何枚もの色鮮やかな袖が春風に揺れている。この1年全く顔を合わせる機会のなかった同級生たちが一同に集っている。袴たちも1年ぶりに浴びる外の光にはりきっているようだ。
みんながはしゃいでいる。「ひさしぶりー!」「その色似合ってるね!」「一緒に写真撮ろ!!」…もはや涙を浮かべる余裕などなく、色や声が目まぐるしくすれ違ってゆく。再会と互いの着飾った姿に高揚し、軽い感動があちこちで生まれる。便利な言葉だけの会話がそこかしこで沸き起こる。
しかしそんな中にも刹那の沈黙があった。誰もが同じ目をする瞬間があった。「またね」が少し真剣になった。
あちこちで繰り返される16分休符が、一つの音楽が、確かに流れていた。
この春、私は卒業した。
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まいです、ごきげんよう❀
……というここでの挨拶も、どうやらこれが最後のようです。
先日姉から嬉しい話を聞きました。
姉の同僚の娘さんが春から日本女子大学の日本文学科に通うそうなのですが(合格おめでとう!)、ここを目指す決め手の一つが、なんと以前私が出演した学科紹介ムービーだというのです。
特にお母様(姉の同僚さん)がムービーを通して日本文学科に好印象を持ってくれたらしく、近々ZOOMで「入学後の生活など」について娘さん(とお母様)とお話しすることになりました。
学科の印象を好いものにする目的の活動なので、このような形で効果を実感できて嬉しいです。「日文のある意味へんなところ、面白さをもっとアピールしたら良かったなあ」と今の私は思っているのですが…(できることなら撮りなおしたい。卒業したので最早「現役生」ではありませんが)。
日本文学科への愛は前回のブログで語らせてもらったので、今回は入学する方々に向けたお話しをしたいと思います。
とは言っても、「大学ではこんなことがあるよ」「こんなことをするといいよ」という実用的な助言はありません。大学でどれだけのことを学びどれだけ成長できるかは、間違いなく自分自身にかかっているからです。
小中高は、違いました。日本の教育は、決められたことをみんなで取り組むスタイルが根本にあるので、「いつ頃にどんなことをするのか」「それでどんなことを学べるのか」「どういう成長が期待できるのか」がある程度予想することができ、結果が大幅に外れることもありません。みんなが同じことをするので、かえって能力や成長の差は顕著になり、人によっては物足りない環境に、人によっては過酷な状況に置かれることになります。これは自分ではどうしようもできない部分です。アメリカのような飛び級制度は基本なく、意欲に対し供給が不足することもありました。
ですが、大学は違います。
まず、大学生になる頃には様々なツールを使えるようになっています(使いこなせるかは別として)。分からないことを、そのままにするか教授に聞くか…自分で調べるという選択肢があるのです。その選択肢が小学生にはないかと言われたら全くそんなことはありませんが、パソコンや分厚い本や難しい言葉を処理できるようになった自分の「調べる」の深さは、そうでなかった時のそれとは格段に違うでしょう。
そしてその「調べる」行為を存分に応援してくれる設備や環境が、大学にはあります。図書館だけでなく、教授や友人の知識も大いに学びに繋がります。義務教育や試験には、どうしても1つの「答え」がありました。しかし大学で一問一答はしません。学生は必ずしも「答える側」では無いのです。疑問をもち、問を立てる。自分なりに解決していく。普段から問をどれだけ立てたかで、同じ授業を受けていてもそこから得られるものは大きく異なります。
小学校の時と同じように、言われたことをメモし、問いかけに答えているだけでは、「大学の良さ」をいかしきれません。むしろ「言われなかったこと」「説明されなかったこと」にこそ意識を集中させ、疑問を持ってみる。そしてそれを仲間に、教授に話してみる。脳に皺が刻まれていく。おもしろい!と感じる。
そういうことができる場所が大学なのです。
私は、大学に来てはじめて勉強のおもしろさを知りました。
それまでも学校や授業は好きでしたが、そのゴールにある試験と「学び」の行為の乖離に耐えられず、違和感を拭えずにいました。なにも褒められたことではありませんが、受験勉強に身が入ったこともなく、「教科書の太字を覚える」「言葉で説明できても漢字を一字間違えると罰になる」「そうとも読める、で丸はつかない」「薄っぺらい内容でも、文に問題がなければ丸がつく」…といったシステムの歪みに黙って従っている感覚が耐えられませんでした(反抗してもしょうがないんですけどね)(勉強は素直にして損ないですからね)。
そんな私が受けた衝撃のひとつは、大学1年生の古文の授業でした。
受験勉強のためには古文単語をそれこそ一問一答式に暗記し、助動詞の活用形を唱えていましたが、大学1年次の基礎的な授業で教授は「古文単語は分からなければ辞書を横に置いて調べればいい」と言ったんです。
「え!!!そうだよね!!?」となりました。
大学の授業で、「じゃあ〜“あはれ”って現代語訳すると?」なんてことは訊かれません。そんなのは調べればいいんです。むしろ大事なのは、その古文を、「文学作品として」読むこと。どういう心境なのか、この地名がここに登場する意味はなんなのか、どう読めばおもしろいか──。
あ、今まで私って古文を読んでいなかったんだ!!と目からウロコの思いをしたことを今もはっきりと覚えています。
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4月から、入学される皆さん。4月から、進級される皆さん。
今の自分の意欲を、未来の自分が叶えることはできません。ぜひ、学びたい、知りたいと思う気持ちにブレーキをかけず、思い切ってください。そんな危険運転が許されるのは、今だけです。
キーワードは「気になるけどちょっと手間(面倒)」です。興味を持ってのめり込むことはもちろん良いですが、それであれば言われずとも積極的に取り組むでしょう。むしろ「ちょっと手間だなあ」と思うときの1歩こそが、重要です。
この4年間でしたいこと、なりたい姿、自分のなかで「緊急ではないけど実は重要なもの」について考えてみてください。
大学は赴けばそこにあります。 あなたのために建っています。
長期休暇は全部くっつければ1年で半年近くあります。
そんな4年間をあなたはどう過ごしたいですか?
…あなたの選択を心から応援しています。
𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄
ご愛顧、ありがとうございました!!
このブログ部のメンバーは日本文学科から選ばれし最強のメンバーです。
ぜひこれからもブログ部をご贔屓に!よろしくお願いいたします❀
まい