振り返りのお時間

皆さんこんにちは。みちこです。

さて!満を持して!!振り返りのお時間です!!!前々から予告していた通り、自分の書いてきたブログ記事の振り返りをしようと思います。

実はこの更新でブログ部で記事を書き始めてからまる一年経過するそうです…。せっかくきりがいいので、今回は自分の書いてきた記事をふりかえろうと思います。

なお、合計21もの記事を書いているそうです。すべてにコメントをつけていくのは書いてる私も読者のみなさんも骨が折れそうですが、どうかお付き合いくださいませ…。

追記:今回もバレンタインデーであることには触れませんでした!!!(こう言ってしまうと触れているという矛盾…)

 

【2/20 大学生になって変わったこと】

https://mcm-www.jwu.ac.jp/~nichibun/blog/index.php/2024/02/20/

これがその時の私が一番伝えたかったことのようです。今もそうですが、私はこのブログという、一つのテーマに対して自分の考えを述べる行為がとても好きかつ得意なようです。大学生になって、自分がどれほど変化することが出来たのか、自分の現在地を確かめたかったようですね。

ちなみに、ここで初回から長々と失礼しました、などとほざいておりますが、どんどん長くなっていきます。てかすでにもう次から長いです。手遅れです。はい。

【3/3 My Hobbies―イラスト編―】

https://mcm-www.jwu.ac.jp/~nichibun/blog/index.php/2024/03/03/

ひな祭りだというのに、そのことには一切触れずに自分の趣味とか語りだしてますね~はい。

どれだけ図太い子なのでしょうか私は(笑)

ちなみにこの話は冗談でも誇張でもなく本当の話で、絵を描くようになってから私のモノの見え方は変わりました。そしてこの記事を書いたことを機に、当時の美術部の顧問に連絡したところ、暖かいお返事を頂いたことも申し添えておきます。

【3/20 My Hobbies―ギター編―】

https://mcm-www.jwu.ac.jp/~nichibun/blog/index.php/2024/03/20/

趣味というものに対する私の考え方第2弾ということで、ギター(ひいては音楽)のことをお話しました。今は忙しさにかまけてほぼ出来てないのですが、最近新たにハマった推し(まあ前のブログで言った甲斐田晴さんなのですが…)が定期的に弾き語り配信をなさるほどギターがお上手なので、その影響を受けて時間を見つつやろうかな、という次第です。

ちなみに父には未だに楽器を買ったことがバレていません…もう二年も経ちますよ…(笑)

このままいつまでバレずにいられるでしょうかね…

【4/7 私の「推し方」】

https://mcm-www.jwu.ac.jp/~nichibun/blog/index.php/2024/04/07/

世間一般で言われている「推し」や「推し活」。それらと私の考えは少し違うよ、という話をしました。未だにこの話が分かる人間には出会えたことがありません。多分私の中で、「推し活」の優先順位が自分の活動より低い位置にあるからでしょうね。

【5/7 私の発想の源】

https://mcm-www.jwu.ac.jp/~nichibun/blog/index.php/2024/05/07/

私の創作物に対する発想の源がどこからくるのか、という話です。これまでの趣味や推しの話と少し被るところもあるでしょう。ここらで総括しておいて、こんな話をしたかったのでしょうか。今となっては知る由もありません(笑)

ちなみにここで初めてブログテーマに難航したのも、いい思い出です。

皆さんの「発想の源」はどこですか?

【5/28 ソロ活日記】

https://mcm-www.jwu.ac.jp/~nichibun/blog/index.php/2024/05/28/

一人カラオケ、ジュンク堂書店巡り、池袋駅内のカフェなど一人で池袋を渡り歩いた際の日記ですね。

色々な活動が始まり、人と触れ合う機会が多くなった結果、自分だけの時間が減ってしまっていることに気づき、空きコマに決行した諸行の数々です。

ちなみに私は一人の時間がないと死ぬタイプです。絶対に欲しい。喧騒の中一人で何か別のことを考え込んでいるシチュエーションとかに憧れます。てか、それほぼ私です(笑)

【6/13 日文とは…?―オープンキャンパスに先立って―】

https://mcm-www.jwu.ac.jp/~nichibun/blog/index.php/2024/06/13/

私が日文を学ぶきっかけとなったことや女子大の雰囲気などをオープンキャンパスに先立って紹介した記事ですね。

実は何気に紹介系の記事を綴ったのはこれが初めてだったりします。

あとにちぶんちょう!!!!この子たち本当に撫でまわしたいくらい可愛い…。9の分野に分かれたにちぶんちょうたちには、その衣装や飾りにもきちんと理由があるんです。

それらの理由を学びたい方もぜひ本学へお越しください!

【6/25 忙しい方がQOLは上がるのか…?】

https://mcm-www.jwu.ac.jp/~nichibun/blog/index.php/2024/06/25/%e5%bf%99%e3%81%97%e3%81%84%e6%96%b9%e3%81%8cqol%e3%81%af%e4%b8%8a%e3%81%8c%e3%82%8b%e3%81%ae%e3%81%8b%ef%bc%9f/

昔から時間の使い方が至極下手だった私が、「やりたい」気持ちだけ先行してありとあらゆる課外活動を増やしたところ、充実した暮らしになっているのではなかろうかというだけの話です。

ちなみに未だに時間の使い方は上手くありません(笑)

【7/7 フィードバックをもらえることの嬉しさ】

https://mcm-www.jwu.ac.jp/~nichibun/blog/index.php/2024/07/07/

バイトのことを話しています。まあまずこんなことを考えながらバイトをしている人間は少数派でしょう。でも、バイトから学ぶものというのは本当に大きいものです。1年近く経った今でも課題があると感じているため、それを解決するにはどうすればいいのかを考えながら日常の生活に取り入れていっています。(なお、ここでも七夕には触れないそうです。)

【7/24 「ルーツ」は知るも話すもおもしろい】

https://mcm-www.jwu.ac.jp/~nichibun/blog/index.php/2024/07/24/

リレーエッセイについての宣伝とともに自身のルーツについて振り返ってみました。ルーツはその人がその人たる所以の詰まったもの。そしてそれを垣間見るのが面白いと感じています。話すことが好きであまり聞き役に回らない私が唯一といっていいほど聞き役に転じられる話題はこれかもしれません(笑)

【8/15 「勉強する」って楽しいんですよ!】

https://mcm-www.jwu.ac.jp/~nichibun/blog/index.php/2024/08/15/

勉強って本来こうあるべきでは?と考えていたことを綴らせていただきました。好きなことを思う存分に学べている私は幸せ者です。そして、「新たな気づき」。これはいつ何時でも、忘れてはいけない大事なことであると思います。(なお、ここでも終戦記念日であることには触れないそうです。)

【8/31 自分の弱さと向き合うことは】

https://mcm-www.jwu.ac.jp/~nichibun/blog/index.php/2024/08/31/

10代ラストに自身の欠点について触れてみました。

この時期は一週間以内に二度しんどいことが起きて、メンタルが死んでた時期です。

どうせならこれをネタにしてしまおうと書いた次第です。結局言葉に出来てる時点である程度は自分の中で解決出来てるってことなんですけどね…。こればかりは未だに正解が出ない。その場その場で向き合っていくしかないのではないかと思います。

【9/15 「理由」を大切に】

https://mcm-www.jwu.ac.jp/~nichibun/blog/index.php/2024/09/15/

私のブログ史上難易度の相当高い記事を書いたような気がします。多分この意味が伝わった人はあまりいないのではないでしょうか。少し抽象的すぎて難しかったと思います。

ここらへんくらいから、どんどん私が「深考」するさまが見られると思います。(なお、「深考」とは私なりの造語です。実際にこのような言葉はないと思います多分…。)

【10/10 日文生と読書】

https://mcm-www.jwu.ac.jp/~nichibun/blog/index.php/2024/10/10/

前回のブログ更新で「次回は言語化について書く」とか言いつつそうしませんでした。この前例が出来てから、もう予告通りに次回の記事が書かれることは少なくなったような気がします。多分2回に1回は外してますね(笑)

読書についてその時思っていたことを記しました。私が読書と言って読む本の対象が年齢とともに変化してきました、みたいな話をしてるような気がします。

【10/29 「徒然なる」読書】

https://mcm-www.jwu.ac.jp/~nichibun/blog/index.php/2024/10/29/

前回の記事に引き続いて、話題は読書。

衝動買いして読んだ本の紹介などをしております。そして隙あらば古典文学の沼に落とそうとしており、この記事から古典オタクっぷりがどんどん発揮されていくことも忘れてはならないでしょう。

(ちなみに、忘れても大丈夫ですよ…?(笑))

【11/13 古典の現パロに挑戦!】

https://mcm-www.jwu.ac.jp/~nichibun/blog/index.php/2024/11/13/

意外や意外、古典の現パロとかいうとんでもなことをついにやってしまいました(笑)

ちなみにここで書いた作品を好きになりすぎて現状卒業論文で題材にしようと思ってます。

【11/29 迷いの境界線】

https://mcm-www.jwu.ac.jp/~nichibun/blog/index.php/2024/11/29/

「迷い」というものに対してさまざまな観点から述べてみた記事。迷い続けるか、切り捨てるか。

この境界線に関して、私は未だに実践の域に達することが出来ていません。

一朝一夕には難しいと分かっていても、目に見えた結果を追い求めてしまう人間の残酷さを垣間見たような面持ちです。

【12/15 努力が手に入れられるものは?】

https://mcm-www.jwu.ac.jp/~nichibun/blog/index.php/2024/12/15/

受験生応援プロジェクトと私が勝手に題している記事の第一弾として、努力と結果の話をしました。

まあでも、正直こんな記事を書かれたところで普通の応援の仕方ではありませんよね…。

本当に私は、人の気持ちを汲み取って何かを返す、ということが苦手なようです。要反省です。

【12/30 年一のプチイベント】

https://mcm-www.jwu.ac.jp/~nichibun/blog/index.php/2024/12/30/

年一のプチイベントと称して、私と母が毎年近所の神社に参拝していることを綴りました。

こういうプチイベントは、皆さんの中にありますか?

【1/11 検証:歌は言葉より雄弁】

https://mcm-www.jwu.ac.jp/~nichibun/blog/index.php/2025/01/11/

受験生応援プロジェクト(勝手に名付けてる)の第二段の記事です!第一弾の反省から、私は何も言わずに、私が最近ハマってる推しの曲を紹介して受験生へのエールとさせていただこうという、非常に他力本願なことをしました(笑)

この推しさんについて語る記事もいつか書きたいです!気分によって語る語らないが激しいので、いつになるとは言えないのですが…。

(それと、受験生応援メッセージが本学の公式HPに載ってるよ、という宣伝も僭越ながらさせて頂きました)

【1/29 ソウルメイトとの出会い】

https://mcm-www.jwu.ac.jp/~nichibun/blog/index.php/2025/01/29/

ここでは授業関連のお話として世阿弥の著した『風姿花伝』を取り扱った授業の中から私が特に印象に残った話を記させていただきました!ここだけの話、ブログ部員にもこの授業を取っていた方はいらっしゃると思うので、その方たちの感想も聞いてみたいところです。

そしてこれもまた、受験生応援プロジェクト第三弾と勝手に題している記事ですね…。性懲りもなくよくやってるよホント…。

 

 

 

以上で、私の記事の振り返りは終わりにしたいと思います!

この次の更新からは新たなメンバーも加わって、より一層にぎやかになることでしょう。

ぜひ、彼女らの初舞台をお見逃しなく!

ということで、私はこれで失礼します。

次回は…。もうあまりにも外したことするから予告するのやめようかな…。(笑)

まあ、なんか書いてますよきっと。

というわけで、最後までお読みいただきありがとうございました!

これからの時代の日本文学

本日公開の文学部スペシャルサイトはもう御覧になりましたか?私は友達がたくさん映ってて嬉しくてしかたない!

みんなみてね~↓

文学部スペシャルサイト|日本女子大学

***

日本女子大学文学部日本文学科は、贔屓目無しにみても他大学と比べてもレベルが高く、広範囲で日本語と日本文学について学べる場所です。これを読んでいる幼稚園生から介護保険対象者の方までの女性の方々全員に、憧れの学部射程圏内に入れて頂きたいと思っています。そのためには、関わっていないサイトを読めばわかるよと放任するだけではなく、私からも魅力をお伝えしたい次第です。

授業にも著作権があって、私はかなりそのへん厳しくしたい派ですから、誰にも許可を得ていない今、授業の詳細を全て書くというようなことははしませんが、日本女子大学文学部日本文学科と他数校を実際に過ごしてみて、うちの日本文学科のどこがいいのか悪いのか、できるだけ細かめに書いていきたいと思います。是非、歴代のサイトやブログを見ながら、これも参考の一部にしていただけると嬉しいです。

目次

1日本語学の授業

2デジタルの授業

3課外授業

4文学講義

5先生について

6授業外の学生生活

1  日本語学の授業

一番代表的で、分野外で区別つかないよという人でもわかる特徴は、日本語学をカリキュラムに含んでいる点です。

日本語学を研究・学習領域に含む日本文学科はかなり少なく、しかもその中で、全学生が必ず日本語学の概論・歴史を学んだ上で、三-四年の研究に活かしていくという工程が否が応でも組み込まれる仕組みがあるというのは、本当に珍しいものです。

しかし日本及び日本文化、そしてその中に含まれる日本文学を語る上で日本語に関する構造的な知識は必要不可欠。日本語学を通らずに日本文化を語るのは、入り口にも立たぬ部外者の発言。ソシュールらが論じているように、言語によってその文化圏が作られていくのですから、日本という国や、日本文化を本格的に研究しようとする際は必ず日本語学をどういう形であれ、学ぶ必要があるのだと理解しています。代々口伝でのレシピだとか、狂言のお稽古だとかもそのひとつであると思います。

私?一番苦手な分野です。正直この科目は人を選びますね。一年生の概論からマジで意味がわからなかった。初心者にしては学ぶ量が多く、悩んでいると次に進む。特に高校までの文法知識(五段なんたら活用など)がしっかり頭に入っていないと、本当についていけない。先生方に聞けば答えていただけますけど、私たちの学年は遠隔だったのでどうにも。多分、今学部にいる学生の中で最も日本語学が出来ない学年。全員初めて学ぶ内容で、国語が好きという人は得意科目の概念を崩され、かと言って理系の人も唸る内容なのである意味、平等な科目。どうにかして回避できないかと毎日悩んでるんですけど、なんだかんだ毎年取っているような気がします。

2  デジタルの授業

レポート提出締切三時間前になって「名前すら打ってないわ…。」となっても、サイニーやらなんやらで何とかできてしまう、親世代の大学生活が信じられない生活をしている私たち。でも、それを使っている身として、その仕組みや裏側、危険なところを知ったり、それを有効活用するためのイロハは大切で、出来ればその学びを今後の仕事に活かしたいものです。今回の新しいHPはこの話がメインなわけですね。

そんな学びができる授業、『デジタル時代の人文学』という授業が代表的な例でしょう。先生によって内容は変わりますが、どの授業も「文化をデジタル時代にどう活かすか?」ということを考えるものとなっています。

ただ、それにしてはコンピュータに対する知識養成が足りてないかな。基本的なExcelやWordの使い方は必修で習うけど、それ以降はカバーしない。まあそれは理系の仕事だから…と割り切っているのでしょうが。

なのでプラスα(サイト運営に必要な統計とかプログラミングとか)を学ぶには、他学科の授業を自由選択科目や、大学の講座で探すべき。数物や化生に対して多少抵抗がある学生は、家政学部(旧含め)の授業がおすすめ。

そしてデジタル関連の授業とは話が離れますが、授業ごとバラバラに参考サイトを紹介するのではなく、一年生の初めに全員共通で、こういう便利サイトがあるよということを全て一覧で示すと指導が楽そうだなと、毎回思っています。生徒各々が逐一自分で見つけていくのが一番いいんですけど。

3  課外学習

ある。あるけれど、実験をするような他学科や京都の大学に比べると少なめ。

能や歌舞伎を観たり、現場の声を聴く機会は先生であったり国語国文学会によって作られているけれども、一ヶ月に一度二度というわけにはいかない。学会委員の立場から言うと、予算も限りあるし、呼びかけても来ない場合が多い。これは毎年そう。大学生忙しいものね…。といいつつ、いざ主催側になると舌打ちすることもあったり。でも仕方がありません。

これにはどうしても大学の立地が理由の一つとしてあります。目の前に御所、降りれば国立博物館、大学が寺や神社の敷地にある、はどう足掻いても勝てません。目白不動もすぐ行ける距離ではない。能舞台も学校からじゃ電車で一駅以上。だいたい全ての駅まで微妙に遠い。普通に行けるから諦めきれない距離感なんです。

ただですら、七人以上で動くとなると安全の保証が低くなるのに、移動距離が長いとなるとさらに面倒になります。これが「じゃあ来週の授業は土下座前集合ね!そこから北上して、色々巡って、次の時間前には帰れます。」が出来ない要因です。聖地巡礼のようなものを授業内や空きコマでしっかりやりたい人は他の学校、というか京都がおすすめです。

ちなみに学校関わらず自分で行くにも、立地問題は変わらないので、面倒くさい。電車代も高い。歩くとなるとかなり辛い(上野とか)。

東京の大学なんだから贅沢は言うなって話ですが、せめてJRの最寄り駅から徒歩一分くらいの大学と場所を交換したいなとかは毎日思っていますね。こればかりは仕方がない。三井家も成瀬先生もこれは想像していなかったことでしょう。まだ私たちは副都心線が出来たのを喜んでおくべきです。

その分、和本を直すとか、能面を見るとか、学校でやれる体験は多め。古本に触れたり、実物を見る経験も用意されている。T大学やK大学などと比べて数では勝てないですけれど、この学校は触らせてくれたりするのでより身近に感じます。数で負けるようなところは大抵デジタルで資料を公開しているので、それらの恩恵にもあずかれます。

そして、忘れてはいけないのが変体仮名の読解をほとんど強制で皆、読めるようになるということ。京都で文学を学んでいても、写本で読める人が本当に少ないんです。最近は一年生の必修ではなくなったようですが、これは取るべきですよ、授業があるのですから。ちなみに、うちの史学科もあるみたいです。そちらは漢字が読めるようになるそうです。だから、こういうノウハウを学ぶ授業を経て、それを持っていること前提に資料を読まされることは多々あります。

つまりうちの学科は比較的インドアな授業が多め、そのため十二分に知識はつけられるが、それを外でどう活かすかは学生次第、ってことです。全ての物事に言えることですが、ずっと受け身の体制だとちょっと勿体ないのかなと、受け身の姿勢でいながら思っています。

4  文学講義

古代から現代まで幅広い時代・ジャンルの文学と、オールマイティに関われるのは非常に良い点。

何が誰が悪いこともなく、どの授業を取っても後悔がないです。もぐりをしてもいいのかは謎。個々に許可は取った方がいいかもしれないです。二時間続けての授業もないので、色々な授業が取れます。曜日・時間割が被りがちなのがムッとくることもありますが、それはどの学校も似たり寄ったりなことです。

「こんな授業があるよ〜」という例として、一年生から取れる講義を三つ、柔らか〜く紹介しましょう。

①中国の古典文学についての講義。来年帰ってくる予定!ただプリントを先生が教壇で読んで、感想だったりを書いたり、言ったりするごく普通の形式だったが、内容が濃かった。ちゃんと「読む」。特に覚えているのは『東京夢華録』を地図を見ながらどこでどこでと見ながら読んだ、本当に最初の方の回。大学の授業はこういうものなんだ!と初めに知るのにもうってつけの授業。

②万葉集の写本を巡る講義。古典文学全てにおいて原作が残っているものはない。時代時代で人が手で写し、たまに改変しながら受け継がれていって、最終的に私たちが知っているものになる。そんな歴史の流れをどう見ていけばいいのかを、万葉集を使ってしっかり学べる授業。古典文学を専攻する人は絶対におすすめ。今も離島な存在の校舎でやっているのかは謎。

③文学と派生した能についての講義。元の物語・能の台本・実際の映像を順に見ていき、お能の魅力を知る。楽器や舞台などの基礎的知識もしっかり学べるため、お能やそれ以外の伝統芸能に関して、親しみを持てるようになる。能楽師の方のお話を聞いたり、後日実際能を観に行く機会もある。上手いお能にはα派が出ているため、寝てしまうのは仕方がない。先生の話にはばっちり目が開いているのに、動画が始まると寝る、「普通は逆だよね」が体感できる…かもしれない。

5  先生のこと

書いてもいいのかわかりませんが、人によってはこれが一番知りたいことなのでは?

一言でいうならアットホーム。でも最近ブラック企業がこの言葉を使うこともあるので、ちゃんと事実に基づいた理由を言うと、失態を冒しても注意とかなり手厚いフォローがしっかり返ってくることが常であること。他にも、時間がないのにリソグラフのインクがないことに頭を抱えていたら、見かねて詰めてくださったことも。全員、親身です。本当に親身です。とても失礼な例えですが、近所のお姉さんお兄さんおじさんという感じの雰囲気があります。

全員専門家ということで、もちろん個々に癖はあります。あるあるの域ですね。もはや当たり前。これが怖いという生徒もいますが、癖のない教授の授業なんてつまらないにも程があります。ただ相性というものは絶対にあるので、まずはオープンキャンパスなどでお話ししてみてください。

悪いと思うことはなんでしょう、あまりないですね。学生さんがたくさん食べなと、立食パーティーの時全然食べてくれないことかな。

6 授業外の学生生活において

レジュメは自分でリソグラフを使って大量印刷します。意外とこれ珍しいんですよ。職員にお願いしなきゃいけないことが多々。使い方がわかると共に、ギリギリまでレジュメの内容を改変できる利点があります。数日前に申請しないとダメというのは忙しく、できれば最後まで完璧に成したい学生にとっては難しいでしょう。結局コンビニの印刷機が待っているのですから。

印刷室の斜め手前にある学科の図書室はなかなか充実しています。静かで机も広々。辞典など、豊富に揃っています。億劫な点は大学図書館が遠いこと。他学科の図書室も同じですけれど、校門前の信号が厄介なんです。間隔があるので、急いでいる時など、最悪なのです。カチカチしている時、小学生の目の前なのにダッシュで渡ろうとすると、守衛さんにガチギレされます。当たり前だ。

印刷室の隣部屋は会議室です。そこではよく国語国文学会が開かれ、ほとんど毎週会議をしています。学生が主体でやっており、三年生が一番上につきます。オリエンテーションやガイダンスで選出された委員が、企画の実施・研究ノートの作成・自主ゼミ等の会計管理をチームに分かれて行っております。他にも、年一での静嘉堂や宮内省書陵部の見学、十月ごろに開催の国語国文学会大会を中心になって行います。学科の中の学級委員長、と考えればわかりやすいと思います。まあ面白いですよ。とくに学会大会を学部学生が運営するところは少ないですし、いい経験です。

あとうちの学科で特徴的なのは自主ゼミかな。所属ゼミや学年関係なく、上代・中古・中世・近世・近現代・創作・日本語・交流ゼミなどと、一教授につき一つ持っているイメージがあります。中国もあったかと。大抵週一お昼休みに先生の研究室や教室・会議室に集まって、一つの作品を読んでいくもの。時間が短いので、発表者は(演習授業よりはかなりお気楽な)発表をして、しない側と先生はそれを聞いてリアクションする。夏休みには、国語国文学会のつくる研究ノートに全員でレポートを書く。真面目な会合と思う人もいるみたいですが笑、私は結構楽しくやっています。メンバーと先生が良いからかな。入るのは希望制で、春から何時でも入れるはずです。

ラスト、交換留学について。同志社女子大学さんには日本語日本文学科というものがあるので、史学科の生徒などに比べると今後戻ってからの大学生活がスムーズに進みます。単位互換がしやすく、またいくらでも行くための言い分は揃っている感じですね。今は私たちもいるので、先生や先輩に質問しに行きやすい環境もあります。

国外留学に行く人もいます。文系まるごと言える話ですが、理系と比べて違うのは、学校を離れやすいところですね。ラットとかいないし。行く先(協定校)が少なめというのはありますが、あまり志望する人がいないので、ほとんど確実に行けるそうです。

***

以上、私が見る日本文学科でした!私は日本女子大学の犬レベルにこの学校法人が好きなので、多少バイアスがかかっているかもしれませんが、比較対象を持っての感想、ご参考になれば嬉しいです✌️

本日の読みたい本

『増補 文学テクスト入門』 前田愛著 ちくま学芸文庫

作者論を中心に展開する、高等学校までの一般的な国語教育をしっかり受けていると、この本の内容はすんなりとは入ってこないだろう。入門とあるだけ解りやすい方なんだとは思うが。しかし、本作で語られているテクスト論こそ、今主流の「読み方」である。

さあ、これをスッキリと読み終えられるだろうか。

ついでに言うと、本書に書かれた、本を始めとするあらゆる事象について、一年生の時点で「読み解ける」ようになるのが、日本女子大学文学部日本文学科のカリキュラムである。

この本を読み、本学科の授業を受ける、またこの本を読む、本学科の授業を受ける…のサイクルは必ずあなたの見る世界を変える。

春待ちて茶を献ず

まいますです!💟

成人式と同窓会たのしかったー!

大好きな先生にあえてにこにこですよ😼

同窓会の翌日に新幹線に乗って京都に戻ったため、同窓会後の二次会はほぼ参加できなくて惜しかったです…TT

またまた京都ではカフェに行きましたよ☕️

「CACAO MARKET by MARIEBELLE KYOTO」さん!

秘密の地下通路を通るとカフェにたどり着くというめちゃめちゃオシャレなところです。

ショップでも様々なチョコレート菓子が売っていて、内装も凝っていてかわいくて、すごく素敵な場所でした!

京都の祇園四条駅近くにあります!

2月に入ったばかりの頃、京セラ美術館で開催されていた

「蜷川実花展 with EiM:彼岸の光、此岸の影」

に行ってきました!

東京でも以前やっていたような?

その時は行かなかったのですが、まさか京都で展示を見に行くことになるとは思いませんでした。

世界観が作り込まれていて、没入感がとんでもなかったです!

舞台みてるときと同じ感覚!

3月末までやっているそうなので、関西の方はぜひ行ってみて欲しいです!

お花とか、キラキラしたものとか、ちょっとダークな世界観とか好きな人に刺さるんじゃないでしょうか。

所変わりまして、またもや関東に戻ってきましたよ!

寂しいからって友達と遊ぶためだけに頻繁に関東戻ってる。あちゃー。

「Cheese Table 池袋店」さん!🧀

ブリュレチーズケーキが絶品でしたTT

友達とぶらーっと向かうと、予約の方で満席だったので、予約推奨です!!

案内されるまでサンシャイン周辺をブラブラしたのですが、韓国プリ機屋さんできたんですね!

いつから❓

🌸

1月末に東京国立博物館で開催されているハローキティ展に行った、行こうとしたのですが、

休館…

だったので、リベンジしに来ました(*^^*)V

かわいい空間でしたよー!!おすすめ!

この展示は後ほど京都にもやって来るらしいです!

京セラ美術館♡

・・・

上野から秋葉原まで歩いたり、神田明神に参拝したり、今日も楽しい一日でした❤️

最近、初めの頃と比べてめっきり神社やお寺に行かなくなってしまったなー(–;)

と思っている(焦っている)私なのですが

なんでだろーと考えてみたところ。

動きたくても、寒すぎて動けない😭😭

未来の国内交流生のみなさんにひとつ助言をするとすれば、

暖かいうちに、行きたいところは

行けるだけ行った方がいいです!!

暖かいと散歩やサイクリングでどこまでもいけちゃいますからね🐾‪

近頃は茶道を習い始めたり、カフェ巡りをしたりで京都を満喫しています!

授業は終わりましたが残り1ヶ月ほど京都にいる予定なので、後悔のないように過ごしたいです(*^^*)

早く暖かくなれ〜🌼

では!💟

講師何伝

『風姿花伝』。能の大成者、世阿弥によって書かれた秘伝の理論書。そこには彼の高い理想とそこに到達するまでの決して華やかだけでは無い馬鹿真面目な努力、油断も隙もないシビアな現実を芸能者として生き抜く術が、世阿弥の絶妙なワードセンスとともに語られる。

多くの人が「風姿花伝」という単語を日本史の教科書で知り、マーカーを引かされ、そして少なからず一度は紅茶を想起したはずだ(メジャーな紅茶飲料「紅茶花伝」の影響)。そして多くの人が、それ以来その単語を口にしていない。

語尾が「ん」なのでしりとりで用いることも不可、四字熟語のようでも「温故知新」のように会話に登場させることもなし。

私もつい先日までは、その「多くの人」だった。

日本文学科の授業で「古典文学講義」を受講し、そこで『風姿花伝』を読むことになった。能の理論書、という概要だけ聞くと能を知らない人には理解に困難を要するものかと思う。しかし実際手に取ると、それは人生論であり、競争社会を生き抜く実践書であった。「風」「姿」「花」から想起させられる、可憐で美しいものばかりではなかった。

──お客を楽しませるためには飽きさせないことが肝心。そのために手札は多く持っておけ。

──幼いうちはその見た目や声のかわいさで会場は十分満足するので、演技の完成度にこだわり過ぎず自由に舞うのが良い。

──鬼を演じるのに荒々しくすれば恐怖心を与えるだけであり、女人を演じるのにしおらしすぎては見応えがない。常に観客の意外性を突け。

──技術や才能があっても、知識を蓄えたり「能とは何たるか」という思索を繰り返さなくては駄目だ。

──色々言ってはきたが、誰にでも良い波と悪い波がありいつでも調子がいいなんてことはないのだから、そういう時は無理をせず確実なものを適切にこなすがいい。そうして相手が悪い波に入ったときに切り札を見せれば必勝。

などなど、ここに挙げたほんの一部からでも、孤高の世阿弥が貫いた完璧主義の厳しさ、現実を見つめる目と勘の鋭さ、能への愛と不屈の精神が見て取れる。

……湿度のない風が枯れた綿の木を折るのを見ながら、私はこんな風に言葉を尽くしたくなるような何かが自分にはあるだろうかと思案した。

アルバイトの、塾講師の帰り道だった。唇の端と手の甲に微細な亀裂が入っている。それは暗闇にハクビシンらしきものを見つけた瞬間ピッと切れた。その時、気がついた。

塾講師。

この仕事に向き合う自分の姿勢は、能に向き合う世阿弥と近いものがある、と。

*****

まいです、ごきげんよう❀

近頃、採用されて一年にも満たない年下の塾講師アルバイターの態度が気になる。

とても真面目とは言えない無責任な姿勢に憤りを感じ、日々彼の授業態度を監視し耳を澄ましては、そういう時にとるべき行動を心の中で唱える。

子どもの前で講師を叱るべきではないと思っている。教師に叱られている教師に生徒は信頼感を抱けない。信頼を失えばどんなに言葉巧みに講義をしてもそこに説得力は宿らず、それはすなわち生徒の学業に影響するからだ。自分にとって信頼できない人でも、それを生徒に悟られてはいけない。

不覚にも、塾講師への私のこだわりはその人にむけて言語化されたことにより、いつしか理論書のように積み重なっていたのだった(もちろん『風姿花伝』には遠く及ばないが…)。

そこで今日のブログには「風姿花伝(ふうしかでん)」ならぬ「講師何伝(こうしかでん)」を記したいと思う。書き出すとキリが無くなるだろう。項目は厳選する。

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一、問う。塾講師は学校教員と何が違うのか。

答う。塾講師と学校教員では教えるものが異なる。学校教員は「内容・情報」を教え、塾講師は「その中でわかっていないこと」を自覚させることが使命である。

それが最適かは別として現在の教員は指導要領に則って教材の内容を伝える。多くの学生にとってそれは初めて耳にするものであり、新出情報としてインプットされる。

塾講師が教えることは、その中で「自分が何をわかっていないか」ということと「勉強の仕方」である。ここでは最も重要な前者について詳しく述べる。

塾では基本的に新しい情報は教えない。補習塾ならなおさらである。大抵、本人が学校で「覚えた」と思っていることの大半が「理解」になっていない。学校では最近習ったばかりのことに範囲を限定してテストを行うので、覚えのいい子はいい点数が出てしまい、この単元は理解したと思ってしまう。そして定期テストで成績が上の下くらいの子ほど、受験期の総合問題を目の前に自分のできなさにショックを受けるのである。この時期になると学校の定期テストでは上位にいなかったような人たちが全国模試で優位になったりする。そして彼らは大抵塾に行っているのである。

繰り返すが塾では、分からないことを自覚させることが肝心だ。英語なら「1文に動詞が1つ」「その動詞は時制・主語で変形する」の2点がわかっているかを確認する。

そこにさえ注意すれば解ける問題を10問解かせる。スペルは分からなければ片仮名でいいとしてとりあえず10問答えさせる。ここで丸つけをして答えを教えてしまっては、塾講師では無い。「間違えた」ことを知るのではなく、「解けなかった」ことを分からせなければ意味がないのだ。

回答を1問ずつ音読させ、「この中の動詞はどれか」「この動詞はなぜこの形なのか」の2つだけを聞く。答えられる子は正解しているが、多くの子が答えられない。そこで励ます。「今分からなかった2つのポイントさえ分かれば英語は簡単にできるようになるんだよ!」

ここで答えは教えない。ここで1問1問の正解を教えてしまったら、その子が理解したかの確認ができず、講師側が今後の方針に困ることになる。その日の授業は「1文に動詞は1つ」「動詞は時制と主語で変形する」ということだけを覚えさせ、最後に冒頭で解いたのと同じ問題を解かせる。

ここで重要なのは「満点」ではなく「今日教えたポイントを間違えていないか」だ。これでできていれば「大きいポイントクリアしちゃったね!!」と褒め達成感を与える。そしてもう一度「この文の動詞はどれ?」「なぜこの形にしたの?」と聞く。これが言えたら「理解」できたということだ。

答えられなければ講師は自身の教え方を振り返る必要があるだろう。

二、問う。勉強の仕方を教えると言っても、単語を暗記していなければ解けないものもあると思うが、その対応はどうするのか。

答う。暗記は生徒本人の問題だと思う人もいるがそれは違う。工夫して脳に働きかけるべし。

人は意識せずとも繰り返し見たものを記憶していたりするものである。席替えをした教室に配り物をする時、いちいち座席を覚えようとしなくても毎朝見ていれば自然と覚えてしまうのが、その例だ。

なので問題を出す際には、その子がよく間違える単語や覚えて欲しいものを繰り返し出すのが良い。問題を出したら生徒が解き終えるまで暇をするのではなく、解く様子を見ることも怠ってはいけない。スペルや単語が分からないという理由で手が止まっている場合はすぐに正しいスペルを教える。1度知ればその後はそれと同じ単語が何度も出てくるので覚えようとさせなくても自然と書けるようになるのである。自力で思い出させることも大事だが、スペルや単語に関しては間違ったものを繰り返し書いて覚えてしまうべきではないので、正しいものをすぐに教えそれを繰り返し視界に入れさせることが大事である。

また複数の単語を一気に覚えさせたいときはフラッシュカード形式も良い。とにかくひとつに時間をかけるのではなく、「一瞬見た」を「繰り返す」ことが肝心なので、余裕があればメモ用紙などに書き起こしカードをめくってあげると良い。

別の生徒を見る関係で1人にそこまで付きっきりになれない場合は、数十秒間タイマーをつけて「この時間内にカードを3周フラッシュしてみて」と言うのも良い。交感神経が働くとき記憶力も上がるという脳の性質を活かして短時間で確実に覚えさせるのである。

また、記憶は暗記したときより思い出した時に定着するので、次の授業など忘れかけている時期にその単語の入った問題を出し、思い出させることも大事だ。

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さてさて、項目をどの順に立てようか思案することでブログの更新日を遅延させて閉まっているので、とりあえず今回は最初の2つを紹介したということでしめたいと思います。

皆さんは、「風姿花伝」ならぬ「〇〇伝」、何か書きたいものはありますか?

パスワード

こんにちは。

ある日スマホの電源ボタンの調子が悪くなり、とうとうボタンを押しても画面が点灯しなくなってしまいました。しかし、どういう訳だか指紋認証機能だけは健在だったため、修理をしないでそのまま数週間使い続けていました。私のスマホ様は画面タップで画面が点灯しない機種だったようなので、その代わりに音量ボタンで画面が点くようにして、画面のスリープも30秒くらいにして充電を保つことにしました。

電源ボタンがぽちっとできなくなったこと以外は何も問題ありません。電源ボタン以外の問題点を敢えて挙げるとするならば、私のドジさ加減でしょうか。

1月の末には期末試験がありました。本学には期末に試験期間というものがあるにもかかわらず、日文の授業だけなのか否か多くの授業は最後の授業日に期末試験を行うようです。期末試験を行わない授業では期末レポートが課されますね。私に関して言えば、試験期間に期末試験を受けたのは1年生のとき以来です。

試験といえばもちろん、スマホをはじめとした電子機器の利用はご法度。真面目な人なら先生の指示がなくても電源を切ったりしますよね?そうです、私、実は真面目なんです。試験が始まるからと言ってメニューを開いてスマホの電源を切ってしまったのです。そのおかげで、私のスマホは二度と起動できなくなってしまいました。どうしてもっと早くに気づかなかったのか。ドジというよりはバ〇なのかもしれません。

試験が終わってスマホの再起動ができないことをやっと理解した私は大急ぎで図書館に駆け込み(?)、PCを借りて最寄りの携帯ショップを検索、池袋へ行くことにしました。キャンパスから池袋は歩いて30分程の距離です。歩くのが好きな方ならば問題ない距離だと思います。もし店頭でササッと修理してもらえたらすぐに使えるようになるはずだもの。そうしたらスマホの中身もモバイルパスモも元通り。定期券で家に帰れる、はずだったのですが。

私のスマホは契約から2年以上経過していたこと、修理を頼むとすぐに使うことはできないことが分かり、店員のお兄さんの言葉に従って機種変更をすることにしました。店員のお兄さんにおすすめされた機種は安価でカメラの性能がちょっといいやつ。その他の操作方法はこれまでのものとほぼ同じで、慣れるのにそれほど時間はかからなそうです。

壊れたスマホからの機種変更で一番困ったのはアカウントの引継ぎです。私はパスワードを無意味な文字の羅列にしているため、思い出す以前に覚えていません。家で眠っているメモ帳を見ないことには一文字たりとも分からない。さらには、機種変更の前に手動でバックアップを行わなければならないアプリーーLINEとかもそうですねーーを操作できないまま引き継ぐことになってしまったため、いくつかのアプリのデータは消えてしまいました。私のLINEのトーク履歴は2年前の会話で途切れています。(ちょっとショックでした・・・。PCにデータが残っていたのが救いです。)

さらにはモバイルパスモの定期の再設定ができるまでは切符で電車に乗ることになり、ちょっとレトロな気分に浸ることになりました。切符で乗車するのも中々味わい深くていいです。

スマホを新しくしてからそろそろ1週間くらい経ちますが、今はもう不自由なく使えています。

皆さんも愛しいスマホ様の故障にはすぐに手当てしてさしあげるのがよさそうです。

学生の特権

 バレンタインが近づいてきましたね。こんにちは、さゆりです。

 ここ数ヶ月である病気の疑いがあって薬を飲み始めたんですが、飲み始めの際に出やすい副作用が強く出てしまい、体が思うように動かない上にあまり食事がとれずちょっと困っています。しかもきちんと水分摂取していないと血栓ができる確率が上がってしまうので割と怖いです。世の女性たちはこれと戦っていると思うと社会人のお姉さんたちが戦士に見えてきますね。

 私の大学生活も残り少なくなってきました。大学時代を振り返ろうとすると本当に色々と、それはもう、世間一般的にはほんの些細な出来事ではあっても私の中では大嵐だと言えることがありましたので、ここでは書ききれません。三月に取っておこうかな。

 つい最近、ようやく新居が見つかりました。探すのが本当に大変で見つかるか不安だったものの、内見した中で一番落ち着くお部屋がみつかってよかったです。

 にしても、転居のために必要な手続きや準備は山ほどあってめまいがしそうです。引っ越しって本当にお金と時間がかかりますね。学生のうちにやっておきないことはちょいちょい進めつつ、無事に新生活が始められることを祈ります。

 そうだ、キャンパスメンバーズの特権が使えるうちに、博物館や美術館に行っておかなければなりません。なんせ入館料が無料ですから。上野にある東京国立博物館なんかは大好きで、空きコマや休講になった日、授業終わりなんかに本当によく行っていました。

 学割の何がいいって、目当てのものがなくてもふらっと博物館や美術館に行って展示を見られる贅沢ができるこのなんです。それはそれですごく楽しくて、進研ゼミばりの「授業でやったやつじゃん」体験ができるのは日本文学科ならではなのでは。二階の展示スペースには平安時代にかかれた書物(や、そのレプリカ)もありますので、時間を気にせずじっくり崩し字を読んで当時の作者と対話したような気持ちになることもあります。

 当時の書物を自力で読めるようになると、古典作品や古い史料を読むことが作者との対話のようにも感じられます。日本文学科では必修授業のため当たり前のようですが、崩し字を読める人は年々減少しているので、私は大学時代に勉強ができたことをありがたく思っています。人の翻訳を通さずに、古典を読んでみたくはありませんか。旅先で見かけた古い書物が「難解だけどなんか価値があるらしい物体」ではなく、自分に直接語り掛けられる手紙のようにも思えて楽しいですよ。

 というのは何度か書いた記憶があるのですが、やっぱり自力で読むってたのしー!!を最近再確認したしまったものですから書いてしまいました。

 ちなみに大学に入ってからドはまりした中国文学もどうしても原文で読みたくて中国語の勉強を始めたくらいです。進捗?聞かないでください。でも最近中国人の友達と会話していて照れながら発音チェックをしてもらったところ「さゆりちゃんの中国語の発音好き」と言われました。照れました。言葉は時代や文化をこえて私たちを強く結びつけてくれるんだなぁと、改めて思いますね。

【今回のおすすめコスメ】

ヴィセ アイブロウペンシル

 プチプラでアイブロウといえば、セザンヌを思い浮かべる人が多いのでは。でも個人的にはヴィセをおすすめしたいです。なぜならセザンヌと同じお値段なのにコスパがいいから。

・書きやすい

・色が絶妙

・コスパがいい(セザンヌは毎回一か月で使い切りますがこちらは数か月持つ)

・ブラシまでついてる(旅行にうれしい)

しかもドラストで買える。助かりますね。私はヴィセ推しです。

 メイクの色味を変えたいけどセザンヌだと選択肢がないかも、他のメーカーのも試してみたいかも、という人は同じ価格帯で買えてお得ですよ。私はメイクが八割コーラルの人間なのでBR303のピンキッシュブラウンが好きです。

以上。よいバレンタインデーをお過ごしください。

歯磨きは食後すぐした方がいい

 3日前、親知らずを抜いてきました。前回の更新で右側の上下2本を抜いたお話をしましたね、今回は左側です。これで親知らず全摘出です。今回もかなり痛い。が、前回は入れなかった治りが早くなるコラーゲンの薬を使っていただいたおかげか前回よりはマシなような気がします。気のせいかもしれません。腫れは結構マシになっています。なら前回も提案してくださいよとちょっと思っちゃった。まあ治ったのでいいんですけれども……。
 2月、ということは卒業までもうあと2か月なんですね。親知らずを抜く、もそうですし、銀行に行くだとかさまざまな病院に行くだとか自転車を買うだとか、最近は就職するまでにしておきたいことを色々しています。学生って平日昼間に休みがあるのがかなりいいよな~と思う日々です。

 あなたの趣味はなんですか、と聞かれた時それなりにあれこれ出てきますが、結構上位に食事と睡眠が入ります。趣味というにはあまりに人生と直結しすぎかもしれません。寝るのが大好き!食べるのが大好き!といった感じでしょうか。とにかく人生の楽しみは食事だし、食事は娯楽であると認識しているタイプ。食いしん坊ってやつですね。睡眠に関しても適温で自分の布団で気持ちよーく寝たい。できることなら毎日10時間寝たい。寝床が変わると眠れないとかいう繊細な感性の持ち主ではありません。毎日快眠できればなんでもいいのです。そんな私なのに、歯を抜いた関係でこの2週間でゼリー飲料しか飲めない日がちょいちょいありまして。今までの人生で食欲がないから食べない、とか熱が出たからりんごだけ食べる、とかはあったんですが元気なのにまともな食事ができない状況が思い出せる限り恐らく初めてでした。いや、この文章書きながら思い出したんですが小学生の頃胃腸炎にかかった時もお腹空いたのに食べられなくて悲しい気持ちになったような記憶がぼんやりありますね。この食べたいのに食べられないが、もう本当に本当に苦しい。辛い。毎日何食べようかなとか何作ろうかなとか、夕飯何かなとか考えるのがどれだけ楽しいか思い知りました。私という人間、食への執着がすごすぎる。高い物が食べたいんじゃない、私規準で美味しいものが食べたいんだ……!SFとか近未来世界を描いた作品とかで食事の効率化の描写が見られることがあると思うんですが、私あれ無理かも……。食事の時間、味、見た目、香り、触感などなどを楽しみたいんですよ。腹が膨れれば、栄養がとれればいいってもんじゃない。こういう感覚って私が日本で生まれ育ったからなんですかね。日本は他の国と比べて食を重要視しているみたいな話を聞いたことがありますが、家族や社会が育んでくれた食への感性、食育はこの私の中で十分すぎるくらいに生きていますよ。毎日美味しいご飯が食べられる幸せを噛みしめていきます、ご飯だけに。

 口内の傷が治って思いっきり食べられるようになったら衣が硬い唐揚げとかフランスパンとかせんべいとか食べたいですね。早く抜糸したくてたまらないです。それまではやわらかいものを食べて生活します。では。

もういくつねると誕生日

ごきげんよう。あやめです。

レポートを書き終えられたと思ったら、今度は就活をやっています。なかなか一息付けないでいます。

受験生の弟は、それはそれは大変そうです。ギチギチスケジュールであるようです。これをお読みのあなたももしかして、受験生ですか?こっそり、しっかり応援しています。メリハリをつけて活動するといいらしいですね、例えば集中する時間と休む時間を、きちんと時間で区切って取る、とか。まあそんなことはあなたの方がよくわかっているでしょうから、私がわざわざアドバイスできることは少ないでしょう。あとはよくよく食べて寝ましょう。私もそうします。面接が続いて疲れてきました。緊張しっぱなしです。

なんだかあんまりネタを集められない日々が続いてしまっております。試しに過去の記事?を読み返してみました。あ、こんなこと言ってたんだ恥ずかし、え、うわ恥ずかし、となっただけでなにも得られませんでした。強いて言えば「こんどちゃんとはなします」とか言って後回しにしたことがたくさんあったので、きちんと卒業する前に回収していかなければ、という発見がありました。追々やっていきます。いや、本当ですよ。

さて、2月にはいりました。つまり、私、あやめが〈にじゅういち〉歳になるということです。この間カレンダーをみて、あれ?今月誕生月か?ということを急に思い出す、そんな無頓着に変貌していました。昔はすごく楽しみだった記憶がありますが、おとなになると、誕生した事実にはもう驚かずに済むようになるのでしょうか。

このあいだ、大好物のりんごをシャクシャク剥いて食べようとしました。ヱ、私はなかなか不器用でありまして、りんごの皮ひとつも満足に剥けませんで、難儀しながらようやく剥き終えて、やったと思っていたら、横から弟にひとかけとられました。

この時期は寒すぎて、胃が多分ちょっと敏感になっています。水道水が信じられないほど冷たく、それを嚥下すれば、胃がつめたくなるのを感じて、いかんいかんと思って今度は熱々のインスタントスープを一掬い飲み下して胃がホコホコにあたたまるのを感じて、満足する、という具合に敏感です。

実は昨日も今日も明日も面接があって、それで焦っているので、今回も短く終わろうと思います。次回あたり、長く書けるようにがんばりたいです。せっかくあなたが読んでくださるのですものね…

「どんでん返し」の罠

ミステリ小説にハマっている。特に「どんでん返し」系の。
ここで具体的な作品名を挙げることは避けたい。なぜなら、その小説が「どんでん返し」であることを明記するのは作品のネタバレ・・・そんなことは読書好きの間では当たり前のことだからである。

確かに、「予想を裏切られた!」なんて体験は、予想だにしないところから飛んでくる方がパンチがあって、経験としての価値が高いような気がする。
“裏切り“は、予想なんてできないからこその“裏切り”だ。

ただ、1つ困ったことがある。そんな気持ちの良い「どんでん返し」を食らってしまうと、次が欲しくなってしまうのだ。
次なる“裏切り“を、より良い「どんでん返し」を。
そうなると、私のようなせっかちで単純な人間は「どんでん返し 小説」で検索をかけてしまう。
だって許してほしい!私が味わいたいのはただのミステリではなく、あのどんでん返しの快感なのだから!

そんな探し方をして、「とある1行でこの物語はひっくりかえる」……なんて帯を見てしまったら、その本の楽しみ方が減ってしまうという人もまあ多くいることだろう。
だが安心してほしい。名作のどんでん返し作品はどこでどんなどんでん返しが来るのかなんて予想できない。
わかっていても、予想だにしないタイミングで予想だにしないとこから飛んで来るからパンチは攻撃たりえるのである。
小説を読んでいる間、「思ったより普通の小説だな・・・」とか、「ま、この辺が伏線なんだろうな」とか、そんなことを考えていたら作者の思う壺だ。そして、「とある1行でこの物語はひっくりかえる」系の帯を書いたコピーライターの思う壺でもあるだろう。
そもそも、そんなことが書かれた帯がある時点でその物語に「どんでん返し」があることがわかってもその本は面白いのである。もっとホンシツを見ようよ、なるほどくん。

あと、普通にミステリ小説を読んでいるとたまに一切ネタバレなく「どんでん返し」を食らうことができたりする。こんなラッキーどんでんがあったりもするから、「どんでん返しの表記はネタバレだ!」派の皆様も快感を味わいたい時は気軽に調べて摂取していいと思う。
皆様も、よきどんでん返しライフを。

趣味

こんにちは、ゆきほです🍵

本日から2月ということで、私の大学生活も残り2ヶ月となりました。

人生最後の長期休みということで春休みをのんびり満喫するぞ~!と思って授業が終わってから1週間くらいのんびりしていたのですが、思いのほかやらないといけないことがたくさんあることに気づいてしまい、先週慌ててやることリストを作ってみました。

「1月中にやりたいこと」「バイト関係でやらないといけないこと」「大学関係でやらないといけないこと」に分けて作ってみたのに、1月中にやりたかったことが13個中2個しか終わっていないまま今日を迎えてしまい若干焦っています。

本日は、日本女子大学文学部の一般選抜試験日でした。恐らくこれを読んでいる方の中にも今日入試を受けられた方がいらっしゃるかと思います。
ニュース等でも言われているように、明日は関東でも雪が降るかも?とのことなので、今日入試だった方も明日以降入試の方も、暖かくして過ごしてくださいね!!みなさん本当にお疲れ様です!!

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12月の卒論締め切り直前くらいに「卒論が終わったら絶対に編み物をする」と友達に宣言していたのですが、有言実行で年末からかぎ針編みをしています。これは絶対ブログに書くぞ!と思って、敢えて友達の前では話題に出さないようにしていました。

インスタにかぎ針編みの動画が流れてきて『これかわいいな』と思ったこと、そして実は高校生の時にも私の中で編み物ブームが到来しており、その時に買った100均のかぎ針が確かペン立てに入っていたぞ……?と思い出したことによって編み物熱が再燃。さすがに卒論を書き終わるまでは我慢していましたが、終わった瞬間に毛糸を買って、今に至るまでちょっとずついろいろなものを編んでいます。
私は脳内が常に騒がしいタイプなので、考え事をしないで無になってひたすら手を動かすことができるところがすごく好きです。

そんな感じで年末年始も黙々と編み物を楽しんでいたところ、先月くらいからでしょうか。ネットとかで「若者の間で編み物ブーム!」という記事をよく見かけるようになり、同じ時期に100均の毛糸がみるみるうちに品薄になっていきました。

私「全てに半年遅れでハマる」タイプで、いつも音楽もアニメも全て流行の最前線から半年遅れくらいで「これめっちゃいいぞ!?!?」と騒ぎ出すのに、なぜか今回だけ流行の最先端に乗っかってしまったような感じになっていて、ちょっとだけ不服な顔をしています。私の方がネット記事より2週間くらい早いのに……

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これまでの人生の中で、趣味を「やらないといけないこと」にしてしまって、結果的にそれが嫌いになって離れてしまったということが何度かありました。

私にとってそれの最たるものが「絵」です。

小さい頃から絵を描くのが好きだったから美術部に入ったら、描く絵や締め切りが決められて、毎日決まった時間必ず絵と向き合うことになりました。

最初はもちろん「部活」を称して趣味を楽しめていたため、楽しかったです。

でもいつからか、趣味だったはずのことが「部活だから嫌々すること」に変わってしまいました。

周囲からは「美術部だし絵上手いんでしょ?」という目で見られるから、ちゃんと上手に描かないといけないと思ってしまう。嫌々絵を描きながら横を見たら自分よりも圧倒的に上手な、「天才」と言われるような同期もいる。
最後には顧問の贔屓のみが理由で部長に選ばれてしまい、部活を引退して以降はほとんど絵を描かなくなりました。

あんなに大好きだった「絵」が趣味ではなくなってしまったというのが本当に悲しくて、高校では美術部よりもさらに緩い文芸部に入り(部活には入らないつもりでしたが、帰宅部NG派の親と大揉めして渋々入りました)、結局そこでも「小説を書く」ということが嫌いになってしまったため、大学では部活・サークルの類に一切入りませんでした。

人の目を気にせず生きているはずなのに、人の目を気にしてしまう自分の存在が見え隠れしていることが嫌になった。人の目が気になる状態に付随する、絵を描くことも小説を書くことも嫌になってしまった。「この人こんなところ勉強してるんだ」「こういう本読むんだ」と思われているような気がして、いつしか学校や塾の自習室で勉強をすることも、図書館の閲覧席で本を読むこともできなくなった。

自分は我が道を気ままに歩けるタイプなのかと思っていましたが、実は人から影響を受けたり、人と自分を比べたりしやすいタイプなのだということに今になってようやく気がつきました。

「人の目を気にせず生きる」理想の自分と、「人の目が気になるけど、それはそれとして自分が好きなことはしている」現実の自分を切り離すことができたことで、自然と「人の目を気にする」ということと「自分が好きなこと」を別のものとして捉えることができるようになりました。今では図書館で集中して作業をすることもできるようになったし、ときどきは色鉛筆を取り出してお絵かきをすることもあります。

思えば日本文学科を選んだのも好きだったからですが、4年間課題に追いかけられた今も大学で学んだことはどれも全く嫌いになっていません。

ブログ部で毎月文章を書いていたけど、自分がブログに書いた文章は嫌いになっていない。卒論であんなに締め切りに追われながら向き合った『枕草子』のことも嫌いになっていない。バイトでも趣味に近い仕事をしたけど、それも嫌いになっていない。

この4年間「ずっと好きで居続けられたもの」がたくさんできて、それが本当に大きな自信になりました。この自信を得ることができたという点で、私は大学に入って、日本文学科に入ってよかったなと心の底から思っています。

最終回か?という感じですが、予定ではあと3回書かせていただきます。

ではまた。