私の言葉。

こんにちは、あこです。

いよいよ、最後のブログ更新です。

大学生活4年間を振り返ろうかな。ブログ部での活動を振り返ろうかな。家族や友人、先生たちへの感謝の言葉を綴ろうかな。卒業式の話をしようか。4月からの抱負を書くのもいいかも。

考えてないようで、色々考えていた、最後のブログ。

けれど、何事も予定通りにはいかないものですね。

書きたいこと、いや、私が書かなればならないことが、分かってしまいました。

最後くらいカッコよく終わりたかったけれど、カッコ悪いまま終わるのもまた、あこらしいのかも。

乱文の予感。

そうかもね。いや、きっとそうだ。

“痛い”ブログになるかも。

うん。私もそんな気がする。

やっぱり、内容を変えた方が良い?

それもアリだね。でもきっと、3月中には間に合わないよ。

そもそも、ご自分が”上手い”ブログを書けるとお思い???

確かに。それもそうだ。

今更、何も気にすることはない。

いつも通り、とりあえず書いてみよう。

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昨日、弟と大喧嘩しました。

もちろん「お前なんて大嫌いだ!」「バーーカ!バーーカ」「バカって言う方がバカなんだ!バーーカ!」みたいなかわいい(?)喧嘩ではないですよ。

姉(22歳)と弟(20歳)が己の命と誇りを賭けて闘う、例のヤツです(激やば)

序盤は、いつもの喧嘩でした。(”いつも”とは)

①些細な出来事が起こる→弟不機嫌になる

②(弟曰く)あこが棘のある言い方をする→弟かちーーん

③かちーーんの態度に対して、あこが一言申す

④弟、更にかちーーん

⑤口を出すなと言われ、あこもかちーーん→解散

はい、ここまでは世間様でもよくありますよね(圧)

些細な出来事始まり、険悪ムード終わりってヤツです。

こういう時は、時間が大事。

とにかくその場を離れて、それぞれの部屋に引っ込む。お互いに顔を合わせない。

大体、それでどうにかなります。(あこ調べ)

ただ、昨日はそうはならなかった。

色々あって前日の出来事が持ち出され、互いが感情的になり、昨日どころか過去の出来事まで遡り、母も巻き込んで、更にヒートアップという、稀に見るカオス具合でした(恥を知れ)

因みに、”前日の出来事”とは、昨日の前日、つまり一昨日の夜に行われた、弟に関する話し合いのこと。

まぁ”話し合い”と言うよりは、弟が話をして、私と母が「いやちょっと待て」「〇〇についてはどう考えてるんだ」「⬜︎⬜︎はどうするの?」と、ツッコミ&質問をしながら聞いている、という感じ。

本当は話の内容を書いた方が分かりやすいと思うのですが、その内容があまりにアホ&突飛すぎて、今の段階で人様にお話できるような話ではないので、内容は伏せておきます。

まぁとにかく、突飛でアホだけど、真面目な弟の話を、私は前日に聞いていたワケです。

ただ、それは私にとってあまりに衝撃的で、昨日もずっと、頭のどこかに”その話”がありました。

だからこそ昨日はいつもより感情的になったし、私自身がカチンときたし、”落ち着く”ことができなかったのだと思います。

そしてその大喧嘩の中盤。私は弟にこんなことを言われました。

「あこはいつも、俺を見下してる。それが本当に許せない。俺が中学の時だってそうだった。

俺が、テストで学年1位だったって言ったら、「あなたは〇〇中学で1番なんでしょ。そんなの大したことない。私は日女で3番なんだから。」って、言ったじゃないか。そういうところが、本当に嫌なんだ!!!」

衝撃でした。

正直、その発言自体は覚えていません。ですが、似たような事に関する別の発言で、母にこっぴどく怒られた記憶は鮮明にあります。つまり、こういった発言は1度や2度ではなかった、ということです。

自分の発言について、弁解するつもりはありません。学校の知名度や偏差値について何かを言う、更には、比較してバカにしたような発言をするというのは、最低な行為です。

自分の発言を正当化するつもりもありません。というか、どこをどう切り取っても、どんなに”良い”解釈をしようとしてもできないくらい酷い発言だから、正当化なんてできるはずがありません。

ただ、そんな発言をしておいて「信じてくれ」とは言えませんが、今のあこは、あの時とは違います。

結果として、弟は大学受験をし、他大学へ進学しました。ですが、もし彼が受験をしなくても、そしてもちろん、弟ではない方々に対しても、あの時のような思想を持って、あの時のような発言をすることはありません。

でも。

今の私がどんなに反省し、あの時から”変わった”と言っても、あの時の言葉が、あの時の”傷”が、”なかったこと”になることはありません。

私はあなたのことを見下していない。あの時はそう言ってしまったけど、少なくとも”これまでずっと”見下していたなんてことは、絶対にない。本当は、怖かっただけ。秀でていない自分を認めるのが、怖かっただけ。

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ずっと、弟より秀でていたいと思って生きてきました。

「優秀でありたい」というプライド以上に、「秀でていなければ」という焦りがありました。

生まれながらに心臓が弱かった弟。入退院を繰り返し、幼い頃は、目の前で何度も、救急車で運ばれていきました。

その度に、私は祖父母に預けられ、母はポテトチップスと短い手紙を置いて、付き添いのため、足早に病院へ向かいました。

祖父母は優しすぎるほどに優しかったし、その頃は曽祖母も生きていたから色々な意味で活気もあって、普通の家族のようでした。

小学生になると、私は”弟の姉”になりました。

弟が休むたび、職員室へ、連絡帳を届けに行きました。

「〇〇君のお姉ちゃん」

私のことを尋ねた校長先生に、担任の先生は、そう答えました。

「ああ、〇〇君のお姉ちゃんね」

校長先生はそう言って、教室から出て行きました。

他の友達は、その子自身として認識されているのに、私は”〇〇君のお姉ちゃん”でしかない。

姉や兄を持つ子達が、「〇〇ちゃんの妹さん」「〇〇君の弟くん」と言われるのは、分かる。

だって、姉/弟より「後」に、入学しているのだから。

でも、私は、弟より2年も「先」に入学した私は、なぜ「〇〇君のお姉ちゃん」と呼ばれなければならないのか。

私は、「私」ではない。

「〇〇くんのお姉ちゃん」という言葉は、重く、重く、私にのしかかってきました。

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命の危険がある息子と、命の危険がない娘。

病を抱えた孫と、病を抱えていない孫。

手術が必要な弟と、手術の必要がない姉。

どちらが”大変”か、どちらに手をかけるべきか、それは明らかです。

もちろん、私も分かっていました。小学生、何なら弟が生まれた時から、分かっていました。

それでも、やっぱり、心のどこかで、私を優先してほしい気持ちがありました。

私の話だけを、聞いてほしい。私のことだけを、見てほしい。私のことだけを、考えてほしい。

何かがあった時、もしも何かが起きた時、私はきっと、”優先”されない。

例え、”その時”までは、私のことだけを見ていたとしても、”その時”が来たら、きっとみんな、弟の方へ行ってしまう。

当然のことです。別にそれが「弟」と「姉」でなかったとしても、人として、それは正しい選択です。

だけれど、最後に選ばれるのは、私ではない。

その悲しさと一抹の不安感は、言葉にできないモヤモヤ・イライラとして、心のどこかに、居座り続けました。

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私は中学受験をして、女子校へ入りました。

女子校なので、弟は入って来られません。

「弟がいる」

そう言わない限り、私に弟がいることは誰も知りません。

「〇〇君のお姉ちゃん」

そう呼ばれることも、もちろんありませんでした。

弟は、中学受験をして地元の私立へ入りました。

本当は、別の中学を受験したいと言っていました。塾の集団クラスに入って、皆と一緒に勉強して、皆と同じように受験をしたいと、思っていました。でも、それは体力的にできないから、個別教室で対策を重ね、地元の私立中学へ入学しました。

そして、勉強に目覚めて、ぐんぐん成績を上げていきました。

私はそれが、怖かった。

小学生時代、私の方が勉強ができました。

中学時代も、紆余曲折はあったけれど、そこまで”悪い”方ではありませんでした。

「勉強と運動だけが、判断基準ではない」

「人間としての豊かさとは何か」

勉学はもちろん、運動や芸術に長け、様々な経験を積み、自分たちらしく、自分の人生を強く生きようとする友人たち。

勉強はその人の”一部分”でしかない、ということはさすがに分かっていましたが、それでも自分が”頑張っている”対象としては、やはり”勉強”がありました。

私と弟の道が、再び重なるような気がしました。

ただでさえ”関心”を引く弟なのに、私よりも”優秀”になってしまったら、私はどうなってしまうのか。

私の分野に入ってこないで。これ以上、私を”サブ”にしないで。「〇〇君のお姉ちゃん」にしないで。

負けたくない。そういう気持ちも、もちろんありました。

だけれど、ええ、この際、ハッキリ言いましょう。

私は、弟にコンプレックスがありました。

人に優しく、人に愛される弟へのコンプレックスと、家族に構ってもらえることに対する嫉妬心とが、心の中でぐちゃぐちゃに混ざり合っていました。

実際、「私の分野」と言うほど、私は成績がめちゃめちゃ良かった訳でも、周囲から一目置かれていた訳でもありません。

でも、当時の漠然とした「弟より秀でていなければならない」という焦りは、真っ直ぐそのまま”勉強”に向かっていました。

正直、その焦りがいつまで続いたのか、私は覚えていません。

こんなに「焦りが〜」とか「不安感が〜」とか言っといて何だよって思われるかもしれないけれど、本当に、分からないのです。

個人的には高校2年以降は色々安定してきてた(気がする)ので、高校1年生の時には抜けてきていたのでしょうか。よく分かりません。

でも、きっと、弟にそう言った時には、まだまだ”渦中”だったのだと思います。

だから許して、なんて言えないけれど、あの時はごめんね。本当に、酷いことを言いました。

*****

3年間、ブログ部員として、自分と、そして自分の言葉と、向き合ってきました。

卒業式では、答辞という大事なお役目をいただき、多くの方々の前で自分の言葉を話すという、大変ありがたい機会にも恵まれました。

あこちゃんの文章はリズムが良くて、心にスッと入ってきたよ。

あこちゃんの文章は、穏やかさの中に”熱さ”があるよね。

あこさんの優しい人柄が、滲み出ていたと思います。

そう、言ってくださる方々がいました。とても嬉しかったです。

言葉は、目には見えません。

書き残したり、録音したりしない限り、記録に残ることはありません。

しかし、言葉は残ります。

人の心に、人の思い出に、記憶として、残ります。

なかったことには、できません。

“撤回”することも、できません。

言葉は、時に優しく、時に厳しく、誰かを勇気づけるかもしれません。

言葉は、時に寄り添い、時に励まし、誰かの傷を癒すかもしれません。

言葉は、時に鋭く、時に無遠慮に、誰かの心を引き裂くかもしれません。

誰かを思い浮かべる時、どんな言葉が浮かびますか。

人生を振り返る時、どんな言葉が思い出されますか。

あなたは、どんな言葉と共に生きてきたのだろう。

そして私は、どんな言葉をかけて生きてきたのでしょう。

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ブログ部員として活動した約3年間。

3年間の私の言葉が、ブログとして、ここに残っています。

これらの言葉に、嘘はありません。

もちろん、今日のブログにも。

その時、その時に、思ったこと・感じたことを書いてきました。

心は常に、変わっていきます。

心は、ナマモノです。

その時でなければ、感じることができません。

その時でなければ、書くことはできません。

だけど、”言葉”は違います。

(筆者/発話者の意図に関わらず)、”その言葉”として、相手に、そして未来に、残ります。

4年間、言葉と向き合ってきました。

22年間、言葉を使って、生きてきました。

これからも、言葉と共に、生きてゆきます。

私の人生の側には、いつも言葉がありました。

あなたの人生の側にも、きっと言葉が、ありました。

人は、言葉を紡いで生きてゆく。

私は、私の言葉と共に、生きてゆく。

どんな言葉を、かけたいか。

どんな言葉を、残したいか。

どんな言葉と、生きたいか。

これまでにかけられた言葉。これまでに紡いだ言葉。これまでに、出会った言葉。

全部、全部抱き抱えて、私たちは前へ進みます。

ありがとう。そして、ごめんね。

お世話になった、全てのひとへ。

あなたの人生が、あなたにとって、素晴らしい日々でありますように。

健康で、幸せで、そして平和な日々で、ありますように。

あなたがあなたとして、生きられる日々でありますように。

また、どこかでお会いしましょう。

それでは、また。

良いとこ、日本。

こんにちは、あこです。

2ヶ月ほど前にブログ更新の無遅刻・無欠勤を宣言したあこですが、既にどちらもやらかしてしまいました。三日坊主にも程がありますね。ほんと、すいません…

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2月下旬から3月上旬まで、卒業旅行×2 に行ってきました!

ということで、今回は卒業旅行行ってきたよ、というお浮かれブログを書こうと思います。

時差ボケも治りつつある今、コンディションは最高です(何の報告)

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まず、卒業旅行Part1として、2泊3日の青森旅行 with母 に行きました。

元々、高校を卒業するタイミングで、未だ一度も上陸したことのない九州地方への旅行を計画していたのですが、コロナの影響で断念。

その後も機会に恵まれず、結局大学の卒業旅行になってしまいました。

ですが、本来の行き先は九州地方。なぜ真反対(?)の東北地方になったかというと、

① 観光しない旅行がしたくなったから

②友達にオススメされたから

です。「観光したくない」と言うと、多方面に誤解がありそうなので弁解しますが、青森も九州も、素敵な観光地が沢山あります。

ただ、年を重ねるにつれて、人混みが辛くて辛くて。

観光には多大なるエネルギーが必要な訳です。

旅行を計画した12月は、卒論と卒論と卒論にバテバテな期間。とても、観光する気分にはなれませんでした。

と言うことで、どこが良いかな〜と思っていた時、10月の北海道旅行時に友人が言っていた言葉を思い出します。

「青森にある青森屋、超良かったよ〜!!」

青森屋は星野リゾートが手掛けるお宿の一つで、祭りや郷土料理、露天風呂や伝統工芸体験など、青森の文化と魅力をギュッと凝縮した、素敵な空間です(語彙力)

加えて、青森屋は星野リゾートの中でも敷地面積が広く、敷地内を散策したり、小さな馬車で公園を回ったりと、とにかく「敷地内で」楽しめます。

新幹線と飛行機のどちらでも行くことができ、無料送迎バスも出ているとのこと。ふむふむ、アクセスも良好なのですね…

君に決めた〜!

ポケ◯ンハンターばりの決断力で、行き先が決まりました。

結果、めちゃくちゃ良かったです!

広大な公園も、露天風呂も、館内のアクティビティも、朝夕のお食事(ビュッフェ)も、本当に全てが良かったのですが、特に印象的なのは敷地内にある古民家レストラン「南部曲屋」と”みちのく祭りや”です。

かつて名馬の産地と言われた青森県南部地方では、馬は家族の一員のように、大切にされてきました。「南部曲屋」は、その名前の通り、母屋と馬屋が一続きになったL字(=曲がってる!)の建物で、実際の古民家が移築されて出来たそう。

昔懐かしい囲炉裏や、青森県のブナの木(←蓄積量日本No.1らしいです!)を使ったBUNACOの照明器具が、ゆったりと落ち着いた雰囲気を作り出していて、ほんっとうに最高でした。

そして何より感動したのは、青森に伝わる伝統料理・七子八珍(ななこはっちん)。

どのお料理も本当に美味しかったのですが、最初にいただいた七子八珍は衝撃的でした。

そもそも七子八珍とは、筋子やたらこなどの7種類の魚卵、なまこやうに、白魚などの8種類の珍味を使用したお料理で、日本海・太平洋・津軽海峡に囲まれた青森県では昔から親しまれていた食材だとか。

実は、私は魚卵系やナマコが得意でなく、伝統料理とはいえ七子八珍は食べれないかも…と危惧していました。

しかし、意を決して一口食べてみると、めちゃくちゃ美味しい。

ポ◯ョ、ナマコ、スキ〜〜〜(そろそろ怒られろ)

鮫の南蛮漬け、あん肝の照り焼き、蛸の子と蕪の含ませ、白子八方煮…

どれもこれも、正直「クセつよ」な食材なのですが、それがほんっとうに美味なのですよ(誰)

七子八珍の後のお料理も本当に美味しく、最&高でした。

青森へ行った際には、ぜひお試しくださいね。

次にご紹介したいのは、青森屋で毎晩行われるお祭りショー「みちのく祭りや」です。

みちのく祭りやでは、青森を代表する4つのお祭りである ①五所川原立佞武多(ごしょがわら たちねぶた)、②弘前ねぷたまつり、③八戸三社大祭、④青森ねぶた祭 を観ることができ、厳しい寒さの冬を耐え、春の到来を喜び、夏の祭りで溢れんばかりの情熱を爆発させる青森人(あおもりびと)たちの魅力を、全身で感じることができます。

映像や照明に加えて、目の前での三味線演奏や歌い手、祭りばやしのリズムに、会場はねぶたの世界へどんどん引き込まれていきました。

また、何より驚いたのは、ショーの出演者(語り人や跳人、お囃子)は、青森屋の従業員さんだということ。

あまりにもショーが”熱い”ので、お稽古を積んでいる地元の高校生や若者が来てくれているのかと思っていましたが、まさかのまさか。ホテルスタッフ業務と並行して、ショーの練習に勤しんでいるそうです。

(実年齢の意ではなく)若くて、熱くて、まっすぐな演者さんたちの姿に、正直、泣きそうになるくらい、感動しました。

実際のお祭りを見たことがある方もない方も、是非とも”体感”していただきたいです!

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青森屋さんには2泊3日お世話になったのですが、2日目のお昼には敷地内から出て、三沢駅周辺を散策しました。お蕎麦やスコーン、地元の銘菓など、主に母が気になっていたお店をいくつか巡ったのですが、その道中には、正直「人、住んでる???」と不安になるような寂しい区域もありました。

青森屋へ行く最中の電車にはスーツケースを持った日本人・中国人が沢山いて、「みんなどこへ行くんだろう?」と思っていたら、全員が青森屋の宿泊客だったということも。

三沢は、とても良いところでした。魅力も沢山、あると思います。

でも、もし青森屋がなかったら???

もし、この宿泊客がいなかったら???

想像してしまったのも、事実です。

私は、日本が好きです。四季があって、自然が美しく、それぞれの地に根付いた文化や伝統があり、新しさもある。自然と、文化と、歴史と、全てが揃った日本が、大好きです。

だけれど、それだけで、良いはずがない。

多くの人に魅力を知ってもらって、多くの人に来てもらって、多くの人に伝えてもらわないと、その文化は、その地域は、廃れていってしまいます。

一地域の問題ではなく、日本全体の問題として、あまりにそれは残酷です。

ですが、逆に考えれば、青森屋があることで、三沢をあまり知らない人々が三沢を訪れ、楽しみ、三沢という地を知った、ということ。

ホテル業って、観光業って、めちゃくちゃすごくないですか???

まだ自分の中でまとまっていないので、言語化できないですが、青森旅では、色々なものを見て、色々なことを感じ、色々なことを考えた3日間となりました。

とても楽しかったです!ありがとう、青森!!!

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青森旅行の話が想定以上に長くなってしまいました。

気持ち的には、次回のブログで続きを書きたいのですが、次回は最後のブログ更新。

最終回(!)は、卒業式を終えて、大学生終わる〜〜〜という感慨を書いた方がいい気がする(←書けるのか??)ので、だいぶ長くなりましたが、今回のブログ、まだまだ続きます。

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卒業旅行Part2は、ヨーロッパ旅行with友達 にいきました。

ヨーロッパ旅行、というとなんだか気取った感じですが、①ロンドン ②フランス(パリ&モン・サン・ミシェル)③オランダ(ハーグ)④ベルギー(ブリュッセル&アントワープ)に、7泊9日で行ってきました。

書きたいことは色々ありますが、そろそろ指が疲れてきたので、特に(!)印象的だったことをいくつかご紹介します。

①ロンドン

バッキンガム宮殿での衛兵交代や、”世界一の百貨店”として知られる老舗デパート「ハロッズ」(←2017年に日本から完全撤退してしまいました😢)、日本では紅茶で有名なフォートナム&メイソン、歴代イギリスの国王の戴冠式や、結婚式などの王室行事が行われる教会・ウェストミンスター寺院など、様々な地を巡りましたが、特に印象的だったのはビッグ・ベン。

The観光地ですが、ビッグ・ベン、舐めてました。

ガイドブックで見た時は「ほぉーん、これ有名なやつだ」「そういえば、名探偵コ◯ンで、新一が蘭ちゃんに告白した所だったな」と思うくらいで、正直、特に興味はありませんでした(←失礼)

ですが実際に目にすると、「え、大きい!」「え、すごい!」「え、めっちゃ綺麗!」「え、細か!」「え、好き!」

感動しまくりでした。

近くで見ると本当に緻密で、カッコ良さ倍増。

最高でした。

他に印象的なのは、The Goring Hotelでいただいたアフタヌーンティー。

アフタヌーンティーの本場でアフタヌーンティーをしたい、という友人たっての希望で、実現しました。

The Goring Hotelはゴーリング家による家族経営のホテルで、創業から100年以上続く、由緒あるホテルです。2年前に亡くなったエリザベル女王もよく訪れており、最近では結婚前のキャサリン妃が独身最後に家族と過ごしたホテルとして有名になったそう。

私たちは一番王道な、トラディショナルアフタヌーンティーをいただいたのですが、特にサンドウィッチが美味しすぎました。一瞬バターと間違えるほど甘みの強いチーズのサンドや、卵サンド、サーモンやキュウリのサンドなど、計5種のサンドウィッチはどれも美味しく、勧められるがままにおかわりまでしてしまいました(笑)

ほんのり温かいスコーンは、クロテッドクリームとジャムをたっぷりのせていただきます。

もちろん紅茶もとても美味しく、晴々とした空と美しい庭を見渡せる窓側のお席の良さも相まって、最高の時間を過ごすことができました。

印象的だったのは、男女問わずお一人様が多く、私の場所から見ただけでも、3人の方がお一人でいらしていたこと。また、男性2,3人で楽しんでいらっしゃる方もいて、イギリスという地において、アフタヌーンティーがどれだけ愛され、親しまれているのかを感じることができました。

友人と、家族と、そして自分1人でも。

素敵な空間と美味しいお食事は、どんな国でも、心を豊かにしてくれます。

ロンドン、色々あったけど、良いとこでした。

②フランス

フランスでは、パリとモン・サン・ミシェルへ行きました。

まず、パリで最も感動したのは、凱旋門。

いつものことながら、実際に見るまでには凱旋門にはあまり興味がなく、どちらかといえばエッフェル塔の方が「見たい!」熱がありました。(←私は東京タワーが大好きなので、似た形のエッフェル塔にも憧れていた次第)

ですが、凱旋門。見たら、すごかった(何度目)

圧倒的存在感。

ナポレオンの命により、30年かかって、やっと完成した凱旋門。そして、命を下したナポレオン自身は、生きている間に見られなかったという切ない背景。

ナポレオン、君はこんなにも素晴らしい門を見られなかったのか….

250年前に思いを馳せつつ、感動しまくりでした。

あと、印象的だったのは、パリのマダム達。

まず、めっちゃオシャレ。

人生、楽しんだもん勝ちよ。って感じが半端ない(語彙力)

夜遅く(21時頃)でも、マダム2人でカフェしてたりと、「家族だけじゃないのよ。自分の人生を生きなきゃ」感、半端なかったです。

それに、パリのおじいちゃんとおばあちゃんは、ほぼほぼ手を繋いでます。

しかも2人ともカラフルでおしゃれ。

なんか、めっちゃ良いなって思いました(軽)

はい、次はモン・サン・ミシェル。

これもまた、お友達が提案してくれたおかげで行けました。

パリからモン・サン・ミシェルまで、バスで4時間。東京から名古屋間くらい離れてるって言っていたような。

というのも、元々車酔いが激しいあこは、開始20分で酔い始め、薬漬け。あと、とにかく寝て、悪化を防ぐ。

なので、到着までの記憶はほとんどありません。(せっかくのバスツアーなのに、ガイドさんの話ほぼ聞いてない!)

ですが、到着すると「え、ほんとに浮いてる!」と気分はアゲアゲ(←死語?)

「昔は車が近くまで来れたから、海の満ち引きに応じて車の移動を促すアナウンスが流れてたんだけど、ある時、どうしても移動しなかった車があって、結局干潟に沈んだんですよ〜」

という、恐ろしい小話をガイドさんがしてくれました。

こんなところで車がお釈迦になったら、絶望でしかないです。

島の大通りを進んで、修道院の中を巡り、ガレットを食べ、お土産を買い、とても楽しかったです。

修道院の内部はとても厳かで、案内板がなかったら絶対に迷ってしまうような、複雑な構造。

ちょっと怖さを感じてしまうくらいの、重々しさでした。

個人で行くとなるとなかなか大変なので、モン・サン・ミシェルへ行く方は、バスツアーをお勧めします。

ツアーによっては途中でノルマンディーの村も寄ってくれるので、パリとはまた違ったフランスの魅力を感じられると思います!(ノルマンディーはノルマンディーでこれまた良いのよ…)

③オランダ(ハーグ)

2泊3日だったロンドンとフランスに対し、こちらは日帰り。

電車の都合で、滞在時間は5時間でした。

ですが、ハーグはどうしても行きたい地で。

というのも、フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」やレンブラントの「テュルプ博士の解剖学講義」等が所蔵されているマウリッツハイス美術館へ、とってもとっても行きたかったのです。

正直に言うと西洋美術はあまり詳しくないのですが、数年前にフェルメール展を観てから、フェルメールやゴッホ、レンブラントなどのオランダの画家が気になり始め、時々、美術館にも足を運ぶようになりました。

美術に興味を持ったきっかけであるフェルメール。彼の作品、しかもあの「真珠の耳飾りの少女」を含む3点のフェルメール作品が展示されている美術館なら、行かないわけにはゆきません。

かつ、建物自体も非常に美しく、17世紀半ば建造のオランダ古典様式建築の代表とされる建物に入る美術館だとか。これは、絶対見なきゃでしょ。

結果、最高でした(←感想が適当すぎる)

館内の人は、多すぎず少なすぎずで、少し待てば、絵の真正面に立って、じっくり、ゆっくり、鑑賞することができます。東京で開催される〇〇展より、ずっと空いています。

時間帯もあるかもしれませんが、「この作品、こんなにゆっくり観て良いんですか」と不安になるくらい、すっごく堪能できました。

本当はアムステルダム国立美術館にも行きたかったけれど、日程の関係で諦めました。でも、本当、満足。

これからの長い人生の、楽しみにとっておきます。

あと、ハーグではチーズ屋さんをハシゴしました。

下から上まで、棚一面に積み上げられたチーズは、圧巻。友人曰く、オランダはフランスやイギリスよりはるかに物価が安いということで、チーズを大量買いしました。どのチーズもとても美味しいです。(今、お土産のチーズを食べ始めているのですが、特に父がハマっています。お取り寄せしよう!と言っていますが、本当に実現するのかしら笑)

日本にいるとプロセスチーズの方が馴染みがあると思いますが、やはりナチュラルチーズは美味しいです。少しお値段は張りますが、色々試してみたくなりました。(もちろんプロセスチーズも美味しいですよ!)

④ベルギー(ブリュッセル&アントワープ)

ベルギーは、ブリュッセルとアントワープの2都市を訪れました。

アントワープは、オランダ(ハーグ)へ行く途中に下車した地で、ベルギーの都市ではあるものの、オランダ感を強く感じました。(道で聞こえてくる言葉も、オランダ語だったような。)

アントワープ中央駅は、世界で一番美しい駅と言われるほど、豪華な建築が魅力。

「世界一美しい」と言うと、東京駅のような外観の美しさをイメージしていたのですが、何より驚いたのは内観の美しさ。正面入り口から駅に入ると、目の前には大きな階段と、ガラスのドーム型屋根が。

煌びやかでありながらも荘厳で、重厚感を感じる、素敵な駅でした。

因みに、アントワープはダイヤモンド研磨の聖地とのことで、駅から大通りに出ると、ダイヤモンドのお店がたっくさん並んでいました。さすがに購入はしませんでしたが(笑)、見ているだけで「ダイヤモンドの街」を体感することができました。

また、ブリュッセルでは、かの有名な小便小僧やグランプラス、王立美術館(念願のマグリット作品を観てきました。「イメージの魔術師」との異名を持つ彼の作品を実際に見られて、感動でした!)などを訪れたり、メゾンダンドワ(←ベルギーで人気の老舗ワッフル屋さん。以前は東京にも支店がありましたが、閉店してしまったようです..)でワッフルを食べたり、幾つかのチョコレート店を梯子したりと、旅行最終日に訪れたということもあって、気忙しく過ごしました(笑)

ですが、ロンドンやパリ、オランダとはまた違った雰囲気に、ワクワクキョロキョロ(←危ない)しながら、楽しみ尽くせたように思います。

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このように、7泊9日、色々ハプニングはありながらも、無事に、楽しく過ごすことができました。

思い出は沢山ありますが、旅全体の印象として感じたのは、

①みんな、英語話せる

②日本、まだまだやれる

ということ。

ロンドン(=イギリス)の人が英語を話せるのは当然ですが、フランス語が公用語のフランスとベルギー、そしてオランダ語が公用語のオランダでも、英語が通じます。

というか、通じるどころか、めちゃめちゃ話せます。

ロンドンの駅ではパリから来たお兄さんに英語で話しかけられ、パリの日本料理店では隣に座っていたパリのマダムと英語で話し、オランダのチーズ店ではお店のお兄さんが英語で接客をしてくれました。

今まで行った国々では英語が公用語だったので、私の英語が通じなくても、また、相手の言っていることがわからなくても、「現地の言葉だから分からないし〜」という感覚でした。(伝われ)

ですが、今回は違います。

母国語が英語でないことは同じはずなのに、フランス、ベルギー、オランダの方々はめちゃめちゃ英語を話せます。

それに対し私は、フランス語は少し履修したとはいえ、オランダ語に関してはちんぷんかんぷん。

もし、英語が話せないままにオランダに行ってしまったとしたら、私は現地の人と何も話せません。

「英語」の重み、そして、「グローバルな現代において英語が話せることは当然」と言われることの意味を、ようやく理解しました。

英語、勉強します。

次に、②。

女子2人で旅をしていたからか、どの国へ行っても、色々な人に話しかけられました。

駅や空港のスタッフさんが「コンニチハ〜」「アリガト〜」と言ってくれることはもちろん、街中やスーパーでは、「僕の友人は日本で働いてるよ」「僕の友人が、日本は良いところだって言ってた」「日本は物価が高いイメージだけど、実際はどうなの?」「東京は新しくて、京都はトラディショナルな地域なんだよね」「私はずっと日本に行ってみたいと思ってたの」「日本の建築はどんな感じ?」「日本では英語が通じるの?」「日本とパリでは何が違う?」「日本はどんな国なの?」

男女問わず、そして年齢に関わらず、本当に、本当に、色々な人から聞かれました。

街に出ればユニクロの広告、トイレに行けば三菱電機のハンドドライヤー。他にも色々、日本の会社がありました。

「どこから来たの?」と言われて「JAPAN」と返せば、「知ってるよ!」「コンニチハ〜!」と言ってくれることの喜び。ヨーロッパからはずっと離れた、こんなに小さな国なのに、日本を知っている人がいて、「行きたい」「知りたい」と思ってくれる人がいるありがたさ。

時々、日本、もう無理???と思ってしまうことはあるけれど、それでもやっぱり、日本という国に興味を持って、親しみを感じてくれる人は、沢山います。

勝手に未来を悲観して、下を向いてる場合じゃない。そう、思わせてくれました。

日本、良いとこだから、来てみて!!!

*****

だいぶ、長いブログになってしまいました。

お浮かれブログなので、ところどころ言葉が乱れております(言い訳)

青森とヨーロッパ。遠く離れた地ですが、どちらもとても楽しく、充実した時間でありました。

日本に生まれ、日本で育ち、そして、きっとこれからも日本で生きていく者として、沢山のことを感じ、考えることができた卒業旅行。今感じたことを忘れず、4月からも頑張るぞ、と気を引き締めたい(←願望!!)あこでした。

それでは、また。

FIREのススメ。

こんにちは、あこです。

今日はバレンタインですね。

中・高・大と女子校に身を置いているあこにとって、バレンタインはたくさんのチョコを渡し、たくさんのチョコをいただきまくる”ありがたい”日。

コロナ禍を経た今となっては「古い慣習」だと思いますが、(少なくとも中学までは)手作りチョコが主流でした。だから、チョコを作らねばならぬのです。お菓子作りはおろか、料理、モノづくりすら興味のなかった当時のあこにとって、それがどれだけ辛かったか。

加えて、中学までは”お菓子NG”という規則がありました。それなのに、部活動では先輩にチョコを”献上”しなければならないらしい。

学校のルールは破りたくない、でも絶対みんなはチョコをくれてしまう。

絶対にバレたくない、でも先輩に渡さないといけない。

絶対に怒られたくない、でも”頭の固いやつ”とは思われたくない。

考えた結果、何かとチョコを混ぜたザクザクの塊を茶封筒に入れて友人・先輩たちに配ることにしました。(中1)

そしてバレンタイン当日。

今思えば、先生たちも”諦めていた”のだと思いますが、学校へ行くと、そこは普通に「バレンタイン」でした。

仲の良い友達へ、憧れの先輩へ。可愛いお菓子がビュンビュン飛び交います。

クオリティの高いお菓子が、素敵にラッピングされて、私の元にも届きます。

「ありがとう〜めっちゃ可愛いね!?」

チョコを貰ったら、チョコを返すのが人情というもの。

こう見えて、あこは義理堅い人間なのです。

茶封筒に入ったザクザクの塊チョコを、一人一人返しました。

先輩にも、渡しました。

友達にも、あげました。

「なんで茶封筒に入ってんの!?」

と驚き、笑いながらも受け取ってくれた同級生たち。

「あっありがとうね☺️」と、若干の動揺を見せながらも菩薩のような笑顔で受け取ってくれた先輩たち。

あの節は、本当にありがとうございました。

中2・中3のバレンタインはどう乗り越えたのか覚えていませんが、確か母に作ってもらったマドレーヌ(←これはちゃんと美味しい)を、母にラッピングしてもらって渡していたような気がしなくもないです。

あたかも私が作って私がラッピングしたかのような素ぶりで渡したこと、今ここに懺悔します。

高校生になってからは手作りを卒業(!)し、なけなしの財力で乗り越えました。

チョコを選ぶ楽しさを知り、バレンタイン催事にも足を運ぶようになりました。

高2の時にはついにバレンタインでチョコを渡すことを辞め、チョコをくれた人を覚えておいて「ホワイトデーに返す」というイケメンポジ(!)に勝手に就きました。

そして晴れて大学生になり、バレンタインからは完全に足を洗いました。

バレンタインを利用して感謝の品を贈ることはあっても、大量生産・大量受取の時代は、もう終わり。

ただ、美味しいチョコレートの発掘はいまだに好きなので(←チョコに限りませんが。)百貨店のバレンタイン催事はやはりワクワクします。

「この人は〇〇な感じだから、あのチョコがいいかな〜」

「このチョコにはこんなこだわりがあるんだ!」

「普段は〇〇でしか売ってないチョコが、ここで買えるのですか!?!?」

今年のバレンタインも、美味しいチョコレートに出会いました。(沖縄発のBEAN to BARチョコレートブランド・TIMELESS CHOCOLATEさんです。自家焙煎されたカカオ豆は香り高く、深いコクと甘みをもつ西表島黒糖とよく合います。皆さまもぜひお試しください!)

バレンタイン、最高です。

*****

バレンタインに限らず、誰かと何か(手紙,メール,プレゼントetc.)をやり取りすることは、とても嬉しくて、幸せなことです。

幼い頃は単純にモノを貰えることが嬉しかったあこですが、自分が”贈る”立場になって、”贈る”前の”選ぶ”行為、更には”選ぶ”前の、相手を”思う”気持ちがカタチになったものこそが、目の前の「モノ」なのだと気付けました。

何かを貰うということは、その人が私を「思ってくれた」ということであり、何かを贈るということは、私がその人を「思った」ということ。

友達、家族、先生、その他お世話になった方々へ。

チョコは渡してないけれど、いつも感謝しています。

10年前~4年前にかけてチョコをくれた方々へ。

今更だけど、チョコをくれてありがとう。

“カタチ”が全てではないけれど、たまには”カタチ”にするのもいいかもね。

バレンタインから(早めに)卒業した者として、思いを馳せるあこでした。

それでは、また。

新年早々、反省。

こんにちは、あこです。

2024年、初投稿です。

正直に申し上げると1月上旬にも更新しなければならなかったのですが、すっぽかしてしまいました。

(ここから言い訳が続きます)

担当日から3日ほど経過したある日。ブログを書いていないことに気付きます。「家に帰ったら更新せねば!」と思っていました。

しかし、その帰り道。

弟から、とある(めでたい)芸能ニュースが転送されてきました。

あこ:驚き、喜びを経て、心の中が混沌とする

未熟さ故の虚無感と心の痛みを感じながら、やっとのことで帰宅

興奮状態の頭と体を冷やすため、フラフラと外へ出ていく

気付いたら14,000歩(距離にして8.8km)歩いていた

体が冷え切る

やばい、風邪引くかも

早く寝る

翌日、軽く体調崩す

3日間、微妙に体調が悪い状態が続く

回復

調子に乗って出かける

本格的に風邪ひく

1週間、引きずる

治る

母に風邪が移る

母、完全ダウン

並行して、父も体調不良

責任を感じながら看病する(5日間)

母、回復

今に至る

とまあ、めちゃめちゃ言い訳すると、こんな感じで今回のブログに至っています。

恐らく、家族で風邪が流行した元凶はあこですね。

新年早々肩身の狭い思いをしましたが(←当然の報い)、ブログを書けるのも残り数回。

今更ですが、無遅刻無欠勤を目指して頑張りたいと思います。

(すっぽかしてごめんなさい)

ーーーーー

2024年の初投稿ということで、今回は卒業までの目標とやらを書いてみようと思います。

2023年は色々と浮き沈みの激しい年でしたが、2024年、現段階では”イイ感じ”です。

無事卒論を提出できたという安心感(まだ口述試験が残ってますが…)もあり、多少のタスクは残っているものの、それなりに前向きな気持ちで毎日過ごせています。

この調子で、前向きに物事に取り組む、ということを意識して生きていきたいと思います。

目標その1:日々を前向きに過ごす

先ほど”多少のタスク”と申しましたが、こちらについても、しっかり”消化”したいと思っています。

大学生活も残り約2ヶ月。

いただいたご縁とチャンスに感謝しながら、真摯に、そして誠実に、最後まで取り組んでいきたいです。

目標その2:立つ鳥跡を濁さず

中学・高校・大学。

学内・学外問わず、たくさんの素敵な人たちに出会えました。

コロナ禍ということもあって、家族や祖父母とも”密”な時間を過ごすことができました。

もちろん、卒業してからも会ったり話したりすることはできると思いますが、皆がそれぞれの道を歩んでいく中で、今と”同じ”でいることは恐らく不可能でしょう。

会える時に会い、話せる時に話す。

当たり前のことですが、人とのご縁を大切にしていきたいです。

目標その3:大好きな人たちに会う

*****

1日1日、平穏な日々に感謝しながら、後悔のないように、生きていきたいと思います。

それでは、また。

「乱」だけど、「幸」。

こんにちは、あこです。

つい最近までクリスマスだったはずのに、先日コンビニへ行ったら「恵方巻きの予約承ります!!!」という広告が目の中に飛び込んできました。

え、恵方巻きって2月ですよね???

まだまだ先…….じゃないんですね!!

年々、月日の流れが早くなっているような気がします。

ありがとう、2023。そして、ようこそ、2024。

*****

今日は2023年最後のブログ更新日ということで、軽〜く1年を振り返ってみようと思います。

就活に始まり、卒業論文で終わった2023年。

この1年間を漢字一字で表すと、「乱」だったように思います。

というのも、(何度かブログでも書きましたが)今年は精神的なアップダウンが激しくて、自分の嫌なところ・良くないところがよく見えた年でした。

やりたくない。考えたくない。書きたくない。

今までこんなことはなかったのに、学ぶこと、考えること、書くことが、心底嫌になりました。

何かがあった、というわけではないのに、なんだかモヤモヤして、なんだか何もかも本当にどうでもよくなって、それが体に響いたのか、体調も悪くなって。

時々ちょっとは回復するけれど、いまいち吹っ切れない。

そんな状態が4・5ヶ月続きました。

そして7月。「やりたいことリスト」を見つけたことで、一度目の”晴れ晴れ期”に入ります。(7/27ブログ参照)

多少のアップダウンはありながらも、8月、9月、10月と、比較的順調な日々を送りました。

そして11月。いつの間にか”イライラ期”に戻ってしまっていて、4月以上に不安定な1ヶ月間を過ごしました。(後に”イライラ”の原因が分かったため、12月は安定した状態でスタートできました。11/22ブログ参照)

とまあ、私にとって2023年はこのような1年だったのですが、きっと皆さんにとっては「だから何?」という感じだと思います。(書いてる私も「だから何?」って思います…汗)

だけれど、1年間を振り返ってみて思うのは、私は自分が思うよりもちっさくて、弱くて、しょーもない人間なんだな、ということ。

誰かからの「そんなことないよ」が欲しくて、自分を卑下しているわけではありません。

自分は弱いです、だからみんな助けて、ピヨピヨ。みたいなことを言いたいわけでもありません。(誰)

しょーもない人間だから、何をやっても意味ないし。と、不貞腐れているわけでもありません。

ただ、もっと自分はしっかりしていて、自分が決めた”今”に自信を持って、「人は人、自分は自分」の精神で歩いていけると思っていました。

不安とか、妬みとか、怒りとか、そういうのは、全部コントロールできる。

何かがあっても、「自分が決めたことだから」「自分がやってきたことの結果だから」と全てを受け入れて、前を向いて進み続けることができる。

どこかで、そう思っていました。

だけど、全然そうじゃなかった。

頭の中がうわーーーってなって、どうしようもなくて、そんな自分が嫌で、でもどうしようもなくて。

やらない理由・言い訳ばかりが頭を過ぎり、「こんなはずじゃなかった」自分ばかりが見えてくる。

みなさんから見れば、今更???みたいなことかもしれないですが、恐ろしいことに、あこにとっては、こういうのは初めてだったんですね(怖)

すご〜くポジティブに言えば、2023年は「自分と向き合い続けた」1年だったのかもしれません。

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その一方で、今年はよく”話した”年でもありました。

家族(母&弟)、祖父母、先輩、後輩、そして、友達。

既存の友達はもちろん、学内活動を通じて出会った”新たな友人”や”知り合い”達とも、お互いの人生観、考え、思いなどを話す機会が多かったように思います。

“嫌な自分”に出会う一方で、”素敵だな”、”綺麗だな”、と思う人々にも、たくさん出会いました。

そして、彼らの言葉に、何度も、何度も救われました。

2023年は色々あったけれど、それでもやっぱり、幸せでした。

2024年は、どんな年になるのでしょう。

皆さん、一緒に、より良い年にしましょうね!!!

それでは、また。

銀&ビスで、ギンビス。

こんにちは、あこです。

気がつけばもう12月。どういうことでしょうか。

あまりにも月日の流れが早すぎて、誰か嘘だと言って欲しい。

来月は、2024年だってよ!!!

動揺が隠せません。

*****

先週は、よく出かけました。

高校時代の友人と会い、別の友人と御茶ノ水の某ホテルへ泊まり、近藤真彦のコンサートへ行き、東京国立博物館の特別展「やまと絵-受け継がれる王朝の美-」を観に行き、母と銀座・日本橋エリアを歩き、諸々のクリスマスコフレを購入し、父母と月島のもんじゃを食べ、今に至ります。

卒論は???

はい、今だけは、この質問はNGです。

ぐぬぬぬぬぬ ぎぎぎぎぎぎ にょーーーーーん

頭がおかしくなりそうです。(手遅れ)

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とまあ、そんな感じで色々あった1週間でしたが、特に印象的だったのは、銀座で出会ったおじいちゃんです。

元々は某紅茶屋さんのアフタヌーンティーが目的で、せっかく日本橋に来たならちょっと歩こうか、と、銀座方面に向かって母と歩いていました。

すると、偶然「銀座ベーカリー」という文字が左手に見えまして。

「こんなところにお店を構えてたんだ!」

「ちょっと寄ってもいい?」

「うんうん、行こう」

と、横断歩道を渡って、いざ、お店へ。

そこで出会った店員さんが、そのおじいちゃんでした。

※もしかしたら覚えている方もいらっしゃるかもしれませんが、「銀座ベーカリー」は、2022年8月27日のブログで紹介した、”カステラビスケットサンド”のお店です。私は百貨店の催事で出会いましたが、銀座のカフェでもいただけるので、近くへ行った際にはぜひ足を運んでみてください!すっごく美味しいです!

「いらっしゃいませ〜」

「Gスティック、美味しいから試してみて!」

「ありがとうございます〜」

最初は、こんなありきたり(?)なやりとりだったと思うのですが、ひょんなことからお店の成り立ちや商品の開発秘話をお聞きすることができまして。

というのも、その”おじいちゃん”こそが、かの有名な「たべっ子どうぶつ」シリーズや「しみチョココーン」の開発者さん(の1人!?)だったのです。

「ギンビス」はもともと、「銀座ベーカリー」という名前で、銀座や蔵王など(←沢山地名を聞いたのですが忘れてしまいました。すいません!!!)でレストランを経営していました。

しかし、そのお店のビスケットがあまりにも好評だったため「これからはビスケットで行こう!」となり、「銀座ベーカリー」の「ぎん」と、「ビスケット」の「ビス」を合わせ、お店の名前は「ギンビス」に変わります。

そしてその”おじいさん”たちの定年後。「もう一度、銀座ベーカリーやりたいねぇ」ということで、10年前に、銀座の地で「銀座ベーカリー」を復活させたそうです。

「たべっ子どうぶつの動物は、全部で何種類か知ってる?」

「元々は、知育菓子として作ったんだよ!」

「〇〇だからね、⬜︎⬜︎してもサクサクしたままで、溶けないんだよ!」(←確か含浸技術について説明してくれたのだと思いますが、忘れてしまいました!私と母の大バカ野郎!!!)

幼い頃から慣れ親しんでいたお菓子を開発した方ということで、「えぇ!」「すごい!」「そうなんだ!」と、驚きながらお話を聞いていたのですが、私以上に、母が大興奮。

腰と首、だいじょぶそ???

と心配になるくらい、全身で感動を表現していました(笑)

ということで、沢山のお話を聞けてとても楽しかったのですが、何より印象的だったのは、その”おじいさん”のキラキラした目です。

「これ、おじさんが作ったんだよ☺️」

「えぇ、そのお菓子知ってるの!嬉しいねぇ☺️」

「〇〇も美味しいんだよぉ☺️」

嬉しそうに、そして何より楽しそうに、ギンビスとお菓子の話をしてくださる”おじいさん”の目は、間違いなく、今年出会った人の中で、いちばん輝いていました。

*****

自分の仕事と、会社と、商品と。

情熱を持って、愛を込めて、(もちろん大変なことはあったと思うけれど)ワクワクしながら働いてきたであろう”おじいさん”。

仕事が好きなのか、会社が好きなのか、商品が好きなのか、はたまた全てが好きなのか。

それは分からないけれど、とにかくキラキラしている”おじいさん”。

4月から社会人になる者として、こんな”おばあさん”になりたいなと思いました。

おじいさん、本当にありがとうございました!

また、行きます!!!

それでは、また。

自分の機嫌は。

こんにちは、あこです。

卒論に、追われています。

気づけば提出期限まで残り1ヶ月を切っており、非常にヒリヒリした状態が続いています。

「内◯取消」(←お久しぶりの、怖くて伏字)

今、これほど怖い四字熟語はありません。

先週の面談でも「3月に卒業できますよね?」と圧をかけられ(←普通に聞かれただけ)、「っはい!!!」と元気に返事をしてしまいました。

卒業、しますよ。卒論、書き終えてみせませう…..(情緒不安定)

*****

11月に入ってから、心身ともに不安定でした。

4月からしばらく続いた「何もやりたくない〜」「やる気出ない〜」みたいな感じではなく、些細なことでイラっとしたり、カチンときたり、なんか「むかつく!!!」「ストレス!!!」みたいな”やな奴”でした。(in家)

後になって「あれが原因だな」というのが分かるんですが、そういう期間の”真っ最中”って、何が根源なのか、分からないんですよね。(私だけ?)

いつもなら流せるような他人の悪意に対して過敏になったり、別に大したことじゃないのに必要以上にイラっときたり。まぁ、とにかく”健康的な”状態ではないわけです。

そして、自分の中で結論が出る/納得すると、ホント、憑き物が落ちたみたいに穏やかになる。

側から見たらめちゃめちゃ迷惑行為なんですが(←ちゃんと家族に迷惑かけてる)、私は時々こうなってしまって、今回は、結構長かった。

体の疲れ⇨心の疲れ なのか、 心の疲れ⇨体の疲れ なのか、どちらが始まりかは分かりませんが、ほんと、健康って大事ですね。

体が疲れると心も荒むし、心が荒むと体も疲れるし。

きっと、今回は心と体の負のループを何周も巡ってしまったのだと思います。

「嫌だな」「合わないな」「会いたくないな」と思ったモノ・ヒト・コトからは、距離を置く。

適切な距離を保てばなんてことないことって、結構あります。

メンタルやられることがわかっているのにノコノコ自分から近づいて、予定通りにちゃーんと傷ついて、自分が”やな奴”になるなんて、それほど阿呆なことはありません。

あこ、そろそろ学んでくれ(切実)

2023年もあと40日程度。

自分の機嫌は、自分でとる。

卒業(!!)までの目標にしようと思います。

それでは、また。

トモダチの輪は、イロイロ。

こんにちは、あこです。

先日、2泊3日で北海道へ行ってきました。

中学時代の友人と、二人旅。

8年ぶりに行きたいお寿司屋さんがありまして、「ここのお寿司めっちゃ美味しかったんだけど、〇〇一緒に行かん??」と軽めに誘ったところ「え、行く!!!」と強めなOKをいただき、無事に実現しました。

うにの小鉢に始まり、帆立貝バター焼き、焼き穴子、槍イカ、きんき、赤身、中トロ、ニシン、ボタンエビ、いくら丼……

美味しすぎて、3品目からは「もう、辛い…」と言いながら頂いていたそうです (コワ)

社会人になったらまた来るんだ。と、密かに心に決めました。

家族以外の人(友人)と泊まりの旅行に行くのはお互い初めてだったのですが、食に関する熱意(←)や、行動力、諸々の価値観が恐ろしいほどにマッチしてしまい、とても楽しい時間でした。

また、一緒に旅行しようね!

*****

一緒に旅行した友人は、中学校の3年間を同じクラス・部活で過ごした人でした。(高校・大学は別の学校)

出会って10年。驚きの年月です。

ですが、(誤解を恐れずに言うのであれば)10年間ずっと「仲良し」だったわけではなく、中学時代は、単なる「同じクラス・同じ部活の人」という感じでした。

もちろんお互いの顔や名前は知っていましたし、何かあれば話していたと思いますが、本当にそれだけ。

お昼ご飯を一緒に食べるとか、遊びに行くとか、そういうことはなかったのです。

それなのに、中学卒業後。なぜかもう一人の子を含めた3人で月島のもんじゃを食べに行くことになり、高校時代は3人で何度か食事に行きました。

しかし、彼女の大学受験やコロナ禍のステイホーム期間などがあったことで、すっかり連絡が途絶えてしまいました。せいぜい年賀状を送る程度で、「仲良し」とは程遠い距離感だったように思います。

そして大学2年生の秋。

確かSNSのストーリーのコメントきっかけだったと思いますが、その子と2人で会うことになり、めちゃめちゃ気が合ったので、その後も年に2回会うようになりました。

そして、今回の旅行に至ります。

今まで文章を読んでくださった方はお気づきかもしれませんが、「なぜか」「確か」「〜だったと思う」など、彼女との交流の軌跡(?)は、不明瞭な点が多いです。

一応北海道で友人とも話したのですが、お互い「まさか旅行する仲になるとはね〜」「中学の時からは考えられないね〜」「なんで仲良くなったんだっけね〜」と曖昧な記憶で、結局答えは出ませんでした。

「仲良くなる」とか「友達になる」理由・意味なんて、あってないようなものなのかもしれません。

いつ出会うかは分からないし、いつ「仲良く」なるかはもっと分からない。

“ご縁”って、不思議ですね。

*****

思い返せば、大学時代は「つながり直す」ことが多かったように思います。

彼女の他にも、高校時代に同じコミュニティ属していたけれど遊びに行くことはなかった人と、大学3年になってからサシで会うようになりました。

その人についても、なんでサシで会うようになったのか、全然覚えていません。

中高時代に”出会って”いた人と、大学時代に「仲良く」なる。

お互いに”合う”タイミングが合った、ということかもしれません。

大学入学前、色んな人に「大学は世界が広がるよ」「たくさんの人に出会って、人脈が広がるよ」と言われました。言われなくても、そう思い込んでいた節もありました。

だけれど、今になって思うのは、「輪を広げることと、新たに”出会い”続けることは、必ずしも一致しない」ということです。

「大学生は、サークルに入って、学内外問わず色々な人と出会って、人脈を広げないと!」

「沢山の人に出会うことで、新たな人脈が生まれるから!」

「人脈が広がれば、新たな刺激・情報が増えるよ!」

そもそも「人脈」という言葉自体があまり好きではないですが、私自身、「新たな出会い」「新たな友達」に取り憑かれて、自分を見失ってしまった時期があります。

でも、ふと後ろを振り返ってみれば、私は、私たちは、既に沢山の人と”出会って”きています。

そして、自分が変わってゆくように、他の人もまた、変わっていく。

その人自体とは既に”出会って”いても、その人の”新たな一面”、”まだ知らない一面”は、必ずあるはずです。

そして、その一面を知ることもまた、”新たな出会い”なのではないでしょうか。

もちろん、昔の友人とばかり関わって、新たな環境・新たな出会いを拒絶することは、良くないと思います。

だけれど、「新しいこと」に固執する必要もまた、ないと思います。

古くて、新しい関係。

全ては、タイミング。

「輪」の広げ方は、いろいろ。

それでは、また。

暇か、暇じゃないか。

こんにちは、あこです。

今週から、朝ドラが「ブギウギ」に変わりました!

いつの頃からか”夕食後に朝ドラを観る”という習慣が我が家に根付いており、訪れた”聖地”は数知れず。もちろんいくつか”未視聴”の作品はありますが、2008年の「だんだん」以降の作品は、ほとんど観賞済みです。

2008年以前の朝ドラについても、再放送や総集編、NHKオンデマンド等で観ることができるので、2001年の「ちゅらさん」や2006年の「芋たこなんきん」など、時に笑い、時に涙しながら家族で楽しみました。

今期の再放送は、インスタントラーメンを生み出した安藤百福とその妻・仁子の半生を描く「まんぷく」です。お気に入り朝ドラの1つなので、今月からは「ブギウギ」と「まんぷく」の二刀流でやっていこうと思います(笑)

皆さんもぜひ、観てみてくださいね!

*****

10月に入って、急に忙しくなりました。

「夏休みが終わったから」というのも一つあるかもしれませんが、週に1-2回ペースでの登校なので、3年生以下の学生さんに比べたらだいぶ”暇”です。

でも、なぜか、忙しい。

家では2個下の理系男子(弟)に、「あこ、暇だろ」「いいなぁ、暇そうで」なんて言われてますが、結構忙しいんですよ。

今日は特にネタもないので、”私、結構忙しい(と思うん)です”っていうブログを書こうと思います。

*****

・所属:日本文学科

・資格課程:なし(2年次に司書課程を挫折)

・履修講義:ゼミ(週1・対面)

・学内活動:ひめピア(月1-2回) /  Be free.プロジェクト(不定期)

・サークル活動:なし

・アルバイト:なし(8月末で退職)

以上が、現在の私の状況です。

「あんた、暇じゃろ」

ええ、私でも思います。「私、暇じゃん?」って。

でも、暇じゃないんです。(2回目)

これが辛いところなんです。客観的な「タスク」とか「To Do」とか、そういうので忙しさを示せって言われても、できないんですよ。だって、やってないんだから。

1、2年生の時は、問答無用に大学の講義が入っていたし、3年生の時は、委員会とか就活とか、”お仕事”的なことが詰まっていました。上級生としての責任もあるし、チーム内の情報・状況共有や、先生方とのやりとり、スケジュールの調整など、細々としたタスクに追われていました。

問題は4年生。

講義は週に1コマ。ゼミが終わったら、図書館へ行って面白そうな本を探して帰ります。

実験や機材を使ったデータ分析は必要ないので、卒論は家でやります。時々、日文図書館に出没します。

資格もとってません。1年時に司書資格を取るか取らないかで母親と大喧嘩して、結局2年生で辞めました。

バイトはしていないので、基本的に「直帰」です。友達と遊びに行くこともほぼないです。(前回ブログ参照)

学内活動には少し参加しているとはいえ、3年生の時ほどプレッシャーはありません。ちょっとカッコつけた言い方をすると、3年生の時の経験があるからこそ、ゆとりを持って活動と向き合えています。(ありがとう3年時の私)

箇条書きで書くと暇そうに見えちゃうかな、とか思って文章にまとめてみましたが、”暇感”が増したような気がしますね。なんでだ。

でもね、私、暇じゃないんですよ。(3回目)

じゃあ何してるんだよ。ええ、聞きたくなりますよね。

普通の日(なんもない日)の過ごし方は、

朝起きて、ご飯食べて、ちょっと部屋を整えて、今日の予定確認して、卒論書いて、お昼ご飯食べて、母親と話して、YouTubeのダンス動画を見ながら体操して、夜ご飯食べて、臨時タスク(←その時々に、色んなところから”やってください〜”って言われるやつ)を消化して、お風呂に入って、卒論書いて、自由(文字書いたり、本を読んだり、色々。)に過ごして、寝る。

こんな感じです。「そんなに卒論やってるならもう書き終わってるんだろうね?」なんて思う方もいるかもしれないですが、卒論は書いては消して書いては消しての繰り返しですし、いっくら考えてもな〜んも浮かばないことなんてざらなので、特に進んでるということはないです(ため息)

あと、普通なら上記の「普通の日」の過ごし方ができるのですが、なんだかんだ色んなところから邪魔が入るんですよ。(邪魔って言葉はよくないですね。”イレギュラーな出来事”とかどうでしょう?)

謎の体調不良とか、謎の発疹とか、謎の頭痛とか。そしたら、安静にして病院へ行かねばならない。

急なミーティングとか、急な資料提出とか、急な写真提出とか。そしたら、色々準備しないとならない。

祖父母からの問い合わせとか、友達からの「〇〇、お願いしていい?」なんて連絡とか。そしたら、対応しないとならない。(連絡自体は嬉しいです。いつもありがと。)

なんだ〜かんだ〜、色々やらねばならんのですよ。

“イレギュラー”なんだから、いつもじゃないでしょって思うでしょう。

でも、いつも”同じ”じゃないんだけど、な〜んか色々出てくるんですよ。

だからね、暇じゃないの。(3回目)

家にいるから色々起きるのかな、とか思って、大学図書館で色々やろうと思った時もありました。

でも、周りにたくさん本があるからだんだん読みたくなっちゃって、結局ずっと本を読んじゃったから、ダメでした。

家でやるのが、一番。

というわけで、私、暇じゃないんです。

きっと信じてもらえないと思うけれど、私、暇じゃないんです。

今月も、色々あって忙しいんです。

明日はたまたま暇だけど。

それでは、また。

⚠️注意⚠️

“一般的な”文系大学4年生の過ごし方を書いたブログではございません。個人差、大いにあります。

おもろい人。

こんにちは、あこです。

ただいま、卒検の結果発表待ちです。

教習所の卒検(技能)では方向転換時に縁石に乗り上げてしまい、「こりゃ落ちたな。」と覚悟を決めたあこでしたが、なぜかギリギリ合格。(なんとか自力で対処できたから減点で済んだのかも?)

若干の不安はありつつも「合格」を噛み締め、免許センターでの学科試験へと駒を進めました。

そして今に至ります。

教習所に入校してから早5ヶ月。

思ってたより時間がかかってしまいましたが、もともと10月までに取れれば良いやと思っていたので、ある意味では予定通りです(強がり)

免許、取れますように!!

*****

夏休みは、知り合いや友達と出かけました。

とは言いながらも、誰かと出かけた回数は4回、会った人数は5人なので、世の中の大学生的には“少ない”方かもしれません。

ですが、私は基本的に誰かと遊びに行くことはなく、1人に対して半年に1回会うか会わないかくらい。

期間としては、3月・4月の春と、9月・10月の秋に会うことが多いので、ちょうど夏休み後半が”人と会う月”に当たります。

こう書くと「人間嫌い」と思われそうですが、別にそういう訳でもなくて、むしろ人のことは好きな方だし、友達とも、会わないだけで、連絡はちょくちょく取っています。

遊びに誘われるのを待ってる訳でもないし、会いたい/話してみたいと思ったら自分から誘って計画を立てます(何の情報)

それに、大学構内で誰かと会った時にはちゃんと話しますし、そのまま一緒にお弁当を食べることもあります。

ただ、あんまり会わないだけ。

コロナ禍の”ステイホーム”教育の影響か、はたまた私の気質のせいか、いつの頃からこんなあこになっていました。

とは言え、思い返せば高校生の時も友達と遊びに行くのは基本的に春/夏休みの間だったし、帰りに寄り道することもほとんどなかったので、クラスとか、部活とか、そういうのがなければ、今と大して変わらなかったのかもしれません。

コロナ禍がなんちゃらとか、あんまり関係なさそうですね(笑)

とまあ、そんな調子のあこですが、今回のブログで何を言いたいかというと、「みんなに会えて楽しかったです」ということ。

少なくともこの夏に会った友人たちは私のブログの存在を知らない(ハズ)ので好き勝手言いますが、私の友達は”頭は良いのにちょっとおかしい”みたいな人が多いです。

頭が良い、というのは学歴とか成績とかそういうことじゃなくて、自分の頭で考えて、自分で決断して、自分の力で、自分の道を切り拓いてく、みたいな、そんな感じ。

でもちょっと不器用で、まあまあな怪我を負っているのにそのことに気づいてないのか、はたまた気にしないのか、全く怯むことなく、とにかく前に進んでいく人たち。

基本的に”最短距離”では進めないけれど、その道中で絶対に何かを見つけて、傷だらけになりながらも、”遠回り”したことを絶対に後悔しない人たち。(なんなら楽しんでる)

傍から見たら(色んな意味で)結構すごいことでも、その”すごさ”に気づいていないというか、興味すらないような人たち。

「笑顔を絶やさない」とか、「いつも笑ってる」とかそういうふんわりした”笑顔”じゃなくて、泥だらけの顔でニカッと笑う、みたいな、そういうカッケェ人たち。 

一言では表せないし、そもそも一人一人が”違う”ので言葉にするのは難しいですが、彼らの根っこにある強烈な輝きが、私は好きです。

羨ましいとか、その人みたいになりたい、とか、そういう憧れは全然ないけれど、そういう人に出会えて、定期的に会って話せるというのは、やっぱり嬉しい。

加えて、あこ生来の「誰かに出来るなら私も努力次第で出来るはず」という傲慢な謎理論を持ち合わせているせいで、自分のモチベも(一時的に)上がります。

みんなのおかげで、私の人生も”おもろく”なってきました。

おもろい人の存在を知って、私は生きるのが楽しくなりました。

これからも、おもろい人に出会える、おもろい人生でありたいです。

それでは、また。

P.S.

免許、取れました。