2024年に引き続き、展覧会が面白い!
雪だろうが雨だろうがレポートが残っていようが、行きたい展覧会の面白そうなこと。最近は広報やグッズの魅力の影響もあり、大規模でもないのに平日でも大行列。毎回作品の前に人の数とチケット代に驚きます。
今回は、そんな2025年睦月に開催中の展覧会で面白かったものを3つピックアップ。
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須田悦弘展
ちょっとシードルが飲みたい時に買う、アサヒニッカ弘前の林檎の絵。
20代ではあまり身近じゃないけれど、スーパーの棚を見れば必ず再会する、竹鶴のおじさん。
高いから綾鷹に敗北する十六茶のイラスト。
ご存知、これらは全て須田悦弘によるもの。今回の展覧会はそんな須田氏の展覧会。
須田氏は精巧な木彫り技術を独学で学び、柔らかい朴の木で様々なモノを作っています。須田氏が生まれ育った土地に馴染み深い、世には雑草と呼ばれるものも含めた植物を、都会に出て来た大学生のころからテーマとし、今回も植物の形をした木彫り作品がメインです。
東京インスタレイションを含めた、須田の「名作」を、ザ・展覧会形式で飾るのではなく、見つけに行く形で展示。床や壁に無防備に置いてある植物も驚きますが、何よりも展示ケースの中や下に「生えている」葉っぱ。本物が生えているのかと思うぐらい、「わかる」位置に配置された、普段街で歩く時には意識もしない存在のもの。
展覧会という、人類による究極の「造られた場所」に、一番縁遠い自然を求めるスタンスは、茶室など我々の先祖が作ってきた、自然の中につくられた建物を思い起こされます。博物館の建てものを始めとする、自然を圧倒する形で作られた人工物に対しての考えが180度変わるはず。


また、須田氏は古美術の補修・再生も行っており、その作品も今回展示されています。『春日若宮神鹿像』だったり、『随身坐像』だったりあるわけですが、補修の字に相応しく、元の作品に限りなく寄り沿うように手や弓やらを補う一方で、それが展示してあるケースには、また雑草が生えている。
古美術と現代美術の時を超えたコラボレーション。お互いがお互いを消し合うことは決して無く、むしろ物語性だったり空間美を持つようになるため、発狂しそうなぐらい自然に調和しています。現在に古美術を残し、活かすためにどう向き合えばよいかを考えるきっかけになります。
近所に古伊万里専門の戸栗美術館もあるため、是非寄ってみて。今やっているのは『千変万化―革新期の古伊万里―』。全体的な伊万里焼の流れを見られますが、今回は主に17世紀中ごろの作品の流れを重点的に見ていく展示。
私が注目したのは、60番の『銹釉染付 雪輪若松梅文 長皿』という作品。木製皿のように加工した木目調の「自然」の場所と、磁気らしく加工した白い「人工的」な場所の対照的な印象が面白いです。
この展覧会はまだまだ長いので、是非どうぞ。
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運慶展
作品、真作はかなり少ないのに、東大寺の仁王像のおかげもあって、1、2を競うジャパニーズフェイマス仏師、運慶。まあかっこいいよね。作品が。
永福寺の中に運慶のアトリエがあったかもしれないとか言われているぐらい、運慶は結構鎌倉で過ごしていたので、鎌倉には結構作品が残っています。故に金沢文庫で運慶展をやるのも何度目かだったりしていて、私もこれが3回目。そんな今回は運慶と、女性信仰者にスポットを当てた展覧会。
目玉の1つとして、「頬焼阿弥陀縁起絵巻」という巻き物があります。この絵巻の主人公「町の局」のモデルは北条政子と大弐の局だといいます。
町の局は鎌倉時代に生きた女性でした。町の局は運慶に反物(当時のマネー替わりです)を送り、代わりに運慶は阿弥陀三尊像を造りました。町の局は邸に安置し、ベストな形で成仏していきました。その後の阿弥陀三尊像はあれよあれよと事件の中心(せっかくなのでWikiでいいので調べてみてください)となったのち、現在光触寺に安置されているとのこと。
今回はそんな物語が書かれた絵巻の、運慶が反物を貰っていたり、阿弥陀三尊像だったりの絵が描かれた場所が公開されています。
他にも、政子が子どものために依頼して寿福寺に安置した薬師如来坐像。同じく政子が建てた永福寺薬師堂の鬼瓦。女性と強い関係がある清水寺の十一面観音の脇侍と考えられる、観音・勢至菩薩像などが所狭しと並びます。
当時の仏教は正直なところ女性差別が酷い宗教。誘惑するからとか実に男目線の勝手な妄想に被害を受けている、簡潔に言えば男って修行に集中できない理由を他人のせいにするクソ野郎ね、というものですが、基本的に善行をしたもん勝ちの宗教ですので、国教になる前から女性もかなり信仰しておりました。そして運慶は依頼主が女だからと差別せず、誰に対しても誠実に仏像の依頼に答えたのだと言います。運慶願経にも、女性の名前が多々あったといいます。(野村育世「「女大施主」とはだれか≪運慶願経≫の情景」『芸術新潮』2017年10月号 pp,,38-39)
女性の仏教信仰ものは物語にもかなり書かれています。大抵夫を亡くしただとか結婚拒否とかですが、源氏も今昔もありますね。木幡狐等、女性に化けた畜生(あえて畜生と書きます)が、そのまま尼になるバージョンも見られます。いくら女性と畜生は存在がアレだから成仏できないとか言われてたとしても、女性たちは男性よりも必死で縋り付き、自身が極楽を目指したり、愛する人の安全を祈ったのです。
今回数年前見つかった、存在感マシマシなあの仏像もいるので、一度は見つけてみてほしいものです。

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これらが終了してしまっても、例えば京都国立博物館だと、「日本、美のるつぼ」「宗元仏画ー蒼海を越えたほとけたち」など、面白そうなものが様々ありますから、終わっちゃったよと嘆く暇がありません。東京は今年も京都から帰って来たんだか、わからないぐらいの充実度ですね。大覚寺ですら後方彼氏面してしまったのに、次は相国寺が来ます。
芸術は秋に限らず。今年もたくさんの展覧会へ足を運びたいものです。
本日の読みたい本
『茶の本』岡倉覚三著 村岡博訳 岩波文庫
須田悦弘展の、特に古美術との融和の作品を見た時に、この本が思い起こされた。
第五章「美術鑑賞」のラスト(p.74~)は現在の若者にも訴えかけている。
それ、本当に本心から美しいと、楽しいと思っているものだろうか?