年の瀬、ほろほろ

みなさま、こんにちは。

ついに12月31日、年の瀬ですね。今年もあっという間だったなあと、毎年恒例のことを思いながら過ごしています。年末、いかがお過ごしでしょうか。

さて、2026年ラストのブログはやっぱりこの話題。卒論です!

無事に(?)提出できました〜!!という感じなのですが、卒論、日文なのにまさかの中国の近代話劇文学で書きました。自分でも「そっちいく?」とは思いましたが、興味があるものを突き詰めた結果こうなりました。

内容としては、曹禺の『雷雨』を中心に、自然描写としての“雷雨”がどう人物や物語に関わっているのか、そこから文学としての価値をどう考えられるか、みたいなことを書いています。登場人物の関係性と雷雨の表現がどうリンクしているのかを見ていく感じです。

書いている間は大変なことももちろんあったのですが、テーマが好きな分、あまり「しんどい…」とはならず、むしろ普通に作業として楽しいなと思いながら進めていました。資料読んで、ああでもないこうでもないと考えている時間、意外と嫌いじゃなかったです。

やっぱり、苦にならないテーマ選びって大事だなあとかなり実感しました。ただ、それとは別で「計画的にやること」はめちゃくちゃ大事です。ここはちゃんとやればよかったなと、ほんのり反省はしています…

なんだかんだで振り返ると、今年は本当にいろんなことがあった一年でした。ダンスに、実習に、そして卒論にと、ちゃんと4年生らしい時間を過ごしていた気がします。バタバタしながらも、それぞれちゃんと向き合ってこれたのかなと思っています。やったね。

今年もこのゆるゆるブログを読んでいただきありがとうございました!来年も変わらずゆるく続けていく予定なので、よろしければお付き合いください。

それでは、よいお年を!!

良いお年を!

私はというと、年末の大掃除によって一周回って服だらけになった部屋を見て絶望しているところです。ぎりぎりまで着手しない自分が悪いのですが、なかなか思ったようには進みませんね。2026年の私にお任せすることになりそうです。

さて、2025年の最後の日ということで、どこもかしこも年末ムードが漂っています。折角なので私も今年を振り返ってみようと思います。といっても学生最後の1年、1年生のころからそう変わらずに「踊」の漢字が似合う2025年でした。冬に踊り、春に踊り、夏に踊り、秋に踊り、また冬…。このままいくと学生生活4年間の漢字が「踊」になる予感(というかほぼ確実)なのですが、それなりにとてつもなく充実した1年を送らせていただきました。よく両親に「元気だね」と言われますが、もう体力があるとかないとかの次元ではなく、行くものとして私の生活にプログラムされているのです。私も「元気だな」と思っています。

勉学面においても、4年生なのに意外と大学にも週3日ほど行っていたので、しっかりと大学生も満喫できていそうです。夏前に教育実習へ行ったり、ぬるっと教員採用試験を受験したり進路に関する勉強は意外としていた印象です。特に卒論提出前は旅行を入れ込んだ所為で最高に大学生をしていました!!これから卒論に向かう皆さま、ぜひ計画的にお進めください。何はともあれ、大きな怪我や病気をせずに終われる1年、良き1年ということで、まったりお風呂に入り、お蕎麦を食べながら、推しの配信を見て終わろうと思います。

そういえば、お話少し変わりますが、昨日ブログ部に新メンバーの方が加入されましたようで…!もうそんな時期かと思いつつ、自分も年を取るよなとしみじみするなどしておりました。更新のろのろかつブログ部4年生以外とはほとんど面識のないレアキャラもいいところの私ですが、こっそりブログは楽しみにしています。新メンバーの方が楽しいブログ部ライフを送れること心からお祈りしております!!

今年も1年、ありがとうございました。ブログも残すところきっとあと数回。最後までお付き合いいただけると嬉しいです。それでは皆さま、よいお年をお迎えください!!

ライブとディズニーと大学と

 こんにちは、こんばんは。
今年やり残したことがありそうな気がしてならないりさ🎧です。

 例年、「1年を振り返る」なんて年末らしいことしてないんですけど今年はブログを書かさせていただいているということで、文字起こししてみようかなと思います!

1月 石井先生にブログ部に誘っていただき、メンバー入りする。推しのライブに行く。
2月 友達とディズニーに行く。成人式の前撮りに向け、主に美容の方面で忙しくする。
3月 友達とディズニーに行く。そこそこ長かった髪をバッサリ肩上まで切る。母校の定期演奏会に出演。
4月 推しの3Dライブを見る。推しのライブに行く。
5月 …
6月 ドナルドのパルパルーザを駆け込みで楽しむ。(訳:ディズニーに行く。)
7月 テストや最終レポートで充実した日々を送る。
8月 友達とディズニーに行く。バイトを頑張りつつも白川郷に行ったり合宿に行ったりと充実。
9月 家族旅行で大阪へ。教習所に通い始める。
10月 2週連続でマイナビの就活イベントに出席。目白祭!リニューアル前最後の加茂水族館に行く。
11月 誕生日インパ!たくさんの人にお祝いしていただいた🎂
12月 お友達とたくさん遊んだ月。推しのライブに行く。


こうやって振り返ると結構ライブとディズニーに行った1年なんだな、と感じます。空白になっている5月は手帳を見てもカメラロールを見ても特にイベントがありませんでした。2025年はずっと忙しかった記憶があり、あっという間だったのでそんな月があったのか、と驚いております。そんなに時間あったなら資格試験の勉強をしておいてくれてもよかったんだよ~過去の自分!!今さら思っても後の祭りですね。
 2026年は就活もぼちぼち始まります。サークルを引っ張っていく立場にもなります。これだけでも慌ただしく日々が過ぎていきそうですが、できれば簿記3級に受かりたいところですね。簿記に関してはブログでもずっと言っているのに未だ試験日すら決めていないという現実…当初の予定では12月24日に受験する気でいたのですが、申し込みを先延ばしにしていたらあっという間に過ぎていました。このブログを書き終わったらさすがに日付を決めて申し込もうと思います。じゃなきゃ私はやらない。


 さて振り返りはこの辺にして、次にすることといえば!来年の抱負ですよねー!!ずばり「時間がないことを言い訳にしない」です。推しがこんなことをインスタライブで言っていたんです。「忙しくさせていただけるのはありがたいこと」と。相手は芸能人(俳優もアイドル活動もゲーム配信もしている方)で私は一般人なので推しの方が圧倒的に忙しいのはそうなのですが、いつもは気に留まらないその言葉がとても私の心に響きました。時間に対する価値観が自分の中で「今まで」と「今」で変わった瞬間なのだろうと思います。
 まずはすぐに手に取りがちな携帯を本やテキストに変えるところから始めようと思います。「時間がないことを言い訳にしない」ためにも手帳をしっかりとつけるのも習慣化したいところです。できれば1日の良かったところ悪いところ改善したいところ続けたいことを書いて自分の糧にしたいですね。書いてて思ったのですが、先延ばし癖もきっと時間を言い訳にする原因になっているんですよね。これも治せるように意識していきたいです。(似たようなことを以前書いたような気がしないでもない…人間がすぐに変われないことを示すのに十分すぎる…)


 来年1月は程よく息抜きもしながらレポートと試験に勤しみ、2月は教習所に通いつめ、サークルの定期演奏会(2月28日(土)に光が丘IMAホールにて!)があり、3月は母校の定期演奏会に出演予定です。今決まっている春休みの予定だけでも気が遠くなるのですが、この忙しさを楽しむためにも体調管理に気をつけていきたいです。


 本日は1年の振り返りと来年頑張りたいことについてお送りいたしました!
みなさま、良いお年をお迎えください!

文章読もうぜ2025-2026

卒業論文が終わり、ようやく図書館に必要ではなく趣味として行けるようになりました。小林秀雄とか好きなものや、宮武外骨とか論文中に気になった作品を取り出していくのは実に楽しいものです。

論文(とは言えないかもしれない)を書いている時間は楽しいけれども、どうしてもあれを読まなければならないこれを読まなければならないで、本よりも下に貼ってあるシールの、棚番号を見がち。一言で言えば、視野が狭い。配置とか構造とか、知ったものか。

ということで、今更気付いた、うちの大学図書館の個人的に好きなポイント。淡島寒月の『梵雲庵雑話』の配置。集密倉庫で西鶴など好色本と向かい合わせで置いてあります。自分で『梵雲庵雑話』を持っていたのもありますが、気づかないものかね。

やっぱり本を読むのは楽しいものです。知らない世界を知れるし、安いし、軽いし、何度も読み直せるし。今年は本をただ読むだけでなくて、研究したり編集したり印刷したり、本まではいかないけれども書いて見たり、様々な形で関わってみた一年でした。ここまでやってみて、自分が一番向いているのはやっぱり、一番最後にいて、一番可能性のある読者の立場なんだろうなと考え至りました。

文学部に一定数いる人間と同じで、何かを生み出す側に強く惹かれたこともありました。しかし色々やってみて、ゼロからイチより、イチから先が自分は気楽で、向いていて、恐らくそちらの方が世の中的に重要だと思っている節があるのだろうと思いました。

入口が決まっただけで、将来社会人として自分がどのように生きて行くのかはわかりませんが、本を自由に読む読者という立場の権利を捨てたり、捨てられないような社会を創るために生きていきたいと思います。せっかく文章が読めて楽しめる、自分にとって大当たりな立場を得たので。

そういえば、また一冊本を貰いました。今回は相続的なものでもゴミ箱からでもなく、大学図書館に「ご自由にどうぞ」とあったので貰って来たのですが、題名が”Every Day a Good Day“。そう、なんと英語の本です。日本人によるものみたいですが。親には「また捨て犬感覚で連れて帰ってきやがって」という顔でみられましたが、最早いつものことだし、今回は新品なのであまり言われませんでした。お茶についての本なので、内容はわかるだろうということで、勉強がてら読んでいけたらなと思います。

お正月暇だけど本を持つ体力がないという方は、是非本ブログサイトを読んでやってください。(ブログサイトの方はこのまま先へ、noteの方はプロフィールにあるURLへ飛んで。)

見逃していたあの記事、いつのまにか上がっていたその記事、見覚えのないそんな記事。時間はかかりますよ。時に読み飛ばしながら、ごゆっくりご覧くださいませ。

それでは良いお年をお迎えください。今年もご愛読ありがとうございました。

わた

年末感

ごきげんよう、あやめでございます。

年の瀬、みなさまいかがお過ごしでしょうか。私は大掃除やら内定者学習やらで、思ったより時間のない冬休みを過ごしております。とはいえ、4年生は授業もほとんどなかったため、冬休みのありがたさはあまり感じられていないような気もします。それを裏付けるかのように、今の私に「年末感」は皆無であります。大掃除しているのに。こうやって暮れていくのだろうか。おおこわ。確か去年も「もう年越し?」と寝ぼけた顔で言っていた気がします。こんな話をしたら母が、年を取るというのはそういうことだという注を付けつつ、季節感がなくなるとア!!!!っという間に年を取るらしいので、無理やりにでもイベントに参加した方が良いらしいことを教えてくれました。おおこわ。

もう今年も終わってしまいますね。大学四年間ってこんなにアッと言う間のことなのですね。1年生のころ、耳にタコができるほど「遊んでおけ」「4年なんてすぐ終わる」と言われてきたのに、実際に自分が「そういう」目にあってみないと「アッという間」の短さがわかりませんでした。イヤ、まだあと三か月は大学生という身分を謳歌するつもりなので、しんみりすることは考えません。

年末感を取り戻しましょう。小学生のころのワクワク感を思い出しましょう。なぜか一生懸命夜中まで起きていて、年越しの瞬間をこの身で味わいたいと思って、でも物凄い睡魔に襲われて、結局10時半ごろに寝てしまっていたあの頃のことを。年を重ねて、年末じゃなくても日付が変更する時間に起きていて、そのことが普通になって、普通に年越しの瞬間に立ち会えるようになりましたけれど。奇をてらって去年は逆に早く寝ました。こんな調子だからかわいくないのです。ハイ気を取り直して。ごほん、今年の漢字とか、考えましょうか。今年はいろいろ変化がある一年だったような気がします(変化が無い一年の方が珍しいでしょうが)。例えば、自宅に引きこもって布団を背負ってカタツムリみたいにやっている私が、旅行に二回も出かけました。熱海と大阪。私にしてはなかなか大仕事をしたと思います(こんな調子なので、ブログにて、さまざまな場所におでかけなさっている仲間の様子を見かけてはすごいなあと思っています)。あるいは、就職先が決定しました。これは大きな出来事といえるでしょう。来春から社会人として「働く」をするのかと思うと、洗濯機くらいガガガと震える気持ちです。自己紹介に対する苦手意識はついに、払しょくされないまま、あらたな自己紹介チャンスが回って来てしまいました。とても憂鬱です。なんて言って自己を紹介しましょうかしら。とりあえず現段階では仕事で使う知識の勉強をしていますが、教科書が分厚すぎて、最初の方で学んだことを忘れつつあります。難儀しています。あるいは、つい先日ですけれども、卒業論文を提出しました。大学生活で最も重大な論文の執筆だと思われますが、提出直後は燃え尽き症候群のような、すっからかんの気持ちになりました。おわってよかった。

こうやって考えてみると、今年の漢字は「転」とか、「変」とかがいいでしょうか。「変」は「へんてこりん」という風にも読めそうでちょっとニュアンスが変わってしまうでしょうか。そのくらいがちょうどいいのか。

大学生が終わるということを今更気が付いて、キャンパスメンバーズなどの制度を使って、いろんな文化的な施設へでかけようと決意しております。歌舞伎も見てみたいし、オペラも(合唱経験者としてはぜひ)実際に目にしてみたいです。科学博物館も、美術館もいくつか行って見たい。カタツムリの私が、これだけの量のおでかけが果たしてできるのでしょうか。大学生のうちにいくつまわれるでしょう。残り少なくなってからの方がやる気が出てくるこの性分、どうにかなるのでしょうかしら。もやがかかった冴えない頭でぼんやり、大丈夫かなあと思ったあたりで今回はお別れといたしましょう。よいお年をお迎えください。

年賀状

 皆さんこんにちは、あかりです。気づけばクリスマスも終わり、お正月まで残りあとわずか。この時期になりますと大掃除をしたり、お正月飾りを出したりなど新年に向けてあっちもこっちも大忙し。スーパーにも伊達巻やかまぼこ、栗の甘露煮が並びお節料理のメンバーが勢揃いしています。

 私はと言うと、つい昨日茶道の先生方に年賀状を出してきました。なにぶん枚数が多いものですから友人や親戚の分はまだ出せておりませんが、明日にはポストに入れに行きたいところです。毎年、過去の年賀状を引っ張り出して住所を確認しては新年のご挨拶を書いていますが毎回はがきを探す度に思うことが一つ。

 この人とはいつまで連絡が取りあえるのかな。

 人間関係というのは脆いもので、引っ越しや進学を機にリセットされるのもしばしば。顔を合わせていない期間が続くと縁や絆というものがどうしても薄れてしまいます。生きていく中で環境がころころと変わっていくのは仕方のないこととはいえ、それでも親しかった人と会えなくなるのはちょっぴり寂しく思ってしまいます。さらに良くないのは、一度遠のいてしまった距離感(物理的にも心理的にも)は中々元に戻らないどこか変に気まずくなってしまい余計に悪化するパターンがあることです。会いたい思いはあるけど今更何を話したらいいんだろう。向こうは私のことをどう思ってるのかな、ひょっとしたら忘れられてるかも…なんて良くない妄想に憑りつかれてもっと話しにくくなってしまいます。(特に私の場合は)

 一期一会とは言いいますが、だからこそ一つ一つのご縁を大切にしたいものです。なので、年賀状を漁って同じ人から来たはがきを沢山見つけたときは何だか嬉しくなってしまいます。

 そんな訳で来年も再来年も続いていく縁でありますようにと、願望に近い期待を込めつつ今年も年賀状を送ろうと思います。もっともはがきだけじゃなく実際に会えるほうがずっといいのですが、はてさて…。

 それでは今回はこの辺で。皆さん、良いお年を!

1218 – 1225

お久しぶりです!ゆずなです🪼

昨日から冬休みに入り、まとまった時間が確保できたため、ここ最近しようしようと思って実行に移せていなかった、大掃除や年内最後の断捨離をすることができました。
2025年にやり残したことを残すことなく、悔いのない新年を迎えることができそうで、ほっとしております。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

🪼 今回は、この7日間
について綴りたいと思います。

ちょうど一週間前は、私の誕生日でした㊗️
たくさんのお友達に祝ってもらえて、両親からはサプライズで憧れのブランドのネックレスをプレゼントしてもらい、とっても幸せな20歳の誕生日になりました🥹❤️

お祝いしてくださったみなさん、ありがとうございます!

20歳になったことによる大きな変化の一つに、お酒が飲めるようになったことが思いつきます🥂ブログ更新までの一週間で、誕生日にシャンパンをグラス一杯と、クリスマスイブに梅酒ソーダをグラス一杯分、飲みました。
シャンパンはなんだか慣れない味でしたので、これが大人の味か……と思いながら飲んでいました笑
梅酒の方は、元々梅が大好きなこともあり以前から飲んでみたいと思っていました。梅酒というより梅ジュースのようで想像以上に美味しく、そして飲みやすかったです。

しばらくすると、母と弟に顔が赤くなってるよ、テンションが高くなってるよ等指摘され、酔いとは、こんなに自覚症状がないものなのか!?と驚きました笑
危ないですね、気をつけて楽しみたいと思います♬

みなさん、一緒に飲む機会がありましたら私の変化を教えていただけると嬉しいです🙏🏻笑

毎年恒例な家族とのクリスマスのお祝い。今年はクリスマスイブの日でした!
クリスマスケーキはダークチョコレートとラズベリーがメインのブッシュドノエルでした。私の誕生日に食べたのはタルト生地のイチゴがのったケーキでしたので、この1週間で全く違う種類の味のケーキを食べることができました😋

そして、本日クリスマス当日にはソラマチのクリスマスマーケットに行ってまいりました🌲前回のブログでは横浜赤レンガ倉庫のクリスマスマーケットに行ったことを書きましたが、まさか今年中に2回いくことができるとは……!
途中で雨に降られましたが、そんな中で飲んだホットココアが冷えた身体によく沁み、いつもの何倍も美味しく感じられました☕️

その後、スカイツリーの天望回廊まで登ったのですが、地上450メートルから見る夜景は息をのむほど綺麗でした…✨
夜まで素敵な時間を過ごすことができたクリスマスでした🌃


みなさまが幸せであたたかなクリスマスを過ごせていますように💫

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本日も私のブログを最後までお読みいただき、ありがとうございました。



今日もあなたにとって、笑顔になれる日になりますように♡

今年最後のブログ

皆さまこんにちは!こゆき✨です
早いものでこちらのブログが今年最後の投稿となりました。
そんななか、先日開催されていたM-1グランプリがおもしろすぎてまだ余韻に浸っております。
王者たくろうのビバリーヒルズのネタが最高すぎました㊗️
劇場で漫才が見たいです!

話が180度変わりますが、
前回のブログで日本の古典文学が世界で注目を浴びているという内容をご紹介しました。今回もまたそちらのお話をさせていただきます。本日(火曜)の3限にあった「世界に拓く日本古典文学」という授業で韓国ご出身で日本文学を研究されている方のお話を伺いました。感情が文学になる日本の和歌の素晴らしさを熱く語っていただきとても貴重な時間でした。また、今まで50冊以上の日本文学を韓国語に翻訳されたというお話を聞き驚きました。直訳にならないように分かりやすく日本の文化を交えながら翻訳することを今まで意識されていたそうですが、そのやり方はあまり良くなかったのでは?と最近思うところがあるようです。その理由としては、海外の作品を読む上で分からないことが多いのは当たり前であり、翻訳で分かりやすくしてしまうとかえって読者の考えや想像を固定化させてしまうという考えに至ったそうです。これらの内容から翻訳の難しさを実感しますよね。単に内容を伝えればい良いというわけではありません。昨年は韓国の作家であるハンガンがアジア人女性として初のノーベル文学賞を受賞したこともあり、韓国の文学も凄く興味があります!

今年はブログデビューをしたというとても実りのある一年でした♡

皆さまはどうでしたか?

良いお年をお迎えください!

昭和100年

皆様こんにちは。本日はどのような一日をお過ごしでしょうか。
可愛いネコちゃんを見かけたり、不思議な形の雲や石ころを見かけたり、何か楽しいものが目を喜ばせる素敵さはありましたか?

私は今日、自転車のハンドルを掴んだ時、カゴの中に寝転ぶイチョウの葉を見つけました。イチョウの黄色があんまり優しく輝いているから、錆びたアルミ籠も枝のよう。
だからきっと今日の私はイチョウの木に跨ってアルバイトへ行ったのです。


そうそう、日本女子大学の前の通りも銀杏並木が見事でして。受験に来た日も、入学した後も、私は無性に嬉しい気持ちでイチョウの黄金を浴びていました。これも私の小さなお気に入りポイントかもしれません。申し遅れましたが本日の担当は近代文学とペンギンを愛するまどか🐧です。




***




そうは言いましても、意図せず素敵なモノに出会ってそれを眺めて心を和ませるというのは存外むつかしい。
ですから私は「意図して」「すてきなもの」に出会う時間も作りたいなぁと思いながら日々生きています。そんな私が選んだのは【観劇】でした。

そして今年、2025年という年は私にとって実に特別な一年!
ブログのタイトルにもなっている「昭和100年」。私の敬愛する小説家・三島由紀夫はその満年齢が昭和と同じ時を刻まれたお方です。即ち今年は三島由紀夫の生誕100年記念の年だったワケでございます。2005年生まれの私にとっては己の成人の年でもあったのですが、そんなのはいい、こっちの方がよほど一大事です。
今年はもう演劇も文学館も美術館の展示もどこもかしこも三島由紀夫!!どこへ行っても彼の名を見られる幸福な一年でした。そのような一年の締めくくりに私が選んだ演劇は……「近代能楽集」。

さてさて本日のブログでは
①観劇の紹介と感想
②卒業研究のお話
この2本立ててお送りしようと思います。



舞台紹介

●タイトル:三島由紀夫生誕百周年記念二作品同時公演「わが友ヒットラー」「近代能楽集」
●原作:三島由紀夫
●演出:松森望宏
●会場:新国立劇場・小劇場(東京都渋谷区本町)
●期間:​2025年12月11日(木)~12月21日(日)
●チケット代金:全席指定9,000円 (税込) 「わが友ヒットラー」のみ18歳以下無料( 19歳以上同伴者:4,500円 )
●サイト:三島由紀夫生誕百周年記念二作品同時公演 – CEDAR

こちらの公演はなんと2作品同時公演!「わが友ヒットラー」はストレートプレイ(台詞と演技のみで表現するもの、ミュージカルとは異なる)で、「近代能楽集」は朗読劇(舞台上に座したまま台詞のみで表現する、声優さんのアフレコのように)での上演となりました。
2作品同時といっても一回の公演中にまとめて行うという訳ではなく、きちんとそれぞれが独立したチケットで別々の日取りに行われていますが……同じ公演期間に、同じ演出家さんの演出で、同じ劇場で、別作品が観られること!これは本当に面白いことなのです。全く同じはずの劇場と舞台でも、役者が動き始めた瞬間に観客の目にはもう別世界が広がっているのですから。この舞台の引力、魔力ともいうべき力を同時公演は身をもって感じることができるワケです。

私は近頃このように同時公演の別作品を全て観たり、同じ舞台に複数回通ったりすることにハマっています。同じ劇場の舞台でも役者さんや様々なスタッフさんの表現次第で如何様にでも変化する。そのような変幻自在の舞台のトリコです。ですから今回も二作品併せて観に行きましたが今回のブログでは「近代能楽集」のほうにのみ焦点を当ててご紹介します。



そもそも三島由紀夫の『近代能楽集』ってなんでしょう?能楽といえば700年近い歴史を持つ日本の伝統芸能……といった紹介で小中学生の頃に芸術鑑賞会をしたことがあるかもしれません。また三島由紀夫についてはなんだか戦争の前後に様々なメディア露出もしていた小説家といったイメージがおありでしょうか。しかしながら一体なぜそこが結びつくのか。実は小説家として知られる三島由紀夫は一方で演劇にも強い関心を示し、生涯で数多の戯曲を手掛けただけではなく演出までしていたこともあるのです!ワオ、多才!

そして実は過去にも三島由紀夫『近代能楽集』について触れたブログを書いておりましたため、その際の大雑把すぎる解説も引っ張っておきましょう。

「近代能楽集」では8曲の作品が収められているが、その中でも「葵上」や「卒塔婆小町」、「班女」などは聞いたことがある方もいるはずだ。
それではこの「近代能楽集」とは一体何なのか。簡単な理解としてはパロディといったところだが、もっともっとオタク的に分かりやすく申し上げるのならば謂わゆる「現パロ」だ。しかしながら、ただ時代設定を近代的にしたのではない。中世に比べて、様々な演出や技術の増えた「近代」の舞台で最も「劇的」に映えるように作られている。否、作り込まれている。
現在文庫化されている「近代能楽集」は戯曲本、脚本のような形で楽しめるのだが、読んでいると頭の中で「あぁこのシーンはきっと映える!」とそんな妄想が止まらなくなる。是非とも舞台で観たい作品である(https://mcm-www.jwu.ac.jp/~nichibun/blog/index.php/2024/09/25/

「満願」2024年09月24日投稿のブログ


と、いう訳で。是非とも舞台で観たいと言っていた去年の私~~!叶ったわよ~~~!!まぁ本当はストレートプレイで観たいって意味だから断片的にしか叶ってないかもしれないけど~~~~~!


なにはともあれ、伝統的な能楽が描き出す真理・形而上の問題のようなものを、より顕在化させるためにその舞台設定やキャラクター像を「近代化」し、当時の観客にとって身近な例を以て描こうとした……そのような試みの作品と言えるでしょうか。ですから、扱っているテーマは「能楽」でも自然にスッと台詞が頭に入ってきて状況も理解できる舞台となっていまして、予習ナシでも楽しめるものかもしれません。




そのような『近代能楽集』の中でも今回は「弱法師」「班女」「卒塔婆小町」の3曲が朗読劇として上演されました。
私はアフタートーク付の12月18日㈭の回を観劇したのですが、特に驚いたのは「弱法師」と「班女」です。『近代能楽集』における「弱法師」という作品は盲目の戦災孤児である青年・俊徳(としのり)を主人公に、その青年の親権を実親と育ての親が家庭裁判所で争う・・・といったお話。もう成人するくらいの年齢でありながら、光を失った世界で孤独を抱えて生き続けてきた青年の強がりと寂しさ、その陰にある幼さがチグハグとした非常に難しいキャラクターといえます。私はこの俊徳というキャラクターが儚く刺々しいガラス薔薇のようで大好きだったのですが、だからこそ、きっとどんな役者がやっても納得しないだろうという熱意と落胆がありました。

それなのに…どうしたことでしょう。

神経質そうな間の取り方。少年と青年の間を彷徨っているような中性的響き。時折わざとらしく挟み込まれる舌打ちすら生意気で可愛らしい。
いかにも言い慣れないという風体の、三島戯曲特有の絢爛な言葉の乗り回しは精一杯の虚勢のようで痛ましく、愛らしい。
ラストシーンで桜間に甘えるときの幼児帰りした声も実に見事。完全に声変わりしたワケでは無いどっちつかずな声がこうまでも魅力的にハマるとは!本当に、本当に、俊徳が本から出てきたならアレだろう。笑い方のいわけなき、カラカラとした恐ろしさと空虚さったら!!

驚いたのはそれだけではない。アフタートークでは板の上の姿とのギャップも凄まじかった。脚本をもらった時に漢字を読むのが難しかったというお話や、本番前のルーチンは?という質問に対して「ないですね……」の回答など全体的に朗らかで緩い。ゆ、ゆるっゆるだ……と衝撃を受けたものだ。
そんな木村来士さんは現在まさかの18歳とのことで、これは今の彼だからこその演技でもあるのかもしれない。とても良いものを観た。声質や年齢のポテンシャルはもちろんだが、それを自在に操り、板の上に俊徳を見事に描き出してくださったことに非常な感動を覚えた。ぜひ他の作品でも彼の演技が観てみたい。

また、「班女」の花子にも息を呑んだ。まだ台本を開いてもいない、ただ入場しただけ。それでも彼女の全身が醸し出す狂気でたちまち引き込まれてしまった。
暗い劇場内でただ1人純白のワンピースを纏う彼女の異物感は甚だしく、その足取りも常のものではないフラつき。焦点の合わない目に真ッ赤なティントリップから紡がれる据わった声、こわい、狂っていると一瞬でわかる素晴らしさ。猫背気味に息を過分に吐いて吐いて吐き出す!地を這うような高音が登りつめ、劇場内の雰囲気を一瞬で変えた。ラストシーンでは2人きりの花実る世界が独特の粘度を持って描き出され妖艶だった。

アフタートークによると花子を演じた小泉萌香さんは稽古も一度きりで本番も一度きり、初舞台が千秋楽という本人も戸惑うスケジュールだったらしいのです。耳を疑うような本番の迎え方ですが、、舞台上での調和を拒む存在感。その不気味な魅力はある意味で、そのようなカンパニーだからこそ生み出せたのではないかとさえ思います。初日で千秋楽だなんて中々お目にかかれない状況、味わい尽くせたかもしれません。
そして、そう。衣装も見事だったのです。俊徳の真白なシャツには鮮血のような爛々と輝くビーズ刺繡が心臓の位置にだけ施されており、彼が感情を露わにしてベストが揺らめいた時だけ、その隙間からチラリと覗く赤の美しさよ。
加えて、後場で登場した花子の纏う雪景色のようなガウンも印象的だ。迎えたクライマックス、暗転する直前、彼女の引きずるガウンが心做しかネバネバと床に絡め取られるような……そんな背中を見送った。まるで幽閉されるバッドエンディングのラプンツェルみたいだ。なんと綺麗な後ろ姿か。

総じて感じたのは、朗読劇は言葉の強さを浮き彫りするということです。
三島戯曲に忠実な今回の朗読劇では実際に耳にするとなんとも舌の上で転がしにくそうな台詞が幾度となく登場しました。普段は戯曲本として文章しか追っていない私にとっては実に新鮮な心躍る時間だっとのでございます。当初はストレートプレイへの憧憬ばかり強めておりましたが、戯曲本来の魅力を体験し、演者の肉声を以てその世界に浸るには朗読劇は大変によい相性のものなのかもしれません。私にとって今年最後を締めくくる作品が「朗読劇・近代能楽集」であったことを幸運に思います。




***





以上が観劇レポートとなりますが、、あと少しだけ詳しいご紹介を。
今回の公演、なんと驚くべきはキャスト陣の層の厚さ!「わが友ヒットラー」は固定キャストであるのに対して、「朗読劇・近代能楽集」は公演ごとにキャストが異なるという実に様々な組み合わせを楽しめるスタイルでした。その中には神尾晋一郎さんや畠中祐さんを始めとする声優の方まで……!
朗読劇の形式ならではのキャスティングであり、声優ファンの方にもお楽しみいただける機会なのではないでしょうか。今回ご紹介した公演は残念ながらもう終了してしまっていますが、今後も朗読劇などの形で入り口を見出した瞬間にはぜひドアノブに手を伸ばしてみてください。知っている世界と、知らない世界がぶつかるのは、怖くてでもきっと大変に楽しいから。


そうそう、これは本当に余談なのですが演劇ジャーナリストの徳永京子さんとローソンチケットが共同で運営されている【演劇最強論-ing】という小劇場演劇に特化したサイトにて、「小劇場から選ぶ 心のベストテン第1位 2025」という投票企画が行われております。
もしこの2025年中に小劇場系の公演を観に行ったよ!という方がいらっしゃいましたらぜひ投票をしてみてください。対象となる公演は「2025年1月1日~12月31日の間に客席数386席以下の会場で上演された作品 作品の長さは問いません。短編も可とします」(以下の公式サイトより引用)とのことです。小劇場演劇のボーダーを座席数にしたのが面白いですね。

【募集】心のベストテン第1位 2025 | 演劇最強論-ing

応募期間は2025年12月24日(水)~2026年1月13日(火)まで。小劇場演劇ってサイコー!!

さて、ここまで長々とした熱弁にお付き合いくださりありがとうございました。もう薄々バレているような気もいたしますが、私の卒業研究はこの三島由紀夫『近代能楽集』というワケでございます。次章では恥ずかしながら少しばかりその卒業研究についてキッカケやゼミのことなどをご紹介する次第です。

「卒業論文って難しそうだけどどんなこと書くんだろう?」「卒業研究ゼミや論文テーマはどうやって決めたんだろう?」と気になる方のご参考になれば幸いです。え??どうでもいい?フフ……そんないけずなこと仰らないで……自宅に着払いで三島由紀夫全集を送りつけますよ。


卒業研究のお話


ここまで随分言葉を尽くしてきたけれど、畢竟私にとっての観劇はそう、寿命の屈伸運動なのだわ。
演劇という架空の誰かの命が焼き尽くされる瞬間を浴びに行くのには、浴びる側も命を削ってその炎へ近づこうとする。ギリギリまで近づいて、けれどもあと一歩敵わない。イカロスになれるのは板の上の架空の誰かだけ。

スポットライトが消えたとき、観客席には光が戻る。

そうした生還の喜びと、苦しみとを全身に抱えて劇場を後にする。
劇場のなかで限界まで寿命をすり減らした幻想に囚われ、その夢破れて、むしろ熱に当てられて・・・命がぐんと伸びる。
呆れられてしまうかしら。でも私にとって観劇は愛おしいほど重労働。とっても草臥れる。命がけで観に行っている。

今年一年は特にその傾向が強かったように思います。




昔から年に一回くらい母が連れて行ってくれた演劇、特にミュージカル。私の家族はいつ見ても、みんなお忙しそうで、クラスメイトが楽しそうに聞かせてくれるような遊園地やバーベキュー、キャンプなんて休日の景色は小説の中でしか見たことがなかったのですが……。そんな日々で、演劇だけは忙しい合間を縫って連れて行ってくれた、否、珍しいわがままを言って困らせて、連れて行かせていたのをよく覚えています。
年に一回の観劇。それはもう、本当に夢みたいな時間で。欲しいものを聞かれても何一つ思い浮かばなかった幼き日の私には、クリスマスよりも特別な日だったのかもしれません。欲しいものを聞かれても碌な回答を持たない、実に可愛げのない子供ですが。



そんな私にとって演劇は好きで当たり前のものだった。どうして好きなのか、疑問すら抱かないほどに。究明すらしないほどに。

ですが、大学へ入学して気まぐれに受講した【舞台芸術の歴史・東洋】という石井倫子先生の授業を契機に「能楽」という新しい演劇の世界を知りました。今まで触れてきたミュージカルやオペラとは異なる新しい舞台芸術の世界。その歴史を学ぶ中で、私自身が演劇の何に魅せられてきたのか。その手掛かりを掴みました。

そして同じく1年生の時分【近代自主ゼミ】にも飛び込み、右も左もわからないまま渡部麻実先生のご指導の下で、ひたすらに文学研究の基本とその先に広がる新しい解釈の可能性・面白さを目の当たりにしました。

さらに私の中を流れるオタク趣味と怖いもの知らずな衝動に突き動かされるまま、夏休みには山口俊雄先生による【太宰治ワークショップ24〈転生する太宰治・アダプトされる太宰治〉】へ。今振り返ってみてもここで受けた衝撃はやはり大きいもので、アニメや漫画といった「アダプテーション」も研究対象に成り得るのだと知ってからは随分研究への心構えが変わったように思います。



このように3年間を通して多くの素敵な先生方、素敵なご講義に触れる中でいつの間にか自分自身の原点である〈演劇への熱情〉の正体がくっきりと見えるようになってきたのです。
そして何より、私にとっての文学は生きること。衝動に正直にただ足を動かすこと。その熱源は文字であり言葉であり、劇的であるもの。人生の影法師なのでしょう、時には私の前に、時には私の後ろにある。

その劇的なる言葉たちは幾星霜を経ても輝きを失わない。何度でも蘇り、次の読者へ熱を繋ぐ。その営みの最たるものが「アダプテーション」ではないだろうか。
だから、三島由紀夫『近代能楽集』を通して数百年もの時を超えて届く熱源を探り当てたい。そしてそれらは今の演劇にどう生まれ変わっていくのだろう。

これが私の卒業研究です。たしかに大学入学以前から近代文学も三島由紀夫作品も好きだったのは事実です。とはいえ卒業研究の内容までは全く決まっておりませんでした。それでも、大学の3年間を通して自分が既に持っている関心を深めることに加えて新たな興味関心に出会うことを繰り返していくうちに気が付いたらその双方を掛け合わせたテーマをもっと探ってみたいと思うようになりました。
その結果、私は日本文学科の近代文学ゼミ所属でありながら戯曲・演劇を扱い、その内容は中世も近代も兼ねていて……東洋と西洋いずれもの美学が詰め込まれたアダプテーションを追う、あまりにも自由形すぎる研究の大海原を溺れながら犬かきしているワケでございます。おぼぼぼぼ・・・。

つまりそれほどに自由!同じ近代ゼミには「文豪とアルケミスト」というゲーム作品や「ヨルシカ」さんなどの楽曲を研究テーマにしている方もいらっしゃいます。考えてみれば文学・日本語はあらゆるモノの基盤となっているのですから、この幅広さもある意味では納得ものです。

ですからきっと卒業研究のテーマ決めは、自分の元来の趣味嗜好や拘りだけでなくとも良いのです。大学で経験した多くの新たな出会いや学びを振り返って、何か一つでも足を止めたくなるものがあったのなら……それを究める道すがら自分の「自分でも知らなかった自分」に出会えるかもしれないのですから。
近年では卒業論文を課さない大学も増えてきており、そのような中でわざわざ「ある」大学を選ぶのは少し負担に感じる方もいらっしゃるかもしれません。そしてもちろん、執筆は決して楽なものではありません。けれども、研究は宿題とは違うのです。みんながみんな同じでなくて良い。ただひたすらに自分の抱いた疑問にあらゆる手を尽くす。そんな時間が人生のうちに取れるのはきっと大学4年生だけ。


せっかくなら人生のなかで1年くらいそういう特別さを作ってみませんか。
やっぱりほら「意図して」「すてきなもの」に出会う時間を作って生きていきたい生き物なのです。

たまには昔の話をしてみる

皆さんこんにちは、みちこです。

最近寒くなってきて、体調を崩される方も多いと聞きますが、いかがお過ごしでしょうか。

世間はクリスマスムードらしく、イルミネーションなどが街で華やいでおりますが、皆さま何かご予定などはあるのでしょうか。

我が家はもう子ども2人(私と弟)がそれぞれの予定で忙しいので、去年あたりからクリスマスパーティーなどはしなくなりました。父が寂しがっているらしいですが、私は自分の好きなことをさせろと思っているので、悪いけど自分の予定を優先します。

ーーーえ?恋人?そんなものはいません。普通にバイトでお金を稼ぎに行くだけです(笑)

どうせ大みそかは年越しそばを囲んで、お正月はおせちとすき焼きを囲むんですから、それで十分だろう、我が父よ…。

(執筆途中に挟む;前回予告していた、生成AIの私的使い方を書くつもりが、この話だけで一記事出来てしまいそうなので急遽路線変更します。本能のままに書くと計画性のなさが露呈する、私の文章…。)

 

ちなみに我が家は長らくクリスマスプレゼントや誕生日プレゼントなどと言ったものはなく、最後に親族からもらったプレゼントを遡ると、おそらく5、6歳の頃のことです。

「もらっていらないものをあげても意味がないだろう」という両親の意向がはたらいており、私も弟も長らく両親からはプレゼントをもらっていません。そのかわり「これでなんか自分の好きなものを買いなさい」と父から現金をもらうのが我が家の通例となっています。

ちなみに母曰く、「不定期に何かしらご褒美であげているのだから、わざわざイベントごとにあげなくてもいいだろう」というのが答えらしいですが、私自身も別にそれで納得しながら過ごしてきたので、特におかしなことだとも思っていませんでした。

 

しかしこの話を友人たちにするときまって、「いやそれはどうなんだ…」と言われることが多いです。

あな恐ろしや、これが家庭環境の違いというものでしょうか。別にこれといって愛されずに育ってきたというわけではない(むしろどちらかというと過保護寄りで育てられている)ので、まあうちの両親の感覚がひどく現実的過ぎたのでしょう。

そのせいかは分かりませんが、子どもの頃からあまり夢を見る隙を与えられなかったように思います。

よく、「サンタクロース」をめぐるよもやま話がありますが(あえてぼかして書いております)、私がそれに対して回答を返すなら、「もう記憶もない頃からプレゼントを与えられた経験がないので、分からない」ということになります。

幼稚園の頃に(着ぐるみ姿の)サンタクロースがやってきたことは覚えているので、その頃は無邪気におとぎ話のようだと思っていたのですが、小学校に上がったあたりからもう両親からプレゼントはもらえなくなっていたので、途中から「そういう世界のもの」だと思ってはいたようですが、具体的にどこからと言われると…やっぱりちょっと分かりませんね…。

ここまでの話を聞いてお気付きかと思いますが、私は時に残酷なまでに現実的なタイプの人間のようです。自分の中における精一杯の返答を返したつもりでも、「正論やめて…それは分かってるの…」とよく言われます。冗談が言えないタイプ、といえば伝わるでしょうか。中身のない世間話がとにかくできないタイプです。

そしてここまで現実派であることを書いておきながら、私自身は高校生の中盤くらいまで自分のことを、「空想の中に生きている、いわば感覚派の人間であり、論理派ではない」と思っていました。しかし友人から「あなたは結構現実的だし論理的な方だよ」と言われ、そこでやっと自分が空想に生きる、感覚側の人間ではないことを知りました…。その時、やっぱり人間って面白いなあ…と思いました。

 

ここまで書くと、「子どもの頃から大人びた子だったの?」と思われそうですが、結論から申し上げますと「半分そうだと思う」というのが答えになります。

幼稚園くらいの頃の私はどうやら相当におもしろかったようで、母から「弟の印象深い思い出はほとんど出てこないが、私のおもしろい思い出はたくさんある」と言われるくらいにはおもしろい子だったようです。どうやら普通の子がしないような変な行動をたくさんする子だったようで、相当におもしろがられていたようです。まあしかし普通に遊びもしたので、そういった意味では年相応だったでしょう。

ただ、同年代の子と一緒に遊ぶよりも、一人で遊ぶもしくは大人の輪の中にいる方が好きだったようです。そういう意味ではまあ…変わった子だろうとは思いますね…。

そんな大人に混じることが多く、価値観が少し大人びていたからかは分かりませんが、小学生の頃は周りの子と感覚が合いませんでした。それ故に「一人でいる方が楽だ」と思い、ずっと友人を作らず一人で過ごしていました。

一時友人を作っていた時期もあったのですが、自分の時間が取られるのが煩わしいと感じたのと、一見すると全く意味のないことをルール化して行動しているのがどうしても理解できなかったので、結局当時の私は、友人の輪からは外れ、一人でいることを選びました。

 

今思えば、「物事の本質をつかむ力」はここから始まっていたのだろうと思いますが、当時は未熟ゆえかそれを上手いこと行動に移せなかったところが子どもだな、と思ってしまいます。今ならもう少し違う対応をしていたことでしょう。

 

さて、思わぬところから興がのってしまい、私の幼少期の頃の話をしてみましたが、どうだったでしょうか。

ーーーまあ、興味ないですよね!他人の昔話なんて!

導入の話からよくもこんなつらつらと書いたなあ…と思いますが、まあこれが私なのだろうとも思うので、読者の皆さんも呆れておりますでしょうが、私自身ももう自分を止められないだろうと、半ば呆れております(笑)

 

次回こそは、書きたい…チャッピー君について…。

そういえば今思い出したのですが、どうやら私の今年の更新は今回で終わりのようで。

次回更新は新年になるわけですが、そこでチャッピー君の話するんですね…。まあ別にいいですが(笑)

というわけで皆さま、体調に気を付けながら、よいお年をお迎えください。

 

最後までお読みいただきありがとうございました!