就活のための一年間が別にあってもいいと思うの

今年度も他大学の授業に顔を出しているのですが、相変わらずどの学校も、自分が四年間通うビジョンは浮かばねえなという感想を抱きます。授業は面白いし、生徒も優しい子ばかり。学食もうちより安かったり量が多かったり、近くに銀行や安いチェーンがあったり、いいな〜と思うことはあるのですが、なんか浮いている感じ。水と油感。ほとんど無意識に猫を被ります。その分、目白の校舎に帰ってくると、息がしやすくて、無駄に元気になります。周りが自分と同じ感じの人か、それを通常行動だと受け入れてくれる人が大半なので、素をだせます。安心しすぎて、壁でも寝られます。

人はそれぞれ違うことには変わりありませんが、学力の差がないこと・同じ面接官に良いと思われたこと・作文の質が同じくらい、などといった受験という篩にかけられ、残った人間が集うような学校は、どこかしら根本的なところで似ている人が集まる傾向にあるのかなと思います。その傾向こそが学校の「カラー」となり、伝統的になっていくことで確固たるものになっていくのでしょう。

きっとそれは会社も同じで、一つにまとまって動いているだけ、その傾向は学校よりも強い必要があるのではないかと思っております。そして、学校の受験に代わるジャッジ材料が、エントリーシートや面接やテストなわけで。私たちはそれを通過しなくてはいけないし、通過できる運命的な会社を見つけ出さないといけないのです。

どうしてもその会社に入りたいからその会社の社風を汲み取って人物を演じるのも一興ですが、やっぱり個性を潰すのは、バレますし、もし内定決まったところで、この先自分も周りもストレスになると思うんですよ。だから自己分析って大切で、企業側もそれに合わせて来てね〜と思っているから、なんたら診断とかが普及するわけです。理想はその結果に七、八割似ている雰囲気を持つ社員が集う企業ですね。

でもその企業を見つけるのが悠長に構えていると大変なんですよ。学校と違って会社って、実際自由に誰でも観に行ける機会が多いものではないじゃないですか。数も時間も限られるから、ご存知の通り、HPとかで調べて、ピンポイントで狙って書類通して行かないと行けないんですけど、書類通る通らないの前に、HPとか正直、似たような文言ばかりで、わからないじゃないですか。自己分析に乗じた職種診断も、けして性能が良いものではなさそうですし、頼りになりません。星の数ほどある業界から、すぐに会社名を思いつき、更に自分に似合いそうな会社はどれとこれとそれとあれとと、候補を思いつける超人がいるなら、それはその能力を元に起業すれば良いと思います。

時間が足りません。卒論も迫ってきているし、こっちはこっちで就活以上に何も決まっていないのです。自分の輪郭は掴んでいるので、旅に出ないだけマシかと思いながら、日々BB片手にパソコンと四季報に向き合う日々が続いております。夜明けは待つのではなく、向かって突き進む姿勢で、白紙の卒論と共に、めげず進んで参ります。

「徒然なる」読書

皆さんこんにちは。みちこです。

なんと更新日をうっかり忘れてしまっており、大急ぎで執筆しております。はい…。

今回は、この間言っていた「日記」のようなものではなく、またいつもの気まぐれで思いついたことを書こうかなと思います。これぞまさに、「徒然なるままに」というわけです(笑)

前回のブログで、読書に関することを述べたのですが、今回もそれと関わることです。

というのも、最近本を衝動買いしてしまったんですよね…。それも2冊。

 私最近思うところがありまして、とある本を購入しました。ジャンルとしてはいわゆる「自己啓発本」の類と言われるもので、購入場所は例のジュンク堂書店池袋本店さんです(笑)

ここ最近ブログを綴っていても思うのですが(そしてもしかしたら読者の皆さんの中でお分かりの方もいらっしゃるかも知れませんが)、私はとかく「自分に興味のある人」であるらしいということを以前よりはっきりと理解するようになりました。(遅いですね…(笑))

なので、気がついたら自分のことを考えるようになっていました。

自分ってどういう人なんだろう?他と比べて何が優れているのだろう?など、気がつくとそのようなことばかりを考えてはよく友達を巻き込んでそのような話をしています。

そこではたと思いつきました。

ーーーこれは、このまま「自己分析」をしてしまえばいいのではないか、と。

ただ、私にとって「自己分析」というのは普段からついやってしまっていることなので、今更本など買う必要があるのかと、そう思いました。

しかしまあ、個々シチュエーションごとにそれが出来ていたとしても、全体としてまとめられないのなら出来ていないも同然と言いますか…そのまとめる方法を知りたかった、と言いますか…。

そう思ったので、購入を決めました。

八木仁平『世界一やさしい「才能」の見つけ方』(KADOKAWA、2023年)

買ったのがこちらの本になります。

こちらまだ途中までしか読めていないのですが、正直「目から鱗」ほどの衝撃はやはりなかったな、と思いました。予想通りでした。

というのも、先ほど言ったように、私にとって自己分析とはそこまで苦ではなく、むしろ進んで取り組んでいるくらいのことだからです。

この本は、タイトルに「才能の見つけ方」とあるように普通は悲観的に考えてしまうような自身の欠点を見方を変えて長所にしよう、と言う考え方が前提にあるんです。

この「普通は」というところがミソでして、私はこの本に書かれている、「見方を変えて自身の欠点を長所として捉える」という方法を、既に実践していたのです。現に、この本を読む前から私は自分の長所について述べることは苦ではなく、少なくとも数個は浮かぶ状態のままこの本を買ったんです。

つまり、「普通の考え方」を私はしていなかった。最初から「目から鱗」の方法で自分のことを考えていたんです。

これを「自己の正当性」、つまり「自分が好きだから自分の存在を肯定的に捉えているんだ」と言えばそれまでです。ぐうの音も出ません。

でも、この本によると、「そのぐらいのマインドチェンジをしない限り、自分の長所や強みなどは見つからない」というのです。逆に言えば、それぐらい自分のことを肯定的に捉えていいのです。

私の周りには、自分のことを否定的に捉えている人が多いので、なんかどうにかしてこの気持ち届いてほしいな、と思いながら日々を過ごしていたりします。

まあ、私が特殊枠なのでしょうがね。自分で言うのもなんですが、多分ここまで自分のことを肯定的に捉えられている人もそういないのではないかと思います。そんな私が他人のマインドを変えようなんて大変不躾かつおこがましいことですが、でも「考え方を・見方を変えるだけで全く違う景色が見えるのだ」という話は伝わって欲しいな、と思います。それを実践するかはともかくとして。「共感」されずとも「理解」されればいいな、と思っています。

ーーー実はこの話は、だいぶ前から皆さんにお伝えしたかったことなんです。あまりにも自我が出過ぎている上に、「共感」はされないどころか、むしろ「批判」さえされるのではないかと恐れていたところもあります。

ですがもうここまで来てしまった以上、あとには引けません。既に手遅れだったんですよね。自我を出し過ぎていた。もう戻れまい。

なので、思いのままを綴らせて頂きます。

もしかしたら対極にいる方々からしたら、まぶしい話かもしれません。鬱陶しいかもしれません。

なのでまあ、こういう考え方もあるんだな、程度に留めておいた方がいいかもしれません。誰もかれもが、私と同じような考え方を出来るとは思わないことな、というセルフツッコミを入れておきます。はい。申し訳ございません。

 長々と話しましたが、これ以外にも興味深いことはたくさん書かれてありました。ですがまだ読み終わってないので、今後の更新でじっくり語れる機会をどこかで作れたらと思っております。

 

 

次に紹介するのは、本日の話。揚げたてほやほやの話です。

なんと、本学の生協にこんな本が売ってるのを見つけてしまいました。

日部星花『光る君と謎解きを 源氏物語転生譚』(宝島社、2024年)

小説は基本「表紙買い」してしまう私が惹かれたのは、表紙のイラストもそうですが(美術部に所属していたというのも「表紙買い」をしてしまう理由として大いに機能していると思われる)、一際光る「光る君を」という文字!

中古文学、ひいては『源氏物語』に興味のある私にとってピッタリの内容では!?と思ってあらすじを見てみると、転生モノ…。

実は私、転生モノはあまり好き好んで読まないのです…。

だがしかし、古典文学と現代文学がどのようにマッチングしているのか、という興味が湧いたのもまた事実。というわけで、買うはずのなかったその本を手に取り、レジへと向かいました。

無事に本を買い終わり、空きコマ中に半分を読み進め、一コマ授業を受け終わってから帰りの電車内でも読みふけり、寒くて手がかじかむ中、最寄り駅のホームで読み終わるまで目が離せず、しっかり文字を追っていました。

そしてなんと、多分2~3時間くらいですべて読み終えてしまいました…。

前回のブログで、最近小説を読まないという話をしたと思うのですが、この小説は惹かれてしまいましたね…。

感想を語るとネタバレになってしまうのですが、まあ核心には触れない形で紹介していこうかな、と思います。

このお話は令和の時代に就活生をやってる女子大生が、ひょんなことから『源氏物語』の紫上に転生してしまう、というお話です。そこで、原作でも起きる事件(主には葵上の死と夕顔の死、六条御息所の嫉妬など)を光る君(光源氏)と共に解決していこう、という話です。

実はこの主人公は、文学部に通っており、原作である『源氏物語』のことは一通りぼんやりとではあるが知っている、という設定になっています。なので、小説を読みながらある程度『源氏物語』の内容に触れることが出来ます。

現在は大河ドラマでも話題沸騰中の『源氏物語』の世界観を気軽に知ることができ、さらにミステリー小説の要素もあるため、気軽に『源氏物語』を知ることが出来ます。

入り口としては非常にオススメなので、よろしければお手に取ってみてくださいな。

まあでも…色々と知っている身からすると、なかなかに唸ってしまう場面も多かったので、あくまで「エンタメ」「入口」として見て頂ければ幸いです。

一緒に古典文学の沼にハマりましょう!!!!

というところで、今回は終わろうかと思います。

ちなみに余談ですが、その一コマ空いた後の授業で同じ授業を履修している学生ら+先生で談笑もしました。その時の授業の内容から、この本の話まで、非常に楽しい時間でした。

この場を借りてお礼申し上げます!ありがとうございました!!

というわけで、次回は「私の取っている授業」という内容で興味を持ってさらに語りたかったことを綴ろうかな、と思います。

私のことを良く知る方々なら、まあ…お察しでしょう。「推し語り」が炸裂しましょうぞ。

思った以上にこのブログ部という場は、寛容な場所のようです。

というところで、本日のブログを締めたいと思います。

長々と失礼いたしました!!(本当に)

ここまでお読みいただきありがとうございました!!

○○の秋

皆さん、こんにちは!

1年で1番好きな季節、「(食欲の!)秋」の本格的な到来に喜びを隠しきれないももこです。

「秋」と言えば様々に「○○の秋」と称されますが、皆さんはどんな「○○の秋」がお好きですか?

「食欲の秋」「芸術の秋」「読書の秋」「スポーツの秋」「睡眠の秋」「実りの秋」「紅葉の秋」…など、いろいろな秋を思い浮かべたことでしょう。本日は皆さんが思い浮かべた「○○の秋」に1つ「映画の秋」を加えまして、映画にちなんだお話をしたいと思います。

先日、久しぶりに朝一番で映画館に駆け込み、「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」をひとりで鑑賞してきました。

ひとりで映画に行ったのがどれくらい久しぶりかと言うと、なんと10ヶ月ぶり!最後にひとり映画鑑賞をしてからもう1年近く経っているなんて…。取っておいた映画のチケットを確認しながら驚愕してしましました。(ちなみに最後に見たのは「ハンガーゲーム0」。興行的にはあまり振るわなかったらしいのですが、個人的にはとても好きな作品でした!)

ここだけの話、実家に帰省した時に何度か家族とは映画に行ってるんですけどね…。(ちなみに今年家族と見に行ったのは、「名探偵コナン 100万ドルの五稜星」、「インサイドヘッド2」、「もしも徳川家康が総理大臣になったら」、「ラストマイル」です。この中では「もし徳」が予想してたよりも面白かった気がします…。個人的には豊臣秀吉役の竹中直人さんがツボでした(笑))

家族や友人と映画に行くのも良いですが、それとはまた違った良さがあるのがひとり映画鑑賞です。気遣い無用、映画のお供に何を食べてもいい(大きいポップコーンを1人で食べられる)、じっくりと自分の中で内容を咀嚼することができる…。そんなところが私の性格に合っている気がします。

さて、それでは話を元に戻しまして、「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」のお話を…。

〈映画の簡単な紹介〉

前作から2年後を舞台にした今作は、主人公アーサーがジョーカーとしてのアイデンティティを深め、精神的な問題を抱える女性リー(ハーレイクイン)と共依存関係に陥る物語です。アーサーの内面の葛藤や過去のトラウマが明らかになり、社会の不平等や精神的健康問題がテーマとして描かれます。ダークな雰囲気の中に、ミュージカルテイストも盛り込まれており、アーサーの細かな変化が緊迫感をもって展開されていきます…。(byチャットGPT

今回の映画を見た率直な感想は「うん、難しすぎて私には訳が分からん!」でした(笑)。(映画の紹介をチャットGPT先生にお任せしたのも、内容が難しくて言葉にできなかったからです…)

最近ネトフリで1作目を見て面白かったので、2作目も…と思い映画館に向かったのですが、まだまだ私の理解が十分ではなかったようです。とにかく、難しかった!(日文生なのに「難しかった」としか言えない私の語彙力…。お恥ずかしいですが、それくらい訳が分からなかったのです)

あとは、自分の中でのジョーカー像とハーレイクイン像が、「スーサイド・スクワット」のジャレッド・レトとマーゴット・ロビーで定着してしまっていたのも原因かもしれません。今作のジョーカーとハーレイクインは、これまでにない新しい要素がたくさん付加された人物像に変えられていたので、違和感や抵抗感を覚えたのかも…。

とにもかくにも、「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」を理解できるようになるまでには、1作目の復習から入り、今作もあと4、5回は見ないといけないなぁという感じです。この映画を見た人と感想を言い合っても、1日では絶対言い尽くせないと思うほどの作品でした。

さて、朝早くから見に行った映画が不完全燃焼に終わったので、近くのBOOKOFFに立ち寄り、以前から気になっていた「シェイプ・オブ・ウォーター」という映画のDVDを手に入れて帰路につきました。

この映画は簡単に言うと「大人のおとぎ話」です。物語、世界観、出演されている俳優さんなど、全てに「素敵…」と感嘆してしまう感じ(個人的にはオクタヴィア・スペンサーという女優さんがとっても好きでした)。「ハリーポッター」や「ロードオブザリング」とは一味違う、美しいファンタジー映画でした。(ヴェネツィア国際映画祭、アカデミー賞、ゴールデングローブ賞などで数々の賞を受賞したのもうなずける!)

1日で映画2本を鑑賞できるなんて、何たる幸せか…。まさしく「映画の秋」にふさわしい1日だったと思います。皆さんも、秋の夜長にまったり映画鑑賞なんてどうでしょう。いつもとは違う非現実的な時間や空間を味わえるといいですね。

最後に、話は変わりますが、「東京コミコン2024」に私の推し俳優マッツ・ミケルセンが登壇することが決定しました!しかも!なんと!おマッツ(我が家では親しみを込めてこう呼んでいます)と「ファンタスティックビーストとダンブルドアの秘密」で共演したジュード・ロウと、ドラマ「ハンニバル」で共演したヒュー・ダンシーも登壇するそうではありませんか!

へ?じゃあ何か?マッツ・ミケルセンをジュード・ロウとヒュー・ダンシーが囲んだ三角関係が拝めるってことですか!?

とまぁ、激しい妄想を鼻息荒く書き綴ったところで、コミコンに参加するわけでもないのですがね…(多分、直接おマッツを目にしたら、私は溶けます。いや爆発するかも…)。ただめちゃくちゃ嬉しかったので、このハッピーをブログで発散させてください(笑)。

本日もお付き合いいただきありがとうございました!それでは、また!

カーソル

ごきげんよう、あやめでございます。

スランプです。

今回はネタが無いのもありますが、それ以上に、私に書く力がなくなっているように思います。

スランプ。

そんな大層な文章を書けたことはないのですが、たぶん一番近い言葉なので、かっこつけて言ってみました。いやぁ、なんかスランプっぽいんだよね、書けないわ、なんだかそういうことを言えるのってかっこいいですね。

段々焦ってきました、本当に書けないですね。いつもならこのくらい適当を言っていれば、なにかしらは言いたいことが生まれてくるので、それを期待して軽く流していたのですが。おかしいですね。

◆◆◆

書けない

カーソルがチカチカ続きを急かすのに、続きの言葉が一つも繋がらない

言い出せない

なにも思わず生きてきたのか

自分の思いが他人の雑談かのごとく、耳元で「雑音」としてすり抜けていく感覚がある

凪になりたい、という願いがある

もしや、凪になったら何も書けないのではなかろうか?今すごく穏やかに、純粋に存在している感じがある。何も身に纏っていない、というよりは、必要最低限しか存在していない、の方が近い気がする。秋の青空が抜けるようにあおいのに似ている。秋の空気が脳みその後ろまでしみこんできて膨張して目を開かせるようなのに似ている。

◆◆◆

ポエムをかましてもダメですね。なにも浮かびません。すごいな、ここまできたらこれで粘るべきでしょうか。

申し上げたことがあったかどうか、忘れてしまいましたが、私は今「創作技法論」という名前の講義を受講しています。内容は短編小説の技法を学び、その知識を活かして書く、というものです。私は1年生の頃から応募しては落選していたのですが(人気の講義で、毎回抽選になります。講義の特性で受講人数に限りがあるのです)、今年ようやく受かったので喜んで受講しております。だけれど、今週の講義で書くとき、やっぱりなにも浮かばず難儀しました。ブログだから、とか、講義だから、という媒体やスタイルの問題ではなく、やっぱり私に理由がありそうです。書けない。浮かんできません。なかなか困ったものです。まずいです。すっぱい唾液がでてきました。うん、くるしい。

つまらないでしょうが、あまりに何も浮かばないので、しかたなく、自分の事でも書きましょうか?マア、確かに最近は就活で自分をアピールすることや、そのために自己分析をしたりしている時間が多かったので、嫌でも自分の特性はわかってくるものです。

Q:あなたの特徴を200文字以内で教えてください。

A:冷静に物事を捉えることが得意です。また、捉えた事象を分析することも得意です。一方、感受性が豊かという性質もあわせもっています。これらの性質を生かし、日本文学科では作品の構造に注目した研究を行っています。卒業論文では……

やめます。むりです。私はエントリーシートの類が絶望的に苦手なのです。自信がないからアピールポイントを考えると、「……無い?」というありさまです。憂鬱なのです。

スランプです。なんにもうまくかけませんでした。もう店仕舞いにしようと思います。ちっとも面白くもない文章片が生成されて終わってしまいました。読者の皆様ごめんなさい。無念。お相手は、実は上下編にわたる大作を作ろうとして、できなくて、それを引きずっている、しょんぼりあやめでございました。頑張って書き上げたいのですが、真ん中の部分を書いたら、満足してしまい、うまくその前後がかけませんでした。近いうちに上げたいな。むりかな。

追記

皆さんのブログを読んでいたら、ももこさんにブログでごはんに誘われました!私も何度か言及していますが、ブログ部員同士で会うことがあまりないので、ぜひ!ご一緒させてほしいです!とどくかな。

寒暖差

 10月も末になると、気温はともかく日が短くなってきたなあと思いますね。気温はともかく。
真夏日近いような日を挟みつつもなんとなく秋らしい陽気になってきた今日この頃ですが、皆さま元気にお過ごしでしょうか。私は「ギリ半袖で寝られるか?」という日があったり、「寒すぎる、白湯を飲んでから寝よう」という日があったり、すご~く翻弄されておりますがなんとか健康に生きています。

 先日、もうそんな季節かと思いながらインフルエンザの予防接種を受けてきました。薬があるとはいえインフルエンザ、かなり辛いですからね。まあどんなに気を付けていても予防接種受けてもかかるときはかかるというのは経験済みなんですけれども。あのワクチンって毎年中身が違うらしいじゃないですか、私インフルエンザは毎年予防接種を受けているんですが年によってすごく腫れる時とちょっとしか腫れない時があるので本当なんだなと。ええ、デフォルトで腫れます。幼少期からそうだったらしいです。あとは受ける側の体調なんかも関係するのかな。で、今年はどうだったかというと数年ぶりに結構腫れました。熱をもつ、赤くぽこっと直径10cmくらい腫れる、痛痒い、重い、みたいな感じですね。見た目に分かりやすく腫れるし打った方の腕を下にして眠れない。あと異様に眠かった。これは己の怠惰かも。そういえばコロナのワクチン打った時もこんなんだったな~と。私蚊に刺された時とかも腫れやすいので体質なんでしょうね。こんだけ腫れたら効いてくれるといいなと思います。

 この季節、乾燥してるんだかじめっとしてるんだかわからないなと思います。そしてこの季節私は喉がイガイガしがち。みんなそうなのかもしれないですね。喉がざらつく時、マスクしたりのど飴舐めたりすればいいんでしょうけども、特にのど飴なんかはすぐに舐められるものでもなく、代わりに水を飲むんですね。水を一日2L飲むと健康に良いと聞きますが私は多分そのくらい飲んでる、喉が強くないゆえに。あとは、紅茶も珈琲も大好きなんですがカフェインの摂りすぎを恐れ最近は冒頭で述べた通り寒いと白湯を飲む時もあります。昔子どもの時、白湯を好き好んで飲む人って何が良くて飲んでいるんだろう思ってましたが私の場合、暖をとるとか喉を潤すとか、普通に水分補給だな。美味しいかといわれると別に美味しくはない。でも多分健康にはいいんじゃないかな~と思うので、ぬるいお湯を飲むことに抵抗がない人間は一緒に白湯生活してみましょう。

 あらゆる人生の先輩方に散々、健康はお金じゃ買えないから体は大事にしなさいと教えをいただいてきました。こう、視力が悪くなったり膝を壊したりみたいな慢性的な体の不調もそうですし、風邪をひく、熱を出す、みたいな一時的な不調もそうですが、失ってから健康状態って素晴らしいなとつくづく思いますね。体調を崩しやすいこの季節、よく食べよく寝、元気に乗り越えていきましょう。では。

麦茶

こんにちは。

私にはありがたいことに自分の部屋というものがあります。そこまで大きい部屋ではないのですが、ベッド、机と椅子、カバン掛け、それと本棚が2つあります。全体的に白で統一されていて、その中で椅子とカーテンだけは落ち着いた赤色やピンク色をしています。

ベッドはロフトベッドで梯子を登らないと眠りにたどり着けない構造になっています。ベッド下の空間にはキャリーケースやら冬場の電気ストーブやらが押し込められています。最近急に肌寒くなってきたので、そろそろ電気ストーブさんを起こす必要がありそうですね。

机は折り畳み式で、天板はノートパソコンを中心に置くと左側に辞書を置け、右側でマウスの操作をゆったりすることができるくらいの広さです。時折、私の立った反動で天板が斜めに傾くことにさえ注意を払っていれば便利の一言に尽きません。

カバン掛けは高さ170cmくらいの柱からニョキニョキと枝が生えているような形をしていて、掛けられるだけのカバンや手提げバッグなどが掛けられています。デザインはとてもスマートなのですが、大量のカバンたちのおかげで若干幅を取る代物です。

本棚は大きなものと小さなものがあります。大きなものは背が180cm以上ありそうですし、横幅も1m近くあるのでめったに動かしません。もし移動させるとなったら、中身を全部出した上で運搬要員が2人以上必要です。一方小さなものは私の腰くらいの高さしかなく、今はベッドの下にちんまりと収まっています。幅も奥行きもそこまで大きくはないので、中身がそれほど重くなければ1人で十分に動かすことができます。

ベッドを新調してからとりあえずの家具の配置で過ごしていたものの、何となく動線が不便だったので模様替えをすることにしました。ベッドと大きな本棚はほぼ動かすことができないので、今回私の部屋の使い勝手を左右するのは机、椅子、カバン掛けの配置です。この3つをひとまず動かしてみることにしました。机の上にはパソコンやらティッシュ箱やら麦茶の入ったコップやら。お察しください、私の机の上は大抵とっ散らかっているのです。少々強引に物が載ったままの状態で机を動かすことにするとしても、麦茶の入ったコップだけはどこか安全な場所に退散させた方がよいでしょう。大きな本棚の辞書の上ならよい具合に平らかです。そこにしばし置いておきましょう。

椅子は部屋の隅にどかしておいて、机を動かし、カバン掛けを動かしてひと段落。椅子の位置を戻して休憩しているときにふと思いついたので、ベッドの下に配置されていた小さな本棚を大きな本棚の隣に置くことにしました。そのついでに本棚の中身の入れ替えを少し。大きな本棚にある辞書たちを小さな本棚に移動させよう。そう思って辞書を引き出したとたん、何やら冷たいしぶきが顔中にかかって、私の頭の中には大きな「?」が浮かびます。3秒ほど経ってやっと状況を理解しました。何という失態。10分前の私は辞書の上に麦茶の入ったコップを置いたのでした。その存在を忘れて辞書を引き出してしまった私は季節外れの水浴びを楽しむ羽目になってしまったのです。しかも絶好のタイミングで妹が部屋に乱入し、なぜか私のベッドに上がり込んでノリノリで「おもかげ」を熱唱しています。今日からVaundyにハマったそうです。あまりにもタイミングの悪すぎる妹をさっさと追い出して、こぼれた麦茶の後始末をします。幸いにして、被害に遭った書物・機器の類はなさそうです。

今後絶対にヘンなところに麦茶の入ったコップは置きません。

をかしきもの

朝は風。布団から出て窓を開ければ、季節の香りが頬骨をかすめていく。秋の金木犀まとう風はなんとも贅沢な気分を味わわせてくれる。

昼は水辺。近所に流れる川に鴨が住んでいるのだけれど、その後ろに幼い鴨が連なるのを見ると愛おしい気持ちになる。せきれいの水浴びも、その姿と散る雫の大きさがあまり変わらないことが微笑ましく思える。

夕は入日。予期せず外出することになった日の帰り道に、柿色の鮮やかに輝くのを見たときの感動は言い表すことができない。たとえその日がふるわなくても、それを見れば悩みもどうでもよい気にさせられるのだから不思議なものだ。

夜は静けさ。月明かりを頼りに寝床にたどりつき、枕に頭をゆだねたときのわずかな音が響くのも良い。昼に干された毛布に包まれるときの幸福感はもちろんたまらないが、顔に近づけたときに寝香水がほのかに香るのも良い。

*****

まいです、ごきげんよう❀

日常にある穏やかな幸せを記したいと思ったとき、ふと清少納言の『枕草子』が浮かびました。感じた趣を筆にまかせて表現する。そうしているうちに『枕草子』のオマージュが完成したわけであります。私の場合はもともと「現代語」で書いているのにもかかわらず現代語「訳」のようなニュアンスに。私は中古作品に添えられる、奥ゆかしく少々丁寧すぎるような現代語訳の韻律が好きです。

こうして一日を振り返ると、特別なことはない、なんてことのない日常の幸せに気づかされます。「特別」というのは「新鮮味」に近いところがあり、それに慣れているか、いないかに左右される感覚なんですよね。旅行先で見た山並みをうつくしいと感じても、それを毎日見て生活している人にとってはただのいつもの景色でしかなかったりするわけですし。私にとっての「旅行先」が「地元」の人もいるのです。

・・・

「”幸せいっぱい”ではなかったけれど、けして”不幸”ではなかった。」「1日1回でも心から笑えたら最高に幸せ」

これは私が最近お気に入りの漫画(自己啓発系?)『メンタル強め美女 白川さん』のセリフです。主人公は25歳のOL「白川さん」。日常の幸せに目を向け不要なネガティブをはねのけることでハッピーな生活を送っている「メンタル強め美女」です。日々多様な悩みやストレスとたたかう会社の仲間たちが「白川イズム」に触れることで心が軽くなっていくのですが、効果は読者まで及び人気を博しています(現在6巻発売中)。以前、私の人生のバイブルとして『魔法のプリンセスレッスン』をご紹介しましたが、この「白川さん」はまさにそれを実践しながら生きているような人なので(著者は異なりますが)、私にもヒットしてしまいました。

私たちが見ている世界にはいいこともわるいこともあるけれど、そのどれを受け取るかは自分で決めていい。作品全体を通して「白川さん」はそれを伝えているような気がします。

日々がんばって生きている自分を大切に、かわいがってあげること。慣れないうちは意識することが必要ですがけして心の負担になることではありません。ここで「プリンセスレッスン」や「白川さん」に影響を受けやすい私の、「自分をかわいがる(違和感があれば「いたわる」でもよいです)ためのおすすめアクション」をご紹介したいと思います。(この文言が、各本に載っているというわけではありません。これは私流になっているので、気になる方はぜひ本をお読みになってみてくださいね❀)

~“疲れた日の!”自分をかわいがる(いたわる)おすすめアクション3選~

*お風呂にキャンドルを用意して、ぼうっとする時間を自分にプレゼントしてみる。

……疲れているときほど他人へはもちろん自分への思いやりが減り雑な扱いをしてしまいがちです。自分の失敗を責めたり、何もかもが面倒で嫌になったり…疲労がとれないどころか増していくばかり。そこで、元気な時に「疲れている日専用プレゼント(ご褒美)」を考えておくと、疲れた時の自分を癒すことができます(疲れているその時は、そんなことを考える余裕がないので元気な時に考えるのがおすすめです。未来のつかれた自分のために!笑)。たとえば「コンビニで1つスイーツを買ってあげる」。普段買わないようにしている人ならなおさら嬉しくなりますよね。「疲れた日。だけどケーキが食べれる日!」と、少しハッピーに変換されるかもしれません。 時間のプレゼントでも良いです。見出しの「お風呂でキャンドルをつけてぼうっとする」は個人的なブームですが、他にも「好きな漫画を読む」とか「アニメを1話見る」とかも最高ですよね。……不思議な事に我々は、疲れているときに”無心で”これらのこと(ケーキを食べる、漫画を見るなど)をすると大きな罪悪感を感じたりします。「あー夜なのに甘いもの食べちゃったー」とか「マンガ読んで遅い時間になっちゃったー寝るべきだったのにー」とか。本来なら好きなことをして嬉しいはずなのに罪悪感もセットでくるとなんだか残念です。でもこれが決めた「プレゼント」だとこの後悔を感じずに済みます。人からプレゼント(しかも自分の好きなもの!)を受け取ったときに「あーついもらっちゃったよー」なんて、後悔したりはしませんもんね。

☆ポイント:金銭面など自分の負担にならない範囲で設定すること!

*いつも憂鬱な気分で通っている道を、休日にのんびりと散歩してみる。

……仕事や、学校、アルバイトなど、いつでもルンルンだったら嬉しいですがなかなかそうはいきません。残業続き、寝不足、人間関係、様々なストレスを感じていたり悪い未来を想像しながら歩いていると、だんだんとその景色自体が「負のオーラ」をまとっているような、「嫌なことを連想させる場所」になってきたりします。おそろしや…。そこで、休日にのんびりとその道をお散歩してみます。らく~な格好でもいいし、大好きなお洋服を着てもいいし、スタイルは自由です。五感をつかってのんびり歩いていると、いつもの川に鴨のあかちゃんがいることに気が付いたりカメが甲羅を乾かしているのを見かけたり(この景色は田舎にいる私だけでしょうか…?)、風が気持ちよかったり背中の陽射しが温かかったり金木犀が香ったり…。いつもの景色がマイナスフィルターなしに見れたとき、足取りは自然と軽くなっていきます。「いつもの通り道」に嬉しいポイントが貯まっていると、落ち込んだ気持ちの日も少し気がまぎれたり。

☆ポイント:天気のいい日、気分がよく時間に余裕のある日に行うこと!もちろん雨の日がすきな人はぜひその日に!雨など降るもをかし、ですね。

*良い香りをまとってみる。

……香りは心まで届くので、ハンドクリームや香水は自分が心から気に入ったものを選ぶことがおすすめ。私は「すごく好きな香りだけどちょっと高価なハンドクリーム」と「そこまでピンとは来てないけどお手頃なハンドクリーム」のうち後者を買ったとき、なんだかんだ使い切らなかったり買い替えたりして、「結局前者のハンドクリームを買った方が安く済んだな」という経験をしたことがあるので、香りものに関しては奮発してもいい、と決めています。気分のいい日やわくわくする予定があるときなどに積極的に使っていると、脳の中で「この香り=幸せな気持ち」という”連想ハッピーセット”が完成します。そうして不安な夜、枕元にひとふきすれば、心が静かに慰められてゆくのです。

……いかがだったでしょうか。最近自分のブログが自己啓発に寄っていることに薄々気づいてはいましたが今回もそのような内容をお届けしました!(笑)

幸せな日常を送りたい、ではなく、日常の幸せを受け取りたいと思います。

それでは、ごきげんよう。

ごきげんよう強化週間

こんにちは、ゆきほです🍵

最近DSでポケモンのブラックを最初からプレイしています。

ポケモンのブラック・ホワイト(BW)は2010年に発売されたゲームで、私が人生で初めてプレイしたポケモンです。思い出のキャラクターたちとの再会に盛り上がりながら、毎日ちょっとずつ進めています。今日は3つ目のジムバッジを獲得しました。

本当は1日中ポケモンをして生きていたいところなのですが、残念ながら日中は授業やバイトで、夜は課題や卒論などで、ポケモンのためにまとまった時間を取ることができません。
そういうときはどうすればいいのか?

そうです、早起きです。
ちょっとだけ早く起きてメイクを適当にすることで、学校に行く前に30分から1時間を無理やり確保してポケモンをしています。

∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴

突然ですが皆さんは、ごきげんよう強化週間をご存知でしょうか?

毎年10月1日から7日の間で開催されることで有名なごきげんよう強化週間。

皆さんご存知かもしれませんが、今年ももちろん開催されていたため、私もその1週間は「ごきげんよう」と挨拶をしていました。

ごきげんよう強化週間は、今ではゴールデンウィークやお盆休みと並ぶ日本古来の年中行事となりましたが、そのルーツは意外なことに未だ不透明です。

一体誰がどんな目的で制定したのか?いつから始まったのか?
とある女子大生たちの間で始まったとの噂もありますが、その真偽は定かではありません。

***

大変申し訳ありません。お察しの通り、上記の内容は「ごきげんよう強化週間の実施」を除いて全てが嘘です。
まあゴールデンウィークを「日本古来の」とか言っている時点でだいぶ怪しいですよね。名前からして絶対そこまで古来じゃないですから。

ごきげんよう強化週間ももちろん歴史の長いものではありません。

時は遡って2023年の夏休み。
私と友人2人は、用もないのにわざわざ大学までやって来て、学食でお昼ご飯を食べていました。

ご飯を食べ終わって喋っている時に、どんな流れだったかは忘れましたが「ごきげんようって挨拶なんかかっこいいよね」というような話題になったことが、図らずとも近代ごきげんよう強化週間史の幕開けとなったのです。

「そうだ!!ごきげんようと挨拶する期間……ごきげんよう強化週間を実施しよう!!!」

すぐさま3人で「ごきげんよう強化週間実行委員会」を発足して、実施期間を決めました。

そして2023年9月29日。
ごきげんよう強化週間実行委員長(注:私ではありません)より、日文の愉快な友人たち6人のLINEグループで突如「ごきげんよう強化週間開催宣言」が発表されたのです。

「とても簡単なことで、この週の挨拶は「おはよう」ではなく「ごきげんよう」と言うように心がけてほしいということです」

思い返すと中学生時代の私は、学校で毎週水曜日に行われていた「朝のあいさつ運動」が嫌いでした。

うちの中学校の朝のあいさつ運動は、校門から昇降口までの数メートルへ花道のように声の大きい人有志みたいな生徒たちが並び、左右からあいさつをしてくるというものです。花道の最後にあたる昇降口の前には体育の先生がラスボスとして控えていて、あいさつを無視していたり服装がダメだったりした人は即怒られます。

この朝のあいさつ運動、字面からも分かるように朝から受け止めるにはカロリーが高すぎるんですよね。中1の私、初めてアレを浴びたとき一瞬で萎えましたもん。

結局意地でもあの場であいさつをしたくなかったし、かと言って朝から怒られるのも嫌なので、水曜日はあいさつ運動が終わってから朝の会が始まるまでの5分の隙を狙って意図的に遅刻ギリギリ駆け込み登校をしていました。

そんな「あいさつ運動嫌い」の私が、大学生になってなぜか自主的に「ごきげんよう」を強化しはじめる。正直全く意味がわかりません。

でも先ほどの開催宣言を思い出してください。ごきげんよう強化週間は「心がければ」いいんです。別に「ごきげんよう」と言い忘れても怒られはしません。

ごきげんよう強化週間に限ったことではなく、あいさつって元を辿ればそういうものなんじゃないかな?と私は思います。

授業の間の10分休みで急いで移動しているときにすれ違った友達と「おはよ~~」と軽く手を振り合えただけでも何かちょっと嬉しかったり、逆にあいさつのタイミングを逃したときは『せっかく会えたんだから話しておけばよかった!』と後悔したりする。そういうものに強制要素はいらないんじゃないかな?と思います。

私が嫌だった朝のあいさつ運動って、あいさつしている人達もかなり渋々やっていたし、される私も嫌だったし、きっと朝から生徒を怒らないといけない先生たちからしても嫌でした。多分誰もいい思いをしていない活動です。

昇降口でたまたま会った先生にあいさつするのと、一歩間違えたら怒られる羽目になる恐怖の中であいさつするのは全然違います。「あいさつをするといいけど、するタイミングを逃したのであればそれは責めない」という状態が一番過ごしやすいです。
中学生の私だって、昇降口に時々立っている校長先生にあいさつするのはけっこう好きでしたから。

・・・・・・あっ、何か今いいことを言っている風に見えますが、忘れないでください。
私は友人間で自主的に行っている「ごきげんよう強化週間」の話をしています。

***

2024年9月26日

委員長からの開催宣言のLINEが来たことで、今年もごきげんよう強化週間の季節がやってきました。

『「ごきげんよう」を「強化」しようとしている時点で、それはもう「ごきげんよう」という言葉の趣旨から外れてしまっているのではないか』

おっしゃる通りです。「ごきげんよう」と「強化」は相反する存在なんじゃないかな?と私も薄々感じています。

でもそれでいいんです。

もしかしたら「ごきげんよう強化週間」の存在が100年後の歴史の教科書に載っているかもしれませんし、200年後の共通テストには問題として出てくるかもしれません。

私たちが歴史の第一人者になる可能性を妄想しながら過ごした、今年のごきげんよう強化週間は先週幕を閉じました。

***

ちょうど今週の月曜日、ごきげんよう強化週間の打ち上げに6人で行ってきました。
提案したのは私ですが、何を打ち上げる必要があったのかは聞かないでください。

ファミレスのドリンクバーにあった野菜ジュースを片手に超健康的な乾杯をするとき、委員長からこんなありがたいお話がありました。

「来年は各々の職場でごきげんよう強化週間を開催してください」

それについてはもうちょっとだけ考える時間をください。

ではまた、ごきげんよう。

On Your Mark

皆さん、こんにちは!

朝晩に秋の訪れを感じる時期になりました。それでも日中は暑いことが多いですね。

毎日着ていく服に悩む日々です…。半袖を着たら寒くて、長袖を着たら暑い。私は羽織り物を持っていくのが苦手な面倒くさがりの人間なので、トップス1枚で済む気候の日が恋しいです。

そういえば、この時期になるとコンビニのレジ横におでんブースが置かれますよね。お店に入るとお出汁の良いにおいがふわっと香って吸い込まれそうになります。でも、レジで「大根、ちくわ、こんにゃく、がんも、おつゆいっぱいで!」と言うのが恥ずかしい小心者の私は、これまでコンビニでおでんを買ったことがないんです…。

コンビニは1人暮らしの大学生の強い味方。私もとってもお世話になっております。そんなコンビニの冬場の売り上げに少しでも貢献できるように、今年こそはおでんを買うぞと意気込んでいる今日この頃です(大層な理由を付けていますが、ただ単におでんが食べたいだけ…)。

そんなこんなで、本日は、最近再放送されている「踊る大捜査線」を見て、刑事ドラマ熱が沸騰しているももこがお送りいたします(ちなみに私の推しキャラは、いかりや長介さん演じる「和久さん」です)。

先日、母が東京にやってきました。「みんなでつなごうリレーフェスティバル2024」に出場するためです。このリレーフェスは東京オリンピック2020の舞台であり、世界陸上2025の舞台となる国立競技場で開催される、誰でも気軽に参加できるリレーイベントです。母は大学の同級生たちと200歳以上リレー(400メートルリレー)に出ました。

以前、このブログでも書いたことがありますが、私の母は体育大出身のゴリゴリの体育会系女子。小学校1年生の時すでに、25メートルをビート板なしで泳ぎ切った伝説の持ち主で、中高ともに陸上部に所属していました。私は運動の「う」の字もできないくらいの人間なので、昔は母が体育大出身だとは口が裂けても言えませんでした(笑)。

母ももう50代後半。今でも元気で活発、その負けん気の強さには頭が下がります。

100メートルを走ってバトンを繋いだあとは、陸上界のレジェンド的存在のおじ様方(母が興奮して話してくれましたが、詳しくないのであまり分からなかった(笑))と写真撮影をしたり、同窓会に行って旧友たちと思い出話に花を咲かせたり、他大学のリレーチームの方々と親交を深めたり…。とっても楽しい1日だったようです。

私はふと、母のコミュニティーの広げ方や親交の深め方がすごいなぁと感じました。年を重ねても、内にこもることなく、恐れずに外へ外へと積極的に踏み出そうとする姿には尊敬の念を抱きます。

最近、自身のコニュニティーについて考えさせられること、反省することがあったので、母が東京に来てくれたことは思いがけず私の心の支えになりました。

さて、話は変わりますが、昨日中世自主ゼミにお邪魔させていただいた関係で、ブログ部で同じ学年の、わたさん、ののさん、さくらさんにお会いしました!みんな3・4限は空きコマだったので、ゆっくりと学食でお昼ご飯を食べ、ガールズトークで大いに盛り上がりました。ゼミの話、卒論の話、趣味の話、舞台の話などなど、200分の時間はあっという間…。

ブログ部員はあまり顔を合わせることがないので、同じ学年であっても授業がかぶらないとなかなか会えないんです(泣)。久しぶりにみなさんと直接お話ができて、本当に楽しかった!

今度は、あやめさん、ゆずきさんも誘ってブログ部3年生全員でご飯に行こうという話になりました。あやめさん、ゆずきさん、一緒にご飯行きましょう!(ブログ上のお誘いになって申し訳ない。おふたりに届けー!)

私なりのコミュニティーの深め方。まだまだ模索中ですが、今まで消極的だった分、フルスピードの巻き返し開始です!

本日もお付き合いいただきありがとうございました!それでは、また!

わたしは、奈良派。

(近鉄のキャッチコピー)

まいますです!💟

先日家族が京都に来ました。

これはチャンスなのです。

何かと言えば、

自分でそんなにプランを立てずに人に頼りながらどっかに行く

そんなチャンスです。

私はずっと奈良に行きたかったんですね。

なので、せっかく京都に来てもらったとこ悪いですが、奈良行こう!!と提案。

母もそういうのは好きなので、快諾して貰えましたᵔ-ᵔ

今回訪れた場所は、

ずっと行きたかった法隆寺、

教科書でよく名前を聞く薬師寺、唐招提寺

です。

法隆寺で一番楽しかったのは、大宝蔵院です。

百万塔陀羅尼、玉虫厨子などなど、絶対に誰もが教科書で見たことあるであろう宝物が盛りだくさんでした!

やはり、知っている名前があると楽しめるものです。

高校時代の先生の講義を思い出しながら、展示を楽しみました。

百万塔陀羅尼はほんとに好きで、名前がかわいいので。

ひゃくまんとうだらにって、伸ばすと

ひゃくまんとうだらにー

だらにー

まろにーみたいな

ひゃくまんとうまろにーとか言ってたなーと思い出しました。

歴史の勉強って楽しいです。

あと、玉虫厨子って大きいですね?!

知識そんな無いので、もっと腰よりも低いようなものだと思っていたのですが、超巨大でした。

資料集に載っていた「捨身飼虎」の絵もあって、有名人にあったような気持ちでした。

薬師寺では、受付をするとすぐにお坊さんのお話が始まる時間だったため家族で聞かせていただきました。

お堅い感じなのかな?と思いきや、そんなことはなく。ユーモアを交えながら「健康」についてのとても深いお話をされていて、物凄く心が動きました。ぜひみなさん一度聞いてみて欲しいです。

このお坊さんみたいな校長先生なら朝会が楽しいだろうなと思いました。

唐招提寺に行く頃にはすでに日が傾いており、疲れもあったために軽く中を回りました。

本当はもっと行きたい寺社があったのですが、ひとつひとつの厚みがすごく、さすが奈良…!と思わざるを得ませんでした。

今回行けなかった場所など、今年度中にまた訪れたいと思います!

奈良楽しかったです!

では!💟