白夜小町

一人の少女がいた。余命は百余日らしい。
純白のシーツの海に、それよりも真白に輝く肌の彼女は今日も揺蕩っていた。

毎日決まった時間に決まった顔ぶれの看護師が、真っ白な救難ボートをごろごろと転がして食事を運ぶ。少女へ今日の気分を尋ねると、点滴のチューブを一撫でして踵を返す。そうして看護師が水平線へ消えてしまうと、また少女は純白の大海原の遭難者となるのだった。

清潔すぎる大海原、静かで眩しく、どこまでも暗い。両の足が地を踏むことは夢物語である。そこにはただ流され続ける命があるだけだ。そして命が高波に攫われることがないよう祈る。祈り続ける。

しかし実のところ、この海は豊かであった。
病室の周りにはあらゆる移動式販売の商人や出店が揃えられ、さらに八つ時には毎日別の大道芸人が彼女の元を訪れる。少女専用の世話人も、家庭教師もなんだってベル1つで飛んでくる。この海には生活の全てが揃っていた。否、揃えられていた。病弱な愛娘のために金を惜しまなかった父親は湯水の如くその海を潤し温めた。もはや病棟とは思えぬほどに充実したその海は、さながら人形遊びの小さな町である。いつしかその病棟へ出入りする看護師たちは少女のことを「小町」と呼ぶようになっていた。

そんな小町に住む少女は今し方、悲痛な面持ちをした父親から己の命の期限を告げられたところである。それでも少女の顔は明るい。むしろ彼女の周りにはいつにも増して穏やかな海が広がっていた。

「ねぇ、お父様。最後のお願い。毎日私に会いにきて、百日だけでいいの。」



そして彼女の海を季節は穏やかに、しかし確実に流れていった。

「私、もうすぐ終わりなのね。」

そう口にする度に困った顔をする父親を、この頃の彼女はいつも満足そうに見つめていた。

ついに訪れた百日目。もう窓辺の影も伸び切って、海と空の境目がわからないほど真っ暗になってしまったというのに。少女はまだ待ち続けていた。死を告げる天使がいるのなら、それは父の姿をしていてほしい。そんな呟きは突如として引き起こされた荒波に呑み込まれた。騒がしい潮の音は少女を廻り続ける津波に乗せて運び出す。見慣れた看護師がこんなにも粗い手つきで彼女を連れ出すのは初めてのことであった。

何が起きたのか、まるでわからない。看護師に尋ねようにも水中にでもいるように声は満足に響かない。呼吸器をつけていても溺れ続ける自分の身を呪うしかなかった。

この百日目。少女は初めて父親に自ら会いに行った。看護師の波に運ばれて、流れ着いた先に少女の父親は眠っていた。だが、この海できょろきょろと辺りを見回しても父の顔だけが見えない。

「お父様、ねぇ、お父様はどこなのかしら?だってあれはお父様なんかじゃないわ。私との約束を破るなんて有り得ないもの。」

警察官や看護師が憐れむ手つきで海藻のように少女の背に絡みつく。

かつて父親として存在していた彼は、この部屋の誰よりも眩い純白の海に顔を覆われていた。



***




皆様こんにちは。今日の担当はまどか🐧です。何のことやらわからない謎の物語が突然始まって困惑された方もいるでしょうか。それはそれは申し訳ございません。

今日はせっかくなので本学の講義をひとつご紹介しようかと思いまして。昨年度自分がその講義の中で課題として制作した物語を載せてみたというまでです。

この講義の名前は「近現代文学講義2」。ご担当は鈴木美穂先生で、私の受講時は後期の金曜2限に開講していました。今は少し講義で扱う作品が変わっていますが、私の受講した際は島尾敏雄「夢の中での日常」・三島由紀夫「卒塔婆小町」・吉行淳之介「焔の中」・小島信夫「アメリカン・スクール」・深沢七郎「楢山節考」などの戦後日本、特にGHQ占領時の作品を扱って当時の日本の状況を様々な角度から考察していました。

その中でも三島由紀夫『近代能楽集』「卒塔婆小町」を題材とした回で、翻案の技法を実際に体験しながら学んでみよう!といった課題があったのです。たしか課題として「小町伝説」の「百夜通い」に着想を得て、学生たちが思い思いの物語を創作するようなことを促されました。その物語については①時代設定は現代、②「小町」または「深草」の語を使用する、③「百」という数字を使用するという3つの条件はあったものの非常に自由な創作が許されていました。

実際、友人たちと互いに作品を見せ合ってみるとどれも皆それぞれの世界観が展開されており、同じ材料で料理をしても料理人次第でここまで違う完成品になるのかと大変面白い時間でした!

このお話を聞いてからもう一度、私の創作した先程の小町の物語に立ち返ると「あぁなるほど」とご納得いただけるやもしれませんね。

さて、この講義では今ご覧いただいたように創作的な方法で近現代文学へ触れることができます。本学では「創作技法論」という超!!!大人気講義があるのですが、そちらは抽選(受講人数制限)の厳しさから断念する方も多い。私もその一人です。ですからもし近代文学がお好きで、さらにちょっと創作的な方法で学びたいというお気持ちがあるのなら、是非とも鈴木美穂先生のこの「近現代文学講義2」をおすすめしたい!!

もちろん課題などやるべきことも多くありますが、実践的に学べるためとっても楽しいです。来年度以降のご講義がどうなるのかはわかりませんし履修の際はきちんとシラバスをご確認いただきたくはありますが……。最近、4年の身として卒業を意識すると「そういえばあの講義楽しかったなぁ」と年寄り臭いことを思わずにはいられないため懐古厨ブログを認めたというワケです。

はァ〜〜〜よっこらせ。卒論書かなきゃ。それではまた。

〈追伸〉
最近同じく4年生の方のブログを読んで、あァ自分もバッテリー切れに気をつけなきゃな〜なんて思いつつも寝不足&体調不良のコンボを華麗に決めています。バッテリーは悉く傷めつける質です、私は。
バッテリーがいかに元気でも……いつその手から本体がスルリと零れ落ちるかわからない。それが人生の面白さであり怖さですね。

進んでAIを頼るべし

ちゃっぴー、でしたか。随分と可愛い渾名がついたモノです。そのくらい私たちの生活には今AIが身近な存在となっていることを、日々ひしひしと感じます。

AIと一口に言っても様々な性質のモノがありましょう。それ故におしゃべり相手であったり、何かを教えてくれる先生であったり……はたまた代わりに仕事をしてくれる相棒でしょうか。兎に角めいめいの付き合い方があるのです。


今日はその中でも生成AIなるモノ。文章から画像、動画……望み通りの創造物を作り上げてくれるようなAI使用のお話をしましょう。


***



例えば、就職活動でエントリーシートを書く時。
例えば、学校の課題のレポートを書く時。
例えば、ポスターやプレゼン資料の彩にイラストを加える時。

「それAIでやったら?」「私はAI使ってるよ」「AI使えば一発でしょ」


ここ一、二年で突然そう言われるようになりました。SNSを眺めていればAIを使いこなすための動画が所狭しと並び、プロンプト配布が大手を振って行われ、、、大学の授業でも時代に合わせた使い方を学ぶ機会を沢山いただいたものです。課題としてAIでイラストを生成してみよう!なんて物珍しい指示をいただくこともありました。


そうして実際に使ってみると思い通りの形に出力できるまでになかなかの根気が要ることで面食らってしまったほどです。お上手に使いこなせる方はすごいなあと素直に思います。


その時とある方は「〇〇風に」という指示をAIに出せばそう寄せられると実演してくださり、ジ●リ風だとかビッ●リマンチョコ風だとかそれはもう思いつく限りの面白さを見せてくださったのですが……
私がいざやってみろと言われると、打鍵の度に神聖なナニかへナイフを突き立てているような、己の指先がぐちぐちと肉片を抉り撫でているような。その不快感がまとわりついて消えないのです。本来のどなたかが描かれたであろう、創り上げてこられたであろう創造性を犯す感覚。なんて横暴な侵略、略奪、侮辱。それをその場にいた誰もが平然とやっている恐ろしさに今すぐ叫び出したくなりました。

あぁ、しかし、そうなのだ。時代の流れというものはそうなのです。この国は、文化庁は、「柔軟な権利制限規定」を整備した。「権利者に与える不利益が軽微」であれば権利者の許可なく第三者が好きなようにソレをして良いと。言った。


今時、こんなことに拘って嗚咽を繰り返しているのは紛うことなき時代遅れの人間なのでしょう。この社会を歩く中で自分という人間がいかにマイノリティであるかじくじくと身を焦がすように思い知らされます。
課題や就活に臨む時、なんどもなんども機会はあった。要請もあった。それでもやはり強制された時以外にAIへ触れることがためらわれました。根本的にその恐ろしさと悍ましさ、特に権利問題の歪みに嫌気がさすのです。

もちろん賢い使い方というものはございましょう。モノに罪はなく、全ては使う者のモラル次第です。そして便利さは常に希求されるモノでありあらゆることに世代交代、そして犠牲は付き物です。無自覚にもそういったものを踏みつけて恩恵を享受して、きっと私も生きています。ですから、自分がようやくその技術革新の時代に立ち会ったとき、それを批判する権利なんてないのかもしれません。


ですが、それでもこの拭いきれぬ不快感とやり場のない憤怒、失望を私は文字にします。誰かに一蹴されても鼻で笑われるだけだとしても言葉にします。誰もが納得していると!誰もがその変化を賛美していると!!決して思われたくない。

失望についてもそうです。私が今いるここは文学部。文学という芸術を研究し、そして日々その偉人たちの遺した著作物にお世話になっている。そういった特性もあってか文学的な創作物への扱いはとても丁寧です。だのに、創作物が文学以外になった途端その無関心はどうしたことでしょう。他の芸術作品にだって同様のリスペクトと慎重さを以て然るべきではないのでしょうか。

便利な道具を使うのなら、それをしっかりと御するための知識や良識も伴っていなくては。爆走するスポーツカーに引き摺られて公道を走るような真似はしたくありません。
こういった主張は「食わず嫌い」だとお思いになりますか?いいえ、いいえ、決して私めそれはいけないと思いました。ですから大学では進んでAI活用の講義を受講し、ICT関係の資格も色々と取りました。AI推進派の方のご意見も積極的に拝読して納得する時だってございます。それでもなお、吞み込むことの出来ない蟠りを友人からは「AIアレルギー」だと揶揄されました。大いに結構なことです。


***




AIはあなたに創造性を貸し出すことはできても、あなたの一部になることはできません。授けることはできても同化はできないのです。

もし貴方が後輩に仕事を頼む時、簡単な絵で補足をしたらもっと伝わりやすくなるかも。
もし貴方がお世話になった人へ送る色紙にイラストを添えたらもっと華やかに温かいものができるかも。

でもそのいずれも咄嗟の、一瞬間のもの。わざわざAIに頼るのはかえって非効率なもの。
きっと「培った技術」というものはそういう日々の隙間を埋めてくれる存在。

そして簡単に技術が借りられる時代だからこそ考えてみてほしいのです。簡単に手に入るものは簡単に失われます。機械がなけれは何もできないじゃありませんか。

知識は財産、とよく言いますが。あれは不可視の不可侵の財産なのです。それを可視化したAIで取り繕ってしまったら、簡単に奪われる、失うものに成り下がってしまうのでしょう。
今一度考えてみてほしい。貴方が得たいのはその外付けの工事不要の技術なのか、苦難を積み重ねて大工事の末に手に入れる技術なのか。




***






さてはて、ここからはもう完全な蛇足です。脱線します。
先程まではイラストが特にわかりやすいからこそ一例としていましたが、それは文章についても同じこと。言葉に著作権や権利を持ち出すことはイラストよりも難しいのですが。せっかくです、権利などというロジカルなお話ではなく主観的で咽せ返るほどの感情論をここに置いておきましょう。せっかく「私」が、書いているのですから。



————-
言葉を一つ二つ三つ……そうして丹精を込めて並べ立てていく。そんなドミノが、ある時ふと何かのはずみで倒れ始めたら私のことなど追いて行ってしまうでしょう。

そしてドミノの最後。私が意図を以て並べていた言葉たちは、そのラインをほんの板一枚分だけはみ出すのです。

その余剰。余剰こそが言葉の自走だと思うのです。私はそれが見たいのです、それに魅せられているのでございます。
————-



これこそ文章を作ることの楽しみだと思うのです。自分で意思を持って積み重ねても文章にした瞬間どこかで意図せぬ事故が起きる。完璧ではない文章。完全には扱いきれない言葉たち。その自走。
それらはプロセスあってのもの。ゼロからイチを生み出すからこそ見えるイチテンイチ。

最初からイチだけを正確に出力するAIの文章では立ち会えない面白みです。



こんなことを私は日々考えています。そんな生き方を選んでいます。
頑固でどうしようもない人間だとお思いになりますか?それならば、貴方様はきっと柔軟な人間だ。進んでAIをお使いになったらよろしい。





まどか🐧

カンゲキロク

こんにちは。画面の向こうの貴方様。本日の担当はまどか🐧でございます。好きな食べ物は白米。苦手なものは辛いもの。そして趣味は観劇。どうぞよしなに。

ところで趣味に観劇をあげると、どなたかご贔屓の役者がいるの?それともお好きな劇団が?と訊かれることもございます。

しかしながら私め。そのようなもの待ち合わせておらず、どうも弱ってしまいます。特定の何かや誰かが好きならば容易に華麗にぽんぽんぱーんと会話のキャッチボールをこなせましょうに。

私めが好きなのはどこまでいっても「演劇」で「観劇」そのものが趣味なのです。



ですから、ジャンルにもあまり拘りがございません。オペラ、ミュージカル、歌舞伎、能楽、文楽、2.5……大衆演劇や小劇場演劇も大好きです。
観劇の頻度は月に3~4回。つまり年間では40公演くらい観ていますし配信や円盤を含めれば本当に時間もお金も湯水の如く、といった具合でしょう。褒められたことではない病的な執着。それでもどうしたって私には演劇がなければ。芸術がなければ息ができないのです。どれだけ上手に生きてもどれだけ真摯に現実と対面しても、くぐもった音としてしか響かない言葉の数々に、空気感に、毎日生き苦しさを覚える自分。幼い頃はずっと自分を魚だと信じていた。こんなにも肺呼吸が向いていない自分に絶望しながら。

けれど、劇場は違った。唯一あの場所でだけは呼吸ができる。
板の上でまばゆい光に焼かれ続ける彼らを見ていたら、心臓が途端に仕事を始めるのだ。あぁ自分も生きなければ、と。


作り物の人生だけが、何よりも強く美しく生きていた。そう生きたいと思えた。美しい偽物の人生を。
以前のブログでも言葉にしたがやはりそうなのだ。私にとって演劇は心臓の在り処を教えてくれるもの。凄まじい電撃を放つAEDのようなもの。



***



悲劇、喜劇。
この世は舞台。人は皆役者。
なればこそ己が舞台の徹頭徹尾唯一の観客たる自分自身へ、失望させぬシナリオを!



観劇においてなぜわざわざ「悲劇」を観るのか。それは人生に備えるためかもしれない。
この先の小説より奇なる現実を生きていくために、何があろうと折れぬための心の備え。作り物の悲劇などよりも、惨い現実。それに耐え得る柔らかな生き方を持つ手がかかりになるだろうから。



演劇はたしかに映画やほかの芸術に比べて、ふと思い立った時に気楽にいけるものとは言い難い。だけれどもそこが好きなのだ。
今日も私は来年の春の演劇チケットを購入した。だからきっと私は来年の春までは生きているのだろう。
そうやって何度も継ぎ足して、継ぎ足して……生き永らえる。



ええ、こんにちは。私の趣味は観劇。
そして観劇は私にとって自分の未来を買うこと。

趣味を仕事にするべきか

趣味を仕事にするべきか。はたまた趣味は趣味のままにするべきか。


ねぇ、アナタはどう思う?




***


「そうですねぇ。趣味を仕事にする。別にいいんじゃないですか?」

ズイブン簡単に言ってくれる。そりゃそうだ、アナタの人生じゃないもの。でも、この質問をして「いいんじゃない」って言ってくれたのはアナタが初めてかも。



就職活動を続ける中でたくさんの人生の先輩からご助言をいただく機会があったけれど、何度も同じことを言われたわ。

【趣味は趣味のままで楽しむのもいいんじゃない?】

【好きなことが向いていることだとは限らない。】


そうだろう、そうだろう。そうなのでしょうね。冷静に考えて……

◉自分の能力適性
◉目指す世界の門戸の開かれ具合
◉生計を立てられるか

簡単に3つあげただけでも眩暈がする。これら全てが合致するものを探さなければ……いかな楽観主義者であろうとも生きていくことが難しくなる。人生が立ち行かない。だって、ねぇ、理想は食べられないのだから。



「アナタは何をそんなにうだうだと。結局、アナタは何になりたいんです?小学校の卒業式でしたか、体育館で叫んでいたように気軽な気持ちで夢を掲げればいいじゃありませんか。」


そう?そんなに気軽に?なら言うわよ、私はエンターテイメントが創りたい!
アニメ、漫画、小説、ゲーム、演劇……あらゆるエンターテイメントが私の人生の彩で、大切な趣味。

そういったステキなものがこれから先もずっとずっと続いてほしい。他でもない私自身のために。それらがなくては息の仕方もわからない自分のような者のために。


大きな口を叩いてみたけれど自分のような者が他にも大勢いることを知っている。そしてその大勢に比べて自分が何も秀でていないことを、知っている。理解している。

畢竟、私が夢を追うことは正解ではないのだろう。だからこそ止めてくれた人が沢山いた。私が正解を選べるように親身になってくれた人がいた。


だが、正解だけが人生なのか?正解ではない人生を選ぶ贅沢が眼前にあるのに。

私とて愚か者だが考えなしの馬鹿ではない。諦めた方が時には賢明なことを実感として承知している。故に私は今まで数えきれないほどのものを諦めてきた。諦めて、諦めて。そこまでしても諦めきれなかった唯一のもの。

演劇。

ずっと好きだったもの。心の支えだったもの。人生の標としてきたもの。


「驚いた、アナタってそんなに情熱的なところがあったんですね?」

私だって知らなかった。けれど就職活動を大学の2年生から初めてほぼ3年間続ける中で30社以上落ちて、落ち続けて、それでも嫌いになんかなれなかったんだ。諦める選択肢に縋れなかったんだ。最善策も最適解も救いにならなかった。

「そう、それはよかったですね。でもそこまでして掴んだ夢の先で、それが描いた夢の通りじゃなかった時に得る失望も大きいでしょうに。恐ろしいとは思わないのですか?」

なら、遠くから眺めていれば失望しないと?夢は夢のままでおいておけば綺麗な幻想として今後も愛せると?

それこそ幻想だ。近くにいようと遠くにいようと失望する時はあるさ。それならば観客としてではなく当事者として失望したい。そのほうが、ずっとずっと納得がいく。

妥協して選んだ正解よりも、自分で選んだ後悔のほうが幸せだと信じたいのだ。


***



そんな風にガムシャラな歩き方をずっと続けていた。エンターテイメント業界は煌びやかで、多彩で、しかしその席に座れる者は多くない。当然ながらそのレースに加わろうとするだけでも一苦労だ。


エントリーシートの内容は独創的で重厚、時には50問以上あることも。動画やイラスト……その他様々なものを制作することだってある。ナニか自分以外の技術に頼るような賢いマヤカシなんて通用しない世界だ。


それを繰り返す日々。
ひとつ不正解を貰うたびに自分の強がりが剥がれていく。


だからこそ、これが正解の道だとも、おすすめの道だとも嘯くことはできない。


それでも私はここに残したい。
いかに非合理的な選択であっても、いかに打ちひしがれようとも、徹底的に愚かな、そして自分自身に誠実な人間であることの幸福を!


その諦めの悪い足掻きの先に、私は幸運にも夢を掴むチャンスをいただいた。こんな自分にはきっと分不相応な素晴らしい機会を。



***


だからこそ、もし同じように己の夢の眩しさで目が眩みそうになっている方がいるのなら是非ともその瞼を閉じないでほしい。

瞼の裏の情景に押し込めてしまうのはあまりにも寂しい気がするから。

趣味は趣味、仕事は仕事。
それもまた温かいステキな向き合い方の一つだ。

だが一方で趣味に命をかけることだって選択の一つなのだ。理屈ではない、自分の情念に人生を賭ける。その平坦ではない逸れた旅路を選ぶ権利は、現代において幸運にも多くの人が持ち合わせている。


茨の道にこそ美しい花が咲くことを、どうか確かめてみませんか。



まどか🐧

日常

私は今21歳である。いや、大学4年生である。


大学という場所やそこで過ごす時間は「人生の夏休み」だとか「モラトリアム」だとか色々言われるが、その正確性はさておき「まだ社会に出ていない」ことだけは確かだ。そしてこの大学4年生という身分は社会に出るべく奮闘せねばならぬものらしい。少なくとも私めはそうである。

ほにゃららナビだとか、某キャリアだとかどいつもこいつも青白い顔をしたあぷりけぃしょんと日夜にらめっこを続けては説明会やら面接やらに駆け込む。スーツの洗濯は間に合わないしヒールで踵も精神も擦り切れる。


まぁしかし、そんなことは良いのだ。それよりも困るのは面接。面接で聞かれるこの質問。


「 アナタの挫折経験を教えてください 」



挫折、挫折……。

単なるミスとは違う。挫折。長らく努力していたものだとか念願が夢破れる瞬間。それは確かにとても重たい経験だ。下手をすればその人間の人間性をも変えてしまう。

これがただの飲み会トークであれば気兼ねなく自分の恥部を曝け出そうものを。ところがどっこいこちとら文字通り人生を賭けた「面接」なのである。


考えあぐねてインターネットなんかをフラフラリ。例文だとか模範回答とか少しでも見習いたいものと彷徨えば、高校時代の部活動のお話なんかが素敵に出てきた。

おぉ、大変くればぁーなり。

たしかに大学時代の挫折経験よりも既に終了した高校時代の挫折経験のほうが、それを受けてどう改善したかという後の時間軸にまで繋げられて素晴らしい。直近すぎないお話であればその自らのマイナス要素も心象を悪くしないで済むだろう。


それならば是非、私めも実践を。喜び勇んで己が高校時代に想いを馳せたはいいものの……。


ない。

高校時代の思い出?困難?奮闘していたもの?


つい4年前のことであろうに記憶はだんまり。何も語り得なかった。
考えてみればそれもそのはず。1年生の間はずっと分散登校で隣の席の学生とすら顔を合わせたことがなく、部活動は全ての大会が中止。学校行事はビデオ映像をもとにレポートを書くだけ。日々の昼食も自席で黙食。入学式はもちろん卒業式まで学年全員で一堂に会する機会はついぞ訪れなかった。


無論、部活動を始めとしてそのような中でも自主的に楽しく過ごしてはいたが。

大会も行事もなにもない。なんの成功も失敗も、即ち挫折もなかった。

失敗も挫折もない時間、それはある意味で成功なのだろうか。幸福なのだろうか。
どう考えても答えは否である。失敗も挫折もない時間はただの空虚だ。




勘違いしないでほしい。これは愚痴でも糾弾でも自己弁護でもない。

私の備忘録である。私は、いつかの日の自分にこの悔しさを忘れないで欲しいのだ。



コロナ禍とかその他の様々な天災とか、自分たちの力ではどうにもならない大きなものに何度も打ちのめされてきた。

正しさの色が一色だけじゃないことを、正しさ同士はぶつかりあうことを、何度も何度も目にしてきたから
あるべきものが自分の信じるあるべき姿であることに、非常なありがたみを感じるのです。




就職活動はとても苦しい。どれほど嫌でも己の人生を、今まで歩んできた道を採点せねばならない。
そしてその道にぽっかりと空いた大穴があることから目を逸らすのは不可能だった。


安心しろ、そして絶望しろ。
穴が有ろうと無かろうとお前の人生は続いていく。誰の人生もそうである。


ならばお前はドーナツの穴を見るのか?




まどか🐧

ひの新選組まつり:隊士パレード体験記

皆さまこんにちは。今日の担当はまどか🐧です。
大雨が降ったかと思いきやカンカン照り……を通り越して最早殺意すら感じるガンガン照りになる日もあり、寒暖差に往復ビンタを食らいつつ薫風香る五月。いかがお過ごしでしょうか?

私はもういつ衣替えをしていいのか全くわからず、冬服を仕舞おうと手を伸ばす度に突然の寒風から手酷くぶっ叩かれる。阿吽の呼吸でズレ込んだ餅つきが如き情けなさでございました。

お〜いぉぃおぃぉい。

さぁサメザメと9文字も使って泣きましたが、涙の内訳として【衣替え大惨敗】なんてのは2文字程度なもんです。むしろ6文字くらい占めている大号泣案件は他にある。そう、アルバイトと卒論と就活。

全方向からタコ殴りにされていてタコも顔負けの赤々とした痛ましさ!「ゴールデンウィーク」と書いて「接客業残業フィーバータイム」と読むことを是非覚えて帰ってください。といったような充実したゴールデンウィークを過ごしていたのですが、それでも腐らずに頑張れたのは1日だけ本当に楽しみにしていた予定があったから!!!涙9文字の内の1字だけは嬉し涙ということです。

さぁ本日お話いたしますは5月10日の思い出話、よければちょいとお付き合いを。


※本ブログでは沢山の人物名が登場しますが敬称略のスタイルで失礼いたします。ご了承ください。


舞台は東京都日野市。JR立川駅なんかがあるあたり。
この日野市と5月11日という日付で思い浮かぶ人物といえば……?


そう、新選組副長・土方歳三!
土方歳三の出身地である日野市では、彼の命日である5月11日(旧暦)にちなんで毎年5月の第2土曜・日曜日に「ひの新選組まつり」というお祭りが開催されています。

イベント当日は木製の通行手形に焼き印を押してもらえる本格的なスタンプラリーや、新選組のだんだら羽織風の様々な限定グッズなどなど多くの出店で賑わいます。それだけではなく土方歳三の故郷である日野市には試衛館時代の彼らに迫ることのできる多くの資料館や寺社仏閣が揃っているのです✨

そんな「ひの新選組まつり」では隊士パレードも見ることができます!
その名の通り、新選組局長の近藤勇や副長の土方歳三が率いる総勢200名近い隊士が隊列を組んで町中を練り歩くパレードとなっております。そしてこのパレードに参加する隊士はなんと全国から集った有志の新選組ファンの皆様なのです。

東京都日野市で開催される「ひの新選組まつり」の2026年のパレードの様子



しかもその参加は抽選によって決まるため、熾烈な倍率を勝ち抜いた方々が浅葱色を身に纏ってパレードを行うということ。その中には海外からお越しのファンもいらっしゃるようで……本当に素晴らしい熱意です、アツいぜ!!


そしてこの隊士パレードでは1~10番隊まで各隊を率いて下さる隊長がいるのですが、その隊長はさらに激戦。お祭り初日に開催されるコンテストによってミスター・土方、そして近藤局長、各隊長が決まるのです。
その凄まじい競争を勝ち抜いた今年のミスター土方は女性の方!その美しくも逞しい魅力に黄色い歓声が会場中で響いていました。どんなお姿か気になるという読者様は、ぜひTwitter(現X)などで「ひの新選組まつり」と検索してみてください。ミスター・土方となったご本人様を含めて多くの方がお写真を投稿されています。


そのような地元の皆様とファンの方々の愛情あふれるこのお祭りですが、今年は5月9日㈯に隊士コンテストが、5月10日㈰に隊士パレードが行われました。
私も今年は初めて隊士として二日目の10日に参加させていただきましたので今回のブログではその模様をお伝えします。このイベントを初めて知る方や隊士パレードの参加を迷っている方に届けば幸いです!





ズイブンと自然な流れで隊士パレード参加のお話をしてしまいましたが、そもそもなんで参加することになったんでしょう。正直自分でも疑問です。

新選組のファンだったのか?と聞かれると私はむしろ新政府軍のほうに関心が強かったので、どちらかといえばそちらのほうが詳しかったくらいです。ですが大学2年生の時に出会ったとある友人が新選組に大変お詳しく、その子に導かれるまま「薄桜鬼」というゲームをやってみたり『新選組顛末記』(KADOKAWA、2017年)を買って読んでみたり……気が付いたら年に何回か日野市へ足を運び、如意山宝泉寺に日野八坂神社、井上源三郎資料館に新選組ふるさと歴史館などなど多くの施設を観覧するようになっていました。

そのうちにこちらのお祭りにもお邪魔するようになり、、、沿道から眺めていたはずがついには隊士側へと申し込みをするように。

「こんなド素人が申し込んでいいのか」

という不安が終始あったものの、友人と一緒にこんなイベントに出られる機会はもう無いかもしれない!と奮い立ったというワケです。


・・・・・・までは良いのですが。
先程も申し上げたように、こちらのイベント【抽選参加】なんです。しかもかなり激戦の。
昨年の大学3年生の時に申し込んだ際はスッパリ落選し、ハンカチを噛みながら沿道で拝見していたのです。しかし今年はもう大学4年生。友人と気楽に休みを合わせて参加できるのはもう後が無いんだ!!と縋る想いで申し込んだところ念願叶ってようやく今年参加ができました。しかも彼女と同じ隊の隊士として!

そうなのです。実は申し込み時に備考欄へ「○○さんと同じ隊での参加希望です」といった内容を書いておくと、可能な限り一緒の隊で参加できるようご配慮くださる親切設計!
そしてそして、参加時には【衣装・刀のレンタル付き参加】と【自分で全て用意しての参加】を選ぶことができまして羽織や刀を持っていなくとも浴衣か着物一つと履物さえあれば誰でも気軽に申し込みできちゃいます。

気になる方はぜひこの募集要項の書いたサイトをご覧ください。
第29回「ひの新選組まつり」隊士パレード参加者募集
基本的に毎年1月頃に情報解禁がされ、2月頃に申し込みが始まるイメージです。今回ご紹介しているサイトは今年の分の情報となっていますので来年の申し込み時は最新情報をチェックしてみてくださいね。
そうそう、来年は記念すべき第30回目の開催。もし少しでもご興味があるのなら参加するっきゃないです!



初参加ということで色々と仕様がわからず大困惑パーリナイ状態だった私ですが、来年以降の自分への備忘録も兼ねて「あってよかった準備・持ち物」をまとめておきます。ちなみに当日の私の恰好はこのような形でした。






〈オススメの持ち物一覧〉



①すずしい浴衣!!!!
本イベントでは黒色系の和服の着用が必須なのですが、、着物よりは圧倒的に涼しい浴衣が良いです。特に今年が炎天下での開催だったこともありますが、どちらにせよ羽織と袴でかなりの厚着になりますので【黒色系のすずしい浴衣】これはマストかと。

②地下足袋
これは後悔ですね。私は身長を盛りたかったので地下足袋ではなく雪駄風サンダルで参加したのですが、朝から一日中のパレードとなると慣れない足袋や雪駄のダメージがハンパではありませんでした。
歩きやすさと足元の安全性を考えるのなら地下足袋にすべきです……。しかし私はどうしても身長をちょっとでも盛りたかったので、【REZEN (リゼン)】という和風ロリータブランドから発売されている雪駄風のスポンジサンダルを使用しました。木製の雪駄に比べるとクッションが効いているため足の痛みもかなり少なく済んだように思います。

③透明ヘアゴム、もしくはリボンやゴム紐
こちらは本当にあってよかったです。私は雪駄と足のかかとを固定するために予め透明なヘアゴムを持っていっており、それによって雪駄とかかとの浮き上がりを押さえていたことで、転んでしまうことや足を痛めてしまうことを防ぎました。
それ以外にもお手洗いなどちょっとした時に袖を留めることもできるため、ヘアゴムはあると便利ですね。私は百均で沢山入っているタイプのものを買いました。

④黒色系の目立たないサコッシュ
パレード中もスマートフォンや財布といった貴重品は持ち歩いているのですがその貴重品入れにサコッシュがオススメです。イベントのガイドなどでは巾着袋が推奨されており、実際にそれらを帯に挟んで袴を履くことも可能ではあるのですが……。どうしても巾着の重みで帯がズレてしまったり中身が取り出しにくかったりしますので、羽織の下に肩掛けができるサコッシュが非常に使いやすかったです!

⑤塩分チャージタブレットと冷えピタ
これはお天気にもよりますが、当日持ち歩く貴重品入れの中に少しでも忍ばせておくとかなり安心です。慣れない和服で街中を練り歩くというのは想像以上に体力を使いますので、熱中症対策はとても重要だと感じました。
この他にも絆創膏など靴擦れ対策があってもいいかもしれません。

⑥足袋ソックス
しっかりとした足袋の見栄えには若干劣るかもしれませんが、パレード中に留め具が外れる虞がないので足袋ソックスは実に楽でした。白色の足袋ソックスだと靴下感が目立つので黒色の足袋ソックスがオススメです。
上で紹介していた私のお写真で着用していたのは、過去に着物系インフルエンサーの「さんかく」さん×しまむらのコラボで販売されていた足袋ソックスです。はちゃめちゃに使いやすい。さんかくさんのしまむらコラボは最高です。今年の5月20日㈬からもまたコラボ商品が発売されますので是非。

⑦着付けで使う補正タオル
とっても大事です。思っていた以上に使います。普段はあまり使わずに着用されている方でも、当日はしっかり目に体型を補正して着付けていただくことがあるため、3~4枚くらいあると安心です。
また、当日はとにかくスピード勝負な着付けですので、もし余裕がありましたら事前に【腰紐とタオルを縫い付けた補正専用タオル】を作って持参すると助かるかもしれません。



以上の7点が実際に参加してみて感じた重要な持ち物たちです。
あくまでも私個人の感想ですがこちらをちらっと参考にしつつ、運営委員さんから参加者向けに送付される持ち物一覧のものをしっかりと用意すれば困ることはほとんど無いはずです。
なによりも大事なのは臨機応変に楽しむことですし!




そんなこんなで迎えた当日!
と、すんなり行けば良いのですが。まぁそうは問屋が卸さない事情の多いこと多いこと。

特に問題だったのは集合時間です。今年は一般隊士の集合時間が3つの時間にわかれており、私は最も早い7時半集合の回でした。それもそのはず、私は【衣装借用&着付け補助つき】・【抜刀練習つき】という超初心者フルコースで申し込んでいたのですから。

一般隊士として参加する場合は衣装の貸し出しの有無や抜刀練習の有無などご自身の状況に合わせてコース選択ができるようになっています。そのため初心者でもとっても安心。私もそれに甘えたのですが、問題は始発で向かっても間に合わないこと。私は千葉県在住なので油断していたというのが大きい。突然降りかかった前泊の必要性。世界中から人が集まる日に取れるホテル……まだあるのか!!!!????焦ってもしょうがない、私ももう成人した立派な大人なんだ、いつもは気にもならないスマホの顔認証に手こずりながら各種サイトを走り回り、手に汗とクレカを握り戦いました。私を称えましょう。たまたま空室のあった立川駅近辺のホテルを一室押さえることと相成ったのです。

うん。もし参加される場合、ホテルは早めに押さえるのがいいでしょうね。来年の開催日程はおそらく5月8日㈯と5月9日㈰です。抽選結果が出るよりも前に申し込んだ時点でホテルを取ってしまうと安心かもしれません。間違っても私のような無駄な前哨戦はおやめください。




*○*○*




さて、そんな人知れず行われていた戦いはどうでもよくてですね。
当日は私を誘ってくれた素敵な友人と朝の7時にJRの日野駅で待ち合わせて会場へ向かいました。

朝一で着付けを済ませた後には貸し出しの刀、打刀と脇差の大小セットで受けとりお待ちかねの抜刀練習へ。修学旅行の木刀土産よろしく、やっぱり刀を持つとぶん回したくなりますよねぇ。きっと全人類そうです。ご安心ください、腕が限界になるまで振れます。もう朝の抜刀練習だけで腕の感覚がなくなりました。現代の「スマホ以上に重いものは持ちませ~ん♡」なんて舐め腐った生活をしていた自分を恨みます。

私は情けない体たらくでございましたが、そのくらいたっぷり40分ほど殺陣の先生方に御指導いただけますので非常にありがたく手厚い運営です。

そしてそして隊士参加として自分が所属する隊の振り分けもありました!
一番隊を率いる沖田総司をはじめとしてきっと皆様推しの隊長や入りたい隊があることでしょう。私は永倉新八と井上源三郎が好きなため2か6だったら嬉しいなぁなんて思っていたところ・・・


なんと2番隊に所属できました!!!!めちゃくちゃ嬉しい!!!!!!!!!!!


念願の2番隊で臨んだパレード。午前と午後の計2回、来場者の皆様の前でパフォーマンスができる。
長いようで短いあっという間の時間でした。雲一つない快晴をそのまま映しとったような浅葱色の羽織を身に纏い、滴る汗で滑らないよう刀を強く握って思い切り声を張り上げた。
道路の中央に来たからこそわかる沿道の皆様方のステキな笑顔、沢山の新選組グッズ、そして寒色系のお色味のお召し物。その全てに溢れる深い愛情が美しくて、パフォーマンスなんか関係なく笑みがこぼれました。照り付ける太陽も慣れない雪駄も緊張した帯もそこでは全部気にならなかった。沿道から声を掛けてもらって、こちらも全力で返す。あの道路にはもう愛しかなかった。

道路を歩く隊士も、沿道でずっと待っていてくれた来場者の方もきっとみんな新選組が好き。
何かに夢中になるって最高だ。


好きな物を好きでいたい。そしてそれを全力で見つめたい。そんな風に改めて思いました。


それと同時に、好きな物に夢中になってる人の顔ってどうしようもなく魅力的で見惚れてしまいますね。皆様がそんなにも魅了されているもののことをもっと知りたいと強く感じました。頼もしい友人もいますので今後もさらに多くのことを学びたいものです。




このように初参加ながらも実に楽しい経験をさせていただいたワケですが、そこにはやはり所属していた隊の雰囲気もあったかと思います。
隊長の永倉新八さん役のかっこいいおじ様に率いていただいた今年の2番隊は隊士が18名。初参加の人からベテランさんまで性別年齢様々なメンバーが集っていました。そんな永倉新八隊長のおじ様ですがびっくりするほどフリーダム。そして明るい。

待ち時間に踊り始めたり、気づくと背後にいる吃驚ファンサービスを繰り出したり、隊を抜けてフラフラといろんな所へ行かれたり、隙あらば喉スプレー大量噴射されていたり・・・・・・
書ききれない。書いてよさそうな内容だけでも書ききれないくらいフリーダムで目が離せないチャーミングな方でした。それでいて、ものすごくメンバー全員のことをちゃんと見て下さっていて一人一人に必要な声かけをしてくださる。本当に心強い隊長さまでした。

色々とツッコミどころも満載でしたが。

全方位にファンサービスを繰り出す素晴らしい視野の広さとひょうきんな優しさ、あまりにも永倉新八が似合う。この隊長さまの様子も各種SNSに動画でアップされていますので是非ひと目だけでもご覧ください。きっと笑顔になれます。

2番隊の皆様、改めて本当にありがとうございました。




私は友人と同じ隊にしていただいていたので安心だったこともありますが、そうでなかったとしても参加者の皆様大変にフレンドリーな方ばかりでとても温かい雰囲気です。待ち時間にもたくさんの方が話しかけてくださいました。
しかも多くの方が新選組好きという共通の話題がありますので、お話のタネに困ることも心配無用というワケです。もしかすると同じ隊になったことなどをキッカケに思わぬご縁にも恵まれるかもしれませんね。


子供から大人まで参加できる「ひの新選組まつり」。
人生なんて長いようで短くて、楽しいようで退屈で、けれども「日常」に「非日常」を吹き込むのは貴方次第。
この記事をここまで読むくらいにはご興味があるんです。あとはもう百聞は一見に如かず、ではありませんか。

嘘つきは冬のはじまり

また季節が巡り、気がつけば春。一つ上の先輩方のご卒業がまだ実感を伴っていないような、けれどふと隣を見やれば寂寥感が確かに佇んでいるような。きっと新学期が始まれば教室でそのお姿をお見かけできないことがようやく実感できるのかもしれません。いつも心は遅れてやって来ます。

しかし、心の訪れを待つよりも早く素晴らしい方々がお越しになる季節でもありましょう。新入生の皆様、ご入学おめでとうございます!皆様が本学にお越しくださったことをとても嬉しく、そして同時に自らの4年前が懐かしくも感じられます。ここからの数日間はオリエンテーションなどで慌ただしい日々が幕を開けますが、先生方をはじめとして温かい方ばかりですのでご安心ください。

改めまして、私はブログ部4年のまどか🐧と申します。明治時代あたりから現代までを幅広く扱う日本近代文学と、そしてペンギンをこよなく愛している……現実でも文面でも喧しい一学生です。ちなみに私は僭越ながら今年度のオリエンテーション委員を務めているため、新入生の皆様をお手伝いさせて頂ければと思います。困ったことがあれば、というか無くてもいつでもお気軽にお声がけくださいね!新入生とお喋りしたいのです!!


せっかくですから老婆心に任せて、新入生の皆様にオススメしたいことや過去の経験談から後悔していることなんかを少々ご紹介します。

まずは後悔していること、ですね。主観と偏見に塗れたオススメ話なんかよりも先達のしくじった話のほうがよほど役に立ちそうですから。

【履修登録】 後悔度:★★★★☆
4年生になった今、後悔しているのは1年生の時の履修です。履修についてはオリエンテーションでもいくつか解説があったと思いますが、自分自身の今後の時間割を作る作業といったら分かりやすいでしょうか。本学の今年度の履修登録期間は4/4(土)10:00〜4/7(火)13:00までとなっていますが、一応その後の4/15(水)10:00〜4/17(金)13:00に「履修訂正期間」というものがありまして、そちらで履修を再修正することも許容されているので1回目の履修登録はそこまで緊張しなくとも大丈夫です。

それにしてもこの履修登録、はじめてのことだと右も左も分かりません。

SNSなんかを眺めているとフル単が基本!!早く取り切って4年生は遊ぶのが当たり前!!だなんて元気よく言い放つどこのどなただかも不明な発信と出会うのですが。そのようなものに不安を煽られて単位を無理に詰めてしまったところ……体力が追い付かない&期末の課題に手が回らないという事態が発生しました。

その結果、体調を崩しかけただけでなく、GPAという成績評価の面では今でも尾を引いています。これほど負担が大きくなってしまった原因はやはり授業・通学時間の長さでしょうか。

授業時間は100分に、そして私の場合は通学時間が約2時間に。それらは想像以上に体力・精神力へ影響を及ぼしていました。そして授業だけでヘロヘロ……となればサークルやアルバイトにも支障をきたします。ですから、どうか皆さん計画的かつ心身に優しい履修をお願いします。




【サークル】 後悔度:★★★☆☆
続いての後悔はサークル選びです。私にはずっと入りたいと思っていたサークルがあったのですが、その活動時間がかなり夜遅いことから「体力的に授業と両立できる気がしない……」と、最終的に諦めてしまいました。しかしながら必修授業の多い1年生を乗り越えてさえしまえば、その後の2年生からはかなり柔軟に時間割を組めるためサークルのために体力を残すような編成にすることも可能だったのです。それであれば、1年生のうちはそういう事情も踏まえてサークルの先輩に相談するなどして無理なく始めていけばよかったのでしょう。もちろん、2年生など途中からサークルに加入することもできますのでじっくり考えてから決定するのも大切です!実際に私も3年生になってから新しいサークル(メディア研究会)に入るという暴挙に出ました、そんなのを許してくれる優しいサークルさんでよかったです😌

ですが、やはり1年生の時から入っていればこその深い人間関係というものはありますから折角なら1年生の時から入っていれば良かったなぁとばかり思っています。

そのような訳で新入生の皆さんには色々なサークルさんをご覧になってほしいとも感じています。今年度は4月9日の11:00〜16:00の日程で自治活動オリエンテーションが実施されますので是非そちらを覗いてみてください。オリエンテーションと名はついていますが、別に説明会のような堅苦しいものではなく……むしろ文化祭のような、自由に皆さんが行きたいところを好きな時間だけ見て回れるといった形式です。私も香雪館の306という教室でメディア研究会のメンバーとしてコスプレをする予定です。刀剣乱舞の薔薇の似合うあの子をやらせて頂いておりますのでご興味のある新入生さんはお気軽にいらしてください♪

さてさてこのような後悔は数え始めると意外とあるもので「後悔しないこと」をモットーにしている私にしては珍しいなぁと我ながら少々呆れておりますが、★★★★★と星が全部埋まるほどの後悔は一つもないような気がします。それはきっとこの大学の日本語日本文学科で出会えた教授や友人、そして知識が私の人生の中で最も楽しく満足で真新しい物だったからでしょう。

特にこの学校で出会えた先生方のことが私は大好きでそして心から尊敬しています。どの先生方もご自身の専門分野を愛しておられるのが授業を受けているだけでひしひしと伝わってきますし、そのお姿が楽しそうなのです。熱意だとか、わかりやすさだとかそういうものじゃない。目の前にいる先達が楽しそうであれば教わる者としてこれほど魅力的に感じることはありません。そして何よりも全員クセがお強い。入学前に見た大学の口コミサイトで「クセの強い良い先生が沢山いる」というコメントを見て「???」と首をかしげにかしげておりましたが、、、納得しかありません。うん、強いなぁと思いながら毎日講義を受けています。

私は……田中先生、福田先生のお話のテンポ全てがツボに入ってしまって授業中いつも笑いを堪えています。石井先生、渡部先生の授業では研究の楽しさと厳しさをじっっくりと学べましたし、女性の生き方としてこんなにもカッコいいと思える方はいません。そして林先生や村山先生の丁寧で細やかな授業の構成や資料は授業内容だけではない多くの学びをくださいます。また、坂本先生や鈴木先生の楽しげな表情と多彩な授業資料は最前列の席で浴びる時の浴び心地が段違いです。そしてそして、山口先生はその物腰の柔らかさと学生の学習意欲に対する大らかなご対応など、これほど「せんせぇ〜😭😭」と呼びたくなる方はいません。

人生というものの醍醐味が「どれだけ面白い人と出会えるか」だとしたら、私の人生のこの4年間は間違いなくダントツの濃さです。この先の人生でこれが超えられるのか心配になるくらい、友人たちも皆インパクトの強い素敵な方々なんです。

ですから、私から最後に一つオススメを。大学という自由で混沌として目まぐるしい空間を恐れないこと。少しでもいいから飛び込んでみること。即ち、迷ったら飛び込む!とりあえず連絡先は交換しておく!といったことです。嫌なら辞めていい。辞めるのも距離を置くのもいつだって出来る。社会人になったらそうはいかないかもしれないけれど、大学ならきっと大丈夫です。

私は、大学がモラトリアムだなんて言われる理由に4年かかってようやく気がつきました。どうか新入生の皆さんの過ごす4年間が、ご自身の人生の中で振り返る価値のある時間になるよう心から祈っています!

能楽堂への誘い・肆

皆様こんにちは、ここのところは寒暖差の激しいお天気が続き……「三寒四温」などという高校受験くらいでしか見かけない四字熟語が脳裏を過りました。相変わらず花粉症にも苦しめられ、息をするだけで苦しいだなんて花粉症の民は一体前世でどんな胸躍ることをしでかしたのだろうと宿世に想いを馳せております。えぇご機嫌麗しゅう、本日も高らかに冗長なる情緒が零れる与太話、担当はまどか🐧でございます。

まぁ気が付いたら3月にもなり、毎年ブログに花粉への恨みつらみを書き連ねる時期がやってきたナァと嫌な恒例行事になっているのですが。
嬉しい恒例もあるものでして。その恒例というのが……「粟谷能の会」!!!




毎年3月初旬に千駄ヶ谷にある国立能楽堂にて催されている能楽の公演です。
ちなみに私は本学へ入学し舞台芸術の歴史・東洋という、当時は石井倫子先生のご担当であった授業で能楽の世界に関心をもったので……能楽について詳しいか、と問われますとまだまだ初心者の未熟者、勉強中の身でしょう。

そんな私めにとって人生で初めての能楽堂での能楽鑑賞がちょうど3年前の粟谷能の会でした。授業で歴史を学んだと言っても能楽堂へ足を運ぶとなると、内容についていけるのか、自分などが行ってよいものなのかなどなど不安も沢山あったのですが……実際に行ってみると前説で公演前にコンパクトな解説があったり、事前講座と題して見どころを予習できたり大変な手厚さで初心者でありながらとても楽しく観劇ができたのを覚えています。

そんな能楽初心者によるお能の魅力体験記を過去にも何度かブログに起こしており、同タイトルのシリーズではどうやら今回で4回目!本当に能楽初心者のぴちぴちルーキーな時のご様子が気になる方はぜひシリーズの第一回をご覧くださいね~!

◎第一回
「能楽堂への誘い」
◎第二回
「続・能楽堂への誘い」
◎第三回
「能楽堂への誘い・参」



*○*○*




さてさて、今回観に行った「粟谷能の会」の詳細は以下の通り。

●タイトル:第百八回 喜多流 粟谷能の会
●曲目:舞囃子「忠度」 狂言「悪太郎」 能「伯母捨」
●会場:国立能楽堂(東京都渋谷区千駄ヶ谷)
●日程:2026年3月1日(日)​
●チケット代金:全席指定 SS席16,000円 S席12,000円 A席10,000円 B席9,000円 C席8,000円 D席6,000円 学生料金3,000円
●サイト:喜多流 第百八回 粟谷能の会

もちろん公演によっても異なりますが、能楽はチケット代の幅が広い演劇だと思います!!
どれだけ会場が違っても【能楽堂】という基本の劇場構造は全国どこでも一緒ですから、お席の種類分けも近くお値段のバリエーションが豊富なのでしょう。そのなかでも学生チケットは大変に手頃なものが多いです。学生の皆様はお試しだけでもぜひ!
さらに、お席の場所で迷われることがあれば……個人的には「脇正面」をオススメしたく存じます。この脇正面というのは読んで字のごとく舞台の正面に対してまるきり「左側」の横からの景色ということ。舞台上のワキを正面から見られる少しクセのあるポジションですね。当然ながら「正面」からの景色がもっとも役者の見栄え良く観劇できるものですが、いかんせんお値段のハードルがちょいと高い。けれども気になる、という方のために今回は「脇正面」の魅力を、脇正面だからこそ楽しめる景色をお伝えしていきます。
あ、そうそう、「中正面」も曲目によってはオススメですが……位置に注意しないと「目付柱」という舞台上の柱に遮られてしまって観劇が難しい部分もありますので、最初は脇正面が良いような気がします。

当日の様子。



閑話休題、公演のお話。見どころと感想と、オタクの叫びをどうぞ。






まず舞囃子の「忠度」で始まったこの日の公演。もしかすると高校の古文の時間に『平家物語』の「忠度の都落ち」を読んだことがあるかもしれません。その平清盛の異母弟である平忠度は武将であることに加えて優れた歌詠みでもありました。まさに文武両道の御仁!

そんな彼をモデルにして作られたお能である「忠度」。こちらはちょうど本学の石井倫子先生のご講義で2025年度の後期に学んでいた曲目だったこともあり、学生としては嬉しいタイムリーさでした。私が受講していたのは「古典文学講義(中世)」という授業で、日本文学を時代ごとに詳しく学べるものになっています。それだけではなく、石井先生は授業で学んだ知識を実際に肌で感じる場として「観劇」の機会を沢山お知らせくださるのです!その一つが今回の粟谷能の会の鑑賞ということです。

初めての能楽鑑賞となると【そもそもチケットをどこでどう取るの??】【なんの作品がオススメなの??】と困ってしまうこともありますが、石井先生の授業をきっかけにチケットまでまとめて手配してくださるため心配ご無用です!




さてさて、本題の「忠度」に戻りましょう。
文武両道かつ風流な忠度の最期という画になる構図を舞台上で観られる感動は大変なものでした。しかも今回は舞囃子の形態での公演。「舞囃子」というのは文字通り「舞」と「囃子」の組み合わせのみで行われる特殊な形態です。その特徴はやはり公演時間の長さとシテの装いにあります。通常では1、2時間、長ければもっと時間のかかる演目をそのダイジェスト版のように一部分のみを上演するため、作品の雰囲気を知ることや山場だけを楽しむことができるワケです。

そして舞台にあがる能楽師の方の服装(扮装)も、通常の公演では豪奢な能装束であることが多い一方で舞囃子の形態では紋付に袴、もしくは裃というシンプルかつフォーマルなお姿なのです。
つまりそのような袴の装いで舞われるお姿からは、その腕の伸ばし方や立ち姿の美しさが見てとれるため通常の装束姿とはまた異なった魅力を大いに味わえました。その中でも摺り足の加速や滑らかな膝の屈伸によって縦方向にも緩急がつく、舞台上を縦横無尽に泳ぐような様には幾度も目を見開きました。体の軸はいっさいブレていないのに、能楽師さんの頭はタテにもヨコにもすいすい流れていくのです。まるで檜舞台全体が水槽にでもなったかのよう。知らぬ間に水が流れ込んで私はもうコポコポと溺れるしかできませんでした。

そしてまた、能楽の特徴として舞台装置をほとんど用いないという点があります。そんな檜舞台というシンプルな舞台上に舞囃子ならではのシンプルな扮装、そこに輝く黄金の「負け修羅扇」の美しさは息を呑むほどのものでした。その扇を脇正面で真横から見ていると、まるで刀の柄のようなのです。扇の側面の輝きに目が眩み、刀と見紛う……そんな脇正面からの景色はなんと文武両道な忠度にぴったりなことでしょう。





次に狂言の「悪太郎」ですが、こちらもかつて石井先生の「舞台芸術の歴史・東洋」という別のご講義で習ったことがあったため「あ!!進●ゼミでやったところだ!!!」現象が起きました。こういう楽しみ方は大学生ならではかもしれませんね。

さぁ、そんな「悪太郎」。タイトルだけでもインパクト抜群ですが、ビジュアルも負けていません。なんと胸まであるようなスーパーロングロング顎~~ヒゲが生えているのです。気になる方はぜひ【狂言 悪太郎🔍】で検索してみてください。

ともかくもコメディ要素の強い狂言のなかでも「ビジュアル系」のような大変特徴的な髭についての解説を受けたことがあったため、まさか実際に見られるとは感激してしまいました。しかも「悪太郎」役を務められたのが野村万作師!!!!
はい、私の最推しです。
何度か万作師についての長文感想や愛の叫びをブログにもしているのですが、そんな最推し(こんな風に申し上げるのも不敬かもしれませんが)の「悪太郎」に私は大興奮でした。


万作師の好きなところは書ききれないほど多くありますが、なんといってもその一番の魅力はお声の響き!ほんの少し高く上向きの曲線を描くように観客席へ届くその声。高いけれど、細くはない、けれども心にそっと落ちて染み込むような優しい雨。そんなお声が大好き。

ここ一、二年の舞台ではご体調が心配なことも多くありましたが、本日の「悪太郎」では久方ぶりに万作師の高く響く柔らかい御声が耳に響き、その心に染み込むような音とマッチした狂言の憎めぬキャラクター性に胸を打たれました。お孫さんである裕基師とのやり取りはまるでセッションのようで、会場中が引き込まれるコミカルな雰囲気も相まって最高に素敵な一瞬間が体験できたように思います。

芸術に年齢の色眼鏡を持ち込むのは微妙かもしれませんが……ちなみに万作師は今年で御年94歳。一舞台一舞台がまさに長年の芸能人生の結晶。どうかいつまでもお元気でいて頂きたいと心から願います。



最後にお能の「伯母捨」ですがまさか在学中に三老女が目にできるとは思ってもみなかったため、その幸運に終始感極まっておりました。この三老女というのは「伯母捨」(漢字表記は流儀ごとに様々)・「檜垣」・「関寺小町」の3曲のことで、大変に格式と難易度の高い老女物です。それ故にこの曲を上演するためにはそれを演じられるだけの技量や立場などなど様々な手続きが必要です。即ち、観劇の機会も限られているということ。この三老女はお目にかかれる機会を逃さないようにぜひ覚えておいてくださいね。


さぁ、そんな三老女のうちの一つである「伯母捨」。今回シテを務められたのは粟谷明生師、そしてワキは宝生常三師。このお二方はなんと幼馴染なのだそう!
ブログの冒頭でも少し触れましたが、今回の粟谷能の会には2月17日に国立能楽堂で誰でも参加可能な事前講座がありました。その事前講座に登壇されたのが明生師と常三師、金子あいさんのお三方でした。ちなみに金子あいさんは当日の粟谷能の会でも前説として開演前に簡単な解説をしてくださる方です、とってもありがたい……!!事前講座を聞き逃してしまっても心配は要らない手厚さですね♪

そうして行われた事前講座では明生師と常三師の微笑ましい幼少期のエピソードから、今回の舞台にまつわる多くのお考えに触れることができ講演中にとっていたメモが10ページにもなってしまうほどでした!ファンとして聴き逃したくない様々な情報があり、本当に楽しい時間でした。

例えば喜多流の伝書によると「伯母捨」の後シテの扮装には「茶色」の指定があったそうなのですが、常三師のお好みに合わせて真っ白なものを今回は選んだ!という裏話など。その一方で面紐は茶色いものが市販では売っていなかったため困っていると先輩能楽師の方から「白い面紐を紅茶なんかで染める」アドバイスを貰ったので奥様と挑戦してみた!!なんてお話まで。

そのようなお話を伺っていたこともあり、当日の舞台では細かなところまで衣装に注目できました。特に、実際に見てみると今回のような常三師好みの真白な老女は実に美しかったです!老女が檜舞台の中央にきて照明を浴びた瞬間、その眩さは一生忘れられない景色になりました。そしてまた脇正面から拝見していたため、舞台の正面についている照明に背を向けられた際の老女面の陰りなど凄まじい表情の変化を目の当たりにできました。このような表情の変化は扇の反射光が顎下から照らし出すときにも感ぜられ、立体感のある老女面の造りの面白さを存分に味わえたように思います。

何よりも、そのような細やかな反射光にまで目がいくほどに引き込まれる、「老」の哀しみを滲ませた優美な所作が本当に素晴らしかったです。そのゆったりと奥深い所作にあの濃密な長丁場……三老女がいかにハードルの高い曲であるかひしひしと感じられました。

そしてこの老女は他の有名な謡曲と比べて、名の知れた武将でも姫君でもない主人公(シテ)なのです。そしていわゆる「姥捨て山」のお話のように訓戒が読み取れるわけでもありません。物語全体が朧月夜のようにぼうっとしていて全容を掴み切れない。その曖昧さこそ「伯母捨」の持つゆとりであり魅力です。きっと誰もが逃れられない「老い」の問題。社会というシステムからだんだんと逸れていくやるせなさ。
事前講座でも常三師はなんどもこの能の余白の素晴らしさを語ってくださいました。

そして実際に観劇すると……
最後の場面に月を眺める老女がたった一人取り残され、全ての演奏も止んでしまった静寂のなかで、漠然と広がる「余白」に呑まれるほかありませんでした。

ぞっとするほど大きな正体不明の余白。ここにどんな物語を読み込むも全ては観客次第。
きっと同じ観客であっても誰と見るか、いつ見るか、どこで見るか。それだけでも解釈はまた違ったものになることでしょう。能楽の良いところは気に入った作品をまた観られることです。演じ手は変わってしまいますが、数百年の時を経ても同じ曲が受け継がれている。だからこそ、きっとまたその舞台に出会えます。再会を約束できる舞台芸術。その一歩目をぜひ能楽堂で体験してみませんか。

言葉は刃

口は災いの元とはよく言ったものですが、ふとした時に思わぬ勢いで相手を切り裂いてしまう。そんな恐ろしい凶器を誰もが持っていて、誰もがそれを使わねば生きていけない毎日です。

現に私も画面の前の貴方様にその切先を向け続けているのですから。
しかも、簡単に想いを呟いて書き込むことのできるSNSなんてとても便利なものがあるから、何か少しでも問題のある言葉を放ったらすぐに標本のように言葉が展翅されて、そう、火炙り。
だけれども、私のようなお馬鹿さんは……やはり刃物は使いようだと思うようで。



ところで、そう、画面の前の貴方様。貴方様はどんな素敵な刃物をお持ち?



○*○*○*○



本日のお相手は相も変わらず近代文学に入れ込んでいるまどか🐧です。

さてさて、言葉という刃物の持つ力。
こんなことを考えるキッカケになったのは私が大好きな毎度お馴染みの【近代文学講義】という授業。2024年度と2025年度限定で安藤宏先生がご担当くださっていたコチラの授業で……人文学を学ぶ意義についてだったかしら。それとも唯名論と唯物論だったかしら。ともかくも言葉と文化の結びつきの強さを考える機会があったのです。
その時、先生は「例えばイヌイットの人々は【白色】という概念に対して、私たちよりも遥かに多くの言葉を持っている」という話をご紹介くださったことを今でもよく覚えています。一面の銀世界で生活する彼らには【白色】といってもその中に微妙な差異が沢山あり、それぞれに言葉を、名前を付けているのでしょう。
そんなお話を聞きながら私は自分自身の感性について何だかストンと腑に落ちたような気がしたのです。


ところで皆様、カラス🐦‍⬛って何色をしていると思いますか?
おや、ちょうどよく絵文字も出てきてくれました。それなら、この絵文字のカラスは何色に描かれているのでしょう。
例えば…ここにカラスの塗り絵があって12色色鉛筆を渡されたとします。そこから一本だけを選んで色を塗るように言われた時、貴方様なら何色の色鉛筆を手に取るのでしょうか。私はきっと[くろ]と呼ばれる一本を選びます。
でも、もし「一本だけ」という指定がなかったとしたら?



私は迷わず全色を使います。



日本には「烏の濡れ羽色」なんてとっても素敵な表現がありますよね。私はこれが大好き。
烏の濡れ羽色、それはきっと光の当たり方一つで赤色にも緑色にも青色にも見える。てらてらと真っ暗なのに眩しいのです。
小学生の図工の時間、絵の具は3色以上混ぜちゃダメなんて言われたけれど。だとしたら烏はきっと大富豪。ありとあらゆる色ぜんぶを吞み込んでぐるりと混ぜた。全ての色を持った[くろ]に違いない。


つまり、私にとって【くろ】という色は単に色鉛筆一本で収まるものではありません。
烏の濡れ羽色・檳榔子黒・イカ墨パスタの色・車のタイヤの色・夢の国でスマホの充電が切れた時の画面色……前半2つは日本ならではの固有色、そして後半3つはまぁ随分と勝手な色選びですが、そんな個々人の経験の言語化に基づく固有色もあるにはあるでしょう。
肝心なのは単に【くろ】と言われた時よりも「烏の濡れ羽色」と言われた時の方が豊富なイメージを持って認識できるということ。表現を多く知っていればいるほど、細やかに知覚し、記憶し、共有できるワケです。


例えば人生で初めて「雪」を見た時、突如として空から零れ落ちる白色の何か、もしかしたら空から雲が剥がれ落ちてしまったのかもしれないなんて思ったけれど……。それが「雪」だと教えてもらった日から、私の中でその「冷たくて白いひらひら」は「雪」になった。そして、冬になると必ずと言っていいほど耳にするあの曲のサビのおかげでサラサラとした「雪」を「粉雪」と呼ぶようになった。
こんな風に「言葉」を一つ知る度、私の世界はちょっと賑やかになる。


○*○*○*○




安藤先生はこれを「言葉は世界を切り分けていくナイフなんだ」と仰っていました。
360度ぐるりと私達を囲む「世界」を生きていく中で「言葉」はその無数の事象を切り出していくことができる。だからこそ、言語や文化、歴史……そういった【人文学】を学び「言葉」というナイフを増やすことが世界を広げることに繋がるのでしょう。

おばかさんとハサミは使いよう、なんて言いますが。正しく「言葉」とはそんなもの。「言葉」という刃物は武器にも凶器にも成り得ます。


そんな狂おしくも愛おしい「言葉」。
私はそんな「言葉」を相棒として、この目まぐるしく移り変わるトンデモない「世界」を切り拓いていきたいから、人文学の道に足を踏み入れました。





ねぇ、画面の前の貴方様!
そう、貴方様です。貴方様はいったいどんなステキな言の刃物をお持ち?






昭和100年

皆様こんにちは。本日はどのような一日をお過ごしでしょうか。
可愛いネコちゃんを見かけたり、不思議な形の雲や石ころを見かけたり、何か楽しいものが目を喜ばせる素敵さはありましたか?

私は今日、自転車のハンドルを掴んだ時、カゴの中に寝転ぶイチョウの葉を見つけました。イチョウの黄色があんまり優しく輝いているから、錆びたアルミ籠も枝のよう。
だからきっと今日の私はイチョウの木に跨ってアルバイトへ行ったのです。


そうそう、日本女子大学の前の通りも銀杏並木が見事でして。受験に来た日も、入学した後も、私は無性に嬉しい気持ちでイチョウの黄金を浴びていました。これも私の小さなお気に入りポイントかもしれません。申し遅れましたが本日の担当は近代文学とペンギンを愛するまどか🐧です。




***




そうは言いましても、意図せず素敵なモノに出会ってそれを眺めて心を和ませるというのは存外むつかしい。
ですから私は「意図して」「すてきなもの」に出会う時間も作りたいなぁと思いながら日々生きています。そんな私が選んだのは【観劇】でした。

そして今年、2025年という年は私にとって実に特別な一年!
ブログのタイトルにもなっている「昭和100年」。私の敬愛する小説家・三島由紀夫はその満年齢が昭和と同じ時を刻まれたお方です。即ち今年は三島由紀夫の生誕100年記念の年だったワケでございます。2005年生まれの私にとっては己の成人の年でもあったのですが、そんなのはいい、こっちの方がよほど一大事です。
今年はもう演劇も文学館も美術館の展示もどこもかしこも三島由紀夫!!どこへ行っても彼の名を見られる幸福な一年でした。そのような一年の締めくくりに私が選んだ演劇は……「近代能楽集」。

さてさて本日のブログでは
①観劇の紹介と感想
②卒業研究のお話
この2本立ててお送りしようと思います。



舞台紹介

●タイトル:三島由紀夫生誕百周年記念二作品同時公演「わが友ヒットラー」「近代能楽集」
●原作:三島由紀夫
●演出:松森望宏
●会場:新国立劇場・小劇場(東京都渋谷区本町)
●期間:​2025年12月11日(木)~12月21日(日)
●チケット代金:全席指定9,000円 (税込) 「わが友ヒットラー」のみ18歳以下無料( 19歳以上同伴者:4,500円 )
●サイト:三島由紀夫生誕百周年記念二作品同時公演 – CEDAR

こちらの公演はなんと2作品同時公演!「わが友ヒットラー」はストレートプレイ(台詞と演技のみで表現するもの、ミュージカルとは異なる)で、「近代能楽集」は朗読劇(舞台上に座したまま台詞のみで表現する、声優さんのアフレコのように)での上演となりました。
2作品同時といっても一回の公演中にまとめて行うという訳ではなく、きちんとそれぞれが独立したチケットで別々の日取りに行われていますが……同じ公演期間に、同じ演出家さんの演出で、同じ劇場で、別作品が観られること!これは本当に面白いことなのです。全く同じはずの劇場と舞台でも、役者が動き始めた瞬間に観客の目にはもう別世界が広がっているのですから。この舞台の引力、魔力ともいうべき力を同時公演は身をもって感じることができるワケです。

私は近頃このように同時公演の別作品を全て観たり、同じ舞台に複数回通ったりすることにハマっています。同じ劇場の舞台でも役者さんや様々なスタッフさんの表現次第で如何様にでも変化する。そのような変幻自在の舞台のトリコです。ですから今回も二作品併せて観に行きましたが今回のブログでは「近代能楽集」のほうにのみ焦点を当ててご紹介します。



そもそも三島由紀夫の『近代能楽集』ってなんでしょう?能楽といえば700年近い歴史を持つ日本の伝統芸能……といった紹介で小中学生の頃に芸術鑑賞会をしたことがあるかもしれません。また三島由紀夫についてはなんだか戦争の前後に様々なメディア露出もしていた小説家といったイメージがおありでしょうか。しかしながら一体なぜそこが結びつくのか。実は小説家として知られる三島由紀夫は一方で演劇にも強い関心を示し、生涯で数多の戯曲を手掛けただけではなく演出までしていたこともあるのです!ワオ、多才!

そして実は過去にも三島由紀夫『近代能楽集』について触れたブログを書いておりましたため、その際の大雑把すぎる解説も引っ張っておきましょう。

「近代能楽集」では8曲の作品が収められているが、その中でも「葵上」や「卒塔婆小町」、「班女」などは聞いたことがある方もいるはずだ。
それではこの「近代能楽集」とは一体何なのか。簡単な理解としてはパロディといったところだが、もっともっとオタク的に分かりやすく申し上げるのならば謂わゆる「現パロ」だ。しかしながら、ただ時代設定を近代的にしたのではない。中世に比べて、様々な演出や技術の増えた「近代」の舞台で最も「劇的」に映えるように作られている。否、作り込まれている。
現在文庫化されている「近代能楽集」は戯曲本、脚本のような形で楽しめるのだが、読んでいると頭の中で「あぁこのシーンはきっと映える!」とそんな妄想が止まらなくなる。是非とも舞台で観たい作品である(https://mcm-www.jwu.ac.jp/~nichibun/blog/index.php/2024/09/25/)

「満願」2024年09月24日投稿のブログ


と、いう訳で。是非とも舞台で観たいと言っていた去年の私~~!叶ったわよ~~~!!まぁ本当はストレートプレイで観たいって意味だから断片的にしか叶ってないかもしれないけど~~~~~!


なにはともあれ、伝統的な能楽が描き出す真理・形而上の問題のようなものを、より顕在化させるためにその舞台設定やキャラクター像を「近代化」し、当時の観客にとって身近な例を以て描こうとした……そのような試みの作品と言えるでしょうか。ですから、扱っているテーマは「能楽」でも自然にスッと台詞が頭に入ってきて状況も理解できる舞台となっていまして、予習ナシでも楽しめるものかもしれません。




そのような『近代能楽集』の中でも今回は「弱法師」「班女」「卒塔婆小町」の3曲が朗読劇として上演されました。
私はアフタートーク付の12月18日㈭の回を観劇したのですが、特に驚いたのは「弱法師」と「班女」です。『近代能楽集』における「弱法師」という作品は盲目の戦災孤児である青年・俊徳(としのり)を主人公に、その青年の親権を実親と育ての親が家庭裁判所で争う・・・といったお話。もう成人するくらいの年齢でありながら、光を失った世界で孤独を抱えて生き続けてきた青年の強がりと寂しさ、その陰にある幼さがチグハグとした非常に難しいキャラクターといえます。私はこの俊徳というキャラクターが儚く刺々しいガラス薔薇のようで大好きだったのですが、だからこそ、きっとどんな役者がやっても納得しないだろうという熱意と落胆がありました。

それなのに…どうしたことでしょう。

神経質そうな間の取り方。少年と青年の間を彷徨っているような中性的響き。時折わざとらしく挟み込まれる舌打ちすら生意気で可愛らしい。
いかにも言い慣れないという風体の、三島戯曲特有の絢爛な言葉の乗り回しは精一杯の虚勢のようで痛ましく、愛らしい。
ラストシーンで桜間に甘えるときの幼児帰りした声も実に見事。完全に声変わりしたワケでは無いどっちつかずな声がこうまでも魅力的にハマるとは!本当に、本当に、俊徳が本から出てきたならアレだろう。笑い方のいわけなき、カラカラとした恐ろしさと空虚さったら!!

驚いたのはそれだけではない。アフタートークでは板の上の姿とのギャップも凄まじかった。脚本をもらった時に漢字を読むのが難しかったというお話や、本番前のルーチンは?という質問に対して「ないですね……」の回答など全体的に朗らかで緩い。ゆ、ゆるっゆるだ……と衝撃を受けたものだ。
そんな木村来士さんは現在まさかの18歳とのことで、これは今の彼だからこその演技でもあるのかもしれない。とても良いものを観た。声質や年齢のポテンシャルはもちろんだが、それを自在に操り、板の上に俊徳を見事に描き出してくださったことに非常な感動を覚えた。ぜひ他の作品でも彼の演技が観てみたい。

また、「班女」の花子にも息を呑んだ。まだ台本を開いてもいない、ただ入場しただけ。それでも彼女の全身が醸し出す狂気でたちまち引き込まれてしまった。
暗い劇場内でただ1人純白のワンピースを纏う彼女の異物感は甚だしく、その足取りも常のものではないフラつき。焦点の合わない目に真ッ赤なティントリップから紡がれる据わった声、こわい、狂っていると一瞬でわかる素晴らしさ。猫背気味に息を過分に吐いて吐いて吐き出す!地を這うような高音が登りつめ、劇場内の雰囲気を一瞬で変えた。ラストシーンでは2人きりの花実る世界が独特の粘度を持って描き出され妖艶だった。

アフタートークによると花子を演じた小泉萌香さんは稽古も一度きりで本番も一度きり、初舞台が千秋楽という本人も戸惑うスケジュールだったらしいのです。耳を疑うような本番の迎え方ですが、、舞台上での調和を拒む存在感。その不気味な魅力はある意味で、そのようなカンパニーだからこそ生み出せたのではないかとさえ思います。初日で千秋楽だなんて中々お目にかかれない状況、味わい尽くせたかもしれません。
そして、そう。衣装も見事だったのです。俊徳の真白なシャツには鮮血のような爛々と輝くビーズ刺繡が心臓の位置にだけ施されており、彼が感情を露わにしてベストが揺らめいた時だけ、その隙間からチラリと覗く赤の美しさよ。
加えて、後場で登場した花子の纏う雪景色のようなガウンも印象的だ。迎えたクライマックス、暗転する直前、彼女の引きずるガウンが心做しかネバネバと床に絡め取られるような……そんな背中を見送った。まるで幽閉されるバッドエンディングのラプンツェルみたいだ。なんと綺麗な後ろ姿か。

総じて感じたのは、朗読劇は言葉の強さを浮き彫りするということです。
三島戯曲に忠実な今回の朗読劇では実際に耳にするとなんとも舌の上で転がしにくそうな台詞が幾度となく登場しました。普段は戯曲本として文章しか追っていない私にとっては実に新鮮な心躍る時間だっとのでございます。当初はストレートプレイへの憧憬ばかり強めておりましたが、戯曲本来の魅力を体験し、演者の肉声を以てその世界に浸るには朗読劇は大変によい相性のものなのかもしれません。私にとって今年最後を締めくくる作品が「朗読劇・近代能楽集」であったことを幸運に思います。




***





以上が観劇レポートとなりますが、、あと少しだけ詳しいご紹介を。
今回の公演、なんと驚くべきはキャスト陣の層の厚さ!「わが友ヒットラー」は固定キャストであるのに対して、「朗読劇・近代能楽集」は公演ごとにキャストが異なるという実に様々な組み合わせを楽しめるスタイルでした。その中には神尾晋一郎さんや畠中祐さんを始めとする声優の方まで……!
朗読劇の形式ならではのキャスティングであり、声優ファンの方にもお楽しみいただける機会なのではないでしょうか。今回ご紹介した公演は残念ながらもう終了してしまっていますが、今後も朗読劇などの形で入り口を見出した瞬間にはぜひドアノブに手を伸ばしてみてください。知っている世界と、知らない世界がぶつかるのは、怖くてでもきっと大変に楽しいから。


そうそう、これは本当に余談なのですが演劇ジャーナリストの徳永京子さんとローソンチケットが共同で運営されている【演劇最強論-ing】という小劇場演劇に特化したサイトにて、「小劇場から選ぶ 心のベストテン第1位 2025」という投票企画が行われております。
もしこの2025年中に小劇場系の公演を観に行ったよ!という方がいらっしゃいましたらぜひ投票をしてみてください。対象となる公演は「2025年1月1日~12月31日の間に客席数386席以下の会場で上演された作品 作品の長さは問いません。短編も可とします」(以下の公式サイトより引用)とのことです。小劇場演劇のボーダーを座席数にしたのが面白いですね。

【募集】心のベストテン第1位 2025 | 演劇最強論-ing

応募期間は2025年12月24日(水)~2026年1月13日(火)まで。小劇場演劇ってサイコー!!

さて、ここまで長々とした熱弁にお付き合いくださりありがとうございました。もう薄々バレているような気もいたしますが、私の卒業研究はこの三島由紀夫『近代能楽集』というワケでございます。次章では恥ずかしながら少しばかりその卒業研究についてキッカケやゼミのことなどをご紹介する次第です。

「卒業論文って難しそうだけどどんなこと書くんだろう?」「卒業研究ゼミや論文テーマはどうやって決めたんだろう?」と気になる方のご参考になれば幸いです。え??どうでもいい?フフ……そんないけずなこと仰らないで……自宅に着払いで三島由紀夫全集を送りつけますよ。


卒業研究のお話


ここまで随分言葉を尽くしてきたけれど、畢竟私にとっての観劇はそう、寿命の屈伸運動なのだわ。
演劇という架空の誰かの命が焼き尽くされる瞬間を浴びに行くのには、浴びる側も命を削ってその炎へ近づこうとする。ギリギリまで近づいて、けれどもあと一歩敵わない。イカロスになれるのは板の上の架空の誰かだけ。

スポットライトが消えたとき、観客席には光が戻る。

そうした生還の喜びと、苦しみとを全身に抱えて劇場を後にする。
劇場のなかで限界まで寿命をすり減らした幻想に囚われ、その夢破れて、むしろ熱に当てられて・・・命がぐんと伸びる。
呆れられてしまうかしら。でも私にとって観劇は愛おしいほど重労働。とっても草臥れる。命がけで観に行っている。

今年一年は特にその傾向が強かったように思います。




昔から年に一回くらい母が連れて行ってくれた演劇、特にミュージカル。私の家族はいつ見ても、みんなお忙しそうで、クラスメイトが楽しそうに聞かせてくれるような遊園地やバーベキュー、キャンプなんて休日の景色は小説の中でしか見たことがなかったのですが……。そんな日々で、演劇だけは忙しい合間を縫って連れて行ってくれた、否、珍しいわがままを言って困らせて、連れて行かせていたのをよく覚えています。
年に一回の観劇。それはもう、本当に夢みたいな時間で。欲しいものを聞かれても何一つ思い浮かばなかった幼き日の私には、クリスマスよりも特別な日だったのかもしれません。欲しいものを聞かれても碌な回答を持たない、実に可愛げのない子供ですが。



そんな私にとって演劇は好きで当たり前のものだった。どうして好きなのか、疑問すら抱かないほどに。究明すらしないほどに。

ですが、大学へ入学して気まぐれに受講した【舞台芸術の歴史・東洋】という石井倫子先生の授業を契機に「能楽」という新しい演劇の世界を知りました。今まで触れてきたミュージカルやオペラとは異なる新しい舞台芸術の世界。その歴史を学ぶ中で、私自身が演劇の何に魅せられてきたのか。その手掛かりを掴みました。

そして同じく1年生の時分【近代自主ゼミ】にも飛び込み、右も左もわからないまま渡部麻実先生のご指導の下で、ひたすらに文学研究の基本とその先に広がる新しい解釈の可能性・面白さを目の当たりにしました。

さらに私の中を流れるオタク趣味と怖いもの知らずな衝動に突き動かされるまま、夏休みには山口俊雄先生による【太宰治ワークショップ24〈転生する太宰治・アダプトされる太宰治〉】へ。今振り返ってみてもここで受けた衝撃はやはり大きいもので、アニメや漫画といった「アダプテーション」も研究対象に成り得るのだと知ってからは随分研究への心構えが変わったように思います。



このように3年間を通して多くの素敵な先生方、素敵なご講義に触れる中でいつの間にか自分自身の原点である〈演劇への熱情〉の正体がくっきりと見えるようになってきたのです。
そして何より、私にとっての文学は生きること。衝動に正直にただ足を動かすこと。その熱源は文字であり言葉であり、劇的であるもの。人生の影法師なのでしょう、時には私の前に、時には私の後ろにある。

その劇的なる言葉たちは幾星霜を経ても輝きを失わない。何度でも蘇り、次の読者へ熱を繋ぐ。その営みの最たるものが「アダプテーション」ではないだろうか。
だから、三島由紀夫『近代能楽集』を通して数百年もの時を超えて届く熱源を探り当てたい。そしてそれらは今の演劇にどう生まれ変わっていくのだろう。

これが私の卒業研究です。たしかに大学入学以前から近代文学も三島由紀夫作品も好きだったのは事実です。とはいえ卒業研究の内容までは全く決まっておりませんでした。それでも、大学の3年間を通して自分が既に持っている関心を深めることに加えて新たな興味関心に出会うことを繰り返していくうちに気が付いたらその双方を掛け合わせたテーマをもっと探ってみたいと思うようになりました。
その結果、私は日本文学科の近代文学ゼミ所属でありながら戯曲・演劇を扱い、その内容は中世も近代も兼ねていて……東洋と西洋いずれもの美学が詰め込まれたアダプテーションを追う、あまりにも自由形すぎる研究の大海原を溺れながら犬かきしているワケでございます。おぼぼぼぼ・・・。

つまりそれほどに自由!同じ近代ゼミには「文豪とアルケミスト」というゲーム作品や「ヨルシカ」さんなどの楽曲を研究テーマにしている方もいらっしゃいます。考えてみれば文学・日本語はあらゆるモノの基盤となっているのですから、この幅広さもある意味では納得ものです。

ですからきっと卒業研究のテーマ決めは、自分の元来の趣味嗜好や拘りだけでなくとも良いのです。大学で経験した多くの新たな出会いや学びを振り返って、何か一つでも足を止めたくなるものがあったのなら……それを究める道すがら自分の「自分でも知らなかった自分」に出会えるかもしれないのですから。
近年では卒業論文を課さない大学も増えてきており、そのような中でわざわざ「ある」大学を選ぶのは少し負担に感じる方もいらっしゃるかもしれません。そしてもちろん、執筆は決して楽なものではありません。けれども、研究は宿題とは違うのです。みんながみんな同じでなくて良い。ただひたすらに自分の抱いた疑問にあらゆる手を尽くす。そんな時間が人生のうちに取れるのはきっと大学4年生だけ。


せっかくなら人生のなかで1年くらいそういう特別さを作ってみませんか。
やっぱりほら「意図して」「すてきなもの」に出会う時間を作って生きていきたい生き物なのです。