旅行に行った後にその旅行の詳細を文章にするのはナンセンスだと思っている。しかしまあ、今回くらいは書いてもいい気がしている。
長野県小諸市というところに行ってきた。ここは島崎藤村ゆかりの地である。藤村の生まれは馬籠というところであり、小諸ではない。小諸は藤村が小諸義塾の教師として5年間生活した町である。
この小諸市で、観光局が島崎藤村ゆかりの場所を巡るウォーキングツアーをやるというので、それに参加してきた。それだけに参加する予定であったが、運良く全国旅行支援が始まったため、せっかくならと温泉旅行を兼ねて小諸に一泊することにした。これが旅のきっかけである。
東京から小諸へは高速バスで行くのが安い。3時間、眠っていればすぐに到着する。小諸高原という、本当に何もないただの田舎道に降り立った私はまず、松井農園へ向かった。ここは小諸で一番大きい農園で、りんご狩り発祥の地ともされている。りんごの樹と樹の間に、島崎藤村「初恋」の詩碑がある。
これだけでもう、来てよかったと感じる。私と藤村との出会いは、中学の頃に習ったこの「初恋」の詩である。恋という言葉が持つ桃色のイメージが、りんごの赤い色と響き合って、詩全体が薄紅に見える。この薄紅が、心に残り続けている。高校になって、あまりにも暇な化学の授業中にこっそり電子辞書で「破戒」を読んで、読破した時の感動。その後に「新生」を読んでちょっと気分が悪くなったのも、思い出……。
松井農園ではりんごをたくさん食べた。持ち帰り用のりんごを、小諸郵便局に持って行ってすぐに実家に送った。小諸駅まで歩き、そこからバスで菱野温泉・常磐館という旅館に向かった。この旅館も有名で、芸能人や政治家などがよく泊まっているようだ。旅館から登山列車に乗って向かう露天風呂が有名で、これがものすごく気持ちいい。
山というのは静かだ。都会にいると何かしらの騒音をずっと聞いているが、山にはそれがない。全くの無音の中、冷たい風を浴びながら、ぬるい温泉に浸かる。非常に気持ちがよい。朝6:00に起きて、朝風呂に向かったのだが、これもよかった。朝の澄んだ空気に、もうもうと湯気が漂う中、素っ裸で小諸城下を見る。霧がかかっていてうまく見えないのもまたよい。
常磐館を後にして、2日目は観光局主催のツアーに参加した。小諸駅から、藤村の旧居、懐古園、中棚荘を巡る。とにかく小諸には藤村関連のものが多い。街を歩けば何度も「藤村」の文字を目にする。代表的なお土産でさえ「藤村もなか」。どれだけ小諸の人々に藤村は愛されているのか。
ツアー客は中棚荘に向かった。中棚荘というのは藤村ゆかりの旅館だ。そこに到着するとなぜか小諸市長がいらっしゃった。観光局主催のこのツアーを見学しに来られたようだ。突然の市長の登場に、ツアー参加者一同歓喜。ツアー参加者は文豪とアルケミストというゲームの影響で、若い女性が殆どだった。そのことを、市長は喜んでいた。
私は文豪ゆかりの地として、北原白秋の柳川、高村光太郎、宮沢賢治の花巻、小林多喜二の小樽に行ったことがあるが、それらの都市では文豪はあくまで観光資源の一つであった。しかし小諸は違う。藤村がとにかく小諸の中心。島崎藤村あっての小諸なのだ。島崎藤村が好きな人で、小諸に行って満足しない人はいないだろう。その文都としての魅力は、小諸にしかない。藤村の聖地として、これからも観光が盛り上がっていくといいなと感じた。
しかし藤村好きでなくても、充分楽しめるのが小諸である。美しい懐古園の紅葉を紹介しておこう。
珍しく旅の詳細を書こうと思って書き始めた文章だったが、いつの間にか叙事が叙情になり、終盤を迎えている。
小諸はいいところだった、と一言だけでも伝わるような、そんな旅行だった。旅行支援や小諸市が企画するキャンペーンと重なり、無料でもらえたお土産が数多くあった。たくさん貰ったりんごはお世話になった先生にお渡ししたが、それでもまだ沢山ある。毎日食べている。美味しい。
小諸はいいところである。りんごが好きな人は是非行ってみてほしい。長野県小諸市である。