嘘つきは冬のはじまり

また季節が巡り、気がつけば春。一つ上の先輩方のご卒業がまだ実感を伴っていないような、けれどふと隣を見やれば寂寥感が確かに佇んでいるような。きっと新学期が始まれば教室でそのお姿をお見かけできないことがようやく実感できるのかもしれません。いつも心は遅れてやって来ます。

しかし、心の訪れを待つよりも早く素晴らしい方々がお越しになる季節でもありましょう。新入生の皆様、ご入学おめでとうございます!皆様が本学にお越しくださったことをとても嬉しく、そして同時に自らの4年前が懐かしくも感じられます。ここからの数日間はオリエンテーションなどで慌ただしい日々が幕を開けますが、先生方をはじめとして温かい方ばかりですのでご安心ください。

改めまして、私はブログ部4年のまどか🐧と申します。明治時代あたりから現代までを幅広く扱う日本近代文学と、そしてペンギンをこよなく愛している……現実でも文面でも喧しい一学生です。ちなみに私は僭越ながら今年度のオリエンテーション委員を務めているため、新入生の皆様をお手伝いさせて頂ければと思います。困ったことがあれば、というか無くてもいつでもお気軽にお声がけくださいね!新入生とお喋りしたいのです!!


せっかくですから老婆心に任せて、新入生の皆様にオススメしたいことや過去の経験談から後悔していることなんかを少々ご紹介します。

まずは後悔していること、ですね。主観と偏見に塗れたオススメ話なんかよりも先達のしくじった話のほうがよほど役に立ちそうですから。

【履修登録】 後悔度:★★★★☆
4年生になった今、後悔しているのは1年生の時の履修です。履修についてはオリエンテーションでもいくつか解説があったと思いますが、自分自身の今後の時間割を作る作業といったら分かりやすいでしょうか。本学の今年度の履修登録期間は4/4(土)10:00〜4/7(火)13:00までとなっていますが、一応その後の4/15(水)10:00〜4/17(金)13:00に「履修訂正期間」というものがありまして、そちらで履修を再修正することも許容されているので1回目の履修登録はそこまで緊張しなくとも大丈夫です。

それにしてもこの履修登録、はじめてのことだと右も左も分かりません。

SNSなんかを眺めているとフル単が基本!!早く取り切って4年生は遊ぶのが当たり前!!だなんて元気よく言い放つどこのどなただかも不明な発信と出会うのですが。そのようなものに不安を煽られて単位を無理に詰めてしまったところ……体力が追い付かない&期末の課題に手が回らないという事態が発生しました。

その結果、体調を崩しかけただけでなく、GPAという成績評価の面では今でも尾を引いています。これほど負担が大きくなってしまった原因はやはり授業・通学時間の長さでしょうか。

授業時間は100分に、そして私の場合は通学時間が約2時間に。それらは想像以上に体力・精神力へ影響を及ぼしていました。そして授業だけでヘロヘロ……となればサークルやアルバイトにも支障をきたします。ですから、どうか皆さん計画的かつ心身に優しい履修をお願いします。




【サークル】 後悔度:★★★☆☆
続いての後悔はサークル選びです。私にはずっと入りたいと思っていたサークルがあったのですが、その活動時間がかなり夜遅いことから「体力的に授業と両立できる気がしない……」と、最終的に諦めてしまいました。しかしながら必修授業の多い1年生を乗り越えてさえしまえば、その後の2年生からはかなり柔軟に時間割を組めるためサークルのために体力を残すような編成にすることも可能だったのです。それであれば、1年生のうちはそういう事情も踏まえてサークルの先輩に相談するなどして無理なく始めていけばよかったのでしょう。もちろん、2年生など途中からサークルに加入することもできますのでじっくり考えてから決定するのも大切です!実際に私も3年生になってから新しいサークル(メディア研究会)に入るという暴挙に出ました、そんなのを許してくれる優しいサークルさんでよかったです😌

ですが、やはり1年生の時から入っていればこその深い人間関係というものはありますから折角なら1年生の時から入っていれば良かったなぁとばかり思っています。

そのような訳で新入生の皆さんには色々なサークルさんをご覧になってほしいとも感じています。今年度は4月9日の11:00〜16:00の日程で自治活動オリエンテーションが実施されますので是非そちらを覗いてみてください。オリエンテーションと名はついていますが、別に説明会のような堅苦しいものではなく……むしろ文化祭のような、自由に皆さんが行きたいところを好きな時間だけ見て回れるといった形式です。私も香雪館の306という教室でメディア研究会のメンバーとしてコスプレをする予定です。刀剣乱舞の薔薇の似合うあの子をやらせて頂いておりますのでご興味のある新入生さんはお気軽にいらしてください♪

さてさてこのような後悔は数え始めると意外とあるもので「後悔しないこと」をモットーにしている私にしては珍しいなぁと我ながら少々呆れておりますが、★★★★★と星が全部埋まるほどの後悔は一つもないような気がします。それはきっとこの大学の日本語日本文学科で出会えた教授や友人、そして知識が私の人生の中で最も楽しく満足で真新しい物だったからでしょう。

特にこの学校で出会えた先生方のことが私は大好きでそして心から尊敬しています。どの先生方もご自身の専門分野を愛しておられるのが授業を受けているだけでひしひしと伝わってきますし、そのお姿が楽しそうなのです。熱意だとか、わかりやすさだとかそういうものじゃない。目の前にいる先達が楽しそうであれば教わる者としてこれほど魅力的に感じることはありません。そして何よりも全員クセがお強い。入学前に見た大学の口コミサイトで「クセの強い良い先生が沢山いる」というコメントを見て「???」と首をかしげにかしげておりましたが、、、納得しかありません。うん、強いなぁと思いながら毎日講義を受けています。

私は……田中先生、福田先生のお話のテンポ全てがツボに入ってしまって授業中いつも笑いを堪えています。石井先生、渡部先生の授業では研究の楽しさと厳しさをじっっくりと学べましたし、女性の生き方としてこんなにもカッコいいと思える方はいません。そして林先生や村山先生の丁寧で細やかな授業の構成や資料は授業内容だけではない多くの学びをくださいます。また、坂本先生や鈴木先生の楽しげな表情と多彩な授業資料は最前列の席で浴びる時の浴び心地が段違いです。そしてそして、山口先生はその物腰の柔らかさと学生の学習意欲に対する大らかなご対応など、これほど「せんせぇ〜😭😭」と呼びたくなる方はいません。

人生というものの醍醐味が「どれだけ面白い人と出会えるか」だとしたら、私の人生のこの4年間は間違いなくダントツの濃さです。この先の人生でこれが超えられるのか心配になるくらい、友人たちも皆インパクトの強い素敵な方々なんです。

ですから、私から最後に一つオススメを。大学という自由で混沌として目まぐるしい空間を恐れないこと。少しでもいいから飛び込んでみること。即ち、迷ったら飛び込む!とりあえず連絡先は交換しておく!といったことです。嫌なら辞めていい。辞めるのも距離を置くのもいつだって出来る。社会人になったらそうはいかないかもしれないけれど、大学ならきっと大丈夫です。

私は、大学がモラトリアムだなんて言われる理由に4年かかってようやく気がつきました。どうか新入生の皆さんの過ごす4年間が、ご自身の人生の中で振り返る価値のある時間になるよう心から祈っています!

能楽堂への誘い・肆

皆様こんにちは、ここのところは寒暖差の激しいお天気が続き……「三寒四温」などという高校受験くらいでしか見かけない四字熟語が脳裏を過りました。相変わらず花粉症にも苦しめられ、息をするだけで苦しいだなんて花粉症の民は一体前世でどんな胸躍ることをしでかしたのだろうと宿世に想いを馳せております。えぇご機嫌麗しゅう、本日も高らかに冗長なる情緒が零れる与太話、担当はまどか🐧でございます。

まぁ気が付いたら3月にもなり、毎年ブログに花粉への恨みつらみを書き連ねる時期がやってきたナァと嫌な恒例行事になっているのですが。
嬉しい恒例もあるものでして。その恒例というのが……「粟谷能の会」!!!




毎年3月初旬に千駄ヶ谷にある国立能楽堂にて催されている能楽の公演です。
ちなみに私は本学へ入学し舞台芸術の歴史・東洋という、当時は石井倫子先生のご担当であった授業で能楽の世界に関心をもったので……能楽について詳しいか、と問われますとまだまだ初心者の未熟者、勉強中の身でしょう。

そんな私めにとって人生で初めての能楽堂での能楽鑑賞がちょうど3年前の粟谷能の会でした。授業で歴史を学んだと言っても能楽堂へ足を運ぶとなると、内容についていけるのか、自分などが行ってよいものなのかなどなど不安も沢山あったのですが……実際に行ってみると前説で公演前にコンパクトな解説があったり、事前講座と題して見どころを予習できたり大変な手厚さで初心者でありながらとても楽しく観劇ができたのを覚えています。

そんな能楽初心者によるお能の魅力体験記を過去にも何度かブログに起こしており、同タイトルのシリーズではどうやら今回で4回目!本当に能楽初心者のぴちぴちルーキーな時のご様子が気になる方はぜひシリーズの第一回をご覧くださいね~!

◎第一回
「能楽堂への誘い」
◎第二回
「続・能楽堂への誘い」
◎第三回
「能楽堂への誘い・参」



*○*○*




さてさて、今回観に行った「粟谷能の会」の詳細は以下の通り。

●タイトル:第百八回 喜多流 粟谷能の会
●曲目:舞囃子「忠度」 狂言「悪太郎」 能「伯母捨」
●会場:国立能楽堂(東京都渋谷区千駄ヶ谷)
●日程:2026年3月1日(日)​
●チケット代金:全席指定 SS席16,000円 S席12,000円 A席10,000円 B席9,000円 C席8,000円 D席6,000円 学生料金3,000円
●サイト:喜多流 第百八回 粟谷能の会

もちろん公演によっても異なりますが、能楽はチケット代の幅が広い演劇だと思います!!
どれだけ会場が違っても【能楽堂】という基本の劇場構造は全国どこでも一緒ですから、お席の種類分けも近くお値段のバリエーションが豊富なのでしょう。そのなかでも学生チケットは大変に手頃なものが多いです。学生の皆様はお試しだけでもぜひ!
さらに、お席の場所で迷われることがあれば……個人的には「脇正面」をオススメしたく存じます。この脇正面というのは読んで字のごとく舞台の正面に対してまるきり「左側」の横からの景色ということ。舞台上のワキを正面から見られる少しクセのあるポジションですね。当然ながら「正面」からの景色がもっとも役者の見栄え良く観劇できるものですが、いかんせんお値段のハードルがちょいと高い。けれども気になる、という方のために今回は「脇正面」の魅力を、脇正面だからこそ楽しめる景色をお伝えしていきます。
あ、そうそう、「中正面」も曲目によってはオススメですが……位置に注意しないと「目付柱」という舞台上の柱に遮られてしまって観劇が難しい部分もありますので、最初は脇正面が良いような気がします。

当日の様子。



閑話休題、公演のお話。見どころと感想と、オタクの叫びをどうぞ。






まず舞囃子の「忠度」で始まったこの日の公演。もしかすると高校の古文の時間に『平家物語』の「忠度の都落ち」を読んだことがあるかもしれません。その平清盛の異母弟である平忠度は武将であることに加えて優れた歌詠みでもありました。まさに文武両道の御仁!

そんな彼をモデルにして作られたお能である「忠度」。こちらはちょうど本学の石井倫子先生のご講義で2025年度の後期に学んでいた曲目だったこともあり、学生としては嬉しいタイムリーさでした。私が受講していたのは「古典文学講義(中世)」という授業で、日本文学を時代ごとに詳しく学べるものになっています。それだけではなく、石井先生は授業で学んだ知識を実際に肌で感じる場として「観劇」の機会を沢山お知らせくださるのです!その一つが今回の粟谷能の会の鑑賞ということです。

初めての能楽鑑賞となると【そもそもチケットをどこでどう取るの??】【なんの作品がオススメなの??】と困ってしまうこともありますが、石井先生の授業をきっかけにチケットまでまとめて手配してくださるため心配ご無用です!




さてさて、本題の「忠度」に戻りましょう。
文武両道かつ風流な忠度の最期という画になる構図を舞台上で観られる感動は大変なものでした。しかも今回は舞囃子の形態での公演。「舞囃子」というのは文字通り「舞」と「囃子」の組み合わせのみで行われる特殊な形態です。その特徴はやはり公演時間の長さとシテの装いにあります。通常では1、2時間、長ければもっと時間のかかる演目をそのダイジェスト版のように一部分のみを上演するため、作品の雰囲気を知ることや山場だけを楽しむことができるワケです。

そして舞台にあがる能楽師の方の服装(扮装)も、通常の公演では豪奢な能装束であることが多い一方で舞囃子の形態では紋付に袴、もしくは裃というシンプルかつフォーマルなお姿なのです。
つまりそのような袴の装いで舞われるお姿からは、その腕の伸ばし方や立ち姿の美しさが見てとれるため通常の装束姿とはまた異なった魅力を大いに味わえました。その中でも摺り足の加速や滑らかな膝の屈伸によって縦方向にも緩急がつく、舞台上を縦横無尽に泳ぐような様には幾度も目を見開きました。体の軸はいっさいブレていないのに、能楽師さんの頭はタテにもヨコにもすいすい流れていくのです。まるで檜舞台全体が水槽にでもなったかのよう。知らぬ間に水が流れ込んで私はもうコポコポと溺れるしかできませんでした。

そしてまた、能楽の特徴として舞台装置をほとんど用いないという点があります。そんな檜舞台というシンプルな舞台上に舞囃子ならではのシンプルな扮装、そこに輝く黄金の「負け修羅扇」の美しさは息を呑むほどのものでした。その扇を脇正面で真横から見ていると、まるで刀の柄のようなのです。扇の側面の輝きに目が眩み、刀と見紛う……そんな脇正面からの景色はなんと文武両道な忠度にぴったりなことでしょう。





次に狂言の「悪太郎」ですが、こちらもかつて石井先生の「舞台芸術の歴史・東洋」という別のご講義で習ったことがあったため「あ!!進●ゼミでやったところだ!!!」現象が起きました。こういう楽しみ方は大学生ならではかもしれませんね。

さぁ、そんな「悪太郎」。タイトルだけでもインパクト抜群ですが、ビジュアルも負けていません。なんと胸まであるようなスーパーロングロング顎~~ヒゲが生えているのです。気になる方はぜひ【狂言 悪太郎🔍】で検索してみてください。

ともかくもコメディ要素の強い狂言のなかでも「ビジュアル系」のような大変特徴的な髭についての解説を受けたことがあったため、まさか実際に見られるとは感激してしまいました。しかも「悪太郎」役を務められたのが野村万作師!!!!
はい、私の最推しです。
何度か万作師についての長文感想や愛の叫びをブログにもしているのですが、そんな最推し(こんな風に申し上げるのも不敬かもしれませんが)の「悪太郎」に私は大興奮でした。


万作師の好きなところは書ききれないほど多くありますが、なんといってもその一番の魅力はお声の響き!ほんの少し高く上向きの曲線を描くように観客席へ届くその声。高いけれど、細くはない、けれども心にそっと落ちて染み込むような優しい雨。そんなお声が大好き。

ここ一、二年の舞台ではご体調が心配なことも多くありましたが、本日の「悪太郎」では久方ぶりに万作師の高く響く柔らかい御声が耳に響き、その心に染み込むような音とマッチした狂言の憎めぬキャラクター性に胸を打たれました。お孫さんである裕基師とのやり取りはまるでセッションのようで、会場中が引き込まれるコミカルな雰囲気も相まって最高に素敵な一瞬間が体験できたように思います。

芸術に年齢の色眼鏡を持ち込むのは微妙かもしれませんが……ちなみに万作師は今年で御年94歳。一舞台一舞台がまさに長年の芸能人生の結晶。どうかいつまでもお元気でいて頂きたいと心から願います。



最後にお能の「伯母捨」ですがまさか在学中に三老女が目にできるとは思ってもみなかったため、その幸運に終始感極まっておりました。この三老女というのは「伯母捨」(漢字表記は流儀ごとに様々)・「檜垣」・「関寺小町」の3曲のことで、大変に格式と難易度の高い老女物です。それ故にこの曲を上演するためにはそれを演じられるだけの技量や立場などなど様々な手続きが必要です。即ち、観劇の機会も限られているということ。この三老女はお目にかかれる機会を逃さないようにぜひ覚えておいてくださいね。


さぁ、そんな三老女のうちの一つである「伯母捨」。今回シテを務められたのは粟谷明生師、そしてワキは宝生常三師。このお二方はなんと幼馴染なのだそう!
ブログの冒頭でも少し触れましたが、今回の粟谷能の会には2月17日に国立能楽堂で誰でも参加可能な事前講座がありました。その事前講座に登壇されたのが明生師と常三師、金子あいさんのお三方でした。ちなみに金子あいさんは当日の粟谷能の会でも前説として開演前に簡単な解説をしてくださる方です、とってもありがたい……!!事前講座を聞き逃してしまっても心配は要らない手厚さですね♪

そうして行われた事前講座では明生師と常三師の微笑ましい幼少期のエピソードから、今回の舞台にまつわる多くのお考えに触れることができ講演中にとっていたメモが10ページにもなってしまうほどでした!ファンとして聴き逃したくない様々な情報があり、本当に楽しい時間でした。

例えば喜多流の伝書によると「伯母捨」の後シテの扮装には「茶色」の指定があったそうなのですが、常三師のお好みに合わせて真っ白なものを今回は選んだ!という裏話など。その一方で面紐は茶色いものが市販では売っていなかったため困っていると先輩能楽師の方から「白い面紐を紅茶なんかで染める」アドバイスを貰ったので奥様と挑戦してみた!!なんてお話まで。

そのようなお話を伺っていたこともあり、当日の舞台では細かなところまで衣装に注目できました。特に、実際に見てみると今回のような常三師好みの真白な老女は実に美しかったです!老女が檜舞台の中央にきて照明を浴びた瞬間、その眩さは一生忘れられない景色になりました。そしてまた脇正面から拝見していたため、舞台の正面についている照明に背を向けられた際の老女面の陰りなど凄まじい表情の変化を目の当たりにできました。このような表情の変化は扇の反射光が顎下から照らし出すときにも感ぜられ、立体感のある老女面の造りの面白さを存分に味わえたように思います。

何よりも、そのような細やかな反射光にまで目がいくほどに引き込まれる、「老」の哀しみを滲ませた優美な所作が本当に素晴らしかったです。そのゆったりと奥深い所作にあの濃密な長丁場……三老女がいかにハードルの高い曲であるかひしひしと感じられました。

そしてこの老女は他の有名な謡曲と比べて、名の知れた武将でも姫君でもない主人公(シテ)なのです。そしていわゆる「姥捨て山」のお話のように訓戒が読み取れるわけでもありません。物語全体が朧月夜のようにぼうっとしていて全容を掴み切れない。その曖昧さこそ「伯母捨」の持つゆとりであり魅力です。きっと誰もが逃れられない「老い」の問題。社会というシステムからだんだんと逸れていくやるせなさ。
事前講座でも常三師はなんどもこの能の余白の素晴らしさを語ってくださいました。

そして実際に観劇すると……
最後の場面に月を眺める老女がたった一人取り残され、全ての演奏も止んでしまった静寂のなかで、漠然と広がる「余白」に呑まれるほかありませんでした。

ぞっとするほど大きな正体不明の余白。ここにどんな物語を読み込むも全ては観客次第。
きっと同じ観客であっても誰と見るか、いつ見るか、どこで見るか。それだけでも解釈はまた違ったものになることでしょう。能楽の良いところは気に入った作品をまた観られることです。演じ手は変わってしまいますが、数百年の時を経ても同じ曲が受け継がれている。だからこそ、きっとまたその舞台に出会えます。再会を約束できる舞台芸術。その一歩目をぜひ能楽堂で体験してみませんか。

言葉は刃

口は災いの元とはよく言ったものですが、ふとした時に思わぬ勢いで相手を切り裂いてしまう。そんな恐ろしい凶器を誰もが持っていて、誰もがそれを使わねば生きていけない毎日です。

現に私も画面の前の貴方様にその切先を向け続けているのですから。
しかも、簡単に想いを呟いて書き込むことのできるSNSなんてとても便利なものがあるから、何か少しでも問題のある言葉を放ったらすぐに標本のように言葉が展翅されて、そう、火炙り。
だけれども、私のようなお馬鹿さんは……やはり刃物は使いようだと思うようで。



ところで、そう、画面の前の貴方様。貴方様はどんな素敵な刃物をお持ち?



○*○*○*○



本日のお相手は相も変わらず近代文学に入れ込んでいるまどか🐧です。

さてさて、言葉という刃物の持つ力。
こんなことを考えるキッカケになったのは私が大好きな毎度お馴染みの【近代文学講義】という授業。2024年度と2025年度限定で安藤宏先生がご担当くださっていたコチラの授業で……人文学を学ぶ意義についてだったかしら。それとも唯名論と唯物論だったかしら。ともかくも言葉と文化の結びつきの強さを考える機会があったのです。
その時、先生は「例えばイヌイットの人々は【白色】という概念に対して、私たちよりも遥かに多くの言葉を持っている」という話をご紹介くださったことを今でもよく覚えています。一面の銀世界で生活する彼らには【白色】といってもその中に微妙な差異が沢山あり、それぞれに言葉を、名前を付けているのでしょう。
そんなお話を聞きながら私は自分自身の感性について何だかストンと腑に落ちたような気がしたのです。


ところで皆様、カラス🐦‍⬛って何色をしていると思いますか?
おや、ちょうどよく絵文字も出てきてくれました。それなら、この絵文字のカラスは何色に描かれているのでしょう。
例えば…ここにカラスの塗り絵があって12色色鉛筆を渡されたとします。そこから一本だけを選んで色を塗るように言われた時、貴方様なら何色の色鉛筆を手に取るのでしょうか。私はきっと[くろ]と呼ばれる一本を選びます。
でも、もし「一本だけ」という指定がなかったとしたら?



私は迷わず全色を使います。



日本には「烏の濡れ羽色」なんてとっても素敵な表現がありますよね。私はこれが大好き。
烏の濡れ羽色、それはきっと光の当たり方一つで赤色にも緑色にも青色にも見える。てらてらと真っ暗なのに眩しいのです。
小学生の図工の時間、絵の具は3色以上混ぜちゃダメなんて言われたけれど。だとしたら烏はきっと大富豪。ありとあらゆる色ぜんぶを吞み込んでぐるりと混ぜた。全ての色を持った[くろ]に違いない。


つまり、私にとって【くろ】という色は単に色鉛筆一本で収まるものではありません。
烏の濡れ羽色・檳榔子黒・イカ墨パスタの色・車のタイヤの色・夢の国でスマホの充電が切れた時の画面色……前半2つは日本ならではの固有色、そして後半3つはまぁ随分と勝手な色選びですが、そんな個々人の経験の言語化に基づく固有色もあるにはあるでしょう。
肝心なのは単に【くろ】と言われた時よりも「烏の濡れ羽色」と言われた時の方が豊富なイメージを持って認識できるということ。表現を多く知っていればいるほど、細やかに知覚し、記憶し、共有できるワケです。


例えば人生で初めて「雪」を見た時、突如として空から零れ落ちる白色の何か、もしかしたら空から雲が剥がれ落ちてしまったのかもしれないなんて思ったけれど……。それが「雪」だと教えてもらった日から、私の中でその「冷たくて白いひらひら」は「雪」になった。そして、冬になると必ずと言っていいほど耳にするあの曲のサビのおかげでサラサラとした「雪」を「粉雪」と呼ぶようになった。
こんな風に「言葉」を一つ知る度、私の世界はちょっと賑やかになる。


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安藤先生はこれを「言葉は世界を切り分けていくナイフなんだ」と仰っていました。
360度ぐるりと私達を囲む「世界」を生きていく中で「言葉」はその無数の事象を切り出していくことができる。だからこそ、言語や文化、歴史……そういった【人文学】を学び「言葉」というナイフを増やすことが世界を広げることに繋がるのでしょう。

おばかさんとハサミは使いよう、なんて言いますが。正しく「言葉」とはそんなもの。「言葉」という刃物は武器にも凶器にも成り得ます。


そんな狂おしくも愛おしい「言葉」。
私はそんな「言葉」を相棒として、この目まぐるしく移り変わるトンデモない「世界」を切り拓いていきたいから、人文学の道に足を踏み入れました。





ねぇ、画面の前の貴方様!
そう、貴方様です。貴方様はいったいどんなステキな言の刃物をお持ち?






昭和100年

皆様こんにちは。本日はどのような一日をお過ごしでしょうか。
可愛いネコちゃんを見かけたり、不思議な形の雲や石ころを見かけたり、何か楽しいものが目を喜ばせる素敵さはありましたか?

私は今日、自転車のハンドルを掴んだ時、カゴの中に寝転ぶイチョウの葉を見つけました。イチョウの黄色があんまり優しく輝いているから、錆びたアルミ籠も枝のよう。
だからきっと今日の私はイチョウの木に跨ってアルバイトへ行ったのです。


そうそう、日本女子大学の前の通りも銀杏並木が見事でして。受験に来た日も、入学した後も、私は無性に嬉しい気持ちでイチョウの黄金を浴びていました。これも私の小さなお気に入りポイントかもしれません。申し遅れましたが本日の担当は近代文学とペンギンを愛するまどか🐧です。




***




そうは言いましても、意図せず素敵なモノに出会ってそれを眺めて心を和ませるというのは存外むつかしい。
ですから私は「意図して」「すてきなもの」に出会う時間も作りたいなぁと思いながら日々生きています。そんな私が選んだのは【観劇】でした。

そして今年、2025年という年は私にとって実に特別な一年!
ブログのタイトルにもなっている「昭和100年」。私の敬愛する小説家・三島由紀夫はその満年齢が昭和と同じ時を刻まれたお方です。即ち今年は三島由紀夫の生誕100年記念の年だったワケでございます。2005年生まれの私にとっては己の成人の年でもあったのですが、そんなのはいい、こっちの方がよほど一大事です。
今年はもう演劇も文学館も美術館の展示もどこもかしこも三島由紀夫!!どこへ行っても彼の名を見られる幸福な一年でした。そのような一年の締めくくりに私が選んだ演劇は……「近代能楽集」。

さてさて本日のブログでは
①観劇の紹介と感想
②卒業研究のお話
この2本立ててお送りしようと思います。



舞台紹介

●タイトル:三島由紀夫生誕百周年記念二作品同時公演「わが友ヒットラー」「近代能楽集」
●原作:三島由紀夫
●演出:松森望宏
●会場:新国立劇場・小劇場(東京都渋谷区本町)
●期間:​2025年12月11日(木)~12月21日(日)
●チケット代金:全席指定9,000円 (税込) 「わが友ヒットラー」のみ18歳以下無料( 19歳以上同伴者:4,500円 )
●サイト:三島由紀夫生誕百周年記念二作品同時公演 – CEDAR

こちらの公演はなんと2作品同時公演!「わが友ヒットラー」はストレートプレイ(台詞と演技のみで表現するもの、ミュージカルとは異なる)で、「近代能楽集」は朗読劇(舞台上に座したまま台詞のみで表現する、声優さんのアフレコのように)での上演となりました。
2作品同時といっても一回の公演中にまとめて行うという訳ではなく、きちんとそれぞれが独立したチケットで別々の日取りに行われていますが……同じ公演期間に、同じ演出家さんの演出で、同じ劇場で、別作品が観られること!これは本当に面白いことなのです。全く同じはずの劇場と舞台でも、役者が動き始めた瞬間に観客の目にはもう別世界が広がっているのですから。この舞台の引力、魔力ともいうべき力を同時公演は身をもって感じることができるワケです。

私は近頃このように同時公演の別作品を全て観たり、同じ舞台に複数回通ったりすることにハマっています。同じ劇場の舞台でも役者さんや様々なスタッフさんの表現次第で如何様にでも変化する。そのような変幻自在の舞台のトリコです。ですから今回も二作品併せて観に行きましたが今回のブログでは「近代能楽集」のほうにのみ焦点を当ててご紹介します。



そもそも三島由紀夫の『近代能楽集』ってなんでしょう?能楽といえば700年近い歴史を持つ日本の伝統芸能……といった紹介で小中学生の頃に芸術鑑賞会をしたことがあるかもしれません。また三島由紀夫についてはなんだか戦争の前後に様々なメディア露出もしていた小説家といったイメージがおありでしょうか。しかしながら一体なぜそこが結びつくのか。実は小説家として知られる三島由紀夫は一方で演劇にも強い関心を示し、生涯で数多の戯曲を手掛けただけではなく演出までしていたこともあるのです!ワオ、多才!

そして実は過去にも三島由紀夫『近代能楽集』について触れたブログを書いておりましたため、その際の大雑把すぎる解説も引っ張っておきましょう。

「近代能楽集」では8曲の作品が収められているが、その中でも「葵上」や「卒塔婆小町」、「班女」などは聞いたことがある方もいるはずだ。
それではこの「近代能楽集」とは一体何なのか。簡単な理解としてはパロディといったところだが、もっともっとオタク的に分かりやすく申し上げるのならば謂わゆる「現パロ」だ。しかしながら、ただ時代設定を近代的にしたのではない。中世に比べて、様々な演出や技術の増えた「近代」の舞台で最も「劇的」に映えるように作られている。否、作り込まれている。
現在文庫化されている「近代能楽集」は戯曲本、脚本のような形で楽しめるのだが、読んでいると頭の中で「あぁこのシーンはきっと映える!」とそんな妄想が止まらなくなる。是非とも舞台で観たい作品である(https://mcm-www.jwu.ac.jp/~nichibun/blog/index.php/2024/09/25/

「満願」2024年09月24日投稿のブログ


と、いう訳で。是非とも舞台で観たいと言っていた去年の私~~!叶ったわよ~~~!!まぁ本当はストレートプレイで観たいって意味だから断片的にしか叶ってないかもしれないけど~~~~~!


なにはともあれ、伝統的な能楽が描き出す真理・形而上の問題のようなものを、より顕在化させるためにその舞台設定やキャラクター像を「近代化」し、当時の観客にとって身近な例を以て描こうとした……そのような試みの作品と言えるでしょうか。ですから、扱っているテーマは「能楽」でも自然にスッと台詞が頭に入ってきて状況も理解できる舞台となっていまして、予習ナシでも楽しめるものかもしれません。




そのような『近代能楽集』の中でも今回は「弱法師」「班女」「卒塔婆小町」の3曲が朗読劇として上演されました。
私はアフタートーク付の12月18日㈭の回を観劇したのですが、特に驚いたのは「弱法師」と「班女」です。『近代能楽集』における「弱法師」という作品は盲目の戦災孤児である青年・俊徳(としのり)を主人公に、その青年の親権を実親と育ての親が家庭裁判所で争う・・・といったお話。もう成人するくらいの年齢でありながら、光を失った世界で孤独を抱えて生き続けてきた青年の強がりと寂しさ、その陰にある幼さがチグハグとした非常に難しいキャラクターといえます。私はこの俊徳というキャラクターが儚く刺々しいガラス薔薇のようで大好きだったのですが、だからこそ、きっとどんな役者がやっても納得しないだろうという熱意と落胆がありました。

それなのに…どうしたことでしょう。

神経質そうな間の取り方。少年と青年の間を彷徨っているような中性的響き。時折わざとらしく挟み込まれる舌打ちすら生意気で可愛らしい。
いかにも言い慣れないという風体の、三島戯曲特有の絢爛な言葉の乗り回しは精一杯の虚勢のようで痛ましく、愛らしい。
ラストシーンで桜間に甘えるときの幼児帰りした声も実に見事。完全に声変わりしたワケでは無いどっちつかずな声がこうまでも魅力的にハマるとは!本当に、本当に、俊徳が本から出てきたならアレだろう。笑い方のいわけなき、カラカラとした恐ろしさと空虚さったら!!

驚いたのはそれだけではない。アフタートークでは板の上の姿とのギャップも凄まじかった。脚本をもらった時に漢字を読むのが難しかったというお話や、本番前のルーチンは?という質問に対して「ないですね……」の回答など全体的に朗らかで緩い。ゆ、ゆるっゆるだ……と衝撃を受けたものだ。
そんな木村来士さんは現在まさかの18歳とのことで、これは今の彼だからこその演技でもあるのかもしれない。とても良いものを観た。声質や年齢のポテンシャルはもちろんだが、それを自在に操り、板の上に俊徳を見事に描き出してくださったことに非常な感動を覚えた。ぜひ他の作品でも彼の演技が観てみたい。

また、「班女」の花子にも息を呑んだ。まだ台本を開いてもいない、ただ入場しただけ。それでも彼女の全身が醸し出す狂気でたちまち引き込まれてしまった。
暗い劇場内でただ1人純白のワンピースを纏う彼女の異物感は甚だしく、その足取りも常のものではないフラつき。焦点の合わない目に真ッ赤なティントリップから紡がれる据わった声、こわい、狂っていると一瞬でわかる素晴らしさ。猫背気味に息を過分に吐いて吐いて吐き出す!地を這うような高音が登りつめ、劇場内の雰囲気を一瞬で変えた。ラストシーンでは2人きりの花実る世界が独特の粘度を持って描き出され妖艶だった。

アフタートークによると花子を演じた小泉萌香さんは稽古も一度きりで本番も一度きり、初舞台が千秋楽という本人も戸惑うスケジュールだったらしいのです。耳を疑うような本番の迎え方ですが、、舞台上での調和を拒む存在感。その不気味な魅力はある意味で、そのようなカンパニーだからこそ生み出せたのではないかとさえ思います。初日で千秋楽だなんて中々お目にかかれない状況、味わい尽くせたかもしれません。
そして、そう。衣装も見事だったのです。俊徳の真白なシャツには鮮血のような爛々と輝くビーズ刺繡が心臓の位置にだけ施されており、彼が感情を露わにしてベストが揺らめいた時だけ、その隙間からチラリと覗く赤の美しさよ。
加えて、後場で登場した花子の纏う雪景色のようなガウンも印象的だ。迎えたクライマックス、暗転する直前、彼女の引きずるガウンが心做しかネバネバと床に絡め取られるような……そんな背中を見送った。まるで幽閉されるバッドエンディングのラプンツェルみたいだ。なんと綺麗な後ろ姿か。

総じて感じたのは、朗読劇は言葉の強さを浮き彫りするということです。
三島戯曲に忠実な今回の朗読劇では実際に耳にするとなんとも舌の上で転がしにくそうな台詞が幾度となく登場しました。普段は戯曲本として文章しか追っていない私にとっては実に新鮮な心躍る時間だっとのでございます。当初はストレートプレイへの憧憬ばかり強めておりましたが、戯曲本来の魅力を体験し、演者の肉声を以てその世界に浸るには朗読劇は大変によい相性のものなのかもしれません。私にとって今年最後を締めくくる作品が「朗読劇・近代能楽集」であったことを幸運に思います。




***





以上が観劇レポートとなりますが、、あと少しだけ詳しいご紹介を。
今回の公演、なんと驚くべきはキャスト陣の層の厚さ!「わが友ヒットラー」は固定キャストであるのに対して、「朗読劇・近代能楽集」は公演ごとにキャストが異なるという実に様々な組み合わせを楽しめるスタイルでした。その中には神尾晋一郎さんや畠中祐さんを始めとする声優の方まで……!
朗読劇の形式ならではのキャスティングであり、声優ファンの方にもお楽しみいただける機会なのではないでしょうか。今回ご紹介した公演は残念ながらもう終了してしまっていますが、今後も朗読劇などの形で入り口を見出した瞬間にはぜひドアノブに手を伸ばしてみてください。知っている世界と、知らない世界がぶつかるのは、怖くてでもきっと大変に楽しいから。


そうそう、これは本当に余談なのですが演劇ジャーナリストの徳永京子さんとローソンチケットが共同で運営されている【演劇最強論-ing】という小劇場演劇に特化したサイトにて、「小劇場から選ぶ 心のベストテン第1位 2025」という投票企画が行われております。
もしこの2025年中に小劇場系の公演を観に行ったよ!という方がいらっしゃいましたらぜひ投票をしてみてください。対象となる公演は「2025年1月1日~12月31日の間に客席数386席以下の会場で上演された作品 作品の長さは問いません。短編も可とします」(以下の公式サイトより引用)とのことです。小劇場演劇のボーダーを座席数にしたのが面白いですね。

【募集】心のベストテン第1位 2025 | 演劇最強論-ing

応募期間は2025年12月24日(水)~2026年1月13日(火)まで。小劇場演劇ってサイコー!!

さて、ここまで長々とした熱弁にお付き合いくださりありがとうございました。もう薄々バレているような気もいたしますが、私の卒業研究はこの三島由紀夫『近代能楽集』というワケでございます。次章では恥ずかしながら少しばかりその卒業研究についてキッカケやゼミのことなどをご紹介する次第です。

「卒業論文って難しそうだけどどんなこと書くんだろう?」「卒業研究ゼミや論文テーマはどうやって決めたんだろう?」と気になる方のご参考になれば幸いです。え??どうでもいい?フフ……そんないけずなこと仰らないで……自宅に着払いで三島由紀夫全集を送りつけますよ。


卒業研究のお話


ここまで随分言葉を尽くしてきたけれど、畢竟私にとっての観劇はそう、寿命の屈伸運動なのだわ。
演劇という架空の誰かの命が焼き尽くされる瞬間を浴びに行くのには、浴びる側も命を削ってその炎へ近づこうとする。ギリギリまで近づいて、けれどもあと一歩敵わない。イカロスになれるのは板の上の架空の誰かだけ。

スポットライトが消えたとき、観客席には光が戻る。

そうした生還の喜びと、苦しみとを全身に抱えて劇場を後にする。
劇場のなかで限界まで寿命をすり減らした幻想に囚われ、その夢破れて、むしろ熱に当てられて・・・命がぐんと伸びる。
呆れられてしまうかしら。でも私にとって観劇は愛おしいほど重労働。とっても草臥れる。命がけで観に行っている。

今年一年は特にその傾向が強かったように思います。




昔から年に一回くらい母が連れて行ってくれた演劇、特にミュージカル。私の家族はいつ見ても、みんなお忙しそうで、クラスメイトが楽しそうに聞かせてくれるような遊園地やバーベキュー、キャンプなんて休日の景色は小説の中でしか見たことがなかったのですが……。そんな日々で、演劇だけは忙しい合間を縫って連れて行ってくれた、否、珍しいわがままを言って困らせて、連れて行かせていたのをよく覚えています。
年に一回の観劇。それはもう、本当に夢みたいな時間で。欲しいものを聞かれても何一つ思い浮かばなかった幼き日の私には、クリスマスよりも特別な日だったのかもしれません。欲しいものを聞かれても碌な回答を持たない、実に可愛げのない子供ですが。



そんな私にとって演劇は好きで当たり前のものだった。どうして好きなのか、疑問すら抱かないほどに。究明すらしないほどに。

ですが、大学へ入学して気まぐれに受講した【舞台芸術の歴史・東洋】という石井倫子先生の授業を契機に「能楽」という新しい演劇の世界を知りました。今まで触れてきたミュージカルやオペラとは異なる新しい舞台芸術の世界。その歴史を学ぶ中で、私自身が演劇の何に魅せられてきたのか。その手掛かりを掴みました。

そして同じく1年生の時分【近代自主ゼミ】にも飛び込み、右も左もわからないまま渡部麻実先生のご指導の下で、ひたすらに文学研究の基本とその先に広がる新しい解釈の可能性・面白さを目の当たりにしました。

さらに私の中を流れるオタク趣味と怖いもの知らずな衝動に突き動かされるまま、夏休みには山口俊雄先生による【太宰治ワークショップ24〈転生する太宰治・アダプトされる太宰治〉】へ。今振り返ってみてもここで受けた衝撃はやはり大きいもので、アニメや漫画といった「アダプテーション」も研究対象に成り得るのだと知ってからは随分研究への心構えが変わったように思います。



このように3年間を通して多くの素敵な先生方、素敵なご講義に触れる中でいつの間にか自分自身の原点である〈演劇への熱情〉の正体がくっきりと見えるようになってきたのです。
そして何より、私にとっての文学は生きること。衝動に正直にただ足を動かすこと。その熱源は文字であり言葉であり、劇的であるもの。人生の影法師なのでしょう、時には私の前に、時には私の後ろにある。

その劇的なる言葉たちは幾星霜を経ても輝きを失わない。何度でも蘇り、次の読者へ熱を繋ぐ。その営みの最たるものが「アダプテーション」ではないだろうか。
だから、三島由紀夫『近代能楽集』を通して数百年もの時を超えて届く熱源を探り当てたい。そしてそれらは今の演劇にどう生まれ変わっていくのだろう。

これが私の卒業研究です。たしかに大学入学以前から近代文学も三島由紀夫作品も好きだったのは事実です。とはいえ卒業研究の内容までは全く決まっておりませんでした。それでも、大学の3年間を通して自分が既に持っている関心を深めることに加えて新たな興味関心に出会うことを繰り返していくうちに気が付いたらその双方を掛け合わせたテーマをもっと探ってみたいと思うようになりました。
その結果、私は日本文学科の近代文学ゼミ所属でありながら戯曲・演劇を扱い、その内容は中世も近代も兼ねていて……東洋と西洋いずれもの美学が詰め込まれたアダプテーションを追う、あまりにも自由形すぎる研究の大海原を溺れながら犬かきしているワケでございます。おぼぼぼぼ・・・。

つまりそれほどに自由!同じ近代ゼミには「文豪とアルケミスト」というゲーム作品や「ヨルシカ」さんなどの楽曲を研究テーマにしている方もいらっしゃいます。考えてみれば文学・日本語はあらゆるモノの基盤となっているのですから、この幅広さもある意味では納得ものです。

ですからきっと卒業研究のテーマ決めは、自分の元来の趣味嗜好や拘りだけでなくとも良いのです。大学で経験した多くの新たな出会いや学びを振り返って、何か一つでも足を止めたくなるものがあったのなら……それを究める道すがら自分の「自分でも知らなかった自分」に出会えるかもしれないのですから。
近年では卒業論文を課さない大学も増えてきており、そのような中でわざわざ「ある」大学を選ぶのは少し負担に感じる方もいらっしゃるかもしれません。そしてもちろん、執筆は決して楽なものではありません。けれども、研究は宿題とは違うのです。みんながみんな同じでなくて良い。ただひたすらに自分の抱いた疑問にあらゆる手を尽くす。そんな時間が人生のうちに取れるのはきっと大学4年生だけ。


せっかくなら人生のなかで1年くらいそういう特別さを作ってみませんか。
やっぱりほら「意図して」「すてきなもの」に出会う時間を作って生きていきたい生き物なのです。

日本文学科を選び、そして近代文学を選ぶ

皆様こんにちは、今日もつーんと冷えますね。風邪予防のマスクすら防寒具のように思えてきました。
気がつけば師走。私はどうやら大学生という身分をもう3年分も走ってきてしまったようです。


3年生となれば次に来るのは4年生。4年生となれば卒業論文……捻り一つない、けれど効果はバツグンのマジカルバナナが完成しました。胃がキリリ、ギリリッリリ……リ。
そう。弊学の日本文学科は2年生のうちに卒業研究のためのゼミ所属アンケートを行い、3年生からゼミに所属。同じゼミを選んだ4年生の先輩方のお背中を拝見しながら少しずつ自らの卒業研究を練り上げていくのです。なんて計画的なご利用システム。安心ですねぇ、、安心なはずだったのに安心と逸れてしまったような、一面の銀世界という風情のPC画面と向き合っているのは何故なのでしょう。
顔色も PC画面も 冬景色。おお情けなや、わたくし。


Q.これほど懇切丁寧に誂えられた履修システムのレールの上にいながら立ち往生している原因を答えよ
A.怠惰


うん。問うまでもなかった。そうだよ、サボってるのは君だねぇ。
こんな風に一問一答で答えが出せればまだ良いのですが、研究……殊に文学の研究となるとそうもいきません。自分で疑問点を見つけて、自分なりにアプローチをして、けれどその先で皆から頷いてもらえるような結論を導き出す。答えは一つなんかじゃない、問いもそう。広々と自由なので迷子の定義すらムツカシイのです。

そういう時こそ初心に帰るのが大切。
私、そういえば何故日本文学科へ来たのでしょう。




***



師走、となれば年末も目前。帰省のシーズンです。帰省といえば「ふるさと」。皆様は帰りたくなる「ふるさと」の景色がおありでしょうか?私はあります。



その「ふるさと」はちょっと褪せた色合いで、触れると乾いた音がする。雨の日は独特の香りが立つ。
それは私の手のひらに広がっている。

私の「ふるさと」はとある1冊の本だ。いつでもそのインクの世界に帰りたくなる。




えぇ、もちろんふざけてなどおりません。せっかくです。昔話を、させてください。
私は幼い頃から何度も何度も住所が変わる子でした。物覚えが悪くて、覚えたての平仮名も全部鏡文字になってしまうような少女は、自分の住んでいる街の名前すら覚えられないまま。引っ越しのトラックがいつも青色だったことだけを覚えていました。

昔馴染みの街も、幼馴染なんて存在もてんで分からない。誰とどこで知り合ったとていずれ会えなくなるのですから、新しい友達を作ることにも草臥れてしまっていたのでしょう。もしくは致命的に社交性がなかったか。

けれど、オセロもチェスもいつしか自分と対戦することが上手になってきていたし、何より、もっともっと素敵なお友達にも出会えたのがその頃でしたでしょうか。
絵本が大好きだった私は、新しい街で真っ先に図書館の場所だけは覚えていたのです。
その日はなぜか絵本ではなくて何だかもっと大人っぽいものを読んでみたくなって必死に必死にあの頃の少女でも読めるものを探して……そうして出会った奇跡みたいな詩を私は生涯忘れない。

平仮名と長音がこだまして、ハラハラと手のひらに降り注ぐような、寂しい優しい綺麗な詩。
読めない漢字は全部吹き飛ばして、その平仮名の楽譜を幾度となくなぞりました。




それでもまた別れはやってくる。図書館の受付のお姉さんにも、○○ちゃん、なんて名前を近頃呼んでもらえるようになったのに。




気が付けば私はまた、知らない街に立っていた。
歩きなれない図書館を迷宮に挑む勇者の心地で突き進む。「あっ!!」私は初めて図書館で叫んだ。隅っこの一段と埃臭い本棚にその見知った背表紙はいた。真っ直ぐにこちらを見つめていた。
そうだ、私はこの日、人生で初めて「再会」の意味を知った。

それからというもの、少女はどこへ行ってもへっちゃらになった。
どこの街でも必ず私たちはまた会えたから。




***






その詩集にお友達を紹介してもらうように、お隣さんの本もそのお隣さんの本も……と握手を繰り返していたら、いつの間にかその本棚周辺が全部愛おしくなりました。
そこにいらっしゃる皆様が「近代文学」というグループに属するのだと知ったのは随分後になってからでしたが。。この近代文学の古書たちの匂いと背表紙の枯れ具合はどこの書架でもすぐに見つけられましたし、そしてどんな図書館に行っても「「必ず」」置いてあるのです。それが、どれだけ少女を安心させたことか。

だから私は今でもその詩集だけは手元に置いていない。アルバイト代どころか古本屋にでも行けばワンコインで買えるけれど。今までもこれからも図書館の古ぼけた背表紙から旧交を温め続けることでしょう。その詩集が読みたくなったときは私にとって「帰省」の頃合いなのですから。




幕間




・・・なんて、物覚えの悪い女が少々話し過ぎました。昔を懐かしむ時ほど自己が頼りなくなる瞬間はありませんね。自分は自分の人生の脚本も演出も監督も主役も脇役もやっているのだから大変です。下手な回想シーンはカットしましょう、ベタでベッタベタで歯にくっつくわ。こんな駄作じゃ噂話にされかかってクシャミがでるだけよ。
きちんと注釈も入れなくちゃ、はいハ―――ッアクション!!





近代文学


文字通り「近代の文学」……きっと国語の教科書で芥川龍之介の「羅生門」や中島敦の「山月記」なんかに出会ったことがあるでしょう。日本においての「近代文学」はだいたい明治維新から太平洋戦争くらいまで、、、でも大きく見るなら「近現代文学」という括りで現代小説まで含んじゃうかも〜……うーん明確には区切れな〜い…という何とも軟らかくて可愛らしくて情けない感じ。
けれども確かに言えることは。活版印刷が主流になった明治に本格始動した「商業出版」の文化が「商売」としての「言葉」を、可能にした。「言葉」が商品になる時代が来た。

誰かの放った「言葉」が大きな広がりを持って無限に商品に成り続けられる時代が来たのです。
それはもう、実用書だけになんて限られない。娯楽、精神の娯楽としての「言葉」たち。何の実益もない、楽しみのための「言葉」、人を楽しませるためだけのあざとい「言葉」!



明治、大正、昭和……このたった1、2世紀に一体どれだけの世界が動いたことか。
日本では長い鎖国の世が終わり、世界中の異文化・新しい価値観の奔流に飲み込まれていく。刀はペンに持ち替えられ、描く未来図は明るくも暗くもなる新時代。そして近代兵器の……歴史も地図も何もかもを塗り替える戦争。
この100年間はあらゆるものを押し流していった。神は隠され神秘は見失われ権威は息をひそめた。拠り所を喪った人は自己〈ヒト〉を穴が空くほどに見つめるしかなかった。
その視線で身体を射抜き、自己の在り処をシラミ潰しに探すよりほかになかった。空いた穴から抜ける隙間風が過呼吸のように音を立てる。その魂の喘ぎが、生き方の模索が、近代小説には溢れている。

そしてそのいずれもが、究極には「商品」。
ヒトの人生がショートケーキみたいに切り売りされていく。どこまでもその甘みを信じたって良いし、疑ったって良い。〈激動の時代〉と〈人生の切り売りという芸術家の術〉が恐ろしいほどに噛み合った、ヒトの業の凝縮物が近代小説だ。



近代文学は、私にとってそういうもの。知ったから生きやすくなった。知ったから生きにくくなった。
私の肺の左右どちらかは近代文学で出来ているのかも。




***





昔を振り返ってみたけれど、一体いつどこの時点から近代文学の虜だったのかわかりません。
あの詩集に出会った日かもしれないし、あの書棚を愛した日かもしれない。明確な日付は何も思い出せないけれど、気が付いたら私の人生の岐路にはいつも近代文学があった。
だから、やっぱり捻り一つないつまらない答えが、私の自己紹介。


好きな物を好きなままで大人になりたいから
ごく自然に日本文学を選び、ごく自然に近代文学を選んだ
何の変哲もない女子大生です。どうぞよろしく。




いやだわ、見切り発車、聞いてもいない昔話を囀ったと思えば今度は偉そうに講釈垂れて。
きっと必死に目を逸らして今日も眠ろうとしているのね。そうは問屋が卸してくださいません。
初心に戻って与太話まで書いたのだから卒業論文に取り掛かりなさい。

あぁもし、もしも、進路に悩む高校生が読者にいらっしゃるのなら、取りあえずこのトンでもない怠け者のことは参考にしてはいけません。反面教師です。
でも、そう…「好きだから」という理由で何かを決断することに遠慮や迷いを感じてしまう方がいるのなら。そこの一点だけはこの愚か者を試金石として見てやっては頂けないでしょうか。

受験・研究・就活、、、学生がぶつかる現実だけでも「好き」の想いだけではどうにもならないとされるモノはいくらでもあります。それに付随するように「好きな物を好きだと言えない苦しさ」「好きだけでは受け入れてもらえないもどかしさ」、そういうモノに衝突することも無いとは言い切れません。
だからといって「好き」を選ぶことを避けますか。避けてしまうのですか。避ければ、その先で障害物にぶつかることは無いのでしょうか。私はきっと否だと思うのです。
どれほど上手く生きたとて全てが100点で行くことなんてありません。どうしたって失敗はするし、予想外なことだって起きます。けれど、そういう時こそ今まで見えていなかった側面に気が付くことが出来るのです。そしてそういった側面を失敗の度に見つめなおしていけば、いずれ周囲をも説得できるような実用的武器になることでしょう。


アハハ!なんだかそれっぽいこと言ってみたくて格好つけましたが全然ムリ!!
つまりね、多分どんな道を選んでも、きっちり向き合ってこねくり回してりゃそこそこ正解になるんですよ。全部正解だ!なんてトンだ綺麗事?けどまぁ、世界にはこれだけ沢山の人間がいるんです。「正解」だって沢山ないと追い付かないですよ。
ですから、どうせ全部正解なんです、せっかくなら「自分の好き」を「正解」にしてみませんか。



日本女子大学の文学部日本文学科にきて、誰かの「好き」にとても寛容な友人たちに囲まれて、自分が何よりも「好き」な日本文学を全力で味わって、案外就職活動でも役に立っている。
誰がなんと言おうと、私の大学生活は楽しいです!大好きだから!




まどか🐧

翻せ、ロリィタ

ボタンを1つ留める度、フリルに抱きしめられていく。


腕をあげれば姫袖のレースがしゃなりと零れる。
新調したばかりのパニエは鏡の中の自分にだけ、誇らしげに見せつけて、待ちかねた両腿をラッピング。
毒々しいプリントデザインのタイツを、薔薇色のジャンパスカァトで匿えば。
一輪の華が微笑むでしょう。


これが私のお気に入り。ゴシック&ロリィタ。
厳密な言葉の流れとしては「ロリータ」と言うべきらしいのだけれど……。玄関先で一歩踏み出すのに逡巡を挟むような、おずおず、としたワタクシには縮こまった「ィ」のほうが何だか親近感。そう、ロリィタ。ロリィタファッション。

ゆらゆら、ふわふわ、きらきらり。夢まぼろし、この世界のステキなものみんな縫い合わせたみたいなお洋服!
私と一緒にちょっと覗いてみませんか。






✠✠✠

ロリィタ服ってお値段が凄そう・・・!
そもそもどこで購入するんだろう!?



こちらは私がロリィタデビューをする際に何度も悩んだ問題です。
そのため、今回は価格帯ごとに区切っていくつか個人的なオススメをご紹介いたします。いずれも1アイテムの目安ではありますが気になるブランドが見つかれば幸いです。

さっそく【A:5000円以下】【B:5000~1万円】【C:1万~3万円】【D:番外編】の4グループで見ていきましょう。


【A:5000円以下】

さぁまずは1アイテム5000円以下のところから。

〈ファッションセンターしまむら〉

きっとどなた様も目にしたことがおありなのでは?という有名店、しまむら。まさかのロリィタファッションまで……⁉︎と私も最初は衝撃を受けたものですが、なんと本当にロリィタファッション関係のインフルエンサーさんとのコラボ商品を多数販売されています。
残念ながら基本的にはコラボレーション商品なことが多い為に恒常販売のものはあまりなく、また実店舗で在庫を見かけるのも至難の業なのですが、、、公式オンラインショップにて予約注文をしておくと近隣の店舗で受け取りが可能です♪

今月は青木美沙子さんという方とのコラボ商品が話題で、ジャボタイ付きのブラウス(ふりふりの襟飾り、ロリィタ感が一気にでる)が2200円!!ジャンパースカートが3200円!!!!!???
という開いた口が塞がらないトンデモお値段設定でした。お財布に優しすぎますわ……ここが楽園。

例えばですが、
①ストライプ柄ジャンパースカート 3200円
②パニエ付キャミソール 2200円
③ヘッドドレス 990円
の3つを今回のコラボで購入し、ブラウスは既にお手持ちのシンプルなデザインのものと合わせれば・・・なんと6390円+税であっという間に雰囲気の出るロリィタフルコーデが完成!
特にパニエ付キャミソールはそれをワンピースやスカートの下に仕込むだけで簡単にロリィタらしいシルエットが作れますので本当に買いだと思います!!!ヘッドドレスも付けるだけでご機嫌になれますよ。
他にもたくさんの素晴らしい商品がございますので気になる方はぜひチェックしてみてください。ロリィタファッションの第一歩にはうってつけだと思います。

青木美沙子さま しまむらコラボ商品一覧

ちなみに美沙子さまはしまむらロリィタの先駆者的なお方で、好きなオシャレを好きな時に気軽に楽しめるようにしてくださった最高にカッコいいお姉様です。通称「しまみさ」と呼ばれて親しまれるほど定期的にコラボレーション商品を発売してくださっており、そんな「しまみさ」沼の先輩がこのブログ部にもいらっしゃいます。頼もしきロリィタ仲間のあかりお嬢様です。あかりお嬢様のしまみさ紹介記事もぜひ併せてお楽しみください。

あかりさん「しまみさ」紹介ブログ



そしてこのようなコラボは定期的に様々なインフルエンサーさんによって行われておりますので、好みのお洋服と出会えるまで待つのも一つです。肝心のコラボ情報についてはロリィタファッション関係のインフルエンサーの方をSNSでフォローしておくとチェックしやすいかもしれません。

ほんの一例ではありますが……
青木美沙子 さま
愛野えり さま
くる実 さま
眞白ありす さま
WonderTeaParty さま

といった方々を始めとして実に様々な素晴らしいコラボレーションが日々行われています。私は愛野えり様の「シャーロットの水曜日」シリーズが特に好きでした。
なんて、ここまでしまむらコラボをご紹介してまいりましたが……申し訳ございません、実は私もまだまだ初心者。全てのお品物をお迎え出来ている訳ではございません。

理由としては私のロリィタファッションの好みは〈少年装〉〈皇子系〉と呼ばれる物。この〈少年装〉〈皇子系〉というものはロリィタと聞いて想起されるようなふわふわスカートスタイルではなく……
「貴族のお坊ちゃん」といった感じのシックな彩のショートパンツ、そこに映える対照的な脚をガーターベルトでロング靴下と結び、上半身には柔らかなドレープのブラウス、頭にはちょこんとベレー帽を。
そのような系統を好んでおりますから…しまむらコラボの商品とは些か方向性が異なっているのです。ですからしまむらさん、是非とも皇子系もお待ちしております・・・!!!!!と切に叫びたいところです。

このようにパンツスタイルのロリィタを愛しておりますから今回ご紹介するブランドは自然とおすすめのパンツスタイルが揃っているお店ばかりになってしまいました。もしパンツスタイルでのロリィタにご興味がおありでしたらぜひご注目を。



【B:5000~1万円】

さてはて続いては1アイテム5000~1万円ほどの価格帯でのオススメブランドです。

〈axes femme〉

通称アクシーズとして知られる幅広いジャンルのロリィタに優しいお店です。幅広いジャンルのロリィタとは?というお話ですが、少しだけ先程も〈皇子系〉〈少年装〉などと紹介していたようにロリィタの中でもまた色々なテイストの装いがあるのです。例えば落ち着いた色味に格式高いデザインを基調とした〈クラシックロリィタ〉や軍服のような逞しくクールな雰囲気の〈ミリタリーロリィタ〉、日本の和服融合したような〈和風ロリィタ〉……など実に多種多様な装いが存在しています。
そのような中でこちらのアクシーズさんは複数のテイストごとに細かく分かれたシリーズブランドと商品を展開しており、ロリィタの世界のある種ガイドマップのような頼もしいブランドさんなのです!
ですから「まだどのような雰囲気のロリィタが好きなのかわからない…」「気分転換に新規開拓したいけどどうしようかな…」という方にもお試しの一歩として大変よろしいかと。自分の好みに合ったものを探すだけでも心が躍ってしまいます。

そしてお値段もかなりお手頃!
例えば「リボン×ジャボブローチ付ブラウス」は4950円、「ハシゴレース×リボン配色スカート」は6600円、「オーガンジーパニエ」は7700円といった組み合わせをすれば19250円でフルコーデが組めてしまいます。しかもアクシーズは全て税込み表示なため本当にこのお値段です。
さらにさらにアウトレットセールや季節ごとのセール、福袋などかなり細やかにイベントをしてくださるのでよりお手軽にお迎えできることもございます。
また、アクシーズはららぽーとを始めとして実に様々な場所に実店舗を展開してくださっていますので不安な方は直接お品物を確認してから購入することも可能です。安心ですね。
特に原宿にある〈ラフォーレ原宿〉というファッションビルにはアクシーズとそのシリーズブランドで和風ロリィタ専門のリゼンというお店がどちらも入っているため大変素敵にわくわくします。というよりも、、、もはやこのラフォーレ原宿には数多のロリィタブランドが集結しており、ロリィタにとっての聖地・テーマパークのような心地です。ウィンドウショッピングだけでもとっても胸が高鳴りますから是非に。




【C:1万~3万円】

そろそろ折り返し地点、こちらでは1アイテム約1~3万円程のブランドをご紹介いたします。ここまでくるともう完全にロリィタ専門ブランドが多くなってきますね。

◉〈MIHO MATSUDA

こちらは私がこよなく愛するゴシック&ロリィタブランドのミホマツダです。通称はミホマツ。
とにかく徹底したシックな黒一色の生地、質感、洗練されたボタンのデザイン……こんなにも落ち着く黒色、はじめて見た。一目ぼれでした。私にとってのゴスロリはミホマツダがなくては始まらない。そのくらいエレガントな黒色です。
生地がしっかりとしていて、でもシンプルな色味だから他ブランド商品との相性も抜群。ロリィタは着たいけれどあまり目立ちたくはない……そんな私のニーズにもピッタリなお色味とデザインだったのです。組み合わせ方次第で普段着にもできるし、ドレッシーにも化ける。なんと身のこなしの軽いお洋服でしょう!

そして何よりも少年装との相性の良さよ。ショート丈・ハーフ丈・7分丈と3つの丈の長さでボトムスが展開されており、あまり足を出したくなかった私でも心から着たい!と思えるデザインのものと出会えました。こちらの「パンツ・クルード」という商品なのですが、とびっきりの可愛さなのでどうかご覧ください。
さて、こちらのミホマツダさんで仮にコーデを組むとすれば…
「ブラウス・ヴァニカ半袖」19800円、「スカート・ベリネ」28600円の48400円税込でしょうか……。先程までのA・Bの価格帯と比べると少し面食らってしまいますが、細やかな意匠と生地の重厚感など袖を通すと納得できるものがあるやもしれません。

私のお気に入りミホマツ少年装コーデは
①ミニハット(ミホマツ委託ハンドメイド作家のnascita様作)7700円
②ベスト・セルゲ 33000円
③ブラウス・ヴァルガ 19800円
④パンツ・クルード 28600円
といった組み合わせです。なんとか10万円はいかずに組めているかな……という具合です。個人的な感覚ではありますが、ロリィタブランドだけでフルコーデを組もうとすると10万円はやはり超えてしまうことが多いためミホマツさんはこれでもなんとか手を伸ばせる、、、かも。いっぱいアルバイトがんばりました。
あとはそうですね、ミホマツさんは学割やSNS関係の割引キャンペーンをマメにやってくださるブランドなため、恩恵にあずかっております。ありがたいことです。


さて、この他にオススメなブランドは
◉〈ATELIER-PIERROT
アトリエピエロという名の通り、まるでサーカス団のお衣装のようなお色味とふんだんにあしらわれたフリルがゴスロリらしくて妖しくも美しいブランドです。なんと最近ではハリーポッターとのコラボレーション商品も発売されており、各寮のデザインで作られた最高のロリィタが存在しているのです。
お洋服だけでなくアクセサリーやバッグなどもございましたためハリーポッターファンの方は必見ですね。もしかするとコラボレーション時期が少し前だったためもうお品物が無いかもしれないのですが……ラフォーレ原宿の店舗では少しだけまだ販売しているお姿を拝見したような気がいたします。

〈モリグチカ〉
和風ロリィタにあたるブランドでオリジナルデザインの和柄とポップなカラーリングが実にキュート!お洋服とも合わせやすい帯風のベルトは付けるだけで和洋ミックスの良いとこどりコーデが完成✨しかも、なんと洗濯ネットに入れてのお洗濯は可能なのですモリグチカは!!!!このお手入れが手軽というのは大変に助かること。初心者でも安心して購入できたことを覚えています。今でも大好きなブランドです。

〈Qutie Frash〉
キューティーフラッシュ、通称はキュフラ。こちらは和風だけでなく中華風などアジアンなテイストとロリィタの融合です。雰囲気的にはサブカル系ロリィタに近しいかもしれません。
パンクな色使いに金箔を思わせるような堂々たる和柄など、歴史とサイバーパンクの劇的な衝突を身に纏うことが出来ます。少し個性派かもしれませんが、着物の羽織として一点だけキュフラを混ぜたりなんかするとバチっと決まります!!



【D:番外編】

最後は番外編です。
こちらの価格帯はお安いものだと1000円以下の物もございます!

〈closet child〉
クローゼットチャイルド、通称クロチャと呼ばれるこちらはロリィタ専門の古着ショップです。
私自身最初の頃はロリィタで古着というのにあまりピンと来ていなかったのですが、こちらのクロチャさんは商品の検品がとっても丁寧で安心なのです。商品画像を複数枚細やかに付けて下さっていることに加えて、お品物の状態を5段階評価で表示してくださっているため中古品によくあるトラブルが避けられます。
そしてなんと【タグ付き未使用品】という状態の出品もかなり存在しているため、お手頃価格で新品に近いものが購入できてしまうことも。

無論私も最初はなんとなく心配な気持ちがあったのですが、どうしても販売終了してしまったモデルのお洋服が欲しかったために購入してみました。すると商品の到着が早くてびっくり。品物の梱包も一つ一つ袋詰めしてくださっていましたし、何かあった際のサポートの案内もきちんと付属しているので大変安心して利用できました。
懐にも優しいですからよければ中古という選択肢も覗いてみてくださいね。




✠✠✠




以上が独断と偏見によるオススメロリィタブランドです!
他にもたっくさんの素晴らしいブランドがございますので、また来年の1月頃に続編を書かせて頂こうかしらなんて考えております。
ともかくもここまで多くのブランド紹介にお付き合いくださりありがとうございました。皆様のロリィタライフが自らに幸せをくれるものでありますように。好きな物を、好きだと、背筋を伸ばして言える自分でありますように。

蛇足ですが最後にロリィタを着るに至ったきっかけとマインドだけお話して終わろうと思います。




私がロリィタのお洋服を着ていたところ久方ぶりに会った親戚からは

・「なんでそんな恰好が好きなの?」
・「いつからそんなんなの?」
・「コスプレ……?」

と、こんなお言葉を頂きました。
たしかに見慣れない格好ですから、ロリィタファッションにどこで出会うんだろう??と思われるのかもしれませんが……そう特別な出会い方はしていないような気がいたします。

思い出せる範囲ですと、私がロリィタファッションに魅せられたきっかけは「アイカツ!」の藤堂ユリカ様が大好きだったことが大きいです。なんとか搔き集めた百円玉を握りしめてゲームセンターへ通い詰めていたことが懐かしく思い出されます。
その他にも「わがままファッションガールズモード」というゲームの「マーブルリリー」や「レイヴンキャンドル」というブランドには入れ込んでいて、もはや専門店か!という位にそればかり仕入れていたような覚えがあります。しかも2DのDSですね。
あとは…今でも心からの推しである「ダンガンロンパ」のセレスティア・ルーデンベルク様、「黒執事」のマダム・レッド……。この2人の生き様には深く深く感銘を受けたものです。自らの武器を理解しそれを以てして戦い、そして信念のもとに咲る日だけに咲いて散る。そんな美しい女性たち。

あげだすとキリがありません。こんな風に沢山のステキなキャラクターがいて、彼女たちを強く印象付けているロリィタファッションにもいつしか憧れを抱いていました。偏見かもしれませんがロリィタファッションのキャラクターって芯の強い方が多いような……あぁどうしようもなく、好きになってしまいます。
ですから、「いつから・なぜそのような格好を?」という質問には「気が付いたら!好きだから!」とお返ししたいものです。

マ、マァ……実際にはお財布事情との関係でロリィタファッションを纏い始めたのは【大学入学以降】で着ている理由としては【自分の好きな物を纏いたいから、そして決してお安くはない最高の一着を奮発してお迎えしたのにタンスの肥やしになんてしたくな……!!!!】という本音があったりなかったり。
そして「コスプレ??」というご指摘に関しては断じて「いいえ!!」とお答えさせて頂きます。たしかに一般的なお召し物よりも華美ではございます故、TPOへの意識はより一層注意が必要なものですが、それでもこちらは「私服」なのです。
私はロリィタファッションを愛する者であり、また一方では、コスプレをするサークルにも所属しているコスプレイヤーでもあるため断じて申し上げますがロリィタファッションとコスプレは別物です。



㊟あくまでも個人の意見です。以下少々過激な意見がございます。



まず何よりも目指しているものが異なります。
コスプレというものは原作のキャラクターに少しでも近づけるべく工夫を凝らしますが、ロリィタファッションというものは何か一定の目指すべき型がある訳ではなく一人一人がファッションの理想を追い求めて楽しむものです。
とはいえそれは当事者視点のお話であり、ハタから見れば珍しい恰好をしていることに変わりないよ!と言われてしまうことでしょう。

そのためもっと現実的な問題を申し上げるとすれば、コスプレというものはキャラクターの衣装を始めとするデザインに当然ながら著作権があり、原作となる作品によっては公式からガイドラインにて二次創作に規制が示されているものもございます。つまるところ、衣装の着用すらグレーゾーンなことも。
さらにいえば、世界的に公表されているキャラクターの恰好をすることは、街中やSNSを始めとして様々なところで他のファンの方の目にも入る可能性があります。このような時にコスプレイヤーさんの言動がキャラクターのイメージに傷をつけてしまう虞も残念ながら否定できません。
だからこそ、コスプレを楽しむ際はきちんと参加費をお支払いして専門のイベントへ参加したり、キャラクターや作品のイメージを死守したり……徹底的に「自分」を殺します。
求めているのも求められているのも「自分」ではありませんから。コスプレはファッションではない、リスペクトあってのものです。
そのようなワケでなんのイベントでもない日に街中でコスプレをすること。況してや撮影をすることだなんていうのは恐ろしいことでございます。


さてはて随分とお話に熱が入ってしまいこんなにも逸れてしまいましたことお詫び申し上げます。
肝心のロリィタファッションのほうですが、こちらは立派にファッションブランドとしてお店を構えているところからもわかるように、買ったお洋服は誰に気兼ねするでもなくいつでもどこでも貴方様を彩ります。時折、「同一のブランドでフルコーデにしなきゃ失礼!」だのと不思議な世迷言を目にいたしますが、ファッションに正解も限界もございません。
むしろ世界観が同じくして誂えられた同一ブランド同士でしかそのお洋服を活かしてさしあげられないと思うのなら、それこそお洋服のブランドに失礼ではありませんか。貴方様が良いと思って迎えられたその一着を大切に、様々なアイテムと組み合わせて貴方様だけの着こなしを見つけることが醍醐味だと思います。だってもうその一着は正真正銘、貴方様のもので、ファッションは自由なのですから!


少々長くなってしまいましたが、「ロリィタってコスプレ??」という質問にはやはり【いいえ】とお返しさせて頂きます。肩身の狭さが段違いです。コスプレはもう縮こまって縮こまってやっておりますからね。一方でロリィタファッションでは自信をもって外を歩けます。
とはいえ先程ご紹介させて頂いたような3つの疑問は、きっと質問者が親族だからこその突っ込んだ質問であり、普段ロリィタファッションで街を出歩いているときに何かお言葉を頂いたような経験は今のところ幸いにもございません。むしろすれ違いざまにお洋服を褒めて頂いたこともあります。
もちろん、出る杭は打たれるという言葉があるように人目を集めやすいお召し物ではありますから、TPOの意識・着用中も人通りや誰かの視界に装飾品が邪魔立てしていないか・裾やリボンの引きずり、露出が発生していないか……などなど常に自らの今の姿を客観視することは大切です。ですが、ご安心ください。そんなに難しいことではありません。
可愛いお洋服を着ているといつもよりも何度もお洋服を見たくなりますし、お手洗いで鏡を見るのも楽しくなります。ですからほぼ無意識に身嗜みを整えてしまいますし、貴族のご令嬢のような恰好をしているとなんだか所作まで自然と丁寧になるものです。

人は内面が大事!なんてよく言いますが、、、「なりたい自分」が鏡に映っているというのも良いものですよ。まずは目指したい姿を装ってみる。そしてそれに相応しい自分になろうとする。
目標って可視化されたほうが頑張れるものじゃないかしら。



いつか鏡の向こうの自分に会える日を信じてる。

秋風のこころよさを

皆様こんにちは。本日はどのような1日をお過ごしでしょうか。
私はつい先日まで夏季休暇中でしたため体をゆるりと休め……られたかというとそうでもなく…就職活動で何とも慌ただしい日々を送っておりまして……ESやら面接やらの練習をするたびに己という人間のなんとも骨のない生き方に、呆れて笑ってしまうほどです。あぁ申し遅れました!今回のお相手はまどか🐧です。
そんな慌ただしい日々ではございますが、この心身へのダメージの入り方……原因はそう!酷暑。
毎日毎日飽きもせず燦然と輝いておいでの太陽が、陰気な私の心にも暑さが苦手な私の体にもクリティカルヒットしております。


私の友人には「夏ってなんかいいよね!気分が明るくなる!毎日でも遊びに行こうぜ!!」という逞しい方もいるのですが、それって夏というか夏休みが好きなんじゃないですかね。違う?それは失礼。
何にせよ光が明るければ明るいほど影は暗く濃く落ちるってモンです、私はクーラーの効いた部屋のお布団の中でしか生きられません。

私ほど極端にとはいかずとも少なからず近年の猛威を振るうこの暑さには皆様方も辟易しているのではないでしょうか。熱中症の危険性もありますからお身体をどうか大切に。

ですから、そう!涼しいところへ行きましょう。うんうん。日本で涼しいといえば……東北!!





***






実は先日、日本女子大学文学部日本文学科の有志で岩手県へ向かい研修旅行を楽しんで参りました。もちろん文学の徒である私共が研修旅行となれば文学関係の内容であることは必然。
岩手県に所縁のある作家といえば〜!?さてどなたでしょう?


宮沢賢治?


それは、たしかに!そう!!!!大変著名な作家さまで現代でも素晴らしい人気ぶり。花巻市以外の駅でも山猫軒の可愛らしいグッズが沢山買えますよ。賢治ファンの方にはオススメです♪

ですが、もう1人著名な方がいらっしゃいまして。
そのお方が石川啄木です!

最近ではなんだか「文豪とアルケミスト」や「啄木鳥探偵處」といったメディアミックスでキャラクター化されていたり、X(旧Twitter)などのSNSで【はたらけどはたらけど……】や【一度でも我に頭を下げさせし人……】などがミーム化されていたり、思わぬところでお姿を見かけたことのある方もいらっしゃるのではないでしょうか。

そんな啄木へ「生活が大変そう」「ちょっと過激なパンチのある歌を詠んでそう」……なんてイメージを持つ方も存外少なくないのではないかと思います。ですが、どうしてそのような印象深いフレーズの数々が生まれたのでしょうか。その答えはきっと啄木の生涯にあります。

そして彼の生涯を知るのにうってつけなのが岩手県盛岡市にある「石川啄木記念館・盛岡市玉山歴史民俗資料館」です。今回の研修旅行ではこの石川啄木を中心に盛岡市近辺の様々な所縁の地を取材して回り、各チームの持ち帰った成果を全員で一つの案内パンフレットにまとめる!といった活動が目的となっていました。その中でも私は「石川啄木記念館・盛岡市玉山歴史民俗資料館」を調査するチームに所属していたのですが。。。見所が!多すぎて!案内パンフレットには到底収まりきらない!!!

そんな啄木の魅力がぎゅっと詰まった記念館をご紹介していきます。




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ところでこちらの石川啄木記念館は白いモダンな一軒家のような風貌をしているのですが、これは啄木が生前に「家」(『啄木遺稿』東雲堂書店、1913年所収の「呼子と口笛」より。NDLオンラインでも確認可能:https://dl.ndl.go.jp/pid/947452/1/13 )という詩の中で描いていた「理想の住みたい家」を再現したデザインなのだとか。生誕百年記念に様々な人の協力で建てられたそうなのですが、皆様の愛を感じますね✨


そして扉をくぐると最初に出迎えてくれるのが啄木のお人形さんです。こちらのお人形さんは実寸サイズのようで、啄木と背比べができちゃいます♪気になる啄木の背の高さは……ぜひ皆様自身で背比べをして確かめてみてくださいね。



そして啄木のお人形さんに見守られながら目の前の扉を進むと、開けた展示室の中に啄木の詠んだ印象的なフレーズの数々が浮かんでいるというどこか幻想的な空間へ出ます。よ~く観察してみればそれらは文字の描かれたパネルが天井から吊り下げられているような展示であると分かりますが、展示室に入った瞬間目に飛び込んでくるフレーズの印象深さは流石詩人の言葉です。


そんな視覚的な出会いを果たした後はぜひとも中央の映像展示へ足を進めましょう。啄木の生涯やその故郷について、様々な解説を映像と共に紹介してもらえます。こちらのお話を聞いているだけでも啄木について今までよりも詳しくなったような気分になれちゃいますよー!

そのようにして掻き立てられた興味を、今度は周囲をぐるりと囲む壁一面の啄木年表へ。こちらでは彼の生涯や発表された作品、関係する作家たちの紹介が幅広くまとめられています。展示を通して啄木や当時の日本の歴史に触れられることはもちろん、例えば啄木は幼い頃ゆべし饅頭が食べたい!と夜中に母親を起こして作らせたことがあるなんて可愛らしいエピソードも紹介されていますので啄木の為人を想像することもできちゃいますね。

このような展示が魅力的なのはもちろんですが、なんと今回は特別に学芸員の方にインタビューまでさせて頂くことができたのです!そんな素敵な機会に恵まれ、展示がどのように維持されているのか、施設リニューアルで実現された新たな魅力といった様々なことを伺い理解が深まったように思います。



その中でも印象的だったのは屋外に展示されている「旧渋民尋常小学校」と啄木がかつて間借りしていた「旧齊藤家」の2つの建造物についてのお話です。

この小学校は啄木の母校であり、後に彼が代用教員として働いていた職場でもあるのですが……なんと室内へ立ち入ってその内部まで見学することができます!隣接する旧齊藤家も同様に内装まで見学が可能です。

時に厳しい自然環境にも晒されるであろう屋外の建造物展示というだけでも衝撃であるのに、見学者の立ち入りまで許されているという何とも学びの多い贅沢な展示といえますが一体どのように維持されているのでしょう?学芸員さんのお話によると5月の終わり頃には地元の商工会の方々が障子の張り替えをしてくださったり、冬前には建物の外側にビニール付けて保護をしてくださったり……多様な方法で定期的に管理をしているのだそうです。その他にも壁や屋根などの木材へ防腐剤を塗布する、地域の小学生がお掃除ボランティアをする、などなど地域一環となってこれらの展示を守っているのだそうです。元々の資料が貴重であることは勿論ですが、そこへさらにこんなにも多くの人が関わって守り続けられているという重みも加わり素晴らしい鑑賞体験が生まれているのかもしれません。


皆様も石川啄木記念館を訪れる際は、屋外の展示を楽しむのをお忘れなく!


そしてそして…記念館で啄木について知った後は可愛いお土産も要チェックです。絵葉書や栞など多様なグッズがカウンターに並べられていてどれを買うか本当に迷ってしまいます。ちなみに私は「石川啄木短歌帳」という文庫本サイズの可愛らしいノートをお迎えしました。一頁一頁に啄木の短歌が載せられており、しかも栞までセットで付いてくるという素敵すぎるお土産です。品物を入れて下さった紙袋にもひょっこりミニ啄木がいて思わず笑みがこぼれました。

私という人間は「遠足は帰るまでが遠足だし、文学館巡りはお土産を買うまでが文学館巡り」だと信じているタイプですので、このようなグッズには目がないのです!今回は研修旅行だったために時間の関係上、条件反射的に一瞬で選んだ商品を購入して慌ただしく帰路へつきましたが……無念。次にお邪魔する際はもっとじっくり吟味して色々と物色したいところです。





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ここまで啄木や記念館について紹介してまいりましたが……最後に強くオススメしたいポイントは【石川啄木記念館と盛岡市玉山歴史民俗資料館という2つの施設が併設されている】ということ!つまり石川啄木という作家について知るだけでなく、彼が愛した盛岡市玉山地域の自然や歴史、風俗についても共に味わうことが可能となっています。さらに先程紹介した通り、石川啄木記念館は室内展示に加えて屋外では啄木にまつわる学校や家屋といった規模の大きな展示も行われているのです。あまりのボリューム感に私達調査チームは二手に分かれるどころか三手に分かれました。


涼やかな屋内で一日中楽しめそうなほどのボリューム感と多岐に渡る展示内容を誇る「石川啄木記念館・盛岡市玉山歴史民俗資料館」は夏の暑い日やお天気の不安定な時にも安心の観光スポットですね!しかも驚くことに入館料は大人300円・高校生200円・小中学生100円(盛岡市玉山歴史民俗資料館は入館無料)というありがたい価格設定✨


皆様もぜひ盛岡市の自然と、その美しき環境に育まれた芸術をたっぷりと味わってみませんか。




〈関連サイト紹介〉

・「石川啄木記念館・盛岡市玉山歴史民俗資料館」公式ホームページ https://www.mfca.jp/takuboku/

今回のブログ記事作成にあたってこちらの記念館の学芸員の皆様に多大なるお力添えを頂きましたこと、心よりお礼申し上げます!

スキ、キライ、スキ

バイト帰りに買ったチョコレートアイス、6分の1が星型だった。形が違うだけで味もなんだか、特別みたい。幸福には素直であろう。そうしよう。







襟付きのシャツが好きな私だが、伸びてきたボブヘアとの相性は最悪だ。チクチクと首まわりへの侵入が激しい。何度も何度も髪をかき上げている、授業に集中できない。もういっそ頸ごと斬ってしまいたい。







地元の片田舎でアルバイト、10月になる度に誤魔化すように時給がふらふら変わる。
常にワンオペで休憩もないのだから忙しさだけは都会並だ。けれどもそうして貯めた身銭を全て舞台に捧げている。だって今年は彼のお方のご生誕100周年。毎月どこかで彼の作品が上演されている。こんなに幸せな一年はきっとない。
最近気が付いたのだけれど、劇的なものが無いと私は生きていけないらしい。私にとって演劇はAEDのようなもの。色褪せた日常に知覚できなくなった拍動を思い出させてくれる、強烈な電気ショック。







台風の日の満員電車は満員なんていう物では済まない。肩と肩は常に摩擦を起こし、ただでさえ熱い空気をさらに加速させる。あ、秋葉原。覚悟を決める。肉になる覚悟。両サイドから次々に挟み込まれるようにしてすり潰されていく、ミンチ。自分が肉塊に過ぎないことを確認する、月曜一限。







Twitterでふと見かけたツイートで偶数知った映画。ちょうどアマプラに入っていたから冷やかしでも良いかと観たらとても面白かった。SFはご無沙汰だったのだけれど、そういえば自分は昔、「海底2万マイル」だとか「Back To The Future 」だとかにいたくご執心だったことを思い出した。
ツイートでオススメされていたのは「PREDESTINATION (プリディストネーション)」。もうアイコンも垢名も思い出せないけれど、どこかのだれか様その節はありがとうございました。







にぎやかなサークルスペースの一角で1人カップ麺を喰らう。ここに来れば誰かが、いや居ないことなんてわかっていて来たはずだ。むしろ誰も居なければ良いと思っていたはずだ、お前は。
センサー式の照明は私なんて居ない人間のように扱う。まだ!居ます!食べてますわたし!と頭を軽く振る瞬間が一番虚しい。

2列ほど挟んだサークルスペースからは先ほどからずっと賑やかな声が響いている。1年生の時からよく知っている、同じ学科の2人の声は聞き間違うはず、、、もない。だったら、自分も輪に入りにいけばよいのか?普通ならそうするべきなのか?私だってもちろん寂しい。だが、ご歓談中に水を差すのも憚られるし、そもそも人違いだったら?もうその時の薄寒さを想像するだけで今日という一日が台無しになった気分だ。

あぁ、孤独とは一人でいることではなくて、一人で居なくても良い時に一人でいようとしてしまうことなのかもしれない。などと昔好きだったアイドルの歌を思い出す。
私は私という人間を1日も早く見放したい。それでもただ必死にしがみついて、今日も私は1日を果たしてしまった。







私はよく絵を描く。けれども、その行為が好きかと言われると返答に窮してしまう。
だって絵を描くってとっても大変。億劫。アタリをラフに変えて、線を選んできちんと線画をして、かと思えばやっぱりパースが狂っているから延々と修正のイタチごっこ。ようやく線画ができたら次は下地塗り……。
もう気が遠くなってきた。
絵に限らず、何かを産み出すことにはトンでもないエネルギーが要る。あぁ、苦しい、しんどい、めんどう。でもほんのり愉しい。
私にとって「絵を描くこと」はやっぱり手段にすぎない。だから、それを目的とする崇高でそして努力家な方から批判や苦言を頂戴することも幾度となくあった。そんなんだから肩身が狭いことこの上なく、自らの絵は穢らわしく見えなくてはならなかった……はずなのだが、そういうハイカロリーなこってり作業にブツクサ言いながら産み出した「何か」「絵のようなもの」を、共有して味わってくれる友人に今、恵まれている。

私がこの大学に来て一番幸福だったのはこの友人に出会えたこと。
何よりも麗しい大輪の華のお嬢様に心からの感謝を……伝えたら重いのだろうから、ここにでも、置いておこう。お前は、ほんとう、意気地なしね?



▼▽▼▽▼……



一枚、一枚、また一枚。限りある人生の今日という日を毟り取って生きている。
血濡れた手を拭うことすら出来ずに。その毟り取った一片が酸っぱくても甘くても、偏食なんて許されない。次に甘い味を引くのはいつかなんて何人も教えてはくれまい。

人生が花占いのようであればどんなによかったか!

能楽堂への誘い・参

皆様こんにちは。ペンギンと近代文学を愛するまどか🐧です。
本日は少々久方ぶりに見たようなタイトル。実は何度か同じタイトルで能楽について色々とお話……もとい布教ブログをしたためております。

それにしても、能楽、といいますと何だか学校の授業でお国の伝統芸能としてその素晴らしさをお勉強したような。私なんかは格式の高さを感じて気後れもしてしまいます。云々と抜かしてモジモジしていた(してなかったかも、私、太々しい)のが2年前のことで懐かしいです。

もしかして、もしかしてだけど、ちょっとお能の観劇に慣れてきたんじゃないのぉ!ふへっへへへへへ。と思いながら今回も能楽堂目指して歩を進め…降り立ったのは表参道。



ゑ??????????表参道?



いやいやいやいや、え、表参道。煌びやかなアパレルショップが所狭しと並び、現代通り越して近未来すら感じてしまう街並みに。能楽堂?
もしかして劇場情報に誤字とかあったのかしら、どうしましょうどうしましょうとグーグルマップ先生に泣きつきながら向かうこと10分ほど。
全然見つかりませんけれども!!??といい加減ダレかに泣きついて道でもお尋ねしようか、ああ見れど探れど周囲は観光客の方ばかり、ワタシエイゴデキナイ。カタコト英語で能楽堂の場所尋ねる新手の不審者になっちゃう。


うろうろうろうろ、傾き始めた夕陽に急かされる様に。迫る開演時間と戦い……。
ありました。PRADAの向かい側、真ん前に。


こちらが今回の会場、【銕仙会能楽研修所】!
お察しの通り、私は初めて訪れたのですが表参道のPRADAなどが立ち並ぶ中に突如として現れる古風な「銕仙會」の表札に驚いてしまいました。
さらにさらに会場内は土足厳禁の座椅子スタイル。こんな能楽堂あるんですか!?もう開演前から驚きの連続でした。まさか会場すらマトモに見つけられないとは、、、。観劇にちょっと慣れてきた、とか抜かしていた脳内フローラル人間はどこのどなたでしょう。まだまだのようです。

さてそのような座椅子スタイルのお席(見所)だからこそ、能楽師さんの足元まで間近で見られることはもちろん、なんと檜舞台の軋む音まで聞こえてきました。舞台と見所の距離感の近さだけでなく、檜舞台と対照的なコンクリート造りの現代的な壁に囲まれているなどとにかくよく音の響く会場だったように思います。



***

今回の公演は9月6日(土)に行われた第66回公演の「響の会」という会で、番組としては「天鼓」「松虫」「西行桜」の仕舞と「誓願寺」を一調、最後に立花供養の小書付きの「半蔀」というボリューミーかつバラエティに富んだ並びでしたため、観劇後の満足感…というよりも満腹感が素晴らしかったです!心がおなか一杯になる!

そのような会場で始めに見たものが鵜澤久さんの「天鼓」だったのですが、その静やかで安定感のある所作一つ一つが実に素晴らしく、後ろ姿までカッコいいの一言に尽きました。周囲の能楽師さんと比べて華奢に見えるお身体に柔らかい所作を勝手に想像していたのですが、そのお身体から放たれる無駄のない凛とした足拍子には目が釘付けになりました。
先程の紹介通り、全体的に音の響きやすい板の上だったように思うのですが、鵜澤さんの足拍子はスッと必要なタイミングに必要な量だけ響いておりその心地よい美しさが心にまで響きました。私は今までの観劇経験の中で鵜澤久さんのことを後見の役でばかりお見かけしていたため、このように板の上に立たれているお姿を拝見できてとても感動しました。

もしまだ鵜沢久さんについてご存じないという方がいらっしゃいましたら、ぜひとも事前知識のない真っ新な状態でこちらの素晴らしい能楽師さんのお姿を味わってきて頂きたいです。そのため、敢えて今回はあまり紹介しないでおきますね。

続く「松虫」「西行桜」もそれぞれで使用されていた扇の絵柄が可愛らしく、また能楽師さんお一人ごとの声質の違いを味わうことができて大変充実しておりました。「誓願寺」は一調の形だったのですが、一調の公演を初めて拝見したためにデュエットのような見た目でありながら対バンのような緊張感をもつ独特の舞台上の空気感に衝撃を受けました。
今回は太鼓との華やかな組み合わせの演奏だったためか、視覚的な情報と聴覚的な情報のギャップがとても印象的でした。一調はその時その時で様々な組み合わせがあるそうなので、その他の楽器との組み合わせだとまた違った一調の雰囲気になるのでしょうか。とても気になりますね。
きっと中々狙ってお目にかかれるものでは無いのかもしれませんが、ぜひ他の曲目や楽器でも拝見したいものです。



最後に大本命の「半蔀」ですが何よりもまず小鼓の響きがあまりに美しく、終始聴き入ってしまいました。ちょうど「半蔀」のタイミングで会場外から救急車のサイレンが鳴り響いたり、見所から携帯電話の着信音が轟いたりと色々あったのですが…どれほど気が逸れようと引き戻される存在感と安心感のある小鼓の音色に本日の観劇体験が救われたような気がいたします。
もちろん鼓と聞いてすぐに想像されるような大鼓のように派手に響く訳ではないのですが、しっかりと耳に届く小気味良い音のまろみが大変美しく、もっと聴きたいと心から思いました。この日の小鼓は大倉源次郎さんという方だったようなのですが、絶対にまたこの方の小鼓を聴きに行こうと思います。


・・・と、いきなり話が逸れましたが。「半蔀」の内容も扮装や立花供養など見所満載でした。

あ、そうそう。紹介しそびれました!今回の公演はとーーーってもスぺシャル!なんと立花供養という小書き付きの公演だったのです。
皆様ご存じの『源氏物語』に登場する「夕顔」を題材としたお話が能「半蔀」なのですが、、

  【京都の雲林院で夏安居(ゲアンゴ)という禅修行をする中で「そろそろ修行もラストスパートだからお花の供養をしようかな~~~」と僧侶が立花供養を行っていると、どこからかフラリとドえらい綺麗な白い花を手向けに来た女性が。その女性に名を尋ねたら「名前はいずれわかること、ちなみに住んでるのは五条のあたり」とのご回答。そりゃもう、気になるし、五条あたりまで行くっきゃありませんね!さてはて、僧侶は無事に彼女のお話が聞けるのやら。何が語られるのやら。】

超意訳ではありますが、そんなところからお話が始まります。ザっと解説を聞くだけでもお花がキーワードとなりそうな香しい公演ですが、普段は謡でのみそれらの様子が表現されています。
ですが…なんと…今回に限り……!?
そう!実際にお花も出すよーーーーー!!!!!というのが小書き付きの特別公演というワケ。うんうん、能楽師さんの美しい舞だけでなく綺麗な生け花まで観られるなんて。財布の紐全開放。さぁ張り切って行きましょう。

そんな期待に胸を膨らませた「半蔀」公演。
アイとして登場された方の腰帯が花柄であったり、前シテの方の装束が花々の吹き寄せ柄であったり……とにかく花尽くしの鮮やかな舞台でした。さらには会場の入り口から階段まであらゆる所に、今回の公演用に花を生けた華道家の大塚理航さんの作品が並んでおり、会場へ入るまでも花尽くしになるよう演出されていました。


しかし!
いよいよ舞台上の立花供養で登場した花は、なんと木々や葉がふんだんに使われ青々とした逞しい雰囲気のものでしたため少々面食らってしまいました。とはいえ能楽堂の暖色照明に照らし出された葉は温かな彩を舞台上へ加えており、謡の描き出す世界観との共鳴が華やかなものでした。
うーーーーーん。それでもやはり直球に「花!」という生花を想定していた私にとっては舞台上に花が足りない。
そんな焦ったさを感じていた次の瞬間、板の上に進み出た後シテ・夕顔の美しさよ。
あぁ、花はここに在った。
白を基調とした長絹が眩しいくらいに輝いて、視線を全て攫っていく流石の華でした。


***


ちなみに、公演が終わって作り物が撤収される時に立花供養の花がくるりと回されて漸くその生花を正面から見ることが叶ったのですが……ありました、ちゃんと白い美しい花が。
なんと私は脇正面に座っていたために公演中は生花の後ろ姿しか見えていなかっただけなのでした。これにはもう全力でズッコケていたのですが、ある意味で良い思い出かもしれません。それにしても、生花の後ろ姿しか見えていなかったからこそ、夕顔という花の盛りを特等席で見られた…なんて考えれば脇正面で観る景色もまた一興な気がします。


このような学びの多い観劇が終わり、最終的に座椅子型の観劇に慣れていなかった私は足腰を完全にやられ、タタラを踏みつつ大笑いしながら帰路についたのですが実に楽しく思い出に残る時間でした(笑)


こんな観劇体験、こんな1日。
曲目・役者・扮装・舞台それぞれの組み合わせ次第で、そこには全く別の唯一無二の作品が生まれる。
表参道に能楽堂があるなんて知らなかった。ねぇ、もしかしたら貴方の通勤・通学の道すがら、自宅・実家の近く。思わぬところにもあるのかも。

ちょっと、今触っている電子端末で「能楽堂」とか「劇場」とか調べてみませんか。

AM03:38


空っぽになったスナック菓子の袋と目が合う

同じく空っぽのパソコン画面が私の顔を照らしだす

心は忙しないのに、書きたい言葉はなにも浮かばない

そういう日。