あけましておめでとうございます!本年も何卒よろしくお願いいたします。
年末年始の我が家といいますと、年始早々インフルエンザ一家となり、おせち初売り初詣、ほとんど無縁の正月を過ごしました。丸餅は錠剤、お屠蘇はポカリ、鳴らすのは本坪鈴から体温計になりました。それでも全員食欲だけは旺盛なので肉を食い肉を食って肉を食いました。おかげさまで今はみんな元気に太りました、ありがとうふるさと納税の肉。
ギリギリ潜伏期間を乗り越え、成人式に出たのち、次の日の朝早速新幹線に乗って京都に向かいました。新幹線降りて改札へ向かおうとした瞬間「商売繁盛で笹持ってこい!」の宝永籠行列に遭遇するという、いかにも関西の洗礼を受けた後、荷物だけ下宿先に置いてすぐに学校へ行きましたが、流石にこのハードスケジュール。疲れまして、翌日寝坊しかけました。これで試験間近というのだから恐ろしいものです。二年生になったというのに、未だに三月末まで学校はあるものだと思いこんでしまいます。十二年間の風習は抜けづらい。
さて、先週から『光る君へ』が始まりましたね!脚本は我らが先輩、大石静先生。自分の先輩が手がけた紫式部を書いた大河ドラマを数回ではあれど京都で観れるなんて幸せ〜ということで、今回は試験勉強と終わらぬレポート(これが何よりキツい)の息抜き、ということで大河に出てきそうなところ「一部」巡りです。今回のルートは、上賀茂神社から堀川通を南へ下って、北大路堀川で曲がり、雲林院に行ったのち、バスで千本出水へ向かい、御所の跡を見たのち、京都御所および廬山寺へ行きます。
今ごろは、このようになっております。祭事の日は馬がいてにんじんをあげることもできます。
上賀茂神社の紫式部といえば、片岡御子神社でしょう。紫式部はここによく来ていたようで、「ほととぎす声まつほどは片岡の杜のしづくに立ちやぬれまし」という歌も詠んでいます。この歌の歌碑がならの小川沿いにあります。ちなみに私はこの側にある、須波神社からの景色とたどり着くまでの短い石段が好きです。私以外に石段を登っている人を今まで見たことがないのですが、是非石段を登って参拝してください。
上賀茂神社といえば五月の賀茂祭。多分というよりも確実に大河でも出てくるでしょう、そして私はそれが何よりも楽しみです。さてそんな賀茂祭の行列を清少納言が車停めて見たよという場所こそ、雲林院です。
写真は五月に撮ったもの。雲林院といえば、常康親王が僧正遍昭に託したお寺で、歌にも詠まれたところ。源氏にも『賢木』で光が出家しようと籠ってましたね。看板によれば、大徳寺が建立される前はかなり大きな敷地を持っており、桜の名所でもあったようです。
この雲林院から少し南東へ歩いた場所に、紫式部と小野篁の墓と言われるものがあります。島津製作所の紫野工場の隣です。ちなみにこれらの近くには、『卯凪』といううなぎ屋さんがありまして、昨年の土用の丑の日はここにしたのですが、めちゃくちゃ美味しかったです!頭ついたまま腹開きで焼くうなぎなので、関東流のうなぎしか食べたことない人は是非行ってみてください。レジ脇に売っていた骨せんべいも美味しかったです。最高のつまみです。『フリアンディーズ』の北大路店も近くにあります。すべてのパンが美味しいですが、あんこの入ったパンは何個でも食べれます。特にあんこと生クリームの入った、クロワッサンのようにサクサクなマフィン(?)が美味しいです。
北大路堀川のバス停から206番系統に乗って、千本出水へ。バス停から少し歩いた場所に見えるのが、弘徽殿跡の石碑です。
今の京都御所は元々土御門東洞院のあった場所で、南北朝時代に北朝が置かれたのがはじめ。平安時代の御所は今の千本通のあたりにありました。今はこのようにちょこちょこ石碑が建ってるのみです。
例えば弘徽殿跡から20歩ぐらい歩いた場所にある承香殿跡。そして浄福寺通にある、綾綺殿跡。
ここはカフェになっているのですが残念ながら今月末で閉店とのこと…。上質な油を使って揚げたカツはそれはもう最高なのですが、ロースカツにつける、オリジナルの二種類のソースもこれまた大変美味です。惣菜重も美味しくて、その中に含まれるお豆腐は豆腐嫌いの私が、今のところ唯一水もなしで美味しく食べれたお豆腐。フレンチトーストもアッツアツの揚げたてで、天上に舞い上がるような美味しさ。プレーンしか食べていませんが、生クリームとメープルと砂糖だけで皿を舐めまわしたいほどなのに、アイスなんてつけたらどうなってしまうのでしょう。
大極殿跡は公園になっています。私が行った時、やけに人馴れした鳩がたくさんいらっしゃって、あまりの馴れ馴れしさに運よくやってきた、201号系統に逃げ込んでしまいました。そう、この公園の入り口前にあるバス停は201号系統が来るので、そのまま一本で京都御所へ行けるのです。
烏丸今出川、もしくは同志社前で降りて、今出川門から御苑に入ります。江戸城跡と同じく、御所は無料で見学できまして、私はここが同志社から近いこともあって、朝イチに歴史に触れたい気分になったら、たまに散歩で利用させていただいております。初めての時はガイドさんがいる時を狙うのがベストです。御苑内には三つの休憩所があって、どこも居心地が良い。これらの休憩所、昨年度の京都建築賞優秀賞を受賞されたようです。私如きが言うのもなんですが納得。私はここ以外に、未だ開かれた場所にある休憩所で安心できる休憩所を見つけられていません。
清和院御門から御苑をでると、梨木神社の鳥居が左手にみえます。境内にある染井の井戸は、京都三名水のうち唯一今も飲める井戸で、五リットルまで百円でいただけます。そして、梨木神社と道路挟んで隣にあるのが、廬山寺です。今の廬山寺があるあたりに紫式部の邸があったといわれています。
写真は桔梗の時期に訪れた時のもの。今も堂内含めて特別公開中なので是非是非。入口近くには紫式部と大弐三位の歌碑があります。百人一首にもある、あの二首です。お墓の方に行けば、御土居の一部を見ることができます。
そしてこの廬山寺から少し南へ行ったあたりが藤原道長の法成寺があった場所。一年生の時古典文学講義1を取っていた身としてはロマンしかない土地で、歩いているだけでニヤニヤするのですが、あまり遺構や遺物が見つかっていないようで残念です。
番外編
《石山寺》
ここは流石に近いとはいえレポート終わってないのに行きづらい!しかし初夏に行っていたのでせっかくなのでそれを載せてしまう!
石山寺詣は宮廷の女人の間で大流行していたそうで、そんな女人の1人である、紫式部が「今宵は十五夜なりけり」と、『源氏物語』をここで書き始めたという伝説があります。
今はこちらの紫式部人形、修復に出されているようです。
なんで初夏に行っていたのかというと、石山寺縁起絵巻と、源氏物語関連の展示をやっていたから。石山寺縁起全七巻と、源氏物語や紫式部に関する展示物がありました。紫式部が使っていたとされる硯も展示してありました。この前再現プロジェクトも行われた、鯉と水牛が彫られたものです。本当にそうなのかは置いておいて、濃い墨と薄い墨を分けられるのは水墨画を描く時とかになかなか良いんじゃないかなども思ったりしました。それ以外にも、石山寺縁起にも描かれている銅鐸が展示されていて、絵巻に描かれた銅鐸と実物の違いを見比べられて、なにより「本当に出てきているんだ」というロマンを感じられて大変楽しかったです。やっぱり古代は良い。
展示が行われていた豊浄殿からすこし歩いたところに、紫式部の銅像もあります。実は昨年の初セミはここだったのですが、まさかセミが朝しか鳴かない夏になるとは、この時は思いもしませんでした。今年はもう少し涼しければいいのですが。
紫式部以外にも、石山寺は数々の文人ゆかりの地であり、中でも松尾芭蕉がこの地に来て詠んだ、「石山の石にたばしるあられかな」は、石山寺門前から少し駅の方へ歩いたところにある『茶丈藤村』の銘菓、「たばしる」の名前元となっておりまして、この「たばしる」が本当に美味しい!豆大福なのかと思いきや、牛皮の中には石山寺の硅灰岩を思わせるほど、ぎっしりと、ツヤッツヤの小豆とカリッとした胡桃が入っていて、見た目も食感も大変面白い。お土産におすすめです!
偶然かもしれませんが、石山寺に詣った次の日、三ヶ月ぐらい放置していた捻挫による痛みがぴたりと止んだのでお礼参りしないとなと思っています。
《平安神宮》
大河のクランクインで使われたところです!平安遷都千百年記念の内国勧業博覧会での目玉企画として平安時代の大極殿を再現したもの。朱色が眩しく、青空の元が似合います。大きな神苑があって、私は残念ながら未だ行けていないのですが、いつ行っても良い場所だそうです。確かにこの間、何かの雑誌か新聞で、素敵なお庭の写真じゃない、と思ったら冬の平安神宮神苑でした。
《鴨川》
川沿いで出会ってましたね、まひろと三郎。鴨川は昔から暴れ川by白河天皇で、今このように飛び石で遊べるまでに至れたのは、堤防を作ったり底上げしたりした先人のおかげ。それでも台風の次の日は増水していて、やはり川ってのは恐ろしいものだと再認識した記憶があります。
最近ここには都鳥が来ていやがりまして、都鳥といえば東の方から都にいるあの人の様子を聞く対象だったり春の花を見ずに去るやつらと見られていたりしますが、今の私にとっては、こいつらが東国行きの迎えにしか見えません。東上Cはまだまだ早いよ。
この写真に写るデルタの奥にあるのが、下鴨神社。下鴨神社の楼門前にあります、相生社の近くにある授与所には源氏物語のおみくじがあります。五百円という値段ですが、これがめちゃくちゃかわいい。引く価値ありです。
というわけでざっくり一部ですけれども、書いてみました。これらはきっと紀行で出てくるでしょう。他にも大原野など行けていない場所がある上、宇治にもトビケラに怖気づいて最近行けていないし、何なら源氏物語ミュージアムには財布に金銭の類が残っていなかったということで未だ行けていないので、課題をさっさと終わらせていきたいと思っています。
『光る君へ』、雀が逃げたといい、他大河ドラマと違って、江戸時代の散文作品にも見られるような、源氏をはじめとした古典文学作品のオマージュとかそのまま使われたりだとかが多い脚本なのかな。和歌でいう本歌取りだとか本説取りのような。これらを探しながら観るのが楽しい作品だなと、未だ一話目ですが思いました。もちろんそんなの抜きにして観るのも面白いです。証拠に家族は東宮様で大爆笑しておりました。次回からの花山天皇に対する感想を訊くのが楽しみです。
なんにも考えずに流し見していても面白いし、どこに引用が隠されているかなと探しながら観るのはもっと楽しい。なんて最高なフィクション作品でしょうか。これから一年間、毎週楽しみがあることが確定して幸せです。どんな展開になっていくのでしょうか?同じ曜日の笑点もあわせて楽しみです。