校歌を聴くのは2回目だった。1回目は喜ばしくも成績優秀者賞を受賞し、創立記念式典に呼ばれた時だ。私はその日初めて自分の大学の校歌というものを聴いた。涙した。
ここに生まれて 日本の
文化をおこす 使命あり
女子大学の その名こそ
永久に我等が ほこりなれ
ずっと何者かになりたかった。この世に生まれたからには、何かを成し遂げなければならないと思って生きてきた。伝統ある小学校に、中学校に通い、皆の期待を背で感じ、活躍する姿を見せることに喜びを感じていた。しかし、中学の後半からか、高校に入ってからか、そもそも「期待」を感じなくなっていた。いつからか、期待されるのは、面にたって活躍するのは、男だった。授業中も、課外活動も、学校行事も、キラキラ輝いているのはいつも男子で、女子はその補佐だった。合唱祭や文化祭など、女子が輝ける行事もあったけれど、なんとなく重要視されていなくて、学校行事で一番大事なのは体育祭で、体育祭は男子のためのものだった。
6歳離れた姉がいる。姉は中学も高校も、県内で有名な女子校に通っていた。私は小学生の頃、姉の学校の体育祭を見に行った。体育祭の主役は、もちろん女子だった。勇ましい声で応援歌を歌い、力強い演舞を披露していた。女が女を担ぎ上げ、騎馬戦をやっていた。
応援団も、騎馬戦も、私がやることはなかった。やる権利がなかった。でも、やりたかったのだと思う。
女だからと言って、遠慮していたことが沢山あったのだと知った。知らず知らずのうちに、男子に譲っていたことが山ほどあった。女子大に来たら、誰の目も気にせずに、のびのびと勉学に励むことができた。授業中に、いくら質問してもいいのだ。どれだけレポートを書いてもいいのだ。熱心に何かに励むことを馬鹿にする人はいない。むしろ褒めてもらえる。自分が自分らしく輝ける環境があった。
賞をいただいた時、あなたはあなたのままでいいんだと、言われた気がした。輝ける場所で輝けばいいのだと、背中を押された気がした。そんな時に聴いたから、校歌が刺さった。
ここに生まれて 日本の
文化をおこす 使命あり
いつからか、文化をおこすのは、自分ではないと思っていた。しかし、文化をおこすことは、使命であった。自分は、文化をおこす側の、人間であった。
校歌を聴くのは2回目だった。ご唱和くださいと言われ、歌えるわけがないと、ざわつく椿山荘に、ニヤリ、とした。今から流れるのは、ざわざわした雰囲気を一瞬で変える、凛々しい歌だ。校歌が流れ始めると、やはり空気が締まった。モニターに映し出される歌詞をみた。また、涙が出そうになった。
女子大学の その名こそ
永久に我等が ほこりなれ
行きたい大学ではなかった。たった1点足りずに落ちた大学のことを、ずっと引きずっていた。センター試験の点数しか、誇れるものがなかった。人前で大学名を言うのが恥ずかしかった。そんな私が、堂々と、袴を着て、学位記を持ち、卒業する。間違いなく、本学が、私を変えた。
ずっと何者かになりたかった。この世に生まれたからには、何かを成し遂げなければならないと思って生きてきた。間違ってなどいなかった。自信をなくす必要はなかった。使命を持って、誇りを持って、自分の足でわだちを作る。私の後ろには、私の生き方が広がっている。
私は今日、日本女子大学を旅立つ。
輝く4年間に、ありがとう。
(2024年3月20日)