君の本棚を見てたい

先日のブログ部おしゃべり会で、「あやめちゃんが読んでいる本見せて~」と言ったら、その場でも見せて紹介してくれた上に、その日のブログでも更に詳しく沢山紹介してくれて、嬉しい限りです。そして、その後も続々と、皆さんが読書遍歴やお勧めの本をあげてくださり、いつもに増してブログを読むのが楽しいです。読者の皆さまも是非、ブログを読んで気になった本があれば読んでみてくださいね。

現時点でのみなさんのブログはこちらから↓

私は他人の読書遍歴というものが、その人の中身のようなものが可視化されるから面白いなと考えておりまして、MBTIや恋愛MBTIなどよりも、よほど興味・関心があります。

聞いておいて自分が話さないのはなんだか、と思いますので、今回は私の最近読んできて、好きだったなあと思う本を一部紹介していきたいと思います。

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私の本棚は歴代の趣味(国文学含む)に関連した本と人からもらった、あるいは押し付けられたともいえる本でいっぱいいっぱい。恥ずかしながら正直いくら本棚を作っても入りきれず、机という机、椅子という椅子に積みあがっていたり、今ブログを書いているパソコンの下には雑誌が三冊あります。なかなかの汚部屋ですが、同士及び私の上をいく人はきっと多いだろう、と信じております。

私の趣味は多岐に及びますから、土からAIまで様々な本が揃っております。私にとっての本棚は、その時その時の人生の相棒たちをコレクションしている場所ですね。改めて見ると、本当に色々なことに興味を持ってきたし、挑戦させてくれた環境に対して本当にありがたいなと思います。強いて言えば、旅行と文化に関する本や雑誌が多いかな?

皆が皆、ためになるかはさておき、読んでいて楽しいと思える本ばかりだと思います。なので、今回私からは、私の大学生活上で思い入れのある本を三冊と、「おもしれ〜」と思った本を三冊、ご紹介いたしますね。

思い入れのある本

「思い入れのある本」というと、「全部!」というのが本当の正解なのですけれども、そんな中でも、私の大学生活に大きく関わっていたり、思い出深い三冊を紹介したいと思います。

『歌讃の海』ダンヌンツィオ作 原田謙次訳 日本出版株式会社

京都の丸善で行われていた、古本市で購入しました。千円もしなかったはずです。隣の本を引き出した時に落ちてきたのが、安くて状態が良かったから買いました。

私は京都で好きだった喫茶店がいくつかあるのですが、そのうちの一つ、丸善の近くにある『築地』という店がありまして、そこで買ってすぐに読みました。来店時にはすごく雨が降っていたと思います。上京にある下宿に帰れもしないほど降っていて、これはダメだと逃げ込んだのでした。

観光とかではなく、日常生活の京都での一コマとして、紅茶を飲みながらダンヌンツィオの詩に思いをはせたあの数時間はかけがえのない思い出です。今でも、ページをめくると、あの時の紅茶の香りだったり、煙草の煙、BGMの後ろで聞こえる雨の音がよみがえってきます。

京都は古本市も古本屋も多いので、他にも古本はよく購入しておりましたが、この本が「初めて読んだ時の情景を思い出せる」という面では一番思い入れがあります。

最近実学主義に走りがちな私は、ついつい「ためになる本」「今の自分に足りないところを補う本」を探しがちです。それもあって、この詩集のように、本来の日常の娯楽として楽しみ、その時のメモリアルのような存在になれる本というのは本当に貴重で大切な存在で、私という存在を何よりも立証しているモノなのだろうと考えたりもします。

『伊勢物語』岩波文庫

まだ私が高校生の時。今のゼミの教授に「入学試験前に何すればいいですか」と泣きついて、「古本屋で一冊、安い古典文学の文庫本を買って読めばいい」と言われ、帰り道に近くの本屋で買った新品の本。

短さ・手軽さ(値段と重さ)・有名さと、三拍子そろっているため、古典文学を手始めに買うなら『伊勢物語』をお勧めします。『仁勢物語』が有名ですが、諸所に引用や少なくとも影響がある作品なので、今後長い目でみて本当にお勧めです。写本も大量に無料公開されているので、くずし字学習の初期の方で、「くずし字で書かれた文章を読む」という練習も、内容を知っていると多少楽に進みます。

一方で、古典文法を理解しないまま読んだので、「文法を気にせず最後まで読みきってしまう」という今にも続く本当に不味い癖がついてしまった因縁の本でもあります。日常で古典を現代小説と同じように楽しむのなら越したことはないものの、研究する上では、非常に不向き。

テストの点数とか関係無しに、現代語訳を一切見ないで読んでみるという経験は、確かに力になりますが、文法が滅茶苦茶な状態の人にはまだお勧めしません。

でも、「古典文学が読めて面白い!」と思えるようになった、私にとっては思い出の本です。

『二百十日』新潮文庫

これが私の、日本文学に関心を寄せ始めたきっかけの小説です。今まで青い鳥文庫だったりハリーポッターだったりしか読んでこなかった中学一年生の私。夏目漱石とか、宮沢賢治とか、受験で覚える語句の一つでしかなくて、授業で「ほんとうの幸いってなんだろう」など話し合うたびに、今も屋上で走り回って遊んで中一にわかるかアホがなどと考えておりました。

そんな私に夏休み中に課された、漱石の作品を一つ読んで作文を書いてこい、といった課題。本当に面倒くさがっていたところに、母が登場。「これならいいんじゃないか」といって持ってきてくださったのが、『二百十日』でした。

会話劇方式でスラスラ読める!何よりも単純に面白い!と感じ、「他にも面白い本、たくさんあるかもしれないな」という探究心から、以降短編小説や詩を中心に、便覧に出てくる作品を読んでいくこととなります。

よく考えれば、卒論を近世と近代の狭間の時代にしたのも、近世文学的要素と近代文学の手法を併せ持つ、この作品に今でも惹かれ続けている、というのがありそうですね。

面白かった本

『政治哲学講義 悪さ加減をどう選ぶか』松本雅和著 中公新書

春学期に他大学の授業で紹介された本の一冊。どっちを取っても悪い結果が予想される時、最終的にどっちを取ればいい?という話。

例えば本文では『ローンサバイバー』だったかな、が例に出ていまして、要は作戦を現地の民間人に見られて、民間人を殺すか殺さないかで悩んで、殺さなかった結果やっぱりその民間人はスパイで、味方2人を失うという内容のものなのですが、ようはこういった「通常時ならどちらも取らない悪いこと」しか選択肢にない時どうする?ってもの。

最近は朝に、日に日に世界が悪くなる♪気のせいか♪そうじゃない♪とか歌っていますが、現実というのは基本的にそうで、その選択が誤ったのか否かは未来でしかわからない。それだとダメだと思う人が、少しでもマシな選択を行えるようになるための本かなと思います。

『たたずまいの美学 : 日本人の身体技法』 矢田部英正著 中央公論新社

京都で女将さんや着物屋の娘だという子とかと話したり、自分でも成人式で着物を着て、思ったことがあります。

洋服より着物の方がイケてね?

だいぶ日本人は洋服が似合うようになりましたが、それでもまだ洋人が洋服を着ているのを見て、かっこいいな〜と思ってしまうところ。逆に外国人が着物を着るのは綺麗だけど歩くと違和感。骨格はまず仕方ないとして、何が違うんだ?

その答えがこの本には書かれています。

私はこの本を読んで、洋服の時の歩き方を改善しました。すると、ヒールの歩きやすさや、靴の痛みの早さがぐんと良くなりました。あまり利益のために本を選ぶことはしない方ですが、この本は現在進行形で役立ってるなと思います。

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今回はわかりやすく単行本と文庫本で統一しましたが、普段は専ら雑誌です。

ただ、持ち運びがやや困難なのと、三分五分あれば最後までだいたい読み切ってしまうので、もう少し時間をかけて読める本があれば教えて欲しいなと考えています。

皆さんも、是非おすすめの本を教えてください!

文章読もうぜ2025-2026

卒業論文が終わり、ようやく図書館に必要ではなく趣味として行けるようになりました。小林秀雄とか好きなものや、宮武外骨とか論文中に気になった作品を取り出していくのは実に楽しいものです。

論文(とは言えないかもしれない)を書いている時間は楽しいけれども、どうしてもあれを読まなければならないこれを読まなければならないで、本よりも下に貼ってあるシールの、棚番号を見がち。一言で言えば、視野が狭い。配置とか構造とか、知ったものか。

ということで、今更気付いた、うちの大学図書館の個人的に好きなポイント。淡島寒月の『梵雲庵雑話』の配置。集密倉庫で西鶴など好色本と向かい合わせで置いてあります。自分で『梵雲庵雑話』を持っていたのもありますが、気づかないものかね。

やっぱり本を読むのは楽しいものです。知らない世界を知れるし、安いし、軽いし、何度も読み直せるし。今年は本をただ読むだけでなくて、研究したり編集したり印刷したり、本まではいかないけれども書いて見たり、様々な形で関わってみた一年でした。ここまでやってみて、自分が一番向いているのはやっぱり、一番最後にいて、一番可能性のある読者の立場なんだろうなと考え至りました。

文学部に一定数いる人間と同じで、何かを生み出す側に強く惹かれたこともありました。しかし色々やってみて、ゼロからイチより、イチから先が自分は気楽で、向いていて、恐らくそちらの方が世の中的に重要だと思っている節があるのだろうと思いました。

入口が決まっただけで、将来社会人として自分がどのように生きて行くのかはわかりませんが、本を自由に読む読者という立場の権利を捨てたり、捨てられないような社会を創るために生きていきたいと思います。せっかく文章が読めて楽しめる、自分にとって大当たりな立場を得たので。

そういえば、また一冊本を貰いました。今回は相続的なものでもゴミ箱からでもなく、大学図書館に「ご自由にどうぞ」とあったので貰って来たのですが、題名が”Every Day a Good Day“。そう、なんと英語の本です。日本人によるものみたいですが。親には「また捨て犬感覚で連れて帰ってきやがって」という顔でみられましたが、最早いつものことだし、今回は新品なのであまり言われませんでした。お茶についての本なので、内容はわかるだろうということで、勉強がてら読んでいけたらなと思います。

お正月暇だけど本を持つ体力がないという方は、是非本ブログサイトを読んでやってください。(ブログサイトの方はこのまま先へ、noteの方はプロフィールにあるURLへ飛んで。)

見逃していたあの記事、いつのまにか上がっていたその記事、見覚えのないそんな記事。時間はかかりますよ。時に読み飛ばしながら、ごゆっくりご覧くださいませ。

それでは良いお年をお迎えください。今年もご愛読ありがとうございました。

わた

寒月雑話

未だ整理の追い付かない祖父の本棚から『梵雲庵雑話』を偶然引き出し、これを私の卒業論文にしようと思ったのは、墨田の桜はすでに緑、亀戸の藤も落ち着きを見せた、4月も後半に差し掛かったころでした。

初めの印象は、理想的な生き方をした人だなという印象でした。既に私の理想的人生モデルは存在していましたが、それ以上に楽しそうに生きた人だなと感じられました。元々、畿内関連の紀行文か、幕末から明治初期にかけての狭間の文芸をやりたいなと、ぼんやり考えていましたから、『百美人』がある寒月はどっちも抑えていて良いなと考えました。西鶴文学を学ぶ必要がありましたが、私は京都の大学で西鶴文学の授業を取ったり、全集を貰ったりしていたぐらい興味はありましたから、むしろ嬉しかったです。しかしそれ以上に、寒月自身に関心をもったというのが、一番の理由でございます。

『梵雲庵雑話』に収められている、主な文章の元は淡島寒月という人です。世のあれやこれを悟った上で、何でもかんでも「面白いね」と言って和かに愛し、これと思ったものは周囲に薦める、非常に無垢で良心的な好事家あるいは趣味家と呼ばれた方です。

寒月の、特に文学史上で凄いところは2つ。ひとつは、埋もれていた井原西鶴を掘り起こし、後世に引き継ぐきっかけを作ったこと。もうひとつは、幸田露伴・尾崎紅葉を代表する文学者に、井原西鶴などの近世文学を伝授したというところです。露伴紅葉どちらかの文章を読んだことがある人は、彼らの文章が西鶴の作品の影響下にあることはご存知でしょう。

簡単に言いますと、寒月がいなければ、私たちは世之介を知らないし、露伴紅葉、そこから連なる一葉鏡花漱石芥川三島、その他西鶴を慕った織田作之助や太宰治等、以降の文学は存在しなかったと言えるのです。違う形で存在していたかもしれませんが、確実に、『吾輩は猫である』の主人公は名前が違っていたでしょう。

祖父の本棚、しかも前列にあったものだし、生涯のネタにするにも相応しいものなのだろうと考え、直ぐに教授に連絡をいたしました。翌週には曳舟、神田、上野を歩きました。連休明けには、以前寒月に関する論文を出した先生が代表の、和洋女子大学硯友社文庫に乗り込みました。我ながら焦りを感じたらしいのです。当時、他にテーマを変えようと悩んでいるゼミ員もいたので、もしその子が同じことを考えていて、奪われたらたまったものではないと。今考えると笑いものですが。

ただ、おかげでまた、様々なものに出逢えました。美味い蕎麦、2枚の桜葉と薄い白い皮でつつまれた、控えめな甘さのこし餡、ことゝいと書かれ座った鳩、風情のある向島芸子の舞。以前から好きだった、浅草の和菓子屋やバーへ、ついでに通うことができたのも良かったところです。他のことを放って、こんなことばかりしていたせいで、家族に卒論一回辞めなさいと言われました。

本格的に執筆にとりかかったのは10月中旬からでした。夏は正直コンディションが調わず、10月7日に書き始めようと思ったら、インフルエンザになったので、翌週から始めたということです。10月末に最後の発表がありましたが、勿論間に合わず、当日は冷や汗をかきながら、淡々と発表した記憶がございます。

最後の発表の後、私は中学生の頃から成長しないんだと、泣く泣く打ち明けたら、他学科の友人が「私はまだ先行研究をまとめている最中だよ」というから、少し安心いたしました。しかし後から、彼女の学科の締め切りは日本文学科のものよりも1カ月ほど後だったことを知り、再び焦る羽目になった。これには流石に酷いと思いましたね。

論文執筆中は色々なことがありました。私は色々と知らないので、図書館やら国会図書館などのデジタル資料やらを沢山見て行ったわけですが、途中で、南翠や梅花の作など面白い作品をつい読み込んだり、デジタル資料越しに「こんな本 を見る奴は 馬鹿だ」「君もねっ」という落書きをみて、自分が少なくとも2人の奴らと同じく迷走していることを嗤ったりしていました。こうして寄り道をしているせいで、ぼんやりと目標として掲げていた、寒月の誕生日―11月17日でした、に第1稿を終わらせるというものは達成できなかったのです。

長時間本かパソコンかを見続けているため、眉間のあたりが常に重く、自動車学校の視力検査では追試を喰らいました。活字は辛うじて読めましたが、崩し字が読めなくなり、近世文学ゼミとしては焦りました。

目薬もアイマスクも効かなくて。目は脳に繋がっているため、そちらの方の疲労も中々。授業に出ることで気分転換を図っておりましたが、気絶するように長時間寝るような日々が続いたのもありまして、これはまずいと、休日は展覧会やゴルフに行ったりして画面から離れました。展覧会などのことは前回のブログで書きました。あれら以外にも色々とやりましたが、寒月は趣味の幅が広いし、きっとあれもこれも面白いから良いよと言ってくれるんじゃないかなと思ったりはしておりました。

寒月の事は春から今まで、ずっと好きだから、幸いでした。もし違ったら、ハロウィン以降は街中で見かける白いひげに敏感だったことでしょう。身内にいたら本当に困るが、昔の血のつながっていない人なので、こうして端から見る分には本当に面白い人でした。

紅葉露伴もそうですが、あの時代の作品や人物に関しては先行研究が少なくて、年表や家系図の整理から始めました。寒月による自作年表があるにはあるのですが、非常に簡潔なものですし、かつ寒月も言うことが時々によって違うことがありますから、信用なるかと言うと、そうとは言い切れません。

私は日本文学科に入って以来の願いとして、作品論をやりたかったので、そこに時間をさきました。寒月というのは、趣味の傍ら、愛鶴軒という、西鶴を意識した雅号で、いくつか小説や俳句を作ったことでも知られます。

初期の作品、『百美人』『けふあす』や、『浅草市の女不思議』あたりは近代の西鶴そのもので、文壇的役割もそこにあったものと考えられます。

そもそも、西鶴が求められたのは、その文体が非常に簡潔な写実手法をもっていたからです。時は言文一致運動の時代。どういった文体で表現していこうかという模索の頃に、西鶴文学に希望を見出した露伴紅葉を代表格とする文人たち。しかし、西鶴の『好色一代男』が生まれてから、明治15年時点でちょうど200年前。かの文豪たちも現在の私たちと一緒で、手にして、すんなりと直ぐに読めるものではなかったのです。特に風俗の違いは大きな壁となりました。文体を学びたいのに内容がわからないから先に進めないとなった時、求められるのは「現代の西鶴」です。寒月は綿密な西鶴研究のもと、そのニーズを見事満たすことに成功したのです。

尤も、寒月は処女作『百美人』を書いた時点では、専ら自身の旅の記録と、西鶴研究の成果として書いてみようとしただけで、悩める文人たちの助けになればなどといったことは無かったのだろうと考えられます。しかし、結果的に、これらが紅葉によって硯友社の『文庫』に「愛鶴軒」という雅号をつけて載せられる運びになったのも、同人の文学活動に役立つテキストとして重視されたからなのでしょう。

『江戸むらさき』第一号で行われた、投票に拠る当時の文壇で重要視すべき人物をランク付けしようという企画、「當世文壇十傑」では香雪(下田歌子)、得知(幸堂得知)、思案(石橋思案)と同票の10票を獲得しております。勿論、上には美妙露伴紅葉、南翠篁村、逍遥、あとは寒月と似たような分類だと宮崎三昧や依田学海が30票を獲得しているのですけれども、このランキングの注目すべきは「寒月」ではなく「愛鶴軒」でランクインしているところでしょう。つまるところ、寒月の作品に対する需要は硯友社に留まることなく、かなりの注目を受けていたと考えられます。

寒月作品を研究するに於いて、寒月が最後に書いた小説、『馬加物語』は特段重視すべき作品です。あれは『百美人』などを沢山書いた明治22年から10年後の明治32年に発表されたものです。西鶴をそのまま受け入れるのではなく、そこからキリスト教であったり、奈良朝趣味であったり、露伴ら友人達の文学作品であったり、アームストロング牧師との交流経験を併せながら、更に咀嚼して、寒月の内から出た作品だと考えます。

寒月は数え年68歳の大正15年2月23日に亡くなったのでありますが、来年はついにそれから100年ということになります。辞世の句は「我れと生き我れと死すも我がことよ その我がまゝの六十八年」「針の山の景しきも見たし極楽の 蓮のうへにも乗りたくもあり」というのでありました。

定職に就かず、ぶらぶらと世俗から離れ、自分の好きなことをして人生を楽しむ人のことを「遊民」といいまして、生前交流があった石川淳が寒月のことを所謂これだと言っている、丸山才一との対談がございます。遊民というのは江戸時代から存在していたものでして、戯作者などはこれに分類されました。しかし、明治時代からそういった者は減って行きました。国家の方向性が遊民が遊民として在るのを難しくさせたのです。寒月はこれに反抗するように、世俗から離れ向島に住んでいたわけですけれども、向島というのは関東大震災で酷い被害を受けたところであります。寒月の住んでいた梵雲庵も全焼、大事なコレクションを全て失ってしまい、恨心終に止まず、2年の内に自身も雪氷と共に溶け消えてまったようです。

ここからは未来を生きる私の予想ですが、淡島寒月翁という人は、安政6年から大正の終わりという期間だからこそ成立し得たのだろうと思います。大正が終わって昭和に入って暫くしないうちに、日本は国家総動員戦に移ります。この段階で遊民という存在は完全に無くなります。更に、趣味もままならなければ、寒月達が愛した芸術の域が戦争に利用されるわけです。それに、その戦争の相手というのが、寒月が若いころ移住したいと思っていたアメリカや、友人の故郷であるイギリスなどですから、もし生きていたら相当苦しんだのだろうと思います。逆に、安政より前に生まれると、裕福な商家の息子とはいえ外国趣味にこんなにも入り浸れたかは不明なところですし、やはり明治の人というところでしょう。

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出来上がった文章を見ると、卒業させてくれるかはともかく、私の色々と遊び暮らした大学生活をよく表していると思います。所々に4年間で学んだことを散らすことができました。これで卒業認定していただければ、私の大学生活は確固たるものとして保証されましょう。まだ提出できてないのですが。

色々と寄り道しがちな私が、コロナ禍を経た2022年、世界に出る前に日本を知りたいのだと、志望書に書いて合格した日本文学科で、同じく世界に出たら「日本のことを皆から聞かれるだろう」と考え、研究を始めた人のことを研究出来たことは、偶然にしては嬉しいことです。

私は決して真面目な人間ではないので、志望理由も、これ以外にも色々あったのですが、当時は確かに西洋趣味で、なんだか一番説明が楽な気がしてこれを選びました。入学してからも、気の赴くままに、面白そうなことは全てやっていこうという気概で、大学生生活を送っておりました。文学に囚われず、社会学、東洋医学、史学、地学、民俗学、心理学、生物学、工学、法学、数学、京都では神社仏閣と教会を往復して。4年になって、Nor ekarri du ardo hau?と遠い国の小さな自治州の言語を呟きながら、日本文学科の学科で取るべき単位が未だ数単位足りないことに気づいた時には、流石に私は何をしているのかと悩んだこともありました。

しかし結局これが本筋で、地図は祖父、道標が教授たちで、その先にいたのが寒月で西鶴といったところなのでしょう。信念徹底、自発創生成り得たということで、本日はこのぐらいにしておきたいと思います。

様々な秋

平生畏長夏 一念願清秋

如何遇秋至 不喜却成愁

書冊宜可讀 詩句秋可捜

永夜宜痛飲 曠野宜遠遊

江南万山川 一夕入寸眸

清辦双行纏 何処无一丘

楊万里「感秋五首 其五」

こう詠まれたのは昔のことですが、ここ数年は夏の暑さが増し、ますます秋という季節は我々に活力を与えてくれる季節になりました。

卒業論文の締め切りに追われ、今月の始めより眉間あたりの疲れが取れない私も、雲一つない秋晴れの日にはパソコンから離れ、行楽に興じます。テーマとして取り扱う対象がそれを「OK!」と言ってくれそうなのが救い、な所でございます。今回はそんな秋の行楽のうち、3つ、体験したことを書いていきたいとおもいます。

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某日も、部屋に引きこもってキーボードを叩いているのには余りにも惜しい気候。寒すぎることもなく、スポーツ日和。少し変わったことがしたい。山はクマだし海もクマだし、何をしようと思って、思いついたのがゴルフでした。

しかし、試合を観たこともないし、ぬるいホッケーを西生田でやったっきりで、行った所で何もできないかもしれないし、初心者が軽く「やあ」と顔をのぞかせて良い場所ではないかもしれない…。

こんな心配もありつつ、それでも好奇心と、今を過ぎたら永遠と忌避するかもしれないという気持ちと、もしハマっても「ゴルフに於ては天才は存在せず、万人が同じように上達しうるものです」という文六くんの言葉があるのだと、自身を説得させて、YouTubeを1本さらっと観ただけの状態で、初めての打ちっぱなしに行ってまいりました。人間度胸が大事。

今回使用したのはじゃらんの「マジ部」。首都圏にも数施設、ここのチケットを使って無料で入れたり、体験できたりするものがあり、私は祖師ヶ谷大蔵の「千歳ゴルフクラブ」にて体験してまいりました。初心者でも安心して行けそうな文面に惹かれました。

ゴルフクラブと2箱分の料金が入ったカードを借り、いざ2階へ。籠にボールを入れ、見様見真似で構え、打つ。

30と書いてあるところにまで飛びました。初球にしては上手くいった方なのでは?

昼間で他の利用客も少なく、干渉もなにもされないので、恥を棄てどんどん打っていきます。我ながら綺麗に飛んで行ったなと思うものもあれば、下に落下していくものもあり(こちらの方が多数)、干渉されないとはいえ一番左端のレーンで良かったと心底思いました。

打っていくうちに、体の中心にクラブを置いて、体の軸を決めたあと、出来るだけ左腕を固定した状態で軽く打つと旗の近くまで飛んでいくことがわかりました。

また、案内された場所は後ろに鏡が設置されており、スイングの形がどうなっているのかを確認することもできました。それこそ、最初は打つときにクラブを右肩のあたりから振り下ろすようなことはできなかったわけですが、鏡で周りの人のフォームを参考に練習してみて、それから打ってみると、いい音がするし高く飛ぶしで、面白い。

あっという間に90球が終わり、籠を戻してクラブを返して、退館。当日、思いつき、大学より身軽。全部間違っていたとしても、楽しかったです。ハマる人や、定年間際になってまたハマる人の気持ちもわかるわあと思いました。

「マジ部」にはゴルフ場もタダになるクーポンがあるので、利用対象者であるうちにデビューできるよう、身近にいる経験者にしっかりと教わりたいです。

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暖かな日差しに心地よい風が吹き、「行楽日和」そのものの、とある日。大学で招待チケットを貰い、東京庭園美術館で開催されている「永遠なる瞬間 ヴァンクリーフ&アペール」展へ行ってまいりました。前回の展覧会(「建物公開2025 時を紡ぐ館」)には招待券を持った家族に付いて行っていたため、「今回は展示物に集中できるね~」などと言いながら、多少銀杏の残り香が強い道を歩みます。

今回の展示は、1階が1920年代のジュエリーが中心で、2階が30年代以降のモダンなデザインが取り入れられたジュエリーが中心。新館が現代の技巧を紹介する構成となっており、ヴァンクリーフ&アペールの歴史とその時代のハイジュエリーの流行について順を追って理解することができます。

ジュエリーに関してはまだ学が浅いので、どれもこれも「すごーい」「きれーい」などといった感想がメインにはなってくるわけですが、特に心惹かれた展示が二つありましたので本日はそちらを紹介いたします。

先述の通り、1階は20年代のジュエリー―アールデコ調の高いもの―が並んでおり、ダイヤモンドが隙間という隙間、器具という器具にびっしりと配置されているような、庭園美術館の立派な応接間や食堂に相応しい作品が並んでおります。

食堂を出て、直ぐにある暗い喫煙所に、大きな雫型のエメラルドが特徴のネックレスが展示されています。エジプトのファウイザ女王旧蔵のものだといい、その存在感は女王のものというだけに、圧倒的。思わずその場にひれ伏したいほどの、ずっしりとした重厚感。展覧会のホームページに作品の写真が出てきますが、実際は比ではないので、是非東京近郊の方はご覧になってください。

デザイン画も展示されていたのが特徴で、デザイン画もそれはそれは美しいのですが、それをはるかに超えた作品というのが本当に素晴らしく思いました。

もう1つは、新刊にて展示されていた、小さな蝶々のイヤリング。

2、3センチほどの小さな作品であるのに対し、強い存在感を放っており、家人も私も「なんなんだ」「一等素敵」と魅了されていました。

展示ケースの斜め後ろに上映されていたムービーによると、この作品が入った展示ケースの総ての作品はヴァンクリーフ&アペールが特許を習得している「ミステリーセット」という手法で作られたもの。見えないほどのレールに、緻密なカットが施された石を並べていくという、その中でもこの蝶々のイヤリングに使われているサファイアはナヴェット ミステリーセットと言われるマーキースカット、ダイヤモンドもジュエリーの枠が目立たないことでより一層その輝きを解放しており、今にも羽ばたいて飛んでいきそうなイメージがありました。

約2時間ほど観てまわり、庭は前回見たから良いかと言って帰りましたが、もう少し紅葉が進んでいたら日本庭園のほうに寄っても良かったのだろうなと思います。

ハイジュエリーは観るだけで目が肥え、生きる活力になります。この輝きを1つでも多く人生のうちで観ていくためにも、ちゃんと仕事をして、目だけは本当に大切にしようと思いました。

[公式]永遠なる瞬間 ヴァン クリーフ&アーペル — ハイジュエリーが語るアール・デコ

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最近は最高の息抜きのような存在になりつつある授業と、プレッシャーのような存在になりつつあるゼミを終え、にこやかに卒業アルバムの写真を撮り、卒論を書いて日が暮れて、向かったのは初台の国立劇場。

文化庁のモニターに当選し、オペラ『ヴォツェック』を観に。

国立劇場でオペラを観るのは初めてで、どんな服装の方々がいるのだろうかと多少不安でしたが、思っていたよりカジュアルで、非常に安心いたしました。客席は多少狭い印象がありましたが、今回は端っこの席だったので出入りもしやすく、快適でした。周りを見渡してみると、意外に同い年くらいの方々が多く、落ち着くことが出来ました。席で迷ったり、後ろから「全然予習とかしてないんだけどさ」などという会話も聞こえたので、もしかしたら私と同類だったのかもしれませんが。

しかし、その穏やかな気持ちが一度崩れた事件がありました。

開演直前に、主演の交代が決まった時のことです。公演に先立ち、責任者による発表とお詫びがあったのですが、その時会場にブーイングが飛んだのです。外国人の方でしょう。多数ではなく、1人によるものでした。しかし明らかに会場内、特に私の周りが緊張状態に持ち込まれ、最悪でした。

そんな状況の中で始まった舞台。舞台装置は簡素で無駄のない、見やすさ。比較的簡単なドイツ語なので聞きとれはしますが、字幕があるので超安心。なによりも、元から彼が主演だったのではないかと思うほどのまとまり。主演とジェニファー・デイビィスの美声。オーケストラの素晴らしさ。終演時には、鳴りやまない拍手、そして例のブーイング元と同じ声で、ブラボー、ブラボーと叫ばれていました。

ヴォツェックとマリーの子どもがいるのですが、彼がかなり注目すべき存在です。この作品は狂気を描いたものですが、この子どもの存在こそ、劇中一番の狂気です。結婚しない両親の間で生まれたというのと、教会に届け出を出されていないという、出生そのものの異常性を備えたこの子ども。劇中で、彼は一言も喋りません。魂の抜けた人形のように、テレビを観て、注意されてもテレビを観て、神父に連れ出される時も抵抗はせず、最後もただ静かに、しかし父親と同じように人体実験のアルバイトをしている。ただ、愛は求めている。役者の名前はホームページでは載っていませんが、名演だったと思います。

なにも予習せずに来たので、内容には多少の驚きと、そして目の前に座っていたカップルはどういった気持ちでこれを観に来たのだろうという疑問が残りました。モニターだったことが新宿まで私を歩かせました。他オペラにある、面白かっただとか感動したとかの感想は言えず、専ら自分の周りに座っていた同世代の感想が気になりました。

今まで、オペラは他のものと比べて観る機会がなかったのですが、ちゃんと収入を得て、今後気になる公演は観に行くようにできたらと思います。

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追伸

先日、ブログ部のお茶会に参加いたしました!

なかなか対面でお会いすることがないので、自分でもわかるほど緊張し、猫を被り、ただ欲は深く、アップルパイを勝ち取り、美味しく穏やかに、卒論の締め切りに背中で汗をかきながら、楽しい時間を過ごすことが出来ました。先生、同席の皆さんありがとうございました。

4年生にもなって、こうして様々な学年の方々と交流できるグループがあるのは本当に嬉しいです。卒業後もこうして交流会ができたらいいのですが、やっぱり難しいのでしょうか。

次は新1年生を交えてお茶会ができたらなと考えております!楽しみです💕

ケーキ:先生撮影

It’s defrosting TIME

卒業論文、執筆中。「これを全て英語にすればたいそうな英語力が身に着くのではないだろうか」などと一種の現実逃避をしつつ、今月中にだいたい終わればいいなあと願っています。

木枯らし一号が私の卒業論文以外のバタバタを回収してくれたようで、今は落ち着いて椅子に座ってパソコンを打つことが出来ています。先週なんかは特に感情面で急降下急上昇急展開超音階が凄く、インフルエンザで意識もうろうとしていた(10月2週目のこと)のが随分と昔のようです。

私は変に時間が空くとだらけるので、期限がすぐ近くの方が気が進んで良いのですが、卒業論文はパソコンとの共同作業。私はこの子が疲れてしまわないかだけが心配です。資料はなるべくアナログで保存、要らない過去のデータは消去など、負担をかけないやり方で、なるべくスピーディーに、納得のいく形で終わらせたいです。次回の更新日には「終章だけです」と言えるようにします。

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超音階ってなんだよというところですが、マライアのコンサートに行ってきたということです。

Kアリーナは音が良いので、アリーナでは無かったですが、本当に満足のいく1時間ちょっとでした。古いCDでしか聴いたことがなかったマライアの歌を生で聴けて、想像をはるかに超える美しい歌声に、気づけば序盤から涙を流しておりました。

T先生とF先生には話した記憶があるぐらいで、英語が自他ともに認める酷さなのもあってあまり公にすることがありませんが、私は邦楽よりも洋楽をよく聴きます。マライアで察したかなと思いますが、親の影響が強いです。洋楽好きを自称する人の中では少なくはない部類なのかなと考えております。

小中学生のころが黄金期で、以後は邦楽を遊びで演奏する感じのバンド活動をしていたので、あの時ほど熱心ではなくなったのですが、未だに通学中は洋楽をメインに聴いております。

なんといっても私の小中学生時代―だいたい2014年前後は、テイラースウィフト!メーガン・トレイナー!アリアナグランデ!カーリーレイジェプセン!リトルミックス!などと色々供給が絶えなかったころでして、ニコロデオン、ディズニーチャンネルも併せて相当楽しんでおりました。

ただ、それらを聴いて英語を学ぼう!私も歌おう!という気にはなれず。量は聴いているのに、なんで?とよく聞かれますが、理由は簡単、曲の楽しみ方。音を楽しんでいるだけで、歌詞そのものに注目はしない聴き方をしているためです。非難されても仕方がないといえば仕方がない。カラオケでも選曲に困るというのが今でも続いております。

しかし、それに気づいても訂正しなかったのも私。無理やり聴き方を変えたら嫌いになってしまうかもしれない。私と洋楽の付き合い方はこうでいいと現在でも考えている。こんぐらいの感情の方が、物事を愛する期間が長続きするのだろうと、幼いながら悟ったのでした。今まで健康的に様々な物事をストレスフリーに好きでい続けているのは、結論として良かったということじゃないかと思っております。

それはそれとして。

こうして本物を聴くと、海外のツアーに行きたい!(あなたが来ないなら私が行く)しかし、英語が喋れない。あちらで絶対に困る。

やっぱり卒論の英語訳を試してみようか、誤字脱字に気づくきっかけになるかもしれないし、別で取っている授業の内容について実践的に考えるチャンスかもしれない。

隔離部屋の中から

今年もインフルエンザに罹り、高熱、熱痙攣と関節痛、おそらく軽い意識障害。寝かせていただいていた町医者から救急車を勧められるも(大事になるから避けたいという一心、そして何よりも薬のおかげで)無事回復し、潜伏期間を自宅で過ごす日々。

食欲は未だ無く、のどが痛くて喋れもしないため、来るメッセージ毎に「そうそう、あなたはワクチンを打ってください」と敬具のように付けて返し、「またか!」「お大事に」「免疫をあげたい」という返事に心を温める。正直なところ、今回は辛い方だったから、こういうメッセージをわざわざ引き出そうとしてしまうのも無理はないでしょ、と言い訳をしたい。(尤も、辛かったのは、熱が出始めた時に「インフルだとは思いたくない」という謎の頑固さを発揮してロキソニンを四回ほど飲んだからだと考えられる。)

五年前、罹った時に、課題を終わらせてやろうと机に向かったら、倒れたことを教訓に、今回もおとなしく起きている時間は文章を目で追う活動に勤しんだ。人の話を聴くのも好きだが、体力的にはこちらの方が勝るのだ。幸いにも、私にはスマートフォンの中にSNSはあるし、好きなWebサイトもアプリも複数ある。それに積んでいる本があった。腕と上半身だけは疲れるが、それもしばらくすれば慣れるものである。

未だふらつくところがある体をベッドから起こし、「自分が思うより水分を取りなさい」という昔の小児科医の言葉を思い出しつつ、贅沢に二リットルの生茶を自分専用のコップに注いで、三杯ほど飲んで、机に放置していた本を一冊取り出して、ベッドに戻る。

『ゲーテはすべてを言った』というぬるい赤ワインのような本は、(個人的に)こういった時に読めて幸いだったと思う。普段の引用がどうの…などは考えず、文章を胃にそのまま流し込むように読んだ。一文が気になって調べ始めると、更に読むのが遅くなってしまう。私は、調べるという行為を強制的に規制されさえすれば、早く読み終えることが出来る。別にそれもまた良いだろうと考えるタイプの消費者だから、良いのだ。

文章のなかの「あ」という一単語に関して、どうしてこの単語が出て来たのだろうかとウンウン悩むのも読書、この使い方良いなと将来に活かそうと頭の中に取り入れて置くのも読書、別に気を止めることなく風景の一部として捉えるのもこれまた読書といえよう。

それから、こうして読んでいると、時々信じられない箇所で心に訴えかけられることがあるから、これもまた楽しい。今回は「ゼミの研究経過発表の時点で既に英文にして五万語に達する勢い」という文章に震え上がった。夏休み中に八割方は終わらせようと思っていた自分の卒業論文は、色々と寄り道をした結果、少しだけ中心部分を遷した為にまた目次からとなっている。

卒業論文で調べるにあたって言葉を引き出し、そこから芋づる式にモリモリ出てきた面白い本を読んでいたら、こんな時期になってしまった。恥ずかしいというか、自分の性格上、こうなる運命だったか、とも考えるし、終わった時に振り返ってみて、どの工程が一番楽しかったですか、と聞かれたら「寄り道をしているところ」と答えるのだとも思う。

(それはそれとして、この文章は楽しすぎませんか、ということで紹介。またいつか話に出て来るかもしれないから、本当に一文だけに留めて置く。

日本銀行の地下を穿ち堅牢なる金匣を溶解して斬く二十九万五千圓の大金を奪い去りたる近来稀有の大賊

須藤南翠『おぼろ月夜』

南翠の作品は「確かに人気だったのだろうな」というものばかり。)

そんな性格だからこそ、とある一文章が引っかかって、どこ出典だったっけと探す過程を描いたこの本は単純に面白い。繰り返しにはなるが、登場人物に卒業論文執筆中の人間が出てくるのは現実を突きつけてこられるようで困るには困るが、病人というパスを掲げて他人事として考えれば、これ以上面白い物はない。

私にとって本は飲み物である。水、茶、紅茶、コーヒー、ジュース、そしてワインやビール、ウオッカ等の酒類などと同じように、多種多様なものをその時その時、己のほしいがままに味わう。単純に日常の娯楽として楽しみたいために、喉に詰まったものを胃に流したいために、何となく出来てしまった時間のために、その作品が背負っている世界を味わいたいために、教養として知っておきたいために、友人と共有して共に語る時間を楽しむために。

本物の水分と違って、人体の構造的に必要不可欠なものではないが、己の生命維持としては、ないと困るものだと確信している。つくづく、本が手軽に読めるところに生まれてきて良かったと思う。

ただでさえ忙しい四年の秋。右手に悪夢、左手に悪夢という状況。慣れない人はとりあえず正面から挑もうとするが、結局体力が普段通りでないから、敗北する。一度目の前に本を開けば、良い気分転換になる。楽しんでいるうちに気持ちが落ち着き、いつの間にか片方の悪夢は消え、安心して再び目を閉じることが出来る。そうして眠り、コンディションを整えることでもう片方の悪夢も楽観視出来るようになる。効率的とはこういうことをいうのだと、これが長年菌とバトルしてきた者が得た知識だと、少し自慢したくなる。

次にこの隔離部屋を出た時、全ては好転していく。そう信じながら、本を閉じて机に置き、家族に「文字もデカいし、一時間もあれば読めるよ」と連絡し、心地よさそうな秋晴れを横目にまた眠りについた。

夢に行きそうだというタイミングで、「次出る時ってトイレじゃね?」と気づいてしまったのはいつもの詰めの甘さである。

私とお気に入り

朝の新幹線はビジネスマンが多い。

早朝や昼や夕方は観光客が多いが、9時台あたりは子どもの声もまばらで、車内にはキーボードを叩く音が響き渡り、たまにいびきが聞こえる程度である。かく言う私も、先程から真っ白なスライドにインターン先での企画案を描いている。

富士山もいつのまにか過ぎたようだが、仕方がない。今日が提出日なのだ。

パソコンからシュッという音を出しながら、企画書を乗せたメールが出ていったのは、新幹線に乗ってから1時間半ほど経った後だった。名古屋も過ぎ、車窓からは草木と田畑と住宅が広がっていた。

この、今走っているところはもちろん降り立ったことがないが、私はこの県に数日滞在していたことがあったから、この土地が発する控えめでよそよそしい自己紹介が聞こえる。地図アプリ要らずで大変便利な頭だ。

ということは、あと数分で目的地に着いてしまう。急いでパソコンを片し、大きめのショッピングバッグに詰め入れた。

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1年半ぶりに、京都に来た。

色々と忙しかったのもあるだろうが、正直ワクワク感というものはなく、むしろお盆に実家に帰るぐらいの感覚だった。そしてその感覚は着いてもなお、変わることなく、むしろ目白の方が興奮するのではないかと疑うほどである。

「京都だー!」と喜んでいたあの日の少女は「京都か…」と死んだ目をして立っている。本当に暑いのだ。しかしこうはしてられない、次の予定があるのだ。

迷うことなく徒歩で宿泊場所に着き、2着の着替えとメイク用品の入った鞄を預け、迷うことなく京都駅行きのバスに乗る。

行きに歩いたのは本当に誤りであった。

気温が同じだからと侮った。東京も暑いが、暑さの種類が違う。外国人観光客は京都と東京をセットで行くことが多いらしい。短期間に違う種類のどちらとも嫌なタイプの暑さを味わうことになるなんて、お気の毒だ。

さて、今回京都へ来た理由は、大学の実習だった。実習内容については、許可もないため今回は省こうと思う。ゆくゆく、大学の何かしらの媒体で周知されることだろう。

2泊3日の実習に、個人的にプラス1泊して、4日間。私はお気に入りの店、美容室、知り合いなどと声をかけつつ、実習の隙間を縫いながら、短い時間ではあるが、懐かしい場所と人を廻ることとした。今回のブログはそんな4日間の、特に心に残った一部を抜粋して共有する。

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「ホウキっていうから笑ってしまいましたよ、今回もおまかせくださいね!」

そう言ってバックヤードに薬剤を取りに行ったのは京都で大変世話になった美容師である。

2年前、夏の日差しで痛んだ私の髪を応急処置し、その半年後ホウキ部分をばっさり切ってくださった、簡単に言えば救世主である。

薬剤の匂い漂う中、東京も暑いけどこっちの方が死にますわとか、最新の美味い店だとか、ミャクミャクは夢洲に行かなくてもロフトかサンリオにいるだとか、変わらず本を読まないまま、施術が遂行されていった。

2時間後には見事、都会派ガールが鏡の前に映っていた。「表参道にいても主役ですよ!」と言われて、確かにそうだと思った。

あとは私がこのようにセットできるかが問題となるわけだが、それはさておき、やはりこの美容師は素晴らしい。美容室になかなか行かない私の性格も汲み取り、伸びても綺麗そうな出来栄えである。我ながら可愛いなと思ったりした。

また来年来ますと言って会計を済ませ、(来いよ、でもおまえのことだから本当に来るのか?)という疑いの目を向けられつつ見送りを受けた。

来るつもりである。何月何日になるかは、わからないけれども。

軽くなった髪の毛を靡かせながら、すっかり暗くなった三条通を東へ向かう。通り沿いにはミャクミャクが描かれた旗。陽が落ちて涼しくなったからか、人が増えた気がする。

不規則な動きをする観光客をかき分けながら、駅を目指す。背筋を伸ばして、堂々と。相変わらず、この美容室の帰りだけは、私が映画の主人公のように思える。

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京都は、朝だ。それも早朝がいい。特に夏。

私の以前の夏休みルーティンは、3時に起きて、30分後に出て南下。だいたい五条のあたりまで行って、折り返し、八坂神社でお参りする。予定があればそこから電車で目的地へ行くし、予定がなければ寺町を北上して、店の準備の様子を見たり、ひとさまのお宅の朝ごはんの香りを嗅ぎながら下宿先へ戻る。そして朝食を食べ、15時ぐらいまで部屋で過ごし、夕方になってまた外へ出ていた。

つまり、暑い時間を避けていたのだ。しかし、今はその、住んでいた時よりも気温が高いのでなんとも言えない。

でも早朝は変わらず涼しいものだ。

現在朝の4時。偶にご老人がいるぐらいで、人も車もいない道を歩む。授業がない限り、八坂〜清水寺の道なんて歩かなかったが、この時間は別だった。

昼間も夜間も人でたくさんの八坂神社だが、この時間だと参拝者は私含めて3人である。神社は朝の方が良いというが、これぐらいになるとむしろ起こしてすいませんという気にすらなってくる。

参拝していると、稲荷神社のところで急に猫が来た。綺麗なトラだった。

あの時の私はここで戦慄とまではいかずとも、ビビり倒していたのだろうが、数ヶ月前にようやく猫カフェにて、人生で初めて猫に触った私は、多少驚くだけで済んだ。3年生の間は2年生の時と比べて、いったい何をしていたのだかよくわからないと感じることも多いが、どうやら成長しているところもあるようだ。

参拝を終え、四条通を見下ろすと、まだ暗いものの全体的に青く見えるようになってきた。

そろそろ日が出てくる。日が出ると散歩は終わりである。暑くなるから。

人も多くなる。むわっとして、空気が悪い。

早朝の散歩は朝食ビュッフェの心配がなく、深夜まで回り尽くそうと言う必要もなく、かつ朝が得意な人間の特権だと思う。これから更に平均気温は暑くなるのだろうが、この時間だけは奪わないでほしいなと思う。

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よく通っていた喫茶店を集合場所に指定し、約束の時間の10分前に扉を開けたが、すでに相手はコーヒーを頼んで待っていた。

申し訳ないことである。

私も同じコーヒーを頼んで、席に座る。今日はありがとうございます、本当にお会いできて嬉しいです、お元気ですか、ゼミの方々は、最近のご様子は、などと久しぶりの再会に話を咲かす。

今、私の目の前に座っているのは、私の京都での恩師である。私はこの先生の授業を受けて、古典専門にも関わらず近現代への憧れを捨てきれなかったがために、卒業論文を両方とも取れる題材にした。それぐらいの存在である。

その後、先生おすすめの料理店に移動し、シェリーを片手に更に話は盛り上がる。

色々あって院進や留学をやめて、就職するんですよという話で、「人生何があるかわからない」「やろうと思えばいつでもやれる」と言われ、口ではそうだと嬉しいですといいながら、京都で出会った先生や、先生のゼミ生を含めた人たちや、現在のインターンで出会った人たちの経歴を振り返って、その通りなんだろうなと考えた。

色々やってきた末に、好きなことを極めて発信している人は本当に輝いている。

上手くやれるかはわからないけれども、できれば近いうちに、私もそうなりたいと思うのだ。

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私は、市内でも北の方に住んでいた。

だから、主な生活区域は四条とかの繁華街ではなく、いつしかここのブログでも触れた、北区であったり、上京区であった。

四条の方に宿を取ると、こっち側に来るのはなかなか億劫である。それも真夏の昼間となると、本当に面倒だ。でも、ここまで来たらよく行っていた神社仏閣には行っておこうと、1100円の地下鉄バス1日券を購入した。路線図はありがたいことに変化がなかったため、元は取ることができた。

誰が教えてくれたかは忘れたが、今出川と京都駅だと、1度気温が違うらしい。だから多分、滝のような汗をかいているが、京都駅周辺よりマシなのだろう。

上賀茂、太田神社、長久堂、北大路、吉田神社、ハイライト食堂でカツを平らげ、下鴨へ。

下鴨神社、の下社の河合神社は美人になるで有名な神社だが、私はここで恥ずかしながら貧血を起こし、倒れたのを看病していただいた過去がある。

あの時の巫女さんはおそらくもういないが、以来近くを通るたびに「あの節は…」と手を合わせている。赤い布が敷かれた座席で、でろっと寝ころばせていただき、水をいただいて飲んだところだいぶ回復したのだった。あの時は知り合いもあまりいなかった頃だから、本当にホッとしたのだ。今日も同じように手を合わせる。

下鴨から、出町商店街を通って、相国寺を抜ける。正しく私の下校ルートだった場所だ。

ボナペティでパンを買い翌朝の朝食に。この日はあいていなかったが、出町ふたばで餅を買って、昼飯やデザートにしていた。友人が来た際には岡田商店で揚げ物を買って食べた。

本満寺は越して間もない私が初めて1人で観に行った立派な枝垂れ桜が植えてある。京極幼稚園にはトトロがいるが、あの時よりも整備されて更に綺麗になっていた。この上立売の通りは、朝か夕方にはどこかの家から出汁の匂いがして好きだった。相国寺の鐘を鳴らすお坊さんを見たとき、初めて生で鐘を鳴らすのを見て感動した。同志社には普通に時間がなかったから行かなかったが、この懐かしい道を歩くだけで、道路に生えた草花までもを思い出す。

元下宿先には、すんなりと到着した。通りすがりを装って見てみたが、今更になって、意外に建物自体が大きかったことを実感した。台風で薙ぎ倒された木は、手入れが入ったようで、2代目に代わっていた。相変わらず私好みの綺麗な下宿だと思った。

✾✾✾

四条通を、早足で東へ。なんか橋の中央で、三線を弾いていたやつもいた気がするが、気にしている場合ではない。いつもこの時間なら通らない道を通るぐらい、私は急いでいる。

四条大橋を渡って、横断歩道を10歩で渡ると、右手には南座、正面には八坂がある。

ふと、思い出す懐かしの店。そこは私が京都生活最後の方でよく通っていたお団子屋さんだった。不定休、いつオープンかもわからない。京都一美味いから毎日行列で、そこのおかみさんは釣り銭のやり取りを嫌がる。

空いているかな、とみるとなんと誰も並んでいない。やった買えるぞと思って「すいません、五本…」といいながら財布を出す。

しくじった。細かいのがないのだ。

「ごめんなさい、お釣り嫌ですよね、大きいのしかなくて…」というと、最後まで言わないうちにおかみさんは笑顔でこう言った。

「ええよええよ!いつもご贔屓にほんまありがとう!」

えっ、と思わず声がでた。「いいんですか」と追ってつけると、いいんだよ特別、と言って、普段列をつくっている場所にたむろしていた外国人を、いつもの感じで退かし、「ちょっと待っててね、すぐ用意するからね」と私をいつもの位置へ誘導した。

「はい、五本、そしておつりね。また来て」と言われ渡された団子は出来立てのほかほかだった。しっかりお礼を言って、再び東へ歩み始める。あの時の私と同じ、紐を中指に引っ掛けて。

おかみさんは誰かと勘違いしたのかもしれない。釣り銭問題を知っていたから、一見じゃないと理解しただけかもしれない。でも、あの笑顔が、言葉がなによりも嬉しくて…。顔が熱いのは京都の夜が暑いせい。

✾✾✾

退去当日と同じく、こちらの終電にギリギリ間に合う新幹線を発車15分前で購入し、色々買って新幹線に飛び乗った。正直、ホームが滞在中一番の暑さだったから、結果的に滞在時間が少なくて良かったのかもしれない。

席について、せっかくだからとメモアプリを開いて、ブログを書く。新幹線内はとても静かだった。

忘れないうちにとどんどん打ち込んできたが、なんだかできた話のようだ。

6月あたりに、歩いていたら沈丁花を持ってきた近所のおばあさんを思い出す。なんだかんだあれも実話だってことを私もあまり信じていない。おばあさんは今年こそ、娘さんに沈丁花をお土産に持たせられたのだろうか。

行った気がしないのも含めて、夢のような場所だ。写真も旅券も嘘くさい。551の香りと、35024歩と書かれた歩数計だけが、京都に行ってきたんだということを証明している。

主題は実習であったが、一番楽しかった時期のことを、学生最後の夏休みというタイミングで振り返ることが出来て本当に良かった。

たかが1年だろとは私も思うが、こうして心の故郷が増えたことは留学して本当によかったことであり、それが京都であることを幸運に思う。

明日充分に寝れば、東京のスピードについていけるだろうか。1年半前は戻すのに半年かかったものだが、今回こそは大丈夫だと信じて、今日のところはスマホを閉じ、残りの到着までの時間は北大路のイオンで買っておいたパンを食べることに集中したいと思う。

ちょうど浜松駅を通り過ぎたところである。

そこで、私は翌日の図書館ではなく端末を取った

『ゴヤのファースト・ネームは』、という詩があります。

飯島耕一氏による名詩だそうで、御存知の方が多いのではないでしょうか。

二年前、同志社女子大学の『ご自由にどうぞ』コーナーから引っこ抜いてきた、荒川洋治氏による『文学のことば』(岩波書店、二〇一三年七月)。私はこれを読んで、この詩に辿り着きました。

なんでも超大作のようで、全部は引用されておりませんでしたが、冒頭の、

何にもつよい興味をもたないことは

不幸なことだ

ただ自らの内部を

眼を閉じて のぞきこんでいる。

何にも興味をもたなかったきみが

ある日

ゴヤのファースト・ネームが知りたくて

隣の部屋まで駆けていた。

と、最後にあるという

生きるとは

ゴヤのファースト・ネームを

知りたいと思うことだ。

が引用されておりました。いずれも詩集『ゴヤのファースト・ネームは』(青土社、一九七四年初出)からのもののようです。

荒川氏はこの詩に関して、「何かに興味をもち、何かを知りたいと思う。それはたいせつなことであり、人の基本なのだと思う。」と述べています。

私はこれを読んで、この詩と荒川氏の述べる「人が生きることとは何か」という答えに共感すると同時に、この詩が持つ「間」の美しさに感銘を受けました。

またそれと並行して、今私たちが生きている時代は何故か必要以上に時間に追われていて、ゴヤのファースト・ネームを知るために隣の部屋まで駆ける時間も、ファースト「・」ネームと一度区切る時間も、こうして詩を編む時間も、惜しまれるんだろうなと考えるなどいたしました。

***

少し前に、「(本に携わるとしたら)エデュターになりたいのか、ライターになりたいのか」という問いかけがありました。周りの子が答える中で、私は最後の回答者になることを進んで享受し、結局私の前で時間が来たので、発言を避けることができました。

今はこのブログ部の「ライター」ですし、書く事が好きでした。しかし今振り返ると、その「好き」は一方的なもので、あまり「人に伝えること」を主軸には置いていませんでした。

四年生、就職活動。通らないエントリーシート。何枚出せども何枚出せども、祈られるばかりで、自棄になり始めた時、とある方から「今じゃchatGPTを使うのは当たり前だよ?」と言われました。

信じていただけないと思いますが、私は今年の春まで生成AIに、一度も自ら触れてこなかった人間でした。疲れ果て、魔が差し、とある企業のエントリーシートの文章を、chatGPTにつくらせ、少し自分で操作した物を提出いたしました。

結果は通過。初めての通過でした。

実力の至らなさと今までの傲慢、そして何よりAIに頼ったという自分が、非常に恥ずかしく、たまらないほど悔しくて、怒りに怒って、そして私は、文章と距離を置きました。

出来る限り、文章を打たない・書かない日が続きました。レポートや友人や先生、企業へのメッセ―ジ等でキーボードを叩くことはありましたが、その度に両手の操作が一切効かなくなる時間が一定時間発生するようになりました。

この文章を書いても伝わらないだろう、改行はどの程度したらいいのだろう、もっと良い表現があるのではないか、敬語は、挨拶はこれであっているのだろうか。今まで授業等で習ってきたことを含めて全て、文章作成における全てが疑心暗鬼となりました。

しかし、レポートも返信も、期限や人間関係、建前などというものがあり、出来るだけ早く返すべきもの、という認識が私には存在します。

その時頼ったのが、これまた生成AIでした。私はある程度文章を打ち、毎回chatGPTとCopilotに添削していただく日々がしばらく続きました。今見ると、本当に温かみがなく、堅苦しい文章だらけですが、当時はそうしないと安心して送信ボタンが押せませんでした。

その影響が普段の会話文まで浸透しかけた時に、聞かれたのが先程の、「エデュターかライターか」という問いでした。

過去現在未来、全てのエデュターとエデュター志望の方に謝罪を申し上げます。

もし、自分の番が回ってきたら、「私は自分で文章が書けないのでどちらかといえばエデュターですかね」と言おうとしていました。

しかしすぐに、エデュターこそ、最も文章の「伝わりやすさ」や「間」を追求する職業です。故に、ライター同等、それ以上の文章に対する知見が無くては務まらない職業だと考えなおしました。

そして今の私にとっては、対極にいる存在だとも。

***

私はその問いかけを頂いた日、少し渋谷をうろついて、家に帰って、久しぶりに長風呂をいたしました。スマホやパソコン、テレビにラジオから離れ、湯気や蛇口の雫にも興味を持たず、ただぼうっとしてみました。

その翌日と翌々日は休暇だったので、一日目は久しぶりにスマホに頼らず勘で料理を作り、出汁と炭薫る卵焼きを食べました。二日目は、京都では毎日のように行っていた古い洋館を巡りに行って、ずっと読みたかった『ギャグマンガ日和』を読んで寝ました。

そんな二日間を経て、だいぶ満たされた私は、ちょうどブログの更新日が今日であることに気づき、では、洋館のマントルピースが美しかったことを書こうと、パソコンを立ち上げました。

そして、いやちょっとまてと、文章を久しぶりに書くのだから、その前に本らしい本でも読んでおこうと、『ヂョンソン』『ノイマン』などの字が並ぶ「積読の棚」から『文学のことば』を取り出し、そして冒頭に戻るわけです。

私はこの詩を全部読みたいと思いました。書かれているというスペイン紀行についても、私はスペインやバスクが好きなので気になりましたし、何よりもゴヤのファースト・ネームを私も一緒に知りたかったのです。

早速、スマホで『ゴヤのファースト・ネームは』と調べました。調べてしまいました。

検索バーの下に出てくる青い線が、九割のところまで来た時、「ああ、やってしまった」と思いました。

そこに出て来たのはいったい何だったと思いますか。

現代文学(エッセー)と私

 私の家は蔵書が多い方だと思います。私も家の人も全体的に本をよく読む方、だと思います。

勿論、小説の類に全く興味が無く、本よりもゆっくり解説を見ている家人も中にはいるわけですが、そんな人でも旅行に行く時はるるぶやらことりっぷやらを複数開いて、ああだこうだやっぱりやめようなど言っています。時代はネットで、私も今このブログはパソコンで書いているわけですが、やはり手元に物としてあったほうが、私たちは安心するみたいです。

 しかし最近、買うという行為には至ることが少なくなりました。自分で言うのもなんですが、私は人と比べて文章を読むのが速く、家の人も比較的読むのが速い。そして全員、近日中に読み直すということがほとんどないということで、図書館にあるもの、特に小説やエッセーは本当に買わなくなってしまいました。

直木も芥川も、昨今の候補作は全て図書館で借りて、ギリギリになって家族内で回覧板のように高速で回して、期限日に返却なんてことがざらにあります。本を愛するものを名乗ったものなら殴られそうなことだよなと思いつつマックのポテトレベルで消費しています。

 図書館で話題の本を借りる、という人は私たち家族以外にも沢山います。特になんたら賞とか取ってしまうと大変。予約番号が二桁、三桁になり、手元にくるのが何カ月も後なんてことはざらにあります。

先日も、知らない本の受け取り順が来たというので取りに行きました。調べて見ると、一年ちょっと前予約した本でした。なんでこの本予約したんだろ、有名な作家さんだけれども賞も取ってないし…。と家族内でちょっとしたミステリーが発生。

読んでみたら面白い内容だったので、新聞のおすすめとかに出て来たのだろうという結論に落ち着きましたが、未だ疑問が湧きます。一年も経つと人間、こんなに忘れるものなのでしょうか。

***

 そんな環境で日々を過ごしておりますが、それでも内容も見ずに買い集める作家さんの本というのはありまして、そのうちのエッセー部門で光り輝いているのが朝井リョウ先生と群ようこ先生です。

 個人的朝井リョウ先生の傑作は、部活を辞めるのでもチアしてるのでもなく、『時をかけるゆとり』『風と共にゆとりぬ』だと考えております。これらのエッセーを読む前に代表作は受験の関係で読んだ気がするのですが、エッセーの方が強烈で、作家本人と作品は違う次元のものなのだなと考えることが出来ます。

家族も先生のエッセーは好きでして、私の家族内での先生の呼び方は、うんこ先生、トイレ大明神、そしてその敬称が外れた単語単体等々。敬意をもって様々な形で会話に登場してきます。最近、冷房が寒くて腹が下りそうな時に訴えとして「リョウってくるわ」と言って見ましたが、見事通じました。

トイレ大明神先生のエッセーにはいろいろなことが書かれており、私たちはげらげら笑いつつ、たまに生活の参考にしております。就職活動とかは全く参考にはなりませんでしたけれども。

例えば、私の場合、先生のエッセーでとある朝食ビュッフェを知り、私もパンケーキが無限に食べたいなと憧れ、友人たちを巻き込み早朝からその件のビュッフェに行きました。

あの時のことは一生忘れられません。確かに久しぶりのビュッフェではありました。かなり気合が入っていて、ペースの早い大食いの友人を誘いましたし、私自身でも前日の夜から小食にして腹をすかせました。でもまさか、上からリョかけるとは思いもしませんでした。

あれ以来は節制しておりまして、お酒の場含めて少なくともトイレにこもることはありません。件のレストランのあるフロアのトイレは個人的な”Sites of Memory”として、近くを通るたびなんとなく首を垂れています。歴史を繰り返してはならない。

 群ようこ先生は私が生まれた時からその著作が家の本棚に大抵全てコレクションされていたので、小学校中学年のころから笑い読んでいました。先生のエッセーは振り仮名もついていますし、何よりも児童文学にはない面白さがありました。つまり、図書館で言うと、子どもコーナーと大人コーナーどちらに行けばいいのかわからない時期の私にはとっておきでした。

先生のエッセーは普段の生活が舞台ですので、世の中の生活に纏わる様々なものが登場してきます。SNSもゲームもやっていなければ、早く読み終わるからという理由で漫画が規制されていた私は先生のエッセーから(多少時代遅れ感と年上感のある情報とはいえ)様々なことを学びました。

例えば角栓取りのパック。毛穴の汚れってなあに?というピュアさを持っていたころでした。母は既にパックの恐ろしさを知っており、家に置きもしていなかったので、サン宝石のカタログで写真を見ても、鼻にスライム貼り付けて冷たくないのかなと思っていたぐらいでした。

そんなときに、『またたび回覧板』でその使い方と痛さを知ってびっくり!『十三日の金曜日』のジェイソンになったり、パックから汚れが生えているのを見るのは楽しそうだけれども、痛いって何。え、これ肌に悪くないの。

ご存知の通り、角栓取りのパックは肌に悪いどころか毛穴も更にオープンしてしまうものでした。さすがに角栓が気になる最近の私はパックではなく酵素洗顔と潤すタイプのパックを愛用しております。

薬局で洗顔コーナーの横を見ると大抵ある、角栓取りのパックを見ると、汚れが生えているのを私も見てみたいと一瞬魔が差しますが。なんとか毎回ぐっとこらえて、売り場を後にします。

***

 このブログを書くにあたって、もう一度先生方の本を読みなおしてみたり、他にエッセー本はあるかなと探して読んでみたりしました。当時読んで面白かったエッセーとかもあるにはあるのですが、今読むと私の手の行く先は、口ではなく頭。好みも成長するものですね。

しかしお二人の作品は現在読んでも面白くて、何よりも文体が読みやすく、頭にすらすら入ってきます。改めて、私にとっての理想のエッセーはトイレとジェイソンなのだなと考えましたし、私もお二人のような文章が書ける人間になりたいと思いました。

内容はもう少し美しくいきたいですけれどもね。

Gの大学

学食のカレーが美味しいこの大学には、結論として一年間通っていました。

この大学はとにかく学食が美味しい。麺類は微妙だったのですが、定食、特にカレーが絶品だ。野菜も肉もゴロゴロ入っていて、程よい中辛、ライスもうちのより大盛りで、味噌汁とサラダがついて、三百三〇円。一口カツではなく、しっかりとした一枚のカツをつけても四百五〇円。安い、美味い、美味すぎる。

他の日替わり定食も美味しい。唐揚げ定食などは昼休みが始まる前に売り切れてしまうようで、ついに私は唐揚げ定食と書かれた食券機のボタンに、売切の文字が浮かんでいない時を見たことがありませんでした。複数の友人曰く、量も申し分なく、何よりめちゃくちゃ美味しいらしいです。

日替わり定食はごきげんよう、さくら、気まぐれと三種類あるのですが、特に『シェフの気まぐれ』が良い意味で異常です。私は鰻重定食を食べました。小さい鰻とはいえ、五百四〇円で小鉢二つと味噌汁がついて、大丈夫なのかと思いました。もちろん美味しい。

この学食を食べるためだけに通いたい大学であり、今だからはっちゃけると、今学期通学した裏一番の理由はこれでした。

購買は規模こそ小さいものの、その場で巻いてくれるソフトクリームが常設というのは珍しいと思います。本日のソフトクリームは二百五〇-八〇円台とはいえ、めちゃくちゃ美味い。コーンかカップから選べて、私は当然コーンで頼むのですが、クリームが下までしっかり入っています。

私はこれを毎回のように食べてから帰っていました。週一とはいえ、同じ『本日のソフトクリーム』に当たったことがなかったのは本当に凄いことだと思いました。特に絶品だったのは杏仁味です。

JRの駅からの距離を考えると、うちの大学と似たり寄ったりな、この大学は来年大きな改革を予定しています。一言で言えば、吸収されるのです。

私は昨今の女子大学閉鎖や改革を見てきて、ここの大学は、学生にとっても保護者にとっても世間的にも、非常に丁寧な移行をしているのではないかと考えています。しかし、その移行の先に、今まで築き上げた形のない文化や思想は残るのかというと微妙なのではないかと思います。宣告されていたとはいえ来年が嫌だ嫌だと言う友人や受講生達は、魅力を感じて入学した、女子大学という大きな特徴を含める「日常」の将来的な切り崩しに抵抗感を感じているのでしょう。

ここの大学の人たちは皆さん優しい。そんな彼女たちのアイデンティティは今後どう扱われていくのだろうかと不安になります。

この大学はこの大学の警備員さんは校門を出る生徒一人一人にこう声をかけています。「ごきげんよう」と。

私たち世代ですと美輪明宏のイメージがまとわりつくこの挨拶を、いかつめのお顔から発せられるのは最初多少の違和感と、どう返せばいいのだかと困惑したものですが、最初の学期中には既に私も同じ言葉を使うようになっていました。

私立の女子校だと挨拶はこうだったのかと私もよく聞かれますが、正直なところ指折りです。世の中の女子校の大半は、「おはようございます」「さようなら」です。「ごきげんよう」という挨拶は演劇部の舞台か、日常のふざけ合いで使われるかもしれない、といった具合の使用頻度です。

ごきげんよう、という挨拶は心を落ち着けて、目の高さあたりの後頭部から、鼻と顎を結んだ点Pのあたりに向けて、ゆっくり吹き下ろすように言ってみると、いくら発声しているのが私でも、上品で落ち着きのある、美しい挨拶なのではないかと思えます。

キャラではないので、日常で私が使うことはありませんが、この大学では進んで使ってきました。使うたびに、私のこの大学の落ち着きとユーモアを併せ持ち、情報に敏感な彼女たちの一員になれた気がしましたので。

敷地内の付属校は残るらしいので、ごきげんよう文化自体は残るだろると踏んでいますが、大学生を対象とした「ごきげんよう」はどうなってしまうのだろうと、ふと考えます。男子学生も言うのでしょうか。それとも差別化をはかるのでしょうか。

外部の私ですらこう考えるのですから、通学生はもちろんこのことについて考えているわけでして、スライドゥーを使用した、とある授業で授業中にこんなコメントがつきました。

「来年になったらごきげんよう定食はどうなるのかな」

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皆さんご存知の通り、女子大学は「女子に学問なんて…」という時代につくられています。尼寺だ姥捨て山だとささやかれつつ、でもそんな世間の目をよそに、秀でた業績を残した先輩方によって、女子大学の意義と学問におけるジェンダー差別の撤廃が公のものとされ、今の私たちの日常に繋がっています。

女性の進学率は上昇しており、四年制大学への進学率の差は依然として男性の方が高いものの、都市部を中心に均等に近い位置まで来ております。(都道府県版ジェンダー・ギャップ指数 | あなたの地域の男女平等度は?を参照)共学に通う以前の知り合いの中には、女子学生であっても、もう四年制大学に通えるのだから女子大学は時代遅れであると私に言うものがいるほどです。

彼女の言う通り、既に女子大学は男子専用教育機関であった現在の共学に通えない・通うことを許されない女性が通う機関ではなくなっております。それゆえ、前記の大学のように吸収合併される女子大学や、共学化する女子大学、廃校となる女子大学が毎年相次いでおります。

このままジェンダーギャップが解消され、女子大学は消滅するのでしょうか。

少子化の観点から、女子大学も共学も関係無しに複数の大学が今後消滅していくのは事実なのだと思います。一方で、女子大学が先に全て無くなるとは、現実を見てみると、学生である私が見ても考えられません。

法律や体勢は変わっても現状は変わっておらず、むしろ現状維持が難しい状況にあるというのが事実なのではないかと感じております。女性の役員昇進等がようやく許されるようになった今、それにより損をする者は存在するわけで、最近は男尊女卑を訴える排外主義的ポピュリズムが勢いを強める傾向も見られております。

女子大学の存在意義が建学当時の目的に戻ってしまうかもしれない、女子の通学すら許されない時代が来るかもしれないと思うと、自身に関する不安もございますが、これまで長い期間、数あまたの人類が積み上げてきた歴史は何だったんだと悲しくなります。

女子大学及び出身者が否を唱えるべき存在は、昔からミソジニストではなく反知性主義であると私は考えております。

現在残っている女子大学はより体勢を強固なものとし、いつか現れると願っている、本当の意味でのジェンダーギャップ解消の未来まで繋いでいってほしいと考えておりますし、女子大学に通う私たちは、より時代や思想の動きに対して敏感になり、女子大学で培った考えを元に、歴史を繰り返さず、より自由で平等な未来を開いていくための意見発信をしていくべきなのだと考えております。