ハマる直前

こんにちは。ましろです。

この間は、最高気温で暑かったですね。最近は、マスクをしていると、息苦しさを感じるようになってきました。

最近、中国のドラマを見始めました。
留学生と少しでも相手の母国語で話したいと思ったことと、漢詩を中国の発音で読んでみたいと思ったのがきっかけです。ドラマなら気軽に楽しみながら学ぶのに向いてるじゃないかと思って見ています。

中国のドラマは、字幕がついているものが多く、漢字を見て何とな〜く内容が理解できます。分からないところも多いんですけれど、「とある漢字が多く使われている」だとか「来世で恩返しといった考え方が根付いているのだろうか」といったことを感じられます。
また、時代劇ものは、とにかく衣装が美しいんですよね。普段の服装や髪飾りはもちろん、甲冑だったり、結婚式の赤い衣装だったりとバリエーションが豊富です。朝廷に行く時の姿と普段の髪型の違いなんかも見ていて楽しいです。オープニング曲や劇中歌、エンディング曲もいいんですよね。中国語は、一つの文字で音に高低差があるからか哀愁漂うメロディーが多いように感じます。笛の音もいいですね。さらに哀愁をかきたてます。
さっきは漢字で何となく内容が分かるなんて言ったけれど、実際は分からないこともたくさんあります。言語が分からないものでは、バックミュージックの不穏さや表情で内容を読みとってるのだなと感じました。悪役は、完全に悪い顔をしていて伏線も見つけやすいです。
あと、自分の好みに気づいたのが、やっぱり人の表情を見るのが好きなんですよね。俳優さんたちが、ちょっとだけ口角をあげていたり、顔を緩めて雰囲気が柔らかになったり、真剣な表情だったりと見ていてどんどんと惹き込まれてしまいました。
戦闘シーンでありえないぐらい飛んだり(これはこのドラマだけかも)、亡くなるときに血を吐いたり、日本のドラマとの違いも改めて確認できて面白かったです。
まだまだ見始めですが、沼にハマる直前まできています。何事も楽しみながらするのが一番ですね!


暑くなってきましたので体調にはお気を付けて。自分をいたわってあげてくださいね。
以上ましろでした。

やってみないと分からない事

 こんにちは、さゆりです。犬王、公開されましたね!!!!
残念ながら私は課題に追われていて見に行けないのですが、少し落ち着いたら観に行きたいです。
犬王の影響で私の中のお能への気持ちもフィーバーしているので、今回は久しぶりに、お能のお話です!

 この前野村四郎先生が仕舞をしていらっしゃるDVDを見たのですが、舞のあまりの優雅さにびっくりしました。四郎先生がお亡くなりになるコロナ禍前まで、能研では四郎先生にご指導をいただいていました。残念ながら私はお会いすることが叶わなかったものの、先輩達が四郎先生の事を語る時いつも楽しそうにされていたので、すごく素敵な方だったんだろうなぁと思いながら聞いていました。一度お会いしてご挨拶がしたかったです。
 現在練習している「紅葉狩」は、高貴で美しい女性に扮した鬼女たちの舞です。能では男性と女性で舞のニュアンスを変えるそうで、私はまだ女性舞しかやった事がありませんが、男性舞だとカマエの時の手の位置を変えたりするみたいです。
 その四郎先生の舞なのですが、本当に女性に見えてくるほど本当に美しくたおやかで!所作の一つ一つが滑らかで洗礼されていて、見ながら練習しようと思っていたのに無意識に手を止めて見入ってしまいました。以前先輩が「仕舞は型の連続」と言っていて、その時はあまりピンときませんでしたが、このビデオを見ながら型を覚えるうちにうっすらと分かってきました。確かに型の連続です。でも、他の演目と同じ動作をしているはずなのにそうとは思えないほど表現豊かで全く別のものに見えて来るので不思議です。
 初めてのお稽古だったでしょうか、仕舞を教えていただいた時、先生が「プロでも摺り足は一生」とおっしゃっていたのが印象に残っています。映像で見た四郎先生の摺り足はとても自然で美しいですが、軽々と足を進めるので摺り足が難しいということをすっかり忘れそうになってしまって……いざやってみると、摺り足が一番簡単そうに見えて全く先生のようには出来ないので思わず苦笑いが出てしまいました。シンプルな型だからこそ、究極の美が詰まっているのかもしれません。なんと奥深い!!

 見るだけでも楽しいですが、実際に仕舞と謡を教えて頂けるというのは何よりも貴重な経験です。二年目にして、大学生活も長くて短そうだなあとぼんやり感じ始めているので1回1回を大切に練習に励みたいです。

 といいつつも、実はまだ実際に舞台を観に行ったことが1度しかないので、夏には何回か観にいければいいなと思います。

 舞台と書いて思い出しました。日本文学科が6月から国立劇場のキャンパスメンバーズに加入した、ということで!!メールで知って大喜びしてしまいました。これはうれしいお知らせですよね!能は勿論、歌舞伎や文楽にも興味があるので大学生でよかったわと喜びをかみしめています。

ではまた!

食の神秘

こんにちは、まなです。皆様いかがお過ごしでしょうか。部屋着を既に夏用のものにしてしまったので、夏本番の時期に果たして耐えられるか不安になってきました。もっと素材の薄いものを買うかどうか悩みます。

最近、食に対する興味が一段と湧いてきました。直近で感動したのは、ホッケフライの美味しさです。今まで鮭のムニエルに勝てる魚料理は無いと思っていたのですが、甘かったです。魚を揚げるだけでさっくさくホクホクの幸せが生まれる神秘。恐れ入りました。揚げ物を作る面倒さに目を瞑れば、出来ることなら毎日食べたいほどの衝動に駆られています。

ホッケフライとはまた別に衝撃を受けたのは、汁なし担々麵です。先日初めて食べたのですが、喉が焼き付くような感覚を味わい、余りの辛さに「こんな辛い物二度と食べるか」と涙目で決意しお茶を飲みました。しかし、数日後なぜか同じ汁なし担々麵の袋を握りしめカゴに入れる自分の手。自分の意志とは反してあの辛さを求めてしまう本能。あんなにつらかったのに、どうして? 「からい」「つらい」「美味しい」感覚は密接に絡み合う要素なのだと認識しました。今日も辛さ対策のラッシーをお供に汁なし担々麵を食べようと思います。

それでは、また。

自分らしさって?

こんにちは、みどです!
卒業論文の執筆から就職活動、授業の課題など毎日やることが多すぎて、何か始めるたびにログインボーナスとかつかないかな、実績解除とかされないかな…と考えています。
先日、就活で初めての対面面接という実績が解除されました!わーい😄
その面接で聞かれた質問の中で、答えるまでに少し固まってしまった質問がありました。

「あなたが考える「自分らしさ」とは何でしょうか?」

これを読んでいるあなたは、すぐに答えられることができますか?
この質問を即答できる方が珍しいですよね。実際に私もこの質問をされて答えたはずなのですが、どのように答えたのか、緊張と焦りで忘れてしまいました…。
自分らしいって何だろう?
残念ながら、私には突出した才能も、頭の良さも、人脈も、財力もありません。他の人と比べた時に「ここが違う!」となる部分も分かりません。特別顔も良いわけじゃないし。
でも、今までの人生21年間を振り返って、何か新しいことを始める時、事あるごとに「笑顔」というワードを口に出していたな…と思い出しました。
中学生の時、ダンスが苦手で上手くなりたくてダンスを習い始め、先生に「ダンスを上手く見せるには笑顔も大事だよ」と言われたこと。高校生の時、ダンス同好会で副部長になり、後輩に「笑顔で踊ったらうまくなる!」と教えていたこと。大学1年生・2年生の時に参加したボランティア活動で「みどちゃんはいつも笑顔が素敵だね」と褒められたこと、そしてボランティア活動に参加した高校生にも「辛い時こそ笑顔だよ」と話したこと。アルバイトでは、苦手な接客に挑戦し、笑顔を絶やさなかったこと。
思い出したらキリが無いけど、そういえば私の人生「笑顔」とともに歩いてきたな~と。「私らしさ」と「笑顔」は繋がるんじゃないかな…と、終わった面接の一つの質問をこの数日間、頭の中でグルグル巡らせてました。

結論:「自己分析、チョーーーーーーーーーーーー大事。」

これを読んでいるあなたの「自分らしさ」とは何ですか?
以上、みどでした♪

とことことことこ

トコトコトコトコ歩きます
緑のトンネル歩きます

キリッとキリッと歩きます
新品ピカピカいいでしょう

テクテクテクテク歩きます
目的地まであとちょっと

スタスタスタスタ歩きます
このペースだと遅刻しそう

チョコチョコチョコチョコ歩きます
靴擦れヒリヒリ痛みます

フラフラブラブラ歩きます
あなたが来るまで待ちぼうけ

ルンルンルンルン歩きます
四葉のクローバーみ〜つけた

そーっとそーっと歩きます
あの犬怖いな起きないで

ヨロヨロのっそり歩きます
体力限界はやく寝たい

ピタッと止まって見上げます
まっかな夕焼け見惚れちゃう

ズンズンズンズン歩きます
明日に向かって歩きます

*******


だいふくです。

歩いています。毎日歩いています。
皆さんも毎日歩いていますよね?
わたしが一日で一番「わたし今、歩いているな」と感じるのは、目白駅から日本女子大学までの道のりです。皆さん20分くらいかけて歩いていると思いますが、都会の「最寄り駅から大学」にしては少し遠い気がします…。学習院の人うらやましい…‼︎

ある日、事件はおきました。
いつの間にか目覚ましを止め、二度寝をしてしまったわたし。
もう一度目を覚まして時計を見ると、いつも家を出ている時間。

「おわった」

いや、もう間に合わないでしょ、と思いましたが、とりあえず準備をして家を飛び出しました。何とか遅刻しないギリギリの電車に乗れました。セーフ。目白駅到着予定は8時41分。授業開始は9時です。
まあ何とか20分のペースで歩けば間に合いますね。そう思っていたときに、車内アナウンスが流れました。「人身事故の影響でしばらく停止します」

「なぬっ??」

ここで止まられちゃ困る…
動いてくれ、動いてくれ…
3分で動きました。セーフか!?
ダッシュで山手線に乗り換え。よーし間に合うぞ!

「なぬっっ????」

山手線も3分遅れてるー!!
これはこれは。
そして、目白駅に着いたのは8時46分。
あと14分?
走るしかないでしょ!!

本女生で溢れているこの長い道をダッシュはできないので、極限にダッシュに近い小走りをしました。あとは腕時計とにらめっこ。

間に合うか、間に合わないか。
間に合うか!間に合わないか!
間に合わないか!間に合うか!

そして何とか鐘が鳴る前に校門に辿り着きました。
時刻はなんと!8時56分!10分で着きました!快挙!
皆さん、頑張れば目白駅から大学まで10分で着きますよ。
でも、寝坊はしないように気をつけましょう。
無意識で目覚ましを止めてはだめですよ。

今日も皆さんに素敵なことがありますように。

薔薇

百聞は一見にしかず、という言葉がありますが、時には一香が、一見に優ることも。

陽射しの五角形が重なるようにして橙色は広がってくる。
ニスが塗られたみたいに艶々とした葉っぱの緑は、朱を混ぜながら徐々にくすんでいく。

そこは影と美が混ざり合い、確かめ合い手を取り合う、舞踏会だった。光沢のあるひだを重量感たっぷりに身にまとい、あるいは控えめなフリルをちらつかせたりしながら、みな気高く、気品溢れる態度で、“お相手”の声がかかるのを待っている。時には疲れて首をもたげているのもいる。でも多くは、必死に陽光を浴びて、照らされたドレスをよりいっそう輝かせて歌っている、私を見て。

肝心の“お相手”、そんなこと見向きもせず。目を瞑り安堵の呼吸をして、あぁ、そこにいる、と歩き出す。
揺れる衣が振り落としていく芳しい香りに、乱れる心の花弁が1枚1枚剥がれていくのをよそに無条件にそこへ誘われる。

伸びてきた手は誘っている。
1曲いかが?そう言っている気がした。
鼻の先がずっと近くに寄ってきて、深紅に染まったそれは、

ちょきんと切り落とされた。

*****

鮮烈な薔薇たちは最も盛んな時に切り取られ飾られる。ぬくぬくと蕾から顔を出して必死に咲いた誰がそんなことを知るのでしょう。

まいです、ごきげんよう❀

ついこの間のことです。私の父方の祖父が他界しました。一時は余命宣告をされたけれど宣告時期を過ぎてもなお長生きし、最後まで自力で生き一週間と病院にいることなく眠りにつきました。

危篤状態になる数日前、病院にいる祖父のために父がボイスレコーダーを買ってきました。このご時世、病院にお見舞いに行くことも許されないので、せめて声を届けようと家族で集まりみんなで「アンパンマンマーチ」を歌って励ましの録音を聴かせました。

葬儀の経験というのは、ものごころついてからは今回が初めてでした。冷たくてすべすべな祖父の周りに色とりどりの花をいっぱいにつめました。これからの旅のお弁当と、みんなで撮った写真、父の詠んだ歌、それらを並べ、涙と感謝がずっしり染み込んだ棺は運ばれて行きました。

祖父の魂は既に狭い箱から出て、もっと清々しい景色に溶け込んでいたことでしょう。祖父との思い出話から知らない若き日の話などを家族同士で話し盛り上がり、記憶の中の祖父も笑顔にしていました。

「虹」という合唱曲にこんなフレーズがあります。

”ぼくらの別れをだれかが出会いと呼んだ”

祖父はわたしたちに別れを告げたその先で、いったいどんな素敵なものと出会っているんだろう。こちらに帰ってきたりはしていないから、きっと楽しんでいることでしょう。

すべての人の行く先々で、すてきな出会いが待ち受けていますように。

以上、19歳最後のまいでした。みなさん良い夢を🌙**

ダーウィンとあめりかの葡萄

ご無沙汰しております、みちるです。

 

やりたいことはないんです。

「行きたい場所も食べたいものも将来の夢も、今の君にはないみたいだ」

左様。
書きたいものだって、わかりませんよ?
どうであれ、”こんな”なのは今だけだと信じたい。何もかも能動的に欲せないのであれば知性の敗北である。必要と芸術、などといって或る事柄について分類することさえナンセンスになってしまう。

存在することはこの身体と精神とが働くことであり、あるいは認識することである――だからきっとこんなに存在が恥ずかしい。
”ダサさ”に敏感なのは自分がなりたくないものばかりが世界に横溢しているからで、しかし自分がどうであるかはわからない。困ったものです。

あなただけは輝いていてほしい。お願いですから。
今なら、これと似た願いを私に向けた人の思いがわかるのではないか。改善論・第三の認識において。

 

(間奏)

 

私には生活に対する真剣さが足りないらしい。
いやあ、これでもマジメに物事へ取り組んでいるはずですが?無い眼鏡を押し上げて私は言う。

学問に対して、あるいは或る種の探求に対して私が真剣であることは、自他共に認める事柄であるらしい。しかし生活に対してはといえば先述の通り ”がんばりましょう”なのだそう。おそらくそうしたことを言ってくる人々は私の遅刻癖(Lv.99)や食事・睡眠の”省略”、ごみの捨て方のテキトーさ、クッキングスキルの欠如などについてそれを矯正してくれようとしているのだろうと思う、いいやそう思わずにはよく知らない学生や教授やその他周辺からのお叱りに耐えられない。

「そんなんじゃ就職できないよ」とか「学生の内は良いかもしれないけどね」などと言われるたびに、皆と同じタイミングで就職するつもりはなし、余計なお世話だぜと思ったことは幾度もあった(皆、愛してるけど)。
しかし今やそんなことを言っている場合でもない、そもそも成績が危うい(気がする)のです。とりわけこの時期はコンディションが妥当になることが殆ど有り得ないことを経験的に知っているから、冷や汗も脂汗も出まくりかきまくりである。勿論勉強したくないのではない、むしろそれは喜んでしたい。しかし授業へは中々行けない、これは床から起き上がれないことに加え「直前の授業の面子で議論していたら次の授業が半分終っていた」みたいなことが原因だったりもする。そう、道徳的な人々からすれば私は正真正銘の駄目人間であり、なんならクズ、といったところであろう。
そう言われるほどの怠惰っぷり、病みっぷりであるとわかっていながらやめられない、しかし罵倒されることの快楽と罵倒する人を表象する際の強迫との間で混乱することだけは一人前にやってのけるから、つまりヤバいんだ。
誤解しないでいただきたいのは、何も私はこういうことを書いてあなたの共感能力に訴えかけ暗い気持ちにしたいわけではないということ。全部、笑ってほしいんだ。

 

「みちる、このままじゃハイルナーだよ」

「あなたはなにか勘違いをしていませんか。ハイルナーは”立派な人間”になったそうだよ、これは誰にとっての立派さだと思う?」

「そこじゃなくて、もっと前。学校辞めそう、ってこと」

 

うーん。しっかりしなきゃね。ホント、思ってます。
私は勉強することと文章を書くことと人を愛することを諦めたときにこの生を手放しますが、であればそれ以外のことをさっぱり諦めながら生きても良い、ということではないんです。なりたいものなど何もない、といいながらも必要に駆られて(一般に使用する表現としての「そうせざるを得ないから」)何かになろうとするのなら、それはなりたいものだと言えてしまう(これ、永井均で読んだことあるな……)——あるいは、何にもなりたくないと望むことも出来るだろうが。だからまずは、そこへ向かう方法論を組み立てなければならない。本来はもっと早く、自分を真剣に反省したときからこの課題に取り掛かるべきだったんです。……そうしないから”本物”ってことなんだったら、救いようがない。いいや救ってほしい。例えば進化論者の老博士よ、私を人間生活に適応させてくれ(この調子、この人ってどんな状況に陥ってもふざけるのは止めないんだろうな)。

――そんでごくナチュラルに私、クズだとされている?ええ、それは――

 

黙れ!

 

負け犬めいたところが可愛さです。加えて、お察し頂けたかもしれませんが私は自身をクズだと判断してはいません。優等生でもないけれど、やっぱり現状をマジに深刻な事態として把握していないからでしょう。まあ、反省の如何も今後次第ですね(健康診断で毎回これ、言われます)。ひとまず明日の授業へいくためにしっかり眠ることにしましょう。
あなたは是非、その感想と笑いをとっておいてくださいね。

 

またお手紙書きますね、大好きです。    みちる

気配

こんにちは、ゆきほです🍵

先日の(恐らく)バイト帰りにPASMOを落としてしまいました。
ありがたいことにどなたかが交番に届けてくださったため、警察署の最寄り駅から20分と少し歩いて受け取りに行っているときの日差しで今年の夏の訪れを感じました。来年の夏の訪れはもう少し違った形で感じたいものです(届けてくださった方、本当にありがとうございます……!とってもお気に入りのパスケースだったんです……!!)
それにしてもぼんやり歩いているのって本当に危ないですね。今後はもう少しキリっと(?)歩くようにします。

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さて昨日実に3年ぶりとなる大相撲の本場所観戦に行ってきました!コロナ渦になる前はそこそこのペースで国技館へ行き、巡業へ行き……としていたので、3年も生の力士を見ていない!鬢付け油の香りを嗅いでいない!という状態での国技館参戦です。
最後に国技館に行ったときは『今更撮ってもな……』とあまり写真を撮らなかったのですが、今回はたくさん撮ってきました!テレビでは見られないところを重点的に載せるので、大相撲ってどんな感じだろう?と思った方はぜひ7月10日から始まります名古屋場所をご覧ください!(5月場所は今日ちょうど終わってしまったんです……)

それではまずは大相撲5月場所14日目の国技館です。

国技館の全貌は混雑していて撮れませんでしたが、たなびくのぼりを見ると『大相撲に来た……!』という実感が湧いてきますね。このあたりから両国駅付近には取り組みを終えて電車で帰る力士も多くいて、国技館の中に入らずとも場所中に来てみると大相撲の雰囲気を味わうことができます。私も両国駅のホームに電車が着いた瞬間にお相撲さんが見えて嬉しくなりました。

続いてはこちら。日本相撲協会公式キャラクターのひよの山です。

「わー!!ひよの山だー!!」と嬉しくなってパシャパシャしていた私。すると……

いきなり飛び出してきて驚かしてきました。若干ブレた写真から私のびっくり感が伝わってくるでしょうか。

すごくよく動き回り、ファンサもたっぷりしてくれるかわいい子なんです。URLも貼っておいたのでぜひぜひチェックしてみてください!!(これは柱から出たり隠れたりしているところです)
https://www.sumo.or.jp/SekitorikunNewTop/charactor

続いては食べ物編です。

「次に国技館に来たら絶対に買う!」と決めてから3年越しに、ついにマスコットをお迎えしたひよの山とともにお届けします。(ラス1でした)
まずは国技館の地下で食べることができるちゃんこです。今場所は国技館特製塩ちゃんこでしたが、コロナ渦前は各相撲部屋監修のちゃんこを食べることができました。もちろん国技館特製のちゃんこもおいしかったですよ!前に飾られたタペストリーの力士たちに見守られながら食べました。

そしてもう一枚はあんみつ!国技館で食べるあんみつって、なぜかすごくおいしいんです。行ったら絶対に食べてしまいます。最近ソフトクリームのトッピングができるようになったといううわさを聞いていて楽しみに行ったのですが残念ながら巡り合えず……。でも普通のあんみつもやっぱりおいしかったです!(左は母です)

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こんな感じで私も観戦した大相撲5月場所も今日が千秋楽。明日からは学校帰りの電車で大相撲アプリを開いて勝敗を確認することもなくなってしまいます。しばらくはまた相撲ロスの日々です。
5月場所は初日では春服を着ているのに千秋楽にはもう半袖を着ていると私の母が毎年言っていますが、確かにそろそろ夏本番が見えてきたような気がします。本場所も終わったことだし、そろそろサンダルを履き始めてもいいかな?まだちょっと寒いかな?と考えながら今日は寝よっと。

ではまた!

ちっぽけ

時折水浴びしたくなるような暑さの日もありますが、涼しい日が続いています。薄手の部屋着にさらさらのマットレスカバー。枕元にはスマートフォンと今読んでいる本。ブランケット1枚で横になりながら、本を読んでは少しうとうとを繰り返す朝のちょっとした時間。できれば、時間を気にせず1日この状態で過ごしたいけど、そんな余裕は私にはありません。スマートフォンのロック画面に表示されたあらゆる通知も、できれば内容も見ずに一括削除したいぐらい。


最近会えていないからこそ、いつの間にか頻繁に近況を語り合うようになったトークルーム。時には励まし合うこともあって、私の心の拠り所であるのは間違いないのに。ちょっと踏み込んだ話題をするのは苦手だけど、お互い馬鹿にすることも、自慢することもない関係だから。日々の重荷を吐き出すのに、すごく心地よかった。直近のメッセージでは、「え〜マジ?? しんどくね🤣」なんて笑いながら受け流してくれるだろう話をしたつもりでいたのに、彼女には1つの考えがあって、私がその犠牲者であると憐れむような様子。彼女が考えるほど深刻な状況じゃないし、私が後ろめたいことをしたわけでもない。ただ、少し気まずい思いをしただけ。それも、寝たら忘れてしまうようなちっぽけなことだと私自身は思っている。それでも、彼女は、私がある企みに巻き込まれていると考えているみたい。ちなみに、彼女の考えが正解か不正解かはわからないし、今となっては確認のしようがない。万一彼女の言うように、私が企みに巻き込まれた奴であったとしても、もう過ぎた話だし構わない。なにせ、今後企んだ?相手に会うことは多分ないから。ちゃんと分かっているのは、きっと彼女は私を心配してくれたということ。私のメッセージの書き方が悪かったのかもしれない。ただ、ここまで深読みして欲しくなかった。企みのせいだとか、可哀想だとか思ってほしくなかった。どうしてもメッセージをポジティブに受け取れなくて、冷淡に感じてしまった。彼女が実のところどう思っていたのか。「メッセージの意味を確認させてよ!」なんて言えるものではない。その時点で面倒な人間認定で、数少ない知り合いがまた1人減るだろう。そして、相手の反応を気にし過ぎている私や相手にこう思ってもらいたかったと嘆く私はやっぱり好きになれない。自分こそ深読みし過ぎているのではないか。


メッセージのやりとりは、会えていない時間を確かに補っているし、今後もぼちぼちと続くはず。別に彼女を嫌いになったわけではないことはみなさんにわかっていただきたい、うん。(バイト先でお姉様と「独断と偏見話」を作ってゲラゲラ笑っているぐらいなんだから、病んでいるわけでもない。いや、仕事しろ。)鮮やかな緑に主張の激しい吹き出し。多くの人々が誰かと繋がるために時間を費やすソレは、我々の気持ちをどう運んでくれるのでしょうね。

最初の本

こんにちは、とみーです。
現在Japanknowledgeを使おうとして、学外アクセスの仕様変更に対応させ色々いじっていたら、fire foxくんが使えなくなってしまい、アワアワしています(笑)
普段、パソコンはfire foxユーザーですが、直せるまで別の検索エンジンを使うことにします…。マニュアルに合わせて設定をいじることができても、”何に変更を加えているのか”を本質的に理解できないと、解決もできないのが歯がゆいですね。

さて。何か近況で面白いことがあればと思ったのですが、あまりに何もないので、私が「図書館ではじめて借りた本」についてお話しようと思います。
私が初めて本を借りたのは、幼稚園にやってくる「移動図書館」がきっかけでした。移動図書館はバスのような形をしている車で、各所を回りながら本を貸し出している施設です。普段はお目にかからない物珍しいものなので、幼稚園生のころは皆はしゃいで本を借りていました。

そんな図書館で私が選んだのは、絵本『ショーティーと猫』。犬のショーティーと友達の猫の絆を描いたお話です。いつも仲良くしていた二匹ですが、猫が突然ショーティーを冷たく追い払うようになってしまいます。でも、そこには訳があって……。といった内容です。

元はバーナディン・クックさんという外国の方の著作で、小風さちさんが翻訳・小笠原まきさんが絵を付けています。
さすがに何故この本を選んだかまでは覚えていないのですが、きっと表紙の犬が好きだったのでしょうね。実は、母が昔使っていた古のガラケーに、一枚だけ『ショーティーと猫』の表紙を撮影した写真が残っています。大昔の私が撮影したものです(笑)

母は私が幼稚園から帰ってきたとき、なんの本を借りているか予想して楽しみに待っていたそうです。母の予想は「動物の絵本」でした。当たっています…!! なんの因果か、その後もずっと動物の絆系の話から離れられず、小学校では六年間ほぼ毎週『チロヌップのきつね』という本(二冊置いてありました)を借り出し、カードを自分の名前で埋め尽くしたり、上橋菜穂子さんの『獣の奏者』という物語にはまり、ファンタジーと動物・人間の生き様に心を奪われたり。
三つ子の魂百までとは言いますが、卒論も狐の話です。

ちなみに兄のときは、母が「自動車の本を借りる」と予想して、本当に車の図鑑みたいなのを借りてきたそうです。そんな兄は自動車系の学校に行き、今では一級整備士として働いているわけです。

私も兄も時々ひねくれたり、変な方向目指そうとしたり、色々あったけれどなんだかんだ最初に見たものに帰ってきている感じがして面白いものです。
皆さんは、そういう不思議な縁とかを感じることってありますか? 案外振り返ってみると、「あのときのアレ、今のコレなんじゃないか」みたいなつながりがあるかもしれません。

それでは、また。