ごきげんよう、あやめです。
もう3月ですね、早すぎませんか。ぼやぼやしていたらアッという間に3年生が終わっちまうという有様です。こわいですね。4年生は一生懸命、計画的に過ごしたいと思います。
さて、春と言えば出会いと別れの季節、去年もなにだかそんな話をした気がしますが、今年も出会いがあるので楽しみにしております。3月上旬には新入部員さんの発更新がある様子、とても楽しみにしております。今年はどんな方々がいらっしゃるのでしょうか…わくわくですね
◆◆◆
めいきょう‐しすい[メイキャウ‥] 【明鏡止水】
解説・用例
〔名〕
(「淮南子‐俶真訓」の「人莫〓鑑〓於流沫〓、而鑑〓於止水〓者、以〓其静〓也、莫〓窺〓形於生鉄〓、而窺〓於明鏡〓者、以〓其易〓也」による)
くもりのない鏡と静かな水。澄みきった静かな心境をいう。めいけいしすい。
あいまい‐もこ 【曖昧模糊】
解説・用例
〔名〕
(形動タリ)
物事がはっきりしないで、ぼんやりしていること。また、そのさま。
どくりつ‐どっぽ[‥ドクホ] 【独立独歩】
解説・用例
〔名〕
(形動)
(1)「どくりつどっこう(独立独行)」に同じ。
(2)他と異なる、はっきりした特色をもっていて、同じに扱えないこと。
どくりつ‐どっこう[‥ドクカウ] 【独立独行】
解説・用例
〔名〕(形動)
他人にたよることなく、自力で自分の信ずるところを行なうこと。また、そのさま。独立独歩。独立独往。特立独行。
(いずれもジャパンナレッジ「日本国語大辞典」、2025年2月26日参照)
あなたらしい生き方をなさればよろしい。
そのように言われましたが、「あなた」「らしい」とははて、誰から見ての言葉だったのか、理解できずに落葉した、心もとないみどりのはっぱが川を流れていきました。否。そんなつもりで川をぼんやりながめる「考える葦」、これも気取っていけませんね、人間の私がぼんやりしていました。
人はひとりではいきてゆけない、という言葉を信じれば、多分人は「群れ」の動物で、支えあって生きるように設計されている、とか、一人でできることに限界があるとか、一人でできることの限界を広げることができるのも人間の特権だとか、そういう話に展開して、それでひとりでやるには「むりがある」ということなのだな、と理解しています。
人はさいごにはひとりだ、という言葉を信じれば、多分人は生まれるのと死ぬのとその究極の地点においては一人で・ソロプレイモードで存在しているとか、誰も真にお前の味方ではない、なぜなら人が感ぜられる感覚は「一人用」だからである、とか、結局一番信用・信じられるのは己の拳のみだだとか、そういう発想に行き着いて、ひとがひとをおもんぱかる設計上の限界を「知っておけ」ということなのだな、と理解しています。
そうすると、どっちがいいとかわるいとか、そういうはなしではないようです。ここからは私の苦手なバランス感覚の要する作業で、つまり、場面によってこの発想を切り替えて、しかしその着せ替えタイムも着せ替えしたことも悟らせず、あくまで昔っからこのスタイル一本でやらせていただいている、という顔をして生き延びるのが大事そうだと思いました。
わたしらしくいきる。
そのために(少なくとも私が思う)わたしらしさを知って、理解して、会得して、発揮する必要があるのだと思います。
キャベツとレタスの見わけみたいに、緑色ではっぱで・球状に集まってて・サラダの主役になる、ぎりぎりまで似ていて、しかし非なるものの、最終的になにが決定的にちがうのか、という差を知る必要が、「わたしらしくいきる」のなかに含まれているのだとおもいました。
ふむ、わたしはあなたと違って、パリパリさに欠けるのかも、とか、そういう差異に気づくゲームをするのだと思います。これが難しい。
明鏡止水
私らしい言葉だそうです。
私はマがヌケていてすっとこどっこいのヤな有害動物だと自認していましたが、そんな綺麗ですてきな評価を頂きました。よく見える、よく尖っている、よく澄んでいる、ということでしょうか。でもその実、その「水面」の下で、どれだけの汚泥が・こわい蟲が蠢いているのでしょうか。仮面を掛けて、誰にもバレなければ、それで「良い」ということでしょうか。私には、判断が付きません。
曖昧模糊
これは私が好きな言葉です。好きな理由は語幹の良さです。あいまいもこ、とひらがな表記の方があいまいもこ「らしい」と(個人的に)思います。そんなふんわりした感想を思いついてしまうほど、私の中身はほんとうはなにも固まっていないカオスの世界なのかも?明鏡止水なんてうその姿で、有史以前のおとぎ話的ふわふわな世界観を、真っ向から信じて、純粋に、きっぱりと、そこにしたがっているのかもしれません。
独立独歩
今まで私は自分が「独立独行」のほうの独立独歩をやれていると信じていました。胸を張って、自分は自分の道を堂々歩んでいる自覚と自信がありました。誰が何を言おうとも、私は私の道を行く。
ただし、「私」が誰かは知らず。
そういう危うさをもって、ふんす!と意気込んで歩いていましたが、裸の王様の大行進だったのだと気づいた時の、その衝撃と羞恥を、油汚れみたいに忘れられないから、こんな語り口調になったのでしょうか。同じに扱えないことは、私からしたらとても迷惑で面倒な存在だと思います。ペンケースから一本だけ飛び出た鉛筆。じゃまだしかさばるのでペンケースから抜いてしまおう、あるいは入るサイズになるまで削ったりして、そうして使おう、という発想になってしまいます。でも、かたまっていない世界をどうやってかためたらいいのでしょうかね。
独立独歩。私は規格外・例外のはっきりした「特徴」を、もっているのではないでしょうか。羨ましいの?こんなものでよかったらいくらでもあげます。
眼鏡をかけて、髪を結わえて、気持ち程度のうすい化粧をして、外界から遮断するようにマスクとイヤホンをかけたら、それでようやく外に出られます。
吟味をして、飄々とした・つまらない・くだらない、楽し気な言葉を繕って紡いで、それでようやく「私」を形成できます。
ほんとうはもっとぐちゅぐちゅの熟れすぎて売れない汚いトマトなのに。
明鏡止水
あなたは?