現実に裸体を張れ

 しょうこが紹介したテイラースウィフト同様に22歳をコンセプトにしたぽい『22』って曲をリリーアレンが歌ってるんですけど英語で聞いてるだけでもなんか落ち込むこと言ってる気がして邦訳読めないのですよ……
 声が可愛くて素敵なのでよろしければ聞いてみてください 私はいまテイラースウィフトのほうを聞いている
***
 ああ、無事に卒業できるんだ……
 と思った途端に悪夢を見る頻度がぐんと減りました。もともと私はよく夢を見る・それを覚えているほうであるため、下手によくない夢など見ようものならその後えんえんと後を引くことになりがちなのですが、二月から三月にかけてそれはもうかつてない頻度で悪夢を見続けていたのでこれは非常に助かりました。どうでもいいけど初めて明確に見た悪夢はドラクエのスライムに泣き喚きながら命令されるというものでした。以来あいつが苦手で仕方がありません。
 ここから少し嫌な話をしますが、
・裸体
・何者かの陰毛
・黴、錆
・害虫(G・蝿・むかで・南京虫・カマドウマ・あと想像上のもの?)
 このあたりの面々がよく私の安眠を掻き乱していったものです……
 裸は「醜い」といえるほどパンチが効いたものではありません。そうなると却って何もおぼえなくなるためかもしれません。普段目にする裸体というのは大抵グラビアアイドルなり女優なりの、洗練された、もしくはPhotoshop加工されたものなので、「普通の裸体」で充分につらい……銭湯などで他人の身体を見るときは湯気がほんのりと環境をフィルタリングするし、温まって火照った身体はしっとりした桃色になってまあ結構きれいになるものだが、その支えすらない身体が夢のなかにもうじゃんじゃんばりばり出てくるわけでたまったもんじゃねえ~
 そしてそんな凡庸な肉体が、やたらめったらマンガ的な暴行(頭上からタライとか目にも止まらぬ右ストレートの嵐とか マンガであれば一コマ経過すればなかったことになるような)を加えられては現実的な傷跡を負う、しかしそれに対する周囲の反応はワッハッハッハ(どっ)(※効果音)と大変にマンガ的である……というのが私の悪夢の類型だった気がします。もっとトチ狂ったものもよく見ましたが複数回あった展開としてはこれが唯一であり、非常に印象的でした。
 個人的に夢診断はおよそ信用していないため勝手に考えているだけなんですが、先に話したとおり銭湯でも写真のなかでもなく見ることのできる平易な肉体は少ない……つまり「自分」の象徴にほかならないのではないか……と思うと、
・自分の肉体に対してマンガ的暴力が振るわれ
・しかしそれはマンガ的でない形で確かに肉体に蓄積され
・そしてそれを誰も気にしてくれない という夢
 ってのは
・一コマめ:けがをする・皆どっと笑う
・二コマめ:けがが治る・次なる話題となる
・三コマめ:皆もう怪我の話などしない(なかったことになっている)
 ということであって
 何者かにそれと気にせず・あるいは気にする価値もないとして傷つけられている、が、皆がそれを笑い飛ばし思い出しもせず気遣いもしないでくれることを望んでいる みたいで ほんと嫌ね!! その卑屈さ!!
 「無事に卒業が確定しましたのでこういう謎の夢は見なくなりました」というのは、やはり「院に受かっておいて卒業許可がでない」という可能性を仮定したときに遭遇するとんでもない恥ずかしさが私をこういう夢に奔らせたのではないかと思います。というのも私は履修条件を勘違いしており、「おかしい……教養Bが一個足りない……でももう間に合わない……いやそんなはずはない……きっとこれはコア科目……だからこっちから一個うつってくる……嘘だそんなことは書いてない……」という真綿で首絞めるっていうかなんかもっとバカを現す慣用句ねーの? 死刑宣告は寝て待て? みたいなことをここ一か月くらいやってたわけです。マジでこいつクsssssssッソバカじゃねーの!!??? と言われてしかるべきです。下級生の皆さまはバカのふり見て我がふり直してくださいマジで。マジで。マジですよ。
 数えすぎてゲシュタルト崩壊したりもう何も考えたくなくなったら教務課の人に謙虚にお願いしよう 謙虚じゃなくても教えてはくれるだろうが謙虚さで精神衛生と自尊心と自己愛と隣人愛が買えるのなら安いものだ……
 あと夢のなかの裸体は私の裸体そのものではないってなんとなく書いておこ
 謎の羞恥心が産まれてきた
***
 あと一回書けるらしいから自由奔放に恥部を晒してみたよ! でも次回も大しておセンチなことは書けないと思います。
 笑って送ってやってくれ 俺の涙は俺がふく……

かぐやワンドットファイブ

 ワンは→前の記事
 申し訳ないことなのですがかぐや姫の物語を観てからかなり経っており内容もはや忘れつつあるんでツーっていえない……
 そして今日むだに忙しいのでやたらと短い内容になってしまうのが恐縮である……
 まあーーあの映画見たあとどこについて愚痴ったかって御門(帝)はなんであんな扱いを享けねばならぬのかというアレよ
 原作において帝はかぐや姫と唯一文を交わしお互いの心を慰め合った御方なわけでして、いわば「ぎりぎり、最低でも帝レベルの男でもないことには、かぐや姫とは渡り合えないよ」という、かぐや姫の人間離れした価値を示すインジケータ的なものであり、ゆえにこそ帝は地上にあって最も優れた方として描写されるべきであったのではないかいっていう……
 たしかに帝は原作でもかぐや姫相手にちょっと調子ぶっこいたことをなさいますのでアチャーこりゃあかんわーって感じですけど、そのあと改心なさって三年にもわたる長いあいだ文だけのやり取りをなさっていたではないの。これが改心の証でなくて何であろう、帝の気高く清く深みある御心の証でなくて何であろうか。男たちが姫の冠を飾る宝石ならばその中央に輝くもっとも素晴らしい輝石こそ帝であるべきではないのか……
 自然と人工の対立は竹取物語のテーマではない 高畑のテーマである
 かぐや姫はそもそもにしてからが昔話であり、昔話というのはある種「すべての(日本)人の持ち物」なわけで、そうなると「私のかぐや姫さまに何させてんだよ/適当な男つかませてんじゃねーよ」っていう……思いが……芽生えるわけです……。なおディズニー版リトルマーメイドにも同じ思いをおぼえています。私の愛する人魚姫ちゃんからあの美しい終焉を奪うとは鬼畜の所業というよりほかない
 原作マニアと言われてもいい 抗いはしません(ただしマニアって言われるべきほどには詳しくありません)
***
 フェミニズムっぽい視点で観ることも可能なようです。
 女子の素直な”ウラの欲望”に迫った本音情報サイトmessyの、カケラもゆるいところが見当たらないゆるキャラ・しQちゃんによるかぐや姫感想がフェミニスティックアンドエネルギッシュアンドパッショネートで面白かったのでおすすめです。「不幸体質なサゲマン女…かぐや姫の幸せって何だキュウ?」という若干えげつないエントリー名で検索すると出るんじゃないでしょうか。ここに外部サイトのURL貼ってもいいんでしょうか。
 というか しQちゃんこれ……もしかして……そつg……

かぐやワン

 あけましておめでたい!!
 今年もよろしくおねがいもうす!!
 というのもそこそこに(もう新年の挨拶とか言い飽きたんじゃああ)先日珍しく時流に乗って『かぐや姫の物語』を見てきたのでそれについて書きたいのですが、そのまえにな……
 先日たまたま『幸福な王子』をあまり好きではないという子と話す機会があり、どのあたりからそのような感想に至ったんじゃーと尋ねましたところ
「自分じゃ身動きもできない王子の独りよがりのせいでつばめが死ぬではないか、王子に振り回された優しいつばめがあまりにかわいそうではないか」
 これにはおったまげたね
 というのも彼女が知っていた『幸福な王子』は、人形劇だったかアニメだったか忘れましたが、とりあえず児童向けの簡略化を受けた状態のものだったのだ。それにおいてはつばめが葦に恋をして挫折するくだりや、つばめが王子さまに愛を告白してからその唇にキスさせてもらうくだりが省かれていたらしいのだ。ということは当然、
 愛にやぶれて世をすねていたつばめが、王子さまから街の人々へ捧げられる真の愛の存在を知り、それを行う手助けは自分の小さな翼にもできるのだということの喜びを知り、そして自分の胸奥から湧きいづる王子さまへの愛を知ったという……
 つまりアガペー(王子から人類へ)とエロス(つばめから王子へ)のふたつの愛と再会した
 もっと言うと愛というものへの信仰を取り戻した歓喜のなかで死んでいくことができた
 ……って話だ(と私は思っている)のに、葦さんへの恋と王子さまへのキスを省いちゃったらもうさ~ かの物語を読んだ人間がみな必ずやその結論に至れとはもちろん言わないが、その結論に至るためのはしごをはじめから取り去られてしまうってのはちょっと……しかもそのために彼女が王子さまの物語をあまり好きじゃなくなってしまったのは悲しいことだよ これはひとつの悲劇です
 で
 この『幸福な王子』の王子さまと『竹取物語』の帝は私の人格形成に影響を与えた二大貴人なんですが、ふたりとも世へ広範にされるとき(つまり子供向けになるとき)物語に若干不遇なトランスフォームを為されることがあるようでよ~……
 『かぐや姫の物語』は、高畑勲監督・スタジオジブリ制作、そして『竹取物語』を原作としているという、日本人としていやがうえにも期待せざるをえないビッグネームが三連荘です。私は高畑監督作品は『赤毛のアン』と『アルプスの少女ハイジ』しか見ていないのですが、とはいえこれらはその二作どころか一作品の前半だけ取り上げただけでも素晴らしい作品でした(しかしアンがまともになってからはちょっと面白みに欠けるわ……)。そのうえジブリと竹取物語によって養育されてきた人間としてここは乗らねばと……思ったんですが……うーん
 ほんとうに個人的で恐縮なんですけど
   ・一番好きな人物は帝
   ・一番好きなくだりは不死山の名の由来
 ということさえなければここまで落胆はしなかった……。私は「姫の犯した罪と罰。」というコピー、そして高畑監督が語ったという「『かぐや姫』という作品はいつか日本人がきちんと作るべき作品だ」なる言葉に惹かれて見に行ったんですが、「きちんと」って何よぉ~~~どういう意味で言ってんのよぉ~~~~~んも~~~~~
 先ほどの『幸福な王子』同様、書店に並んでいる子供向け絵本などで見ると、かぐや姫のおはなしはたいてい結構なショートカットが行われています。まあこれについては原文を高校教育などでやる(と思う)からいいだろ~と思ってはいるんですけど、やはり「かぐや姫は月へ帰っていきました」で終わりってのはあまりにも寂しいよなああ……というか、あの物語においては「姫の潔さによっても洗われ得ることのなかった、人の世に残さずにはおかれなかった寂しさ」が……つまり残された人々の寂しさと悲しみと嘆き、そしてその裏に見ることのできるかぐや姫への尽きせぬ心こそがフィナーレを飾る最大にして最高の宝珠だというのに、彼女の喪失を寂しがる人々が描かれないのでは……寂しさすらもがないではないか……
 いきなりダーンと断つように終わるってのが良い風合いを産みだす場合ももちろんあることでしょう。川端康成の『右腕』を三島由紀夫が読んだとき、何だったか忘れましたが何らかの理由により「右腕ちゃんの爪が石英色に染められてたよ」っていう主旨の何気ない文章で頁が終わっており、三島はこの文章が結末だと思ったうえでこの作品を絶賛した……という話があった気がする(なかったらごめん)。
 しかしながらこれは竹取物語とはあまり関係のない話である。なぜなら竹取物語においては、かぐや姫が月に帰った時点で終わらせても話としてはまとまるので、「いきなり断つように終わる」にはあたらないからだ。だから簡略化が楽とも言えるけどねえええ~~~~……
 ファウストでもしラスト一章なかったらどうよ……二部の終わりで「ファウストの魂は悪魔の手を免れました」ってことは一応分かるけれど、あの馥郁たる香りすら漂う詩文はどこにある……マルガレーテの清らかな愛は……どこへ行く……
 ほんとあのシーンのマルガレーテのセリフの素晴らしさといったら ぜひ味わっていただきたい
***
 なお言っておくけどこれは竹取物語のストーリーの簡略化に対する文句垂れであって、『かぐや姫の物語』という作品への文句ではない
 加えて、私が上にあげたふたつの要素に固執していることを明記することによって、この映画の価値をいたずらに貶めようとする意図があるわけではないことを分かってほしい……

死を見る

 恐ろしいです卒論! 終わりません卒論!
 周りのお嬢さんには既に製本に出しているような方もおられますが私なんといま内容半分行ってるかどうかってレベルです……しんそこ失禁しかねないありさまです……あとこれもはやエッセイと作品紹介になりつつあるという現実 ヤメテーここまで書いて今更その批判はヤメテーそんなことになったら失禁とか失神とか通り越して自害しちゃうからほんと……とりあえず卒業したい……させて
***
 唐木順三全集とかで透谷ちゃんの当時の位置づけとかを調べてみるに、みんなあの人のこと天才だ天才だ言うんですけど……まあ「当時の文壇においては」という冠詞をつければ確かに天才なのかもしれませんけど うーん……。ゲーテさんという、とっても長生きでスケコマシで金持ちの息子で弁護士やら何やら副業持ちまくりでワイマル公国の宰相とかもうわけわからんもんにまで成り上がってる人と並べてやってるせいか、透谷ちゃんはどうにも普通の、無邪気な、かわいそうな、たいそう神経が細い、しかし情熱家のお兄さんとしか思えないのである。この時点で自分の価値観に不安を持ってしまい口をつぐみがちになってしまいキーボードを叩く指が止まっているという可能性はなきにしもあらず。てか藤村さんが透谷のことほめすぎたからみんなあとに引けなくなってるとかそういうことはないのかい……
 なおバイロンちゃんについてはお母さんやお姉さんとのことこそかわいそうね~って思いますけど「朝、目覚めたら私は有名になっていた」とかウルトラ悠長かつ妬ましいことをほざいてるあたりでイヤ~ンこの小憎たらしいイケメンめ~^▽^バッキャロ~ィって思わされるため好きです。あとバイロンはその死がゲーテに悼まれてこともあろうにファウストの息子として登場してるあたりめっちゃ羨ましいですね。かのゲーテさま相手にこわっぱがどんだけ感慨与えるとそうなるんでしょうか。ハイネに対する対応はけっこう悪かったってどっかで読んだけどどこだっけ忘れた……たぶん長谷川つとむの本だと思う……
 私のイメージだとハイネのほうがバイロンより知れ渡っているのだが 『四季の歌』のせいかな(「愛を語るハイネのようなぼくの恋人」って歌詞があるよ) 世間的にはどうなのかな
 ていうかファウストマンフレ蓬莱曲の比較とか
 ものすごい初歩的過ぎて話にならんつーか
 学生だからアリなんじゃないの的な甘えがなかったわけではないが
 ああー……
 あともうどんどん文学部の学生としてクソいことしか言いませんが
 なんか透谷関係の論文とか見てるとさ~みんな反定立の自我への応相がどうとかこうとか封建主義へのあじゃらかもくれんとか明治政府のてけれっつのぱとか書いてあるんだけどさ~これがまた死ぬほど読みづらいんですよねまあ仕方ないんですけど……なんでそう透谷だの時代だのいう背景に呪縛されんといけないの~……単にこのうえなく美しい文章の美しいつらなりですよこれは……この幽玄な……ティムバートンみたいな(イヤこれはぜんぜん違うな)……エロール・ル・カインの挿絵がついたグリム童話のごとく、きれいで悲しいお話じゃないか……透谷のつむぐ言葉のひとつひとつに世にもあてなる絵画を見るかのようだわ……こんなにも美しいもんをこのとっつきがたい評論の檻に閉じ込めておくのは損というものではないか……オペラにしてもらうべきだ……マシュー・ボーンにバレエにしてもらうべきだ……ルジマトフとペレンに踊らせて広く知らしめられるべきだ……ボーンにやらせるとホモになるからだめかな~透谷の処女好きさえなければホモでもいいと思うけど……てか『ドリアン・グレイ』と『白鳥の湖』において見るマシュー・ボーン作品において原作者の意志を尊重する意志はあまりないだろう(作品に通底するものは維持してるかもしれないけど)と思うんで、普通に『マシュー・ボーンの蓬莱曲』とかBunkamuraでやってほしいですね。見たいです。
 ……とか言ってるやつがなんで文学部にいるんだ……最初の日本文学概論で「この学科に入った以上日本文学を心楽しく読めると思うなよ」と宣告されたのを忘れたか……って話っすよ……ええ忘れました……さっき思い出しました ラテンアメリカ文学めっちゃ楽しいですちくしょう……野火だって楽しいよ……
 ここ二週間ほど【ファウスト関連書で元気出す→蓬莱曲論文で鬱になる→ファウスト音楽で元気出す→蓬莱曲論文で落ち込む】を繰り返してるんですけどさすがにそろそろはらわたと髪の毛がやばくなってきました^▽^
 私は蓬莱曲についてお話としての話しかしたくない(=透谷ちゃんの思想と絡めれば褒めどころもあるのかもしれないがそんな話はしたくない)……しかしそれだと蓬莱曲の褒めどころとか考えどころって正直あんまりないんじゃないかしら……どうなのかしら……うふふ……つらい……
 ていうかファウストと基本的な話の流れは変わらないはずなのになんでこうみんな蓬莱曲を鬱っぽく扱うんだろうね怨嗟の叫びとかさあ~それ透谷から親父さんへの書簡とかに影響されすぎなんでないの……わかんないけど……自殺とかさ……心底もう考えたくないんだけど……死にたくなってくるし……というか今まさに死にたい……軽々しく言う言葉ではないとは分かっているが重々しく言ったらそれこそ死ぬ羽目になるではないか……つまり言うなと……体内に閉じ込め醸造し健全な精神の肉までもを腐らせろというのか……あなたは鬼か……何と会話してんだ
 ちょっとフランツ・リストによる『ファウスト交響曲』をいっちょう聴いてみていただきたいのですが、そしてそのあまりの壮大さにヘドバンのひとつもしてみてほしいのですが、この澄み渡った空気のなかを限りなく滑空しながら人類の夜明けを見るかのようなまばゆさがどうして『蓬莱曲』には伴い得ないものとされているのだろうか? ほんとうにそれはむりなのだろうか? いやまあ……無理だろうな~……わかってるわそんくらいさすがに……夜明けのきらめきっていうよりこれどっちかっていうと夜の底で濡れた笹の葉のきらめきだもんな(ぜったいこれ露姫の名前に影響されてるだけだよ!!)
 しかしなぜ無理なのか? 透谷ちゃんの人生を覆う形而下的な影、つまり明治期という西洋文明の過渡期がどうのこうのっていう、いかにも森鴎外っぽいとこに原因があると見ていいのか? そうすると蓬莱曲について喋る部分がそうとうはやばやと終わりかねないんですけど~~~~……そして今さら私の脳味噌を明るいほうに連れて行って二万字超書ける自信はないよぉ~あるいは書けるかもしれないけどその場合引用する文献ゼロというえらいこっちゃになってしまう それはもはや論文ではないぞ……うーん
 う~ん
 う~~~~~ん
 作文(正確には違うけど)で苦労するのは初めてだよ~ つらい~~
***
 この三点リーダの量に私の苦悶を見てほしいですねo(^▽^)oこの顔文字に寒々しさを見てほしいですね
 ブログ部というのは別に優等生を集めてあるわけではないということがよくわかる記事ですが私以外の子はたいてい立派であることもまた事実であると一応書き添えておきますね!
 じゃあ卒論かくか……

富夫

 柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺
 秋深ししょうこは何を祐天寺
 しょこの記事の補足という感じでおっぱじめるんで良ければそっち先に読んできて……私がこれ言うの地味に恥ずかしいんだけど……
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大学iiiiiiiin

 に
 受かったよ
 受かったよ~~~~
 受かったんだよ~~~~
 ほめて~~~~~~~~~~~~~~
 祝って~~~~~~~~~~~~~~
 PSvitaか3DSLLかPS4買って~~~~~
 やっぱり自分で買うから気にしないで~~
 っていう報告以外は私の近況報告でしかない↓
 あまりにもどうでもいいから折り畳んでおくね……
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だけど哀れな

 以前レイナルド・アレナスの話をこちらのブログに書いたと思うのですが、その後ちまちまと買い集めることによって
『めくるめく世界』
『夜明け前のセレスティーノ』
『夜になるまえに』
『ハバナへの旅』
 を手元に集めることができました。しかし日本語訳されている作品が根本的に少ないという事実に変わりはありません。せめて『夜明け前のセレスティーノ』を含んだ五部作のほか作品、とくに『ふたたび、海』は翻訳してほしいものです。なおユリイカの平成十三年九月号におけるレイナルド・アレナス特集では、書籍化されてないアレナスの作品と詩がいくつか載っているのでとてもおすすめです。
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フルヘッヘ

 ちょっと聞いてほしいことがあるよ!
 前々から頻繁に書いておりますがファウストの話です。
 私はこれでもファウストフリークを自負しているので
 その点からすると少々恥ずかしいのですが……
 ファウストを初めて邦訳したのは鷗外じゃなかったーーーー
 ちょっと詳しい方からすれば「今さら?」って思われるかもしれないけど私には新鮮な驚きだった……
 明治三十七年に高橋五郎によって、大正元年に町井正路によってそれぞれ翻訳されていたようなんですよね! それもどちらにせよ明治二十四年の『蓬莱曲』よりはあとなので私は別に自分の考えなどに手を加える必要はまるでありません! でもあの鷗外めにファウストの処女雪が踏まれたわけではなかったというのは嬉しい! 実に子供っぽい喜びと思われることでしょう! しかしこれによって私が鷗外を憎む理由が減るのは素直に嬉しいところなんです! やった! もうこれまでほどには嫌わなくていい! 距離を置かなくていい! 嬉しい!
 まあそれでもあいつが著書にギョオテって書き忘れた+気付いても直さなかったっていう事実はゆるぎないっぽいけど~この際だから高橋町井の偉業に免じて許してやるよ~~私だっていつまでも百年近く前のことを恨む女じゃあない 水に流すという言葉を持っている国の民であることを誇りに思おうじゃあないか 鷗外作品のなかでも高瀬舟とかは素直に好きだしね……
 足るを知らざる貪婪にして巨大な近代西洋的思想が巨大な油絵を思わせるのに対して、あの喜助の「足るを知る」という姿勢は何とも対照的に静謐とした、掛け軸のなかの水墨画的な美であると思いますね。ただ私は喜助の弟の首にかみそり刺さってるシーンが苦手なので趣味で読むのは難しいです。授業で扱ってくれてよかったよ……授業なら逃れようがないもの……。やだー読みたくないーと思ってはいたけどあのグロさなしには喜助の静謐も成り立たないもんな。あのグロ表現があればこその喜助です。素晴らしい対比です。グロが却って喜助という人物自身の静寂を引き立たせている。
 とりあえず高橋五郎訳と町井正路訳それぞれのファウストは今後何としても読みたいね~すげー読みづらいと思うし多分単純にコレクションになるだけだけどそうだとしても私ほどお前を愛してやれる女はいないよベイビー とびこんでおいで!! あとよく見たら新渡戸稲造もファウスト物語っていうのを出しているらしいですね! 素晴らしい! 犬も歩けばファウストに当たるって感じですね! 蓬莱曲の扱いが難し過ぎて正直そうとう疲れてきましたけどこの事実をカンフル剤として頑張っていきたいと思います!
 何が疲れるって私は透谷と根本的に思想が違ったんですわ。ただ透谷はその人生を追っていくと微妙に情けないところとか面白いところとか無様っぽいところがあって絶妙に可愛いんで捨てられない。ていうかもうゼミ決まってるし捨てられない……

どすえ

 京都行って来ました。でも哲学の道とか寺とかもう飽きたの!
 私は京都を古都としてではなく今を生きる都市として捉えたいの!
 と思ったので、いつもとは違うところへ行ってみました。
 京都市立水族館です。とても良かった!
*** 
 新幹線にのぞみってあるやーん
 カール・ジムロックの『人形劇ファウスト』ではファウストが呪文で七匹の悪魔を呼び出して、そのなかからもっとも有能な者を自分の相棒に選ぶというシーンがあります。そのときファウストが悪魔の能力の基準としたのは(なぜかはよくわかりませんが)「速さ」でした。
 砂のうえを這うかたつむりや落ちていく木の葉、空を行くつばめや射出された銃弾、はたまたペストの感染速度(これ銃弾より早いらしい)、さまざまな速さで動けると自己紹介するそれぞれの悪魔たちですが、「ずいぶん早いが、まだ充分ではない」とファウストは応じます。
 そして「最後の者、いったいお前はどれだけ速い?」と尋ねたところ、最後の悪魔メフィストフェレスは「人ののぞみの速さです」と回答し、見事ファウスト博士の相棒に選ばれます。つまり「おれが思った瞬間にはもうそこにあるわけだな」というわけです。
 これが新幹線名の元ネタってわけじゃないけどちょっと面白いねって思ったので書いておくよ。元ネタは普通にWikipediaに乗ってるし鉄オタの人に聞くといとも簡単に答えてくれると思うよ
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DAN

 ♪ちゃいあーーーーーーー
 ♪ちゃいあーーーーーーー
 しょうこのまねだけど歌詞がないからどうにもならんかった……
 『仁義なき戦い』のテーマです(私にはこう聞こえております)。
 三年前の3/17は『仁義なき戦い』の原作者・美能幸三の命日でした。
 ですので次回のブログでは仁義なき戦いの話をしたいと思います。
 あと前回のブログで私はスタニスワフ・レムをロシア人って書いたけどあとあと考えてみたらポーランドの方でした。たいへん失礼いたしました。ロシア(もといソ連)人は映画『惑星ソラリス』を撮ったタルコフスキーです。いい映画です。
 なお、21世紀になってソダーバーグに作られたほうの『ソラリス』も悪くはなく、むしろ素晴らしかった、CGを駆使して映像化されたソラリスの海の光景は永遠に見ていたいほどでしたが、黒人団体・フェミ団体配慮っぽい設定変更が含まれているためそれが若干鼻につきました。ただしそれはソラリス関連作品として見るからであって、普通に観ればあの女優さんいい味出してたねって思うよ。もっといい味出してた原作の存在を知ってしまったことが罪だ
***
 国立能楽堂で下掛宝生流能の会『檀風』を観てきましたので、
 折り畳みでささやかながらその感想を書かせていただきたく存じます!
 すごく素晴らしいものでした! 謡本買えばよかったなあ
 しかし横にいた客が心残り 怨み骨髄に徹すとはこのことか
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