ごきげんよう、あやめでございます。
前回は大遅刻してしまったので今回は…と思っていたのに今回もまた滑り込みになってしまいました。お詫び申し上げます。ごめんなさい。
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今年の私の夏休みは、卒業論文を執筆する夏休みです。人生最後の夏休みらしいですが、大満喫ができているのか不明です。次回は夏休みにやったことを思い出して書いてみようかななどと画策しております。
さて、今回は2年次(おととし)の5月、3年次(去年)の5月にやっていた「押し入れ集」を、やっぱり押し入れから引っ張り出すように思い出して、私やっぱりアレ好きなんだなと思って、しつこく第3弾をやろうとたくらんでおります。
押し入れ集、についてご存じない方に向けて、改めて簡単にお知らせしますと、暗くて変なにおいがしてひんやりして怖い、あるいは物が煩雑に置かれている単に物置としか思われない「押し入れ」が好きな私による、押し入れへの愛を語るもの…ではなく、押し入れのようにいろいろ詰め込んだ大小さまざまな文のまとまり、くらいの気持ちで名づけました文章集であります。随筆、なのでしょうか、わざわざ名前を付けるほどでもない文章のまとまり、というか、いわゆる「雑文」といいますか、「雑(ぞう)」といいますか、まあ今回も徒然なるままにこりずに始めようと思います。年に一度しか開かないこの重たいふすまをひらく音。
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やっぱり物が詰まったふすま。重たいわけである。あけたら中身がはじけ出てきた。
この大きな物音が嫌いで、かといって荷物が整理できる訳でもなく、同じ轍を踏み続けるのだ。どんがらがっしゃん、である。
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重たい荷物を持つのが嫌で、めったに使わない櫛は置いて行こうと思った、そういう日に限って髪を整える必要にかられて、ああ、櫛は持っていない、となる。
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カバンの奥底で押しつぶされたしなびたハンカチを見て、今日の私だと思った。
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ブラックブルーのインクが好きで、そのインクで文字を書いたら、真っ白の紙に行き先が描かれたような気がして元気が出た。
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アジサイの花の色は、その花が生える土のphに拠っていることを、理科の教科書を読んで知った。それからというもの、アジサイを見つけては「あそこの土は酸性なんだ」と、アジサイの花の色を、さも土のphを識別するための標識かの如くまなざしていた。でも、そういう風に知識を動かして遊ぶ人はめったにいないらしい。しょんぼりした。そのことを、とっくのとうに枯れて、酷暑にうなだれている、花だった部分を見て思った。6月にやるべきだった。
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最近、朝の決まった時間に、勝手に目が覚めるようになった。ここ数年の私の朝は、おでこに漬物石が置かれているくらい眠くて重くて怠くて頭痛のする、いやな寝起きしかなかった。それが何が良かったか、小学生以来の朝のさわやかな目覚めを体験することができている。ここ数年の不調・不快が嘘みたいで、奇蹟かなにかだと己の体内時計及びシステムを疑いつつ、爽快な感覚に喜びつつ、眠いまなこをこすりつつ、台所で蛇口をひねって水を汲んだ。嚥下。水がしみて、目尻からこめかみにかけての部分がひんやりするような気がする。
小学生の頃はごはん、特に朝食が美味しくて、食べるのが遅いくせたくさん食べるからちんたらもりもり、毎朝40分も50分もかけて味わって、遅刻しかけていた。最近は毎食あまり食べないから全然良くない痩せ方をして、せかせか焦ってカリカリきりきり、自律神経でいったら交感神経ばっかり優位な生活をしていたのだと思う。ここ数年のまとまった膿みたいな不摂生が今日、どこかへバカンスに行ってくれたのかもしれない。のんきでちんたらもりもり、が性に合っていたのかもしれない。大人ぶって背伸びして合わない靴を履いて靴擦れして踵を引きずるから歩みが遅くなって、それなのに「自分は足が遅いのがいやだ」とぼやいているような、あべこべな文句を言っていたのかもしれない。
コップは空になった。
水道水がてきてき、滴り落ちる音がする。
二度寝しよう。
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パイナップルの缶詰をタッパーにあけて、冷凍してから食べてみた。耳から「うまさ」が煙になって抜けていくような爽快感があった。おいしかった。
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時計を見ないで生活したら、溶かすほど時間を使ってしまい、それを「時間の大富豪」とか呼んでにんまりする遊びをした。
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昔、横断歩道を渡り切った後、私の通行を待っていた車の運転手さんに向かってお礼をするべく、くるっと振り返ってぺっこりおじぎをする、というゲームをしていた。マイルールというか、「しばり」をつけて生活してみるのが面白かった。それに運転手さんや周囲の反応を見てもいた。趣味が悪すぎる。
誰かと一緒にいても必ず毎回ぺっこりしていたら、そのうちに友人もやるようになった。ちょっと驚いたけれど、まさかこんなへんてこな気味の悪い「ゲーム」だとは言い出せず、やっぱりしつこく続けていた。そのうちにクラスメイトとか、同学年の子がやり始めた。「お礼をするのって大事なことだよね」と言っていた。この辺りから「誰がやり始めたか」ということは重要でなくなっていた。そろそろまずいか、と思ったけれどもう「ぺっこり」をしないほうが「礼儀がなっていない」人みたいになってしまった。私は当時学級委員をやっていたからか、周囲からはまさか「礼儀がなっていない」人だとは思われておらず、当然「ぺっこり」派だと思われていた。面白いから続けた。そのうちに先輩や後輩がやり始めた。この「習慣」が学校全体に本格的に根付いてしまって、朝礼で校長先生が「ぺっこり」を「素晴らしい習慣」とか言って褒めだしたのでもう後には引けなかった。そろそろ笑えなくなっていた。
その習慣は、5学年年下の妹の代まで続いてしまった。「お姉ちゃんが意味わかんないゲームをするからおじぎを絶対やらなきゃいけなくなっちゃったじゃん」と妹に物凄く怒られた。しつこくものを続けるのも、考えものだということがわかった。もう面白半分で流行を作るまい、と決意した。頑固なのは治りそうもないけれど。
高校時代の友人にこのことを話したら、「こわ」と言われて、しっかり落ち込んだ。
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来年も押し入れ集をやろうか、と思って、イヤ来年は無いんだったと思い返す。もうこの押し入れを開く必要はない。どんがらがっしゃん、に直面する必要はない。もう二度と取り出す必要のないものを箱詰めして、ぴったりとふすまを閉める音。もうやらない。