おわりに

これまで本稿では、日本文学科に在籍する一学生の日常や思いを自由に書き連ねてきた。学位記を手にした今、4年間のキャンパスライフを振り返りながら、これだけは明らかにしておきたい。


みなさん、こんばんは!明日からいよいよ新年度。3月最終日である本日は、ブログ部の部長・あやがお送りします。そして、約3年間綴ってきたこのブログも終章を書かねばならないとは。寂しいですが、どうぞ最後までお付き合いください。

さて、高い学費と引き換えにいただいた4年間はもちろん特別な場でした。高校までの学習とはまるで異なり、専門的に学問を追究することができる。それが大学の授業ですが、ひとことで言うなら「出会い」だと思います。すべての学生が足並みを揃えて与えられる学びではないこと。必修以外は何を受講するのも自由。あくまで自身の興味に基づくこと。その中で、自分の知識をより深めたり、知らなかった世界に突然興味を持ったりと、学生と学びが結びつく瞬間をもたらしてくれるのですね。「自身の興味に基づく」と先ほど述べましたが、それ以外で学びと出会うこともあります。空きコマがあったから受講してみるか…そんな理由で受講した講義で、私は中世文学と出会い、そこからどっぷり沼落ちしました。「わからないから」「知らないから」でシャットダウンするのはおすすめしません。なんとなくが自分の興味に繋がり、専攻になることもあるのです。

おっと!!偉そうに語っているものの、1年次は何度泣きながら辞めたいと親に言ったものか。大学に馴染めない、授業もいまいちわからない。モチベーションはないのに、謎にプライドはあって… そんなダメダメ学生でしたが、授業内容に対して自分なりに思うことがあればその考えを大切にしていました。すべてを良い・素敵と肯定する必要もないし、100%理解していて今すぐに論理的に説明できる人なんてそういないでしょう。「この登場人物ひどいな」「◯◯に似ている」といった何気ない感想、「これには賛成できない」という批判的な捉え方、それでも大丈夫だと思います。内容に対して頭の中でぼんやり浮かんだちょっとした思い、考えこそが意外と活きてくるような気がします。難しく捉えすぎないということも一つのコツ!また、他大学と比べて人数が少ないからこそ先生や院生の先輩からアドバイスを多くいただくことができたのも恵まれた環境だと思っています。4年前の何もわかっていなかった自分なら、卒論を完成させることも到底無理だったはず。手厚いサポートに何度も救われました。

そして、大学在学を通して人間的にパワーアップできたと実感しています。何より書くこと話すことに自信がつきましたし、以前よりも人との交流が活発になりました。このブログもそうですが、新たなことにチャレンジさせていただく機会が多かった4年間。時には失敗・反省しながら自分を高めたり、新たな一面を知ることができたりと非常に充実していました。これもまた、自分自身との「出会い」だったのでしょうね。

厄介な感染症のおかげで大学の教室でノートを広げる機会が少なかったのは悲しい事実ですし、やり残したことや後悔はあるのですが……いよいよ社会人として新たなステップを踏み出すとき。大学で得たことを無駄にはせず、今後も粘り強く頑張ります。

歴史あるブログ部に私をスカウトしてくださった石井先生、ブログ部を盛り上げてくれた部員のみなさんには感謝の気持ちでいっぱいです。そして、これまでブログを読んでくださった画面の向こうのあなた。本当にありがとうございました。少しでも楽しんでいただけたのならば幸いです。今後も引き続き「新・当世女子大生気質」をよろしくお願いいたします。

それでは。

これにて

こんにちは、とみーです。ブログ部4年生卒業ラッシュ、私もいよいよ最終回です。何か特別なことを書き残したい気持ちもありましたが、いつも通り行こうと思います。

さて。いよいよ春休みもあとちょっとということで、めいいっぱい遊ぶことも大学生活の思い出に欠かせませんね!(笑) 前回のブログでも友人先輩行脚してましたが、28日には福島のお友達に誘われて、茨城県古河市に現地集合してスタンプラリーをしました。歴史博物館や古河公方公園、現地の美味しい喫茶店でランチなど、古河満喫の一日でした。
私が自由にスケジュールを動かしてお出かけの日を合わせられるのも、今だけの特権です。

古河公方公園ではちょうど桃祭りを開催していました…といっても、桃の花は流石にほとんど葉っぱになってしまっていて、その代わりに(?)沢山の桜と菜の花がお迎えしてくれました。平日だったので程よく空いていて、きっと休日は子供がはしゃぐようなアスレチックで、22歳のおなご3人できゃっきゃと遊びまくりました(笑)

また、こうやって楽しく遊ぶためにも、身心の健康を保ちながら四月から社会人を頑張らねばなりませんね。

卒業式を終えて、先日、中世卒論ゼミでは謝恩会がありました。
個人的には、卒業式以上に仲間たちとの別れと門出を感じるものでした。ゼミ員一人ひとりが進路・卒論・これまでのことを述べて、教授のお話を聞いて…私はやりたいことに正直に、まっすぐに、突き進んで挑んだ日本文学科の道でしたが、必ずしも全員がそうとは限りません。知らないところで皆いろんな悩みを抱えていたんだなあと感じました。

昨今は、将来に対する不安や就活に備えた進路選択が多いので、日本文学科を選ぶ方が少ないらしいです。私の場合、好きなことは趣味、大学では自分の研究したいこと・人生を豊かにすることを、就職は地元で!みたいな選択が自分の中できっぱりしていたので、不安はあっても悩みはしなかった気がします。
もし学び直したくなったら、自分でお金貯めて音大に行って経験を活かしてピアノ教室でも開業しよ~とか、働きながら社労士の勉強したいな~とか、そんなことを考えています。就職もそうですが、ここが人生のゴールだ!と思ってしまうと、そこが合っていなかったときの不安に押し潰されるものです。

だから、ふんわりと、こういう道も目指せたら楽しいかもな~と現実的にいけそうな未来の枝葉の先を考えれば、なんとなく頑張れる気がします。
こんな性格だからか、謝恩会では先生に「木をバッサバッサとなぎ倒して進むパワフルさ」とのお言葉をいただきました(笑) 自分ではあまり思っていませんでしたが、周りからはそんな風に見えるのかと。でも、パワフルさはあって悪いものではないので! この言葉を胸に今後も自分の道は自分で切り開いていこうと思います!


最後に、進路に思い悩む人に一言。
日本文学科は本当に色んな授業を取る余地があるし、組み方によっては外部活動を充実させることもできます。結局、どこに入るかよりも何をするか、人との縁を大切にしながらどうやって進んでいくかが大切です。歩いた後に道ができるのですから、振り返って自分が誇れる道を作ってください!

やらない後悔よりやる後悔ということで、これから受験・学生生活を控える方には、どんどん挑戦してほしいです。私たちの代みたいに、いつコロナ的なのが来てできなくなるかも分からないのですから。


私にとって、日本女子大学で学んだ四年間はかけがえのないものになりました。そして、中世ゼミで学んだこと、書き上げた卒業論文は達成感や知識ではなく、自信になりました。
寂しいですが、学生生活は一旦おしまいです。先輩から脈々と受け継がれてきたこのブログにも携わることができて、本当によかったなあと思います。いつか、私のブログを読んで元気を出してくれる方がいらっしゃったら嬉しいかぎりです。

それでは、縁があれば、またお会いしましょう! さようなら!

卒業のアンサンブル

こんにちは、れいかです。
ついに最後のブログとなりました。

今日の私はいつもと変わらずバイトに行って開店準備をし、料理を運んだり、オーダーを取ったり、お会計をしたりしました。
でも、4年近く続けたこのバイトも、あと2日で終わり。
何にでも終わりが来ることは分かっていても、いざその日を迎えると寂しい気持ちになります。

月に2回、静かな自室でパソコンを開いてブログを書く時間は、特別なものでした。
なんとなく、次はこれを書こうかな…?と思っていても、いざ書き始めると当初想像していたものと全然違う内容になっていた…!ということは多々ありました。

こうしてパソコンに向き合っている空間は限りなく一人なのに、画面の向こう側には読んで下さっているあなたがいること。姿は見えなくても、たしかな存在を感じられる、不思議な感覚です。

「広くアンテナを張り、語彙を豊かに楽しく書く。このブログを通して、私も自分を磨いていきたい」
3年前の最初の投稿で書き残した、この目標には課題が残ります。
ただ、できるだけその瞬間の想いにフィットする言葉を選びたいと意識してきました。この積み重ねが少しでも自分の成長に繋がっていたらいいなと思っています。

先日行われたゼミの謝恩会や、母校である附属中高への訪問は、とても幸せな時間でした。
4月から始まる新しい生活でも、これまでの学生生活を通して知ることができた自分の良いところを生かしながら、楽しんでいきたいです!

最後になりましたが、ブログ部に誘って下さった石井先生、ブログ部の皆さん、読者の皆様。本当にありがとうございました。
等身大の自分を表現する場所があり、それを共有できたことは大きな喜びでした。
ブログ部を卒業しても、文章を書くことは続けていきたいと思います♪

お付き合い頂きましてありがとうございます。れいかでした。
それでは、お元気で🍛

「 」

こんばんは、めいです。

最後のブログ。
何を書こうかと数日前から考えていたのですが、結局何も決まらないまま今日を迎えてしまいました。

引き続き考えながらぼんやりと過去のブログを読み返し、感じたのは、文学の話ほんとに一つもないな…ということ。普通にバレてるだろうなと思いつつ名言したことはなかったのですが(何故かちょっと気恥ずかしかった)、私は日本語学を専攻していました。

日本語学を学んで来た中で一番印象に残っているのが、「誤用は変化の始まりである」という先生の言葉です。
そもそも私が日本語学に興味を持つようになったのはまさに”誤用”が始まりで、日常生活に馴染んでいる日本語の誤用を扱ったテレビ番組を観て面白いと感じたことがきっかけでした。
それ以降自然とテレビや街中で聞こえてくる誤用に意識が向くようになったのですが、そのうち、無意識に”誤り”であるということに対して目くじらを立てるような感覚になってしまっていて。
そんな時に「ことばはそもそも様々な変化を経て今の姿になっていて、当然これからも変化していく。誤用はその変化の一種であって、一概に悪と捉えるべきではない」という先生の話を聞いて、ハッとしました。
誤用が生まれることにも、多くの人が同じ誤用をすることにも、その誤用が社会に浸透することにも、必ず言語的な要因や、時代的・社会的な背景があります。そして、そうやって人々の営みに連れ添い、共に変わっていくことばというものを、私はとても興味深く感じたのです。

卒論のテーマも、ある種の誤用について、そんなところに焦点を当てて書きました。もちろん細かい反省点は山ほどありますが、4年間の集大成として、自分の興味を形にすることは出来たかなと思います。
2年次からはほとんどリモート授業で、正直に言えば大学での学びというものを実感しづらい部分もありました。それでも、振り返れば日文での4年間がちゃんと自分の中に残っています。
日本神話も百人一首も能も浄瑠璃も太宰も全部。難しかったけど、やっぱり面白かったし楽しかったです。先生方、ありがとうございました。日文で学べて良かった!

そして、2005年から途切れることなく繋がれて来たこの日文ブログ。3年と少しの間、その繋ぎ手の一人でいられたことを光栄に思います。他の誰よりどうでもいい話しかして来なかった自負と申し訳なさがあるのですが、ほんの僅かでも楽しんでいただけること、時々するお節介アドバイスで参考にしていただけることがあったなら嬉しいです。
まだまだ募る想いはありますが、全て言葉にしようとすればきりがないので… 名残を惜しみつつ、この辺りで筆を置くことにします。

石井先生、ブログ部の皆さん、友人たち、そして今この文を読んでくださっている貴方へ、ありったけの感謝と愛を込めて。

ありがとうございました!またいつか!

終着点

こんばんは、まなです。皆様いかがお過ごしでしょうか。
あっという間の卒業。最終回です。せっかちにも何回か前にブログの振り返りを書いたので、今回は日常回にしようと思います。

つい先日、高校時代の友人と鎌倉へ行ってきました。何かと話題の場所ですが、今回は単純に友人の家の近所であったことと、「美味しい和菓子が食べたい。鎌倉なら美味しいお店があるに違いない」という安直な理由でいざ鎌倉。

とある人気店に並び、あんみつを食す。そして運動がてら、佐助稲荷神社、銭洗弁天、長谷寺を巡りました。以下の写真は、長谷寺の階段をひたすら登った先にあった景色です。運動不足による息切れも忘れるほどの絶景でした。

道中、友人とは数年ぶりに会ったことも相まって、話に花が咲きます。

「そういえば、猫飼い始めたんだよね」
「なんだって!?!?」

何やかんやあって、友人宅にお邪魔することに。Twitterでは猫のアカウントをフォローしまくり、YouTubeでは猫動画を漁っている身ではありますが、実のところ、実物の猫とお会いしたことがありませんでした。友人のお母さまにおやつの冷凍ピザを頂きながら、ついに猫様とご対面。

最初はやはり警戒されて、遠くからじっと見つめられていました。友人に抱えられながらやってきた猫様に自分の手の匂いを嗅がせ、「はじめまして。まなと申します。」と一礼。丁寧に自己紹介を済ませます。友人曰く、家族含め、その子はどの人にも引っ掻くことなく、暴れないとても良い子なのだそうです。私に撫でられても大人しくしていて、嫌がる様子は見られませんでした。それどころか、一度だけ私の指を舐めてくださったのです。感動の余り、私は「はわゎ」としか発せなくなるほど。非常に得難い体験が出来ました。一日付き合ってもてなしてくれた友人には、頭が上がりません。

というわけで、卒業から就職に向けて心残りがないように好き勝手していましたが、そうも言ってられない時期に。大学に入学して、授業、自主ゼミ、ブログ部への入部、趣味等々目まぐるしい日々を送っていたら、五度目の桜が咲いていました。大学を卒業した後も、私の人生は恐らくそれなりに続いていくはず。私の旅の終着点には何があるのでしょう。色々ありましたが、大学卒業という一旦の終着点は、卒業式を経て、日本文学科ブログ部で迎える運びとなりました。

文章にて、終わりを告げる。中々に自分らしいなと思います。未練が無いと言えば嘘になりますが、それを言ってはキリがないです。経験則では、小さな後悔でさえ、時間が経つと膨らんでいくものなので、とりあえずやってみるのはいかがでしょう。「やらなきゃよかった」と思うのは、その後でもいいんじゃないですかね。

改めまして、ここまで読んでくださりありがとうございました。日本女子大学、日本文学科ブログ部、関わってくださった全ての方に感謝を込めて。

それでは、またいつか。きっと何処かで会いましょう。



キーボードを叩く音が、暗い部屋に響く。

「こういうのをね、蛇足って言うんだよ」

部屋に静寂が訪れる。四方にある闇がずっと濃くなった。

「思い返せばひどいもんだったね。ほら、ラップを書いた回があっただろう。アレは特に最悪だった。ワクチンの副作用だって喚いていたけどね、事情なんか知ったこっちゃない。世間様の目に触れるんだ、もっとマシなものを書かないか、君」

しばらくの間、言い争う声が部屋を揺らす。すると、傍にある壁から鈍い音が一つ響いた。二人は口を噤み、一方は再びキーボードを叩き始める。

「今更なにを言っても取り返しのつかないことだ。文章は自らの手から離れ、勝手に独り歩きすることもあるからね。制御が困難であるというのは理解を示すよ」

「君にしては、よくやった方じゃないか。担当制とはいえ、三年近くも書き続けたのだから」

「自画自賛? 結構なことだ。褒めるやつが一人でも多くいれば嬉しいだろう、君は単純だし」

書き手は溜め息をつき、PC内の全てのウィンドウを閉じた。

「まあ、お疲れ様。とりあえずミルクティーでも飲もう。砂糖多めでね」

GLHF!

こんにちは、みどです!

この日文ブログ部でブログ記事を書けるのも最後になります。大学1年生から今まで書かせていただいたブログ。「あ~、こんなことあったなぁ」とか「この時、こんなこと思ってたの思い出したな~」と、私自身の大学生活を振り返る備忘録のような役割になっていたこのブログ。4年間で、様々な事柄と向き合い、その度に自分の内で新たな感情と出会っていったり、言葉との出会いがあったりと、精神的成長が凄まじかったと思っています。逆に4年間での体の変化はというと、身長は何故か縮み(!?)、体重は10キロ増えました。小さい時に祖母が「20歳頃になったら、自然と女の人は痩せるんだよ。だから今の内にいっぱい食べておきな~!!」と言っていたのを信じ続け、20歳迎えましたが、おばあちゃん、痩せませんでした!!!!おばあちゃんの大きな愛情が私のお腹のお肉にぎっしり詰まってるよ~♥♥♥
そんなわけで、日本文学の知識と10キロのぜい肉を4年間で手に入れたわけですが、もっとこうしたかったな~という後悔もたくさんあります。
もっと真面目に授業を受けておけばよかったな~とか、もっと図書館で様々な資料を読んでおけばよかったな~とか、大学生のうちに旅行沢山行けばよかった~とか、そもそも友達をもっと作ればよかったな~とか。出始めたらキリがない。
ブログ部の後輩の皆さんや、中高生の皆さん、こうならないようにね…!

私みどにとっては、最後のブログ記事なので、大学生活で最も私の人生に影響を与えた出来事についてお話します。
以前、いつかのブログ記事でも話題に出した(出してなかったらすいません💦)、私が参加していたボランティア活動、『TOMODACHI 女子高生キャリアメンタリングプログラム』です。
高校2年生の時に参加者として1度、大学1年生・2年生の時に大学生メンターとして2度参加しました。
活動内容としては、参加者の高校生をサポートしたり、相談に乗ったり、時にはプログラムの進行やプログラムの中で関わる社会人の方たちのサポートなど、なんでも屋さんなことをしました!私の説明を読むより、実際にサイトで活動内容を見てもらった方が早い気がするので、是非ご覧ください。
https://www.jibunmirai.com/tomodachi_cmp/

このプログラムに参加して、私の人生観や考え方、物事の見方が変化したり、人とのかかわり方やコミュニケーションの取り方などほーーーーんとに、学ぶことや新しく知ることが多かったプログラムでした。プログラムの中では、ヤングアメリカンズという様々な国の出身の若者たちで構成されている団体の方たちや外国人留学生、社会人女性たちと交流することができたり、直接話を聞くことができます。色々な立場や出身の人の話を聞き、自分の考え方や見方が広がっていき、プログラムが終わるころには「自分は狭い世界で生きて、狭い考え方でしか物事を判断できなかったんだな」と気づくことができました。私にとっては、貴重な体験や自分と向き合う機会を何度も与えてくれたプログラムでした!
今年無事大学を卒業できたので、必然的にこのプログラムと関わることは無くなるんだろうなぁと少し寂しい気持ち。今こうして、ブログ記事を読んでいる皆さんにこの活動を少しでも知ってもらうことで、自分が活動した時間を残している気持ちになれます。
なんか、ごちゃごちゃしてきたのでこの辺で終わります!

最後に、3年前、日文ブログ部に誘っていただいた石井先生、本当にありがとうございました!
ブログ記事を書くこと、ものすごく楽しかったです。私は誰かに自分のことを伝えたり発信したりすることが苦手だったので、この執筆作業は自分の人生においてとても重要な存在でしたし、身についたことが大きく、誘っていただけて良かったなと思います。日文ブログ部のメンバーとして、ブログ記事を書けたことを誇りに思います。ブログ部の益々のご活躍を心から応援しています!

以上、みどでした!!
Good Luck, Have Fun!!!!

春霞

気怠い、という言葉を知ったのは春でした。

猫があくびしてる感じだな、と思いました。

だいぶ春めいてきましたね。私の住む山は杉の木の山ですから、それはもう飛散していますよ、花粉。見えます。黄色い。黄砂ではなく、花粉。ああ鼻がかゆい。しかも私は重度の花粉症ですからひいひい言っております。涙出てきた。

◆◆◆◆◆

だいぶ黄色い話になってしまいました。止めます。

気を取り直して前回の続きです。

前回は、能を見に行った感動と魅力を語っていたところでした。

ところで、みなさまは、能って、なんというかこう「お堅い」とお思いではありませんか。私はそう思ってました。歴史の授業でやったやつだなあ、くらいで、長そうだし難しそうでちょっと遠いものだと思ってました。ところが、能って、(たしかにルールとか前提知識が必要なパートあるものの)意外とわかりやすいんですよ。能を勉強し始めたのはつい1年前のことですが、1年そこらでわかるようになります。

…わかってもらえないだろうなあ!何を隠そう1年前のこの私が、先生に似たようなことを言われて、「本当?」と疑ったンですから。あーあ!わかってもらえないンだろうなあ!!

ゴホン。さて、話を戻して。

能舞台の狭さは前回お話した通りですが、「狭い空間であれだけの世界観を演じ、それが見ている側にも分かる」ことに感動したことについて、少し深堀してみます。

私にとって演劇は、以前宝塚をみたくらいで、あまり馴染みがないものでした。ですから、沢山は語れませんが、そのとき感じた、ミュージカルの印象はこうです。

分かりやすい、派手、リアル。

ストーリーが分かりやすく、衣装が派手で、小道具や舞台そのものもリアルに作られている。舞台に奥行きがあり、山や川といった風景も小道具でできており、場面が変わるとライトや音楽が(チカチカ)変わり、登場人物が目まぐるしく入れ替わっていくー-おそらく、「あの感じ」は、みなさまにもこの四行ちょっとで伝わったンじゃないかな。つまり、広いし、想像する手助けになるものがいくつもある、ということを主張したいんです。

さて一方能はというと、音楽も変わるし衣装も変わりますが、登場人物は少なめ、小道具は、なんというか、お遊戯会みたいなちょっとしたものしかありません。室町時代あたりの古い芸能ですから、そうだよね、と思いますが。例えば狐の役には頭の上に狐の形の厚紙が付いたわっかをチョンと乗せてる…みたいな。…違うのかな。怒られるかな。少なくともミュージカルのリアルな小道具とは全然違います。

それにもかかわらず、そこには狐がいるし、山が見えるし、大木が見えます。場面が変わっても、自分の思い描いた通りの山、川がそこに現れます。このことに大いに感動しました。鳥肌が立ちました。すごい!狭いのに!小道具ないのに!

◆◆◆◆◆

こんなつたない説明読むより、やっぱり実際に見てみて欲しいな、と思い、わざと(?)自分の感想だけ書きました。「結局どういうことなの」と疑問に、あるいはイライラして読んだ方は、是非とも、実際に、能を見に行ってみてはいかがでしょうか。…回し者みたいな文句ですが、本音です。

息切れしてきたので、今回はこのあたりで。

をたくです。

みなさん、こんにちは!

ここ数日天気が崩れがちで少し気分もじめじめしているゆづきです。湿気が多いとどうも髪の毛が暴走して困ります。早起きして時間をかけてセットした前髪も気づいたらペタンと残念な形に落ち着いてしまい、世の中の無常を感じます。まぁ、そこまで気にするほどの女子力は持ち合わせていないので心配は無用です、ご安心ください。

前回の投稿で触れたジャズダンス公演が無事に終演しました。春休みのほとんどを費やしたこの公演の振り返りは忘れたころにしたいなと思いつつ、鬼のスケジュール管理で完全フリーな休日を手に入れた私は、見溜めていたアニメを鑑賞しました。

その名も『文豪ストレイドッグス』。いわゆる“文豪”をモチーフにした能力系バトル漫画を原作にもつアニメです。日本文学科のブログを覗いてくださる方は少なからず、文学に興味があるのだろうと勝手な予測を立てているのですが、興味があろうがなかろうが一言「おもしろい」です。

流石、日本文学科というべきなのでしょうか、『文豪ストレイドッグス』の名前を出すとかなりの確率で会話が弾みます。ブログ部の新入部員の顔合わせで、私が話題に出したところ想像以上に話が膨らみ驚いたことを覚えています。また、とある講義の資料の一部として『文豪ストレイドッグス』が映し出された際には、ざわざわと「文ストだ…」の波が広がっていたことは印象深いです。

日本文学科に入学して抱いたのはヲタク多いなぁという感想でした。

ブログを通してヲタク語りをしている私がいうのもアレですが、ゲームのヲタク、アニメや漫画のヲタク、ジャニーズ、k‐popヲタク実に様々なジャンルのヲタクに出会いました。そのたびに自分の界隈との違いを感じ、新鮮な気持ちにさせられています。色々なヲタクに出会って気づいたのですが、日本文学科にヲタクが多いのではなく、日本文学科ひいては本学にヲタクであることを隠す必要のない空気感があるのではないのでしょうか。

自分の好きなものを好きと言い張れる環境とそれを互いに認め合う雰囲気が、ヲタクを表面化させているのではないのでしょうか。そうだと仮定するとヲタクが息をしやすい=自己表現が活発な場であると言えますね。

私的「ヲタクに関する考察」みたいになりました。ヲタクという生き物自体が面白い存在です。ヲタクの皆さん、これからも一生懸命ヲタ活していきましょう。

今回は『文豪ストレイドッグス』から言わずと知れた名探偵の座右の銘をご紹介!

「僕がよければすべてよし」 (『文豪ストレイドッグス』、江戸川乱歩)

個人的に凄く好きな言葉です。こんなこと言えるほど自信をもつのは難しいですが、好きなものを好きでいる自分だけはこの言葉みたいに思えたら…なんて考えながらヲタ活をしているのでした!

春、雨の日、考え事

けぶる雨

若葉のかおりぬくみ立つ

白いさくらはやわく濁った

*****

まいです、ごきげんよう❀

いよいよ春爛漫、これまでぷっくりふくらんでいた桜のつぼみが、こらえきれなくなって笑いをこぼすように花開きました。

我が家の庭にも一本、ソメイヨシノという桜の木があるのですが、今は満開誇らしげにいます。

春の気候は三寒四温、晴れが続けば雨が降る。

しっとりとして静かな小雨の音を聴きながらそっと窓を開けたとき、ああ春が来たと感じました。なまあたたかな風と蒸発する雨滴の中に揺れる新緑の草の香りが鼻をくすぐり、薄灰色の空が桜の輪郭をより際立たせる……。やっぱり季節の訪れはなによりも風で感じます。

*****

白いもの

さくらはごろもゆきやなぎ

おこめはなよめ

それからあなた

私は桜というとピンク色を連想しがちなのですが、うちで咲いた桜を見ると、とても白いことに気づかされます。透けているというよりむらなく白く輝いている。彼らの肌はとてもきめが細かい。

いつか散るとわかっているから早く逢いたくなるのが桜。あなたは桜のようです。

*****

先日、父と二人で東京国際フォーラムに行きました。東京都人権啓発センター主催の「新たな人権啓発のカタチ~ユニバーサルな上映とトーク~」を観るためです。今日はそのお話をさせてください。

そのイベントでは人権啓発センターの人たちが開発を勧めるユニバーサルデザインのアイデアやアクティビティの紹介や、寝たきり芸人「あそどっぐ」さんをはじめとしたトークプログラム、そして人権啓発映画「梅切らぬバカ」「破戒」の二作品の上映が行われました。入場無料です。

「梅切らぬバカ」は自閉症の息子とそれを支える母親の親子愛を描いた温かな人間ドラマ。障害者がテーマの作品ではもちろん障害者が、そして健常者も登場しますが、障害者がテーマでない作品では通常、健常者しか登場しません。なぜでしょう。そのような問いがトークショーでかけられていました。一人ひとりの人間に特徴が様々あるように障害もその一つであるわけですが、私たちはどこかでそれを特別視し、その人たちの存在する空間を特別な場だと思っていたりする。だから障害がテーマでない作品に自然と障害者が登場することが非常に少ないのだと思います。緊張感、それはどこから来るのか?紛れもなく自分が引いた境界線の向こうからです。

「破戒」は島崎藤村の小説を、全国水平社結成から100年となる2022年に映画化したもので、同和問題(部落差別)を扱っています。自らの出自に苦悩する小学校教師、丑松が主人公です。

どこかとある場所で生まれる、それは世界中の誰もがそうです。なのにそのある場所が科学的根拠なしに穢れた場所とされ、そこで生まれた人は対等な人間扱いを受けられない。

そうした理不尽な部落差別はこの、今の日本にも存在しています。

部落差別だけではない、いくつかの人がさまざまな理不尽をもって人々を苦しめている現実がある。

それはなんて哀しいことでしょうか。

そういえば先日行ったディズニーランドで涙が止まらなくなったあの歌。あの歌で締めたいと思います。

世界中どこだって 笑いあり涙あり

みんなそれぞれ助け合う

小さな世界

世界はせまい 世界は同じ

世界はまるい ただひとつ

世界中誰だって 微笑みあえば仲良しさ

みんな輪になり手をつなごう

小さな世界

世界はせまい 世界は同じ

世界はまるい ただひとつ

いちご狩りの極意

皆さん、こんにちは!

ただいま朝活女子を目指して奮闘中のももこです。

あんなに長かったはずの春休みもだんだんと終わりに近づいてきました。我らが日本女子大学では、つい先日卒業式が行われ、先輩方が美しい姿で新たな旅立ちを迎えておられました。私の姉もこの3月末に大学を卒業するので、とても晴れやかな気持ちなのです。卒業を迎えられた皆様、本当におめでとうございます!

話は変わりますが、昨日、母・姉・祖母・叔母・私で女5人旅をしてきました。旅と言っても小さなものですが、和気あいあいとした楽しい旅になりました。旅の1番の目的は「いちご狩り」!今が旬のとってもおいしい果物を、30分好きなだけ食べられるなんて…、夢の世界です。朝食をいつもより少なめにして、心地よい空腹感を覚えながら、いちごを育てているビニールハウスに向かいました。真っ赤に色づいた大きないちごもあれば、白く小さないちごもあって、とてもかわいらしかったですし、何と言っても、スーパーで買ったパックのいちごでは味わえない、フレッシュでジューシーな食感や甘み・酸味に、心をわしづかみにされました。本当に、本当に、おいしかったです!

ここで、皆さんに質問したいことがあります。皆さんはいちご狩りに行った時、料金のもとを取ろうとして食べ尽くす派ですか?それとも、いちご狩りを楽しみつつ、いちごのかわいらしい写真や一緒に行った仲間との写真を撮ったりして、思い出を残す派ですか?

私は断然、もとを取ろうとたくさん食べちゃうタイプです。いちご狩りの最中は、いちごを食べることに夢中になってしまって、終始無言でモグモグしています。そして私以上に食べることに全集中している人がいます。姉です。細身な彼女ですが、昨日のいちご狩りでは、73個ものいちごを食べたそうです(最高記録は78個で、今年の目標は80個だったそうです)。最後の最後までおいこみをかけ、いちごを食べる姿はさながらスポーツ選手のよう…。そう、私と姉にとって「いちご狩り」とはスポーツなんです!

というわけで、いちご狩りをこれから楽しむ方、特にたくさん食べたい方に、姉から聞いた「いちご狩りの極意」をお教えします!

一、「いちご狩り」は戦いだという心構えで臨む

二、全ての労力を食べることに集中させる(無言必須)

三、いちごを口に入れたら、次のいちごを取る(流れ作業)

四、味変の練乳は40個を過ぎてから、5の倍数の時に使う

五、時々ジャンプする

六、最後3分のおいこみが重要

※注意 いちごには利尿作用があるので、十分お気を付けください

姉は、来年は80個食べるために、視覚的な味変(マインドコントロール)として、携帯の待ち受け画像をカレーライスにするという計画があるようです。ご参考までに。

先ほど、いちご狩りはスポーツだというお話をしましたが、今日(3月22日)、WBCで日本代表が優勝しましたね!昨日のメキシコ戦から目が離せないような戦いが続きましたが、選手の皆さんが本当にたくましく、本当にかっこよかったです。私は野球に詳しくないですが、テレビの前から動けませんでした…。春から縁起の良いことが起こると、私たちの4月からの新しい生活にも、幸運が舞い込むような気がします。そうなるといいな。

本日もお付き合いいただきありがとうございました!それでは、また!