こんにちは、あこです。
今日は4月の30日。明日から5月ですね。
前回のブログでは「元気がない」と言っていたあこですが、3日前ほど前に復活しました…!!!
委員として参加した新入生オリエンテーション終了後のあこは
①とにかく体がだるくて、何もやる気になれない
②強烈な眠気(「ほげ〜」「ほのぼの〜」みたいなふんわりした感じではなくて、「机に向かって本を読んでいたのに、起きたら2~3時間経ってて、しかも寝てるのは床の上」みたいな、”気絶”に近い眠り。)
③ずーっと地味に頭が痛い
という三重苦で、正直心身のバランスが上手く整っていませんでした。
「やる気を出さないと。」「頑張らないと。」「切り替えないと。」
と思って、簿記のテキストを買ったり自動車免許取得のための教習所に入校したり、色々やってみましたがあまり効果はなく。
「今は頑張らなくていいや」と自分を甘やかして、ちょっとずつ部屋を片付けたり、卒論で扱う『源氏物語』を少しずつ読み進めたり、ゆっくり過ごしていました。
そして、「久々に靴を磨こう」と思って、いつも履いている白のレザースニーカーのお手入れをしていたら、なんとなく気分が晴れてきました。(それが3日前)
半年前も書いたような気がしますが、「ひょんなこと」に助けられることって、結構あるような気がします。
些細な出来事や些細な言葉に傷つくこともあるけれど、それよりももっと、助けられることの方が多い。
「ひょんなこと」って、すごい。
(因みに、お手入れをしていたら、ソール部分がパックリ割れていることに気づきました。先日、中国庭園の石階段から2,3段落ちた時に、やらかしてしまったんだと思います。(尚、足は無事です)表面のレザーが擦れたことには気付いていましたが、ソール部分は見ていませんでした。修理には2ヶ月程かかるということで、夏休みにお願いしようと思っています。皆さんも石階段にはご注意ください!笑)
*****
というわけで、今回は最近の楽しかったお話をしようと思います。
2日前、母と一緒に舞台『ハリー・ポッターと呪いの子』を観てきました!
もう、ほんっとに最高でした。
想像を超える”魔法”とストーリーに、終始驚き、時に笑い、時に涙し、最高の3時間40分でした。
終演後も興奮が全く冷めず、公演プログラムと、公演ロゴTシャツと、公演ロゴトートの3点を購入。(尚、財源は母上)
久しぶりに「感!動!」&「興!奮!」を味わい、ほんとに最高でした。(n回目)
みなさまもぜひ、足をお運びください。(もう観劇済みの方も多いかもしれないですね汗)
私はもう1度、観に行きたいです!
*****
『ハリー・ポッターと呪いの子』のキーワードの一つに、「スペア」があります。
ネタバレになりそうなので詳しくは言えませんが、『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』でセドリックが殺された際にヴォルデモートが手下に命じた、”Kill the spare”というセリフから来ています。
「スペアを殺せ」
つまり、セドリックはハリーの「スペア」として殺されたということです。
何を言ってもネタバレになりそうなので舞台の内容にはこれ以上触れませんが、「スペア」という言葉を聞いてから、この単語がずーっと頭の中に残っていました。
決して、セドリックはハリーの「スペア」ではないし、私たちは1人として誰かの「スペア」であるはずがありません。
「掛け替えのない」という言葉の通り、人、そしてその人の人生には「替え」がないのです。
ですが、その一方で、「替え」の連鎖を繋いでいくこともまた、大切なことであるようにも思うのです。
例えば、「委員長」や「代表」などの役職、「母」や「父」などの役割など。(←父母については、どれが「父」の役割でどれが「母」の役割なのか、そもそも両者に役割の違いはあるのか、など、色々思うところはありますが、今回は触れません。どうかご容赦ください。)
もちろん、「私は先輩のスペアだ」とか、「後輩は私の”替え”だ」とかは微塵も思っていないし、「誰が父でも、誰が母でも変わらない/構わない」とも、全く思っていません。
でも、「”この人”が抜けたら潰れる団体」は「良い」ようには思えないし、「”この人”しかできない」役職、「”この人”しか分からない」ことばかりで成り立つ集団もまた、長くは続かないでしょう。
「良い組織・良いグループ」であるためには、「”この人”以外の人が、いつでも”替われる”」状況を作る必要があるのではないか。つまり、「スペア」の連鎖を繋げていくことが大切ではないかと、思うのです。
それに、「私は誰かのスペアだし、誰かは私のスペアだ」と思うことで、ちょっとだけ心が軽くなる、ということもあると思います。
私たちが思う以上に「替えのない」ものは、少なくて、私たちが思う以上に「替えのない」ものは大切で、私たちが思う以上に「替え」があることは幸せです。
「替え」があるからこそ、「替えのない」ものを大切にすることができ、「替え」がある・いることは、私たちが周囲の人に愛され、信頼し合える「良い」関係を築けている証であるとも言えるでしょう。互いにスペアになることは、「支え合う」とも言い換えられるかもしれません。
*****
繰り返しになりますが、私は”誰か”という「人」自体に、スペアがいるとは思っていません。
私たち一人一人が掛け替えのない存在であるという考えも、変わりません。
ただ、私たちは生きていく中で、勝手に「替え」のあるものを「替えのない」ものだと思い、本当に「替えのない」ものを見失い、本当は「替え」のあるものに、「かけがえのない」意味を見出そうとしているのではないか。そう思う瞬間が、時々ある、というだけの話です。
「替え」を作れ、というわけでも、「替え」のあるものは価値のないものだ、と言いたいわけでもありません。価値の有無に、「替え」の有無は無関係でしょう。
確かなことは、
私は私であり、あなたはあなたであるということ。
すべての人が「掛け替えのない」存在であるということ。
そして何より、私たちの人生には「替え」がないということ。
新学期が始まり、色々不安に思うこともあると思います。
私自身、4年になった今でも心配なことばかりです。(特に卒論)
それでも、1日1日は「かけがえのない」時間だから。
無理せず、気負わず、自分らしく、過ごしていきましょう。
それでは、また。