきた夢です。

実際に起きたことじゃないのに、なんでこんな夢を見るんだろう?と疑問に思うのですが、夢を見る理由には諸説あって、「人間は普段の生活で起きた出来事や脳に蓄積したあらゆる情報を整理するために夢を見ると言われています。脳内に溜まった過去の記憶や直近の記憶が結びつき、それらが睡眠時に処理され、ストーリーとなって映像化したものが「夢」です。夢は無数にある情報と記憶が組み合わせられ、心身の内部的な状態が寝ている間に映し出されます。」と言われています。
悪夢は絶対心身の内部的な状態がやばいんだろうなって感じますよね。精神的に負荷がかかっている状態、「休息が必要だよ」と脳がSOSサイン出してくれていたんだなと、今になって思います。
皆さんも、悪夢を見た時はしっかり休んでください。

以上、みどでした!

Wordは友達

こんにちは、めいです。

卒論に、追われています。(書き出しが暗すぎる)
ここ最近は、カレンダーを見ながら「あと☓☓日…」とか「この日までにこれ終わらせて、この日までにあれ書いて…」とか。常に残された日数と大体の予定を考えて怯えながら過ごしています。夏休みから、いや4年になってから、というか3年の後期から「そろそろやらないと」と思っていたはずなのですが、提出期限まで1ヶ月をきった現在、まるで余裕がありません。数ヶ月前の自分に鬼の形相で掴みかかりたいです。もしくは、お願いだから早くやってくれと泣いて懇願したい。

全体の流れや骨組みは以前に作っていたのですが、いざ書き出すと「この話をするには前提にこの話を入れないと」「そうすると話の繋がりで先にこっちを持ってきて…」と、書きたいことがとっ散らかってしまって。それを整理して組み込むこと、そして自分の中にあるものを文字にして伝えることの難しさを痛感しています。なにせ授業レポートを最大限に避けてきたぐうたら大学生なので…

4年間で書いたレポートの数は人より圧倒的に少ないのですが、今まで書いたものは全て捨てずに保存しています。レポート嫌いで避けてはきたけれど、それでも書いたものは全て真剣だったからです。時々読み返すと懐かしく、自分はこんなことを書いたんだ、こんな風に書けたんだ、という自信にもなります。決して出来が良いとは言えないのでただの自己満足ですが。
その中でも特に気に入っている課題が一つあります。これだけは完成度にも自信があって、人に見せて自慢したいくらい。(ちなみにその分大変で、かつその時もギリギリだったので明け方に書き上げた思い出があります)
もちろん本当に見せたりはしないけれど、そういうものを書けたことが嬉しいなと思います。卒論もそうできたら。まず書き上げることが目標だけど。ギリギリだけど。

そんなわけで、あと少し頑張ります。次の更新をする私が無事に書き終えて穏やかに過ごしていることを祈って。それでは。