お知らせ

いつも「新・当世女子大生気質」をお読みいただきありがとうございます。
この度、サーバーの都合でこちらに移転することとなりました。
引き続きご愛顧のほど、よろしくお願い申し上げます。

不変なもの

こんにちは、ゆうです🦉


ピュアラルグミの販売が終了するという情報が、ついこの間私の耳に入ってきました。これは私にとって結構な一大ニュースです。というのも、私は実は大のグミ好きなのです。

私はおそらく世間で言う『オタク気質』の人間で、一度好きになったものは深いところまでとことん知りたくなるし、ハマった食べ物はずっと買い続けます。

ピュアラルグミは他のグミにはない柔らかい食感で、固めのグミが比較的多い現代では割と稀有な存在だったと思います。いやー、辛い。美味しかったし。なんなら高校時代は毎日食べてたし。この世の中に不変なんてないのだなぁと改めて実感しました。

私は好きなものがたくさんあります。多すぎて、この一ヶ月間で三回くらいは「それも好きなの!?」「そんなに好きなものが多くて大丈夫なの?」と言われるくらいです。いろんなものに手を出すし、好きになったからにはずっとずっと追いかけ続けます。

私は私ができるキャパシティの中で様々なものを応援しているので辛いなどと思ったことは一度もないのですが、確かに最近はアルバイトをしてることによりかかって少し出費が増えているかも…💦

そんなに好きなものが多いので、時には「好きなものが変わっていくこと」を目の当たりにしなければならないこともあります。

それはピュアラルグミの販売終了からスポーツ選手の引退まで様々で、日々それを覚悟して応援しているはずなのに、やはり直面すると寂しくなってしまうのは仕方のないこと。今応援しているスポーツ選手が引退してほしくなくて、「このまま年齢が止まればいいのに」なんて願いを持つ日もあります。

今の環境もいずれは終わり、私の人生には何度も大きな変化が訪れるでしょう。ネガティブがちな私でも、これからはその変化を惜しみつつ、新しい環境のスタートを前向きに考えられるようになれたらいいなと思います。

店頭から完全になくなってしまうまで、ピュアラルグミは絶対に買い続けます🫶🏻

秋の予感

みなさん、こんにちは!ゆり🍳です。9月に入り、もうすぐ後期が始まります。長いだろうと思っていた夏休みも、気づけばあっという間に終わりを迎えようとしていることに、驚きを隠せません!人生はあっという間に過ぎるなんて、よく大人が話していますが、最近はまさにその通りだなと実感しています…

さてさて、まだ暑さは残っているものの、少しずつ秋の気配を感じるようになってきた今日この頃。私の周囲も、徐々に秋仕様へと変わり始めています。特にその変化を感じるのが、私のアルバイト先です。私は現在、2つのお店でアルバイトをしているのですが、どちらも9月に入ると一気に秋らしい雰囲気へと様変わりしました。まずはファミリーレストラン。秋をイメージした料理やデザートが期間限定メニューとして登場し、これがまたどれも美味しそうなんです!メニュー表もオレンジや赤を基調としたデザインに変わり、店内にいるだけですっかり秋気分になります。そしてもう一つは、コーヒー豆や海外の食材などを取り扱っているお店です。こちらでは、10月末のハロウィンに向けて可愛らしい商品が続々と店頭に並び始めています🎃私自身もうきうきな気分で接客しています。脳内BGMではナイトメアー・ビフォア・クリスマスの『This Is Halloween』がエンドレスで流れ続けています👻

身近なところから季節の変化を感じると、なんだか嬉しくなります。ついこの間まで暑い、暑いと言っていたのに!季節の移り変わりって本当に早いですね。それこそ気づけば大学卒業なんてこともあるんだろうなぁ。

みなさんの周りで秋の予感を感じることはありますか?今回のブログはここらへんで終わりにしようと思います。最後までお読みいただきありがとうございました🍁

髙島野十郎展へ

こんにちは、あすかです🍒
先日、渋谷の松濤美術館で開催されていた『没後50年 髙島野十郎展』に行ってまいりました!

彼が生前居を構えていたとある地域に私自身もゆかりがあり、展示会に出向くことにしました。
髙島野十郎の代表的な作品としては『蝋燭』が挙げられるでしょうか。ほの暗い画面の真ん中でぼんやりと燃えゆく炎が印象的です。
また、特徴的であるのがこの『蝋燭』という同タイトルの作品が、今回出品されていただけでも10点以上確認されたことです。
同じタイトル、同じ構図でも、火のゆらめきには少しずつ違いがありました。
『蝋燭』は、彼が生涯にわたって描き続けたテーマだと言われています。これらの作品はお世話になった人物や友人に贈られており、作品の解説には、野十郎に仏教への関心があったことを考慮すると、蝋燭を描写した絵を送ること自体が「仏教でいうところの献灯の儀を想起させる」行為であるとの説明がありました。
加えていくつか見られたのが「月」を描くものでした。しかし、題名を『月』としながら、野十郎が描き出したかったのは「闇」であったといいます。暗黒の夜空と月の光を対照的に表現する『月』も野十郎の象徴的なテーマの一つでした。

明度の低い作品が続く中、私が一番きれいだと思ったのは昭和30年ごろに描かれた『境内の桜』でした。世田谷区・豪徳寺の仏殿の手前に、「臥龍桜」と呼ばれる桜が生き生きと咲き誇っており、枝垂れる枝の下で三人の少女が何やら遊びに熱中しています。緻密に描写された桜の花びらや、晴れ渡る青空の淡い色使いには温かみがありました。

作品に何を託したのか、その真意は野十郎亡き今、完全に理解することは不可能であると思います。しかし、彼は『遺稿ノート』にいくつか言葉を残していました。

「花一つを、砂一粒を人間と同物に見る事、神と見る事…」

解説もない作品から受け取る印象は私個人のものでしかないけれど、入念に、繊細に、事物を写し出す野十郎の視線に触れることができたような気がしました。

皆さまにもお勧めしたいのですが、なんとこちらの展示が本日9/6まででした…!😿
今回展示された作品の多くは、野十郎の出生地である福岡県の福岡県立美術館に所蔵されているとのことです!
皆さま、もし福岡に足を運ばれる機会がありましたら、ぜひぜひご覧になってください!

年を重ねた日の備忘録

皆さんこんにちは。みちこです。

さて、この日が来ました。誕生日です。22歳になりました。

22歳になったということは、大学生活の終わりを告げられる、ということにもなります。

 

大学生活の終わりということは、社会人の始まり、ということにもなりますが、今はどうやらそこまでの実感は湧かないようです。その話は冬ごろか初春にでもしましょう。

 

しかしまあ、誕生日だという実感はあれど、22歳になったという実感はないものです。

それこそ20歳になった時は、お酒が飲めるだの成人式があるから着物を着るだのがあったので、「あ、これで私も大人になったな…」の自覚があるのですが、21歳・22歳になると特に何もない中で誕生日を祝われることになるので、こう…20歳より劇的に何かが変わった!って感じがありません。

案外そんなものかな…と思いながらこの1日を過ごしています。

 

突然ですが、皆さんは「自分は運が良いと思いますか」という質問に対して、「はい」か「いいえ」どちらと答えるでしょうか。

 

私はこの質問に即答で「はい」と答えられる自信があります。

というのも、最近様々な人と交流をしていて、私自身の環境がかなり恵まれたものであることに気付いたからです。

確かに小学生時代は明るい思い出ばかりではありませんでしたが、小学生の私なりに親の助けを借りながら生きていた記憶があります。というより、人のことをほとんど気にしていませんでした。「自分が一番気が楽なように」動くということをその当時の私なりに考えて行動していた、ということです。

(わかりやすくいってしまえば、私は小学生時代、学校では友人をほとんど作らず、本を読みふけっていました。人と交流するよりも本の世界に入りびたり、自分の知識欲や想像力を高めることを嗜好としていたのです。)

もしかしたらこの頃の私が一番精神が強かったかもしれません。

 

そこから中学生・高校生と時を進める中で、着々と自我を成長させていったような気がします。

中学生の時分は本当に自分本位で、周りの人間を巻き込むくらいのことをしていたように思います。

まあ、身近にもっとすごい超人がいたのでその周りを巻き込む才はかき消されていたように思いますが、私自身の及ぶテリトリーの範囲内では散々に暴れ散らかしていた気がします。

 

高校生になると、大学受験を見据えて将来のことを少し考えてみたり、でも現実にはそうもいかなくて一丁前に悩んでみたり、そんな時を過ごしていました。

この頃から、「違う価値観を取り入れてみる」ということを覚え、他人との協調性を少しずつ覚えていったように思います。(遅い)

 

そしてそんな成長とともに大学に入学しましたが、これまた面白いものですね。

大学生において成し遂げたいテーマを「挑戦」に据えて挑んでみたら、思いのほか自分がやれてしまうことに気付きました。

と思ったら、今年の6月には大幅に体調を崩して3週間ほど再起不能な状態になったので、21歳という年は限界を知った年であるようにも思います。

どんな人間にも、限界値がある。なまじ強い責任感とそれなりの能力を私が持ち合わせるがゆえに「やりたい!」と声をあげ、ただ実行するだけで成し遂げられてしまっていたのです。

 

今度はきちんと「休息」することを覚えようと21歳の暮れごろから今にかけては思います。

 

あとはそれに関連して、「もしかしたら自分はそれなりにできることが多い人間なのかもしれない」と思うことが増えました。

これを感じるということはつまり「自己肯定感が低い」と言うのです。

自己をほぼ肯定することができない性根をしているので、そこは周りを頼るしかないのですが、周りを頼ってみると、自分の思った以上に自分のことを評価してくれている人間が多いことに気付きました。

私からしたら謎でしょうがないのですが、ある友人から「あなたは上を見すぎなんだ。向上心があるのはいい事だが、上のレベルを見すぎて自分で自分を苦しめているように見える。」と言われました。

これを世間一般ではなんと呼ぶのでしょうか。

そう、「完璧主義」です。

 

そりゃ昔からその傾向があるとは思っていましたよ…でもそれが良いことだと信じて疑っていなかった。

悪い影響を及ぼす可能性があるなんで微塵も思ってなかったんです。

しかし、自分で責任を背負うということが増えてから余計にこれに拍車がかかりまして、結果体調を崩すほどになっているわけですから、この性格もそれなりに付き合い方を考えていかなくてはならないものなのだろうと思いました。

 

さて。ここまでの話を総括すると、

・これまでの自身が身を置いていた環境に感謝しつつ、成長を重ねてきているということ

・しかしその成長志向にも限度があり、時には休むことも大事だと身を以て知ったこと

 

こんなところになるでしょうか。

いいですね、年を重ねるごとに新たな発見を得るというのは。

それに気づくこともまた、私の特性ゆえの特権なのでしょう。

 

ということで、今回はここまでといたします。

改めて、出会ってくれたすべての人たちと、これまでに出会ったすべての出来事に感謝を申し上げて、この記事を締めます。

 

最後までお読みいただきありがとうございます!

片道2時間、教職、月に3本ほどの観劇をこなすコツ

最近、どうやって片道2時間、教職、ヅカオタ、バイトをこなしているのかツッコまれることがあるので忘備録的に書いていこうと思う。

通学について

これに関しては諦めと妥協、それから電車に乗るのが嫌いではないという3点によって成立している。人身事故が起きても迂回ができない、最寄りまで車で30分かかる(歩けない)という土地なので、中学時代から通学時間が長いということには慣れていると思う。ギリギリ通える&都内は家賃が高いという理由から、目白近辺で育った友達の多くに一人暮らししなよと言われながらも、ギリギリ通っている。(通学時間と教職、体調、入りたかったサークルの練習場所的に入ったとてそんなに行けないと思いサークルに入るのは諦めた)

電車もコツがあって、最短時間に+15分見れば一回乗り換えを減らせる急行の始発に乗れるので、それに乗って座る。家を出る時間が早くなっても、電車で爆睡する方が私は体が楽。あとは、定期を遊びやすいようにする。金曜5限の帰りにデパ地下でパンを買えるとか、日比谷に行きやすいとかが私の中では大事。それからイヤホン。がやがや感が苦手なので、ノイキャンに命を救われている。

家を早く出るのにもコツがあって、家を出るまでの工程を少なくする。洋服は上3枚、下3枚、羽織2枚でだいぶパターンが増える。まつぱ、縮毛をして、さらにメイク道具も一軍を常に使いまわす。「迷う」という瞬間がないように。アイシャドウも単色なら30秒だし、まつげは上がっているので問題なし。まつぱが本当におすすめ。そこにドライヤーをしたら家を出れるので、身支度は15分。お弁当と朝ご飯は前の日のうちに冷蔵庫に用意しておく。(すっぴんで電車に乗ってたらそんな眠そうな顔で乗るな!と変なおばさんに蹴られて絡まれてから絶対すっぴんでは乗らない)(東京の夏、変な人多すぎ)

授業について

私は楽単を楽単だと思えないひねくれた人間なので、自分の興味のある授業を取る。というか、女子大は人数が少ない授業も多いのでどっちにしろ飛びにくい。どうせ授業に出るなら他人の「楽」よりも自分の「好き」を優先した方が結果的に良いのでは。課題は電車の中でできるものは電車で起きているときにやるのと、溜めない。思い出した瞬間にやる。

履修の組み方

ここはとっても大事。観劇数が激変するので。だがしかし、観劇のために授業を飛ぶとかは絶対にナシ。

まず、4月の時点で年間スケジュールから逆算して、今年の場合はポー東京が9.10月なので、10月に観劇できるように時間割を組んだ。前期は木曜13:30だけは追加にも申し込めるように絶対に空けたのと、金曜にお茶会がちょいちょいあったので、金曜の4以降も取らなくていいようにした。後期は+して…と思ったが、夏休み中に取り次ぎ結果が出たので救われた。

月曜日は休演日なのでなるべく授業を入れる。火曜日は教職が5限に入りがちなので大学、水曜は18:00公演に行きたいので3限まで。4限を取るとチケ出しに間に合わない。木曜は13:30を見るので、家出るついでに1限で良い授業があれば取る。2限はチケ出しに間に合わない。金曜日は教職が入るので、1と5だけ入れれば13:30見れる気はするものの、なかなかそうもいかない。でもこれだけでだいぶ申し込める。チケットなかったら、課題をしたり、病院やらまつぱやらに行ったり、バイトしたりする。でも木曜だけはバイトも入れずギリギリまで空けておくことで急に流れてきたチケットを捕まえることができる。

ちなみに、13:30見てから国会に駆け込んで複写受け取りとかも余裕。マイページに欲しいものを保存しておけば間に合った。

バイト

バイトは、夏と冬が暇な休日しかいかない、シフト3日前までわからないバイトと、その逆のバイトを掛け持ちしている。自分が働くの嫌にならないように、自分が興味ある分野にすることがコツ。半年続けても前向きにならない場合はやめるのと、時給が1400円以上でしか働かないのがマイルールなのと、使えない人間ならシフト減らされるのは人件費を考えたら当然だと思うので、頑張って仕事を覚えるまではシフトを減らされても仕方ないと思うことにしている。大手チェーンの方がバイトを減らされる話を聞きやすいので、そこまで大きくないけど、すぐには潰れないであろう、自分の良いところを必要としている会社を見つける。(某大手コーヒー店には真面目という理由で落とされた)あとは学業に理解があるところ!!これ鉄則。

こう考えると好きだからできている説が浮上してくる。多分コツは、好きまでいかなくても「マイナスな気持ちになることを削除していく」ことにあるんだと思う。あと、よく寝る。睡眠不足は病みにつながる。オールとかしない。

すべては木曜日13:30に気持ちよく宝塚を見れるように!

休憩時間のお供🍥

みなさまいかがお過ごしでしょうか。本日の担当ははるなです🍥

もう9月ですね~!2026年もあっという間に終わってしまいそう、、、。

私はつい先日ピアノの発表会を終えてやっと夏休み本番!!という気持ちで毎日過ごしています。今年の発表会ではショパンの「別れの曲 (Etude Op.10-3)」と連弾で嵐の「happiness」を弾きました~✨

家族や親戚も高校時代のお友達も足を運んでくれて、ものすっごく緊張しましたがとっても楽しかったです!やっぱりホールのグランドピアノで演奏するのが一番楽しい!!! 6歳の頃から続けている習い事なのですが、発表会の演奏順がだんだん後ろの方になっていて「私もしっかり歳をとっているんだな」と感じます、、、笑

ショパンの作品は華やかだったりものすごく美しかったりと、聴くだけでなんだか自分が優雅な生活を送っている気分になれるのでおすすめです!!休憩のお供にぜひいかがですか?🎶

発表会も終わり気が抜けた私は家で本を読んだり、勉強をしたり、ごろごろしながらスマホで映画をみたり、裁縫やレース編みをしたり、クレヨンで絵を描いたりと、インドア派すぎる夏休みを満喫しています!!最近は毎日お家にいるわんこちゃんと一緒にごろごろしながら、カワウソやハムスターがご飯を食べている癒し動画を垂れ流すという贅沢時間を過ごしています🐾パンダの赤ちゃんは正義です🐼

もう学校やお仕事が始まっていてこちらのブログをご覧いただいている方もお好きなSNSで🔍「動物 ごはん」と検索して最高の癒し時間をどうぞ💕

まだ少し暑い日が続きますが、休憩を大切にしてお過ごしください🐶

お箏の練習に励んでいます!

こんにちは!りのです☀️
9月に入りましたね!9月になっても夏休みなのは大学生の醍醐味だなぁとしみじみ思います。

最近はというと、お箏の練習に明け暮れていました。
今年の定期演奏会に向けて、夏休みのうちから練習しています。

今年は、個人的に二つのことに挑戦しています…!

一つ目は…です!!
お箏で歌?!と思いますよね。今年の定期演奏会で、私たちに2年生は「八千代獅子」という曲を演奏します。なんとこの曲、弾くだけでなく歌う部分もあるんです!弾き歌いです。
お箏を演奏するだけでもいっぱいいっぱいなのに、それに加えて歌も歌わなければならないのが難しくて、練習も大変でした…。
その歌というのも、「いーつーーウーウ」みたいに母音をはっきり発音する古典的な歌なので歌い方を体得するのも難しかったです。先生の声に合わせて歌うと自分も歌えているように思っちゃうのですが、一人で歌ってみると「なぁんか違うなぁ…」と感じてしまいます。
箏の演奏と歌のタイミングが合うようになるには、まだまだ練習が必要ですね。目白祭でも披露するかもしれないので、練習ピッチをあげて頑張りたいと思います😭
歌えたらめっちゃカッコいい曲なんですよ!絶対素敵な演奏にする!!

二つ目は…十七絃です!!
十七絃、ご存知でしょうか。(私はサークル入ってから知りましたよ…!)
普通のお箏は絃が十三本で演奏するのですが、十七絃はその名の通り、絃が十七本あるお箏です。
十七本あるぶん、サイズも大きくて重くて絃も太く、とても低い音が出ます。ベースみたいなイメージですね。
定期演奏会の全体合奏で「箏協奏曲」を演奏することになり、そこで十七絃を担当することになりました!!初めて十七絃を使って演奏するので、弾き方から扱い方に至るまでを先輩に教わりました。
全てが未知数なのですが、少しずつ慣れてくると楽しいです☺️
全体合奏は箏曲部全員で演奏するので、とても迫力ある曲になります。十七絃は音が低いけれどよく響くので、曲全体に奥行きを与えてくれる存在だなと思っています。そんな十七絃を担当できるだなんて!
素敵な曲にしたいので、練習を頑張っています。まだ十七本もある糸に目が慣れていないので、練習あるのみだなぁと強く感じます…!頑張るぞ!!

大学から始めたお箏ですが、とても素敵な仲間と先生と先輩と環境に囲まれて頑張ることができています。大学は新しいことを始めやすい環境だなぁと改めて思いました。
挑戦できることがあるって楽しいですね!もっとお箏が上手く弾けるようになるゾ!!

9月も素敵なひと月にしましょうね🍠🍂

原点回帰

皆さんこんにちは。みちこです。

今回はタイトルの通り、「原点回帰」というテーマで話を進めていこうと思います。

 

最近私はよく、「大元に立ち返って考えてみる」ということを行っています。

つまり、「原点回帰」です。

原点って意外と忘れがちだけど、振り返ってみたらちゃんと心の中(あるいは思い出の中)に残っているような気がします。

今は目先のことに気を取られてしまい、どうしても目的や本質を忘れてしまうことが多い中で、あえてふと思い出してみるということをしてみようと思います。

 

というわけで、目下私の頭を一番悩ませている卒論の原点について一度ここでまとめたいな、と思い立ちました。

自分の論・先行論、それらをどうまとめるか、それらとの距離感をどう保つか。

ここら辺のことをかなり迷っている中で、ふと思い出したのが、「なんで自分はこの題材にしようと思ったんだっけ」という至極単純な疑問でした。

なぜ阿仏尼という人物にこれほどまでに魅了されたのか。

これについては、一度ならず何度もこのブログ内でご紹介していることではあるのですが(そしてこんなことを振り返っている場合ではなく、手を動かせというツッコミも聞こえてきそうですが)どうかご容赦ください。

また、今回は少し備忘録的に書き連ねる関係上、文章構成がおかしなことになっているかもしれない点も併せてことわっておきます。

 

阿仏尼とは、かなりアグレッシブな女性です。

そりゃ、『うたたね』という作品で失恋した衝動で髪を切り、家出するような女です。

普通「さすがにそこまではせんやろ…」というラインを見事に壊していきました。あの衝撃たるや…。

しかし決して衝動的な行動をするだけの、「ヤバい女」ではありません。

阿仏尼は『源氏物語』をはじめとする古典が好きで、その注釈書もかなり読み込んでいる女性です。

おまけに和歌の才にも優れている「才女」なのです。

そんな才女な阿仏尼が『うたたね』内で何度も古典作品を引用し、主人公に悲劇のヒロイン像を(ブレることなく)作り上げていったその様は、並大抵の女性ができることではないでしょう。

そんな、行動派と才女という双方の性質を併せ持つ阿仏尼だからこそ、私は彼女に惹かれたはずなのです。

 

これがおそらく、私が阿仏尼を好きな理由・そして原点であるはずです。

(他の書については研究対象ということもあり、あまり詳しいことはここでは述べないつもりです。フラットな視点で述べることができないから、という理由もあります。)

あとは彼女が記した書を読んでいると、人間臭いと感じることもあります。

執筆意図が各書にある以上、ありのままに、という訳にはいきませんが、ひも解くと面白いくらいに阿仏尼の性質が出てきます。そんなところも面白くて好きですね。 

 

そしてこのブログを綴っていて思いました。もう少し肩の力を抜いて卒論に向き合ってみてもいいのではないかと。

もちろん、ある程度は型に則る必要がありますし、そうしなければ「論文」とは呼べない別の何かが出来上がってしまいます。確かにそこには気を付ける必要がありますが、原動力自体はもう少し逸るものでもいいような気がしました。

「重くとらえすぎ」と言われたらそうなのかも知れませんが、生憎そんな考え方・生き方しかできない人間です。ですが、苦しんで卒論を書くより、楽しんで論理を組み立てる方が100倍いいに決まってます。

多分、目先のことに捕らわれすぎると、原動力という名の「楽しさ」を忘れてしまうような気がします。現に、本文精読をしていた頃の「楽しい」という気持ちが今やほとんど無くなってしまい、「完成させなければ」という緊張感でいっぱいの日々を過ごしています。

この緊張感は今の置かれた状況的には間違っていないのでしょうけれど、緊張感で埋め尽くされた日々を過ごしすぎるのも考え物です。

そんな「考えすぎてしまう」私だからこそ、一度原点に立ち返ることでもう一度「楽しさ」を思い出そう、という、そういう趣旨の記事でした。

 

というわけで、今回はここまでとします。

もういくつ寝ると、誕生日を迎えるそうなのですが、何を書くのでしょうね。

それは、当日の私にお任せするとしましょう。

最後までお読みいただきありがとうございます!

宮古島♡

皆さまこんにちは!こゆき✨です
長い夏休み、楽しんでいらっしゃいますでしょうか。私は、先日家族で初めて宮古島旅行に行ってきました。

8月20日~8月23日の3泊4日で行き、無事台風に影響されることなく楽しむことが出来ました。天気予報では、4日間すべてが雨予報だったため悲しかったですが、いざ到着すると晴れ間が見えて、きれいな宮古ブルーを見れたためテンションが上がりました!しかし、3日目は強風と豪雨によってホテルに缶詰め状態になってしまいましたが、それも良い思い出になりました。ふと窓の外を見てみると、そんな悪天候の中でもホテルのプールを楽しんでいるちびっこ達がたくさんいてたくましかったです。同じ宮古島でも少し移動すると土砂降りの雨が降っているところと晴れ間が見えるところがあって、南国らしい天候だなと思いました。宮古島は天気予報があてにならないということを、今回の旅行で実感しました。雨でも意外と楽しめちゃいます!

また機会があれば行ってみたいです🌊

趣味を仕事にするべきか

趣味を仕事にするべきか。はたまた趣味は趣味のままにするべきか。


ねぇ、アナタはどう思う?




***


「そうですねぇ。趣味を仕事にする。別にいいんじゃないですか?」

ズイブン簡単に言ってくれる。そりゃそうだ、アナタの人生じゃないもの。でも、この質問をして「いいんじゃない」って言ってくれたのはアナタが初めてかも。



就職活動を続ける中でたくさんの人生の先輩からご助言をいただく機会があったけれど、何度も同じことを言われたわ。

【趣味は趣味のままで楽しむのもいいんじゃない?】

【好きなことが向いていることだとは限らない。】


そうだろう、そうだろう。そうなのでしょうね。冷静に考えて……

◉自分の能力適性
◉目指す世界の門戸の開かれ具合
◉生計を立てられるか

簡単に3つあげただけでも眩暈がする。これら全てが合致するものを探さなければ……いかな楽観主義者であろうとも生きていくことが難しくなる。人生が立ち行かない。だって、ねぇ、理想は食べられないのだから。



「アナタは何をそんなにうだうだと。結局、アナタは何になりたいんです?小学校の卒業式でしたか、体育館で叫んでいたように気軽な気持ちで夢を掲げればいいじゃありませんか。」


そう?そんなに気軽に?なら言うわよ、私はエンターテイメントが創りたい!
アニメ、漫画、小説、ゲーム、演劇……あらゆるエンターテイメントが私の人生の彩で、大切な趣味。

そういったステキなものがこれから先もずっとずっと続いてほしい。他でもない私自身のために。それらがなくては息の仕方もわからない自分のような者のために。


大きな口を叩いてみたけれど自分のような者が他にも大勢いることを知っている。そしてその大勢に比べて自分が何も秀でていないことを、知っている。理解している。

畢竟、私が夢を追うことは正解ではないのだろう。だからこそ止めてくれた人が沢山いた。私が正解を選べるように親身になってくれた人がいた。


だが、正解だけが人生なのか?正解ではない人生を選ぶ贅沢が眼前にあるのに。

私とて愚か者だが考えなしの馬鹿ではない。諦めた方が時には賢明なことを実感として承知している。故に私は今まで数えきれないほどのものを諦めてきた。諦めて、諦めて。そこまでしても諦めきれなかった唯一のもの。

演劇。

ずっと好きだったもの。心の支えだったもの。人生の標としてきたもの。


「驚いた、アナタってそんなに情熱的なところがあったんですね?」

私だって知らなかった。けれど就職活動を大学の2年生から初めてほぼ3年間続ける中で30社以上落ちて、落ち続けて、それでも嫌いになんかなれなかったんだ。諦める選択肢に縋れなかったんだ。最善策も最適解も救いにならなかった。

「そう、それはよかったですね。でもそこまでして掴んだ夢の先で、それが描いた夢の通りじゃなかった時に得る失望も大きいでしょうに。恐ろしいとは思わないのですか?」

なら、遠くから眺めていれば失望しないと?夢は夢のままでおいておけば綺麗な幻想として今後も愛せると?

それこそ幻想だ。近くにいようと遠くにいようと失望する時はあるさ。それならば観客としてではなく当事者として失望したい。そのほうが、ずっとずっと納得がいく。

妥協して選んだ正解よりも、自分で選んだ後悔のほうが幸せだと信じたいのだ。


***



そんな風にガムシャラな歩き方をずっと続けていた。エンターテイメント業界は煌びやかで、多彩で、しかしその席に座れる者は多くない。当然ながらそのレースに加わろうとするだけでも一苦労だ。


エントリーシートの内容は独創的で重厚、時には50問以上あることも。動画やイラスト……その他様々なものを制作することだってある。ナニか自分以外の技術に頼るような賢いマヤカシなんて通用しない世界だ。


それを繰り返す日々。
ひとつ不正解を貰うたびに自分の強がりが剥がれていく。


だからこそ、これが正解の道だとも、おすすめの道だとも嘯くことはできない。


それでも私はここに残したい。
いかに非合理的な選択であっても、いかに打ちひしがれようとも、徹底的に愚かな、そして自分自身に誠実な人間であることの幸福を!


その諦めの悪い足掻きの先に、私は幸運にも夢を掴むチャンスをいただいた。こんな自分にはきっと分不相応な素晴らしい機会を。



***


だからこそ、もし同じように己の夢の眩しさで目が眩みそうになっている方がいるのなら是非ともその瞼を閉じないでほしい。

瞼の裏の情景に押し込めてしまうのはあまりにも寂しい気がするから。

趣味は趣味、仕事は仕事。
それもまた温かいステキな向き合い方の一つだ。

だが一方で趣味に命をかけることだって選択の一つなのだ。理屈ではない、自分の情念に人生を賭ける。その平坦ではない逸れた旅路を選ぶ権利は、現代において幸運にも多くの人が持ち合わせている。


茨の道にこそ美しい花が咲くことを、どうか確かめてみませんか。



まどか🐧