ご無沙汰しております、みちるです。
この処遇の不完全を呪う。これはあまりに平成の出来事すぎる。
そう悔いていたら、キーボードを叩くときの私の「叩く」は 触る と 叩く の中間だと気が付いた。
目玉商品、目玉企画という場合の「目玉」は一体何。まなざし優位の人類、正直しんどい。なにしろ人類が、正直しんどいのだ。
もはや視る機能を有さない目玉、を我々が認識する場合。本来であればいくつかの定理が必要になるのだが、生活のなかでそれが行われることはない。
さて目玉は、果たしてオブジェに数えてよいものか。
「見ないでください。話しかけないでください。こちらに近づかないでください」
さようなら、私たち。
さようなら2023年。
(間奏)
2024年の皆さん。
皆さんはきっと、私たちよりも素敵な存在様式のうえに成立していることでしょう。
大きな災害が続くでしょう。そこで我々は試され、消耗させられ、愛した土地を離れなければならないときが来るかもしれない。
「あなたが本日始めた営みの土台は、次の夏にきっと崩壊しますよ」
だまされた気がした。それで私の生活や学びが左右されることはないだろうし、崩壊の日にも私は悲しくなることがないだろう。
しかし心底、そういうことははやく教えてくれと思った。
まともに考えて、あらゆるサービスは期限つきである。それらはいわば隠匿されているに過ぎず、冷静な人々にとっては、永続するものがあると信じ込むほうが難しい。ただ、明確に期限を設定されたうえで開始する営みに対してどういう表情をつくったらよいかもわからない。寿命を知らされて生まれる人々の気分がこれにあたるのだろうか。そうした側面があるのなら――不謹慎な願いが生じてくる。
「――する気なら相当、――に生きなきゃいけない」
後の部分は「苛烈」と言ったか「過激」と言ったかは定かでなく、どちらであったかにより、話が変わってくる。
努力か死か、それしかないらしい。ならば2024年は努力を、それこそ苛烈な努力をしていかなければならない。
しかし過激に、投げやりにではなく過激にやっていく。私はそれがやりたいのだった。そしてそれが出来ないままここまでたどり着いてしまった。
開き直ることが出来ず、世界を統合することが出来ず、並列つなぎで最後は一つになる人間関係。
上目遣いで「よければ」と言われてすぐさま、心拍数が上昇する。困ったことになった。困ったことにはなっていないのにそう思い込んで判断を下すから、のちのち実際に大変困ったことが生じる。
アキ・カウリスマキの『枯れ葉』を観た。
各々の理由で職を転ずる労働者の男女。彼らは酒と歌の領域で出会い、のちに二人で映画館へ行く。そこで女は連絡先を書きつけて渡し、男が紙きれを失くしたことを知る由もなく彼の便りを待ち続けることになる。
男は彼女を待って、二人だけで行った唯一の場所である映画館の前に毎日通う。約束はなく、一生待っても女が来ることはないかもしれない。
女が映画館へ向かったのは、彼が帰ってしまった後だった。入口の扉の前には、見覚えのある銘柄の吸い殻が固めて捨てられている。そしてここに、偶然に支配された必然が存する。虚構でありながらきわめて理の領域にある演出だった。
私に心というものがあると考えた場合、明確に上の場面で掴まれたことになる。
その後も二人はすれ違い、そして両者は一つの場所へ、一つのシチュエーションへと向かい、別々にやってくる。
女は彼と二人の食事のためにアペリティフを買い、男はおそらく女が女であることを根拠として彼女のために花を買う。花を選ぶ男のまなざしは(おそらく脚本の意図に反して)優しく映り、私はこういう場面で素直に胸を高鳴らせてときめくことができる、そういう自分のことだけは好意的に把握している
『枯れ葉』が終わり、ケリー・ライカートの『ファースト・カウ』が終わり、2023年は終わる。
私の素直なときめきは錯綜した他者他者(人々、のような調子で)にぶつかり、鈍い音を響かせるだろう。
私の名を知りたいという相手に、望み通り名乗ってみると、
「あなたが そう であるという証拠を提示してください」
と厳しく受容されたのがとんでもなく可笑しい。
そう である、というのは?名称・記号と私が一致することを示した後は、私が私であるという証拠を提示しなければ不完全だ。しかし、私であるという状態についてその同一性を根拠づけるものを提示することは簡単ではない。まずは物として、次にあなたの前にある何かとして、そして自分として、の、私。どうでもよい誰かではなく、あの相手であるからこそ、論証を試みる必要があった。
日常の場面では丁度不自然に思われる程度の長考を経て、私は仕方なく相手の眼前に保険証を翳した。
相手は黙してそれを見つめたあと、
「本当だ、名前が。――っていうんだね」
と意外そうに呟いた。
名前が本当で助かった。
そんな誰かは2日の始発で羽田へ向かうわけで。だいたい、年越しなんてしたくない。私はやめようって言ったからね。こういうこと言ってくる人間、いますよね。こういうこと言ってこられるのも困るので、来年からは廃止にします。
ああ、私のせいで世界が終わってしまいました。
まだ終わっていない皆様におかれましては――。
災害に、戦争に、抑圧に、病に、希望に、愛に、どうかお気を付けください。
またお手紙書きますね、大好きです。 みちる