木綿のハンカチーフ

ご無沙汰しております、みちるです。

 

この処遇の不完全を呪う。これはあまりに平成の出来事すぎる。
そう悔いていたら、キーボードを叩くときの私の「叩く」は 触る と 叩く の中間だと気が付いた。

目玉商品、目玉企画という場合の「目玉」は一体何。まなざし優位の人類、正直しんどい。なにしろ人類が、正直しんどいのだ。
もはや視る機能を有さない目玉、を我々が認識する場合。本来であればいくつかの定理が必要になるのだが、生活のなかでそれが行われることはない。

さて目玉は、果たしてオブジェに数えてよいものか。

 

「見ないでください。話しかけないでください。こちらに近づかないでください」

 

さようなら、私たち。
さようなら2023年。

 

(間奏)

 

2024年の皆さん。

皆さんはきっと、私たちよりも素敵な存在様式のうえに成立していることでしょう。

大きな災害が続くでしょう。そこで我々は試され、消耗させられ、愛した土地を離れなければならないときが来るかもしれない。

「あなたが本日始めた営みの土台は、次の夏にきっと崩壊しますよ」

だまされた気がした。それで私の生活や学びが左右されることはないだろうし、崩壊の日にも私は悲しくなることがないだろう。
しかし心底、そういうことははやく教えてくれと思った。

まともに考えて、あらゆるサービスは期限つきである。それらはいわば隠匿されているに過ぎず、冷静な人々にとっては、永続するものがあると信じ込むほうが難しい。ただ、明確に期限を設定されたうえで開始する営みに対してどういう表情をつくったらよいかもわからない。寿命を知らされて生まれる人々の気分がこれにあたるのだろうか。そうした側面があるのなら――不謹慎な願いが生じてくる。

 

「――する気なら相当、――に生きなきゃいけない」

 

後の部分は「苛烈」と言ったか「過激」と言ったかは定かでなく、どちらであったかにより、話が変わってくる。
努力か死か、それしかないらしい。ならば2024年は努力を、それこそ苛烈な努力をしていかなければならない。
しかし過激に、投げやりにではなく過激にやっていく。私はそれがやりたいのだった。そしてそれが出来ないままここまでたどり着いてしまった。

開き直ることが出来ず、世界を統合することが出来ず、並列つなぎで最後は一つになる人間関係。

上目遣いで「よければ」と言われてすぐさま、心拍数が上昇する。困ったことになった。困ったことにはなっていないのにそう思い込んで判断を下すから、のちのち実際に大変困ったことが生じる。

アキ・カウリスマキの『枯れ葉』を観た。

各々の理由で職を転ずる労働者の男女。彼らは酒と歌の領域で出会い、のちに二人で映画館へ行く。そこで女は連絡先を書きつけて渡し、男が紙きれを失くしたことを知る由もなく彼の便りを待ち続けることになる。
男は彼女を待って、二人だけで行った唯一の場所である映画館の前に毎日通う。約束はなく、一生待っても女が来ることはないかもしれない。
女が映画館へ向かったのは、彼が帰ってしまった後だった。入口の扉の前には、見覚えのある銘柄の吸い殻が固めて捨てられている。そしてここに、偶然に支配された必然が存する。虚構でありながらきわめて理の領域にある演出だった。

私に心というものがあると考えた場合、明確に上の場面で掴まれたことになる。

その後も二人はすれ違い、そして両者は一つの場所へ、一つのシチュエーションへと向かい、別々にやってくる。
女は彼と二人の食事のためにアペリティフを買い、男はおそらく女が女であることを根拠として彼女のために花を買う。花を選ぶ男のまなざしは(おそらく脚本の意図に反して)優しく映り、私はこういう場面で素直に胸を高鳴らせてときめくことができる、そういう自分のことだけは好意的に把握している

 

『枯れ葉』が終わり、ケリー・ライカートの『ファースト・カウ』が終わり、2023年は終わる。
私の素直なときめきは錯綜した他者他者(人々、のような調子で)にぶつかり、鈍い音を響かせるだろう。

私の名を知りたいという相手に、望み通り名乗ってみると、

「あなたが そう であるという証拠を提示してください」

と厳しく受容されたのがとんでもなく可笑しい。
そう である、というのは?名称・記号と私が一致することを示した後は、私が私であるという証拠を提示しなければ不完全だ。しかし、私であるという状態についてその同一性を根拠づけるものを提示することは簡単ではない。まずは物として、次にあなたの前にある何かとして、そして自分として、の、私。どうでもよい誰かではなく、あの相手であるからこそ、論証を試みる必要があった。

日常の場面では丁度不自然に思われる程度の長考を経て、私は仕方なく相手の眼前に保険証を翳した。

相手は黙してそれを見つめたあと、

「本当だ、名前が。――っていうんだね」

と意外そうに呟いた。
名前が本当で助かった。

そんな誰かは2日の始発で羽田へ向かうわけで。だいたい、年越しなんてしたくない。私はやめようって言ったからね。こういうこと言ってくる人間、いますよね。こういうこと言ってこられるのも困るので、来年からは廃止にします。

ああ、私のせいで世界が終わってしまいました。

まだ終わっていない皆様におかれましては――。
災害に、戦争に、抑圧に、病に、希望に、愛に、どうかお気を付けください。

 

またお手紙書きますね、大好きです。    みちる

裸の王様

マフラーを出す暇もなく冬季休暇に突入しました。

懐かしい友との会話は2時間とは思えないほどとても密度の濃いものでした。半年から1年に1度、会っては数時間語らう私の友です。

高校生の時はこんなふうに話したりはしなかったのに、どういうわけか深いところで分かり合える存在になっているのだから不思議です。

尊敬する友。

疲れるからと、考えないことを心がけているうちに考えなくなった私に、考えさせてくれる友。めずらしくおしゃべり屋の私に話せることがなく、あぁここ最近なんにも考えていなかったんだなと気が付きました。回転しない脳が少しずつ傷んでいく。それでも幸せならいいと思ったり、程度の加減が私にはとても難しい。

考えていないと楽。でもつまらない。

考えることは苦。でも少し待てば味が出る。

勇気をだしてブレーキを外してみると、案の定、身体中にかかる重力に押し潰されそうになり、李徴の夢を見るのです。

*****

まいです、ごきげんよう❀

先日、オラファー・エリアソンの美術展示を見に、麻布台へ行きました。

私はそれまで彼の作風を知りませんでしたが、そこでの出会いは衝撃的なものでした。

彼は環境保全に関心を持つ芸術家で、その作品は常にアイディアを伝える手段になっています。例えば、黒い紙に塩水を垂らし大自然の中に置く。そうすると、好きに踊る風の様子が塩の結晶となって浮かび上がる。彼はそれを「風の記述」と名づける。

例えば、何千年も凍り続ける古代の氷を採取し紙の上に置く。すると紙の上で古代から現在への時が流れる。そしてそのひとつの氷片が、温暖化する地球を内包していたことに我々は気がつく。

こんなふうに、エリアソンの作品は、彼のものであって彼のものではない。彼は道具を作っているだけで描いているのはネイチャーなのです。

実際にそのような作品を生み出すための機械(道具)も展示されていました。こっちが彼の作品なんだ、と初めは驚きました。

美術のスタッフさんに聞いてみると、「周りにある幾何学的な模様はここのスタッフがこれ(道具)に描かせたものです」なんて普通に言います。

常に、唯一無二の自然の姿。止まっているようにもあるいは無いようにも感じるそれらは常に動いていてエネルギーがある。それを芸術という形で目に見えるようにしているのが、オラファー・エリアソンです。

彼の作品を見たあとは世界の見え方が変わります。有無を意識してもいなかった世界に、なにか大きなものが見えてきます。彼の1番の功績は間違いなく、その“気づき”を与えたことです。知らないことと知ることは本当に1歩の差だけれど、その1歩で世界が変わるかもしれない。そう思うと、私が払った費用はなんて安いものだろうと感じました。それでも人は無知であることを、わかっていなければいけませんが。

あ、ひとつお伝えしておくと、サプライズを企画されていたことを「知る」のは最悪です。本当に「知る」と「知らない」で世界が180度違います。高校の卒業式の日、クラスのみんなから私へサプライズを企画してもらっていたようなのですが、ひょんなことで(というか友人のミスで)知ってしまい……いや、本当に本当に頭を打ってでもして記憶を消したいと思いました。ああ、ついさっきまであったはずの私の純粋な喜びと驚き。私は卒業という別れの日にクラスみんなに対して偽りの演技を…驚きの演技を…喜びの、ああー…。

話がずれました。

エリアソンによる「知」は私にとってはとても美しいものでした。みなさんもぜひ足を運んでみてくださいね。

それでは、また。良いお年を。

「乱」だけど、「幸」。

こんにちは、あこです。

つい最近までクリスマスだったはずのに、先日コンビニへ行ったら「恵方巻きの予約承ります!!!」という広告が目の中に飛び込んできました。

え、恵方巻きって2月ですよね???

まだまだ先…….じゃないんですね!!

年々、月日の流れが早くなっているような気がします。

ありがとう、2023。そして、ようこそ、2024。

*****

今日は2023年最後のブログ更新日ということで、軽〜く1年を振り返ってみようと思います。

就活に始まり、卒業論文で終わった2023年。

この1年間を漢字一字で表すと、「乱」だったように思います。

というのも、(何度かブログでも書きましたが)今年は精神的なアップダウンが激しくて、自分の嫌なところ・良くないところがよく見えた年でした。

やりたくない。考えたくない。書きたくない。

今までこんなことはなかったのに、学ぶこと、考えること、書くことが、心底嫌になりました。

何かがあった、というわけではないのに、なんだかモヤモヤして、なんだか何もかも本当にどうでもよくなって、それが体に響いたのか、体調も悪くなって。

時々ちょっとは回復するけれど、いまいち吹っ切れない。

そんな状態が4・5ヶ月続きました。

そして7月。「やりたいことリスト」を見つけたことで、一度目の”晴れ晴れ期”に入ります。(7/27ブログ参照)

多少のアップダウンはありながらも、8月、9月、10月と、比較的順調な日々を送りました。

そして11月。いつの間にか”イライラ期”に戻ってしまっていて、4月以上に不安定な1ヶ月間を過ごしました。(後に”イライラ”の原因が分かったため、12月は安定した状態でスタートできました。11/22ブログ参照)

とまあ、私にとって2023年はこのような1年だったのですが、きっと皆さんにとっては「だから何?」という感じだと思います。(書いてる私も「だから何?」って思います…汗)

だけれど、1年間を振り返ってみて思うのは、私は自分が思うよりもちっさくて、弱くて、しょーもない人間なんだな、ということ。

誰かからの「そんなことないよ」が欲しくて、自分を卑下しているわけではありません。

自分は弱いです、だからみんな助けて、ピヨピヨ。みたいなことを言いたいわけでもありません。(誰)

しょーもない人間だから、何をやっても意味ないし。と、不貞腐れているわけでもありません。

ただ、もっと自分はしっかりしていて、自分が決めた”今”に自信を持って、「人は人、自分は自分」の精神で歩いていけると思っていました。

不安とか、妬みとか、怒りとか、そういうのは、全部コントロールできる。

何かがあっても、「自分が決めたことだから」「自分がやってきたことの結果だから」と全てを受け入れて、前を向いて進み続けることができる。

どこかで、そう思っていました。

だけど、全然そうじゃなかった。

頭の中がうわーーーってなって、どうしようもなくて、そんな自分が嫌で、でもどうしようもなくて。

やらない理由・言い訳ばかりが頭を過ぎり、「こんなはずじゃなかった」自分ばかりが見えてくる。

みなさんから見れば、今更???みたいなことかもしれないですが、恐ろしいことに、あこにとっては、こういうのは初めてだったんですね(怖)

すご〜くポジティブに言えば、2023年は「自分と向き合い続けた」1年だったのかもしれません。

ーーーーー

その一方で、今年はよく”話した”年でもありました。

家族(母&弟)、祖父母、先輩、後輩、そして、友達。

既存の友達はもちろん、学内活動を通じて出会った”新たな友人”や”知り合い”達とも、お互いの人生観、考え、思いなどを話す機会が多かったように思います。

“嫌な自分”に出会う一方で、”素敵だな”、”綺麗だな”、と思う人々にも、たくさん出会いました。

そして、彼らの言葉に、何度も、何度も救われました。

2023年は色々あったけれど、それでもやっぱり、幸せでした。

2024年は、どんな年になるのでしょう。

皆さん、一緒に、より良い年にしましょうね!!!

それでは、また。

散りて積もれる紅葉と日数

12月も後半となりまして、京都の観光客もずいぶんと減ってきました。今年は夏が暑すぎましたので、紅葉がいつもより長く、細かく言えば先々週ぐらいまで楽しめました。ですから、この間まで秋のようだったのに、本当にもう年末なのかと信じられない気持ちでおりますが、年始はこれまた冬とは思えないくらい暖かいようですね。成人式がある身としては助かりますが、昨年より一段と地球温暖化を肌で感じるようになってきて未来が恐ろしいと考えざるを得ません。

さて、私ただ今帰省中でございまして、それも帰ってきたばかり。書けるネタもないので、時間は少し遡り、ここでは12月上旬頃の紅葉のお話をして、本年の私のブログを締めようと思います。

紅葉シーズンの京都はとにかく観光客が多い、紅葉の名所は紅葉を見に行くのではなく人の頭を見に行くところだと言われ続けられて、覚悟だけはしておりましたが、まさかいつもは座れる早朝の京都駅行きバスが満員で、1台見送って10分以上後にやってくる2台目で観念して無理矢理乗り込むまでとは思いもしませんでした。東京の満員電車とは違って、大きなお荷物様たちが場所を取っておられるので、1リュックサック分なら無理矢理入り込めば若人1人は乗れるんですよ、危険なのでやりたくないですが、授業ですから仕方ない。そんなわけで平日休日問わず連日大混雑の京都ですから、紅葉を心穏やかに楽しむなら、頑張って早起きして、すでに開いているお寺さんや神社、あとは自然に育っている山などへ出向き、人が2、3人増えてきたらサッと立ち去る、正体バレを恐れる化け物のような動きをするしかありませんでした。なので結局紅葉の名所として名高い永観堂や東福寺は未だ行けず。ドーナツの生地部分に生まれ育った身ですから、人混みには人並み以上に慣れていますけれど、覚悟を決めてお金を払っていざ行ったとて、紅葉を見ているのだか、人のスマホを見ているのだか。まあしかし、この混みようは「秋といえば紅葉、紅葉といえば京都!」が世界中に広まっているということの証明です。確かに京都で見る紅葉は、今年は色が悪いとはいえ格別ですから、沢山の人に感動してもらうのは良いことです。

ところで、日本文学を学ぶ者としては、紅葉といえば?と聞かれて「京都!」とだけ答えるのは50点台だと個人的には思うわけです。京都は永遠の都ですけれども、その隣には、鹿の住む古都、奈良の都があることを忘れてはいけません。奈良と言いますと、東大寺や春日大社のある奈良市には、この度は幣もとりあへず手向山八幡宮や、秋さればの春日山がありますが、それ以外に奈良の紅葉といえば、そう、竜田川と三室山!

京都駅からJRに乗って揺られること、1時間ちょっと。王子駅にて下車。改札を出ると、雪丸という二足歩行の犬が迎えてくれます。そこから法隆寺行きのバスに乗って竜田大橋というバス停で降りて、交差点を渡り橋の方へと向かいます。橋の下に流れる川こそ竜田川!

竜田川と三室山と紅葉

昨今は琵琶湖の水も下がる雨不足。嵐もなくて、紅葉の下を流れていく水の様子は見ることができませんでしたが、平日だったのもあって、人が少なく、ゆっくりと綺麗な紅葉を愛でることができました。

川に沿って南へ下ったところに三室山が見えます。入り口のところにはなんと、「ちはやぶる」と「嵐吹く」が刻まれています。

三室山入口

階段で頂上まで登ると、正面には左右にゆったりと広がる信貴山!

頂上から

山頂の看板によれば、「能因法師は、下方の神南集落の三室堂に住んでいたといわれ、三室山へはしばしば遊びにきていた」そうで、そばには能因法師の供養塔が。同じ場所で寛いでいたと考えるだけで口角が自然と上がっていきます。

これで目的は果たしたのですが、せっかくなので街歩き。再び川の方に出て、今度は先程とは対岸側の竜田城跡から紅葉を楽しんで、猫坂交差点に出て、法隆寺の方へ歩いていくと、龍田神社があります。龍田神社は法隆寺の鎮主社で、ここの天然記念物の蘇轍はどこのものと比べても堂々としていて大変立派。

お参りをして、神社を出て、また法隆寺の方向へ進み、斑鳩町役場の前へ出ると藤ノ木古墳への案内看板が見えます。将来の墓には埴輪を埋めたい私にとって古墳は無視できない存在です。迷うことなく左折し、古墳へ向かいます。

藤ノ木古墳

古墳をぐるっと周回して、再び法隆寺の方へ向かうと、途中に斑鳩文化財センターというものがありました。ここは先程の藤ノ木古墳についての展示や、今は法隆寺の建築物について展示・保存している場所。

平日の昼過ぎですし、客はまばら。ボランティアの方が展示物を端から端まで丁寧に丁寧に説明してくださいました!私は古墳が埴輪の延長線上で好きなだけで、飛鳥時代は概要しか覚えていませんでしたので、解説していただいて本当に勉強になりました。また、私は今季の授業で文化財修復について学んでいるので、法隆寺の五重塔についての展示と解説は、その授業で学んだことを復習する良い機会となりました。

解説や展示に夢中になって、気づけば夕方の4時となっていました。南南西にいた太陽は限りなく信貴山の方へと近付き。行こうとしていた法隆寺は閉門時間が迫り。時間が余れば奈良駅の方にも行こうと思っていましたが、それも行けず。次の休みにでもすぐに奈良へ行こう!と思いましたが、京都から奈良って結構お金も時間もかかるんですよね。結局、次に奈良に行けたのは春日大社のおん祭の日でした。この日には流石に奈良も色無しで。紅葉踏み分け鳴く鹿は枯れた芝草探り当て、人来る度に寂しげに鹿せんべいを強請りなき、真夏の暑さが嘘かのように春日の山は酷く凍えて、あをによし奈良の都も冬が来たと実感させられました。奈良は京都より若干寒いような気がします。春日の山の黄葉は来年以降にお預けです。

手向山神社

先述の通り、今回が今年最後のブログとなりました。この2023年という年は、私にとって間違いなく、今までの人生の中で1番、濃い1年間であったといえます。ブログ部としての活動を始めさせていただいて、人生で初めての引っ越し作業をして、送り出す会を開いてもらって、そして4月に京都に来て。映像や物語でしか知らなかったものや、その場に来て初めて知ったもの。文学だけでなく、非常に幅広い分野で色々な事を経験させていただきました。毎日がとても新鮮で、楽しくて楽しくて仕方ありません。本当にありがとうございます。来年も皆様平穏無事に、楽しく毎日が過ごせますように。良いお年をお迎えください!

思い出振り返り日記。〜2023年のブログ編〜

皆さん、こんにちは!1ヶ月ぶりの更新、ずきです。

1904(明治37)年、イギリスの劇作家ジェームス・バリーの童話劇『ピーターパン』がロンドンで初演されたのだそうです。このことから、初演日の12月27日は「ピーターパンの日」とされているそうですよ。

・・・

私も今、ピーターパンと同じように空を飛んでいます。いや、半分嘘をつきました。普段より高い目線からお送りしています。

と言うのも、実家に帰省するために高速バスに乗車中。

走っているのは中央フリーウェイ。調布基地はとうに追い越し、山の中に入ったところです。まるで滑走路……?いやぁ…グネグネしてますね…山道です。(元も子もないことを言わない)(元にした歌、伝われ~~~)

こんな調子でお送りしますが、良かったら最後までお付き合いください。

・・・

ブログ部員として迎える年末は、今年が最後。何だか寂しくなってきました。

刹那的に生きている自覚がある上、昨年も一昨年も12月中旬の更新だったので、1年を振り返るにはあまりにも早すぎる更新だったんですね。最後の年末くらいは1年間の自分のブログを振り返ってみたいということで、今日のタイトルを決めました。

・・・

さて、早速参りましょう!『思い出振り返り日記。』2023年の自分のブログ編〜!
ずきの2023年の各投稿を、一言でプレイバック!

【1月】
『大人の階段。』上る~♪君はまだ、シンデレラさ♪(?)
『夢満開スイートピー。』春色の汽車に乗りたいな、という話。(?)

【2月】
『なんの「29」しき…?』肉のことしか話していませんでした。

【3月】
『結局、いつもの言葉遊び。』なーんだ、いつも通りの私です。

【4月】
『任務を遂行せよ。』4月初めだったので、履修登録の話をしました。
『Think of me.』就活で色々考えていた時期、自分を見つめ直していた時期のブログ。

【5月】
『朝寝坊も三文の徳。』早起きは三文の徳、というけれど、寝坊して良いこともある、博物館や美術館に関する話。
『世界が広がる体験。』ただ声優オタクが加速してしまっただけの話。

【6月】
『みなづき、みんなづき』HAPPY BIRTHDAY、私!回。
『貴重なmonSTAR。』日本女子大学、そして文学部日本文学科に入学を考えている皆さんに向けて、「文学少女じゃなかった」人間からのメッセージです。

【7月】
『宣伝企画、始動宣言!』自分の入学経緯を語ろうとしたら、過去の私が語っていたため、宣伝に逃げました。
『目標は「ゴールド」。』運転免許の更新報告。運転免許は取れるうちに取っておくと吉。
『ファイナル…。』ファイナルはファイナルでも、出くわすとビビってしまうファイナルは…?セーーーミだ!

【8月】
『苦手な食べ物、ありますか。』祖父と戦争の話をしました。
『残りわずか…。』急に卒業が寂しくなってしまいました。日用品もなくなりそうでした。そんな時期もありますよね。

【9月】
『Let’s have some tea.』息抜きは適度に行ないましょうの回。

【10月】
『五円とご縁、巡り合い。』”ごえん”という言葉に助けられたブログでした。
『思い出振り返り日記。~京都・下鴨神社編~』朗読劇で京都旅行に行った様子を綴ったら、通常1000~2000字で収めている自分のブログ史上最長になりました。(4016字でした。)

【11月】
『なんてことない日々。』本当に何もありませんでした…本当に。でも、それは良いことでもあると思います。ブログ部員として長くやっていると、ネタが無いこともネタに出来ます!(にっこり)
『何事も、正直が肝心……。』
卒論進捗が大変、ということを赤裸々に言いました。面白いことが何も書けませんでした。

・・・

まあ、こんな具合でした。
『振り返り、あまりにも下手くそじゃ~ん。』
「ほら~!だから最初に言ったんですよ!刹那で生きているって…!!!」

・・・

「ずきのブログ、どんなだったっけ?」とちょっとでも気になった心優しいお方…!もし万が一いらっしゃったら、ページ右下の「投稿者:ずき」をタップ、もしくはクリックしてみてください。私の過去の更新分を閲覧することが出来ます。noteの方はお手数ですが、上記のタイトルのブログが私の更新分ですので、遡ってご覧いただけたら幸いです。(で、出来れば…み、見ないで…)

・・・

今年はこの投稿含めて全21投稿、7月は月3回も更新させていただいておりました。今年も拙いばかりの文章でしたが、お付き合いいただきまして、本当にありがとうございました。

ブログ部員として、「部長」として、どうあるべきなのかを自分なりに考えながら、ブログを書いておりました。少々考えすぎなところもあったかもしれません。今年は特に他の部員の皆さんと比べて、学科全体の宣伝が多かったのも、私の書くブログの特徴だったように思います。

少しでも、閲覧してくださっている皆さんのお役に立てたのであれば幸いです!

・・・

そして、23日更新のもこさん(今回は”もこもこさん”)が話題にしてくださっていましたが、ブログ部現4年生は、2023年度の日本文学科奨励賞(団体賞)を受賞しました。推薦いただいた方々に、厚く御礼申し上げます。

切磋琢磨してきた同学年の仲間と共に、ブログ部として頑張ってきたことを認めていただけたこと、本当に嬉しかったです。自分を誉めることが苦手な私ですが、ここまで沢山書くことが出来た自分、部長として投げ出さずにいられた自分を誉めてあげたいと思います。

そろそろ、私の部長としての役目もお終いです。実家でゆっくりさせてもらいながら、後輩の皆さんに仕事をつなげる準備を冬休みにしていきます。

・・・

ちょうど今、乗っていたバスが降車する停留所に着きました。キリが良いので今回のブログはこれで締めようと思います。

追記:卒業論文、書き終わりました!!!日本語学ゼミでアンケート調査を行ないながらの卒論でした。調査にご協力いただいた皆さん、ありがとうございました!

追記2:新入部員の加入時期が近づいてまいりました!先日、ブログ部アドバイザーの石井先生から、私に新入部員のお知らせが届きました!新入部員の皆さんがどのようなブログを書くのか、今から本当に楽しみです!!!

それでは、また来年!
良い年末年始をお過ごしください!

ファルセットだとかヘッドボイスだとか

 合唱曲ってたまに無性に聴きたくなりませんか。ぱっと思いついてYouTubeで一曲聴いて、そうしてるうちに関連動画で他の合唱曲が出てきて、あ~これも歌ったなとか、このバージョン私が合唱コンの時やったハモりとちがうやつだなとか、色々聴き始めて時間が溶けがちです。あと耳に心地いいので寝る前とか勉強しながらとかBGMにすることもあります。そうやって合唱曲を聴くか~!ってモードに入っている時に絶対聴く曲があって、アンジェラ・アキさんの「手紙~拝啓 十五の君へ~」なんですけれども。2008年とかのNコンの課題曲になってた歌で、私は保育園に通っていたころみんなのうたで聴いた記憶があります。私自身は合唱コンで歌ったとかではないんですが、歌詞とパワフルで優しい歌い方が好きで、合唱バージョンじゃなくてご本人がピアノ歌唱してる方をよく聴きます。
 この歌は十五歳という多感な時期、アイデンティティクライシスを経験した少年少女に寄り添う歌詞なのかなあとぼんやり解釈しておりますが、全然二十一歳の私でも「十五の僕」みたいな気持ちになることもありますね~。メンタルが安定してるときに聴くと「あ~そうだよね中高生の時って自分の足元見えなくて不安定でつらいよねぇ……」と思うしダメダメなときは「大学生3年生にもなってまだ思春期真っ盛りみたいなグラつき方してる私って……しかも教育者になるための勉強してるはずなのに、私って……」と思います。でも多分、「自分とは何でどこへ向かうべきか」って問いはきっと一生かけて追い続けるものなのだろうなとも思います。ほら、アンジェラさんも「大人の僕も傷ついて眠れない夜はある」って言ってるしさ、ね。死ぬときに一生を振り返ってまあ最終的な換算で幸せに生きられたなって思えればいいな。
 なんか好きな歌の話から人生、みたいな重たーい話になっちゃいましたね。普段私割とフィーリングで歌を聴くというか、歌詞の語呂の良さとか韻とかメロディラインとか、聴き心地を重視しがちなんですが、合唱曲だと曲調や伴奏の楽器がある程度どの曲も似通ってくるだけに歌詞に注目することが多いです。特に自分が合唱コンで歌った曲だと歌詞の解釈までみんなで考えたりすることもあって歌詞を大事にしたくなります。私は音楽やる人じゃないのであまり合唱曲が生活に根付いているわけじゃありません。なので特に学校でみんなで歌った、授業でやった、みたいな普段聴かないジャンルの曲を知れる機会があったのはありがたかったなぁと今になって思います。めんどくさかったと思う人もいるかもしれないけど、私は合唱コン好きだったしあってよかったなと思いますしね。コロナ禍で合唱系のイベントがなかった昨年までの2~3年の間中高生として過ごした子たちってちょっとさみしかったりしたのかなと思ったり。

 そんなこんなで今回もまた音楽の話になりましたね、音楽への造詣あんまりないほうなのに。まあ音楽なんて誰が何を好きでもいいですからね。では。

『赤ひげ』

こんにちは!やなです。
メリークリスマス🎄
みなさんの枕元にはサンタクロースは来ましたか?

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卒論、無事に提出できました!
日本語学のゼミに所属している私は、アンケート調査を主に行って卒論を書きました。協力してくださった方、本当にありがとうございました。
私は就活が終わるのが遅く、終わったあとも開放感でなかなかアンケートの作成に手をつけず、調査開始が遅くなってしまい、余計に苦しい思いもしましたが、なんとか形になってよかったです。直前にたくさんアドバイスをくれた指導教員の先生には頭が上がりません。
このブログを読んでいる後輩の方々にはぜひ、調査の分析と執筆は同時に書くように伝えたいですね。
2月の口述試験もがんばります!

***

※この投稿には舞台『赤ひげ』のネタバレが含まれます。

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先月、舞台を見に行ってきました!題目は『赤ひげ』。

舞台は江戸時代、貧民救済施設である小石川療養所に、主人公である1人の若い医者がやってきたところから物語は始まります。学んできた知識も生かせず、劣悪な環境の療養所を目の当たりにして、不貞腐れた主人公は仕事をせず、療養所の患者や職員とも日に日に関係が悪化していきます。そんな状況下で様々な境遇の患者と接し、彼はどのように変わっていくのか、という成長物語です。

あえて予習をせず、全く内容を知らないまま見に行ったのですが、めちゃくちゃ面白かったです!

医療系のお話なので、劇中で亡くなってしまう患者さんも出てくるのですが、遺族の人や周りの方々が泣いているシーンでは私もつられて泣いてしまいましたし、物語の山場では手に汗を握って鑑賞していました。とても感動しました。

私が特に好きだったのは、しっかり者だけど少し生意気な男の子とその家族のシーンです。貧しさで家族全員分のご飯が用意できず、母親がご飯を諦めようとしているのを見た男の子が、「お腹が痛くなったからいらない」と嘘をついて母親にご飯を譲るのですが、母親が躊躇っているところに、脳の障害を持ったお父さんと小さい妹が「お母さん、食べなよ!」と無邪気に告げるんですね。結局母親はご飯を食べるのですが、「子供の分を奪って……」と泣いているところで、母親の愛情や、やるせなさが伝わってきました。とても良かったです。

舞台のセットがものすごい凝っていて豪華でした。ひとつの舞台装置をくるくる回して(なんという装置なのでしょう?)、場面転換を行っていて、とても迫力がありました。その場にいる手の空いた出演者さんが装置を回していたところも見応えがありましたね。

前の方の席だったので、役者さんの表情もよく見えたのですが、皆さん本当に演技が上手でした!ひとりひとりの存在感が大きくて、特に主演の船越英一郎さんはものすごい迫力がありました。

実は私の好きな女優さん(元アイドル)が出ているのでチケットを取ったのですが、彼女の演技もとても素晴らしかったです。
実生活では優しくて、ふわっとした印象の方なのですが、今回の役は芯が強く、意地悪なことを言われても言い返して果敢に立ち向かっていくような女性だったので、いつもの彼女とはまた違った印象でとても良かったです。演技の幅が広くて素敵ですね。

彼女が出演する舞台挨拶の回のチケットを取ったので、お喋りをしている推しを堪能してきたのですが、出演者の皆さんとの仲の良さが伺えてとても良かったです。
話していたエピソードもとてもかわいらしくて和みました。元気そうで本当に良かったです。

また、今回見に行ったのが明治座だったのですが、ああいった大きい劇場って、幕間にお弁当を食べる文化があるんですね。けっこうな数の観客が観客席やロビーで購入したお弁当を広げていて、面白いなあと思いました。
私は1番小さいアサリのお弁当にしたのですが、とても美味しかったです。アサリがたくさん入っていて食べ応えがありました。次明治座に行ったときは、大きいお弁当にも挑戦してみたいです。

ミュージカルは以前見に行ったことがあるのですが、舞台を見たのははじめてだったので、すごく良い経験になりました。大満足です。
これは舞台にはまる人の気持ちもわかりますね。

***

赤ひげ – 明治座 公式サイト
https://www.meijiza.co.jp/info/2023/2023_10/

ついこの間、千秋楽を迎えたようなので、今回はこの話にしました。やっと書けました。

***

推しバンドがまたおしゃれなMVの新曲を出しました。
SEKAI NO OWARI「最高到達点」
https://youtu.be/BNguaY5exIk?si=WMcQT_03xdhHg-hC

対バンツアー、楽しみにしています。

それでは今回はこの辺で。良いお年を。やなでした!

メリークリスマス・イヴ!!

メリークリスマス!

ご存じの通り本日はクリスマス・イヴですね。

皆さま本日(もしくは明日)のご予定はお決まりでしょうか。家族とゆっくり過ごすのもよし、恋人と仲睦まじく過ごすのもよし、課題に追われるもよし、アルバイトに精を出すのもよし。何をしていても世間の煌びやかな雰囲気に呑まれて楽しい気分になってしまうのが、この時期あるあるではないかと思っております。

本日、私は高校からのお友達とブランチに行ってきました。

中目黒にある「flour + water(フラワーアンドウォーター)」というベーカリーカフェです。

私は流行りに疎いため、お友達が探してくれたのですが、巷では有名なお店らしく日曜日、クリスマス・イヴと重なって寒いなかでも沢山の人で賑わっていました。

店内に入って最初に目を奪われたのは、美味しそうなパンの数々…!

クロワッサンやマフィン、グラタンパンなどその種類も多岐に渡り、見ているだけで心がワクワク、幸せな気持ちになりました。

席に案内され、説明を受けたパンの中から4つを自分で選びつつ、友達と近況報告や推しの魅力について語り合いました。私が選んだのは、グラタンパン、チョコレートマフィン、レモンマフィン、チョコレートとブルーベリーのパンです。見事に甘い系のものに偏っています。このほかに、サツマイモのクリームスープとおいしい紅茶がついてくるブランチセットは満足感しかありませんでした!

皆さんも特別な日や自分へのご褒美に足を運んでみてください!

店内に陳列されたパン

さて、気づけば2023年最後の更新となりました。クリスマスが終わると一気に年の瀬を感じるのは私だけでしょうか。日本人って不思議ないきものだなと思います。

長かったような短かったようなそんな1年が終わり、気持ち新たに2024年を迎えようという所存です。

2023年、お世話になった皆さま、ありがとうございます。

メリークリスマス!そしてよいお年をお迎えください。

ブログを振り返る 3

みなさん、こーんにーちはー!もこもこです。冬なので。最近バラエティを見て、錦鯉のまさのりさんにハマっています。あの人を見るとあの人が何を喋っていても笑ってしまいます。多分私のツボなんだと思います。

さて、12月後半に更新日がやってきました。毎年12月後半はこの内容です。一年のブログの振り返り。私は滅多にこういう自我をブログで出しませんが、12月後半だけは現れます。

先に卒論の振り返りをしておきます。卒論を出しました。20日が締め切りなのに、16日に出しました。4日間推敲してさらに良くなる未来が見えなかったのです。蛇足だらけの未来が見えたので、踏ん切りがついた段階で提出しました。卒論はもっと苦しいものだと思っていて、締め切りギリギリになるとか、作品に飽きるとか、そういうものだと思っていましたが、全くそんなことはなく、執筆中ずっとずっと楽しかったです。研究するたびに新しい顔を見せてくれる、『破戒』という作品に出会えて私は幸せです。卒業してしまうのが嫌で、楽しかった日文ライフが終わるのが嫌で、書き終わってからも提出したくないなあ、終わりが来てほしくないなあとずっと思っていました。もう卒論を書けないと思うとすごく悲しいです。

では、ぬるりと振り返っていきましょう。
こんなに卒論が楽しいとは全く思わずに始まった4年生の4月、「東京の春は雨がよく降る」を書きました。ちょうど新入生向けのオリエンテーション委員をやっていて、新入生からブログを褒められて、いい気になって書きました。その後このブログを読んだあこちゃんからも褒められました。わーい。ちなみにブログ部4年生はお互いのブログでいいなと思うものがあればそれを直接本人に伝えて褒め合う文化がある気がします。だからみんなのびのびと楽しくブログを書いているわけです。

「虚構、もしくは春」、書くことが無さすぎて日記を切り貼りしました。
「そうだ 京都、行こう」、あのCMを聞いてずっと思ってたんです。〈僕〉は京都だろうなって。
「これでいいんだよ」、就活が終わってhappyだったのでああいう内容になりました。
「アイノ」、グラバー園で親子でドレス着て写真撮ったとかいう家族旅行の思い出話を一切せず、こういうことばかり書いてしまいます。
「要するに、暇」、七夕の日に更新が来たのに日付を無駄にしてごめんなさい。七夕に七夕のこと書かないやつ嫌いなのに。
「具体的で合理的で即効性のある何か」、スランプ。
「8月9日という日」、昨年も戦争話書いてるので是非。
「見て育つ」、ひもじい過去。
「大学四年生」、あまりにもスランプ。
「議事童話」、国会議事堂の上にある図書館でアルバイトをしていた時の話。文章としては良くないけど話としてはふむふむへえーとなると思う。

「土木と誇れる愛」
やっとちゃんとしたブログを書きました。長いスランプを脱してようやく書いたブログ、noteの方では17いいねも貰っちゃいまして、誰かに紹介もされたらしくて、本当によかった!やっぱり、じっくり何かを書く時間を取らないと本当にダメですね。時間をかけて一気に書くと、書くと言う行為によって気持ちが落ち着くし、できあがった作品に自己肯定感があがるし、そうするべきです。

https://note.com/jwu_nichibun/n/n25742b0493ce (いいねくーださいっ)

実は今年ブログ部4年生は日本文学科に表彰されました。よく頑張ったで賞を貰ったわけです(そんなライトな名前ではなく、ちゃんと歴史も権威ある日本文学科賞を受賞しました。ご推薦くださった皆様、本当にありがとうございます)。そこで、賞を貰えるんだったらちゃんと書かねば、と思って、しっかり書いたのがこのブログです。私は何か賞を貰うたびにずっと恩返しをしたいなと思っており、自分がたくさん支えてもらった分今度は後輩を支えたいなと思うわけです。そうなると社会に出てお金を稼いで寄付をするとかそういう話になってきて、社会のことを考えていたら、こういう内容になりました。

後輩にどう映っているかは分かりませんが、ブログ部4年生はいい感じの雰囲気です。先ほども書いたように、お互いがお互いのファンをやっているところがあり、いいと思ったものは素直に褒めあって、高めあって、ここまでやってきました。私はブログ部に入れてもらえて幸せ者だったなと思います。本学に来て、本学の良いところを沢山知って、大好きになって、自分を変えてくれたきっかけは色々とあるけれど、ブログ部で活動できたことは、かけがえのない同期たちの存在は、本当に大きかったと思います。

もうすぐ卒業してしまうのが悲しくて仕方がないですが、残りの大学生活もブログ部ライフも、後悔のないように楽しんでいきたいですね。

以上!良いお年を!

反芻

こんにちは。

今日は12月22日。カレンダーを見たら冬至と書いてありました。そうか、だからネットニュースにもかぼちゃの記事が出ていたのか。そういえば先日行った動物園のカピバラさんもゆず湯に入っていましたっけね。

私にとっては今日が2023年最後の授業日。そして最後のブログ更新日か・・・。前々回くらいに早く来い来い冬休み~という内容のブログを書きましたけれども、いざ冬休みとなるとあまり実感がわかないものですね。とりあえず今日は会ったお友達皆に「メリークリスマスよいお年を」と言いました。

思い返せば昨年のこれくらいの時期(正確には11月末)にブログ部へのお誘いを受けたのでした。もうすぐ入部から1年が経つんだ・・・。大学に入ってからいろんなことがあったな。1年生の頃の自分を反芻。そういえば、上手く答えられなかった質問が1つありました。

「大学に入って何か驚いたことはありますか?」

入学したて、いや、入学してから半年くらいは経っていたかな。とにかく昨年のまだ日の長い季節に先生や先輩から聞かれたことです。当時の私は結局何も思いつかず、答えられないままになっていたと思います。最近になってやっとその答えがいくつか見つかりました。今私の中で思い浮かぶのは次の2つです。

〇高校までと比べて、とても現実的。視点が変わる。

大学に入ってから高校までを振り返ると、高校までは何となく理想とか、分かりやすいものを学習していたような気がします。国語の授業で恋愛小説をほとんど扱わないとか、研究者によって解釈が割れている歴史の中の出来事も、教科書には1つの説しか出てこないとか。東洋史(史学科)の授業を受けてみたら、教科書本文にはその出版社の歴史的事象の捉え方が出るということで、教科書にそんな見方があったのか、と少々衝撃を受けたものです。(日本文学科は自由選択科目が比較的多く、他学科の授業も取ることができます。なかなか貴重な体験でした。)

学校の先生の見方も変わりました。これまでは生徒目線で先生という存在を認識していましたが、大学に入ってからは先生側の視点から学校の先生について学びます。学校の先生って知識も豊富で、すらすら堂々と授業をして、高校までの私は先生=特殊能力者なんだと思っていたのですが、大学に入って教職課程の授業を履修していく中で、学校の先生が生徒のために生徒からは見えないところで日々膨大な時間をかけて準備をしているということが分かりました。

もちろん日本文学科の授業でも高校までとは一味違う新しい学びがたくさんあります。あまりお話しすると専門的になってしまうので、大学の講義でぜひ実感してください。

〇時間帯に関わらず、カフェテリアはいつもカップラーメンの匂いがする。

大学生ってほら、きらきらしているイメージじゃないですか(きらきらとは・・・?あまり深く聞かないでください)だからお昼も何か、こう、ナイフとフォークで食べるものしか食べないのかと思っていたので(偏見)、カフェテリアに入った時のあの親しみのある匂いをかいだ時は少し驚きつつ、少し安心しました。女子大生もカップラーメンを食べます。これが現実です。だっておいしいんだもん。

ちなみにこの「カフェテリア」という呼称、ここではイメージしやすいので使いましたが、正確にはなんて呼べばいいのか分かりません。七十年館入ってすぐのフロアです。

そういえば本学の建物は、入り口のある階が1Fだったり2FだったりB1Fだったりと様々で、友人との会話の中では食い違ってしまうことも度々あります。ちなみに先程の七十年館入ってすぐのフロアは2Fです。

4月から大学生になる方、いえ、大学生に限ったことではありませんね、新しい環境に身を置く方、もしかしたらこんな質問をされる時が来るかもしれませんね。「ここに来て、何か驚いたことはありますか?」と。

P.S.

そうだ、すっかり言い忘れるところでした。

メリークリスマスよいお年を。