議事童話

最近は国会議事堂の中でアルバイトをしている。普段はテレビ局でバイトをしていて、それも結構珍しいバイトだと思うけど、国会議事堂でのバイトはもっと珍しい。

国立国会図書館の分館というのが、国会議事堂の4階にある。議員向けの書籍が多数置いてある小さな図書館だ。小さな図書館といっても蔵書数は中々で、正確な数は知らないけれど本棚がどれもパンパンなので作業には苦労した。ここは夏季に2人だけ非常勤の職員を募集しているから、アルバイトのレア度は相当高いと思う。

国会図書館で働いているわけではないので勘違いなさらぬよう。勤務場所は国会議事堂の中の分館なので、国会図書館のことは何も分からない。最近この話を内定先のおじさんにしたのだけれど、国会図書館で働いてると勘違いされてしまった。私がいるのは分館である。国会議事堂の中である。国会図書館のことはよく知らない。

国会議事堂の中に入ったことがある人は、関東生まれだと意外に多いらしい。小学生の頃などに、見学に行く機会があるそうだ。私と一緒に働いている横浜出身の後輩も小学生の頃に一度来たと言っていた。

国会議事堂の床はすごい。全てにレッドカーペットが敷いてある。ちょっとくさい。ダニがいると思う。勤務前は必ずアレルギーの薬を飲んでいた。そうでないと、ひどい鼻詰まりを起こす。

国会議事堂の天井は高い。高級感は天井の高さで出せると知った。お城のような雰囲気がある。天井が高いのでその分ドアも大きいし、なぜか階段もめちゃくちゃデカい。エレベーターもデカい。エレベーターにはエレガントな装飾がしてあって、こんな美しいエレベーターを私は生まれて初めて見た。

国会議事堂のカレーは美味しい。食堂が3ヶ所あって、その全てにカレーがある。中央食堂のカレーは普通。衆議院の議員食堂のカレーはあまり好きでない。参議院の議員食堂のカレーは美味しすぎる。そもそも食堂で1000円近くするカレーを初めて食べたし、食べたら3000円くらいの味がした。今までの人生の中で一番美味しいカレーだった。味をどう表現したらいいか分からないが、濃厚で美味しい。人生で一番美味しいと感じたカレーを、次に議事堂に行くまで食べられないと思うと本当にショック。

国会議事堂のコーヒーは渋い。正確に言うと衆議院分館の中にある喫茶あかねのコーヒーが渋い。インドカレーが食べられる純喫茶で、そこのコーヒーは氷もコーヒーで作られているから味が薄くならないと聞いて飲んでみた。一口飲んで「おじさんの味がする」と私が言ったら、後輩は「おじさんの…味……?」と困惑していた。でも飲んだ後に「先輩が言ってることが分かるような分からないような、分かるような気がします」とか言うから、あかねのコーヒーはおじさんの味ということになった。一口飲むとおじさんの苦労とか、辛さとか、これからの仕事とかが脳内に広がる渋い味。

国会議事堂には幽霊がいると思う。私は霊感がないのでさっぱり分からないが、あ、まずい、と思うことがあった。国会議事堂はエレベーターで4階までしかいけないが、実際は9階建てだ。書庫がある5階から階段で6階に行って、さらにその上まで行ってみようということになって、後輩と一緒に真っ暗な階段をスマホのライトで照らしながら進むと、2回目の踊り場に五芒星が書いてあり、直感で後輩に「帰ろう。」と言った。その先に進むことが出来なかった。好奇心に恐怖が勝ったのは初めてだ。来るな、と言われたわけではなく、行く必要がない、と強く感じたから行かなかった。階段の壁には手の跡がビッシリついていた。次の日5階書庫で作業をしていたら本が誰かに引っこ抜かれたみたいにドンと落ちた。私は「おかえりください」と言った。

国会議事堂の話ばかりしたが、そもそも図書館でのアルバイトは結構楽しかった。今まで図書館は研究の参考のために寄るものだったが、趣味で行っても楽しいところだと思い出した。分館の図書は普通の図書館と違って年度で分類してあるから、その年々に何が起こったのか把握するのにとても役立つ。2013年の本は震災の本がかなり多かったし、2020年の本はぼちぼちコロナの話題が増えていた。ツバキ文具店とか蜂蜜と遠雷とかもあって、あー流行ったなーと思い出す。よく分かる市区町村合併とか、ユニークでタメになる地方政策集とか、議事堂内の図書館ならではの本も多い。読んでみたい本に沢山出会えたから、今年はきちんと読書の秋にしたい。

大学四年生

書くことがないわけではないし、草稿は9月3日に一度できた。しかし内容に納得ができず、4日にまた新しく書いた。それでも納得できず、5日の更新日にブログを投稿できなかった。それで今日は何日だい?本来の更新場所であるWordPressの方は日付がいじれるので、誰がなんと言おうと5日に更新したことにできる。それがnoteにも更新することになって、遅刻がバレることになった。大学四年になるまでは、遅刻なぞしたことがなかった。それがどっこい、四年になってから遅刻ばかり。更新日に更新できたことがない。二年の頃、全然更新日を守らない先輩を見て、なぜあの人は更新日にブログを更新しないのだろうなどと思っていた。しかも更新しても全く中身のない内容で、やる気がないのかと思っていた。そして卒業する頃になって、なかなか更新日に更新できずすみませんでしたなんて言って卒業していて、つくづく不思議だったのが、今になって痛いほど分かる。大学四年生、何かと忙しい。もう三年もやっていればブログに対する熱量も初期ほど薄れ、こんな醜態を晒している。しかし断じて更新が嫌だとか書くことがないとかそういうわけではなく、むしろ更新日というのはずっと自分の頭の中にこびりついていて、その日に向かってああでもないこうでもないと文章をこねくりまわしているのだ!それでもってもいつの間にか更新日を大幅に過ぎており、結局は駄文駄文駄文の繰り返し。

3日の草稿では卒業袴を着て家族と前撮りをした話を書いた。こんな話大学四年生にしかできないし、後輩のためになるしいい内容だと思って細々書いたが、なんだが勢いがなくなったところでどうにもならず、そのままにしてしまった。こんな形で紹介するより、よっぽど内容を細々書いたブログの方が後輩のためにはなるのだ。しかし書かない。自分は自分のために文章を書いているのだなあと感じる。

4日に書き直したブログでは打って変わって最近流行りのmbti診断について書いた。これもまた細々と説明して書いたのだが、つまらなくなってやめた。自分のことなんて自分だけが知っていればいいと思ったからだ。私はこの心理テストのおかげで、少し救われたことがあったのだが、殊更書く気にもなれなかった。

それで今日のブログである。あまりに酷いと思う。あまりに酷くても投稿するしかないのだ。前に書いた通り、私は糞真面目なので、更新日をすっぽかすということができない。駄文でもなんでもいいから、恥を晒し、投稿するしか道はない。

大学四年生である。卒業論文は2000字書いた。頭の中にあと10000字ある。頭である程度完成させられれば、後は文字を打つだけなので、安心しきっているが、3年生の頃に提出した論文の時に同じことをやっていざアウトプットするときに想定の10倍時間がかかり、徹夜で作業した結果知恵熱を出した。今回もそうなりかねん。でも実際に文字を打つ作業より、頭で考える時間のほうがはるかに大事だから、とにかく考えるようにしている。バイト中も頭の片隅に卒論の題材を置いていて、論理を組み立て直している。

いい論文が書けなかったら卒論提出日を守らないのか?そんなことはない。どんな駄文でも出すだろう。ではなぜブログは遅刻する?許されると思っているのだろう。駄文を駄文のまま世に出す訓練をしなければ、卒業できない可能性も高い。だから今日はこんな一発書きの文章を投稿してみようと思う。

大学四年生である。最後の学生生活を消費している。

見て育つ

母は私が物心ついた時からは働かない父のために朝から晩まで働いていて、保護者が必要なイベントも全て仕事仕事仕事で欠席だった。

秋に小学校でバザーがある頃、必ず午前中は親子制作の時間が取られ、母と子、または父と子で一緒に図工の授業を受け、作品を作らなければならなかった。親が来ていないのなんて私一人で、担任の先生が張り付けたような笑顔で「もこちゃんとは僕が一緒に制作します!」なんて言って、ずっと横にいて作品を作ってくれた。でも担任の先生なんてみんなのものだから誰かに呼ばれればすぐどこかに行くし、第一に私は一人で寂しいとか親がいなくて悲しいとかそんな感情が一切なかったから、黙々と素晴らしい作品を作り上げて、結局はクラスの誰よりも目立って輝くのだ。

親の仕事は清掃用具の訪問販売で、有名な企業を二つ想像してもらえればそのどちらかである。お世話になったことがある人もいると思う。月に一回家に来て、掃除道具を交換して帰ってくれる、あのおばちゃん、あれこそが母の仕事。その仕事の合間に近所の化粧品会社の事務をしていた。一つでも大変な仕事なのに、二つもよくやるよな、と今になって思う。

仕事柄、家の固定電話にはよく母のお客様から電話がかかってきた。母は家にいないことも多く、そういう時は私が電話に出ていた。まだ小学生でも、いつも母が出ているように電話に出れば、なんとかなる。

「はい、もしもし」と言って電話に出る。声が大人びていて母に似ていたのか、母の声が若いのか、電話の相手が高齢だからか、小学生なのによく母と間違われた。だから最初に、「娘です」と言う。そしたら電話の相手は「あー!娘さんね!これを伝えてくれる?」と要件を分かりやすく言ってくれる。それをメモしておく。けど、電話口の相手は苗字しか言ってくれないから、どの団地の、誰なのか、しっかり聞いておく。地元なんて同じ苗字の人が沢山いるから。「〇〇団地の、〇〇様ですね。母に、伝えておきます」こう言って電話を切る。すると決まって仕事終わりの母から「さっき電話に出てくれた〇〇さんの家に行ってきたんだけど、褒められたよ。『しっかりした娘さんですね』って」と言われる。嬉しい気持ちになる。

なぜ小学生ながら「母のお客様のことは〇〇”様”と呼ぶ」とか、「苗字だけでなく住んでいる団地も聞く」とか、「要件を最後に復唱する」とか、そういう電話のスキルがあったのか。

それは、母を見て育ったからだ。家で色々なお客様と電話をする母を見て育った。たまに私の習い事の帰りにお客様の家に寄って、モップを回収する母の、インターホン越しの声を聞いた。子供は親をよく見ている。よく見て、よく聞いているから、自分もできる。

小学校の親子制作なんて私には不要なのだ。親が仕事ばかりしているからどうとか、そんなものはない。家にずっといてしっかり育てたければそれでいいし、それが叶わないならそれでもいいのだ。

私は昔から裕福な人が嫌いだった。こんなことは初めて言った。表に出すような感情じゃないと思っていたし、嫌いだと言ったところでお金に勝るものはないと分かっていたから。でも最近読んだ物語の主人公の友達が、私はお金持ちが嫌いです、とハッキリ言っていて、なーんだ、言ってもいいのか、と思った。

聞いてよ、マックのジュースを飲み終わってもね、その容器に水道水を入れたら、氷に味がついてるから、もう一杯ジュースを飲めたような気分になれるんだよ。嬉々として恋人に言ったら、なんてさもしいんだと笑われた。さもしいのか、と思って面白くなった。
お腹が空いてもおにぎりが一個しかない時は、すごく少ないひと口を30回くらい噛んで食べると、お腹いっぱいになるんだよ、と言って驚かせたこともあったな。クリスマスケーキのカタログをコンビニやスーパーに行くたびに貰ってきて、暇な時はずっと眺めていた。眺めるだけでケーキを全部食べた気分になれるから、楽しかった。大学生になって初めてカタログの中のケーキが目の前に現れて、想像していたよりもずっと陳腐な味で、やっぱり眺めるだけでよかったんだなと思った。

今年は大学が賞をくれたおかげで学費を払わなくていい。さらにその賞の権威を利用して外部の奨学金も貰えたから、大学最後の生活、少し楽ができそうだ。奨学金をくれる団体の役員のおじさんに、海外に行ってみなよ、と言われた。おじさんがもっとお金をくれたら行けるかもしれないよ、と思って、いや、お金は自由に使ってくれ、という意味かも、と思い直して安心した。

来年私は就職しているらしい。大企業の正社員枠で入るんだから、生まれも育ちもいいと思われるんだろうな。加えて地方から東京の私立大学に通っているんだし、尚更。まさか四年間学費はいろいろ工面して自分で払い通しましたなんて、信じてもらえないかな。今も信じてもらえないし。でもどうせ自分は言いたくなっちゃうから、言ってしまうんだろうな。

見て育つ、話からは随分逸れてしまった。中学生の頃、石川啄木の詩を覚えてきて「はたらけど はたらけど 猶わが生活楽にならざり ぢっと手を見る」と家で暗誦していたら、「私んごたる(私のようだ)」と母に言われた。私にとって、働くことは貧しいことだった。だって、お母さんはずっと家にいる、と言っていた子はピカピカの筆箱を持っていて、親が滅多に学校に来ない私は、小一の頃に買った筆箱を小四まで使っていた。だから働く母を思い出すと、働く母の暮らしを思い出す。

大人になって、私は恵まれていたと知った。絶対私よりいい暮らしをしてきたであろう人たちが、親とうまく行ってなくて、私は実家が大好き。明るくて平和な家庭だった。誰よりも心が裕福な家庭だったんだろう。今もそうだ。お金に勝るものはないけれど、心に勝るものもない。見て育つ。母は強い。

8月9日という日

長崎の親戚はみな早死にしている。
死なんて様々だから原因など分からない。
しかし、原爆と無関係ではないと、私は思っている。

長崎の親戚のほとんどは諫早と雲仙の中間あたりに住んでいる。
爆心地からは20〜30km離れている。
15km離れたところでも、窓が吹き飛ぶと言われている原爆だから、30km離れていたからと言って、何も影響がないなんてことはないだろう。

私の祖母は8月9日、長崎の家にいた。
畳の上で正座していたらしい。
11時2分、祖母は爆音と振動を感じた。
あっ、という間に天井まで飛び上がり、そのまま床に叩きつけられた。

何が起こったのかは分からなかったらしい。

その後の話は何も知らないし、兄弟がどうだったのか、他の親戚はどうだったのか、聞いたこともない。
そもそも、祖母は私が3歳の時には癌で亡くなっていたから、これも母に聞いた話だ。

皆、話したがらないのだ。

小学生の頃、祖父と出かけている最中に、戦争について訊ねたことがある。当時まだ幼かった祖父は、真っ先に防空壕に押し込められたから、よく覚えていない、と言われた。祖父の兄たちは戦死したと聞いている。

聞いてはいけない話のような気がした。いつも明るい祖父の周りの空気が、戦争の話をした瞬間真っ暗になった気がして、それ以来私は話を持ち出すことはなかった。

父方の祖母は大連で生まれ、父方の祖父は台湾で生まれ、たまたま船がたどり着いた福岡で2人は出会った。戦争がなかったら出会っていない。戦争がなかったら私は生まれていない?
自分が消えたとしても、戦争はない方がいい。

原爆は広島と長崎に落ちた。どちらも西の方だから、原爆体験をありありと語れる親戚を持つ人を、関東ではなかなか見ない。
同じことで、引き揚げ船も殆どが西の港に着いたから、親戚が昔満州にいて、なんて人も少ない。

8月6日も9日も、誰にとっても取るに足らない何でもない日であるんなら、それは平和でいいと思う。

日本人だから知っておくべきとか、学ぶ必要があるとか、そんなものはないと思う。

ただ、私は忘れないと思う。

8月9日が来るたびに、祖母が正座のまま天井まで飛んだ話を思い出すだろう。
60代で癌で死んだ祖母のことを思い出すだろう。

私にとっては、そういう日であるから。

具体的で合理的で即効性のある何か

書こう書こうと思っているのにブログが書けない。更新日が21日だなんて自分が一番良く知っている。今日は何日?8月2日。遅刻にも程がある。こうなったら正直書かないほうがマシだと思う。しかし自分はすっぽかすとか、なかったことにするとか、そういうのができない。根っからの真面目なのだ。だからこうやって書けないことに苦しんで苦しんで苦しんで絞り出した出がらしの不味いお茶のような文章ですら掲載されてしまう。

最近いいことがない。ずっと怒っていたのが、ずっとしょんぼりしている。
怒っていた時の文章が発掘されたので載せてみる。こうでもしないと、ここでおしまい、また次のブログで、となってしまう。全く別日に書いた気色の違う文章を纏めるなんて悪手だとは分かっているけれど、こうするしかない。

腹の立つ出来事というのは何故か連続して起こるもので、人生なんの嫌なことも感じずに生きていきたいと願っているのにそうもいかない。

今回で言えばそもそも旅行というのが良くなかったのかもしれない。旅先のおみくじでも旅は日を改めれば良しと書いてあり、そんなこと旅先で言われても困る。いま現在旅行の真っ只中だというのにどうやって日を改めたらいいのか。結局そのまま旅行を続けるから腹立つ出来事に遭遇するのだ。

旅行前に爪でも綺麗にしようと行ったネイルサロンで人間の悪意に触れる。私は前からネイリストが苦手で何となく会話に苦戦する。初めて行ったネイルサロンでは、なぜネイルの前に爪を削るのかと質問した時に、ネイルの前は爪を削るものだからです、と返されてそのまま話す気をなくした。2回目のサロンでは自分の学生時代のトラウマを呼び起こすような悪口を言われた。それがあっての3回目だから、こっちも気を遣ってなんとか上手く会話をしようとしたのに、また不快にさせられた。やはりダメ。3度目の正直を信じても、2度あることは3度ある。「爪はしっかり保湿してくださいね」と言われ、いつも保湿しているしなぁ、何と答えよう。私は沈黙した。はい、というべきか、分かりました、なのか、もうやってます、なのか。3秒ほど黙ったら、その3秒を相手は許さなかった。「話聞いてます?笑」と言われた。もう、その時点で終わり。全て終わり。楽しく会話しようなんて気持ちはなくなる。その後どんなに楽しい話をされてもダメ。一回ゼロになったものはイチにも戻らない。いくら美しい爪が手に入っても、心に残った不快な気持ちは永遠に消えない。

そんなこんなで形だけは美しい爪を手に入れて行った先の箱根で事件は起こった。夕方の蕎麦屋である。私はメニューを指さして、これと、これをください。と言った。「せいろそば」と「貞女そば」と書いてある。すると店員は、何と何?と聞いてきた。私の口からメニューの名前を言わせたかったようだ。私はせいろと…これは…さだおんな?と言った。すると店員は、せいろとテイジョね!と言って去った。なんで意地悪すんの?と声に出して言ったが聞こえなかっただろうか。店員は蕎麦を提供する際にまた、さだおんな、はどっちだっけ?と言ってきた。私の読み間違いがそんなに可笑しいか。思い出すだけで反吐が出る。私は返事をしない。一緒にきた友達はせいろを頼んでいるのでもちろん返事をしない。少し間をあけて、私です、と冷たく言った。流石にピリついた空気を感じ取ったか、店員はそれ以上何も言ってこなかった。会計時も何も言ってこなかった。文句を言えばよかった。一人で来ていたなら言い返して帰っただろうが、友達との関係性も考えて言わなかった。絶交してでもいいから言えばよかったかしら。どうせ絶交なんてしないのだから。

最近ずっとイライラしている。カルシウムが足りないのだろうと思って、スーパーに行って牛乳の値段が高くて腹が立つ。

早く寝たいのに深夜3時になっても眠れず腹を立てる。

そのせいで出来た額のニキビにますます怒る。

どうしてこんなに腹が立つのか。誰か、腹を立てずに生きていく方法を教えてください。よく眠るといいよ!なんて言われたら、あなたに腹を立ててしまいますから、カルシウムじゃなくてビタミンがいいよ!くらいにしてください。具体的で合理的で即効性のある何か、募集しています。

……また次のブログでお会いしましょう

要するに、暇。

東京、という言葉が急に怖くなって午前3時。
コンビニに行く途中、酔い潰れて路上で寝ている人を警察に通報。
警察を待つ間に男は立ち上がりどこかへ消えてしまった。

女ひとり、ソファで酒を飲む。
欲しいものは手に入ったかい。

自分のブログの中で好きなものを一つ選べと言われて、30分も迷ってしまった。
「出腹レモン水」を褒めてくれる同期がいる。あんな性格の悪いブログのどこがいいのか、さっぱり分からない。しかしああいうブログのウケがいいことは自覚している。似た系統のブログにもっと強いやつがあるから、それを選んだ。「金曜日」。

あんなブログはもう書けない。「出腹レモン水」も「金曜日」も「川祭り」も「垢で垢を洗え」も。

だって満ち足りているから。

足りないものを埋めようとして、必死になって文章を書く必要がない。

2,3年生の頃は、なんとかして先輩に勝ってやろうと思ってブログを書いていた。私の方がもっといい文章を書ける、ブログ部の中で一番の文章を書いてやるんだと燃えていた。

書けたかい?

ノンアルコールビールを飲んで酔っ払った。
私はアルコールではなく、炭酸に酔っているんだなと思った。焼酎のお茶割りを飲んでも酔えないのだ。

別の日にもう一度飲んでみて、今度は酔えなかった。

言いたいことはたくさんあるはずなのに、それを伝えるパッションがない。偽物の人生を歩いているみたいなんだ。本当にやりたかったこととか、叶えたかったこととか、望む気持ちに蓋をしているんじゃないかと思うんだ。どこで、いつ、道を間違ったのか分からないけれど、いつからか自分は、自分が納得する結果じゃなくて、社会が認める結果を追い続けていたみたいなんだ。

夢が夢じゃないと知った瞬間から、私は私でない。
じゃあ誰なんだい。

自分だろう?


夢から覚めて午前4時。
夢は残酷なものだとつくづく思う。
恋人は夢のことを呪いと呼んでいる。
私を見てそう思ったのだろう。
いつになったら呪いから解き放たれるのか。
宙ぶらりんで、大学4年生。

アイノ

私の母親のおじいちゃんのお墓が長崎にあるらしいというので、行ってきた。

母親のおじいちゃん、つまり私のひいおじいちゃんのお墓になるのだが、ひいおじいちゃん、と言われても私にはピンとこない。私は早いうちに祖父母全員を亡くしているので、曽祖父の存在なんて、よく分からない。

長崎の「アイノ」という場所に、母親の母親の兄弟がいるらしい。6月某日朝、家族全員車に乗り込んで、出発した。福岡から長崎に行くには、佐賀県を越えなければいけないので、ちょっと遠い。有明海沿いを走る県道をぐんぐん進んで、アイノに向かう。満潮の海が、たぷたぷ道路に迫っていた。

久しぶりに家族全員で出かけた。家族で出かけるならどこに行こうか、と提案したら、母が長崎に行きたいと言った。ずっと行きたかったらしい。長崎にいる母の母の弟や、母の従兄弟たちの様子が気になっていたらしい。コロナのせいで、めっきり疎遠になっていたのを、気にしていた。

私からすると、遠い親戚という感覚なので、どこか他人事だった。祖母は私が3歳の頃に亡くなっているので、葬式に来た親戚の顔も覚えていない。長崎の思い出といえば、小学1年生の頃に、学校を休まされて葬式に行ったこと。それが祖母の弟だったらしいが、よく分からない。その後祖父が亡くなった時と、3回忌の時に、長崎の親戚には会った覚えがある。

長崎に向かう母は、なんだかソワソワしていた。大事な人たちに会いに行くんだなと思った。

3時間くらい車に乗っていただろうか。もう、アイノに入ったね、と父がいうので、ふと窓の外を見た。電柱に、「長崎県愛野町」と書いてある。愛野、そう書くのか、と思った。いい地名だと思った。あれが雲仙岳で、あれが普賢岳で……と父が説明している。下からは有明海、上からは雲仙普賢岳が迫ってきて、その隙間のちょっとしたところに、人が住んでいる、そんなイメージだ。

親戚の家の前についた。まず母だけが車を降りて、挨拶をした。ワァっと喜ぶ声が聞こえた。続いて父、姉、私も車を降りて、挨拶をした。とてもとても喜ばれた。いま私が会っているのは、母親の母親の弟の奥さん。祖父の3回忌の時に、一緒に温泉に入った人だな、と思い出した。

「もこちゃんは知らん人になってしまったね〜」と言われた。「昔はこ〜んなに小さかったけんね〜〜」と、膝より下を指している。これは私が親戚に会う時によく言われる言葉。姉も従兄弟も全員30歳に近いので、みんなの記憶の中で私はチビっこなのだ。もう、来年は社会人と言って、えー!となる。

お墓の場所を忘れちゃったから…と母が言っている。母のおじいちゃんのお墓参りも、この旅の目的である。なら案内すると、おばちゃんが自分の車にヒョイと乗り込んだ。もう80近いらしいが、元気である。

車を3分ほど走らせて、お墓に着いた。立派な墓がそこにはあった。親戚は石材店を営んでいる。私が見てきた文豪の墓に負けず劣らず、立派なお墓だった。お墓の横に、文字が刻まれている。祖母の名前があった。なんと、知らぬ間に祖父が祖母の骨を分骨していたらしい。ばあばがここにも眠っていたのかと、嬉しくなった。

ばあばの名前の横に、また名前があった。これは誰?と聞いたら、それが私が小1の頃に学校を休んで行った葬式の人だった。
やけん何回説明させるとよ、と母に笑われたが、私にとっては、遠い話なのだ。

でも、青空の下、立派なお墓に祖母の名前が彫ってあって、私は嬉しくなった。そして、私にはひいおじいちゃんが、ちゃんといたと分かって、遠いとか、よく分からないとかで、他人事みたいに思うのはやめようと思った。

長崎は、母の、こころの故郷。

私の、ゆかりの地。

これでいいんだよ

おめでとうございます。

おめでとう!

すご!おめでとう🎉

よかったやん!おめでとう

おめでとうございます。お祝い会をしましょう。

すごか〜信じられんばい。おめでとう。

おめでとう、おめでとう、おめでとう、おめでとう

5月、数年分の「おめでとう」をもらった。
日本女子大学学業成績優秀賞を受賞して、誕生日が来て、内定が出た。
おめでとう自分。おめでとう、おめでとう、おめでとう。

おめでとう?

歳をとることへの不安。
社会人になることへの不安。

暗さを押し込んで、ありがとう。

ありがとうございます、は、おめでとう、に向けただけの言葉で、嬉しいです、の意味ではない。

高3の頃の自分に会いに行くのはやめた。
合格が欲しかったと言われるに決まっている。

致死量の『おめでとう』をもらえて、君は幸せだね
私は血の滲む努力をしたのに、報われなかった!

かける言葉はない。

未来のおめでとうは、過去の辛かったねを消してくれない。

高校生と大学生の狭間で、化粧もできず、髪も染めず、丸めた背中にリュックを乗せていた頃に望んだ、合格したらやりたいこと、たち。

いざ縛りから解放されると、全部どうでもよく感じた。

タピオカを飲んだ。
いいことがあった日に飲むようにしている。

ラメたっぷりのネイルを塗ってみた。
髪の毛をハイトーンにすると決めた。
まつげパーマの予約を入れた。

ファンクラブに入会した。

(楽しそうで何より。イイナー。残りの大学生活は楽しいことばっかりですね。ニンゲンバンジサイオウガウマ。浮かれないようにね)

祝福に対する鎧だと、伝える気もない。

周りからのおめでとうに、心がついていかなくても、私はみるみる美しくなる。

ありがとうございます。

にこやかに言う目はパチリ、細い手でタピオカを持って、カールのかかった髪を揺らす。

おめでとう!

ありがとう😊

そうだ 京都、行こう

そうだ 京都、行こう

言っているのは、京都だと思う。
私が言った言葉じゃあない。

5月3日に世田谷の等々力渓谷に行って、ガッカリして帰ってきた。鬼の棲む渓谷が、東京にはない。

鎌倉に行こう、なんて言っていたが、やめた。
きっと今じゃないから。
じゃあ予定もないし、実家に帰ろうと思った。

そうだ 京都、行こう。

私でも彼でもない何かが、言った。
だからその場で新幹線とホテルを予約した。
翌日、私たちは京都にいた。

新緑の京都。

『秋が待ち遠しかった』
「そう語る人、今年はきっと多いと思うんです」
「だって、僕もその1人ですから」
「そんな僕へ、ひとこと」
「よかったね、ここが見つかって」

〈僕〉は京都だと思う。
去年の秋、CMを聞いて思った。

京都は、誰かを、呼ぶ都。

貴船神社の奥宮で丁寧にお参りをしたら、右耳につけていたイヤリングがポトリ肩に落ちた。
地面に落ちる前につかまえた。
その手で左耳のイヤリングも外した。

つきものおちた

「ゴールデンウィーク、京都に行ったんですよ」
「ああ、××くんと言ったら、京都だもんね」
「そうなんですか?」
「うん、京都大好きのイメージある」
「(そうなのか)」

呼ばれやすきもの、注意すべし
ものにかくれて、出でがたし

久しぶりに履いたスカートのポケットに違和感があったので探ってみたら、失くしたと思っていたイヤリングが出てきた。

拾った千円の持ち主は見つからなかったと、警察から連絡が来た。

背後でバサッと音がして、振り返ったら誰もおらず、ただ数珠だけが落ちていた話、嘘なんだって。

信じてないから、そういうの。

でもさ、そろそろ会いに行かないと。

ほら   、行こう。

虚構、もしくは春

2022/4/23(土)

どうやら自分が思っているより自分と言う存在は正しいものではないらしい。自分が正しいとばかり思って今まで生きてきたが、そうでもないらしい。周りはいつだって自分より緻密に作業ができないし、自分の方が何でもできる。

2022/05/03(火)

「いいひと」戦略読書カード
・言っていることが少し古い。お金は欲しいよみんな

2022/05/12(木)

いじめた方は覚えてないけれど、いじめられた方はいつまで経っても覚えている。よく聞く言葉である。
私たちはこれを、いじめられた側の視点としてよく語る。いじめた側からこの発言を聞くことはない。だって、覚えてないから。

私たちには、知らない間にいじめた側に回っているという意識はあるだろうか。
それは個人、社会、ひいては国家、様々な面で、「覚えてない」では済まされないことをしているのではないだろうか。

1人のいじめっ子と、1人のいじめられっ子がいたとしよう。いや、これもちょっと良くない例えである。これはいじめが終わった段階で、その場を把握した第三者によって位置付けられた関係であって、当事者にいじめた方、いじめられた方の自覚はない場合が多いからだ。2人とも普通に生活を送っている時に、ひょんなボタンのかけ違いから、対立関係になったに過ぎない。

2022/05/13(金)

小粋

2022/07/01(金)

自分に自信がない理由を探る

2022/08/08(月)

うっかり、パパには娘がたくさんいるからね、と口にしてしまった。私の母親は父親の再婚相手で、父親には最初に結婚していた女性がいて、その人との間には娘もいる、そういうことを、知らないフリをして生きていたのに、つい、出る時がある。いや、つい出たわけではない。パパには娘がたくさんいるからね、とは、私と姉、2人のことを指して言ったつもりなのだ。私は何気なく、本当に何気なく、言ったつもりなのだ。実際、今までは、娘がたくさんいる、なんて言葉、私と姉を指す言葉でしかなかったのだ。だが私が、私と姉以外に、父親にはもう1人娘がいることを知っていて、親も私がその事実を知っていることを知っている場合、この言葉は、複雑な意味を持ってくる。

2022/08/12(金)

某企業のインターンに参加した。つまらなかった。

2022/08/26(金)

またフリフリの洋服を買ってしまった。

2022/09/28(水)

書きたい小説

女の体から「何か」が生まれる話

登場人物

女、天狗

もしかしたら婆さん

視点

一人称、女の視点

場所

九酔渓(大分県西部)

時間

現代

2022/10/06(木)

ロングブーツを試着
マジェのミニ丈セットアップ着たい
安くなってる可愛いトップスを入手

2022/10/17(月)

嫌いな言葉、親ガチャ。
なんでも親のせいにしている人は、自分で何かを変えようという気持ちがない人。
東京に来て、なるほどこれが格差社会か、と思うことは確かに増えた。最近夜の豊洲を散歩した時、現時点でのお小遣いが私の月々のバイト代を超えてそうな子供をたくさん見た。その子たちが東大に入ったら、いいね、親が裕福な人は、なんて言われるのだろうか。親どうこうではなく、本人の努力だと思 

2023/01/19(木)

半年も前に君がオススメしていたパン屋に行くくらいには

2023/03/09(木)

結局何も分からないままここまで来てしまった

まだ時間はあるから、働くということについてしっかり考えようと、1年前のこの時期に言われ、1年たった。分からないままである。

嘘やん、と言われそうである。
この1年何もしてないの?

比較的、何もしていない。

働くということに全く興味が持てない。

2023/04/09(日)

こんにちは。大学四年生になりました。