こんにちは、ゆきほです🍵
先日、大学で写真学科に所属している友人の卒展を見に行ってきました。
ついこの間高校の卒業式で一緒に写真を撮ったはずなのに、もう大学を卒業しちゃうのかと他人事のように思いつつ、せっかくだから「卒業併せ」をしよう!!(?)と前日夜に急に思い至った私。わざわざ卒論を持参しました。友人に経緯を説明してバッグから卒論を出したら「世界でいちばん変」と言われました。
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小学生の時、「ヤバい」「ウケる」「マジで?」のような、”正しくない日本語” “悪い言葉”とか言われてしまうような言葉を極端に毛嫌いしている先生がいました。
生徒同士の軽い雑談の中だったとしても「ヤバい」とか言っているのを聞いた日には烈火のごとく怒り出すから、先生がいそうな場面では”正しい日本語”だと思われる言葉を意図的に選んで話していた記憶があります。
でも、当時の私は子ども心に「正しくない日本語って何なんだろう?」と疑問に思っていました。
日本人が使っていて意味が正確に伝わっているんだから、それって日本語としては正しいんじゃない?正しくないって言い方はどうなんだ?と思っていたあの気持ちが、大学生になって日本語学の授業を受けて昇華されたのは一旦置いておくとして。(というかシンプルにその先生とは馬が合わなくて、うちのクラスの担任でもないのにやたらと怒られていました)
先生が毛嫌いしていた”正しくない日本語”って、麺つゆみたいなものなんじゃないかな?と今になって思います。
うどんにも、パスタにも、おひたしにも、何なら肉じゃがでも牛丼でも、味付けに迷った時には、とりあえず麺つゆをザーッとかけちゃえば大失敗になることってそんなにありませんよね。
先生の言う”正しくない日本語”も、麺つゆのように喜怒哀楽何にでも使える、すごく万能な言葉だと思います。醤油とか砂糖とか、色々な調味料が複雑に絡んだような言葉の使い方を小学生のうちに身につけさせるために、敢えて”正しくない日本語”として禁じようと思っちゃう気持ちも、大人になってから考えるとまあ理解できます。
ただ、無事卒論を書き終えた今、万能な言葉は”正しくない日本語”じゃない!!と、あの先生に胸を張って伝えたいと思います。
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私が卒業論文で扱ったのは、『枕草子』における「をかし」です。
「をかし」はみなさんもご存じの通り『枕草子』中では最も多く使われる表現で、小学校のあの先生がタイムスリップしたら絶対に”正しくない日本語”と言って禁じそうな使われ方をしています。
卒論を書いているときから、口述試験終わって成績も出た2月後半のブログで絶対『枕草子』の話をするぞ!と決めていたものの、いざ2月後半になってみたら何から書こうか全く決まらなかったため、今回は小学校の時の先生への不満から書いてみることにしました。
先生と出会ったあのときから10年以上が経ちましたが、私は「ヤバい」と「ウケる」を中心とした相槌を日常的に多用しながらもちゃんと就活を終えて、日本文学科を卒業しようとしています。
私が『枕草子』をはじめて読んだのも、そんな小学生のときです。恐らく多くの方と同じように6年生の国語の教科書ですね。
国語の教科書によく載っている『ごんぎつね』とか『手ぶくろを買いに』のように、ものすごく感動的なストーリーがあるかと言われたらそういうわけでもないし、『モチモチの木』や『スイミー』のように特徴的な挿絵が入っているわけでもありませんが、小学生の私にはなぜか「春はあけぼの」がものすごく魅力的に映りました。
授業で「春はあけぼの」を暗唱させられていた中で、覚えようとは意識していなかったのに気がついたら「冬はつとめて」まで覚えていたという経験が、卒論で『枕草子』を扱おう!!と思った最初のきっかけになるのかもしれません。
次に『枕草子』が現われたのは中学校の国語の教科書で、これも多くの人と同じように「うつくしきもの」でした。私は『枕草子』の中で「うつくしきもの」が1番好きです。
中学生の時に私のクラスを担当していた国語の先生は授業がありえないくらいのスピードで進んでいくことで有名な先生で、中学校の国語の教科書に載っているような短い古文・漢文はいつも1時間で終わっていました。
そう、この前置きからもお察しいただけるように、「うつくしきもの」も例に漏れず1時間でサラッと終わらせられてしまった上に、なんと私はその回を学校外での行事参加のため公欠していて。翌日の学校に行ったら国語の授業が「はい、昨日は『枕草子』が終わったから……」から始まってとっってもショックでした。今になって改めて考えると、多分爆速授業の中で台風のように読まされていたら「うつくしきもの」もそこまで好きになれなかったと思うので、結果オーライですね。
こんな感じで成長した私は、5教科の中なら国語が1番好き、そして国語の現・古・漢の中なら古典が1番好きだったので高校の選択授業では数学・理科・英語などを全て捨てて古典のみを選んでいました。
受験のことをあまり考えていない授業選択ですが、同じような猛者は他にも数人いて、しかもその猛者たちは絶対に私より古典が大好きで詳しくて選んだんだろうなということがものすごく伝わってくる人たちでした。
人間としての方向性は近いはずなので、話しかけていたら仲良くなれていたのかもしれません。でも当時の私は勝手に対抗心を燃やして、私はあの子にテストの点で勝つことができても、根本的な愛では絶対に敵わないんだろうな、と心のどこかで思いながら、ついには一言も話さずに卒業してしまいました。
正直今もあの子には、古典全般に対する知識や愛では全く敵う気がしません。
あの子のことを知ってしまったからこそ、卒論を『枕草子』で書いていると言ったら決まって聞かれる「古典の授業とか好きだったんですか?」「得意だったんですか?」に対してスパッと即答することもできませんでした。
でも、今は「『枕草子』の類聚的章段の「をかし」についてなら、あの子より絶対に詳しいし大好きな自信がある!!!」ということを自信満々に思えるようになりました。
自分の「好き」に「卒論」という形で根拠がついて、今後絶対に折れないであろう自信が持てたという点で、私は卒論を書いてよかったなと思っています。
ではまた。