Rewrite The Stars

“Forget the cage, cause we know how to make the key”

———The Other Side. Benj Pasek & Justin Paul.(2017).



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つま先から脳天まで。感情に飲み込まれて、指先が震える。

ゾクゾクと震える感情を抱えきれなくて、随分と下手くそな呼吸しかできない。

私にとって人生が変わる瞬間は、決まってこの感覚に襲われる。

皆様にとっては如何でしょうか。私みたいなものは仰々しい?あら、残念。

でも、私にとってその感覚は、馴染みがあるもので、そうして実際に人生の中で何かを変えられる瞬間には、いつもその感触が来るのです。

その瞬間、その感覚はどれも鮮明に思い出せるものばかりで…あぁどれをお見せしようか迷ってしまう!

ねぇ、折角いらしてくださったのですから私のそんな夢見心地な妄言でも聞き流していってくださいまし。

取るに足りない私のような者の、記憶の保管庫の中ではそれらは格別に綺麗で、眩しくて、ちょっと主張が強すぎてウザいくらいなのだけれど

それでも一等キラキラとしていてお見せするのにも憚りが少ないから、せっかくの機会、何か一つお持ちしなくちゃ。

うん。見つけた。


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2018年。1つの映画が私の価値観を強くゆすぶった。

「グレイテスト・ショーマン」

アメリカのミュージカル映画で、P.T.バーナムという1人の興行師が成功するまでを描いたこの作品。驚くべきはこの作品、実話が基になっている…ということなのですが、とはいえとても有名なタイトルですから今更ご紹介するまでもないでしょう。


そう、あまりにも今更。ではなぜ今になってその記憶が掘り起こされたのか。
実は今年の春に、この「グレイテスト・ショーマン」がAmazonプライムの対象作品として解禁されたのです!


私がこの作品を初めて観たのは中学2年生の頃なのですが、その時の感動といったらもう、本当に価値観をぐるりと引っ繰り返されてしまいました。ミュージカル好きになりかけていた私にトドメを刺した作品とも言えます。

観たのはこの1回きりだったのですが、あの日に受けた感動、もはや洗礼とも言えるような感覚をもう一度味わいたくて。年々その思いは強まっていきました。
そして先週、演習のしんどさに限界を迎えた私はど~~~~~~してもあの作品が観たくなり、DVDでもBlu-rayでも買ってやらァ!!とAmazonの奥地へ向かったところ・・・。


エッ。いる。いらっしゃる~~!!?
まさかのプライムの仲間入りを果たしていたのです。つい数ヶ月前に追加されていたらしく、気がつかなかったとは一生の不覚です、、。


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そのようなワケで、私めは愛する「グレイテスト・ショーマン」と感動(一方通行)の再会を果たしたのです。
あの日、人生を変えられた私は中学2年。いま、私は大学2年。実に6年の歳月が経ちました。

当時は全く気が付けなかった演出。内容。
人種のこと、国のこと、階級のこと。数えきれないくらい沢山あって、あぁこんなにも取りこぼしていたのだと気付かされました。

作品の印象も一変。かつての私にとっては成功譚を描く、ハートフルでハッピーな魅力が詰まった作品だったのですが、今漸くそこへ辿り着くまでに複雑に絡まり合った事情が色々にあったことが見えるようになりました。

それでも、胸を打たれたシーンと登場人物だけはあの日と変わりませんでした。
映画館からの帰りの電車で私は連れてきてくれていた母に、興奮冷めやらぬ様子で「フィリップとアンが好きだ!」と騒ぎ立てていました。

改めて観た今も、その感想は変わりません。
「フィリップ・カーライル」と「アン・ウィーラー」。この2人の沼が深い深い、大好きです。

※以後、微ネタバレ注意(本編の主軸には触れていませんがサブ要素に一部触れています)



「フィリップ」は上流階級出身の劇作家で、もちろん彼の作品は高尚な芸術性を持った上流階級向けのもの。半ばペテン紛いのことをして観客を楽しませる主人公の「バーナム」とは対照的です。
自分のショーにも上流階級を呼び込みたいバーナムは、このフィリップに目を付けました。


「上流階級の檻に囚われたお坊ちゃん、そんな人生は退屈じゃないか?

 平凡の王様になるか、冒険をするか。君なら賢明な判断ができるはずだ。

・・・まぁどうするかは君次第だがな」

(超意訳)と、フィリップをビジネスパートナーとして引き抜こうとするのです。フィリップからしてみればこんな取引、百害あって一利なし。リスキーにも程があります。
もちろん彼は「檻の中の人生を楽しんでいるんだ」とバッサリ。しかしその後も応酬は続き…なんとフィリップ氏はこの取引に応じるのです!

気になる説得の内容ですが、、、この2人のやり取りは「The Other Side」という劇中歌になっており、曲を聴くことでどのようなやり取りが交わされたのか知ることができます。
圧巻のダンスパフォーマンスとアップテンポな曲が最高にイカした曲で、個人的に作業BGMランキングTOP3くらいに入ります。




その中でも一番好きな歌詞がこのブログの冒頭に引用されていた

“Forget the cage, cause we know how to make the key”

———The Other Side. Benj Pasek & Justin Paul.(2017).

です。「檻の中の人生を楽しんでいる」とまで言っていたフィリップが、バーナムの言葉に心を動かされ…最終的に「檻なんか忘れたさ。鍵の作り方を僕たちは知っているのだから!」と2人で歌うのです。

鍵を見つけるのでも、与えるのでもなく、「つくる」。己の想像力を武器に歩んできたバーナムらしい発想。そしてそれがフィリップを動かしたのです。


そう、鍵は1つじゃない。それを知っているだけで幾分か心が軽くなりました。
気が付いた時にはもう、鍵はきっとその手の中にあるのです。




その後、無事に入団したフィリップは、空中ブランコ乗りの「アン・ウィーラー」と出会うことになります。
空中ブランコを巧みに乗りこなし、重力すらも彼女を縛ることはできないかのように自由自在に飛び回る美しいアン。そんな彼女にフィリップは惹かれていきます。


しかし、現実は彼女たちを縛り付けるものばかり。人種、階級様々なものが2人に立ちはだかります。黒人の彼女とフィリップが並び立つことをフィリップの両親や周囲は良しとしないのです。
ためらいが捨てきれず、アンとの交際を隠そうとするフィリップに対し、アンはその痛みを空中ブランコと歌にぶつけます。
それが劇中歌であり、本ブログのタイトルにもなっている「Rewrite The Stars」。
躍動感あふれる空中ブランコを用いたダンスと切ない歌詞が素晴らしく、もうこのシーンだけでアカデミー賞取れそう…といった感じです。





この曲を通して心を決めたフィリップはアンに対し、

「これは僕が決めることであり、そして君が決めることだ。他の人に口出しなんかできるわけがない。

 運命を書き換えないかい?」

と歌うのです。かつては上流階級の安定した人生を楽しんでいたフィリップが、定められた人生も運命も真っ向から否定。

望む運命でないのなら、書き換える。鍵の作り方をもう知っている彼なら、きっとやり遂げることでしょう。





作品を通して、もちろん誰もが変わり、成長し、これこそが私だ!と胸を張るようになりました。
ですがその中で最も変わったのは他でもない「フィリップ・カーライル」なのではないかと思います。そして彼を変えたのは団員の皆であり、バーナムであり、やはり「アン・ウィーラー」なのでしょう。

様々な困難と葛藤を経て同じ舞台に立つことを選んだ2人の姿に、何よりもその過程に、私の価値観は随分と塗り替えられました。
6年越しにどうやらまた人生を変えられてしまったようです。そしてきっとまた何度でも影響を受けます。
さぁ、次に観るときにはどんな発見があるのかしら。



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相変わらず長くなりましたが…
兎にも角にも素晴らしいストーリー&歌!!

せっかくAmazonプライムにも入りましたので、会員の方はぜひご覧になってみてください。
楽曲はYouTubeやその他楽曲配信サービスでも楽しめますので、ぜひぜひ楽曲だけでも楽しんでみてはいかがでしょうか。


ここまでお付き合くださりありがとうございました!

お相手は、明日更新のブログが楽しみでちょっとテンションが可笑しいまどか🐧でした。

君は薔薇より美しい

元始、貴方は白薔薇であった。

二人が出会った「発生」のとき、世界と呼べるものが生まれた。二人が共に生きることの出来るレベルが、その他の世界から区別された。
そこから今に至るまで、私たちは出会うことのなかった46億年間を駆け戻りながら、同時に、一日を一日として、一秒を一秒として今を歩んでいる。

前に私が贈った白い薔薇を、枯れて紙のようになるまで大切にしてくれたのを覚えてくれているだろうか――私は過去に、女性を花に喩えるということについてのアイロニーを文章にしたことがあるが、そんなことも忘れて白薔薇を貴方だと思った。いやむしろ、あの時の貴方が薔薇のような印象を与える人間だったという方が正しい。
貴方はナイーブで清潔で、傷がつけばすぐに目立ってしまうような性をしていた。見えないけれど棘もあるし、今よりも静かでつめたい皮膚を持っていた。

 

「君は果たしてその子を見ていたのか」

 

ええ。見すぎるくらいに見ていたと思う。だから貴方が私について貴方でなく貴方の見ているのと同じところを見てほしいと言ったとき、いちばん痛い棘に刺された気がした。

そして今はもうその棘が、自分の掌にある自傷の道具であったとわかっている。

 

(間奏)

 

貴方は変わったし、私も。少なからず変わったと思う。
私は、貴方の香りや洋服や髪型が変わるところをどうかこれからも余さず見届けられますようにと願いながら眠る。だけどそうじゃなくて、そうじゃないところで貴方は変わった。自分が一番よくわかっていると思う。
空間を、世界を、物語を見る目が変わり、他の人には秘密にしたい様々なところで貴方は変わった。例えば声が出るようになったので横の道を通る車の音に負けずに会話が出来るようになってきた、が、私の耳が悪いのでこれからも戦いは続くだろう。背筋が伸びてきたので、並んで歩くときに少し私が見上げるようになった気がする。ギターを始めて、映画を観始めて、私が好きなこと(と一致すること)を始めて、だから私も歩み寄ってあの映画を観てみようと思う。

 

なぜか今日は君が欲しいよ
違う女と逢ったみたいだ
体にまとったかげりを脱ぎすて
かすかに色づく口唇

 

快活な女はよくて、「かげり」のある女はわるいのか。そう思って聴いたものだけど、貴方の不要だった「かげり」が薄れたとき、心の底から見違えるほどの美しさを感得した。だから毎度走ってこちらへ駆け寄ってくれなくても、今の貴方を好きでいられる。
二人は今も「かげり」を宿したままでいる、しかしそれは若い時分に必要なものだと思う。身に受ける光も翳も、時々刻々と変化して然るべきものだ。これも、貴方と居て気付かされた。

 

歩くほどに踊るほどに
ふざけながらじらしながら
薔薇より美しい
ああ君は変った

 

薔薇「より」といって他者との比較のなかで測れる相手ではない。貴方を比較の中で考えることは、私にはもう出来ないだろう。
それでも私は貴方を、「薔薇より美しい」と思うことがある。この思いにはきっと妥協があるけれど、それでも私の中で嘘でないのは、「元始、貴方は白薔薇であった」ためだ。
薔薇は元始の貴方、今の貴方は、ただひたすらに貴方である。

貴方は変わって、前よりもずっと美しい。しかしそのために今、貴方を薔薇に喩えることがなくなってしまった。
私は貴方に生活の全てを捧げようと思ったし、本当の自分というものがあり得るならばそれはきっと貴方の家畜人であろうと信じようともしていた。ただ、そも私が捧げるべくは生活ではなく魂であったのだし、そして今やそれは私がすべきことではない。
貴方はどうなのか分からないが、二人は互いを人間として見られるようになったのかもしれないし、そうであるならばこれほど自然なことはない。

 

賞賛に俯いてしまう薔薇の貴方ではもうないから、心置きなくこういったことを書くことが出来る。
共に朝陽を見る者として伝えます。美しい貴方、ありがとう。

今度はあなたへお手紙を書きますね。  みちる

モーターポリス

ご無沙汰しております、みちるです。

記録隊になったんです。

「南極にでも行くのかい」

行くよ。
今あなたにそう言われたから行く。そう言われなければ、今すぐには行こうと思わなかった。

常々、私の行動は外界からの刺激、とりわけ他者からやってきた刺激の影響を大いに反映して決定されていると感じます。
それだけに、人間の言葉に過剰に意味を持たせてしまう傾向にあるとも。しかしそれは他者をテクストのように見ることに繋がってしまう。大切な人間たちの人格を剥奪してまでやりたいことなどないし、それで通せる愛もまた存在しない。人格を剥がれても叶えたい願いを受け入れられないあたり、私にもゆるせないマゾヒズムがあるのだとわかった。

マゾヒズムは非道徳のうちで栄えるけれど、非倫理のうちではそうならないのかもしれない。私たちが宙づりになるのは倫理のなかでの出来事であるし、倫理はまま非道徳だ。

そして私はまだ、倫理と道徳が地続きにあるという考え方に驚きを隠せないでいる。

 

(間奏)

 

奴を相手に、ずっと意地を張ってきた。
私は現行の日本において、いや世界においてさえ幸せになりたいとはどうしても思えなかったけれど、奴に意地を張ることで可愛い可愛い人間と幸せに生きていくのだと思うようにしていた。

目の前のものを見るのが得意だから、得意を活かしてやっていった。私のやれる範囲、適した範囲は人間と恋愛をするには不十分だったけれど、人間は私の隣にいたいと言ってくれた。私は、これは結果的に人間との関係を盾にして要求を通すようなものなのではないかと、私の最も嫌うコミュニケーションの成立ではないのかと疑った。

人間を好きだと思う私の気持ちは嘘でないはずなのに、奴の言葉が頭に焼き付いて離れない。

「それがあんたの云う「かっこいい」ってやつなのか」

鏡を見て、あまりに洗練されていない自分の姿に驚愕してしまった。奴は自分も、自分の周りにいる数少ない人間にも、本気でやっていてほしいと云った。気が付けば私も同じことを望むようになっていて、でも目の前の人間は、どうしたってそれを望んで良いような対象に見えなかった。高いとか低いとか、そういうことではない。
可愛いその人間に私の望むものを望むのは、魚を陸で走らせるようなものだった。
そう気が付くとき、奴にとって私は随分低きものであったのだろうとわかって腹が立つ。

家族と時間をずらして夕食をとるとき、ドレスコーズを聴くとき、お風呂でシャンプーする時にも奴のことを思い出す。私、「スーパーサッド」する暇がなかった。だからずっと悲しいし虚しいし、人格を人格として愛することのできる関係のもとへかえりたいと思ってしまう。
全ての人類を固有のものとして愛するには、私が一方的にそれらの人格を尊ぶので充分なのかもしれない、というよりむしろ、そこまでしか出来ないのでしょう。しかし、相互にそうした仕方をとることが出来る関係がもしも可能なら、私が自ら拡がりをもって自然であるのもそうした関係のなかでしかあり得ない。

私が云うのもなんだけど、こんなの相当頭のネジが飛んでいなければできない。
でも、やるほかない。私は勝つまで求め続けるだろうし、その分といってはなんだけれど求めて当たり前のものは求めない。
人のことを大いに傷つけてしまった。それでも今後与えてしまうであろう傷よりもより少なく浅いものであるはずだ。人間は長く私の隣にいたいと言ってくれたけれど、長くいればいるほど欺瞞は巨大化していくだろうし、人間も私も傷ついていく。
可愛いその人間は倫理と道徳を似た項として認識していて、数量化が得意。私の周りはとにかくおかしすぎるから、私は人間のそういう普通なところも良いと思う。だけど、それではいつかふたりの関係は戦争文学になってしまう。この残酷に気が付かないままでいてくれればそれはそれで良いのかもしれないけれど、いつか私は耐えられなくなって残酷の仕組みを教えてしまうだろうし、その人間がそれをわからないような人だと思いたくなかったから、教えたくもなかった。

愛は、数字のゼロのようなものなんだと。
私がブログの題の素材として色々と拝借している平山夢明御大は仰いました。小説のなかで何かと愛を”かける”と、それはゼロになってしまうのだと。私はひねくれて「じゃあ、”たす”ならいいのか!」と本気で信じながら色々と試行錯誤したものですが、そうじゃなかったのかもしれない。

引っかかるべきは”かける”ではなく”愛”の方だったのです。それも愛ではなく”愛”、永きに亘ってそれとして認識され、題材とされてきたような愛の通念、それをかけるようでは空虚であるということ。平山の真意は定かでないですが、そう解釈するのが私の正しさと符合すると思いました。

何だかんだ云って平山は愛の話を書くじゃないか。そう感じていたけれど、実際僕の考える愛と符合するならそれは、”愛”と明確に区別されるものだ。

――愛、と打っていたら、

「絶対にぃ、成功させようねぇ」

と、女性の声が聞こえてきた。オクターブをまたいだ二つのBの音がする。
脳内で勝手にもう一人入ってきた。今度はD#の音で喋っている。

「「絶対にぃ、成功させようねぇ」」

三度目にはもう一人入ってきて、今度はF#で喋る。

「「「絶対にぃ、成功させようねぇ」」」

勝手に増殖して、三人の女性が同じことを言いまくっている。
やめてーせっかくいつも通り語りの手紙が書けていたのにー・・・・・・

数回繰り返したのち、二人目に入ってきた女性の音がD#からEへ変わってることに気がついた。

 

sus入れんなや――

 

そんで、それを言うのは愛じゃなくて誠なんだよね。

ヨネダ2000【決勝ネタ】1st Round <ネタ順8> M-1グランプリ2022

ラッセンのイルカ?ラッセンのイルカじゃない?

一番気になっちゃう。

 

またお手紙書きますね、大好きです。    みちる

クレイジーバニー

ご無沙汰しております、みちるです。

 

インフルエンザにかかってしまったんです。

 

「日頃の行い、出ましたね」

 

否定できないのが一番哀しい。
病納め(やみおさめ)と病初め(やみはじめ)が一緒にきてしまいました。

今は殆ど完治しましたが、しばらく体を動かさずにいたので全身の倦怠感がひどいのと、あまりものを食べない日々が続いたため消化管が働かなくなっていないかが心配。とこんなことを書きつつ夕食に挑んだところ、予想通り駄目でした。

 

(間奏)

 

あなたにご飯の話をしたことはあったでしょうか。
ご飯。白米、でなく、食事全般のことです。
何をかくそうこのみちるとご飯の間には切っても切り離せない縁がある。そりゃあ生きていれば誰だってご飯との間に縁の一つや二つできるものでしょうから、特筆すべき事柄でもないのかもしれません。

中学生のころ。

――と遡って書こうかと思っていましたが、何だかほんとうに特筆すべき事柄でないように思えてきましたので、やめましょう。

とにかく色々あり、今私は実家で両親と食卓を囲むことが苦痛だ。
会食恐怖症といって他者と食事をともにすることに苦痛を覚えるケースもあるらしいが、私の場合、家の外で友人と食事をしたり酒を囲むことにはあまり抵抗がなかった。それでも、気楽の度合いで云えば一人でとる食事が圧倒的に優れているのは否めない。

普段は何かと理由を付けて時間をずらして食事をとることが多いのですが、療養中はそうもいかず。数日間頑張ってみたのですが、一週間ほど経った今日になっていよいよ限界を迎えてしまったらしい。

そもそもちゃんとしたご飯を食べることが得意でなく、かといって食べずに生きてはいられないどころか私は人より燃費が悪い(=一度に食べられる量が少ないのにお腹はすぐに空く)ため、好きなタイミングで簡単なものを食べる。
そう、この”好きなときに好きな場所で好きなだけ、食べられるものを食べられる人と食べる”というアナーキーな戦法こそ、私がVSご飯戦で最も有利に立つことのできる仕方なのです。やっと見つけたんです。アルバイトの休憩時間にシーシャ屋のバックヤードにこもり、安いイヤホンでミッシェルガンエレファントを聴きながら120円のコンビニおにぎりを食べるのが、いいんです。
そうなると、毎度両親が設定する時間にリビングの一つのテーブルのうえでテレビを流しながら食事をとることの不自由さが際立つ。誤解を招かないよう補足しますが、みちる母は料理が上手いと思いますし、実家のご飯の味はとても美味しいと思っています。それでも、父親と向かい合う位置に座って食べなければならないというだけで喉を通っていかなくなります。そう、母との食事にはあまり不自由がなく、私は父親と同じ食事の時間を共有するのに耐えられないのだと思います。別にひどい扱いを受けたりとかは全くないので、そこはご心配なさらず。

これを読むあなたには、”反抗期”みたいな感じで受け取られるんでしょうか。まあそれならそれで、そこは、まあいいや、と思います。

 

私はどうしたいんでしょう。この難を解決するには一人で食事ができる環境に身を移すのがよいのでしょうが、ご飯のために一人暮らしを始めるのは違う気がします。ご飯のために何かをする、というように、ご飯を行動の目的に据えることはしたくない。しかし「おまんま食べるために働く」のも間違ってはいないと思いますが、ご飯に価値があるのではなくて、労働ってその程度なんだ、という感想があります。

今日、もう家族で食卓を囲むのは厳しい、というかその場に私が継続的に居続けるのが厳しいと明確にわかった。
はやく、全快させないと。そうでないと、他の人とも食事をできなくなってしまうのではないかという予感がある。もしかしたらもう、そうなっているかもしれません。なにせ誰かとご飯を食べる機会がそもそも少ないので、そこらへんはよくわからないんですね。

 

そんなことを考えるより、愛を考えなければいけない。
夢に出る女性への愛と、そうでない愛。
ゼロになってしまうみたいな文章をかいて、全部なしにして、また書いて、今度は誰も書けなかった数を書いて、円周率でスーパーコンピューターを超えることを読ませる地平に落とし込み、今年はみんなをビビらす!!!!!!!!!!!

といったところで、
またお手紙書きますね、大好きです。    みちる

シケモク焼場

ご無沙汰しております、みちるです。

  

あなたは、この日のために生まれてきたんです。

「冗談は止して。その[目的]は酷く醜い。まるで腐敗した理想主義の成れの果て」

なんです、面白の通じない。今からひとつ寓話を繰り広げる予定だったのが台無しじゃないですか。

思想の潔癖は我々の(そう、我々の)生において好ましい事実ですが、生活はそれじゃいけない。だから私は生活が嫌なのですが、そんなことはよいとして。

 

(間奏)

 

あなたは、こんな話をご存知でしょうか。
それは、まだファンタグレープが人間の飲み物だった時代。少々分かりづらいのでこう言い換えましょう。それは、まだポンデリングが人間の食べ物だった時代。

そのとき我々は我々として、ただ一つのものとして生きることを望んだ。自らが自らの唯一の原因であるかのように振舞う白痴ぶりが一世を風靡し、都市から周縁までを席巻した。席巻しすぎて泡が立つほどだったといいます。
当時はどんなに優雅に靡くエルメスのスカーフよりも傲慢というアクセサリーが好まれ、真っ白なタブローに黒い絵の具を一点、乗せた絵が百万ドルで落札されていたのだそうです。

人間は恋愛をし、結婚をし、子供を作って死んでいく。とても淡白に語ることの出来る生が「幸福」のレーベルで全人類を対象にブランディングされ、結局それで我々は恋愛ができなくなった。結婚か、別れか、いずれその二択を迫られるような恋愛関係の窮屈さに誰も気が付かないまま長い時が経ち、そんな適応のもとでも恋愛に倫理を持ち出したりして自分たちの理性に陶酔してきたから、ここまで世代は続いてきました。

「みんなでこれまでの人類にお礼を言いましょう」

「ありがとう、これまでの人類!」「ありがとう、盲目な人類!」「ありがとう、口の利けない人類!」「ありがとう、かっこわるい人類!」ありがとう!ありがとう!人類、ありがとう!

 

これまでの人類は、皆番号で呼ばれるようになりました。その番号というのは、そうです。あなたもご存知の通り、マイナンバーです。マイナンバーがあれば個人の識別に名字も名前も不要ですから、これまでの人類は皆マイナンバーによって呼ばれ、そうして個々が区別されています。我々も名字は不要であるとの考えを持ってきたため、とある時点で全員が名字を棄てました。だって「みちる」に名字はないでしょう、当たり前にさ。

そうして現在、この国において名字を持つ存在はただ一つ ●● を除いていなくなったわけです。わかりますね?

番号で呼ばれるこれまでの人類は、時期が来れば我々の糧となる。正確にはその準備のため工場へと送られるのです。人の命は誰かの所有物ではないというのが憲法における原則ですから、人の出荷は当人のみを通して行えばよく、家畜の場合のように余分な仲介料が発生しないのは良い点でしょう。
無論、これまでの人類のなかには番号で呼ばれることに抵抗を示し、こちら側へやってこようと努力する者も少なくありません。しかし彼らの中に一人でも、あのナンバーを棄てたものがあったでしょうか。当時の選択が現状を決定しているのですから、心苦しくはありますがゆっくりと出荷されて頂きます。

 

さて、ここで●●はどうなるのでしょう。我々は孤独のやみの中に●●を取り残すことを選びました。あなたは、あなたならどうしたでしょう。私にはわからない。

――さあ、時間です。タグは持ちましたか?貴重品の処分は?祈りが必要であれば今のうちにどうぞ。
私があなたにできることは、ここで絶えてしまうあなたの生を肯定することだけです。ドーナツ屋までもが鉄柵に囲まれた灰色の施設に変ってしまったいま・ここで、何も聞かずあなたを肯定することだけなのです。
それでもなんと呼びかければよいか分からなくなったときには、あなたやあなただったものたちが誰かを思い出すことができるように

「あなたは、この日のために生まれてきたんです」

そう、満面の笑みで伝えることにしているのです。

またお手紙書きますね、大好きです。   みちる

ペンライトの海

こんにちは!やなです!
最近電車が遅れることが多く、この間は授業に30分遅刻しました。遅延を見越してもっと早く家を出ればいいだけの話では?………それもそうですね……。
常にギリギリを攻めている3年生には酷な話です。

***

1年ぶりに推し(2次元ドル)のライブに行ってきました〜!!!!✨
去年の今頃もブログでライブの話をしたのですが、今回も同じコンテンツです。2次元キャラクターが3Dモデルでパフォーマンスするのを見て楽しむライブですね。

いや〜〜最高でした!!
もう何度も行われているライブなのですが、今回は初めてパフォーマンスする曲が多く、とても新鮮な気持ちで楽しめました!
ゲーム内のアプリ先行で勝ち取った席で、だいぶ後ろの方だったので、ステージはよく見えなかったのですが、モニター越しにアイドルたちの動きを目に焼き付けました。会場でしか味わえない、爆音で響くバンドチームの生演奏や、刻一刻と変わる照明の演出も臨場感があってとても良かったです!
まだ他の都市での公演も控えているようなので去年と違ってネタバレができないのが悔しいですが、パワーアップした推しの姿を見ることができて大満足です。
来年も行けるかしら。チケットが取れるといいな。

***

ライブの内容はとても良かったのですが、観客のマナーが良くなかった場面もあり、少し残念でした。
去年はコロナの影響で席がひとつ空きだったため、それほど周囲の観客の様子が気にならなかったのですが、今年は観客と密着(?)していたため、まわりに様子が変な人がいると目につきやすかったことが原因だったのかもしれません。
マナーに敏感になりすぎるのもよくありませんが、周囲の人に迷惑をかけない最低限のマナーは守ってほしいものですね。人の振り見て我が振り直せとはよく言ったものですが、私も気づかないうちに周りの観客に迷惑をかけてしまっていたかもしれないので、気をつけようと思います!

***

ライブに行くと毎回思うのですが、ライブ映像に映る観客が照らすペンライトの光が色とりどりの海のようでとても綺麗ですよね。曲によって客席全体の色が一斉に変わるのも感動します。

今回はこのへんで。やなでした!

春のしらべ

春。なんていい響き。こもれびのような。甘い、ため息のような。ああ、

ハル。

色とりどりの春。色彩も音色もすべてがあたたかい春。

赤いチューリップにそっと口づけをする、白いちょうちょう。わかくさいろの小鳥。
ぺんぺん草のひとりごと。光の波にのって舞い降りてくるさくらの花びらと、伸ばした手から滴り落ちていく陽のしずく。耳もとでコソコソばなしをしてくる風。
——しゃぼんだま。ちいさな泡のつぶといっしょにくるくるめぐる景色は、しらない場所のように夢色にゆらいで、私の目の前でぱちんと消えた。

*****

まいです。ごきげんよう❀
春はうすくてやわらかい。だからこそ触ってみたくなるものです。

一年次のあいだ対面が2科目しかなかった状況から一転、月から金の5日間登校するようになりました。授業がスタートしてからまだわずかな時間しか経っていませんが、これだけは言いきれます。“学校に通うことはオンラインより遥かに楽しい”
たしかにオンライン授業はそれ単体でみれば楽、だったのかもしれません。電車に乗る疲労もない・眠気とたたかう必要もない・一回で聞き取らなくてはという緊張感もない。
……でもこれってネガティブな言葉であらわすと“つまらない”ですよね。もちろんその状況に置かれるからにはその特性をポジティブにとらえて、元気で調子のよい時に受講できる・何度でも復習できる、スタイルとして積極的に取り組むことが必要です。しかし対面になったとき、以前が物足りなかったのだと気が付きます。 例えばこんなとき。

先生の話に頷いて、冗談で笑い声を漏らす。ともだちと「難しかった」だの「ノートが可愛い」だの会話ができる。同じ興味のある子と語らい、緑に囲まれたベンチで言うのは「きょうはつかれたけど楽しかったね」。 

……1限の朝は、すがすがしい空気が気持ちいい。疲れた帰りは、夜ご飯が倍おいしい。
学校に通うことができるのも当然のことではないのだと教えてくれた春でした。

*****

ところで、新たな環境におかれると私生活でも新しいことを始めたくなるものです。
私はこの春、中・高と取り組んできて大学では機会に恵まれなかった“合唱”を「合唱団入団」という形でもういちど始めました。
歌は声帯回りや体幹など筋肉を必要としますが、きちんと歌う機会が減れば衰えてしまいます。はじめは歌唱力の低下にかなり落ち込みましたが、歌のアドバイスをするときの練習になると思い、前向きに取り組みました。できるだけ毎日発声練習をしていると、一年以上あいていたブランクは2・3週間でほぼ埋まってしまいます。「知らない」のと「忘れている」のでは取り組んだ時の感触がまったく違うんです。そう思うと、たとえ浅くても様々なことに触れておくのが良いですよね。

歌は、とても清いものです。飴細工の花束のように、きらきらと華やかだと思えばそっと触れただけでくだけてしまう。
フォルテには物語があり、ピアノには深い祈りがある。シャープは光の輝きを、フラットは涙のきらめきを放つ。宇宙のような広がりがあり、星のような神秘がある。
真心をこめれば体から自然とあふれだす音楽。気持ちのままに正直になるだけで、奏でられる妖精の歌。いったいだれが私のからだを弾いているのかしら?贈り物のようで、時に強い感情の五線譜にのってわきあがってくるミュージック。
幾つもの音色はセロファンのように重なり合い新たな色に染まっていく。私をあらたな色に染めてゆく。
何かを強く愛している時のあの不思議な調べ。そこで歌っているのはだれ?
あの丘の上の、おんがくの音。

——さぁ、今宵はどんな音楽がきこえてくるでしょうか。
耳を澄ましてこころの旋律にうっとりしながら、瞼を閉じて、夢をみましょう。
夢みることがおんがくのはじまりですから。

それではみなさん、おやすみなさい。

きっとこれは恋だった。

 卒論提出まで残り2か月。まさに佳境という中、最近お気に入りのカルピスをがぶがぶと飲みながら、血走った目でPC・論文とにらめっこしている限界大学生、さやかです。みなさん、こんばんは。

 今日も卒論ゼミに参加し、先生と中間レポートをもとに面談をしました。よく書けているとお褒めの言葉を頂き嬉しい反面、色々と要改善点も見つかりました。もっともっとブラッシュアップしていかなければ……!ゼミでの同期たちの発表も毎回気合が入っていて勉強になるし、何より内容が面白い。自分も負けてたまるかと、今日気合を入れなおした次第であります。

 さて。この間の土曜日、ひきこもりの私にしては珍しく夜の渋谷へとお出かけをしました。お目当ては、”綾崎隼×けんご 『死にたがりの君に贈る物語』スペシャルトークショー”。

 綾崎隼さんとは、私のブログに度々登場する、私の大好きな作家さんであり、私の最推しです。第16回電撃小説大賞「選考委員奨励賞」を受賞され、『蒼空時雨』にてデビュー。その後自然の風物をモチーフにした「花鳥風月」シリーズや現代版ロミオとジュリエットをテーマとしたミステリ「ノーブルチルドレン」シリーズなど多くの作品を発表されています。そして、今年発表された最新作『死にたがりの君に贈る物語』がTikTokの宣伝によりバズり、現在話題沸騰中の作家さんでございます。

 私が綾崎さんの作品と出会ったのは、中学一年生の頃でした。当時私はミステリーものにハマっていまして、面白い作品ないかなーと書店をウロウロしているとき、『ノーブルチルドレンの残酷』という作品が目に入りました。

 「ノーブルチルドレン」という聞きなれないカタカナに「残酷」という重い言葉。そしてポップなイラストの表紙に惹かれ、購入しました。すると、これが私の心にストライク!この作家さんは面白いと作品を買い集めるようになり、大好きな作家さんになりました。

 綾崎さんの作品の魅力は3つあると思っています。一つ目は繊細で綺麗な言葉選びです。

「唇から零れ落ちた吐息を拾い集めて。一つに束ねたら、あなたの形になれば良いのに。」

 これは『吐息雪色』という作品の冒頭です。

すごく綺麗な文章だと思いませんか?吐息を拾い集めるっていう表現が、冬の寒さ・心細さとそれが現実には不可能な空想であることを描いていて。「あなたの形になれば良いのに」と、吐息を「あなた」に見立てる。でも、吐息だからきっとその像は透明で、手で触れることはできなくて、脆い。思い描く像が不完全でしかないという切なさ。そして「良いのに」と逆接で止めるという憎さ。もう、たった二文だけで沢山語れてしまいます。

綾崎さんの作品は、こんなふうな繊細で綺麗な表現がちりばめられていて。まさに私の好みドストライク……!!

二つ目は、魅力的な登場人物たちです。もう、登場人物全員が愛おしい。例えば、「ノーブルチルドレン」シリーズのヒロインである女子高生・緑葉。靴のかかとを潰し履き、シャツはブレザーの下からはみ出していて、髪は寝ぐせでくしゃくしゃ。それでいてたまに奇行に走るという、ぱっと見やばい人なのですが、実は誰よりも心優しくて、芯が強いのです。将来は心療内科医になるのだと、その練習のためと称して「保健部」を創設し、生徒たちの悩みと真剣に向き合っていきます。純真で気高い志を持ち、厳しい現実に立ち向かっていく姿は本当にかっこいい。中学生のころ、作品を読みながら「緑葉のように強い心を持ちたい」と思ったものです。他にも、紹介したい、愛しい人たちが沢山いるのですが、文量がすごいことになりそうなので、とりあえず、緑葉だけにしときます。綾崎さんの作品を読んでいると、きっと登場人物たち一人ひとりをすごく大切に思っているんだろうな、というのが伝わってきます。

三つ目は、読者の期待を良い意味で裏切る展開です。綾崎さんの作品、ミステリ要素が含まれていることが多いんです。読むたびに、「次は騙されまい」と意気込むのですが、毎回してやられています。不意打ちでやられることもあれば、正面から堂々とやられることもあり、作品を一つ読み終えると、思わず最初から読み直してしまいたくなる。そして読むたびに新たな発見があったりして、何度でも読み返したくなる。そんな仕掛けと深みがあります。ほんと、こればっかりは実際に作品を読んでいただかないとうまく説明ができない……!!

はい。ここまでの私の文章の熱量でわかる通り、私、綾崎さんの作品、本当に大好きなんです。どの作品も何十回と読み返しているし、これまで苦しいときに何度も綾崎さんの作品に助けられてきました。中学生のころからだから、追っかけ始めて、かれこれもう10年。私の中で、綾崎さんを超える作家さんはいません。本当に、大好きなんです。

そんな、憧れの作家さんのトークイベントに参加してきました(ようやく本題)。しかも、ネット配信ではなく、リアル参加。定員20人という超プレミアだったのですが、奇跡的にチケットがとれまして。トークイベント前にアルバイトのシフトに入っていたのですが、イベントが楽しみすぎて興奮して浮かれてしまい、お客様にお釣りを払い忘れるという大失態を犯しました。いつもなら再起不能なまで落ち込むのですが、「この後綾崎さんに会える……!!!!!!!!!!!」と思うだけで、元気百倍でした(反省してます)。

イベント時間が近づき、会場に案内されて。「え、もうこの壁の向こう側に綾崎さんがいるの…?ガチ……?」と、現実が受け入れられない限界オタクをしている間に開始時間に。軽い足取りで、司会である編集者さんの肩を叩いて、「よろしく!」と声をかけ、颯爽とステージにあがる素敵な男性。

この方が綾崎隼さん……!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

その後は、綾崎さんから目が離せませんでした。釘付けでした。あれは完全に恋でした。

今回のイベントは、最新作『死にたがりの君に贈る物語』のヒットを祝して開催されました。作品執筆の裏話だったり、小説にかける思いだったりが聴けて、本当に幸せな時間でした。期間限定でアーカイブが公開されているようなので、気になった方は是非!(https://youtu.be/zDsiatCo28Y)

沢山のお話の中で特に印象に残っているのは、小説にかける思いです。新人賞に応募したときも、担当編集者さんに原稿を見せるときも、すごく怖いのだと、綾崎さんは語っていました。魂を削って小説を書いているのだと。小説家の方が真剣に作品と向き合って執筆されているからこそ、こんなに素敵な作品が世に生み出されるのだなと感じました。作家さんが魂を削って小説を書いているのならば、私たちも誠心誠意真剣に小説と向き合わねばと心を新たにしました。

そして、今回のイベントではなんと綾崎さんのサイン入り著作を頂くことができました!!!!!!!!!

しかも!!!!!!!!宛名つき!!!!!!!!!!

もう、一生の家宝です(泣)今日まで生きててよかったと、心から思いました。そして、今日が私の命日だとも思いました。サインだけで充分幸せすぎるくらいなのに、宛名まで入れてくださった綾崎さんには感謝してもしきれません。本当にありがとうございます。

10年以上追っかけてきた大好きな作家さんとお会いできて、貴重なお話を沢山きけて、おまけにサインまでもらえて。本当に、本当に幸せな一日でした。油断すると泣いてしまそうな位、嬉しくて、感動でいっぱいでした。こんな体験、きっともう二度とできないだろうなと思います。あの時間と頂いたサイン本は、私の一生の宝物です。綾崎隼さん、本当にありがとうございます。

これからも、綾崎さんを追っかけていこう。何度だって、作品を読み返そう。そして、小説を、文学を愛していこう。そう思えた一日でした。

皆さま、ぜひ綾崎さんの作品読んでみてください。まずは現在ヒット中の『死にたがりの君に贈る物語』を、そしてもし気に入っていただけたのであれば、次に『盤上に君はもういない』を読んでみてください。きっと、この二作品を読めば見事沼にはまります。

それでは、今日はこのへんで。さやかでした!

≒03:30

ご無沙汰しております、みちるです。

眠れない夜が続くんです。

「対面授業も増えてきたんだ、生活を整えなくては駄目だね」

左様。
二限の開始に間に合わないかも知れない、そんな恐怖はいつだって馬鹿にできない。もう「乗り換えでスーパープレイを発揮した場合に限り遅刻を免れるだろう」なんて予測を立てながら冷や汗を拭う地下鉄の30分間を反覆するのは御免だ。

というわけでやっと『眠られぬ夜のために』(岩波)を買いました。
というわけで、ではない。重々承知しておりますが。藁にもすがる思いで、ヒルティにもすがる思いで、いいやヒルティは藁でないのですが。加えてえらく正直に”眠られぬ夜”を思索の時に充ててはますます眠れなくなるのでは?
いやいや、眠たいことを言っていないで――

(間奏)

「実在の絶対的レベルがを再び見いだそうとすることが不可能であるのは、幻想を演出するのが不可能であるのとまったく同じ次元の事柄だ。幻想はもやは有り得ない、なぜなら実在がもはや有り得ないからだ。これがパロディー、ハイパーシミュレーション、あるいは攻撃的シミュレーションに問われる政治問題の全てだ。」※1

コーヒーに注がれた少量のミルクは、一瞬にしてすべてを台無しにしてしまう。あの底なしの黒さを殺すには、たった一滴のミルクの渦巻きで十分なのである。そしてすべてはコーヒーと同じ運命をたどる。真実も、人間自身でさえ。

ただ、固有名詞だけが、シニフィアンだけが、形容することによって形容することが出来なくなるこのものだけが、こうしたものから遁れられる。しかしそれは残りでしかない。それは実在とイコンの関係がたどる螺旋の終着点だ。そこには均質的な空間と、そこに転がる様々な残りしかない。
――「ない」と言ったことは何たる誤謬だろう、そこではもう存在論すら不可能なのだ。

例えばコーヒーのカップを指で掴み、口元まで持っていって啜る。それは「投企」という仕方で理解され得るが、これも何か――例えば走る、という動作の――一つのアナロジーでしかない。存在論が不可能なのは、形而上学がそれに先立つからではなく、もはや「ある」ということもメタファーだからだ。

もはや何も「ある」とは言えない。それでも、今目の前にコーヒーのカップが見えるのは、一体なぜなのか。ただ漠とした現実だけが、  。ただ、  。空白を埋めることはもうできない。空白が文章を不完全にし、「残り」にする。あったものが、台無しになっていく。もはやそれを止めることも、それに抗うこともできない。
指の間から零れ落ちるミルクが、振動しながら広がっていく。

(間奏)

【「みちる」が私を参照しなくなる日はくるのかしら。】

「眠たいことを言っていないで、はやく眠りたまえよ」

眠られぬ夜のためのボードリヤールなんて、ご勘弁願いたい。
ただ何となく一章だけでも繙いてやるかという気持がした…ヒルティと彼の遺影、もとい二冊の袖に鎮座する”著者の写真”を枕元に並べて。

明日は10時50分。うまくやるのよ?と。

またお手紙書きますね、大好きです。   みちる

※1:著/ボードリヤール、訳/竹原あき子『シミュラークルとシミュレーション』P28(法政大学出版局、1984年)

なんといっても大画面で見る推しは最高

こんにちは!やなです🐧🧊
とあるスマホゲームで推しキャラの新規カードが入手できるイベントが始まり、やっと終わると思ったら今度は別のゲームで推しの新規カードが入手できるガチャが始まり、これまた別のゲームでも……というやばいスパイラルに見舞われていました。ガチャは敗北しました。運がないですね。強く生きます。

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久しぶりに映画館に映画を見に行きました。
僕のヒーローアカデミア(通称:ヒロアカ)の映画なんですが、めちゃくちゃおもしろかったです!
ヒロアカは週刊少年ジャンプで連載されている人気作品なんですが、簡単に言うと「個性」と呼ばれる異能を持った人間が溢れている世界で繰り広げられるバトル漫画なんですね。もちろん戦闘シーンだけではなくて、めちゃくちゃに重い過去を持った登場人物とのストーリーや、学校が舞台なので平和(?)で愉快な学校行事なども描かれています。そのギャップがとてもおもしろいんですね。興味がある方は公式サイトからぜひ(これはアニメの公式サイトですが、原作も最高ですよ!)→https://heroaca.com
今回の映画は実は3作目なんですが、世界を舞台にした、スケールがとてつもなくでかい物語でした。どこがおもしろかったのかを紹介したいな〜と思います!

①作画がすごい
言うまでもなくという感じですけれど。ヒロアカはアニメの作画がとても綺麗なんですが、映画もとんでもなく綺麗で迫力満点でした。特にカメラワークが実写のアクション映画のようで(見てもらえればわかります)、これは3Dで見たら映えるだろうな〜と。8月の終わりに都内の劇場で4Dが公開されるらしいのでぜひ見に行きたいですね。

②ゲスト声優がすごい
3作目のゲスト声優はなんと!吉沢亮さんでした!3次元に疎い私が持つ吉沢亮さんのイメージは「顔がめちゃくちゃ良い」と「大河に出てるすごい人」だったのですが、今回新たに「声の演技もできるすごい人」というイメージも付きました。いや〜〜〜〜〜〜!!すごかった…………!もちろんアニメ映画に出演なさっている俳優さん、みなさん上手なんですが、吉沢亮さんは完全に期待値を超えてきましたね。私は事前に公式サイトで予習をしていたので、あ〜このキャラが吉沢亮さんか!とすぐにわかったのですが、言われなきゃ絶対にわからない自信しかないですね。しかもすごい良いキャラだったので、吉沢亮さんのイケボと合わさってしまうと、もう好きになるしかないですね。好きです。推しが増えました。

③シナリオがおもしろい
ヒロアカは学園モノなので基本的に日本から出ることはないのですが、今作は海外が舞台だったのでいつもよりスケールが大きくてとてもおもしろかったですね。ずっとハラハラドキドキしっぱなしでした。また、原作ファンだからこそ深読みできる小ネタが随所に散りばめられていて、しんどい部分もあり楽しい部分もあり……という感じでした。映画のオリジナルストーリーなのでもちろん漫画本編に影響を与えることはないと思うのですが、十分おもしろいヒロアカを堪能できましたね。推しも活躍していてよかったです。

………とまあこんな感じで、最高の映画でした!あまりにも衝撃を受けすぎて帰りの電車は1駅乗り過ごしました。アホですね。
映画館の席も満員ですごいな〜と思いました。リピーターも増えそうですね。私ももう1回行きたいです。
ヒロアカを知っている方はぜひ見に行くことをおすすめします。ご興味がある方はURLを貼っておくのでぜひ。

僕のヒーローアカデミア THE MOVIE- WORLD HERO’S MISSION-
https://heroaca-movie.com

『僕のヒーローアカデミア THE MOVIE ワールド ヒーローズ ミッション』予告【8月6日(金)公開】 https://youtu.be/by9Nk2A1y20

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今日の1曲。アジカンは最高。
ASIAN KUNG-FU GENERATION 『エンパシー』Music Video https://youtu.be/FTdxvatMig4

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それではまたお会いしましょう。やなでした!