ごきげんよう、ゴールデンウイークは全部体調不良でつぶしてしまったあやめでございます。ごきげん斜めであります。
「ごきげんよう、」で始めるとなんとなく決まった時から、自分のごきげんを自分で取れる人になりたい、というのをつよく実感するようになりました。そうでなければ「ごきげんよう、」ではないので。ということで、ごきげんをとるべくまたもや何編か書いたので読んでみてください。今回はお題を設けてその言葉を聞いて思い付いたイメージに沿って書いてみたりしました。内容が多少「春」なのですが、まだ春…ということにしてください。題名は季節感のある「風薫る」とかにしたので。変に暑い日はまだそこまでないですよね?ね?
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お題:冷たい光
いっそのこと海の底に新居を構えてやろうか、と頭の端っこで思った。冷たくてかたいような人口の光を浴びている私は、目と指は目の前のデバイスから決して離さず、脳みそだけでチラッと想像する。海の底の暮らしはさぞ、孤立しているンだろうな!冷涼で・豊かな青色に目をチカチカさせて・体を包んでいる水圧に負けながら・暮らす、てのはさぞ気楽なものだろう。人間だったら絶対にプカ…と浮かんできてしまうので、底にへばりついて目玉だけギョロ…と動かして青を摂取することは不可能なのだ。だからこそ、人工の青で我慢することになる。
要は、海、それも深海が好きだ。そしてあおいろが好きなのだ。
目前、天気は雨、水は水色ではなく灰色をしている。よっぽど晴れの日の方が青を摂取できるわけである。が、どういう訳か幼稚園児のスケッチブックには雨は青色・水色で描出される。それを「常識」として学習した私にとって水は青色であって、灰色ではない。ただ写実的に物を見ようとすると、どうしたって青ではない。と、ここまでを窓の外を眺めて、コップ一杯の水を摂取する間に思考する。脳みそで電気信号がバチバチ音を鳴らしている、そんな錯覚がある。
腹が痛い、みたいな現実に縛り付けて、そして苦しくて不味い唾液が沢山分泌される瞬間を毎秒味わっておいて、どうして現実的でいられるだろうか?つまり腹が痛い。さっき食べた賞味期限切れの卵をえいや、と食べたのが悪かったのだろうか。まるきりの間抜けである。高尚でもなんでもない。モノクロのスタイリッシュな生活もない。あるのは鼻垂れの、にきびの、埃被った生活である。深海になど、行けやしない。私の生活をさっきまで哀れんでお恵みをくださるはずだった傘地蔵も、呆れて帰ってしまうだろう。全然季節は違うけど。
さすがの我が家もそろそろ掃除しなければならない。階段の踊り場に綿埃が我が物顔で住み着いているのを見つけて、重たい腰を上げて、重たい旧型の掃除機のスイッチをつけた。深海においては、埃、あるいはそれに準じた物が溜まることはあるのだろうか。プランクトンが滞留する、とか?マリンスノーとかわざとロマンチックにラベリングされた、「死骸の数々」が埃みたいなものだろうか。だとしたら、どうやって掃除するのか?掃除機は無いし、水圧に負けながら目玉だけで生き延びるのに、掃除のような大した行動など出来ようもない。今だってできていないのに。
さて、ポケットの中に納まっているデバイスは、そんな面白い発想のタネをくれる時もあれば、頭を押さえ付けて決して起こせなくなるような、無力感やら気分の悪い真実やらを一方的にブチ込んでくることもある。決まって、青色をしている。
ここまで、一回も瞬きをしていない。ドライアイ。
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お題:忘れられたモノ
1
「ンもう!要らないならペッしちゃいなさい!ほら、ペッ!」
という会話があったのだろうか、バイト中に見つけた当店お勧めのサンドウィッチのパンのみみのところだけがお皿に鎮座して、放置されて冷たく、ただでさえかたいその「身」がより硬直していた。
バイトの私はそのパンのみみに同情したり、ペッ!した方の代わりにありがたく頂戴することもまさか出来ず、そのままそのパンのみみをゴミ箱に無常にひっくり返すことしかできない。その上そのパンのみみにはすこしの気持ちも割かずに、次のパンのみみをゴミ箱にぶち込んで、何食わぬ顔でお皿をガサツにガチャガチャ洗い、お客様の顰蹙を買ってもニコニコ申し訳なさそうにペコペコ謝ることしかできない。私の頭はその辺のケセランパサランよりも軽ゥく出来ているので、謝る事は大した労力もないが、パンのみみはそんな事知った事ではないだろう、と思って、時々夢に出てきて、私の使い古されてダルダルに伸び切った汚い良心を、それでも「これでもか!」と蝕む。同僚の顔を見たら、少し疲れた顔をしていた。私の顔を鏡で見たら、いつもと全く同じで、あ、感情を忘れたンだな、大人になれてよかったな!と思った。
2
駅のはしっこに、バカに真っ直ぐ立っている、捨てられている、と見れば良いのか、はたまた何かの実験中なのか、ペットボトルがあるのを発見した。中にはなにだか液体が入っていて、衛生的な観点から私は触れない、という判断を下した。しかしながら目ばっかりはそのペットボトルに惹きつけられて、ぼんやりしているフリをしてそのペットボトルの様子を眺めてみた。中には何が、そもそも誰があんなところに?ペットボトル専用のゴミ箱はすぐそこにある。あの中身はもしかして、怖いモノ?劇薬だったりして!
早朝。人間は一様にホームの列に並んで目を虚に開けて、しんなり立っているのに、そのペットボトルはあんなにしゃんとしている。私に色んなつまらなくて下世話な噂話をされているのに、そんなこと聞こえない、というような態度で、みんなと違う中身でも、みんなと違う風体でも、たとえ「飲みかけ」の半端ものでも、あんなにもしゃんと、立っている。私は人間なのに。
ホームを清掃する人が、視界にスッと入って、そしてペットボトルは呆気なく回収されていった。出る杭は打たれる。
3
もう長いこと連絡をとっていなかった田舎の同級生から、「今なにやってんの?笑」と連絡がきた。怖過ぎて反応できずに半日放置していたら追撃のように「暇な日ない?飲みいこうよ笑」と送られて来た。お酒はほとんど飲んだこともないし、お話の最後に「笑」を付けないと会話が気まずくなるその人に割いても良い日は、探しても無さそうだと思って、断ろうか…いやそもそも見つけてもいないことにして、一生未読無視を決め込もうか…などと思っていた。 そうしたら、焦れたのか、「いや、忙しかったら別にいいんだけどさ、」「また昔みたいにしゃべりたいなーって思って笑」と追加された。確かに私は中学生の頃、頼まれもしないのにみんなの相談を聞いては(私が)最適解(だと思うもの)を提供する「係」をしていた。どうしようもない、グラッとくる激情に襲われて、しかしそれは「懐かしさ」と呼ばれるものなのか、「怒り」と呼ばれるものなのか、あるいは「最適解」なのかは分からず、やっぱり彼の方は変わらないわね、と、ソッとフタをする気持ちで携帯の電源を切った。 こんな夜更けに連絡を寄越す方が悪い。私は今、入水に忙しいのに。今更なによ!なんて。風呂に入るだけだけど。
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お題:知識欲
爪を綺麗に塗り飾るように、私は言葉を加工しておきたい。
花を窓辺に飾るように、私は思考を生のままにしておきたい。
髪を美麗に作り固めるように、お顔を化粧(けわい)するみたいに、私はよく見える目を、澄んだ思考を造り上げておきたい。
曇って気温が上がらない4月の午後、みたいな日が続けばいい。大したことがなくても、あ、天気のせいだ、と思えるから。余白が生まれるから。メトロノームが微睡むから。
花壇の花がお風呂のホコホコの湯みたいに湧き出でるのかと見紛う。底のところから、こう、湧いて出てくるような、力強さをもって花は咲く。
コーヒーの湯気がめがねをメガネを曇らせたせいで、何を考えていたのかさっぱり忘れてしまうような、そんなdelete機能が欲しい。
あの日あの子は、私を絶賛した、その事実だけはしつこく覚えていて、どんな内容だったかはぱったり、忘れてしまっている。あの日あの子は、私の何がそんなに良かったのだろう。美麗に飾る能力もない、原石のままの醜い私の、どこから光を見出したのだろう。意外と、みにくい、なんて思っているのは、私だけなのかしら。磨けば、きれいな石に、いや、なれっこない。ならなくて、いい。このままの、曇り空の私の方が、強くてきれい、と昔先生が言っていた。
みずたまりを覗いて、水は水色ではないことを知ったあの頃の私は、雨降りが大好きだったと記憶している。今では大嫌いな雨の日を、楽しむ方法がどんなだったか、スッカリ忘れてしまった。アスファルトに染みて、アスファルトが「たまらなく」なって、水たまりができるのだ、跳ね返る小さな水滴の動きがなんとも言えず面白いのだ、雨は誰の涙なのか、実はアスファルトの涙だったりして、そんなことを白昼夢的に想像して、車の外を眺めていたあの頃の私は、地面の底に沈んだのだろうか。
綺麗な花を一輪買うなら、同額の本を一冊欲しい。綺麗に着飾るツールを買うなら、同額の博物館チケットが一枚欲しい。これ以上脳みそのポケットにパンパンにどんぐりを詰め込めば、溢れて洗濯が大変だから、そろそろひっくり返さなければならないのを、大人の私は知覚している。花は底から湧き出でるけど、私は知識欲が満たされることを知らないでいる。ホコホコのお湯ではなく、マグマがグツグツするように、全てを食い尽くすように、光をも逃さないでそこにはなんにもないように「みえる」ブラックホールのように。 アルバイトに行って、同い年の同僚のつめが綺麗に飾られているのをみつけて、ただそれを褒める上手な言葉はみつからず、試みに「つめ、すてきですね」とひらがな表記で言ってみた。そうしたら、苦笑してその人、「趣味だからさ」とお返事なさった。「やってみたら?案外簡単だよ、あやめちゃん爪綺麗じゃん」とも付け加えてくださった。でも、私の趣味は、爪じゃなくて、言葉の加工なのです。私の爪は生でガタガタに見えるかもしれないけれど、私の吐く言葉はあなたの爪も凌ぐのよ、と、よっぽど言いたかった。
「うん」としか言えない。
そろそろ大人になる頃合いだといわれた、誰にともなく。音がない声に急かされる。合唱の和音の共鳴みたいに、「あいだの音」が聞こえる。それが私を急かして不安にして、持続可能性を損う。ただの電気信号なのに、と思えない。
そのままでいいよ、といわれたい。
そのままじゃだめだ、とおもってしまう。
大人になったら、綺麗なおべべを着て、高い靴を履いて、まっすぐ前を向いて、にっこり笑顔をかぶっておく、必要があると思った。このままじゃずっと、こどものまま。
私の死因は本による窒息がいい。
爪を綺麗に塗り飾るように、私は言葉を加工しておきたい。
花を窓辺に飾るように、私は思考を生のままにしておきたい。
髪を美麗に作り固めるように、お顔を化粧(けわい)するみたいに、私はよく見える目を、澄んだ思考を造り上げておきたい。
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