明鏡止水・曖昧模糊

ごきげんよう、あやめです。

もう3月ですね、早すぎませんか。ぼやぼやしていたらアッという間に3年生が終わっちまうという有様です。こわいですね。4年生は一生懸命、計画的に過ごしたいと思います。

さて、春と言えば出会いと別れの季節、去年もなにだかそんな話をした気がしますが、今年も出会いがあるので楽しみにしております。3月上旬には新入部員さんの発更新がある様子、とても楽しみにしております。今年はどんな方々がいらっしゃるのでしょうか…わくわくですね

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めいきょう‐しすい[メイキャウ‥] 【明鏡止水】

解説・用例

〔名〕

(「淮南子‐俶真訓」の「人莫〓鑑〓於流沫〓、而鑑〓於止水〓者、以〓其静〓也、莫〓窺〓形於生鉄〓、而窺〓於明鏡〓者、以〓其易〓也」による)

くもりのない鏡と静かな水。澄みきった静かな心境をいう。めいけいしすい。

あいまい‐もこ 【曖昧模糊】

解説・用例

〔名〕

(形動タリ)

物事がはっきりしないで、ぼんやりしていること。また、そのさま。

どくりつ‐どっぽ[‥ドクホ] 【独立独歩】

解説・用例

〔名〕

(形動)

(1)「どくりつどっこう(独立独行)」に同じ。

(2)他と異なる、はっきりした特色をもっていて、同じに扱えないこと。

どくりつ‐どっこう[‥ドクカウ] 【独立独行】

解説・用例

〔名〕(形動)

他人にたよることなく、自力で自分の信ずるところを行なうこと。また、そのさま。独立独歩。独立独往。特立独行。

(いずれもジャパンナレッジ「日本国語大辞典」、2025年2月26日参照)

あなたらしい生き方をなさればよろしい。

そのように言われましたが、「あなた」「らしい」とははて、誰から見ての言葉だったのか、理解できずに落葉した、心もとないみどりのはっぱが川を流れていきました。否。そんなつもりで川をぼんやりながめる「考える葦」、これも気取っていけませんね、人間の私がぼんやりしていました。

人はひとりではいきてゆけない、という言葉を信じれば、多分人は「群れ」の動物で、支えあって生きるように設計されている、とか、一人でできることに限界があるとか、一人でできることの限界を広げることができるのも人間の特権だとか、そういう話に展開して、それでひとりでやるには「むりがある」ということなのだな、と理解しています。

人はさいごにはひとりだ、という言葉を信じれば、多分人は生まれるのと死ぬのとその究極の地点においては一人で・ソロプレイモードで存在しているとか、誰も真にお前の味方ではない、なぜなら人が感ぜられる感覚は「一人用」だからである、とか、結局一番信用・信じられるのは己の拳のみだだとか、そういう発想に行き着いて、ひとがひとをおもんぱかる設計上の限界を「知っておけ」ということなのだな、と理解しています。

そうすると、どっちがいいとかわるいとか、そういうはなしではないようです。ここからは私の苦手なバランス感覚の要する作業で、つまり、場面によってこの発想を切り替えて、しかしその着せ替えタイムも着せ替えしたことも悟らせず、あくまで昔っからこのスタイル一本でやらせていただいている、という顔をして生き延びるのが大事そうだと思いました。

わたしらしくいきる。

そのために(少なくとも私が思う)わたしらしさを知って、理解して、会得して、発揮する必要があるのだと思います。

キャベツとレタスの見わけみたいに、緑色ではっぱで・球状に集まってて・サラダの主役になる、ぎりぎりまで似ていて、しかし非なるものの、最終的になにが決定的にちがうのか、という差を知る必要が、「わたしらしくいきる」のなかに含まれているのだとおもいました。

ふむ、わたしはあなたと違って、パリパリさに欠けるのかも、とか、そういう差異に気づくゲームをするのだと思います。これが難しい。

明鏡止水

私らしい言葉だそうです。

私はマがヌケていてすっとこどっこいのヤな有害動物だと自認していましたが、そんな綺麗ですてきな評価を頂きました。よく見える、よく尖っている、よく澄んでいる、ということでしょうか。でもその実、その「水面」の下で、どれだけの汚泥が・こわい蟲が蠢いているのでしょうか。仮面を掛けて、誰にもバレなければ、それで「良い」ということでしょうか。私には、判断が付きません。

曖昧模糊

これは私が好きな言葉です。好きな理由は語幹の良さです。あいまいもこ、とひらがな表記の方があいまいもこ「らしい」と(個人的に)思います。そんなふんわりした感想を思いついてしまうほど、私の中身はほんとうはなにも固まっていないカオスの世界なのかも?明鏡止水なんてうその姿で、有史以前のおとぎ話的ふわふわな世界観を、真っ向から信じて、純粋に、きっぱりと、そこにしたがっているのかもしれません。

独立独歩

今まで私は自分が「独立独行」のほうの独立独歩をやれていると信じていました。胸を張って、自分は自分の道を堂々歩んでいる自覚と自信がありました。誰が何を言おうとも、私は私の道を行く。

ただし、「私」が誰かは知らず。

そういう危うさをもって、ふんす!と意気込んで歩いていましたが、裸の王様の大行進だったのだと気づいた時の、その衝撃と羞恥を、油汚れみたいに忘れられないから、こんな語り口調になったのでしょうか。同じに扱えないことは、私からしたらとても迷惑で面倒な存在だと思います。ペンケースから一本だけ飛び出た鉛筆。じゃまだしかさばるのでペンケースから抜いてしまおう、あるいは入るサイズになるまで削ったりして、そうして使おう、という発想になってしまいます。でも、かたまっていない世界をどうやってかためたらいいのでしょうかね。

独立独歩。私は規格外・例外のはっきりした「特徴」を、もっているのではないでしょうか。羨ましいの?こんなものでよかったらいくらでもあげます。

眼鏡をかけて、髪を結わえて、気持ち程度のうすい化粧をして、外界から遮断するようにマスクとイヤホンをかけたら、それでようやく外に出られます。

吟味をして、飄々とした・つまらない・くだらない、楽し気な言葉を繕って紡いで、それでようやく「私」を形成できます。

ほんとうはもっとぐちゅぐちゅの熟れすぎて売れない汚いトマトなのに。

明鏡止水

あなたは?

窓枠

ごきげんよう、あやめでございます。

受験シーズンですね。お元気ですか。私立をメインで受けてらっしゃる方はもう受験は終わったのですかね、お疲れ様でした。大学生はじぶんで道を切り開くこともたくさんできるようなので、ぜひ楽しんで過ごされたらいいなと思いました。私もあといちねんを有意義に過ごせるよう、たくさんの計画を立てているところです。あと、いちねん、なのか、と愕然としながらではありますが。

さて前回、最近あんまり書けないことを懺悔して、それから次回こそは長く書けるように頑張ると申し上げておりました。今回はそれができるよう、久しぶりになんとかカラカラの脳みそをひねって書いてみました。がんばりました。張り切ってどうぞ。

◆◆◆

車窓のちいさな枠組みに囚われてその街を眺めておりました。

私は出不精でありますから、大した理由をつけないと出かけられない人間なのです。

毎日大学に通うのに、毎日同じ枠組みからその街を眺めるにとどまっていて、その街のこと、何も知りません。

外から見たら、私は枠組みの中身、ということになりましょうか、そうしたら、私は絵のなかのひと、ということになりましょうか、ちょっと誇らしいので背筋を伸ばして立っておこうかしら。

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たいした理由ができました。

ずっと車窓の枠組みのなかから見ていたあの町に、いくべき大した理由ができました。

大学からの帰り道、ちょっとそこまで、と思って散歩のつもりで練り歩き、気が付けば大分とおくまで来てしまったので、バスに乗って帰ることにいたしました。

私の家の近くをはしるバスとは違って、さきにお支払いをすませる式のバスでしたから、もうICカードが必要なのねと焦って取り出し、焦って鞄にしまいました。かおだけはおすまししながら。後ろには私よりはるかに年下の方(ランドセルを背負っていたので、それで「はるかに年下」と判断しました)がずっと慣れた様子で順番を待っていたので非常に焦りました。そんなことをしたせいで、ICカードを、鞄に入れ損ねたのでしょうか、なくしてしまいました。バスを降りて、駅について、定期券をかざして電車でかえろうと思ったのに、その定期券(ICカード)がないのです。あ。絶対あの時落としたんだ。バスはもうどこにもいません。冷や汗と口の中いっぱいに広がる嫌な味のする唾液。まずいなあ、昨日定期を更新したばかりなのに。

そこでバスの案内所・車庫へお電話しました。

「あの、もしもし、おそらく私定期券をバスの中で落としてしまったようなんです。ええ、はいそうです、○○駅前の停留所に○○:○○に到着する○○行きのバスに乗っていました、ついさっきです。はい。それで、まだ定期は届いていませんか、あ、はい。とどいてない、え、はい。あ、向かったら、はい。わかりました、ちょっと向かって見てみてもよいですか、ありがとうございます。では○○:○○頃そちらに伺えると思います。お願い致します。○○と申します。はい、よろしくお願いいたします。失礼します。」

こんなはいとかあ、とかをなんども言って誰も見ていないのにペコペコしながら、冷や汗ダラダラでお電話をし、とりあえず確認だけさせていただくことができました。

その車庫があったのが、あの町だったのです。

おすましなんてできません。

こんなに焦っているのですから。

いつも乗るのと違う電車に乗って、無かったらどうしよう、お母さんに何と言って説明しようか、ああ、お散歩なんて慣れないマネするんじゃなかった、などというつまらない気持ちがどんどん湧いて、それが全て唾液となって湧き出ているのか、というくらい変に生唾がでました。いやなきもち。胃がきゅとなってグルグル嫌なことばかりがあたまにうかぶ。

さて、車庫に行って名乗れば、温厚なおじさまに「あ!ありましたよ~」なんてのんきに・世界の幸福を詰め込んだ声で定期を手渡され、いままで心に重くたちこめていた暗雲がブワッとはれて、大いに安心して、震える声で(実際には硬い声しか出ませんでしたが。緊張してのどもこわばっていたようです)「ありがとうございます」と言って、よかった、と思って、帰りました。

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車窓のちいさな枠組みに囚われてその街を眺めておりました。

ただし、私にとってあの町はもう、しらないまちではありません。世界の幸福が詰まったおじさまがいる、やさしいバス車庫がある、まちです。

もういくつねると誕生日

ごきげんよう。あやめです。

レポートを書き終えられたと思ったら、今度は就活をやっています。なかなか一息付けないでいます。

受験生の弟は、それはそれは大変そうです。ギチギチスケジュールであるようです。これをお読みのあなたももしかして、受験生ですか?こっそり、しっかり応援しています。メリハリをつけて活動するといいらしいですね、例えば集中する時間と休む時間を、きちんと時間で区切って取る、とか。まあそんなことはあなたの方がよくわかっているでしょうから、私がわざわざアドバイスできることは少ないでしょう。あとはよくよく食べて寝ましょう。私もそうします。面接が続いて疲れてきました。緊張しっぱなしです。

なんだかあんまりネタを集められない日々が続いてしまっております。試しに過去の記事?を読み返してみました。あ、こんなこと言ってたんだ恥ずかし、え、うわ恥ずかし、となっただけでなにも得られませんでした。強いて言えば「こんどちゃんとはなします」とか言って後回しにしたことがたくさんあったので、きちんと卒業する前に回収していかなければ、という発見がありました。追々やっていきます。いや、本当ですよ。

さて、2月にはいりました。つまり、私、あやめが〈にじゅういち〉歳になるということです。この間カレンダーをみて、あれ?今月誕生月か?ということを急に思い出す、そんな無頓着に変貌していました。昔はすごく楽しみだった記憶がありますが、おとなになると、誕生した事実にはもう驚かずに済むようになるのでしょうか。

このあいだ、大好物のりんごをシャクシャク剥いて食べようとしました。ヱ、私はなかなか不器用でありまして、りんごの皮ひとつも満足に剥けませんで、難儀しながらようやく剥き終えて、やったと思っていたら、横から弟にひとかけとられました。

この時期は寒すぎて、胃が多分ちょっと敏感になっています。水道水が信じられないほど冷たく、それを嚥下すれば、胃がつめたくなるのを感じて、いかんいかんと思って今度は熱々のインスタントスープを一掬い飲み下して胃がホコホコにあたたまるのを感じて、満足する、という具合に敏感です。

実は昨日も今日も明日も面接があって、それで焦っているので、今回も短く終わろうと思います。次回あたり、長く書けるようにがんばりたいです。せっかくあなたが読んでくださるのですものね…

近況

ごきげんよう、あやめです。

季節は冬、受験の冬でしょうか。共通テスト、お疲れ様です。この後の一般選抜に向けてすでに再始動なさった方もいらっしゃるのでしょうか。もうすぐ我が校の一般選抜も始まりますね。受験生のみなさま、毎日お疲れ様です。もう少しだけ、こらえてください(頑張って、と言おうかと思ったのですが、もう十分頑張っているはずなので言わない方がいいのかなとおもいました)。

これを言う私も、三年前は毎日胃がキリキリしていましたし、もはやいっそ早くおわらせたくて受験の日が早く来ればいいのになどと血迷ったことを考えていました。そして、今年は我が弟が受験生であります。家がピリピリしている最中であります。

この間、ブログ部三年生で集まってごはんをたべに出かけました。お誘いいただきありがとうございます。緊張してあんまり食べられませんでした。それから、緊張してあまりしゃべれませんでした。3人以上が集まる場はどうしてもうまく喋れません。顔には出ないかもしれませんが、あれでもとても楽しいな、と思っていたのです。ですから、次があったらまた誘ってくださいね。

なんとなく新品のノートが好きで、何を書くのか決めていないのに素敵なノートというだけで買ってしまう悪癖があります。シンプルなデザイン、なかなか珍しい方眼紙(罫線より方眼紙派なのです)、リングが柔らかかったり手が当たりにくい形状になっている、など、気に入ると欲しくなってしまって、気が付くと自室には何も書かれていないノートがわんさかある、という事になってしまいます。なにか良いテーマがあればノートも使えるのですが、私は絵が描けるわけでもないし、書きたいことはPCか裏紙にチャチャっと書いてしまうので「ノート」を使いこなせません。板書はルーズリーフ派です。読書ノートは、そもそもそんなに読書していないので作れそうにないし。

最近、妹の文明開化が著しく、おねえちゃんは追いつけません。あ、いまそんな感じなの?あれ、私の知っている妹は…?という驚きが頻発しています。妹は理系です。感覚が私とは全く違うので話していて新鮮です。新鮮過ぎて意味を捉えきれないこともあります。例えば、先日妹に「最近のお姉ちゃんは猫みたい」と言われたことが挙げられます。ねこ?

昨年7月ごろに、日記をつけはじめました。スマホのアプリで、サラっと、その日のスケジュールやら、感想を書くようなものなので、なんだか有職故実みたいだな、と勝手に思っています。今まで3日と続かなかった日記がここまで続いているのが嬉しいです。

わたさんが先日、昔のブログを振り返って、昔は簡潔だったことを言っていたので私も少し読んでみました。なるほど、短い文章の読みやすさ。スナック感覚で浴びられる文章もいいものですね。ということで、今回はこれでおわります。これでも随分長いのでしょうか。

底冷えのとまと

あけましておめでとうございます。あやめです。

クリスマスに年越し、それにお正月はいかがお過ごしでしたでしょうか。私はわりとルンルンで大掃除をし、事あるごとに言い訳して御馳走をたべる二週間になりました。あとは大半の時間をレポート作成に使いました。はやくおわらせたい一心で。なんだか去年も似たようなことを言っていたような?

◆◆◆

コップ一杯の冷水を胃に注ぎ込めば、その衝撃で目が覚める。

起きたての冷たい部屋の空気に身震いしながら、なにでもなく、水を飲む。

恥ずかしいことに口を開けて寝てしまうクセがあり、それゆえにカピカピに乾いた体。

目が覚めると、昨日処理を中断した哀しい記憶が再開して流れて頭を満たす。ただ、寝て起きると感情がリセットされるようで、ああ、そういえばそんなこと考えていたかもしれないね、と思うだけになっている。私はもう、おとなだ。

上着を着て、台所へ向かう。室温5度。午前7時。

吐く息は白く、目はショボショボする。

・暖房のスイッチをいれる。

・パンをトースターにいれる。

・顔を洗う。

凍り付く手前のギリギリを揺らいでいるような冷水で顔を洗って、シャキッとするな、と思ってふと鏡を覗き込むと、そこにまだ寝ぼけまなこの自分が写る。まだ目覚めていないのか。寒い。

暖房が効き始める。ゆるやかに乾いた空気が満ちていく。

トーストの焼ける音。

・マーガリンを塗る。

ざりざり、ざ、と音が立つ。いいにおい。

・卵を焼く。

あ、崩れた。目玉焼き失敗。スクランブルエッグ成功。

・インスタントコーヒーを入れて湯を注ぐ。

湯気が立つ。眼鏡が曇る。

曇り空。今日は曇り、のち、雨。この寒さでは雪になるかもしれない。舞う程度の量だろうか、靴下は二重に履こう。手袋とマフラーももとう。

・持ち物:緑色のリュックサック、パソコン、筆箱にしている缶々、ノート、水筒、弁当、薬や絆創膏やお守りが入ったポーチ、NEW:手袋、マフラー

今日は何があるんだったか?

・2限:講義、3限:空きコマ(月曜3限と木曜2限の授業で出ている課題をする)、4限:演習、帰宅予定時間:18時

・追記;昼休みに中央研究室からきていたメールの返信、電車内で読みかけの本(行動経済学について)を読む、帰宅後明日(13日)の発表レジュメ見返し

・朝食をとる。

ざも、というような音を立ててトーストが私に食われる。

コーヒーを飲む。あつくて舌をやけどする。

再び冷水を嚥下する。

やけどがひりひりするように、苦い昨日が思い出される。

昨日は、よせばいいのにわざわざ嫌な食事会にちょん、と参加して、帰りが遅くなってしまった。相変わらずトマトの缶詰みたいな満員電車に、トマトとして乗り込んで、ペーストになった昨日。これだけ人がいるのに、みんな一様にスマホをのぞいて異世界をたのしんでいる様子だし、首はまっすぐだし、着ている服は似たり寄ったりである。私だってその一員である。トマトとしてSNSで他人の生活をのぞけば、ペーストトマト(ピューレトマト)な自分とはうって変わって、ホールトマトなキラキラ生活がそこには「ある」。でも電車を見る限り、大差ない人々。中身は皆一様にぐちゅぐちゅしているのだろうか?それともホールトマトよろしく、つやつやで裏表なくて、のどごしもよくて、ひんやり冷たい優しい中身なのだろうか。

私はどうなってしまうのだろう?私の中身は成熟して、ある程度のかたさをもった、きれいな生のトマトだと思っていたけれど、ほんとうはペーストにしないと売り出せないほどじゅくじゅくしてドロドロして、外に出せない嫌なトマトなのかもしれない。皮一枚でなんとか保って、その中身はこんなにぐちゅぐちゅなのかもしれない。みんなはどうなんだろう?みんなも同じように危うかったらいいのに。少なくともあのホールトマトは、ホールトマトで売れるんだね。こんなことを、よくわからない距離感で、遠くから、水族館の水槽みたいな厚いガラスごしに眺めるように、遠くから、まなざしている私が、たぶん頭のなかに二人か、三人くらいゐる。

そう思ったら、笑っておしゃべりするとなりの女子大生と思しき3人組が、そんなふうに新鮮でみずみずしくて、ガラスを挟まないで世界に触れているらしいその感性がホールトマトどころか生のトマトに見えて、羨ましくてねたましくて、そしてうるさくて嫌になってしまった。後ろに立っているフラフラしたおじさんのほうがもしかして今の私に近いものなのかもしれない、とうそ寒い気持ちになってしまった。さっさと私もおばさんになって、こんなぐちゅぐちゅじゃなくて、カサカサカピカピのおとなになってしまったほうが、

そこまで考えて、思いとどまった。いけないことだと思った。

こんな昨日の気持ちが解凍されて思い出された。遠くから眺めるように記憶がめぐって、そして、ぱたん、と閉じられる。そして、昨日はあんなにあせったのに、こんなこと、考えていたかもしれないね、と思うだけになっている。私はもう、おとななのだ。

身支度を整えるために、再度鏡をのぞいてみる。私もそろそろ酸化してきた頃だろうか、いや、まだ20歳である。

雑記

ごきげんよう、あやめです。更新が日付変更ぎりぎりになっているあやめです。滑り込みセーフ!お待たせしてしまったでしょうか、すみません。夜の寒い自室から、ヌと顔を出しています。こんばんは……

本日は年末スペシャルです。珍しく実体験の数々を書く会であります。理由はこの二週間、珍しくかなり活動的だったからです。おすそ分けというか、随筆というか、徒然なるままに、というか。

大学生になってから、12月に博物館へ行くルーティーンができました。なんとなくいかないと淋しい気がして、でも今年は12月は忙しそうだぞ、と思い、フライングして11月の最終週に、国立科学博物館へ行ってきました。今回は友人とではなく、1人で観覧しました。何度か申し上げたかもしれませんが、私は科博が大好きなのでもうどのフロアに何の展示があるのかまでわかるほどだったりするのですが、やっぱり行きました。表情筋がガチガチの私も、その日の頬は上がりっぱなしだったと思います。大学が「キャンパスメンバーズ」に加入しているとかで、常設展は無料ではいれちゃうお得な方法を使って、一日中展示を見ました(詳細は大学HPなどをご覧くださいませ[URL:博物館・美術館のパートナーシップ・キャンパスメンバーズ | 授業・履修 | 日本女子大学])。珍しく写真を撮ったりしました。

12月の7日には国語国文学会の後期企画である落語鑑賞教室なるものにも参加してきました。大学生の内になんとかして落語を見たいと思っていたので非常にありがたい機会になりました。おもしろかったです。私の文章は落語みたいと形容されることがあるので、どの部分が落語みたいなのか、本物の落語の技法を文章に取り入れられないものか、工夫は何であろうか……などといったことを観察してきました。結果、観客を巻き込む形の話芸が「おもしろさ」を引き立てていそうだということがわかりました。ました(オチがつかなかったので勢いと圧で誤魔化し誤魔化し……誤魔化せていない?)。

この鑑賞教室にはほかのブログ部員(わたさんとののさん)も参加しており、そういう意味でもよい機会になりました。再三申し上げている通り、私は大学であまり他のブログ部員に会わないのでお話しする機会がとても少なくなっています。そのうえどうやら私の代はみな中世にいるとかいないとかで何人かは毎週顔を合わせているそうな……またあぶれ者になってしまったもよう……なんとかして輪に入りたいものです(勝手に登場させたわたさんとののさんごめんなさい)。

さて、この落語鑑賞教室に参加していた方で、ブログを読んでくださっている方とお話しすることに成功しました。ありがとうございます。ただ4文字「よんでる」、これだけで励みになります。つまらん文章を書いて相済みません。引き続きごひいきに……

その方とのお話しのなかで「よく毎回ネタがおもいつくね」というお褒めの言葉を頂きました。思いついていません。今回もネタがないなあと思って、それでこんなことをしているわけであります。おまけに前回、前々回と話題に上がっている創作技法論でも創作をしているため、もう本当に搾りかすであります。最近は寒いし、手はかじかむし、眠いし、やる気はみんな家出するし(詳しくは私の今年の1月27日分のブログをご覧くださいませ。URLをのせようとしてみましたがちょっとうまくいきませんでした。すみません。でも、そこには「やるき」がいます)(本当にノートからも出ていってしまって、最近はノートの端っこにすら全く登場しません)でいいことばの一つも思いつきません。

思いつきでひとつだけ。

私の住むのは関東山地にちょっと入ったところ、山が画角の半分を占める田舎でありますが、そうなると何が起きるのか、すなわち、角度が低い太陽や月は見えないし、天体観測の類はまるでできないということです。今日はなんとか座流星群がピークです、とお天気のお姉さんが言っていて、なるほどそれなら、と方角を確かめれば、東の方向低空(高度およそ10度)に見られます、などとおっしゃっていて、やまじゃま、と思う、というところであります。さて先日、百年館低層棟の最上階である7階の教室での授業を終え、エレベーターで1階へ降りていたところ、視点が高いので遠くまで見張らせるうえ、なにもさえぎる物が無い、おおきい夕暮れの景色を見ることに成功しました。冬も近いこのころの4限終わりのころは、日は沈んだもののまだすこし明るさがのこり、空高くは青い夜空が流れ込んできていて、なんというか、まだまぜていないカクテルみたいなおしゃれな夕暮れでした。飲んだことはありませんが。

かっこつけるならここで終わらせればよいのですが、もうひとつだけ、久しぶりに随筆シリーズなのでもうひとつだけ、言わせてください。

律義に今何回投稿した、ということをカウントしているのは私だけではなかろうか、と思いますが、はや、私のブログも更新40回目を迎えました。いつもお読みいただき、大変うれしく思います。ありがとうございます。4年生、というドデカ文字が眼前に控えているのを完全にスルーしたいきもちではありますが、事実なので仕方も詮方もなく。そういうわけで信じがたいことにここで学んで3年が終わってしまうので、かみしめて学生生活を送りたいと思います。

今年ももうじき終わりますね。お世話になりました。来年もどうぞよろしくお願いいたします。去年もなんだかつまらんことをしゃべって締めていましたが、芸が一つしかないようで癪ですね。ちなみになんと今年は私のもとにはあわてんぼうのサンタさんがいらっしゃって本をくださいました。年末年始にめちゃくちゃ読みます。ホクホクです。内容は行動経済学入門書です。

お相手は、随筆の回になるとなんとなく顔を出すラジオDJ風の私あやめがお送りいたしました。よいお年を~。

[BGM~♬]

長く書くこと

ごきげんよう、あやめです。

何度か話していることですが、「創作技法論」の授業の話題をまた一つ。この授業では期末の課題が8000字の短編小説を書いてみよう!というもので、そんなに長くものを書いたことが(意外にも)ないのでどうしようか、とうなって、どうにか息切れしながら書き上げたばかりの、あやめです。長く書くには普段通りのグダグダ冗長文じゃ乗り切れなくて、頭を抱えました。どうにか出せてよかったな。

その直後の今回なので、またもや長く書くわけで、書くのが好きな人なんだな、と他人みたいに思いました。

おじさん(後編)

「来たらいやだった?」

ほとんど半べそで、私が言った。なんて言っても怒られると思ったので、一番被害が小さそうな言葉を選んだ。

「あれ、」

おじさんは間抜けな声を上げた。

「おれ、おこってないよ」

おじさんは困ったみたいな顔をして言った。

泣くのはズルいな、と言われて、続けてこうも言った。

「書いた物ってのは、うん、子供みたいなものじゃないかな、おれ子供いねぇから確かな事は言えないけど、おれがうみだしてやった癖に、おれではない別な個体として、独り立ちして、人は其れが好きなンだよ」

タバコの煙を、ため息みたいに吐きながら、考え考え、おじさんは続ける。

もうなんで泣いているのかわからないまま、べそかきつつ、私は頷いた。もう訳も分からず泣いている。とっくにおじさんのことで泣いているわけではなくなっている。が、おじさんにそんな事が伝わるわけもなく、弁解することもないのに、一生懸命に私に話をしていた。おじさんは責められて泣きそうになっているようにみえた。

このように書き出してみると短いが、おじさんは一言をかなり吟味して話すから、行間がすごくゆったりしていて、簡単に言えば話すのが遅かった。うーん、とか、ああ、とか、えー、とか言いながら、考え考え話すので、ものすごい時間を要する。

「こう、ん、なんつったらいいかね、ああ…

でも、それを生み出したのはおれだから、文章はおれの遺伝子を受け継いでる、ンだね、だからおれが不出来なら、文も不出来になるし、出来の良い親を持った文は美味いんだろうね」

おじさんは話すのが遅い。しかし私もいまだ、しつこく泣いていた。私は普段冷血と思われているくらいには涙と無縁だったし、泣いている最中も「10分経ったな、水を飲まないと脱水症状が出るな」とかよくわからん理性の部分が強く出たままだから、わんわん泣いているとは言い難い。どちらかと言えば「目から水をしたたらせている」という具合だ。素直じゃないというか、ひねくれているというか、ませているというか。しかし、泣き出してしまうと長かった。しつこくしつこく、いくらでも泣けた。おじさんが話し終えるのが先か、私が泣き止むのが先か。

「前にね、水族館だったかな、忘れたンだけど、日除けのパラソルが、夏なのに閉じられていて、それが整列してるのをみたんだ」

とうとう私が泣き止んだ。負けた。それを見て少し安心したのか、おじさんは昔話を始めた。

「白のパラソルが、上から吊り下げられる形で、こう、等間隔で並んでて」

おじさんは吊り下げられる「パラソル」を、腕と手で表現しながら話した。

「傘の部分がひらひらしてるのに、糸で結ばってるから、幽霊みたいに見えたンだよ」

子守唄をうたって、寝かしつけているみたいな声だった。

「おれ安心してね。「幽霊」なんて大層な喩えしたが、なんてことはない、傘なんだ。だけど、こう、こんなに幽霊が縛られて等間隔に並べられて、お天道様に晒されて、天日干しで、みんなに見向きもされなくて、幽霊なのに、それで、それだけだからなんてことァないンだけど、それだけで、おれ、良かったな、と思ったよ」

私は泣き止んだあとの腫れぼったい眼で話をきいた。泣いた後の疲労感やおじさんの子守唄の声で眠たくなっていた。心地いい風が吹いて、カーテンが幽霊みたいに揺れている。

「おじさんは、そんなことを思って文を書くんだよ。読む人が好きなのは、どんなに好きでも、俺の生んだ文。俺が好きなんじゃない。読む人が褒めるのは、どんなに巧言令色でも、俺の生んだ文。俺じゃ無いンだ。そこを履き違えちゃいけん(注:多分「いかん」のことだと思う)。

記事もそう。読む人に寄り添って、読む人に優しい文を書くんだよ。俺のことはどうでもいいんだから。逆に言やあ、文を、記事を批判されても、俺を批判されてる訳じゃないから、気楽なもんさ。はは、は、……あ、…いや、それは嘘か、いや…」

おじさんは黙ってしまった。私はそろそろ本当に眠くて、おそらく舟をこいでいたと思う。失礼なことだと思うが、おじさんはそれをあまり気にしていない。おじさんも大概、「私」を見ているわけではないようだ。概念としての「姪」を見ているように思った。高校時代に習った倫理の授業の知識が、断片だけ、浮かんだ、気がする。

「とにかくね、あんまり、気負わずに書いていいと、俺は思うよ」

これだけ時間をかけて喋って、答えは変に普通だった。時間にして3時間である。日が暮れた。寝ぼけた私は「ん」としか言えなかった。

夕飯どうするかい、まぁおじさんと食べちゃ不味くなるかね、とか言って、あ、小遣いやらんといけんね、と何も言わないのに、また来た時みたいにもたもたと、財布を探して、あったあった、ととっておいたらしい新札(手に入れているとは思わなかった)のシワをのばしのばし、かわいい女児向けポチ袋に入れて持たせてくれた。一生懸命持ちうる上品なお断りワードを並べてみたが、若いのに遠慮したらいけん、と言って、そういう時だけ強引なおじさんを言い負かすことは出来ず、結局またバスに乗って、もそもそ夕飯を途中で寄ったファミレスで、ポツン、と食べて、また電車とバスに乗って、ポツン、とした気持ちで帰った。

さっき寝たせいでむしろ目が冴えてきた私は、長い帰り道で、ゆっくり言われたことを思い出して、メモをとった(この文章はこのメモをもとに書いた)。今日、奇を衒って不思議なことをいうのは「いけん」ことがわかった。普通。これが一番。常道を行くべし。シンプル・イズ・ベスト。しかし私は、残念ながら「常道」外れのハズレくじなので、これがすごく難しく思った。おじさんも、多分同じようなことで困って、迷って、いまだその答えを見つけられず、迷路から抜け出せずにいるんだろう、と思った。だから一人で持て余す家に住んで、もたもたしながら、パンの工場で働いているんだと思った。そんなおじさんは、私の父親にバカにされていた。昔からそんな言葉を聞いて育ったから、立派な仕事に就くのが偉くて、フラフラ趣味とも稼業とも言えない仕事をするのは恥ずかしくて嫌なことだと思っていた。常道。いつからこんなもの、気にするようになったのか。それは、社会に参画し始めたら誰でもみんな気にする、大事なことなのだろうか。

「次は、○○○○」

答えは出なかった。もう、最寄りのバス停につく。涙は乾いている。

おじさん

ごきげんよう、あやめです。

寒くなって、カイロが手放せなくなりました。私は末端冷え性なので手先だけが異常に冷たくなる人なのです。それから、前回もぼやいた記憶があるのですが、布団との決別が大変になりました。

今回は前後編二回に分けてみようと思います。切りどころがわからないので一気にいっちゃおうと思いましたがあんまりにも長いので前後編です。熱心な読者の方にはお判りでしょうが(そんな方がいらっしゃるかどうかはさておき)、前に言った「長編」とやらのことです。マア、来年あたりにリメイク版とか言って書き直したやつを再掲しようか、などと思って未完のまま出しちゃおうか、という気概で軽く書いています。なんて無責任なんでしょう。

おじさん(前編)

大学生の内に、たくさん経験を積みたいと思っている。思っているはいいが、それだけでズルズル来てしまって、結局すでに3年が過ぎてしまった。家に籠っていつもと同じことをひたすらこなすことに向いている気質で、何か外に出て経験を積むのが怖くて、体と勉強で身につく簡単な知識だけがどんどん大きくなっていって、経験値だけが乏しい人間になっていることに、危機感を覚えつつも何もできずにいた。

きっかけを作らなければ、と思って、親戚のおばさんに相談してみた。いつも一緒に過ごしている家族からは得られない新しい視点が与えられると思ったのだ。そうしたら、

「まあ、あやめちゃんはしっかりしてるからねぇ……大丈夫だと思うわよ、そんなにあせらなくても、若いうちは好きなことしてればいいのよ」

といわれてしまった。私には、考えすぎてしまう、という悪癖があったのだ。おばさんはそれを察知したのか、

「あ、じゃあ、好きなことばっかりしてきた正弘さんのところ行ってみたらどう?あの人色々大変だったみたいだけど、まあ要は好きなことしかしてないわけでしょ?あやめちゃんは良い子だからあんな風にはならないと思うけど……大学も行っているわけだしね、でも、ホラ、昔あやちゃんと仲よかったじゃない、じゃあそうにしたらどう?」

と提案をしてもらえた。

そんな流れで、ブログの参考というか、ネタになればいいや、程度の軽い気持ちで、あんまり会ったことのない遠方の親戚のおじさんのところへ行った。おじさん、昔少し新聞記者をやっていたとかで、なにか面白い話が聞けるのではないか、と思ったのだ。

おじさんは色々に疲れて山奥に住んでいる、と散々聞かされていたので、どんな日本アルプスかと思えば、我が家に比べたら大した山奥でもない、特徴のないところに住んでいた。一人で住むにはやや大きくて持て余しそうな一軒家の前まで来て、おじさん、きました、あやめです、と久しぶりに来た姪の言葉にしてはややぶあいそに簡単にいうと、ほいよ、と中から聞こえて、ようやく、なんだかはっきりしない顔のおじさんが出てきて、「あやちゃん、来たね(おじさんは私を「あやちゃん」と呼ぶ。会うのは中学生以来、5回目だった)」と言った。私はなんだかつられて、別に泊まる訳でもないのに「お世話になります」と、訳もわからずはっきりしない声で言った。

顔の皺が深いのと、白髪をそのままにしているのと、口数が極端に少ないのとでお爺さんのように見えたが、おじさんは私の父と同い年らしい。50歳。失礼だけどそうは見えなかった。おじさんはもたもたお茶を出してくれた。そのまま煙草を、こう、呑んでいた。おじさんも私の父もヘビースモーカーであることに変わりはないが、父のが「吸う」だとしたら、おじさんのは、多分「呑む」だと思った。

「あの、今日は、おじさんのお仕事のお話を聞きたくて、」

このままだと一生ここでおじさんの煙草が天井に上っていくのを見ていなければいけなくなりそうだった。それじゃここまで来た意味がなくなってしまうので、こんなこと言い出しにくいが、わざわざ尻尾を踏みにいった。私は親戚中で一番おじさんと仲がいいという、多少の自負があった(自信を持って・過大評価して・気負って)のだが、そんな自信は今しおしおに萎んでいる。それだけおじさんの口がかたくて、おじさんは私よりはるかに愛想が悪かった。

「んむ、学校の勉強でいるんだっけか」

おじさんは滑舌が悪いというか、顔の筋肉を最低限しか動かさずに、つまりモゴモゴ喋る。

「うん」

私はもう成人しているのに、顔はいつでも年上に間違えられる老け顔なのに子供らしく振舞おうとした。こんなことしなくてもおじさんにはどうせ「こども」と思われているのに、わざわざこっちから歩み寄って、つとめて「あの頃」の子供の私を演じるように、こどもらしく、かわいらしく、こくん、と頷いた、つもり。自我なんてこの際無いようなモンである。おぞましい姿であったろうか。

厳密には「学校の勉強で要る」のとは全然違うけれど、もうそういうことにした。おじさんのこの旧型の家は自然光があまり入ってこない形状をしているうえに電気をつけないから、暗い。早く帰りたくなった。どこか居心地がいいにおいもした。自分がどうしたいのか分からなくなってきた。

無言でたっぷり考え込んで

「あやちゃんはおれの本が好きなんだ、だから今日来たの」

ん?と、あくまで耳心地優しく、上がり口調で、子供を諭すように聞いた。(というより、前にあったのが中学生なので、おそらくおじさんは今でも私をほんの子供だと思っている(ただし私は中学生も充分大いに大人だと、少なくとも中学生時分は思っていたのだが)に、違いない、それに相応しい口調だといえる。)

おれの本、とは、昔おじさんが書いた絵本が一冊だけ、そして短編小説が一冊だけ出版されたのを指している。おじさんは(実績はともあれ)作家をしていたこともある。幼い私は(どんな形態であっても)文章を読むのが好きだったからその本を破けるほど読み込んでいた。だから親戚のあのおばさんには私とおじさんは仲が良い、と判断されたのだろうか。

おじさんは多分、それを言っている。今日来た理由を問いただしているのだ。つまり、私をそれとなく責めている。尋問だ。

「んむ」

うん、と言いたかったが、喉がこわばっていたのか、うまく発音できなかった。声がかすれた。きつく怒られているみたいに体をこわばらせて、きっと顔もこわばって、おじさんの目には私は子供が拗ねたような顔に映っているのだろう。当人としては気まずさで、それからおじさんの怒りに触れてしまって、怖くて、早く帰りたかったし、それこそ子供みたいに泣き出しそうだった。

「でもね、書いたものって、出来事が自分の脳みそを濾過して出てきたものだから、おれがいなきゃでてきやしねぇのに、書いたもの、は、おれではないんだ、とおもうよ。だから、あやちゃんがすきなンは、おじさんじゃなくて、それだ」

顎で本棚の方を指しながらおじさんは言った。

「お前が好きなンは、おじさんじゃ、ないよ」

極め付けにへら、と笑って、おじさんは私を拒絶した、と思った。

重たい沈黙がおりる。

秋晴れ

ごきげんよう、あやめでございます。

もともと朝起きるのが大苦手だったのに、寒くなって来て、余計に嫌になりました。布団が私を離そうとしません。

ええ、今回のネタは、前回にもおはなしした「創作技法論」という授業がきっかけです。「創作技法論」は前回も申し上げたような気もしますが、いろいろ書いて、受講するみなさんの作品を読んで、技術をぬすむ、みたいな授業です。そこでたくさんいろいろ書いては消し、書いては字数オーバーで断念し、しているので、今回はそのうちのひとつを、ブログ用に書き直して試しに載せてみようと思い立ってやってみています。あんまりいいものができたのに、ひとつしか載せられないので泣く泣くボツにしたうらみも含むので、ちょっと煙いかも。私はそろそろ、まとめる、ということを上達させなければならない。何度目か。

◆◆◆

リュックしょって、帽子かぶって、いさんで冒険に出かけましょう、といういでたちの自分を改めて鏡で見て、嫌になった。今日は町内会のイベントである、わくわくウォーキングデーなのだ。そこのあなた、わざわざ律義に町内会に参加しているくせに文句を言っている竜頭蛇尾人間だ、と思う勿れ、このイベントに参加すればお野菜たっぷり味噌汁を無料で味わえるというぜいたくができるのだから、このくらいはしなければならない。さらには完歩賞で近所の農家さんが育てたお野菜(ジャガイモ)をおひとり様一袋までに限りお配りなさるという大盤振る舞いの様子なのだから、ジャガイモ好きの私としてはいかないわけにはいかなかったのだ。であって勇んでいるにはいるのだが、普段は外に出て作業することが限りなく少ない、大学と家の往復ばかりで遊びにも行かない、バイトもしていない、インドアまっしぐらの趣味嗜好で、どうしてウォーキングなんてできるだろうか(いやできない)。だからチラシをいただいた時も、内心(何⁉ジャガイモ一袋だと⁉)と思った節はありつつも、(いや10キロは歩かないだろ、)と思い、しかしそれを顔には出さず、「はあ、ありがとうございます……小沢さんも行かれるのですか?」と言ってしまったが運の尽き、近所に住むウォーキング・ガーデニングなどに精を出していらっしゃる小沢さん(おそらく60代とお見受けするご婦人)につかまってしまった。

「行くわよもちろん!あたし町内会のイベントはみんな行ってるのよ!あ、そうよあやめちゃんも行きましょうよ、そうそう、大学生の参加者がすくなくて、うんそうおばあちゃんとかおじいちゃんばっかりで、ね、嫌になっちゃうのよ~、みーんな年取っちゃって、そう、だから、ね、行きましょうよ?あ、でも大学の授業の日か、そうよねぇ、いそがしいのよねぇ、ごめんね~」と一息に言われてしまえばもう、答えは一通りしか思いつかない。

「あ、そうなんですね……ちょ……っと考えてみますね」「え、良いの?やだありがとう嬉しいわ(発音的には「うれっしいわぁ」でした)!これね、参加証ね、日程とか当日のことはね、このプリントにね、書いてあるから、なにか困ったらなんでも聞いてね!」と、握手までして、大喜びしてくれたのでもう、あとには引けず、ひとり「ぉおおぉ………」と思っている私が遺されたわけでありました。

さて、ながいながい前置きはさておき、秋晴れのスカっとしたいいお天気のなか、最近は若者が都会に流出してしまってしにかけていた商店街のアーケードのところに集合でありましたから、昨今稀に見る活気に満ちた我が地元、参加者はほとんどが大人(大人のなかでも大人、いわゆるシニア世代の方々)、時々小学生もいらっしゃるご様子、そのなかでただひとりしょんぼりしている私であった。がりがりに痩せている上半身と、運動しないせいでブヨブヨしている下半身の最悪のコントラスト、似合わぬ帽子とリュックサック、久しぶりに出したためかびている(頑張って天日干ししたのだが駄目だった)靴、なにしても取れないクマ。こうして自分を再認識すれば、自分こそが天日干しされてしょぼしょぼしてやられているかびだと思った。そのかびを無慈悲にも、スポットライトみたく照らしている秋晴れの太陽、すっかり抜けるような青空。楽しそうな小沢さん。お味噌汁とジャガイモ(たったそれだけ)のために、私だけ決戦の前か発表会の直前みたいにガチガチに緊張して、気合を入れている。ひとりだけ、覚悟がガン決まっている女が、ひとり、勇み足で地元を征く。

千里の道も一歩より、論より証拠、百聞は一見に如かず、噓から出た実。

◆◆◆

これだけで起承転結の「起」のパートなので(それだけで1500字あります、さんすうができないマヌケはわたしです)、800字程度で物語を描くことの難しさを非常に強く感じているところであります。頭でっかちで内容がうすい、つまらないものしか書けないのでしょうか。ぐぬぬ。

◆◆◆

蛇足。

ごきげんよう、ではじめるのに味を占めてずっとこの形式でやってみてはいるものの、なんだかすごく優雅でごきげんなかんじになっているのを、私だけ気づいていなかったので、この間それに気づいたときに顔から火が出るくらい恥ずかしかったです。すてきなお姉さんを想像しているのであれば、それは実態に即していないので改めてください。私は昼間に間違えて化けて出るゆうれいなので。ごきげんよう、も、慇懃無礼で胡散臭いヤツ、みたいな、もっと口先だけのニュアンスなのです。わたしはこんなことをチミチミ弁解している小心者なのです。変なの。

カーソル

ごきげんよう、あやめでございます。

スランプです。

今回はネタが無いのもありますが、それ以上に、私に書く力がなくなっているように思います。

スランプ。

そんな大層な文章を書けたことはないのですが、たぶん一番近い言葉なので、かっこつけて言ってみました。いやぁ、なんかスランプっぽいんだよね、書けないわ、なんだかそういうことを言えるのってかっこいいですね。

段々焦ってきました、本当に書けないですね。いつもならこのくらい適当を言っていれば、なにかしらは言いたいことが生まれてくるので、それを期待して軽く流していたのですが。おかしいですね。

◆◆◆

書けない

カーソルがチカチカ続きを急かすのに、続きの言葉が一つも繋がらない

言い出せない

なにも思わず生きてきたのか

自分の思いが他人の雑談かのごとく、耳元で「雑音」としてすり抜けていく感覚がある

凪になりたい、という願いがある

もしや、凪になったら何も書けないのではなかろうか?今すごく穏やかに、純粋に存在している感じがある。何も身に纏っていない、というよりは、必要最低限しか存在していない、の方が近い気がする。秋の青空が抜けるようにあおいのに似ている。秋の空気が脳みその後ろまでしみこんできて膨張して目を開かせるようなのに似ている。

◆◆◆

ポエムをかましてもダメですね。なにも浮かびません。すごいな、ここまできたらこれで粘るべきでしょうか。

申し上げたことがあったかどうか、忘れてしまいましたが、私は今「創作技法論」という名前の講義を受講しています。内容は短編小説の技法を学び、その知識を活かして書く、というものです。私は1年生の頃から応募しては落選していたのですが(人気の講義で、毎回抽選になります。講義の特性で受講人数に限りがあるのです)、今年ようやく受かったので喜んで受講しております。だけれど、今週の講義で書くとき、やっぱりなにも浮かばず難儀しました。ブログだから、とか、講義だから、という媒体やスタイルの問題ではなく、やっぱり私に理由がありそうです。書けない。浮かんできません。なかなか困ったものです。まずいです。すっぱい唾液がでてきました。うん、くるしい。

つまらないでしょうが、あまりに何も浮かばないので、しかたなく、自分の事でも書きましょうか?マア、確かに最近は就活で自分をアピールすることや、そのために自己分析をしたりしている時間が多かったので、嫌でも自分の特性はわかってくるものです。

Q:あなたの特徴を200文字以内で教えてください。

A:冷静に物事を捉えることが得意です。また、捉えた事象を分析することも得意です。一方、感受性が豊かという性質もあわせもっています。これらの性質を生かし、日本文学科では作品の構造に注目した研究を行っています。卒業論文では……

やめます。むりです。私はエントリーシートの類が絶望的に苦手なのです。自信がないからアピールポイントを考えると、「……無い?」というありさまです。憂鬱なのです。

スランプです。なんにもうまくかけませんでした。もう店仕舞いにしようと思います。ちっとも面白くもない文章片が生成されて終わってしまいました。読者の皆様ごめんなさい。無念。お相手は、実は上下編にわたる大作を作ろうとして、できなくて、それを引きずっている、しょんぼりあやめでございました。頑張って書き上げたいのですが、真ん中の部分を書いたら、満足してしまい、うまくその前後がかけませんでした。近いうちに上げたいな。むりかな。

追記

皆さんのブログを読んでいたら、ももこさんにブログでごはんに誘われました!私も何度か言及していますが、ブログ部員同士で会うことがあまりないので、ぜひ!ご一緒させてほしいです!とどくかな。