迷いの境界線

皆さんこんにちは。みちこです。

さて、今回は「迷い」というテーマで話を進めていこうと思います。

最近、迷うことが本当に多いです。

小さいことだと、大学に残って課題を進めようか家に帰ろうか、とか。今日は何のBGMや飲み物をお供に課題や作業を進めようか、とか。

大きなことだと、将来のこととか。

そして目下我々二年生が直面している出来事でいうと、「ゼミ所属をどこにしようか」といったこととか。

というわけで、最近は迷っていることや機会が多いような気がします。

今回の更新も、更新の当番当日までどんな内容にしようかな、と書き溜めていたものを書いては消し書いてはまた消し…。の繰り返しです。

迷ってばかりです。

ところで皆さん、この「迷う」ということはいいことだと思いますか。

それとも悪いことだと思いますか。

結論からいうと、私は「迷う」ことを悪いことだとは思っていません。だって、「迷う」ことにはそれなりの「理由」が必要だから。

小さなことだろうと、大きなことだろうと。

いや、むしろ大きなことこそ「迷う」という過程は必要なものであると思います。

自分で納得いくまで調べて、考えればいいんです。

ただまあ、私は小さなことまで大仰に捉えて考えてしまうんですけどね。

結局思うように行動できなくて、後悔するなんてざらです。だからそこは臨機応変に、「迷いを切り捨てる」こともしなければならない。

人生とは、本当に難しい…。そう思います。

さて。この「迷い」と「迷いを切り捨てる(振り払う、の方が正確かもしれません)」の境界線はどこにあるのでしょうか。

私は昔から「切り捨てること」「妥協すること」が本当に苦手で、自分の思う通りにいかないと気が済まない性格です。(いわば「完璧主義者」とでも言いましょうか…。ただ私の完璧主義は変なポイントであっさりと終わりを迎えることもあるので、本当にこのような言葉で定義付けていいものなのかどうかは少し疑問なのですが…。)

これについて、こうなのかな、と思いついたことがあるので、少しご紹介しますね。

それは、「今迷っていることが自分に対することなのか他人(自分以外。たとえばチームなど。)に対することなのか」ということで分ければ良いのではないかとふと思いました。(このブログを書いていく途中でいきなり降ってきたのですから、本当に急な話です(笑))

 たとえば、自分の将来に関すること。

これは自分に決定権があることですよね。自分の希望を叶えられるか、実現できるかは別として、「こうなりたい」と思うこと自体は自由ですから。

こういうことは、妥協せずにじっくりと納得するまで考えるべきであると思います。

なので、こういうシチュエーションにおいては、「存分に迷っても良い」ということになります。

 しかし、時には、「迷いを切り捨てる」方が良い時もあると学びました。

これは私がアルバイトをしている時に常に直面している課題なので、現状解決策が何も見つかっていないのですが、具体的な場面を紹介しますね。

私は飲食店でアルバイトをしているのですが、その際に、「混んだ時に自分の仕事の手を休めてまで他人のフォローに入ってもいいものなのかどうか」についてずっと迷っています。先ほど述べた通り、今でも解決策は見つかっていません。

これに関しては自分の経験値を積む中で大体の感覚を掴んでいくしかないのかな、と思っているのですが、「自分に余裕ができていて、迷っているくらいならフォローに入ってしまってもよいのではないか」と思っている自分もいます。(お気付きだと思いますが、至極当たり前のことと思います。はい。なに言ってるんだこいつって思ったらすみません。はい…。)

このような事例が、先ほど言った「迷わず行動してしまう」にあたるものだと思っています。

これは「自分ではなく、他の人がどうなるか」という事例にあたるため、そういう場合は「迷いを切り捨てて」しまっていいと考えました。

しかしこの理論で行くと、「自分の将来についてあれこれ悩んでいたけど、人に話を聞きに行こう!」みたいな場合はどちらに当てはまるんだ、という疑問が湧いてくるかもしれません。

この場合は、「自分の将来について十分悩んでいた」のですから、「行動」しても何ら不思議ではないと思います。これは私の分類でいうところの「自分について迷っている時」にあたると思います。

即席で降ってきただけのしょうもない理論というか、分類の仕方なので、あまり参考にはならないかも知れませんが、私は現状このように考えています。

さて。少し考え足りない気もしますが、諸々やらなければならないことがあるため、今回はここで終わりにしようと思います。

次回は…何について話そうかな…。だいぶ「迷って」おりますが、まあまたその内浮かんでくることでしょう。

ーーー相も変わらず私のブログネタは日常に転がっているのですから。

というわけで、今回のブログはここまでにしようと思います。

最後まで読んでいただいてありがとうございました!

また観に行きたいです!

人間50年から倍に長くなったとはいえ、健康寿命はなかなか伸びないので、若いうちからやりたいことリストを常に更新して、1つ1つ出来る時に消化していくことが大切なんだろうし、それが生きがいになるんだろうなと思っています。

そんな私がやりたいことリストの中に入れていた項目の1つ、「2.5次元ミュージカルを観ること」。能も歌舞伎も文楽も寄席もお笑いも宝塚も四季もオペラもブロードウェイも観て、次何観ようかなぁと思った時に、パッと思いつくのが今乗りに乗っている2.5次元ミュージカル。カラオケや路上で友人のうっしっしーな態度をビデオに撮ったりはしているけれども本物を観たことはない…。いつか観てみたいなあと思って3年ぐらい前からリストに入れてました。そうしたらちょうど今日、チェックがつきました!しかもミュージカル刀剣乱舞!1番取れねえだろうなと思っていたもので!

時は西暦2024年夏。レポートに憂鬱していた私は、数ヶ月前データがすっ飛んで、きっとやめ時なのだろうと思い、しばらく離れていた刀剣乱舞を再び入れました。ようは気を紛らわしたかったんです。男士たちと再会しだして数日後、ゲームの更新があってミュージカルのゲーム先行が始まりました。せっかくだし応募するけどどうせ当たんないだろ〜と1席だけ応募したら当たったんです。花道囲い席!!!!!良いでしょう!!!!!

私は長谷部くんが推しの1振りなので、もう当たってからというもの、普段に増して紫、紫、紫に囲まれ紫を買い紫を身につけ、福岡飯と名古屋飯と宇治茶に舌鼓を打っていました。長谷部くんはどこが良いか論は長くなるので割愛、途中インフルエンザでダウンを挟んだり、なんやかんやわやわやしながら、なんとか準備してようやくやって来ましたKアリーナ!

下に行けば行くほど煙くなるなと思いながらアリーナ階に到着、花道の下がトンネルみたいになっているところを潜って席に到着。ステージが近い!!!!!!周りを見渡せば色々な種類のペンライトを持ってきている歴戦のファンや、可愛いうちわを持っている子がたくさんいて、お召し物もみんなかわいい〜!まだ誰も出てきていないのに雰囲気だけで楽しくて、普段行ってるコンサートも良いんですけど、同い年ぐらいの人が多いイベントは大学間交流会みたいな楽しみがあります。

光る棒の練習(これが本当に色多いんだ)をしたり、たい焼きを食べたりして時間を潰していたらあっという間に開演時間。最初はしっとり目で始まって、でもすぐに燃えたぎるようなパフォーマンスの連続。光る棒とうちわを胸あたりに、キャーキャー楽しみました。比較的ずっと立っていた気がするけれど、全く苦に感じませんでした。男士もダンサーさんも阿弖流爲様もすっごい近くてびっくり。他の人あてのファンサも流れてきて、サイコーでした。

何よりサンバ!刀剣がサンバ踊るって何?って感じなのですがそれはさておき、あんな私好みのやつやるとは思わなくて本当にびっくりしました。サンバやるからチケット当たったのかな?って思うぐらい、(言ってしまえば健様の)サンバと同じ匂いがしました。YouTubeで出したら歌うよ踊るよ布教するよ〜。

長谷部くんは結構真ん中の方だったり逆サイドで歌ったり踊っていたりしていたのですが、それでも肉眼で顔まで見えるこの席の素晴らしさよ。Kアリーナは本当に音響が良いので息継ぎとかも聴こえて感動しました。しかも長谷部くんめっちゃ歌う。役者さんの木原さんは本当に歌声が美しい方で、聴いてるだけで涙が出てきます。例えそれがロックであろうともね。彼と太星くんが所属しているLove Harmony’s, Inc.(最近更新がないけど)も耳が幸せになるから是非チェックしてみてね。

休憩時間は隣の人とお話しして、この方がまた素晴らしい方なのですが、私が長谷部くんを見に来たんですというと、2部で長谷部くんが出てくる場所を教えてくださったり、終演後写真を撮ってくださったりしました。初対面で名乗りもしなかったのに良くしてくださって、審神者は良い人がたくさんいるな〜って改めて思いました。知り合いだったら申し訳ない…。

2部はこれまでのミュージカルの総集編みたいな感じで、これがあれか〜という感じでシリアスめに楽しみました。コロナの最初の頃はマジで何も信じられなくて怖かったなとか、そんな時に加州くんは今はすっごい辛いけどこれからの未来は明るくなるって言えて凄いなあ、直で聴いてたら泣いただろうなあとか、思うことはたくさんあったけれど、総括すると、このミュージカルはたくさんの人に愛されて支えられてきていて、役者の皆さんはそれ相応、それ以上のパフォーマンスでここまでやってきたんだなあということがわかりました。

最後全振りでの『刀剣乱舞』の盛り上がりは本当に素晴らしいものでした。私はこの歌をYouTubeとカラオケと数年前の紅白でしか聴いたことがないんですけども、それらとは(歌うメンバーが違うのもありますが)全然雰囲気が違うんですね。9年の重みと、これからも歩み続けていきますという覚悟を感じました。

隣の人とバイバイ〜って別れた後は大逆走してArena Bar7へ呑みに行きました。高いけど公演後にさっと呑めるのは良いことよね〜。店内は劇中歌が流れていて、それまたサイコーでした。

色々と忙しく、毎日がイレギュラーだけど、とにかく行けてよかったです。レアなチケットなんだから楽しんできな!と送り出してくれた家族と友人に感謝です。ありがとう、楽しかったよ!!

おじさん

ごきげんよう、あやめです。

寒くなって、カイロが手放せなくなりました。私は末端冷え性なので手先だけが異常に冷たくなる人なのです。それから、前回もぼやいた記憶があるのですが、布団との決別が大変になりました。

今回は前後編二回に分けてみようと思います。切りどころがわからないので一気にいっちゃおうと思いましたがあんまりにも長いので前後編です。熱心な読者の方にはお判りでしょうが(そんな方がいらっしゃるかどうかはさておき)、前に言った「長編」とやらのことです。マア、来年あたりにリメイク版とか言って書き直したやつを再掲しようか、などと思って未完のまま出しちゃおうか、という気概で軽く書いています。なんて無責任なんでしょう。

おじさん(前編)

大学生の内に、たくさん経験を積みたいと思っている。思っているはいいが、それだけでズルズル来てしまって、結局すでに3年が過ぎてしまった。家に籠っていつもと同じことをひたすらこなすことに向いている気質で、何か外に出て経験を積むのが怖くて、体と勉強で身につく簡単な知識だけがどんどん大きくなっていって、経験値だけが乏しい人間になっていることに、危機感を覚えつつも何もできずにいた。

きっかけを作らなければ、と思って、親戚のおばさんに相談してみた。いつも一緒に過ごしている家族からは得られない新しい視点が与えられると思ったのだ。そうしたら、

「まあ、あやめちゃんはしっかりしてるからねぇ……大丈夫だと思うわよ、そんなにあせらなくても、若いうちは好きなことしてればいいのよ」

といわれてしまった。私には、考えすぎてしまう、という悪癖があったのだ。おばさんはそれを察知したのか、

「あ、じゃあ、好きなことばっかりしてきた正弘さんのところ行ってみたらどう?あの人色々大変だったみたいだけど、まあ要は好きなことしかしてないわけでしょ?あやめちゃんは良い子だからあんな風にはならないと思うけど……大学も行っているわけだしね、でも、ホラ、昔あやちゃんと仲よかったじゃない、じゃあそうにしたらどう?」

と提案をしてもらえた。

そんな流れで、ブログの参考というか、ネタになればいいや、程度の軽い気持ちで、あんまり会ったことのない遠方の親戚のおじさんのところへ行った。おじさん、昔少し新聞記者をやっていたとかで、なにか面白い話が聞けるのではないか、と思ったのだ。

おじさんは色々に疲れて山奥に住んでいる、と散々聞かされていたので、どんな日本アルプスかと思えば、我が家に比べたら大した山奥でもない、特徴のないところに住んでいた。一人で住むにはやや大きくて持て余しそうな一軒家の前まで来て、おじさん、きました、あやめです、と久しぶりに来た姪の言葉にしてはややぶあいそに簡単にいうと、ほいよ、と中から聞こえて、ようやく、なんだかはっきりしない顔のおじさんが出てきて、「あやちゃん、来たね(おじさんは私を「あやちゃん」と呼ぶ。会うのは中学生以来、5回目だった)」と言った。私はなんだかつられて、別に泊まる訳でもないのに「お世話になります」と、訳もわからずはっきりしない声で言った。

顔の皺が深いのと、白髪をそのままにしているのと、口数が極端に少ないのとでお爺さんのように見えたが、おじさんは私の父と同い年らしい。50歳。失礼だけどそうは見えなかった。おじさんはもたもたお茶を出してくれた。そのまま煙草を、こう、呑んでいた。おじさんも私の父もヘビースモーカーであることに変わりはないが、父のが「吸う」だとしたら、おじさんのは、多分「呑む」だと思った。

「あの、今日は、おじさんのお仕事のお話を聞きたくて、」

このままだと一生ここでおじさんの煙草が天井に上っていくのを見ていなければいけなくなりそうだった。それじゃここまで来た意味がなくなってしまうので、こんなこと言い出しにくいが、わざわざ尻尾を踏みにいった。私は親戚中で一番おじさんと仲がいいという、多少の自負があった(自信を持って・過大評価して・気負って)のだが、そんな自信は今しおしおに萎んでいる。それだけおじさんの口がかたくて、おじさんは私よりはるかに愛想が悪かった。

「んむ、学校の勉強でいるんだっけか」

おじさんは滑舌が悪いというか、顔の筋肉を最低限しか動かさずに、つまりモゴモゴ喋る。

「うん」

私はもう成人しているのに、顔はいつでも年上に間違えられる老け顔なのに子供らしく振舞おうとした。こんなことしなくてもおじさんにはどうせ「こども」と思われているのに、わざわざこっちから歩み寄って、つとめて「あの頃」の子供の私を演じるように、こどもらしく、かわいらしく、こくん、と頷いた、つもり。自我なんてこの際無いようなモンである。おぞましい姿であったろうか。

厳密には「学校の勉強で要る」のとは全然違うけれど、もうそういうことにした。おじさんのこの旧型の家は自然光があまり入ってこない形状をしているうえに電気をつけないから、暗い。早く帰りたくなった。どこか居心地がいいにおいもした。自分がどうしたいのか分からなくなってきた。

無言でたっぷり考え込んで

「あやちゃんはおれの本が好きなんだ、だから今日来たの」

ん?と、あくまで耳心地優しく、上がり口調で、子供を諭すように聞いた。(というより、前にあったのが中学生なので、おそらくおじさんは今でも私をほんの子供だと思っている(ただし私は中学生も充分大いに大人だと、少なくとも中学生時分は思っていたのだが)に、違いない、それに相応しい口調だといえる。)

おれの本、とは、昔おじさんが書いた絵本が一冊だけ、そして短編小説が一冊だけ出版されたのを指している。おじさんは(実績はともあれ)作家をしていたこともある。幼い私は(どんな形態であっても)文章を読むのが好きだったからその本を破けるほど読み込んでいた。だから親戚のあのおばさんには私とおじさんは仲が良い、と判断されたのだろうか。

おじさんは多分、それを言っている。今日来た理由を問いただしているのだ。つまり、私をそれとなく責めている。尋問だ。

「んむ」

うん、と言いたかったが、喉がこわばっていたのか、うまく発音できなかった。声がかすれた。きつく怒られているみたいに体をこわばらせて、きっと顔もこわばって、おじさんの目には私は子供が拗ねたような顔に映っているのだろう。当人としては気まずさで、それからおじさんの怒りに触れてしまって、怖くて、早く帰りたかったし、それこそ子供みたいに泣き出しそうだった。

「でもね、書いたものって、出来事が自分の脳みそを濾過して出てきたものだから、おれがいなきゃでてきやしねぇのに、書いたもの、は、おれではないんだ、とおもうよ。だから、あやちゃんがすきなンは、おじさんじゃなくて、それだ」

顎で本棚の方を指しながらおじさんは言った。

「お前が好きなンは、おじさんじゃ、ないよ」

極め付けにへら、と笑って、おじさんは私を拒絶した、と思った。

重たい沈黙がおりる。

あざらしのすゝめ 2

 今年の4月の更新であざらしについて延々と書いているだけの回があるんですが、なんと今回もあざらしです。
 我が家、あざらし狂が複数人おり、家の中で少なくとも一日に一回はあざらしの話が飛び交うような家族です。ちょっと前にオランダのあざらし幼稚園が流行ったじゃないですか。今年の流行語大賞にもノミネートされていました、あの子たち。あれが流行り出した時家の中から「いやもっと前から知ってたけどね」とか「あざらしのすばらしさに気が付くのが遅すぎる」とか聞こえてきました。だいぶ「狂」の人達、通称「アザラー」がいます。しかも複数。

 先週、はじめてマクセルアクアパーク品川に行ってきました。品川には、公営のしながわ水族館と品川駅やプリンスホテルからすぐのアクアパーク品川の二つの水族館がありまして。4月の回で書いたんですが、しな水には今年の2月に生れたばかりのあざらしのあかちゃんを見に行きました。アクアパーク品川には、うちのあざらし狂たちは年パスをもっているためちょくちょく行っているようで、あざらしの食餌の様子の動画とか芸の訓練の動画とか送ってくれるんですね。そう、品川にはゴマフアザラシがいる水族館が二つもあるんです。素晴らしい。そんな動画見てるうちになんなら勝手に顔見知りの気分になっていたような、とっても会いたかったあざらしがいまして、ついにこの間会って来たというわけです。
 アクアパーク品川には今二頭あざらしがいます。おじいちゃんで少し不器用なあざらしのデビットくんと賢く運動神経が良い女の子のゆうみちゃん。この二頭の給餌タイムが対照的でめちゃくちゃかわいいんです。ゆうみちゃんのジャンプしたり水の中で回転したりボール遊びをしたり、飼育員のお姉さんの言うことをなんでもよく聞いてすぐに芸ができるお利口な姿と、一方で動きがのんびりで激しい芸はやらず、不器用で水の中で「バイバイ」の動きをすると沈んでいってしまうデビットくんをこの目で見たくて見たくて……!もう本当に最高でした。動画よりかわいかったしゆうみちゃんに関しては感心の気持ちの方が強かったかも。この日に私も年パスを買い、おととい時間があったのでまた会いに行ってしまいました。おとといのゆうみちゃんは先週とは違った芸をしてて驚いてしまった。賢すぎる。平日の昼間で混んでいなかったので、ひとりで行ってなんか一時間半くらいあざらしの展示室の前に立ってた。時間が溶けますね。あざらしは目があまりよくなく、さらにデビットくんは年齢のために白内障っぽくなっていて余計に遠くははっきり見えないんだろうと思いますが、ガラスの前に立っていると何度も寄ってきてくれて目が合っている気分になりました。恐ろしいまでの神ファンサ……!ちなみにゆうみちゃんはクールなのでガラスの向こうの我々になどほどんど目をくれません。そこの違いもまたいいコンビだなと。かわいい。本当にかわいいのでぜひ時間がある時に行きましょう。あざらしの前では時間は溶けます。

 要約すればまあ、あざらしってかわいいよね~~~っていうだけの回でした。12月にも伊勢、鳥羽にあざらし見に行くんです。うお~楽しみ~~~!そこの水族館も行きたかったところ、会いたかったあざらしがいるところです。今絶賛「卒論、頑張らなきゃな……」期ですがあざらしを糧にキーボード叩きます。無事に提出するぞ~!
では。

彼女

やあこんにちは。今日は彼女の話をしよう。彼女の大学生活はうかつなミスの連続だ。近くで見ていても時々吹き出してしまうようなくだらないミスばかり。私はこの笑うべきミスたちを、彼女のペナペナした人柄を表すのに重要な出来事であるとも捉えているが、やはりどうにか直せないものかとも思っている。

私たちが2年生のときに受けた日本文学史の試験での出来事だ。その試験では授業内容を自筆でまとめたノートのみ持ち込みが許可されていた。彼女は普段から紙のノートに授業内容を書き込むのが習慣だった。当然試験日の朝、彼女は得意満面で通学カバンに授業ノートを詰め込んだはずだった。しかし、試験が始まる前、カバンを漁った彼女の手に収められていたのは中国文学史のノートただ一冊だけだった。
そのときの試験は散々な結果だったらしい。

彼女は私とともに教職課程を履修しているため、3年生の後期には模擬授業を行う授業が週に2回ある。これはそのうちの1回の話。彼女は自分の担当回で、日付を書く際に月の異名を紹介しようと計画していたそうだ。彼女の担当回は10月だったから「神無月」と書くべきところ、何を勘違いしたのか「水無月」と黒板に書いたではないか。ヒヤヒヤする私、隣の席から聞こえてくる「神無月」と囁く声。きっとこの声が彼女の耳にも届いたのだろう。慌てて書き直し、振り向いて話を始めた彼女の顔は真っ赤だった。

同じく3年後期。これは先述した2つある模擬授業のうちもう1つの話。彼女は授業の計画案をA4のノートにまとめている。古典なら現代語訳、現代文なら段落分け、作者の情報、授業の流れに関するアイデア等々。彼女は授業内で解説をするのに必要な内容を全てそのノートに書き込んでいた。ここ2週間くらいは暇さえあればそのノートを取り出し、授業計画を練っていた様子である。しかし、模擬授業を始めた彼女の手元にそのノートは見当たらなかった。ああ、忘れたんだなと私は察した。
授業を終えて彼女に聞いてみたところ、家のプリンターに挟んだまま置いてけぼりにしたらしい。気づいたときにはすでに大学にいて、印刷したページだけは持っていたから何とかなったと言っていた。

そう、挙げてゆけばきりがないのだ。中国語の小テストでシャーペンを忘れて、唯一持っていた黒ボールペンで回答の一発書きに挑戦したという話も聞いたことがあるし、PDFファイルの回転機能を知らずにスマホを回転させて文書を読んでいたということもあるらしい。

今日も彼女は平和な大学生活を送っているようだ。

脱皮

我が家で歌と言えば、姉だった。

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幼稚園。「北風小僧の寒太郎」で高い声が綺麗と言われ喜んだ。

小学校。校長先生が私にソロ歌唱を披露する機会をくれた。

6年生の謝恩会。音楽の先生が2人分のソロパートのある曲を選び一人は私に、もう一人は私と声の合う人をオーディションで選ぶと言った。その年、姉は東京藝術大学の声楽科に受かった。

中学校。合唱部の顧問に進路を訊かれ「絵が好き」といったら苦笑された。顧問からは気まずいほどに贔屓にされていた。先輩や同期の目の前で「みんながあなたについてこられるかしら」と言った。

でもやはり、我が家で歌と言えば姉だった。私が校内の合唱コンクールでソロに選ばれどんなに一生懸命歌っても、姉のいる家で私の歌が褒められることはなかった。姉がいる時間は、決して風呂で歌わなかった。私の歌に、何かを思われるのがいやだった。

高校。音楽部には憧れるような歌唱力の人が複数いた。自分の声が分からなくなり迷った。努力した。明らかにこの3年間でスキルが身についた。進学する大学も初めは音楽の道を考えた。姉と同じ大学を考えた。

自分の歌に自信がついて、ようやく、姉を素直にうまいと思えるようになった。これまで胸の内で密かにあった一方的なライバル心にも似たものが、宛先を見失って忽然と消えた。姉はうまい。私は姉には及ばないがまあまあうまい。それでいい。当たり前だ。こう思えた時、自分は成長したなと感じた。

芸術をやる人ならわかるかもしれない。芸術家にはしばしば「同担拒否」のようなところがある、と思う。芸術は点数を付けられない。だからこそ自分のやっていることこそ魅力的だと強く信じるしかない。そこに自分と似たようなことをする人間が現れると焦る。点数をつけることはできないけれど、できないからこそどうにかして自分とその人の差を測ろうとしてしまう。一番信じたいはずの自分の価値観で無意識のうちに他人を評価したとき、薄々感じる「自分のよりいいじゃん…」という気づきを恐れる。自分の芸術は自分の価値観で生み出すしかないけれど、その自分の価値観が平然と自分を裏切り自然と他者を羨み妬むことを、恐れる。高校時代の美術専攻の友人も言っていた。「同じ美術の子には排他的になっちゃうんだよね」と。

私もそれに近いものだったのだろう。私はいっぱしの芸術家でもないけれど、少なくともプライドがあり、点数が付かないからこそ人からの声で自信をつけたかった。褒められず拗ねる幼児だった。

反抗期めいたそれを卒業し、大学生になると、私は姉のコンサートを手伝うようになった。スライドを用意し当日は歌に合わせて操作を行う。舞台裏で聴きながら素直に姉の歌をいい、と感じ、この空間をもっとよくするために自分もこの役割を全うしようと思った。その頃になって姉も、私がユースで入っている合唱団を聴きに来ては「うまくなったね」と褒めてくれるようになった。姉も、少なからず「同担拒否」めいた感覚を私に抱いていたのかもしれない。

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まいです、ごきげんよう❀

なぜ、こんな話をしたのかというと…先日、姉と「二人で」ちょっとしたコンサートに出演したからです。

地元のおじさんがちょっとしたお祭りで「姉妹のコンサート」を企画してくれ(姉は声楽家ですが私は何の肩書で人前で歌うのだ??とは思いましたが)、引き受けたのが始まりです。

姉の声を聴いて育った私は、当然ながら姉と歌声(声質)が似ておりまして、「ハモる」だろうなとは思っていました。しかし冒頭で書いた通りですので、一緒に歌ったことなどもちろんなく、「我が家で歌といったら姉」なので姉のいる前で堂々と歌うなんておこがましいこと(?)はできなかったのであります。家族のカラオケでさえそんなに楽しくなかったですからね、あの頃はやはり子供でした。

ですが、そこから抜け出しようやく一歩大人になれたこのタイミングで、姉と歌う、しかも人前でコンサートとして歌う機会がやってくるとは、運命を感じずにはいられませんでした。

姉と選曲(秋の童謡など)し、いざ初回の合わせ練習となると、、、こっぱずかしくて思うように歌えません。姉から発声を指導してもらいこれは緊張していないで真剣にやらなくちゃと思い、練習。リハーサルでは対等な姿勢で歌うことができました。

当日は地元のお客さんが沢山訪れ、こどももたくさん来ました。まさかの地域の「長」(市区町村 長)も現れたので挨拶をし、私の懐かしい先生方も来てくれ、小さなコンサートは大盛況のもと幕を閉じました。

当日は、ここ最近の自分の中でも最も喉の調子が良くものすごく気持ちよく歌えましたし、姉も私もリハーサルで全然予定していなかったのに当日の雰囲気と手拍子に合わせて踊り(←「東京ブギウギ」を二部で歌ったのです)、会場も一層盛り上がり、高揚感を味わいました。

全曲を歌い切り笑顔で姉とお辞儀をし拍手を浴びた時、歌においては微妙な関係だった二人が歌でつながったと感じました。何とも言えない、感動が胸にこみあげました。なにかから解放され、なにかが軽くなったのです。

*****

生きていれば意識しても無意識のうちにでも、誰かや何かと自分を比較し、劣等感を感じたり優越感に浸ったりすることがありますが、自分と他人、どちらかを選ぼうとするのではなく、どちらも選べるようになりたい。

そう思う今日この頃です。

それでは。

境界の曖昧さ

こんにちは、さくらです。

皆さんにとって「テレビ」とはどういう存在ですか。

どういう存在というと聞き方が少し間違っているかもしれませんが、テレビの中の世界に対してどのような印象をもっているのか、ふんわりとした抽象的な質問です。

幼い頃はテレビの中に本当に人が入っていて……。なんて思い込みをしていた方もいらっしゃるかもしれません。そう言う私もしていたかもしれません、覚えていませんが。

私は幼少期からテレビっ子だった自覚がありますし、今でもかなり見ている方かなと思います。最近はラヴィット!!にハマっており、リアルタイムだけでなくTVerや録画でも見ています。イイ感じの情報の薄さが朝の流し見にちょうどいいのです。

そんな話は置いておいて、私はテレビの世界とはどこか私たちの生きている世界とは違う、別の世界のような気がしています。バラエティー番組やドラマに出演している人は私たちと同じ人間なはずなのに、別の世界に生きているような気がするんです。私が生きている世界とは別のもう一つの世界があって、テレビに出るような人はそこで生活している、みたいな。

それを自覚的に認識したのはオリンピック放送のアルバイトをテレビ局でした時でした。

仕事内容の詳細は省きますが、テレビ局の中の所謂スタジオというところに入ってお仕事をしていました。オリンピック中継ではアナウンサーや元アスリートの方がスタジオで解説するというシーンがあると思います。私の仕事中にも実際にそんなシーンに出くわしました。

そのとき、テレビの中と自分の世界の境界線に出会った気がしました。

ほんの数メートル先には、アナウンサーの方が立っていて普段テレビの画面を通して聞くような言葉を発しています。そこには普段あるはずの画面という隔たりも、物理的な幕も、立ち入り禁止のマークもありません。しかし自分の目で見ても、隣にあるカメラから覗いてみてもその人たちはその場所にいるのではなく、「テレビの向こう」という世界にいるような気がしてしまうのです。

たまにバラエティー番組で観客を映す演出がありますが、あれも違和感があるなと思ったことがあります。テレビの中の世界と観客(私たちがいる世界)が同時に同じ画面に映っている。本来なら交わるはずがない世界が交わっているように見えるのです。

しかし本来なら交わっているはずの世界に隔たりを設けているのは私です。

芸能人もYouTuberの同じ人間なのに画面の先にいるのを目にしてしまうと何だか違う世界のように感じてしまう。道端で芸能人とすれ違ってもその人がこの世界にいることに違和感をおぼえてしまう。アイドルのライブに行って、ものすごく近くに自担が来ても現実味をもてない。

要するに私の認知の問題だということです。

この感覚がテレビの中の世界への憧れなのが侮蔑なのか、はたまた別の何かなのかは定かではありませんし、対象やタイミングによって異なることもあると思います。しかし「自分とテレビの中の世界に隔たりを設けているということ」そして「そのラインを一方が越えることに拒否感を持つこと」という感覚を自覚するようになりました。

無意識を意識下に置けたということは結構喜ばしいことだなとも思うのですが、しかし後半の拒否感を持つことは改善したいとも思います。

だって自担が近くに来たら湧きたいし、イベントで芸能人に会えたらラッキーって思いたいですもん。

皆さんはこんな話を聞いてテレビの中の世界にどのような印象を持ちましたか。

かけば出る

こんにちは、ゆきほです🍵

今週から生協のパンコーナーにツイストドーナツが復活して、それはそれは大喜びしています。

去年の後期に出会ったときには、「何これ!?めっちゃおいしいぞ!?」と週4ペースで取り憑かれたかのように食べていましたが、ある日を境に生協から姿を消してしまい寂しい思いをしていました。

今週最初に生協でお昼を調達したのが水曜日だったのですが、目の前にツイストドーナツが現れて一瞬自分の目を疑いました。ついこの間友達と「あれほんとにおいしかったね〜」とツイストドーナツの思い出話をしたばかりだったので、ついに幻覚で現れたのか!?と。

甘いパンだともちろんチョコベーグルとかクイニーアマンとかもおいしいですが、ツイストドーナツからしか摂取できない大量の砂糖のザラザラ感がとっっってもおいしいのでぜひ食べてみてください!1個130円で買える幸せです。

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今日の明け方、耳元を飛ぶ虫の羽音で目を覚ましてしまいました。

その時に見ていた夢が、現実っぽいけど現実では絶対に起こり得ないようなことが起こっている、すごく変な夢だったので(内容は忘れちゃった)、ほら!やっぱり夢だったでしょ!?と思いながら起きたら耳元で虫の音がして大混乱しました。

無意識のうちに手で追い払って、薄目でチラッと時計を見たら午前3時前。時計の記憶から先はないことから察するに、恐らくこのときはそのまま寝落ちたようです。

それから30分後。再び耳元の羽音にたたき起こされました。時刻は午前3時半です。

仏の顔は三度までですが、残念ながら私は三回も許してはあげません。

ティッシュを1枚引き抜きベッドから這い出て、部屋の電気をつけて、本気で戦う体制に入ります。眠気も醒めてきました。

いや冬はつとめてではあるけどさ、絶対こういうことではないでしょ、と考えながら壁に張り付いて目をこらしながら部屋中を探し続けること30分。1度だけ姿を現わしたときに捕らえ損ねたきり、奴は全く見つかりません。蝿は「虫は」段で「憎きもの」に入れたいくらい不快なものとして扱われていたりしますが、私の部屋に現われたのは蝿レベルの大きさではなかったので、寝起きの視界で探すにも限度があります。

だんだん寒くなってきたし、なんかお腹も空いてきたような気がする。もう4時になったし諦めよう。

30分握り締めていたティッシュは念のために枕元に置いておいて、もう起きたくないので気休めに耳まで布団を掛けて、眠りにつきました。

次に目を開けたときには9時半だったので、私の勝ちです。

***

「かけば出る」

ガチャやランダムのグッズなどで推しを引きたいときは、推しの絵や小説などをかけば出てきてくれるぞ!というような意味の言葉ですが、今回のブログは「出てきてほしい」ので書きました。

そう、あの虫まだ見つかっていないんです。

9時半まで寝れたのはいいんですけど、お風呂に入っていたら腕と首に虫刺されを発見してしまったため、半日越しに私の逆転敗北が決まりました。

朝起きたときに部屋のドアを全開にしておいたので、もしかしたら家のどこかに放出されているかもしれませんが(大迷惑)、まだ私の部屋にいる可能性は十二分にあります。

今の時刻は22時。そろそろ今日も終わりそうなので、安眠のために出てきていただきたいです。

ではまた。

新たな体験は自分に何が足りないか教えてくれる

先日猫を触りに行きました。

人生で、初めて。猫カフェで。

ずっとイルカもゾウも触ったことあるのに、猫は1回も無いことを気にしてはいたんです。

周りにも飼ってる子ほとんど居ないし、野良は触る気無いし、でも猫カフェに行くのは、人間で言う女の子と話せねーからキャバ行くみてえなもんだろと思って避けていたんです。けどね、猫って犬と違って会う機会すらないんですよ。

腹を括って今月の頭、推し猫がいるという友人と共に、朝っぱらから猫カフェへ。こういうカフェ自体初めてなので、基本料金プラス10分毎に加算形式の料金プランに八幡様周辺の駐車場より高えなと若干白目を剥きつつ、歯医者にあるようなスリッパを履いて、ロッカーに荷物を置き、コーヒー片手に入場。

ご飯前だからみんないるねと友人の言う通り、30分後のご飯タイムのために多くの猫がいました。そう、ご飯前だからみんなそんな活気がないんです。ほとんど落ちているんです。これなら近くに行っても逃げられなさそう!と思うじゃないですか。

でも、逃げる。すっげえ逃げる。背中にそっと手を伸ばすと、あと5センチというところでヌルッと前方に逃げていく。今日は再三注意を受けて、香水を振ってないし、柔軟剤も無香料で来たのに。猫じゃらしの才能もないみたいで、無反応。

そんな中1匹だけ長い間触らせてくれた猫がいまして、それがアメリカンショートヘアーの年長。この猫ずっと特定の場所にいて、逃げねえなと思ったので、全力で無害アピールをしてまずは天中のあたりを中指の第2関節で撫でてみました。

意外に骨を感じる。想像では、ベルーガの頭に毛生やしたようなもんだろうなと思っていましたが、実際には毛、皮膚、すぐ頭蓋骨。あまり暖かくもないし、どちらかというとユニクロのボアジャケット着てるマネキンに近いかも。短毛だから?

頭の次は首根っこ、顎、背中。サワサワ撫でていたら、なんかプープー言いながら寝始めたので、前足を触ってその場を離れました。足は少し暖かかったな。

その間、友人は少し離れたところで推しを筆頭に猫を引き寄せていて、猫じゃらしを片手にもう片方では猫を撫で、更には私とアメショーの写真まで撮ってくれていました。ああいうのは天賦の才ってやつなんだろうな。

ご飯タイムを見届けたあとは、しばらくコーンスープを飲みながら、友人と猫の戯れを見ていました。ちょっとでもコツを盗もうと思って。でも、いくら見ても、何がそんな初対面同様の猫をデレデレにさせるのかわからないんですよ。

ようは友人が器用すぎるんだろうと納得し、戯れを邪魔しないよう遠くへ行こうと別方向に目を向けると、さっきのアメショーがいつのまにか、私の2m範囲内に、たった1匹でこちらを向いて座っているじゃありませんか。

あいつ、もしや私を待ってるのか?と、勝手に都合良く解釈した私は、膝から曲げて背を小さくしながら、近づきました。さっきぶりだね、ご飯は美味しかったかな?君だけだよ撫でさせてくれる子は…。

あと数歩というところでアメショーは、私とは逆方向で脚を広げて座っていた、オヤツを持ったおじさんの元へ歩いて行きました。

終わらないで、秋。

みなさまごきげんよう。

いつの間にか秋になり、寒かったり暑かったり忙しい季節ですね。私は卒論に忙殺されています。

終わるのかこれは。大丈夫か、と思いながらひたすらWordの画面と見つめ合い、タイピングしては消し、またタイピングしては消しを繰り返し。先生にご相談していると「なんかやれる気がしてきた!やるぞ!」とか思うんですが、いざやると画面が真っ白なまま進まないんですね。とりあえず書いてみても論があっちこっちに広がるし。まぁ書かないと進まないし、そのくせ時は進むので、とりあえず書くしかないんですが。これは私の短所の完璧主義を起動させると一生終わらないな、と思います。

私の卒論は『源氏物語』で書いていまして、作品を読む中で興味を持った六条御息所について扱っています。実はあまり深く考えず単純に好奇心から選んだテーマなのですが、先生の指摘でふと思い出しました。そういえば私、このブログ部でブログを書き始めた当初にトーハクで上村松園作の御息所の生霊の絵を見たなぁ、ついでにそれをここに書いていたなぁ、と。美しいのに湿っぽいというか、線が細くてゆるやかな体の曲線や着物のラインが美しいんですが、着物に描かれているのが蜘蛛の巣だったりするのが好きです。白くて折れそうな細腕なのに掴まれたら動けなくなりそうな怖さや、夢を見ているかのようにぼんやり滲んだ髪と着物の裾とかもいいですよね。

表情も上品ながらひやりとするような魅力があります。

女の嫉妬って怖いな、という一言で終わらないような何かがこの絵にあり、そして源氏の物語にあるような気がします。

御息所の生霊が爆誕したきっかけは色々ありますが、その「色々」と源氏と御息所の心理的すれ違いが重なった結果生霊になってしまったのでしょうか。

御息所本人も、序盤では葵上をどうかしてやろうと思っているのではないのだけど、といっているんです。長い期間を経て溜まった嫉妬心の方が深くて恐ろしいですし、無意識下のものでコントロールできないなら尚更です。私の卒論の結論がどこにたどり着くのかはまだわかりませんが、書き終える来月には(来月と書くだけで背筋が冷えますが)この絵をより深く味わうことができているでしょうか。この先の人生で様々なことを経験をしていってようやくわかるような、そんな気もします。

では、また。

【今回のおすすめコスメ】

・ケイト リップモンスター ツヤバース

言わずと知れたあのリプモンから艶タイプがでた!とのことで、わくわくしながら購入しました。カラーはG02ピンクムーンの雫。するするっとリップクリーム感覚でぬれてムラになりにくく、思ったより色持ちがいいところ、荒れて乾燥した唇でも無理にごまかせるところ、見たままクリアな高発色なのがお気にいりです。あと細くてコンパクトなのでスーツのポケットに突っ込みやすい。従来のリプモンよりはツヤがでますが、グロスほど重たくないのも好きです。おすすめ。

もうすぐメガ割ですね。今回は何を買おうかな。