魔性のオアシス。

こんにちは、あこです。

随分ご無沙汰してしまいました。

みなさん、お元気ですか?

先日、岡山に住んでいる親戚のお家へ行きました。

元々は7日間の滞在予定だったのですが、行きは台風6号、帰りは台風7号の影響を受けたため、最終的には10日もお世話になることに。

4年ぶりの岡山帰省(←私の祖父の実家なので、正確には”帰省”とは言いませんが…)ということもあり、倉敷の街を散策したり、四国へ渡って北川村の「モネの庭」や牧野富太郎の植物園(牧野植物園)へ行ったり、みんなでトランプや花火をしたりと、盛りだくさんな”帰省”となりました。

次は冬に行く予定なので、今からとても楽しみです!

*****

今日、バイトを辞めることを生徒たち(←小学生)に伝えてきました。

実は5月頃から辞めることを考えていたのですが、

「途中で辞めるなんて無責任だよね・・・」

「でも、学生生活もあと1年ないし・・・」

「いやでも、受験まで見届けたい気持ちもあるんだよなぁ・・・」

「今は自分のやりたいことを優先してもいい時じゃないかな・・・」

「辞めるんじゃなくて、週1とかにするべきかな・・・」

と、クヨクヨクヨクヨ悩んだ結果、

「中途半端なのが一番良くない!辞めるか、続けるかの二択だ!」

「よし、8月いっぱいで辞めよう!」

という決断に至りました。

自分の話をスパッと切り出すのが苦手な人間なので「あぁ、どのタイミングでどう言おうか…」と悩んでいたところ、今日に限って生徒が

「先生!9月の先生の授業ってどうなってる???」

と聞いてきたので、

「実はさ…..」

と伝えることができました。

正直、「先生辞めちゃうの〜」というしみじみ展開を予測していたのですが、

「え、そうなの!まぁでも先生4年生だもんね」

「次の先生どんな人だった???」

「先生、ちゃんと〇〇先生(←教室長)に辞めるって言った?」

「先生、僕のお母さんにはいつ電話する予定?」

「引き継ぎとかも必要なんでしょ?」

と、最終的には私がきちんと”辞められるか”まで心配されました(笑)

今日が最後の授業だった子には

「まっ先生も頑張れ!」

「じゃあね、せんせ!元気でね!」

と、超明るくサヨナラされ、なんだか最後まで”らしい”なぁと思いました。

ーーーーー

「おかあさんに怒られたぁぁ〜」と言って塾に来るなり大泣きしたり、「先生こっち向いて!こっち向かないとペンで書いちゃうから!」と言って私の仕事着(白衣)に落書きしたり、大雪の日に雪山へダイブして全身ビッショビショの状態で塾に来たり(←塾にあるタオルを総動員して私が必死で拭いた)、「先生、歩道橋から落ちた時に宿題プリント飛んでった」と漫画みたいなことを言ったり(←後に本当のことだと判明)、かと思えば、「先生、もう大学3年生だけど、良い人いないの?」「先生、30歳に見える〜」と急に大人びたことを言って私の心をえぐったり、色々と”しでかして”くれた愛すべき生徒たち。

もちろん授業や進路フォローなどはきちんとしていましたし、大変なこと・悩んだこともありましたが、思い出すのは、しょうもなくて、おかしくて、おもろかったことばかり。

それに、最初は「勉強なんて嫌いだ」「塾になんて来たくない」と言って宿題に一切手をつけず、私を含めた塾の先生たちの話を完全無視していたちびっ子たちが次第に心を開いて、「今日は宿題やった」「ちょっとだったら難しいのやってあげても良いよ」と言うようになり、遂には毎回の宿題提出はもちろん、自分から挨拶してくれるようになったことを思うと、言葉にならない喜びで胸がいっぱいになります。

みんな、大きくなったね。

2年間、ありがとう。

*****

塾を、そして勉強を、嫌いにならないでほしい。

塾や勉強を、辛くて苦しいだけの場所/ものに、しないでほしい。

学校だけが居場所じゃないことを、忘れないでほしい。

2年間、その想いを胸に、生徒たちと向き合ってきました。

それは、私自身が塾に”救われた”経験があったからです。

小学生の時、学年が上がるにつれて人間関係が拗れてきました。

学校から帰ると泣いて、怒って、笑ったかと思えばまた泣いて、怒って、というような”やばい”状態だったそうです。

というのも、私には当時のそういう記憶がほとんどなく、母に「こうだったでしょ」と言われて「あぁ、そうだったかも」と思えるくらいしか覚えていません。楽しかったことは思い出せるのに、そういう辛くて悲しかったはずの出来事は、ほとんど思い出せないのです。

そんな私にとって、塾は唯一のオアシスでした。

優しい受付のお姉さんと、面白くて楽しい先生たち。

明るくて個性豊かなクラスメートと、いつの間にか知り合っていた中学生のお兄さん・お姉さんたち。

授業がない日もみんなで塾へ行って、問題集や過去問を解きました。

ケアレスミスをして先生に怒られたり、偏差値が伸びなくて焦ったりしたことはもちろんあったけれど、それ以上に、「学校以外の居場所がある」「学校の先生・クラスメート以外にも、私を受け入れてくれる人がいる」「楽しい時間を過ごせる場所がある」ということが、自分にとって大きな支えになっていたと思います。

大袈裟に言えば、当時の私にとって塾は「自分のままでいられる場所」でした。

もちろん、塾の全てがそうではないでしょうし、”あの時の・あの塾だったから”、”あの時の先生・あの時のクラスメートだったから”、私はのびのびと過ごせたのでしょう。

(因みに私の場合はたまたま塾でしたが、”のびのび過ごせる場所”が塾である必要性は、全くありません。)

それでも、私はそうだったからこそ、生徒たちにとっても、少なくとも「嫌な」場所ではあってほしくない。

できるだけのびのびと、できるだけ楽しく塾で過ごしてほしい。

塾講師として正しい想いだったのか、適性があったのか、今もわかりません。

自己満足だと言われても仕方がないと思います。

それでも、この想いを胸に、生徒たちと向き合い、過ごしてきた日々に後悔はありません。

塾講師としての2年間が私にとって必要な経験だったことは、間違いないでしょう。

私は塾が、好きでした。

*****

塾講師として働くうち、自分が生徒だった頃には見えなかったことが見えてきました。

家族とは、親とは、そして、”教育”とは何か。

塾はオアシスではなかったけれど、それでもやっぱり惹かれてしまう。

塾は、魔性。

それでは、また。

やりたいこと。

こんにちは、あこです。

最近、ポケモンスリープを始めました。

正直、遊び方は6割くらいしかわかっていませんが、1日3回カビゴンのご飯を作って、たくさん寝かせて、近くに集まってきたポケモンの寝顔フォトを集めて博士に送る。

ざっと説明するとこんな感じです。

とにかく平和で可愛いゲームなので、ポケモンが好きな方はぜひやってみてください。

ポケモンの寝顔に癒されますし、”早寝”できると思います…!(笑)

*****

先週、部屋の片付けをしていたら、1冊のノートが出てきました。

表紙をめくると書かれていたのは「大学卒業までにやりたいことリスト」の文字。

さらにページをめくると、計44個の「やりたいこと」が書かれていました。

1ヶ月半前のブログでも「2023年後半期にやりたいことベスト3」について書きましたが、このノートに記されていた「やりたいこと」は

「〇〇の資格を取る」

「〇〇ちゃんと⬜︎⬜︎へ行く」

「〇〇を買う」

みたいな、もっとちっちゃくて、すぐに叶えられそうで、でも1歩踏み出すのにはちょっぴりの気力と体力が必要なことばかりでした。

いつ書いたのか全く覚えていないので自信はないですが、恐らく大学2年生か3年生あたりに書いたものだと思います。

「いつかの自分は、こういうことやりたいって思ってたんだな〜」と思いながら、楽しく読んでいたですが、ふとある事に気が付きました。

それは、「やりたいことの幾つかは、既に達成できてる」ということ。

例えば「外国に行く」とか「気に入ったサンダルを見つける」とか「能を観る」とか。

合計6個も叶えられていました。(しかも全部この半年間で。)

他にも、「車の免許をとる」とか「岡山の親戚に会いに行く」とか「〇〇ちゃんとディズニーに行く」とか、7個の「やりたいこと」は、計画中&実行中。

ノートの存在は完璧に忘れていたのに、ノートに書かれていた「やりたいこと」の幾つかは既に叶えていたり、計画・実行中だったりで、なんだか不思議な気持ちになりました。

私にはやりたいことがこんなにあって、こんなに沢山の「やりたいこと」を叶えていたのか。

そう思うと、やっぱり嬉しかったです。

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私にとってこの4ヶ月間は、昨年とは違う”辛さ”がありました。

昨年の私は、自分が将来何をやりたくて、どう生きたいのか。どんな環境で、どんな人に出会いたいのかを考えて、それを手に入れたくて、もがいていました。

“理想”と”現実”の差を突きつけられて「どうせ私には無理なんだ。どうせこんなもんだよ私って。」と、腐ったことは数えきれず。それでもやっぱり諦めきれなくて、「ほんとに全力を尽くしたのか?今頑張らないでいつ頑張る?」と自分を奮い立たせ、でもまたボロボロになって、腐って、ちょっと復活して、すぐにまたボコボコにされる、みたいなギリギリ状態だったように思います。

ですが、4月になって”もがいていた日々”が終わると、急に「何もかもやりたくない」「突然うわーーーーってなる」「すぐちょっと体調崩す」という謎現象が起きて、自分でも「甘え」だとは分かっているのに、どうしようもできない/したくないという、本当に良くない状況に陥りました。

特に重症だったのは、「文字を書きたくなかった」ということ。

というより、「考えたくない/表現したくない」に近かったかもしれません。

3月までは「落ち着いたらなにやりたい?」と聞かれて「卒論頑張りたい!」と答えていたのに、4月になったらそんな気持ちもどこへやら。なんとか本文や先行研究を”読んだ”ものの、自分が何を研究したいのかも、分からなくなっていました。ブログでもそう。(ネタに苦しむのはいつものことですが、)書きたいことがない・分からない、ということが、多々ありました。

もちろん、4ヶ月間ずーっとそういう状態だったわけではありません。ですが、完全に”吹っ切れた”とまではならないまま現在に至ってしまったのも事実。

「やりたかったこと」が「やりたくないこと」になり、「好きなこと」が、「やりたいこと」が、無くなっていく。

自分の心がどんどん渇いていって、私という人間が干からびていくような、漠然とした恐怖心を抱かずにはいられませんでした。

そんな時に見つけたのが、この「やりたいことリスト」。

「こうする!」「ああなる!」みたいな”目標”ではなくて、「〇〇したい!」「〇〇ほしい!」という、純粋な望み。

そして、その一部はいつの間にか叶えていたという事実。

なぜかは分かりませんが、思わず空に向かって大きな”伸び”をしたくなるような、穏やかで、すっきりとした晴れやかな気持ちになりました。

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最近読んだ電子漫画の一つに、「はなものがたり」があります。

長年連れ添った年上の夫を亡くし、「生きがい」を探す”はな代さん”(60代)と、独り身で、化粧品専門店「ミヨシ」を営む”芳子さん”(60代)が出会い、仲を深めていくというお話です。

“お試し増量中”という言葉に釣られて読み始めたのですが、あっという間に作品に引き込まれてしまい、早速購入しました。

好きなシーンはたくさんあるのですが、特に印象に残ったセリフはこちら。

「自分の好きがはっきりわかる芳子さんは自分の時間がきちんとあって生きてきたひとなんやろなあ….」

詳細は作品を読んでいただきたいですが、これは2人が香水作りを体験した際、テキパキと自分の好きな香りを選ぶ芳子さんを見て、はな代さんが心の中でつぶやいたセリフです。

「夫が好きなもの」「子供が好きなもの」「義父が好きなもの」「義母が好きなもの」「弟が好きなもの」「父が好きなもの」「母が好きなもの」。

そういうものは分かるのに、「自分が好きなもの」が分からない。

自分は、何が好きだったんだっけ。

はな代さんの「自分が好きなもの」は、「家族が好きなもの」のずーーーっと奥に押しやられていました。

*****

自分は何が好きで、何をしたいのか。

そんなこと、自然に分かるわけがない。

私ははな代さんみたいに「夫のため」「子供のため」「家族のため」に自分の時間を費やして生きたことはありません。

それなのに、私は自分の「好き」が、「やりたい」が、分からない。

何なら、何も「やりたいこと」がない。

そう思ってきました。

だけれど、「はなものがたり」を読み、そしていつかの「やりたいことリスト」を見つけたことで、少し考えが変わりました。

私は、「やりたいこと」を「やりたくなかった」のではないか。

「やりたいこと」がなかったのではなく、「やりたいこと」ことをしたくなかった。

そんな気がします。

だけれど実際はいつかの「やりたかったこと」を叶え、結果的には「やりたいこと」の実現のために行動していました。

気づいていなかっただけで、私は「自分の時間」を過ごし、少しずつ前に進めていたのかもしれません。

相変わらず自分に甘々なあこですが、最近やっと「やりたいこと」をやりたくなってきたので、良いことにします(激甘)

今年の夏は、「やりたいこと」を叶える夏にしたいです。

それでは、また。

IS THIS A PEN? -NO, IT’S A PENCIL.

こんにちは、あこです。

先日、私が住んでいる地域で38℃を観測しました。

すっごかったです。

暑すぎて、もはや「暑い!!!」と訴える力もありませんでした(笑)

まだまだ夏は始まったばかり。

「こまめな水分補給」と、「無理をしないこと」を心がけながら、みんなで夏を乗り越えましょう…!

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先月、アメリカに行ってきました。

経緯はちょっと複雑(というか説明が難しい&面倒くさい)なので飛ばしますが、シカゴに住む親戚のお家で、親戚のおばちゃまと一緒に、16日間お世話になりました。

ハトコたちとは6年ぶりに会ったのですが、

瀬戸内海の海に向かって”Let it Go”を歌っていた当時7歳のかわいい小さな女の子は私の背丈を軽々と追い越して”ちょっぴりひょうきんな妹想いの脚長おしゃれガール”(13歳)に、

食事の席で大人が食べているものを見ては「私にも食べさせて!」とばかりに「あーー」「びーー」と主張していた当時1歳のかわいいバブちゃんは”お菓子が大好きな愛嬌たっぷりアメリカンガール”(7歳)へと成長していて、

子供の6年ってすごいなぁって思いました(薄)

みんな元気そうで、本当に良かったです。

16日間、お世話になりました!

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シカゴ美術館、科学産業博物館、映画館、シカゴ大学、ミシガン湖、Busse Woods(自然保護公園)、地下鉄、メジャーリーグ、ダウンタウン、スーパーマーケット、スタバ、シカゴピザ、ステーキ、ラーメン…….

行きたいところ、観たいもの、やりたいこと、買いたいもの。

全てを叶えてきました。

普段はあまり写真を撮らないのに今回はわざわざ”良いカメラ”を持っていき、風景はそこそこに、親戚たちとの写真をパシャパシャと撮ってきたように思います。

親戚たちはそろそろ日本に帰ってくるので今までよりは会いやすくなると思いますが、あの時期に、あの場所で、あの6人で2週間を過ごすことは、二度とないでしょう。

「今」は「今」にしかない。

そんな当たり前のことに、22歳になった「今」、気付かせてもらいました。

*****

私は、あまり「今」に興味がありません。

正確には、「過去」に興味がないから「今」にもあまり興味がない、と言うべきかもしれません。

もちろん投げやりに生きてきたわけではなく、かけがえのない日々を大切に生きようと思って生きてきました。

まぁ、怠惰な心に負けて”無駄”にすることも日常茶飯事ですけれど。

ただ、「今」は、今この瞬間に「過去」になってゆくような気がして、どうしても「未来」との繋がりを感じられなかったのです。

「過去」よりも「今」、「今」よりも「未来」の方がはるかに大事なのだと、思っていました。

だけれど今回アメリカを訪れ、6年ぶりに会ったはとこファミリーと過ごすうちに

私が最も価値を見出していた「未来」には、「今」出会った人・共に過ごしている人がいるとは限らないんだ、と思いました。

もちろん、自分と相手が「会いたい」と思えばそれなりの確率で会えるとは思います。でも、何事にも”絶対”はありません。「今」一緒にいるからと言って、「この先も」会えるとは、限らない。

そう思ったら、「過去よりも、今よりも、未来が大事なんだ」とは、思えなくなりました。

ーーーーー

誤解を生みそうなので一応言っておきますが、私も、ハトコも、そのママとパパも、親戚のおばちゃまも、そして私の家族や祖父母も、みんな元気です。ほんと、びっくりするくらい超元気。

でも、人間だから人生色々あるし、そんな大袈裟なことじゃなくても、時間的・空間的・状況的に一緒に過ごせないことって、普通にありますよね。

「今」にしかない時間。

「今」にしか出来ないこと。

「今」にしか会えない人。

今にしかない「今」を、どこで、誰と、どのように過ごしたいのか。そして、その「今」を、どんな「過去」にして、どんな「未来」へと繋げていきたいのか。つまり、「今」をどう生きるか。

それが一番大事なのだと、心から思いました。

*****

帰国の2日前、シカゴカブスの試合を観に行きました。

会場内のショップでグッズを買ってお会計をしようとした時、店員さんの後ろに鉛筆らしきモノが見えました。

鉛筆だったら買いたいけど、あれは本当に鉛筆なのかな?

ストローとかだったら要らないしな。

そもそもあれは売り物なのか?

色々考えた結果口から出たのは、みなさんもよく知っているこの言葉。

“Is this a pen?” (これはペンですか?)

そして返しはもちろん

“No, it’s a pencil.” (いいえ、それは鉛筆です)

思わず笑ってしまいました。

ーーーーー

「This is…」の文法を学んでいた中学生時代。どのテキストにも必ず載っていた例文が、

“Is this a pen?”でした。

しかも、その返しは決まって ”No, it’a pencil. “

「そんな分かりきったこと聞く人いないよねwww」

「鉛筆とペンが分からないなんてどんな状況www」

「この例文は絶対使わないでしょwww」と、笑いながら友達と話していました。

あれから9年。

22歳の私は、あの時の例文を完全再現してしまいました。(しかも色々間違えてる)

超定番の”例文会話”をしてしまった自分が恥ずかしくて、でも可笑しくて。

自分の過去が未来にどう関わるかなんて、わからないものですね。

今日も相変わらずまとまりませんでしたが、この辺で。

それでは、また。

整理が必要。

こんにちは、あこです。

先日、仮免を取得しました。

修了試験が例の大雨の日と被ってしまい「ちょっと駄目かも」と弱気になっていたあこですが、なんとか合格をいただき。

今ではなんと、路上に進出しております(ドヤっ)

車線の増減や進路変更のタイミング、車間距離など、場内とは異なる環境にハラハラドキドキですが、何より怖いのは歩行者と自転車。

運転中は、常に「今出てこないでね!!!」「お願いだから近づかないでね!!!」と念じています(笑)

歩行者として生きてきて、早22年。

自分の存在が運転者をこんなにドキドキさせているなんて。

安全運転はもちろん、普段歩く時も”安全歩行”を心がけたいと思います。

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気付けば6月も中旬。

いつの間にか2023年の折り返し地点も過ぎていて、いつものことながら時の流れの早さに震えています。

この半年間は特に色々あって、正直に言えば、訳の分からないまま今日まで来てしまいました。

漠然とした焦りと不安、そして苛立ち。

3年次とはまた異なる”忙しさ”に、心と体がついていけませんでした。

少しずつ安定してきたとはいえ、ふとした時に「うあぁぁぁぁ!」「もう嫌、何もかも嫌!!!」となってしまうのは、私だけではないと信じたい。

というわけで(?)、今回は2023年後半期にやりたいことベスト3を書いていこうと思います。

半年後の自分が、少しでも達成感・充実感を感じられますように。

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◉第3位 美味しいお店の開拓

これは不動の3位ですね。

2023年に限らず、美味しいお店の開拓は常にしていたいですが、今年の”開拓”は例年に比べてほとんど進んでいません。

もちろん、内食が悪いわけではありませんが、超インドアな私にとってお店の開拓は自分の関心・視線が「外」に向いている証。

前半期は、少し内向き過ぎたかもしれません。

現時点で、Googleマップの「行きたいお店」「食べたいお菓子」リストにキープされているお店は67軒。

最低でも1ヶ月に1軒ペースで開拓していきたいと思います…(汗)

※ちなみに、前半期に開拓したお店の中で1番のおすすめは、吉祥寺にあるタイ料理のお店「アムリタ食堂」です。開店15分程前には既に人だかりができていて、びっくりしました。最初は「なぜタイ料理???」と、あまり乗り気でなかった友人も「ここめっちゃ美味しい…!!!」と感動していたので、タイ料理に馴染みのない人も食べやすいと思います。すっごく美味しいので、ぜひ行ってみてくださいね。

◉第2位 ギリシャ神話の系譜整理

急に趣向が変わりましたが、実は私、家系図とか関係図とか、ああいうのがすごく好きなんです。

元々は日本の歴史(天皇家の系図や、戦国時代の政略結婚・同盟破棄など)が好きで、「この家とこの家が結びついて、こうなったんだ!」とか、「この人とこの人って、実は家族じゃん!」みたいなのを知るのが楽しくて仕方ありませんでした。

中世文学史を受講していた1年次には藤原俊成を中心とした関係図を書いてみて、「やばい、これみんな繋がってるやん…!」と一人興奮した記憶があります(怖)

ギリシャ神話には、小学生の時に「星座の起源」経由で出会い、どハマりしました。

ただ、ギリシャ神話は神話なだけあって(?)、系譜も段違いに複雑です。「諸説あり」系も少なくなく、全ての神々の関係性を理解できているか?と言われれば、全く自信がありません。

なので、ちゃんと時間をかけて読み直して、自分の手で系譜を整理・作成していきたいなと思っています。

なかなか行動に移せていないので、今年中には実現せねば…!!!

◉第1位 和菓子の調査・整理

昔から和菓子は好きで、1,2年前にも「和菓子の事典を買いました〜」というブログを書いた記憶がありますが、最近またブームが来ています。

きっかけは、祖父母宅でのお泊まり時に持っていく手土産選び。

ケーキ、バウムクーヘン、焼き菓子、あんぱん、あんみつ…

2年生の9月からほぼ毎月泊まっているので、パッと思いつくものは”持参済み”でして。

家を訪れる数日前から「今回は何にしよう?」「今何を食べたい気分かな〜」「せっかくだから珍しいものが良いしな〜」と色々考えています。

デパートって、すっごくキラキラしてませんか?

「今回はどうしよう〜」と悩んではいるものの、デパ地下にしかない煌めきに心が躍ります。

そんな手土産選びで出会ったのが、とらやの生菓子。

10年ほど前までは父が毎月買ってきてくれていて、「来月はこれが良い〜」なんて言っていた生意気小学生でしたが、いつの頃からかその習慣は消えてしまい。

生菓子の取り扱い店舗が近くにないこともあり、正直存在を忘れていました。

しかし、ひょんなことから”再会”し、「うわぁ…美味しい…..」と静かに感動しました。

和菓子は”五感の芸術”と表されることがあります。

見た目の美しさ、独特な舌触り、素材の味とほのかな香り、そして菓銘。

10年前はせいぜい視覚・味覚くらいしか働いていませんでしたが、大学4年生になった今は、もう少し「味わう」ことができていると思います。

4月に入って、「変わらない」「変われない」ことへの不安を強く感じることが多くなりました。

私はずっと変われないんじゃないか、私の人生はずっと同じことの繰り返しなんじゃないか。

もちろん、変えられるのは自分しかいない、ということはよくわかっています。

だけれど私は人間だから、いつもいつも前向きに生きることなんてできません。

どうしようもないけれど、どうにもならないことだってあるのです。

でも、和菓子を「味わう」と、季節は変わらずに変わっている、ということに気づかされます。

変わっていないように見えて、季節は変わっている。顔をちょっと上げて、小さな小さな日々の変化に目を向ければ、私たちの人生はもっと豊かになる。

そう、思えるのです。

和菓子を毎日食べるわけにはいかないので、和菓子について調べることにしました。

「もう今日は何にもやりたくないっ」と思った日は、和菓子の本を読んでいます。

ギリシャ神話同様、私の頭の中で色んなことがごちゃごちゃしていて、点と点が結べていないので、後半期には知識の”整理”にも力を入れたいです。

*****

以上が、2023年後半期にやりたいことです。

文字に起こしたことで、今の私には「整理」が必要なんだな、と気づけました。

そういえば、卒論も色んなことが点在してて、何をどう結べば良いのか分からない状態でした。

後半期は色んなことを整理し、すっきりさせていきたいと思います。

それでは、また。

幸あれ。

こんにちは、あこです。

先日、初めて美味しいお味噌汁を作れました。

今までも何回か作ったのですが、なぜか攻撃的な味噌汁しか作れなくて(笑)

原因は不明ですが、母曰く

①味噌の量が多い

②味噌の溶き方が雑すぎる

③強火すぎる

この辺りではないか、とのことでした。

わかっちゃいるけど上手くできない/したくないことって、結構ありますよね。

私にとってはその一つが”味噌汁”で、作っていると

「味噌全然溶けないじゃん〜。とりあえず中に入れとけばいっか!」(ほぼ放置)とか

「なんか時間かかるな〜。よし、強火で一気にいっちゃえ!」とか思ってしまって、

“丁寧に”作れなかったんです。(他の料理は丁寧に作れるのか?と聞かれても困りますが…)

ですがこの前はなぜか「よし、丁寧に作ってみるか。」と思えて、味噌の扱いと火加減に気をつけまくった結果、優しいお味噌汁が完成しました。

丁寧にって、大事ですね。

気が向いたら、また”丁寧な”お味噌汁作りにチャレンジしようと思います(笑)

*****

先日、教え子に会いました。

中学受験の前日に「頑張ってね」と話して以来なので、ほぼ4ヶ月ぶりでした。

たまたまイレギュラーな勤務が入って、たまたま1時間前に出勤したら、たまたま扉の前に彼女たちが居て。

「あーーー先生だーー!」

「ほんとだーーーーー!」

「せんせー久しぶりーー!」

と、相変わらず元気な声で出迎えてくれました(笑)

「みんな元気そうで良かった!合格おめでとう!制服姿を見れてすごく嬉しいよ」

初めての制服、初めての電車通学、初めての宿泊行事、初めての中間テスト、初めての部活動。

「学校の勉強が難しくて大変なんだよ」と言いながらも、楽しそうに、そしてちょっぴり誇らしげに色々なことを話してくれる彼女たちの姿はとても眩しくて、言葉では言い表せないくらい嬉しかったです。

みんなの人生に、幸あれ。

一歩ずつで良いから、自分の足で、自分の人生を、自分らしく歩んでいってね。

先生はずっと、応援しているよ!

*****

塾は、勉強をするところです。

そして、その”勉強”とは、「志望校に合格するため」「より良い学校へ行くため」「より良い成績を取るため」の”勉強”です。

目的があり、ゴールがあり、成功と失敗があり、競争があり、ランク分けがあります。

それを否定するわけではありません。

私自身、塾で”勉強”したからこそ今の私があるのだと、分かっています。

だけれど、約2年間塾講師として働き、(主に小学生に)”勉強”を教える中で、私はこれで良いのだろうか、本当に彼らの人生のためになっているのだろうかと、迷うことが多々あります。

もちろん、私の仕事は”勉強”を教えることであって、保護者の方々が私に求めることは質の高い”授業”と、それに伴う”結果”です。

それは十分過ぎるくらい分かっているし、私の役割はきっちり果たしてきたつもりです。

だけれど、

「勉強したくない」

「なんで受験しないといけないの」

「なんで勉強しないといけないの」

時に泣きながら、時に怒りながら、時に純粋な疑問として聞いてくる生徒たちに対して、私はいつも言葉を濁すばかりです。

「良い学校に入るためだよ」

「将来の選択肢を広げるためだよ」

「人生を豊かにするためだよ」

いつかに聞いた、「勉強する理由」です。

どれも正しいのかもしれない。でも、どれも生徒たちが望んでいるものではない気がするし、どこか胡散臭いというか、曖昧にして逃げるような”ズルさ”を感じます。

良い中学、良い高校、良い大学、良い就職先、良い人生。

「良い」とは、何を指しているのでしょう。

より「多くの」選択肢。

結局、選ぶのは1つでしょう。

「豊かな」人生。

勉強以外にも、人生を豊かにする方法はあるでしょう。

なぜ勉強するのか。なんのために勉強するのか。

私は未だに答えが出ません。

私にできることは、考え続けることだけです。

答えることはできないけれど、一緒に「考える」ことはできる。

そんなありきたりなことしか言えない自分が、悲しくて、悔しくて、虚しい。

*****

教え子たちとの再会は、本当に嬉しいものでした。

彼らの努力が実ったことはもちろんですが、(大袈裟に言えば)今の彼らが楽しく中学生活を送れているということ、”勉強”の結果辿り着いた場所で、幸せに生きられているということ。

それが何より嬉しかったです。

彼らは大学受験に向かって、再び”勉強”しています。

悔しい思い・悲しい思いをすることもあるでしょう。

なぜ”勉強”するのかと、再び疑問に思うこともあるかもしれません。

だけど、その時、その問いに気づかないふりをして、自分の心に蓋をしないでほしい。

答えは出ないかもしれないけれど、考える時間と、ちょっぴりの余裕を持って生きていてほしい。

考えることを、諦めないでほしい。

自分の人生は自分のものだってことを、どうか忘れないで。

*****

今日のブログは一段とまとまりませんでしたね。

次回はもう少し、まとまった文章を書きたいです。

それでは、また。

新時代。

こんにちは、あこです。

あっという間に5月も中旬。

先日のブログで「元気になった」と言ったあこですが、GW後半から体調を崩し、その後は母もダウン。

やっとちゃんと(?)元気になりました。

そういえば、三ヶ日に引いたおみくじでも、血液型×星座占いでも、誕生日占いでも、今年は「健康運が悪い」と出ていたな〜とか思ったり。(運のせいではない)

健康3原則【食事・運動・睡眠】を意識して、健やかな生活を送ろうと思います…!!

*****

先月から、教習所へ通っています。

「今は電車もバスも整ってるから運転免許取らなくていいのでは???」と思っていましたが、色々あって方向転換。

まずは仮免取得を目標に、学科教習と技能教習を頑張っています。

コロナ禍を経て学科教習がオンラインになり、「常時AIによって画面を見ているかチェックされる」とか、「自動的に受講者の写真が撮影され、翌日の教官チェックを経て受講済みとなる」とか、色々驚くことはありましたが、学科教習はまあいいでしょう。

問題は、技能教習。

全くもって、運転の感覚が掴めないんです。

かつ、飲み込みが遅すぎる。

元々「感覚で動く」「感覚を掴む」「感覚で覚える」系のことが超苦手なあこ。(しかもその鈍い”感覚”をカバーできるほどの”頭”もないときた。)

運転、難しすぎませんか?

目で進行方向を見て(広い視野で全体を見る)、一定のスピードでハンドルを回し(回すタイミング・加減も調整)、一定のスピードでハンドルを戻し(直線になった時にハンドルは元の位置)、右足だけでアクセルとブレーキを切り替え(左足は常に足置き場)、かつ踏み加減の調整も超大事。

私的には、Adoの”新時代”を歌いながら手で三拍子、足で四拍子のリズムをとっている、みたいな、超複雑な操作です。

もはや、人間のやることとは思えない。(失礼)

「あこさんは前を”点”で見ています。”面”で捉えてください」

「注意力散漫です。鳩は見ない!!!」

「考える前にハンドル回す!!!」

教官曰く「自転車より遅いスピード」で走っている私の車が、公道に出られる日は来るのでしょうか。

本当に心配です。

いつか、「感覚掴めたらヨユー!」「運転、思ったより楽しー!」と思える日が来ると信じて。

完全自動運転の時代が待ち遠しいです。

それでは、また。

掛け替えのなさとスペアと。

こんにちは、あこです。

今日は4月の30日。明日から5月ですね。

前回のブログでは「元気がない」と言っていたあこですが、3日前ほど前に復活しました…!!!

委員として参加した新入生オリエンテーション終了後のあこは

①とにかく体がだるくて、何もやる気になれない

②強烈な眠気(「ほげ〜」「ほのぼの〜」みたいなふんわりした感じではなくて、「机に向かって本を読んでいたのに、起きたら2~3時間経ってて、しかも寝てるのは床の上」みたいな、”気絶”に近い眠り。)

③ずーっと地味に頭が痛い

という三重苦で、正直心身のバランスが上手く整っていませんでした。

「やる気を出さないと。」「頑張らないと。」「切り替えないと。」

と思って、簿記のテキストを買ったり自動車免許取得のための教習所に入校したり、色々やってみましたがあまり効果はなく。

「今は頑張らなくていいや」と自分を甘やかして、ちょっとずつ部屋を片付けたり、卒論で扱う『源氏物語』を少しずつ読み進めたり、ゆっくり過ごしていました。

そして、「久々に靴を磨こう」と思って、いつも履いている白のレザースニーカーのお手入れをしていたら、なんとなく気分が晴れてきました。(それが3日前)

半年前も書いたような気がしますが、「ひょんなこと」に助けられることって、結構あるような気がします。

些細な出来事や些細な言葉に傷つくこともあるけれど、それよりももっと、助けられることの方が多い。

「ひょんなこと」って、すごい。

(因みに、お手入れをしていたら、ソール部分がパックリ割れていることに気づきました。先日、中国庭園の石階段から2,3段落ちた時に、やらかしてしまったんだと思います。(尚、足は無事です)表面のレザーが擦れたことには気付いていましたが、ソール部分は見ていませんでした。修理には2ヶ月程かかるということで、夏休みにお願いしようと思っています。皆さんも石階段にはご注意ください!笑)

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というわけで、今回は最近の楽しかったお話をしようと思います。

2日前、母と一緒に舞台『ハリー・ポッターと呪いの子』を観てきました!

もう、ほんっとに最高でした。

想像を超える”魔法”とストーリーに、終始驚き、時に笑い、時に涙し、最高の3時間40分でした。

終演後も興奮が全く冷めず、公演プログラムと、公演ロゴTシャツと、公演ロゴトートの3点を購入。(尚、財源は母上)

久しぶりに「感!動!」&「興!奮!」を味わい、ほんとに最高でした。(n回目)

みなさまもぜひ、足をお運びください。(もう観劇済みの方も多いかもしれないですね汗)

私はもう1度、観に行きたいです!

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『ハリー・ポッターと呪いの子』のキーワードの一つに、「スペア」があります。

ネタバレになりそうなので詳しくは言えませんが、『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』でセドリックが殺された際にヴォルデモートが手下に命じた、”Kill the spare”というセリフから来ています。

「スペアを殺せ」

つまり、セドリックはハリーの「スペア」として殺されたということです。

何を言ってもネタバレになりそうなので舞台の内容にはこれ以上触れませんが、「スペア」という言葉を聞いてから、この単語がずーっと頭の中に残っていました。

決して、セドリックはハリーの「スペア」ではないし、私たちは1人として誰かの「スペア」であるはずがありません。

「掛け替えのない」という言葉の通り、人、そしてその人の人生には「替え」がないのです。

ですが、その一方で、「替え」の連鎖を繋いでいくこともまた、大切なことであるようにも思うのです。

例えば、「委員長」や「代表」などの役職、「母」や「父」などの役割など。(←父母については、どれが「父」の役割でどれが「母」の役割なのか、そもそも両者に役割の違いはあるのか、など、色々思うところはありますが、今回は触れません。どうかご容赦ください。)

もちろん、「私は先輩のスペアだ」とか、「後輩は私の”替え”だ」とかは微塵も思っていないし、「誰が父でも、誰が母でも変わらない/構わない」とも、全く思っていません。

でも、「”この人”が抜けたら潰れる団体」は「良い」ようには思えないし、「”この人”しかできない」役職、「”この人”しか分からない」ことばかりで成り立つ集団もまた、長くは続かないでしょう。

「良い組織・良いグループ」であるためには、「”この人”以外の人が、いつでも”替われる”」状況を作る必要があるのではないか。つまり、「スペア」の連鎖を繋げていくことが大切ではないかと、思うのです。

それに、「私は誰かのスペアだし、誰かは私のスペアだ」と思うことで、ちょっとだけ心が軽くなる、ということもあると思います。

私たちが思う以上に「替えのない」ものは、少なくて、私たちが思う以上に「替えのない」ものは大切で、私たちが思う以上に「替え」があることは幸せです。

「替え」があるからこそ、「替えのない」ものを大切にすることができ、「替え」がある・いることは、私たちが周囲の人に愛され、信頼し合える「良い」関係を築けている証であるとも言えるでしょう。互いにスペアになることは、「支え合う」とも言い換えられるかもしれません。

*****

繰り返しになりますが、私は”誰か”という「人」自体に、スペアがいるとは思っていません。

私たち一人一人が掛け替えのない存在であるという考えも、変わりません。

ただ、私たちは生きていく中で、勝手に「替え」のあるものを「替えのない」ものだと思い、本当に「替えのない」ものを見失い、本当は「替え」のあるものに、「かけがえのない」意味を見出そうとしているのではないか。そう思う瞬間が、時々ある、というだけの話です。

「替え」を作れ、というわけでも、「替え」のあるものは価値のないものだ、と言いたいわけでもありません。価値の有無に、「替え」の有無は無関係でしょう。

確かなことは、

私は私であり、あなたはあなたであるということ。

すべての人が「掛け替えのない」存在であるということ。

そして何より、私たちの人生には「替え」がないということ。

新学期が始まり、色々不安に思うこともあると思います。

私自身、4年になった今でも心配なことばかりです。(特に卒論)

それでも、1日1日は「かけがえのない」時間だから。

無理せず、気負わず、自分らしく、過ごしていきましょう。

それでは、また。

言葉と目標と全力と。

こんにちは、あこです。

先日、4年生になりました。

時の流れが早すぎます。

最終学年。

年長さん、小学6年生、中学3年生、高校3年生と、”最終”学年は何度か経験してきましたが、「大学4年生」の重みは一入です。

なんか、ラスト感が半端ない。(語彙力)

怒涛の春休みを乗り越えて若干燃え尽きているあこですが、ラスト1年、後悔のないように、全力で走り抜きたいと思います…!!!

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手帳を変えてから、その月のテーマ・目標を決めるようにしています。

1月のテーマは

・メリハリをつけて時間を有効的に使う!

・絶対に手を抜かない。全力を尽くせ!

・時間も気持ちもお金も無駄にしない!

3月のテーマは

・今月中に結果を出す。自分の力を出し切れ!

・時間の使い方に注意。今逃げてどうする!

・健康的な生活。諦めない。人に優しく!

でした。(引用:各月のテーマ記入欄)

目標やテーマを設定して生きるのは(疲れるから)好きじゃないし、残念ながら全ての目標を達成できた訳ではないですが、この3ヶ月間、目標と共に生きてみて感じたのは、「言葉の力」の強さです。

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もう十分頑張ったんじゃない?

これが自分の限界なんじゃない?

もう諦めてもいいんじゃない?

失敗しそうになると、上手くいかないことがあると、心の悪魔が囁きます。

目標を立てない。

わざとハードルを下げる。

目標を口にしない。

失敗を恐れて、目標設定を嫌うのは、私の短所です。

そんな自分に危機感を覚えて、手帳の「テーマ記入欄」と「月間スケジュール記入欄」(←1番よく見るページ)に、その月の目標・テーマを書くようにしました。

正直、「目標」と言えるようなことは書けていません。

1月と3月の例を見てもらうとわかるように、目標にしては抽象的だし、どうなったら「目標達成」なのか、いまいちよく分かりません。

だけれど、目標を手帳に書くようにしてから、「もうひと頑張り」できるようになりました。

なぜ、今頑張っているのか。

なぜ、今頑張りたいのか。

何を、今成し遂げたいのか。

「書かれて」いるからこそ、「目に見える」からこそ、「もう無理かも」と思った時に、「ここで腐っている場合じゃない」「もう少しだけ頑張ってみよう」と、思えたのかもしれません。

「あとちょっとの頑張りで、結果が良い方に変わるかもしれない」という、根拠のない自信と、希望。

言葉にした目標は、少しだけ、でもしっかりと、私の背中を押してくれました。

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怒涛の3ヶ月を終え、先日4月を迎えました。

4月のテーマは、

・学生生活をしっかり生きる

・気持ちを切り替える

・モチベを上げる

です。

ずっとブログを読んでいてくださっている方々は気づくかもしれませんが、今日のあこは不調です。

というか、元気(覇気?)がありません。

3ヶ月間「全力!!!!!」で生きてきた反動なのか、最近のあこは少し「燃え尽き」気味なのです。

ラスト1年。

全力で走り抜くためにも、今月は「切り替え」に注力します。

次回は、もう少し元気なあこをお届けしたいです。

それでは、また。

もっと、もっと。

こんにちは、あこです。

2月に入ってから、急に忙しくなりました。

母と両国でホカンスしたり、10ヶ月ぶりに高校時代の友人と会ったり、1年前にすっぽかしてしまった病院へ行ったり、大忙しです。(暇人)

昨年までは「忙しい時はプライペートの予定入れない!」「仕事/勉強に全集中!」「1つのことしかやらない!」タイプの人間だったのですが、色々あって方向転換。

というより、私が何かに「全集中」できていたのは、その他のこと(特に生活面)を母が全て担ってくれていたからです。しかし、22歳になろうという人間がそれではまずかろうということで、最近ちょっとずつ頑張っています。(激遅)

頑張る時に頑張る、遊ぶ時に遊ぶ。

頑張るための、息抜き。

まだまだ慣れていないので「ごめん、もうちょっと待って!まだ会えない!」とお誘いを断ってしまうことが多いけれど、会いたい気持ちは私も同じです。

会いたいと言ってくれている方々、私も会いたいです。

いつも、お友達でいてくれてありがとう。

いつも、面白い話を聞かせてくれてありがとう。

いつも、パワーをくれてありがとう。

ちょっと(?)頭がおかしくて、生き方も不器用だけれど、芯が強くて、怪我を恐れず(←というより、怪我してることに気付いてなさそう)、自分の力で、自分の道を切り拓いていく。

私の友達は、そんな人ばかりです。

半年に1回ずつくらいしか会えませんが、会うたびに刺激をもらっています。そして、私もみんなに何かしらの刺激を与えられる人になりたい、と、いつも思わされます。

みんな、いつもありがとう。

これからも、よろしくね。

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大学3年の春休みに突入し、残りの大学生活の過ごし方について考えるようになりました。

4月からは、大学4年生。大学生活も、いよいよラスト1年を迎えます。

コロナ禍で始まった大学生活。

想像していた始まり方ではなかったけれど、良くも悪くも「理想の大学生像」がない人間だったから、人よりは適応に困らなかったと思います。

人と環境とご縁に恵まれ、今日に至るまで、充実した日々を過ごすことができました。

だけれど、「ラスト1年」の過ごし方を考えるにあたって、「このままじゃダメだ」「今までと同じは嫌だ」と思うことが多いです。

決してこの3年間を否定したいわけではないし、今までの大学生活に後悔もありません。(むしろ感謝です)

ただ、言葉で表しにくいけれど、「今しかできないことをしたい」という思いが、一層強くなったのです。

コロナ禍で勉学に励むこと、委員会活動に力を注ぐこと、アルバイト先の生徒たちと真正面から向き合うこと。

この3年間、「今しかできないこと」をたくさん経験してきました。

もちろん、高校時代以前も然り。

とても楽しかったし、幸せでした。

だけれど、何か物足りない。

特に、「人」や「経験」に対して、そう思ってしまうのです。

もっともっと、たくさんの人に出会いたい。

もっともっと、いろいろなものを見て、聞いて、感じたい。

もっともっと、広い世界を見たい。

もしかしたら、「今しかできない」わけではないのかもしれない。

社会に出てからの方が、たくさんの人に出会って、いろいろな経験をして、広い世界を見れるのかもしれません。

でも、絶対、「大学生だからこそ」「今だからこそ」出会える人やできること、感じることは、あるはずです。

そのチャンスを逃したくない。

このままで、大学生活を終えたくない。

今のままオトナになるのは、嫌だ。

もうとっくに大人なのに、社会に出たいと思っているのに、心のどこかでそう思ってしまう自分がいるのです。

臆病で、阿呆で、欲張りなあこが、心の奥で、声をあげているのです。

もっと、もっと、できるはず、と。

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「社会人」が、「社会」が、「オトナ」が迫る中で、形容し難い”閉塞感”や”焦り”を感じています。

もちろん、就職はしたいし、働きたい。

社会に出たいし、社会の役にも立ちたい。

お給料をもらって、自分の生活をして、ゆくゆくは家族もほしい。

そのために、就職活動をしています。

でも、残りの1年間は、それだけで終わりたくないし、それだけで満足したくない。

全部頑張った上で、もっともっと、頑張りたい。

もっとたくさんの人に出会って、もっといろんな経験をしたい。

“欲”とは無縁の人生だと思ってきたけれど、いつの間にか、”超”欲張りな人間になっていました。

これが良いことなのか悪いことなのかはわからないけれど、きっと今はそういう時期なんだと思います。

流れに任せて、でも流されないで、明日からも頑張ります。

それでは、また。

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追伸

最近、YouTubeを観ていたら、The Greatest Showmanの「Never Enough」が流れてきました。

映画自体は公開された時に観たのですが、正直「Never Enough」についてはほとんど覚えておらず。

ですが、たまたま流れてきたこの歌を聴いた時、心がとても熱くなりました。

久しぶりに、映画も観たくなりました。

知っている方も多いと思いますが、自分への覚書という意味も込めて、動画を共有させてもらいますね。

ぜひ、聴いてみてください。

https://www.youtube.com/watch?v=rQWZK5U233s

ありのままで。

こんにちは、あこです。

先週、箱根へ行ってきました。

目的地は彫刻の森美術館でしたが、昼食にいただいた山安食堂の「金目鯛のひつまぶし」、最高でした。

圧力鍋で調理されているため骨まで柔らかく、とにかく美味しい。

(途中で雪が降りましたが)一日を通して天気も良く、色々あってどんよりしていた気分も晴れ晴れ。

気持ちを切り替えて、これからまた頑張ります!!!

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最近、心身共に火傷をしました。

身体の火傷については、口内の上部分をやられました。

ただ、いつ火傷したのかは覚えていなくて。

気づいたら口の中が痛くて、気づいたら皮が剥けていました。

恐らく犯人は、昨日の夕食に食べたポトフ。

作っている最中、横着をしてフウフウしないで味見したんですよね。

きっとあの時に火傷したんだろうなって、思っています。

心の火傷については、○活(←前回に引き続き、怖くて伏字)での出来事です。

諸々の事情があって詳しくは書けないですが、事前に調べたりまとめたりしていたことを、全く活かせませんでした。あんなに「論理的に説明してください」って言われていたのに結論から話すことを忘れ、相手の方が話そうとしたのに自分の話を続け、予想外の投げかけにパニックになって超当たり前なことを言い。

もう、ほんっとうにショックでした。正直、ナメていたところもあると思います。

「自分らしく、ありのままで臨んでください。」

この言葉を、真正面から受け止めすぎました。

というか、解釈を間違えました。

「ありのままで」とは、

「自分を良く見せようとしなくて良いですよ」

「他の人と比較して必要以上に卑下したり不安に感じたりしなくて良いですよ」

「誰かの言葉で貴方を塗り固めなくて良いんですよ」

という意味です。

決して、「今のままの貴方で十分だから準備しないで良いよ。」という意味ではないんですよね。

念の為言っておくと、私たちは今の私たちで十分「価値」があると思うし、皆が尊重されるべき存在です。そこに関しては、断言できます。

綺麗事だろう、ぬくぬく生きてきた奴が言うセリフだろう、と言われるかもしれないけれど、価値のない人間なんていないし、軽い命なんてない。そこに関しては、譲れません。

ただ、今回の事例においては、「今の私」=「今の準備状況で十分/もう準備しなくてOK」となってしまった点が、良くないっていう話です。

そんなの当たり前だろうって声が聞こえてきそうです。いや、実際その通りだから良いんです。ほんと、その通りだから、良いんです。

でも、もう間違いに気づいたから、自分の弱さに気づいたから、同じ失敗は繰り返しません。

絶対、しない。

戒めを込めて、ブログに残すことにしました。

あこ、忘れないでね。

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「自分らしく」は、今年の私の目標の1つです。

この目標を設定した時の私は「現状維持」や「このままでOK」という意味で使っていたわけではなかったはずなのに、いつの間にか自分にとって都合の良い、「逃げ」の言葉にすり替えてしまいました。

「その失敗もあこらしいね」と言われればそうなのかもしれないけれど、こういう失敗をした後にどうするか、どう切り替え、どう活かしていくのか、というのも「自分らしさ」だと思います。

もう、後悔したくないから。

私は、大丈夫。

そう言い聞かせて、2月からも頑張ります。

それでは、また。