これからの時代の日本文学

本日公開の文学部スペシャルサイトはもう御覧になりましたか?私は友達がたくさん映ってて嬉しくてしかたない!

みんなみてね~↓

文学部スペシャルサイト|日本女子大学

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日本女子大学文学部日本文学科は、贔屓目無しにみても他大学と比べてもレベルが高く、広範囲で日本語と日本文学について学べる場所です。これを読んでいる幼稚園生から介護保険対象者の方までの女性の方々全員に、憧れの学部射程圏内に入れて頂きたいと思っています。そのためには、関わっていないサイトを読めばわかるよと放任するだけではなく、私からも魅力をお伝えしたい次第です。

授業にも著作権があって、私はかなりそのへん厳しくしたい派ですから、誰にも許可を得ていない今、授業の詳細を全て書くというようなことははしませんが、日本女子大学文学部日本文学科と他数校を実際に過ごしてみて、うちの日本文学科のどこがいいのか悪いのか、できるだけ細かめに書いていきたいと思います。是非、歴代のサイトやブログを見ながら、これも参考の一部にしていただけると嬉しいです。

目次

1日本語学の授業

2デジタルの授業

3課外授業

4文学講義

5先生について

6授業外の学生生活

1  日本語学の授業

一番代表的で、分野外で区別つかないよという人でもわかる特徴は、日本語学をカリキュラムに含んでいる点です。

日本語学を研究・学習領域に含む日本文学科はかなり少なく、しかもその中で、全学生が必ず日本語学の概論・歴史を学んだ上で、三-四年の研究に活かしていくという工程が否が応でも組み込まれる仕組みがあるというのは、本当に珍しいものです。

しかし日本及び日本文化、そしてその中に含まれる日本文学を語る上で日本語に関する構造的な知識は必要不可欠。日本語学を通らずに日本文化を語るのは、入り口にも立たぬ部外者の発言。ソシュールらが論じているように、言語によってその文化圏が作られていくのですから、日本という国や、日本文化を本格的に研究しようとする際は必ず日本語学をどういう形であれ、学ぶ必要があるのだと理解しています。代々口伝でのレシピだとか、狂言のお稽古だとかもそのひとつであると思います。

私?一番苦手な分野です。正直この科目は人を選びますね。一年生の概論からマジで意味がわからなかった。初心者にしては学ぶ量が多く、悩んでいると次に進む。特に高校までの文法知識(五段なんたら活用など)がしっかり頭に入っていないと、本当についていけない。先生方に聞けば答えていただけますけど、私たちの学年は遠隔だったのでどうにも。多分、今学部にいる学生の中で最も日本語学が出来ない学年。全員初めて学ぶ内容で、国語が好きという人は得意科目の概念を崩され、かと言って理系の人も唸る内容なのである意味、平等な科目。どうにかして回避できないかと毎日悩んでるんですけど、なんだかんだ毎年取っているような気がします。

2  デジタルの授業

レポート提出締切三時間前になって「名前すら打ってないわ…。」となっても、サイニーやらなんやらで何とかできてしまう、親世代の大学生活が信じられない生活をしている私たち。でも、それを使っている身として、その仕組みや裏側、危険なところを知ったり、それを有効活用するためのイロハは大切で、出来ればその学びを今後の仕事に活かしたいものです。今回の新しいHPはこの話がメインなわけですね。

そんな学びができる授業、『デジタル時代の人文学』という授業が代表的な例でしょう。先生によって内容は変わりますが、どの授業も「文化をデジタル時代にどう活かすか?」ということを考えるものとなっています。

ただ、それにしてはコンピュータに対する知識養成が足りてないかな。基本的なExcelやWordの使い方は必修で習うけど、それ以降はカバーしない。まあそれは理系の仕事だから…と割り切っているのでしょうが。

なのでプラスα(サイト運営に必要な統計とかプログラミングとか)を学ぶには、他学科の授業を自由選択科目や、大学の講座で探すべき。数物や化生に対して多少抵抗がある学生は、家政学部(旧含め)の授業がおすすめ。

そしてデジタル関連の授業とは話が離れますが、授業ごとバラバラに参考サイトを紹介するのではなく、一年生の初めに全員共通で、こういう便利サイトがあるよということを全て一覧で示すと指導が楽そうだなと、毎回思っています。生徒各々が逐一自分で見つけていくのが一番いいんですけど。

3  課外学習

ある。あるけれど、実験をするような他学科や京都の大学に比べると少なめ。

能や歌舞伎を観たり、現場の声を聴く機会は先生であったり国語国文学会によって作られているけれども、一ヶ月に一度二度というわけにはいかない。学会委員の立場から言うと、予算も限りあるし、呼びかけても来ない場合が多い。これは毎年そう。大学生忙しいものね…。といいつつ、いざ主催側になると舌打ちすることもあったり。でも仕方がありません。

これにはどうしても大学の立地が理由の一つとしてあります。目の前に御所、降りれば国立博物館、大学が寺や神社の敷地にある、はどう足掻いても勝てません。目白不動もすぐ行ける距離ではない。能舞台も学校からじゃ電車で一駅以上。だいたい全ての駅まで微妙に遠い。普通に行けるから諦めきれない距離感なんです。

ただですら、七人以上で動くとなると安全の保証が低くなるのに、移動距離が長いとなるとさらに面倒になります。これが「じゃあ来週の授業は土下座前集合ね!そこから北上して、色々巡って、次の時間前には帰れます。」が出来ない要因です。聖地巡礼のようなものを授業内や空きコマでしっかりやりたい人は他の学校、というか京都がおすすめです。

ちなみに学校関わらず自分で行くにも、立地問題は変わらないので、面倒くさい。電車代も高い。歩くとなるとかなり辛い(上野とか)。

東京の大学なんだから贅沢は言うなって話ですが、せめてJRの最寄り駅から徒歩一分くらいの大学と場所を交換したいなとかは毎日思っていますね。こればかりは仕方がない。三井家も成瀬先生もこれは想像していなかったことでしょう。まだ私たちは副都心線が出来たのを喜んでおくべきです。

その分、和本を直すとか、能面を見るとか、学校でやれる体験は多め。古本に触れたり、実物を見る経験も用意されている。T大学やK大学などと比べて数では勝てないですけれど、この学校は触らせてくれたりするのでより身近に感じます。数で負けるようなところは大抵デジタルで資料を公開しているので、それらの恩恵にもあずかれます。

そして、忘れてはいけないのが変体仮名の読解をほとんど強制で皆、読めるようになるということ。京都で文学を学んでいても、写本で読める人が本当に少ないんです。最近は一年生の必修ではなくなったようですが、これは取るべきですよ、授業があるのですから。ちなみに、うちの史学科もあるみたいです。そちらは漢字が読めるようになるそうです。だから、こういうノウハウを学ぶ授業を経て、それを持っていること前提に資料を読まされることは多々あります。

つまりうちの学科は比較的インドアな授業が多め、そのため十二分に知識はつけられるが、それを外でどう活かすかは学生次第、ってことです。全ての物事に言えることですが、ずっと受け身の体制だとちょっと勿体ないのかなと、受け身の姿勢でいながら思っています。

4  文学講義

古代から現代まで幅広い時代・ジャンルの文学と、オールマイティに関われるのは非常に良い点。

何が誰が悪いこともなく、どの授業を取っても後悔がないです。もぐりをしてもいいのかは謎。個々に許可は取った方がいいかもしれないです。二時間続けての授業もないので、色々な授業が取れます。曜日・時間割が被りがちなのがムッとくることもありますが、それはどの学校も似たり寄ったりなことです。

「こんな授業があるよ〜」という例として、一年生から取れる講義を三つ、柔らか〜く紹介しましょう。

①中国の古典文学についての講義。来年帰ってくる予定!ただプリントを先生が教壇で読んで、感想だったりを書いたり、言ったりするごく普通の形式だったが、内容が濃かった。ちゃんと「読む」。特に覚えているのは『東京夢華録』を地図を見ながらどこでどこでと見ながら読んだ、本当に最初の方の回。大学の授業はこういうものなんだ!と初めに知るのにもうってつけの授業。

②万葉集の写本を巡る講義。古典文学全てにおいて原作が残っているものはない。時代時代で人が手で写し、たまに改変しながら受け継がれていって、最終的に私たちが知っているものになる。そんな歴史の流れをどう見ていけばいいのかを、万葉集を使ってしっかり学べる授業。古典文学を専攻する人は絶対におすすめ。今も離島な存在の校舎でやっているのかは謎。

③文学と派生した能についての講義。元の物語・能の台本・実際の映像を順に見ていき、お能の魅力を知る。楽器や舞台などの基礎的知識もしっかり学べるため、お能やそれ以外の伝統芸能に関して、親しみを持てるようになる。能楽師の方のお話を聞いたり、後日実際能を観に行く機会もある。上手いお能にはα派が出ているため、寝てしまうのは仕方がない。先生の話にはばっちり目が開いているのに、動画が始まると寝る、「普通は逆だよね」が体感できる…かもしれない。

5  先生のこと

書いてもいいのかわかりませんが、人によってはこれが一番知りたいことなのでは?

一言でいうならアットホーム。でも最近ブラック企業がこの言葉を使うこともあるので、ちゃんと事実に基づいた理由を言うと、失態を冒しても注意とかなり手厚いフォローがしっかり返ってくることが常であること。他にも、時間がないのにリソグラフのインクがないことに頭を抱えていたら、見かねて詰めてくださったことも。全員、親身です。本当に親身です。とても失礼な例えですが、近所のお姉さんお兄さんおじさんという感じの雰囲気があります。

全員専門家ということで、もちろん個々に癖はあります。あるあるの域ですね。もはや当たり前。これが怖いという生徒もいますが、癖のない教授の授業なんてつまらないにも程があります。ただ相性というものは絶対にあるので、まずはオープンキャンパスなどでお話ししてみてください。

悪いと思うことはなんでしょう、あまりないですね。学生さんがたくさん食べなと、立食パーティーの時全然食べてくれないことかな。

6 授業外の学生生活において

レジュメは自分でリソグラフを使って大量印刷します。意外とこれ珍しいんですよ。職員にお願いしなきゃいけないことが多々。使い方がわかると共に、ギリギリまでレジュメの内容を改変できる利点があります。数日前に申請しないとダメというのは忙しく、できれば最後まで完璧に成したい学生にとっては難しいでしょう。結局コンビニの印刷機が待っているのですから。

印刷室の斜め手前にある学科の図書室はなかなか充実しています。静かで机も広々。辞典など、豊富に揃っています。億劫な点は大学図書館が遠いこと。他学科の図書室も同じですけれど、校門前の信号が厄介なんです。間隔があるので、急いでいる時など、最悪なのです。カチカチしている時、小学生の目の前なのにダッシュで渡ろうとすると、守衛さんにガチギレされます。当たり前だ。

印刷室の隣部屋は会議室です。そこではよく国語国文学会が開かれ、ほとんど毎週会議をしています。学生が主体でやっており、三年生が一番上につきます。オリエンテーションやガイダンスで選出された委員が、企画の実施・研究ノートの作成・自主ゼミ等の会計管理をチームに分かれて行っております。他にも、年一での静嘉堂や宮内省書陵部の見学、十月ごろに開催の国語国文学会大会を中心になって行います。学科の中の学級委員長、と考えればわかりやすいと思います。まあ面白いですよ。とくに学会大会を学部学生が運営するところは少ないですし、いい経験です。

あとうちの学科で特徴的なのは自主ゼミかな。所属ゼミや学年関係なく、上代・中古・中世・近世・近現代・創作・日本語・交流ゼミなどと、一教授につき一つ持っているイメージがあります。中国もあったかと。大抵週一お昼休みに先生の研究室や教室・会議室に集まって、一つの作品を読んでいくもの。時間が短いので、発表者は(演習授業よりはかなりお気楽な)発表をして、しない側と先生はそれを聞いてリアクションする。夏休みには、国語国文学会のつくる研究ノートに全員でレポートを書く。真面目な会合と思う人もいるみたいですが笑、私は結構楽しくやっています。メンバーと先生が良いからかな。入るのは希望制で、春から何時でも入れるはずです。

ラスト、交換留学について。同志社女子大学さんには日本語日本文学科というものがあるので、史学科の生徒などに比べると今後戻ってからの大学生活がスムーズに進みます。単位互換がしやすく、またいくらでも行くための言い分は揃っている感じですね。今は私たちもいるので、先生や先輩に質問しに行きやすい環境もあります。

国外留学に行く人もいます。文系まるごと言える話ですが、理系と比べて違うのは、学校を離れやすいところですね。ラットとかいないし。行く先(協定校)が少なめというのはありますが、あまり志望する人がいないので、ほとんど確実に行けるそうです。

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以上、私が見る日本文学科でした!私は日本女子大学の犬レベルにこの学校法人が好きなので、多少バイアスがかかっているかもしれませんが、比較対象を持っての感想、ご参考になれば嬉しいです✌️

本日の読みたい本

『増補 文学テクスト入門』 前田愛著 ちくま学芸文庫

作者論を中心に展開する、高等学校までの一般的な国語教育をしっかり受けていると、この本の内容はすんなりとは入ってこないだろう。入門とあるだけ解りやすい方なんだとは思うが。しかし、本作で語られているテクスト論こそ、今主流の「読み方」である。

さあ、これをスッキリと読み終えられるだろうか。

ついでに言うと、本書に書かれた、本を始めとするあらゆる事象について、一年生の時点で「読み解ける」ようになるのが、日本女子大学文学部日本文学科のカリキュラムである。

この本を読み、本学科の授業を受ける、またこの本を読む、本学科の授業を受ける…のサイクルは必ずあなたの見る世界を変える。

芸術は秋に限らず

2024年に引き続き、展覧会が面白い!

雪だろうが雨だろうがレポートが残っていようが、行きたい展覧会の面白そうなこと。最近は広報やグッズの魅力の影響もあり、大規模でもないのに平日でも大行列。毎回作品の前に人の数とチケット代に驚きます。

今回は、そんな2025年睦月に開催中の展覧会で面白かったものを3つピックアップ。

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須田悦弘展

ちょっとシードルが飲みたい時に買う、アサヒニッカ弘前の林檎の絵。

20代ではあまり身近じゃないけれど、スーパーの棚を見れば必ず再会する、竹鶴のおじさん。

高いから綾鷹に敗北する十六茶のイラスト。

ご存知、これらは全て須田悦弘によるもの。今回の展覧会はそんな須田氏の展覧会。

須田氏は精巧な木彫り技術を独学で学び、柔らかい朴の木で様々なモノを作っています。須田氏が生まれ育った土地に馴染み深い、世には雑草と呼ばれるものも含めた植物を、都会に出て来た大学生のころからテーマとし、今回も植物の形をした木彫り作品がメインです。

東京インスタレイションを含めた、須田の「名作」を、ザ・展覧会形式で飾るのではなく、見つけに行く形で展示。床や壁に無防備に置いてある植物も驚きますが、何よりも展示ケースの中や下に「生えている」葉っぱ。本物が生えているのかと思うぐらい、「わかる」位置に配置された、普段街で歩く時には意識もしない存在のもの。

展覧会という、人類による究極の「造られた場所」に、一番縁遠い自然を求めるスタンスは、茶室など我々の先祖が作ってきた、自然の中につくられた建物を思い起こされます。博物館の建てものを始めとする、自然を圧倒する形で作られた人工物に対しての考えが180度変わるはず。

また、須田氏は古美術の補修・再生も行っており、その作品も今回展示されています。『春日若宮神鹿像』だったり、『随身坐像』だったりあるわけですが、補修の字に相応しく、元の作品に限りなく寄り沿うように手や弓やらを補う一方で、それが展示してあるケースには、また雑草が生えている。

古美術と現代美術の時を超えたコラボレーション。お互いがお互いを消し合うことは決して無く、むしろ物語性だったり空間美を持つようになるため、発狂しそうなぐらい自然に調和しています。現在に古美術を残し、活かすためにどう向き合えばよいかを考えるきっかけになります。

須田悦弘|渋谷区立松濤美術館

近所に古伊万里専門の戸栗美術館もあるため、是非寄ってみて。今やっているのは『千変万化―革新期の古伊万里―』。全体的な伊万里焼の流れを見られますが、今回は主に17世紀中ごろの作品の流れを重点的に見ていく展示。

私が注目したのは、60番の『銹釉染付 雪輪若松梅文 長皿』という作品。木製皿のように加工した木目調の「自然」の場所と、磁気らしく加工した白い「人工的」な場所の対照的な印象が面白いです。

この展覧会はまだまだ長いので、是非どうぞ。

公益財団法人 戸栗美術館[東京渋谷・陶磁器美術館]

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運慶展

作品、真作はかなり少ないのに、東大寺の仁王像のおかげもあって、1、2を競うジャパニーズフェイマス仏師、運慶。まあかっこいいよね。作品が。

永福寺の中に運慶のアトリエがあったかもしれないとか言われているぐらい、運慶は結構鎌倉で過ごしていたので、鎌倉には結構作品が残っています。故に金沢文庫で運慶展をやるのも何度目かだったりしていて、私もこれが3回目。そんな今回は運慶と、女性信仰者にスポットを当てた展覧会。

目玉の1つとして、「頬焼阿弥陀縁起絵巻」という巻き物があります。この絵巻の主人公「町の局」のモデルは北条政子と大弐の局だといいます。

町の局は鎌倉時代に生きた女性でした。町の局は運慶に反物(当時のマネー替わりです)を送り、代わりに運慶は阿弥陀三尊像を造りました。町の局は邸に安置し、ベストな形で成仏していきました。その後の阿弥陀三尊像はあれよあれよと事件の中心(せっかくなのでWikiでいいので調べてみてください)となったのち、現在光触寺に安置されているとのこと。

今回はそんな物語が書かれた絵巻の、運慶が反物を貰っていたり、阿弥陀三尊像だったりの絵が描かれた場所が公開されています。

他にも、政子が子どものために依頼して寿福寺に安置した薬師如来坐像。同じく政子が建てた永福寺薬師堂の鬼瓦。女性と強い関係がある清水寺の十一面観音の脇侍と考えられる、観音・勢至菩薩像などが所狭しと並びます。

当時の仏教は正直なところ女性差別が酷い宗教。誘惑するからとか実に男目線の勝手な妄想に被害を受けている、簡潔に言えば男って修行に集中できない理由を他人のせいにするクソ野郎ね、というものですが、基本的に善行をしたもん勝ちの宗教ですので、国教になる前から女性もかなり信仰しておりました。そして運慶は依頼主が女だからと差別せず、誰に対しても誠実に仏像の依頼に答えたのだと言います。運慶願経にも、女性の名前が多々あったといいます。(野村育世「「女大施主」とはだれか≪運慶願経≫の情景」『芸術新潮』2017年10月号 pp,,38-39)

女性の仏教信仰ものは物語にもかなり書かれています。大抵夫を亡くしただとか結婚拒否とかですが、源氏も今昔もありますね。木幡狐等、女性に化けた畜生(あえて畜生と書きます)が、そのまま尼になるバージョンも見られます。いくら女性と畜生は存在がアレだから成仏できないとか言われてたとしても、女性たちは男性よりも必死で縋り付き、自身が極楽を目指したり、愛する人の安全を祈ったのです。

今回数年前見つかった、存在感マシマシなあの仏像もいるので、一度は見つけてみてほしいものです。

神奈川県立金沢文庫 展示案内

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これらが終了してしまっても、例えば京都国立博物館だと、「日本、美のるつぼ」「宗元仏画ー蒼海を越えたほとけたち」など、面白そうなものが様々ありますから、終わっちゃったよと嘆く暇がありません。東京は今年も京都から帰って来たんだか、わからないぐらいの充実度ですね。大覚寺ですら後方彼氏面してしまったのに、次は相国寺が来ます。

芸術は秋に限らず。今年もたくさんの展覧会へ足を運びたいものです。

本日の読みたい本

『茶の本』岡倉覚三著 村岡博訳 岩波文庫

須田悦弘展の、特に古美術との融和の作品を見た時に、この本が思い起こされた。

第五章「美術鑑賞」のラスト(p.74~)は現在の若者にも訴えかけている。

それ、本当に本心から美しいと、楽しいと思っているものだろうか?

12年後振り返って

前のオープンキャンパスで、昔昔のブログも全部読んでいますという高校生にお会いしてから、私も偶に掘り出しては他人のを読んで楽しんでいます。今回も書きこむ前に、12年前の今日は誰が何を書いていたのかしらとチェックしてみたりしました。今のブログ部員によるブログは全員全体的に長いですが、12年前ぐらいのブログは短くてサッと読めるのが多いです。追って見ると年々長くなっていっている傾向がありますね。

こうして12年前の記事を私が読んでいるように、ネットの書き込みは良くも悪くも後世に残っちゃうというのが事実です。私はかなり気にするタイプなので、実は過去のブログをちょくちょく手直ししています。本当はいけないことなんでしょうけど、卒業までには全文ちゃんと揃えて去りますから、他部員さんお許しください。

今回は12年前を習って短めです(^^)来年も元気にたくさん色んなところ行きます。暖かいからかもう花粉が飛んでいて、既に涙を流し続ける日々が到来しておりますので、これが去ったら。

本年もありがとうございました。

本日の読みたい本

『「よりよい生存」ウィルビーイング学入門―場所・関係・時間がつくる生』 藤原成一著 生存科学叢書

今年も終わりに近づくにしたがって、2024年に置いていくあの人のことを思う。

それと同時に、意外にも近くにいる人生の終わりについても考えてみる。いつ死ぬかなどはわからないのだから、自らの生き方について考えるのは正直いつだっていいし、早い方が良いと考えている。

せっかく生を受けたのなら、自分の好きなように「人生」を遊ぼう。

本書は人の生について、常に肯定的だった一人の研究者の「大成」の論考だ。

尤も、これより後にも本は出しているらしいが。

鎌倉幕府はキャバクラ幕府って言うし、金沢文庫は口の両端を指で広げながら言う

『光る君へ』完走おめでとうございます。

一年間本当に楽しかったです。

私にとって『光る君へ』は、大石先生高野先生と、中高大の先輩方が手がけたこともあり、また前半四分の一は式部の墓から徒歩五分圏内の場所で観ていたこともあり、遠い平安時代が舞台ではありますけれども、非常に身近な大河ドラマで、毎回毎回が予想できないため楽しく、放送後は#光る君絵とかを面白く拝見して余韻に浸ったり、不意に懐かしくなって『花子とアン』を観たり、充実した日曜日の夜を過ごせました。おかげで吉高由里子さんの物真似が上達いたしました。色んな料理を合わせてトリスのハイボールを飲むこと、それは楽しい晩餐なのよ。

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先日、すごく久しぶりに鎌倉をうろうろ徘徊してきました。

今回のルートは円覚寺→松ヶ岡東慶寺→鶴岡八幡宮→法華堂跡・頼朝墓→荏柄天神社→鎌倉宮→永福寺跡→瑞泉寺→由比ヶ浜→長谷→御霊神社→極楽寺→七里ヶ浜→腰越満福寺、お金がないので徒歩で行きました。相変わらずの体力頼り。若いからこそ出来ること。なんでこのチョイスかというと、戸田幹『鎌倉紀行』ほぼ後追いルートっすね。

紅葉もいい感じかなって言うのと、ついつい車とかだと通り過ぎがちな奥鎌倉に冬の気配を感じにって行ったのですが、予想通り、北鎌倉の円覚寺などは綺麗に紅葉してました。平日の朝なので、周りを見渡すと、インバウンド、爺、婆、インバウンド、爺、婆って感じで、明らかに若者一人浮いており、というか目立ってしまい地元民のくせして肩身が狭いという。

円覚寺はこんな様なのですが、写真撮影不可の松ヶ岡東慶寺はとても静かで、非常に落ち着きます。ここは秀頼公の娘がここで余生を過ごされましたことで有名、一説には甲斐姫も同行したと言われる場所。男子禁制の縁切寺として有名でした。境内にはさまざまな植物が植えられ、その日は銀杏を潰した香りが境内に漂っていました。

建長寺を門前で拝んで、トンネルを通過し八幡様とお稲荷様へお詣り。いつも混んでいますが、ここに来ると安心します。昔から見守っていただいているのと、やっぱり京都の八坂、奈良の興福寺的な感じで。今日は先を急ぐため国宝館の展示などは見ず、三の鳥居をくぐって左に曲がり奥へと向かいます。

奥鎌倉の方はインバウンドが粗方居なくなる上、電車などがなく、坂があって足腰元気じゃない老人などは来ないので、まだ一昔前の鎌倉の様相と言いますか、静かで落ち着いています。鎌倉宮・永福寺跡あたりは紅葉が綺麗で、特に鎌倉宮の紅天井はちょうど見頃でした。

鎌倉宮は護良親王をお祀りするのですが、護良親王、『逃げ上手の若様』での人気があり、紅天井近くの授与社付近で色々展示がありました。

瑞泉寺は紅葉こそ山の上にちらほらですがそれよりも、瑞泉寺と言えば岩庭じゃないですか。鎌倉時代から唯一残る庭園、仙女の住まう洞を模した壮大な岩庭。一度も観たことがない方は行っておくべきです。受付にいたお寺の方曰く、一覧亭というのはこの岩の上にあるけれども、あれは危なくて、今では私たちですらいけないそうです。電話ボックスのところから屋根だけ見えるよ!と言われて、あれだよあれ!と指差しまでしていただいたのですが、わかりませんでした。

白旗神社は静かに拝みます。法華堂跡は今や楽しげな公園になっていますが、おそらくこの公園の常連が通う小学校には大蔵幕府の石碑と小学生作の非常にわかりやすい説明書きがあります。

荏柄天神社は太宰府と北野の天神様と合わせて三古天神社の一つです。本殿は国指定の重要文化財。ここの良さは本殿のほかに、かっぱ筆塚も絵筆塚も面白い形なのですが、何より石窟の中にある明治時代に合祀された熊野権現社。

その後はぐーっと南へ下がって、砂浜沿いを歩いて長谷まで行きました。夏は外からの人がゴロゴロ転がっていますけど、今は少ないんですよ。砂浜は足が囚われるのでアスファルトを歩いて、長谷の方まで。大仏も長谷寺も混んでいるので、そのまま御霊神社、星月の井、星井寺、極楽寺を順にお参り、その後は江ノ電沿線を歩きながら稲村ガ崎まで行きました。この辺りはボウリングの球のような「奇石」がゴロゴロあり、御霊さんなどは崇拝の対象として飾り置きされています。

途中には日蓮上人が袈裟をお掛けになった松があります。処刑される際に袈裟を血で汚してはならないと、掛けて置いて行かれた場所で、松は最近植えられたものですが、もう少し成長したらよりリアリティが増すのではと考えます。

そこから歩いて歩いて歩いて七里ヶ浜を過ぎ、またさらに歩いて、満福寺へ。ここは義経が頼朝との和解のため、鎌倉へ向かった際に泊まった場所で、腰掛状はここで書かれたもの。境内には弁慶の腰掛石や、義経と弁慶を模した像もあります。

本当は江の島まで行こうかと思ったのですが、後に予定があったので断念。江戸の頃の鎌倉見物は江ノ島もセットなことが多いのに。

神奈川の沿岸部って、(主に頼朝と北条と徳川とペリーのせいですが)結構歴史的に面白い場所ですよ。地震とか埋め立てとか戦争とか再開発とかで建物とかは全然歴史ないですけど、それこそが主に鎌倉以降、神奈川県沿岸部が日本の歴史の中心部あたりに位置していたことの証明なのだろうなと思っています。人も東京より人情味あります、遠回しに物が言えないぐらい素直で優しい人たちばかりです。スカジャンとか服装文化も興味深いものですよ。飯も美味い、魚とか大根とか安いし新鮮だしやたらデカいし。この街が平穏で、舌の肥えたハイカラ爺婆だらけの街で居続けてくれること以上に願うことはありません。

本日の読みたい本

『鎌倉紀行』戸田幹 静嘉堂文庫本

今回はこれの後追いをしたから、これを紹介する。最初に書いて置くが、六浦や葉山方面は疲れたため行かず、江の島は混んでいるから行かなかった。戸田が旅程のうち二日かけて廻った場所を回ったのだから許してほしい。

戸田幹は洛中に住んでいた俳人以外の何も確定情報の無い人である。

本作のあらすじを簡単に言うと、京から幼児があって江戸に来た際、興味を持っていた鎌倉に行ってみよう!というものである。

文章構成は漢詩文で成り立っている。感動すると漢詩を詠む。

六郷・川崎・神奈川・戸塚宿・円覚寺・建長寺・東慶寺・鶴岡八幡宮・実朝廟・頼朝屋敷・北条屋敷・大塔宮・瑞泉寺・由比ガ浜・光明寺・荒井閻魔・景政墓・重忠墓・石窟・江の島・弁天窟・満福寺・七里ガ浜・極楽寺(靈山崎)・袈裟掛松・長谷観音・大仏・源氏山・化粧坂・抜道からの城跡・三笠浦・有明神社・山・荏柄天神・梶原屋敷・六浦・瀬戸明神・称名寺・能見台の順で回っている。

なかなか満喫しているが、これが出来たのはご存じ水戸黄門がこれより前に刷って発売した『鎌倉日記』の影響があるからである。今、小町通りが連日混雑しているのも水戸黄門のおかげ様である。

鎌倉には戸田以外にもかなりの文人が訪れ、旅日誌やら絵やらをかいているが、あまり風土を馬鹿にしないのは戸田のいいところであるのだろうか。洛中の人間の余裕だろうか。

次は演劇の方も観に行きたい

人間50年から倍に長くなったとはいえ、健康寿命はなかなか伸びないので、若いうちからやりたいことリストを常に更新して、1つ1つ出来る時に消化していくことが大切なんだろうし、それが生きがいになるんだろうなと思っています。

そんな私がやりたいことリストの中に入れていた項目の1つ、「2.5次元ミュージカルを観ること」。能も歌舞伎も文楽も寄席もお笑いも宝塚も四季もオペラもブロードウェイも観て、次何観ようかなぁと思った時に、パッと思いつくのが今乗りに乗っている2.5次元ミュージカル。カラオケや路上で友人のうっしっしーな態度をビデオに撮ったりはしているけれども本物を観たことはない…。いつか観てみたいなあと思って3年ぐらい前からリストに入れてました。そうしたらちょうど今日、チェックがつきました!しかもミュージカル刀剣乱舞!1番取れねえだろうなと思っていたもので!

時は西暦2024年夏。レポートに憂鬱していた私は、数ヶ月前データがすっ飛んで、きっとやめ時なのだろうと思い、しばらく離れていた刀剣乱舞を再び入れました。ようは気を紛らわしたかったんです。男士たちと再会しだして数日後、ゲームの更新があってミュージカルのゲーム先行が始まりました。せっかくだし応募するけどどうせ当たんないだろ〜と1席だけ応募したら当たったんです。花道囲い席!!!!!良いでしょう!!!!!

私は長谷部くんが推しの1振りなので、もう当たってからというもの、普段に増して紫、紫、紫に囲まれ紫を買い紫を身につけ、福岡飯と名古屋飯と宇治茶に舌鼓を打っていました。長谷部くんはどこが良いか論は長くなるので割愛、途中インフルエンザでダウンを挟んだり、なんやかんやわやわやしながら、なんとか準備してようやくやって来ましたKアリーナ!

下に行けば行くほど煙くなるなと思いながらアリーナ階に到着、花道の下がトンネルみたいになっているところを潜って席に到着。ステージが近い!!!!!!周りを見渡せば色々な種類のペンライトを持ってきている歴戦のファンや、可愛いうちわを持っている子がたくさんいて、お召し物もみんなかわいい〜!まだ誰も出てきていないのに雰囲気だけで楽しくて、普段行ってるコンサートも良いんですけど、同い年ぐらいの人が多いイベントは大学間交流会みたいな楽しみがあります。

光る棒の練習(これが本当に色多いんだ)をしたり、たい焼きを食べたりして時間を潰していたらあっという間に開演時間。最初はしっとり目で始まって、でもすぐに燃えたぎるようなパフォーマンスの連続。光る棒とうちわを胸あたりに、キャーキャー楽しみました。比較的ずっと立っていた気がするけれど、全く苦に感じませんでした。男士もダンサーさんも阿弖流爲様もすっごい近くてびっくり。花道やステージが近すぎるのもあるのですが、降りてきてくださった時にはあまりの近さに、警備とか大丈夫かなとか思ってしまいました。他の人あてのファンサも流れてきて、サイコーでした。

何よりサンバ!刀剣がサンバ踊るって何?って感じなのですがそれはさておき、あんな私好みのやつやるとは思わなくて本当にびっくりしました。サンバやるからチケット当たったのかな?って思うぐらい、(言ってしまえば健様の)サンバと同じ匂いがしました。

長谷部くんは結構真ん中の方だったり逆サイドで歌ったり踊っていたりしていたのですが、それでも肉眼で顔まで見えるこの席の素晴らしさよ。Kアリーナは本当に音響が良いので息継ぎとかも聴こえて感動しました。しかも長谷部くんめっちゃ歌う。役者さんの木原さんは本当に歌声が美しい方で、聴いてるだけで涙が出てきます。例えそれがロックであろうともね。彼と太星くんが所属しているLove Harmony’s, Inc.(最近更新がないけど)も耳が幸せになるから是非チェックしてみてね。

休憩時間は隣の人とお話しして、この方がまた素晴らしい方なのですが、私が長谷部くんを見に来たんですというと、2部で長谷部くんが出てくる場所を教えてくださったり、終演後写真を撮ってくださったりしました。初対面で名乗りもしなかったのに良くしてくださって、審神者は良い人がたくさんいるな〜って改めて思いました。

2部はこれまでのミュージカルの総集編みたいな感じで、これがあれか〜という感じでシリアスめに楽しみました。コロナの最初の頃はマジで何も信じられなくて怖かったなとか、そんな時に加州くんは今はすっごい辛いけどこれからの未来は明るくなるって言えて凄いなあ、直で聴いてたら泣いただろうなあとか、思うことはたくさんあったけれど、総括すると、このミュージカルはたくさんの人に愛されて支えられてきていて、役者の皆さんはそれ相応、それ以上のパフォーマンスでここまでやってきたんだなあということがわかりました。

最後全振りでの『刀剣乱舞』の盛り上がりは本当に素晴らしいものでした。私はこの歌をYouTubeとカラオケと数年前の紅白でしか聴いたことがないんですけども、それらとは(歌うメンバーが違うのもありますが)全然雰囲気が違うんですね。9年の重みと、これからも歩み続けていきますという覚悟を感じました。

隣の人とバイバイ〜って別れた後は大逆走してArena Bar7へ呑みに行きました。高いけど公演後にさっと呑めるのは良いことよね〜。店内は劇中歌が流れていて、それまたサイコーでした。

色々と忙しく、毎日がイレギュラーだけど、とにかく行けてよかったです。レアなチケットなんだから楽しんできな!と送り出してくれた家族と友人に感謝です。ありがとう、楽しかったよ!!

本日の読みたい本

『特別展 京のかたな 匠のわざと雅のこころ』 京都国立博物館、読売新聞社編

まあわかりやすく美しい図録である!写真はとてもきれいに表裏そろっているし、刃紋の様子は全振り見ることができる。1振りごとの解説、用語解説もばっちりである。

表紙は名物秋田藤四郎を拡大した全面図(京博所有のためと思われる)、箔押しも美しい。

出来るだけ多く日本の刀剣を写真図で見たいなら、この図録をお勧めする。

新たな体験は自分に何が足りないか教えてくれる

先日猫を触りに行きました。

人生で、初めて。猫カフェで。

ずっとイルカもゾウも触ったことあるのに、猫は1回も無いことを気にしてはいたんです。

周りにも飼ってる子ほとんど居ないし、野良は触る気無いし、でも猫カフェに行くのは、人間で言う女の子と話せねーからキャバ行くみてえなもんだろと思って避けていたんです。けどね、猫って犬と違って会う機会すらないんですよ。

腹を括って今月の頭、推し猫がいるという友人と共に、朝っぱらから猫カフェへ。こういうカフェ自体初めてなので、基本料金プラス10分毎に加算形式の料金プランに八幡様周辺の駐車場より高えなと若干白目を剥きつつ、歯医者にあるようなスリッパを履いて、ロッカーに荷物を置き、コーヒー片手に入場。

ご飯前だからみんないるねと友人の言う通り、30分後のご飯タイムのために多くの猫がいました。そう、ご飯前だからみんなそんな活気がないんです。ほとんど落ちているんです。これなら近くに行っても逃げられなさそう!と思うじゃないですか。

でも、逃げる。すっげえ逃げる。背中にそっと手を伸ばすと、あと5センチというところでヌルッと前方に逃げていく。今日は再三注意を受けて、香水を振ってないし、柔軟剤も無香料で来たのに。猫じゃらしの才能もないみたいで、無反応。

そんな中1匹だけ長い間触らせてくれた猫がいまして、それがアメリカンショートヘアーの年長。この猫ずっと特定の場所にいて、逃げねえなと思ったので、全力で無害アピールをしてまずは天中のあたりを中指の第2関節で撫でてみました。

意外に骨を感じる。想像では、ベルーガの頭に毛生やしたようなもんだろうなと思っていましたが、実際には毛、皮膚、すぐ頭蓋骨。あまり暖かくもないし、どちらかというとユニクロのボアジャケット着てるマネキンに近いかも。短毛だから?

頭の次は首根っこ、顎、背中。サワサワ撫でていたら、なんかプープー言いながら寝始めたので、前足を触ってその場を離れました。足は少し暖かかったな。

その間、友人は少し離れたところで推し猫を筆頭に猫を引き寄せていて、猫じゃらしを片手にもう片方では猫を撫で、更には私とアメショーの写真まで撮ってくれていました。ああいうのは天賦の才ってやつなんだろうな。

ご飯タイムを見届けたあとは、しばらくコーンスープを飲みながら、友人と猫の戯れを見ていました。ちょっとでもコツを盗もうと思って。でも、いくら見ても、何がそんな初対面同様の猫をデレデレにさせるのかわからないんですよ。

ようは友人が器用すぎるんだろうと納得し、戯れを邪魔しないよう遠くへ行こうと別方向に目を向けると、さっきのアメショーがいつのまにか、私の2m範囲内に、たった1匹でこちらを向いて座っているじゃありませんか。

あいつ、もしや私を待ってるのか?と、勝手に都合良く解釈した私は、膝から曲げて背を小さくしながら、近づきました。さっきぶりだね、ご飯は美味しかったかな?君だけだよ撫でさせてくれる子は…。

あと数歩というところでアメショーは、私とは逆方向で脚を広げて座っていた、オヤツを持ったおじさんの元へ歩いて行きました。

本日読みたい本

『日本古典と感染症』 ロバートキャンベル編著 角川ソフィア文庫

実はこの猫カフェか、そのあと行ったレストランでインフルエンザを移された。猫カフェでないことを祈る。

コロナを経た私たちには、以前の私たちよりも有利な点が一つある。疫病関連の事象について実感が湧きやすいのだ。

ワクチンなどない時代、どうやって体・気持ち共に乗り越えたのか?どう記録して後世に伝えたのか?探すことはできるけど、いっぺんに知識を吸収したいのなら論文集だよね。

特に疫病に向き合う村人の知恵について書いている太田尚宏氏による論文は特に興味深い。生命誕生のころから今までの人類史全てに言えることだが、我々の習う「歴史」と、地の人の死体が重なり合って出来た「時の流れ」および私たちの「ルーツ」は違うものであり、後者を学ぶことは人間としての生きる意味と生き方について考えるきっかけになる。

就活のための一年間が別にあってもいいと思うの

今年度も他大学の授業に顔を出しているのですが、相変わらずどの学校も、自分が四年間通うビジョンは浮かばねえなという感想を抱きます。授業は面白いし、生徒も優しい子ばかり。学食もうちより安かったり量が多かったり、近くに銀行や安いチェーンがあったり、いいな〜と思うことはあるのですが、なんか浮いている感じ。水と油感。ほとんど無意識に猫を被ります。その分、目白の校舎に帰ってくると、息がしやすくて、無駄に元気になります。周りが自分と同じ感じの人か、それを通常行動だと受け入れてくれる人が大半なので、素をだせます。安心しすぎて、壁でも寝られます。

人はそれぞれ違うことには変わりありませんが、学力の差がないこと・同じ面接官に良いと思われたこと・作文の質が同じくらい、などといった受験という篩にかけられ、残った人間が集うような学校は、どこかしら根本的なところで似ている人が集まる傾向にあるのかなと思います。その傾向こそが学校の「カラー」となり、伝統的になっていくことで確固たるものになっていくのでしょう。

きっとそれは会社も同じで、一つにまとまって動いているだけ、その傾向は学校よりも強い必要があるのではないかと思っております。そして、学校の受験に代わるジャッジ材料が、エントリーシートや面接やテストなわけで。私たちはそれを通過しなくてはいけないし、通過できる運命的な会社を見つけ出さないといけないのです。

どうしてもその会社に入りたいからその会社の社風を汲み取って人物を演じるのも一興ですが、やっぱり個性を潰すのは、バレますし、もし内定決まったところで、この先自分も周りもストレスになると思うんですよ。だから自己分析って大切で、企業側もそれに合わせて来てね〜と思っているから、なんたら診断とかが普及するわけです。理想はその結果に七、八割似ている雰囲気を持つ社員が集う企業ですね。

でもその企業を見つけるのが悠長に構えていると大変なんですよ。学校と違って会社って、実際自由に誰でも観に行ける機会が多いものではないじゃないですか。数も時間も限られるから、ご存知の通り、HPとかで調べて、ピンポイントで狙って書類通して行かないと行けないんですけど、書類通る通らないの前に、HPとか正直、似たような文言ばかりで、わからないじゃないですか。自己分析に乗じた職種診断も、けして性能が良いものではなさそうですし、頼りになりません。星の数ほどある業界から、すぐに会社名を思いつき、更に自分に似合いそうな会社はどれとこれとそれとあれとと、候補を思いつける超人がいるなら、それはその能力を元に起業すれば良いと思います。

時間が足りません。卒論も迫ってきているし、こっちはこっちで就活以上に何も決まっていないのです。自分の輪郭は掴んでいるので、旅に出ないだけマシかと思いながら、日々BB片手にパソコンと四季報に向き合う日々が続いております。夜明けは待つのではなく、向かって突き進む姿勢で、白紙の卒論と共に、めげず進んで参ります。

本日読みたい本

『孫子』 岩波文庫

初めての場所に行く時、戦略があれば上手くいく。完全無計画ではだめだ。

戦略の教科書といえばコレだ。岩波のは小さければ軽いので、持ち運びに重宝する。

とはいえ、実際に現場に行くと行き当たりばったりになるわけだが。

こうしてお守り本があれば少しは心の安定が図れる。

後名月にかき氷

暑さ寒さも彼岸までとはいうけれど、最近は季節が季節や国の垣根を越えて交流する時代。

そんな時代だからこそ存在できるメニューを今日はひとつご紹介させてください。虎屋さんの栗のかき氷です。芋名月が過ぎてから市場に出回る栗が、夏の名物かき氷とコラボなんて、本当に面白い時代になったものです。

そのままでも非常に美味しいのですが、私はかき氷に蜜栗をプラストッピングして、最後の一口で一気に味わいます。ホクホクした栗がラストを華やかに盛り上げます。店員さん曰く、練乳をかけるともっと美味しいらしいです。強いですね。

かき氷も最近はたくさんのお店が出てきて、自宅でも美味しいかき氷が作れるようになったけれども、この美しい盛り合わせは虎屋さんにしか出来ません。本当に美味しい。そんな令和ならではのかき氷は虎屋にあります。近いうちに喫茶がある虎屋さんのお近くを通る時は是非。ちなみにかき氷が終わればこれまた美味しい粟ぜんざいやお汁粉がやってきます。ちょっと高いので、今年は行けなさそうな気もしますが、いつか毎月毎週通えるようなご身分になりたいなと思っています。

西生田の森にて伸びるもの、生徒の背丈と文章量

今日はBSテレビ東京の『THE名門校 日本全国すごい学校名鑑』という番組で、附属中学校が紹介されておりました。内容はオープンスクール委員の子たちがオープンスクールを素晴らしいものにするという奮闘と涙のドキュメンタリーで、放送後友だちと「あのように素晴らしい出来た後輩がいて私たちは幸せものだ」と、熱く語り合いました。

小田急線の読売ランド前駅なんて、卒業すれば本当に行かないもので、我々は駅前の歩道橋を見るだけで涙をこぼすのですが、今日はそんな母校の過剰摂取を朝から行い、スマホの通知は中学が中学がとうるさいわけです。かくいう私も、ここに書いてしまうぐらいには興奮しています。

番組に出てきた人生何周目かと思うほど出来た中学生もいれば、大学生になってはじめてオープンキャンパス委員となり、はしゃぎすぎて足を攣るような卒業生もいますので、ピンキリということだけはお伝えします。しかし、あの番組に出ていた生徒と同じぐらい、人格的にも学業的にも既に大成している生徒が例年ゴロゴロいるのも附属中学校です。すごいでしょ。自慢の母校と自慢の同窓生です。

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番組でもサラッと紹介されていましたが、附属中学校は国語教育に現代では異質なほど力を入れています。

1番その成果が出ているのが、生徒及び卒業生の書く文章量。自分で言うのも何ですが、本当に長いです。まず、国語の授業を担当する先生が1年間に2人から3人いて、全員違う授業を1年間通して進めていきます。内容は近現代文多めの古典・近現代ごっちゃ混ぜです。ただテストや課題の形式は似ていて、テストは枠で囲ったスペースがあって、その中にみっちりと作品論などを書くスタイル。課題もB5くらいの紙に自分で枠取りして、スペースの許す限りみっちりと書くスタイル。出来上がった物は皆で共有して、互いに刺激し合います。

深夜特急、高瀬舟、陰翳礼讃、藤など教材のインパクトも強いものがありましたが、何よりもテストや課題の方針が我々生徒の発想力・創造力・構成力・表現力等々を育て、その結果が卒業生の華々しい活躍であり、スクロールしなければ全体が見えないLINEなのかなと思っています。

そう、我々生徒が注意しなければいけないところは、長く書くことを目的としてしまい、文章は人に読ませる物だという意識が抜け落ちてしまうことです。正直、文章の長さで附属中学生か否かは9割見抜けるほど、ダラダラと長い文章を私たちは書いています。相手が読みやすいか?ということが感覚から抜け落ちていて、私はつい最近までそれに気づけなかったので、今更色んなことや人に後悔と懺悔をしております。

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文章量といい、さまざまな力を身につけることができた附属中学校時代。在学時は劣等も良いところでしたが、これから先「お前が卒業生で誇らしいよ」と言ってもらえるよう、精進してまいります。

本日読みたい本

『銀河鉄道の夜』 宮沢賢治 新潮文庫

附属中学校ではこれが一番最初に扱った近代文学だった。私のこの本には、あの頃の付箋やラインが残っているし、度々本棚から出して読んでいるから、比較的ボロボロだ。

もう、何度も読んでいる。

けれども、私にとっての「ほんとうのさいわい」とは何だろう。あの頃もわからなかったし、今もわかっていない。でも、この数年間をこの学校法人で過ごして、少しは答えに近づいた気はする。

暑い日はビールに限る?

暑すぎて歩く気すら起きません。

言い訳に過ぎませんが、私そもそもの習性として花粉が飛散し出してから秋虫が鳴き始めるまでは基本的にやる気が出ない方で、9月以降はまた生き急ぐようにバタバタし始めますので今回まではインドアな感じの文章をお許しください。

こうして外に出ない日々が続く中何をいったいしているのかと言いますと、第一に企業のHPを見て、第二に本を読み、第三にスマホで文章を読んだり動画を見たりしています。冷房が効いた部屋の窓から覗く外の世界は晴れ渡り、絶好のお出かけ日和だと思うのですが、一歩外に出れば全てが幻想であることを思い知らされるわけです。朝から昼間はこうして、目が悪くなるような生活をして、夕方とか夜にちょっとだけ外を歩いて、体力を最低限維持しています。

本を読むと言っても、古典集成を読んでいるとか文学部の学生らしいことは一切せず、ずっと美術雑誌とか旅行雑誌ばかり見て楽しんでいるだけなので、なんとも言い難いです。

雑誌やSNSを見て、たくさん行きたいと思う場所はあるのですが、近隣だと銀座ライオン銀座七丁目店でしょうか。

ということで行ってまいりました。

銀座七丁目のライオンは現存最古のビアホールで、東京の中心地としてはかなりびっくり、戦前からあります。それゆえ、マッカーサー元帥もよく来ていたとか。ガラスモザイク画をはじめ、ほとんどが当時のままということで生きた文化財の代表例です。

頑張って昼間に行ったので比較的すぐ入れて、ビールも食べ物もすぐに来ました。夏祭り中なこともあり、ガリバーブーツで楽しんでいる客も多々見られましたけど、私たちはより多くの種類を楽しみたかったので、中か大ジョッキを数種類頼んで回し飲みしました。全部美味しかったです。黒ラベルは安定の極上として、意外だったのは、エーデルピルスの上品さと白ビールの飲みやすさ。二つとも初めて飲んだのですが、エーデルピルスは(ピルスとあるから当たり前)ウルケルに似ていて、でもそれらよりちゃんとポップに苦味があって、何より見た目が儚げで可愛い!白(調べたら白穂乃香とありました)はエーデルピルスや黒ラベルとは違って、苦味や麦感がないというか、原材料が小麦だからなのか詳しくないので知りませんが、本当に飲みやすいのにびっくりしました。ビール苦手でもこれなら好きって人たくさんいそうだなぁと思いました。

食べ物も本当に美味しくて、テーブルにみっちりなぐらい頼んだのに一瞬で無くなりました。個人的にカリーブルストが特に美味しくて、もっと食べたかったです。今回は頼まなかったのですが、周りの客が食べていた、つぶ貝のガーリックバター焼きが美味しそうだったので次回以降のため、ここにメモします。

昼間の銀座は日陰もあまりなくて最高に暑く、普段の銀座から考えると、ありえないぐらい路上に人がいませんでしたが、美味しい思いが出来たので行って大正解でした!あまり飲酒は良い印象を持たれないですし、あまり体に良くないことはわかっていますけれども、こうして歴史ある場所で百年前の人たちと同じように楽しめるようになったことは、歳とって良かったことの第一位です。

本日の読みたい詩

「お道化うた」 中原中也作 『在りし日の歌』収録

銀座ライオンの前身である、カフェー・ライオンについて書いてある本が良いかとも思ったが、やめて、これを選んだ。

ビールを呑みつつ泥酔の中、ベートーベンとシューベルトについて、彼らをベトちやん、シュバちやんと呼び、時空を超えた会話をする。さんざん色々話した末に、最後は「いざ知らぬ」と投げる。そして、どちらも早死にしたことを「誰知らうことわりもない……」と言って締める。

詞選びといい、展開といい、最後首がこっくんと言ってそうな消え方といい、詩全体から、暗い道だか部屋で、酔っている時の情景がありありと浮かぶ。次に並ぶ詩が「思い出」なのも、酔って寝た時の夢というか、翌朝の眩しさのような。

中原中也という人間が酒に酔っている、という行動が、絵や動画なんかよりも生き生きと伝わる、寂しくも美しい詩だ。