あけましておめでとうございます。あやめです。
クリスマスに年越し、それにお正月はいかがお過ごしでしたでしょうか。私はわりとルンルンで大掃除をし、事あるごとに言い訳して御馳走をたべる二週間になりました。あとは大半の時間をレポート作成に使いました。はやくおわらせたい一心で。なんだか去年も似たようなことを言っていたような?
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コップ一杯の冷水を胃に注ぎ込めば、その衝撃で目が覚める。
起きたての冷たい部屋の空気に身震いしながら、なにでもなく、水を飲む。
恥ずかしいことに口を開けて寝てしまうクセがあり、それゆえにカピカピに乾いた体。
目が覚めると、昨日処理を中断した哀しい記憶が再開して流れて頭を満たす。ただ、寝て起きると感情がリセットされるようで、ああ、そういえばそんなこと考えていたかもしれないね、と思うだけになっている。私はもう、おとなだ。
上着を着て、台所へ向かう。室温5度。午前7時。
吐く息は白く、目はショボショボする。
・暖房のスイッチをいれる。
・パンをトースターにいれる。
・顔を洗う。
凍り付く手前のギリギリを揺らいでいるような冷水で顔を洗って、シャキッとするな、と思ってふと鏡を覗き込むと、そこにまだ寝ぼけまなこの自分が写る。まだ目覚めていないのか。寒い。
暖房が効き始める。ゆるやかに乾いた空気が満ちていく。
トーストの焼ける音。
・マーガリンを塗る。
ざりざり、ざ、と音が立つ。いいにおい。
・卵を焼く。
あ、崩れた。目玉焼き失敗。スクランブルエッグ成功。
・インスタントコーヒーを入れて湯を注ぐ。
湯気が立つ。眼鏡が曇る。
曇り空。今日は曇り、のち、雨。この寒さでは雪になるかもしれない。舞う程度の量だろうか、靴下は二重に履こう。手袋とマフラーももとう。
・持ち物:緑色のリュックサック、パソコン、筆箱にしている缶々、ノート、水筒、弁当、薬や絆創膏やお守りが入ったポーチ、NEW:手袋、マフラー
今日は何があるんだったか?
・2限:講義、3限:空きコマ(月曜3限と木曜2限の授業で出ている課題をする)、4限:演習、帰宅予定時間:18時
・追記;昼休みに中央研究室からきていたメールの返信、電車内で読みかけの本(行動経済学について)を読む、帰宅後明日(13日)の発表レジュメ見返し
・朝食をとる。
ざも、というような音を立ててトーストが私に食われる。
コーヒーを飲む。あつくて舌をやけどする。
再び冷水を嚥下する。
やけどがひりひりするように、苦い昨日が思い出される。
昨日は、よせばいいのにわざわざ嫌な食事会にちょん、と参加して、帰りが遅くなってしまった。相変わらずトマトの缶詰みたいな満員電車に、トマトとして乗り込んで、ペーストになった昨日。これだけ人がいるのに、みんな一様にスマホをのぞいて異世界をたのしんでいる様子だし、首はまっすぐだし、着ている服は似たり寄ったりである。私だってその一員である。トマトとしてSNSで他人の生活をのぞけば、ペーストトマト(ピューレトマト)な自分とはうって変わって、ホールトマトなキラキラ生活がそこには「ある」。でも電車を見る限り、大差ない人々。中身は皆一様にぐちゅぐちゅしているのだろうか?それともホールトマトよろしく、つやつやで裏表なくて、のどごしもよくて、ひんやり冷たい優しい中身なのだろうか。
私はどうなってしまうのだろう?私の中身は成熟して、ある程度のかたさをもった、きれいな生のトマトだと思っていたけれど、ほんとうはペーストにしないと売り出せないほどじゅくじゅくしてドロドロして、外に出せない嫌なトマトなのかもしれない。皮一枚でなんとか保って、その中身はこんなにぐちゅぐちゅなのかもしれない。みんなはどうなんだろう?みんなも同じように危うかったらいいのに。少なくともあのホールトマトは、ホールトマトで売れるんだね。こんなことを、よくわからない距離感で、遠くから、水族館の水槽みたいな厚いガラスごしに眺めるように、遠くから、まなざしている私が、たぶん頭のなかに二人か、三人くらいゐる。
そう思ったら、笑っておしゃべりするとなりの女子大生と思しき3人組が、そんなふうに新鮮でみずみずしくて、ガラスを挟まないで世界に触れているらしいその感性がホールトマトどころか生のトマトに見えて、羨ましくてねたましくて、そしてうるさくて嫌になってしまった。後ろに立っているフラフラしたおじさんのほうがもしかして今の私に近いものなのかもしれない、とうそ寒い気持ちになってしまった。さっさと私もおばさんになって、こんなぐちゅぐちゅじゃなくて、カサカサカピカピのおとなになってしまったほうが、
そこまで考えて、思いとどまった。いけないことだと思った。
こんな昨日の気持ちが解凍されて思い出された。遠くから眺めるように記憶がめぐって、そして、ぱたん、と閉じられる。そして、昨日はあんなにあせったのに、こんなこと、考えていたかもしれないね、と思うだけになっている。私はもう、おとななのだ。
身支度を整えるために、再度鏡をのぞいてみる。私もそろそろ酸化してきた頃だろうか、いや、まだ20歳である。