年を重ねた日の備忘録

皆さんこんにちは。みちこです。

さて、この日が来ました。誕生日です。22歳になりました。

22歳になったということは、大学生活の終わりを告げられる、ということにもなります。

 

大学生活の終わりということは、社会人の始まり、ということにもなりますが、今はどうやらそこまでの実感は湧かないようです。その話は冬ごろか初春にでもしましょう。

 

しかしまあ、誕生日だという実感はあれど、22歳になったという実感はないものです。

それこそ20歳になった時は、お酒が飲めるだの成人式があるから着物を着るだのがあったので、「あ、これで私も大人になったな…」の自覚があるのですが、21歳・22歳になると特に何もない中で誕生日を祝われることになるので、こう…20歳より劇的に何かが変わった!って感じがありません。

案外そんなものかな…と思いながらこの1日を過ごしています。

 

突然ですが、皆さんは「自分は運が良いと思いますか」という質問に対して、「はい」か「いいえ」どちらと答えるでしょうか。

 

私はこの質問に即答で「はい」と答えられる自信があります。

というのも、最近様々な人と交流をしていて、私自身の環境がかなり恵まれたものであることに気付いたからです。

確かに小学生時代は明るい思い出ばかりではありませんでしたが、小学生の私なりに親の助けを借りながら生きていた記憶があります。というより、人のことをほとんど気にしていませんでした。「自分が一番気が楽なように」動くということをその当時の私なりに考えて行動していた、ということです。

(わかりやすくいってしまえば、私は小学生時代、学校では友人をほとんど作らず、本を読みふけっていました。人と交流するよりも本の世界に入りびたり、自分の知識欲や想像力を高めることを嗜好としていたのです。)

もしかしたらこの頃の私が一番精神が強かったかもしれません。

 

そこから中学生・高校生と時を進める中で、着々と自我を成長させていったような気がします。

中学生の時分は本当に自分本位で、周りの人間を巻き込むくらいのことをしていたように思います。

まあ、身近にもっとすごい超人がいたのでその周りを巻き込む才はかき消されていたように思いますが、私自身の及ぶテリトリーの範囲内では散々に暴れ散らかしていた気がします。

 

高校生になると、大学受験を見据えて将来のことを少し考えてみたり、でも現実にはそうもいかなくて一丁前に悩んでみたり、そんな時を過ごしていました。

この頃から、「違う価値観を取り入れてみる」ということを覚え、他人との協調性を少しずつ覚えていったように思います。(遅い)

 

そしてそんな成長とともに大学に入学しましたが、これまた面白いものですね。

大学生において成し遂げたいテーマを「挑戦」に据えて挑んでみたら、思いのほか自分がやれてしまうことに気付きました。

と思ったら、今年の6月には大幅に体調を崩して3週間ほど再起不能な状態になったので、21歳という年は限界を知った年であるようにも思います。

どんな人間にも、限界値がある。なまじ強い責任感とそれなりの能力を私が持ち合わせるがゆえに「やりたい!」と声をあげ、ただ実行するだけで成し遂げられてしまっていたのです。

 

今度はきちんと「休息」することを覚えようと21歳の暮れごろから今にかけては思います。

 

あとはそれに関連して、「もしかしたら自分はそれなりにできることが多い人間なのかもしれない」と思うことが増えました。

これを感じるということはつまり「自己肯定感が低い」と言うのです。

自己をほぼ肯定することができない性根をしているので、そこは周りを頼るしかないのですが、周りを頼ってみると、自分の思った以上に自分のことを評価してくれている人間が多いことに気付きました。

私からしたら謎でしょうがないのですが、ある友人から「あなたは上を見すぎなんだ。向上心があるのはいい事だが、上のレベルを見すぎて自分で自分を苦しめているように見える。」と言われました。

これを世間一般ではなんと呼ぶのでしょうか。

そう、「完璧主義」です。

 

そりゃ昔からその傾向があるとは思っていましたよ…でもそれが良いことだと信じて疑っていなかった。

悪い影響を及ぼす可能性があるなんで微塵も思ってなかったんです。

しかし、自分で責任を背負うということが増えてから余計にこれに拍車がかかりまして、結果体調を崩すほどになっているわけですから、この性格もそれなりに付き合い方を考えていかなくてはならないものなのだろうと思いました。

 

さて。ここまでの話を総括すると、

・これまでの自身が身を置いていた環境に感謝しつつ、成長を重ねてきているということ

・しかしその成長志向にも限度があり、時には休むことも大事だと身を以て知ったこと

 

こんなところになるでしょうか。

いいですね、年を重ねるごとに新たな発見を得るというのは。

それに気づくこともまた、私の特性ゆえの特権なのでしょう。

 

ということで、今回はここまでといたします。

改めて、出会ってくれたすべての人たちと、これまでに出会ったすべての出来事に感謝を申し上げて、この記事を締めます。

 

最後までお読みいただきありがとうございます!

原点回帰

皆さんこんにちは。みちこです。

今回はタイトルの通り、「原点回帰」というテーマで話を進めていこうと思います。

 

最近私はよく、「大元に立ち返って考えてみる」ということを行っています。

つまり、「原点回帰」です。

原点って意外と忘れがちだけど、振り返ってみたらちゃんと心の中(あるいは思い出の中)に残っているような気がします。

今は目先のことに気を取られてしまい、どうしても目的や本質を忘れてしまうことが多い中で、あえてふと思い出してみるということをしてみようと思います。

 

というわけで、目下私の頭を一番悩ませている卒論の原点について一度ここでまとめたいな、と思い立ちました。

自分の論・先行論、それらをどうまとめるか、それらとの距離感をどう保つか。

ここら辺のことをかなり迷っている中で、ふと思い出したのが、「なんで自分はこの題材にしようと思ったんだっけ」という至極単純な疑問でした。

なぜ阿仏尼という人物にこれほどまでに魅了されたのか。

これについては、一度ならず何度もこのブログ内でご紹介していることではあるのですが(そしてこんなことを振り返っている場合ではなく、手を動かせというツッコミも聞こえてきそうですが)どうかご容赦ください。

また、今回は少し備忘録的に書き連ねる関係上、文章構成がおかしなことになっているかもしれない点も併せてことわっておきます。

 

阿仏尼とは、かなりアグレッシブな女性です。

そりゃ、『うたたね』という作品で失恋した衝動で髪を切り、家出するような女です。

普通「さすがにそこまではせんやろ…」というラインを見事に壊していきました。あの衝撃たるや…。

しかし決して衝動的な行動をするだけの、「ヤバい女」ではありません。

阿仏尼は『源氏物語』をはじめとする古典が好きで、その注釈書もかなり読み込んでいる女性です。

おまけに和歌の才にも優れている「才女」なのです。

そんな才女な阿仏尼が『うたたね』内で何度も古典作品を引用し、主人公に悲劇のヒロイン像を(ブレることなく)作り上げていったその様は、並大抵の女性ができることではないでしょう。

そんな、行動派と才女という双方の性質を併せ持つ阿仏尼だからこそ、私は彼女に惹かれたはずなのです。

 

これがおそらく、私が阿仏尼を好きな理由・そして原点であるはずです。

(他の書については研究対象ということもあり、あまり詳しいことはここでは述べないつもりです。フラットな視点で述べることができないから、という理由もあります。)

あとは彼女が記した書を読んでいると、人間臭いと感じることもあります。

執筆意図が各書にある以上、ありのままに、という訳にはいきませんが、ひも解くと面白いくらいに阿仏尼の性質が出てきます。そんなところも面白くて好きですね。 

 

そしてこのブログを綴っていて思いました。もう少し肩の力を抜いて卒論に向き合ってみてもいいのではないかと。

もちろん、ある程度は型に則る必要がありますし、そうしなければ「論文」とは呼べない別の何かが出来上がってしまいます。確かにそこには気を付ける必要がありますが、原動力自体はもう少し逸るものでもいいような気がしました。

「重くとらえすぎ」と言われたらそうなのかも知れませんが、生憎そんな考え方・生き方しかできない人間です。ですが、苦しんで卒論を書くより、楽しんで論理を組み立てる方が100倍いいに決まってます。

多分、目先のことに捕らわれすぎると、原動力という名の「楽しさ」を忘れてしまうような気がします。現に、本文精読をしていた頃の「楽しい」という気持ちが今やほとんど無くなってしまい、「完成させなければ」という緊張感でいっぱいの日々を過ごしています。

この緊張感は今の置かれた状況的には間違っていないのでしょうけれど、緊張感で埋め尽くされた日々を過ごしすぎるのも考え物です。

そんな「考えすぎてしまう」私だからこそ、一度原点に立ち返ることでもう一度「楽しさ」を思い出そう、という、そういう趣旨の記事でした。

 

というわけで、今回はここまでとします。

もういくつ寝ると、誕生日を迎えるそうなのですが、何を書くのでしょうね。

それは、当日の私にお任せするとしましょう。

最後までお読みいただきありがとうございます!

My Favorite Place ~図書館編~

皆さんこんにちは。みちこです。

 

今回は急遽ブログ部部長(私)が立ち上げた企画、題して「リレーブログ企画」の第2弾でございます。

第1弾のあかりさんのブログはこちらからどうぞ(このブログサイトの記事のリンクが上手く貼り付けられなかったので、noteの方に上がっている記事のリンクを貼りました。)

図書館の四季|日本女子大学 文学部 日本語日本文学科 公式note「新・当世女子大生気質」

そうなんです。実はこの日文の公式ブログ、noteでも運用をしております。

知らなかった!という方はよければnoteの方を覗いてみてください!

 

そもそも、「リレーブログ」とは、お題を決めて、そのお題に沿った記事をそれぞれ書いていただく、というものです。今回であれば、「日本女子大学図書館で一番好きな場所」というお題です。

そしてこのリレーブログをしようとなった経緯は、私自身がこの「図書館で一番好きな場所は?」という問いに対してブログ部員がどう答えるのかが気になったためです。

 

実はこのブログでも何人かの人が本学の図書館の好きな場所を挙げていて、各々のお気に入りの場所とその理由がかなり興味深かったので、これを機にもう一度知りたいな、と思って声をかけてみました。

経緯としてはこのような理由です。

幸いなことに数名が手を挙げてくださり、こうして「リレーブログ企画」を開催することになりました。ちなみに「リレーブログ」という名前ではどうやら過去のブログ部員が何回か行っているようでしたが、全く同じものかどうかは分かりません。

まあでもしばらく(少なくとも私がブログ部員の間は)やっていなかったことではあるので、ブログ部員の先輩方でこのブログを読んでいらっしゃる方がいれば、懐かしいなと思いながら読んでいただければと思います。

ではそろそろ本題に移りますね!

 

私の図書館でのお気に入りの場所は、2か所あります。

1つは2階 図書館入口から奥へと進んだ場所にあるカウンター席(?)のような場所です。

仕切りこそないものの、1人で勉強や課題をするには十分なスペースがあり、電源も完備されているため、充電器さえ持っていけばPCもスマホも充電が切れる心配はありません!

つまり割とここで長時間を過ごせてしまうというわけです。

この場所の個人的な推しポイントは、一面窓ガラスで日当たりがよく、時間の経過を確認しやすいところにあります。

課題ややらなければならない作業などを進めていて、ふと窓の外を見たら綺麗な夕日が…。なんてことは何度も経験がありますが、あそこの窓の外から眺める景色はまた格別なんですよね…。

進みが人より遅いので、達成感よりも少しの焦りが先行しがちな私ですが、時間を視覚的に確認できるという点ではある意味この場所がブースター的な役割を果たしていてくれているように感じます。

 

さて、お次は日文生ならだれもがお世話になる地下1階。階段やエレベーターがあるところ…。

ではなく、そこからさらに右に行ったところにある閲覧席です。

なぜって?

 

・ほとんど人が来ない穴場であること(実は私は人が多いところが苦手です…。人の気配がするだけでも疲れちゃう…。)

・論文を探しやすい位置にある上に印刷しやすいこと

 

この2つの点で、奥にある閲覧席は非常に優秀でして…。

なので最近はもっぱらそこを愛用しています。

 

というわけで、図書館のお気に入りの場所について理由とともに述べてみました。

いかがでしたでしょうか?

好みというのはそれなりに理由があり、その理由というのは往々にしてその人の性格・性質と結びつくものです。だからこそ、人の好みを探るというのは楽しいものなのです。

 

今回は日文らしく図書館に限定してみましたが、次にブログ部のメンバーで記事を書かせてみたらおもしろそうなもの…。なんだろうな…。と思いながら締めさせていただきます。

最後までお読みいただきありがとうございます!

中間発表を終えて

皆さんこんにちは。みちこです。

今回はタイトル通り、中世卒論ゼミの夏の恒例行事である中間発表について述べようと思っております。

去年は3年生でまだ先のことだな、なんて思いながら阿仏尼についてやります!と大々的に宣言した記憶がありますが、今はそんな1年前とは状況が異なります。

もうあと3か月後くらいには卒業論文としてまとめ上げて提出しなければならない状況ですから、もうあの頃のように吞気にやっている場合でもありません。

 

自分の発表については、一応一通り見たい部分はさらうことが出来たかな、なんて思っていたらそんな甘い考えではいけませんでした、というのが正直な感想です。

前提となる知識が抜け落ちていたり、誤解したまま紹介していたところがあったり、私の詰めが甘い部分がよく出てしまった発表であったかな、と思いました。

もう残された時間も残りわずかですから、注釈書とPCの画面とにらめっこしながらまとめ上げていくしかないのだろうと思います。

 

ここまで来たら、もう後がありませんからね。はい。足りない視点が人より多い(自覚がある)からこそ、さらにブースト掛けていかねばならないなと思っております。

付け焼き刃が通用するものではないのが卒論なのでね、私???(自戒でしかない)

 

しかしこれは不思議なことに、他人の発表を聴いているとその足りない視点だの懸念点だのはよく気付くのですよね…。

今回のコメントでは的外れなことを言っていることも多かったのですが、特に3年生の発表を聴いていると懸念点や疑問などは多く出てくるようになっていました。

ある程度といっても限られた経験の話でしかありませんが、卒論で扱うには量が膨大過ぎるとか、テーマに絞ったピンポイントの研究だけじゃなくて、全体像の把握が必要になってくるだろうとか、そういった意見を持つことが多かったです。

このような意見はまだ右も左もわからない3年生の頃には持てなかった視点ではあります。これに関しては間違いなく、この1年やってきた経験が生きているんじゃないかな、と実感もしました。

 

私は基本的に何事に対しても「もっとできただろうに」という思いが凄くあるので、正直今までの何事に対しても完全に「やり切った!」と満足したことなどありません。

これを完璧主義と人は呼ぶのでしょうから、おそらく昔からずっとそういう種類の人間です。

しかしそれだと当然心は苦しみ、蝕まれることになります。(それ故に6月下旬以降から体調を崩したような気もしますが…体調にダイレクトにくるぐらいには自分自身のことをある程度は認めてあげられず、苦しめ続けてしまったのだと今になって思います…。)

なので、どこかで自分自身を許してあげる時も必要になってくるんだろうな、というのが最近身に染みて実感していることです。

 

今回の卒論研究だってそうです。私自身の発表は正直目も当てられん…レベルではあったかと思いますし、今のままではまだまだ完成なんて程通いです(粗だらけなので…)。

ただ、後輩(または同期)にアドバイスする際の自身の経験や視点は、この1年を通してしっかりと身につけられたものだったのだろうなと、そこは少しだけでも、今までの自分の頑張りや成果を認めてあげてもいいのかな、と思いました。

あんな発表をした人間が言っても説得力ないかも知れませんが!一先ず中間発表を終えた今はそう思いました!

また時間と共に何かが生まれ、何かが消えるかも知れませんが、まあその時はその時です。未来のことなぞ知らん(笑)

 

というわけで、中間発表お疲れ様でした。

その場にいた同期約1名様と3人の3年生たちが、また何か違った視点から中間発表の感想を記事にしてくれることを密かに願いながら、今回はここまでとしたいと思います。

 

最後までお読みいただきありがとうございます!

言語化の壁

皆さんこんにちは。みちこです。

今回は久々にトピックを思いついたので、それについて書こうと思います。

トピックは、「言語化には壁がある」「言語化は無理をしてする必要はない(仕事や課題などでしなきゃいけない場合は除く)」ということです。

 

皆さん、言語化ってできればできるほどいいと思っていませんか…?

実は案外そうでもないんじゃないか、という話をしたいと思います。

私は無論このような場所にいるということもあり、言語化が普通の人よりは得意であると自負しており、周りからも言語化が上手いと言われることもしばしばあります。

その力は紛れもなくここ(日本語日本文学科)で培われたものです。この力に救われたことも多々あります。

しかし、言語化をし過ぎると、それはそれでしんどいこともあります。

 

そもそも、言語化というのはどのような事象を指すのでしょうか。

私はこれを、「物事を規定する」ことだと思っています。状況、気持ち、説明、解釈…。

物や人の名前以外にも言葉は日常生活の様々な場所に溢れ、あらゆる事象を規定しています。

 

しかし、本当にそれは「その言葉にしか」当てはまらないものなのでしょうか。

例えば、「悲しい」ことがあったとします。

しかし人によっては、その「悲しい」の大きさは異なりますし、もっと言ってしまえば種類さえも異なるものだと思います。(「嗚咽するほどの涙を催すほどの」悲しさなのか、あるいは「切ない」なのか「やるせない(諦めを含む)」なのか…とこういった塩梅です。)

 

それを説明する、ということは今私がカッコ内で示した通り、程度を表す言葉を盛り込んで、「悲しい」という感情をできる限り説明しています。

しかし人という生き物は相反する感情を同時に抱くことができるものであるように、必ずしも言葉で規定し、言葉を尽くしたからと言って、それらが形のないもののすべてを表せるわけではありません。

否、「すべてを理解した気になってはいけない」のです。

言語化という武器は非常に便利なものですが、同時に使い方を誤ればただ人を苦しめるだけの凶器にもなりえます。

たとえば、気持ちを分かってほしいだけの人に、現状を説明的に整理する対応は適切ではありません。

相手がその人に求めているのは、話を聞き、相手の気持ちに寄り添うことです。

こういったことを最近私は感じることが多くなり、こうして自戒の意味も込めて記事に仕立てあげた次第です。

 

要は、この言語化という武器の使いどころを間違えるな、ということ。

言語化ができるからとおごり高ぶり、なりふり構わず使うことはあってはならないということ。

このような結論に集約するかと思います。

 

というところで、久々に日常の思考の片鱗みたいな記事を書いてみましたが、いかがだったでしょうか。

最近は体調不良の記事ばかりで、あまり暗い話題ばかり続くのもよくないと思い、以前からずっとあたためていたこちらのトピックで記事を書いてみました。

 

次回はまた、何を書くのでしょうね…。中世の卒論ゼミの中間報告が近い時期ですので、おそらくこのブログ部員の複数人の方がそれぞれ違う視点から記事を書き上げてくれることでしょう。

同じトピックでも違う感想や抱負が湧き上がってくるでしょうから、そんな違いもお楽しみくださったらうれしいです。

 

それでは、今回はここまで。

最後までお読みいただきありがとうございます!

無理って、禁物らしいですよ…

皆さんこんにちは。みちこです。

さて、前回の更新で体調がすこぶる悪い私が公開されまして…

前回のブログはこちらから↓

https://mcm-www.jwu.ac.jp/~nichibun/blog/index.php/2026/06/22/

 

結論から言うと、この頃からあまり体調が戻っている気はしません。こんなに体調不良が長く続いている状態もあまりないので少しびっくりしています。

どう考えても近頃中々休んでいなかったことが原因なので、今はほとんどの活動をセーブして、部屋のベットと家のリビングと御手洗を往復している日々を続けているのですが…。

どうも難儀な性格で、休むことに若干の罪悪感を覚えながら休んでおります。

ここで自分の責任感発揮してくれるな、とツッコミたくなります。

昔から休むのがへたくそすぎるというか…。

 

逆によく今まで生活できていたな、と思いますね…。あんだけ忙しい生活を続けて、よく体を壊していなかったものだと思います。

おそらく本来キャパがそこまで多くない人間なのに、あれもこれもと可能な限り手を尽くしてしまった故の結果であると思います。

なまじ「やりたい」を突き通す性格でそれが出来てしまう人間だったので、この数年間は相当な無理をしていたのだろうと思います。

そう簡単に人は変われるものではありませんね…。

 

悲しくも残酷な結末をたたきつけられたようで少し悲しいのですが、「自分のキャパをより明確に把握できた」という意味ではまあいい経験になったのではないでしょうか。

とでも思うことにしておかないと体調不良との落差の説明の仕様がありません。

 

認めたくないが、認めざるを得ない…。仕方ないですが、甘んじて受け入れることにしましょう。

皆さんも、無理は禁物ですよ。

 

それでは今回はここまで。

次回はもう少しまともな内容の記事を書きたいのですが…得てして先のことは不透明ですから、確約するのではなく、あくまで希望として記しておきたいと思います。

夏なんて私にとっては最高に生きにくい季節(常に体調を崩している時期)なので…。

最後までお読みいただきありがとうございます!

絶賛急降下

皆さんこんにちは。みちこです。

近況報告に近いブログになります。

なんと、現在体調がすこぶる悪いです!元来胃腸が弱い人ではあったのですが、さらに弱くなってしまって…。食欲はあるのに、消化ができないので…非常に体調が悪いです…。

 

ところで皆さんは「夏バテ」しますか…?

私は毎年しています…暑さに弱すぎて…おそらく絶賛夏バテ中なのですが…身体が弱い…

夏バテってどうやったら毎年ならずに健康に過ごせるのでしょうか…。

健康的な体になりたいのですが…生まれてこの方なったことがありません…。

 

誰か、いい夏バテ解消方法があれば教えてください…🙇

(ところで、ブログで初めて絵文字を使いました✨

普段あまり使わないんですけど、今日はなんか使いたくなったので使いました…!)

 

今回はここまでにします!最近随分と短いですが、こんなライトなブログがあってもいいと思います!

次回更新の際はちゃんと体調が戻っていることを祈ります…🙏

最後までお読みいただきありがとうございます!

バックアップは、とっておけ。絶対に。

皆さんこんにちは。みちこです。

今回は緊急で記事を書いております。というのも、ブログに書くのにピッタリの出来事が先日起きてしまったからです。あまり良くないことです。

 

ーーーはい、PCが壊れました!!!!!

OSが起動しなくなり、いわゆるBIOS画面というやつのまま動かなくなりまして…

購入元に問い合わせた上で、結局1週間近くの期間、私のPCは手元から離れることとなりました…。

(訳:PCを修理に出しました)

 

このブログ記事を書いている今は修理から返ってきた私のPCで打ち込んでおり、一応あらかたのデータの復旧作業なども終えております故大丈夫になりました。

しかしここで問題があります。OSが起動しなくなった、ということは即ち「初期化」されているのです。

「初期化」という単語が意味することは「バックアップを取っておかないとすべてのデータが飛ぶ」ということにほかなりません。

 

4年生である私が直面する最大の課題は「卒業論文」。今までの発表資料や一次資料のデータ、ないし論文のデータがすべて消えたとなれば、卒業論文を書き上げることは不可能になってしまいます。

幸い私はあらゆるところにデータを残し、バックアップを取っておくタイプの人だったので、いろいろな意味でかなり救われましたが…。

やはりバックアップは取っておくべきですね…。今回は自分のこの用意周到な性格に救われました。

 

という最近の近況報告でした。

忠告も含め、現在4年生のすべての学生へ告げます。

これからどんどん、データが飛ぶと詰む確率が高まります。PCの寿命はもって3~4年と言われています。入学時に買ったPCはすでに3年前のものとなっています。何が起きるか分かったものではありません。

そのため、絶対に、絶対に、絶対に、「バックアップを取ってください

・USB

・クラウド(うちの大学はライセンス包括契約をしているoffice製品を利用できるため、うちの大学のクラウドにあげておくのがよいかと思います)

・自分のメールアドレス宛に送信する

・Teams

・スマホやタブレット

・Notion

・指導教員に送る

 

冗談半分に「指導教員に送る」を選択肢に入れましたが、実は案外有効な方法です。

自分の卒論の進捗を先生に送ることになりますから、そういう意味では非常に有効なのです。

定期的に送れば、それがモチベにもなります。(何を隠そう、これは私の指導教員がそう仰っているのですから間違いないです…!)

 

というわけで全4年生の皆様、ならびに3年生以下の皆様も、「データが飛びたくなければ」絶対にバックアップを取ってくださいね?????

とりあえず私に会った人たちに片っ端からこのことは言ってくつもりですので、どうかお覚悟の上聞いてください。

冗談抜きで本当に取返しのつかないことになりますので。

 

というわけで、本日は下手な怪談話より怖い話をしたところで、ここらで終わりにしようと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました!

思い出に浸る

皆さんこんにちは。みちこです。

暑くなったり、かと思えば冬みたいに寒くなったり、どうしてこうも気温がジェットコースターなのでしょうか…。体調など崩されませんように…。

 

さて、今回は単に思いのままに書こうと思います。短めです。

私は昔から落ち着いた曲が好きなのですが、その中でも人生単位で大好きな曲があります。

その曲を聞くときはいつも、車の中でした。

滅多に家族全員が揃って出かける事などない我が家が唯一、遠出をする時。

それが、母の実家に行く時でした。

夏休み。世間は帰省ラッシュの頃。昼は道路も混むため、普段はあまり起きない時間帯である夜に出発するという何とも言えない特別感とともに自宅を経ちます。

そんな高揚感と、少しの眠気に寄り添ってくれたのがこの曲でした。

 

たまに思い出しては聞くこの曲を、最近また聞き始めました。

すると思い出すんですよね…子供の頃のあの思い出を。

 

皆さんには、そんな曲はありますか?

 

というわけで、短いですが今回はここまでにしようと思います。

まあこんな回があっても許される。うむ。

最後までお読みいただきありがとうございました!

古と今の共通点

皆さんこんにちは。みちこです。

最近暑くなりましたね。私は本当に暑いのが苦手なのでもう暑い日が来たかと思い、今から本場の夏を危惧しております。いや怖いです。本当に。どうなってしまうんだ…今年の夏は…

 

さて、今回は私が今まで避けに避け、触れずにいた近現代文学についてお話しようと思います。

私が古典をこよなく愛する人であることはこれまでの記事で幾度となく書いてきましたので、ご存知の方も多いかと思います。特に中古文学(平安文学)~中世文学についてはもう飽きるほど語ってきましたので、そこはお分かりでしょう。

実は私は、その前後の文学も理解できた方が、全体の文学の流れを知ることができるだろうという思いから、文学史という基礎的な講義はほぼすべての分野で受講をしました。(上代という万葉集あたりを扱う時代から、江戸時代の文学を扱う近世近まで、古典分野全般は受講済み。

近代文学についても文学史の講義は単位を取得しております。なお、中国思想という分野についても年間を通して受講をし、単位を取得しております。つまりほぼ抜け目なしの状態です(笑))

 

しかし私はこと近現代文学については昔から興味を持てず、文学史の授業以外では演習で一つ授業を履修したのみです。それ以来一度も近現代文学には触れてきませんでした。

もともと小説を読むのは好きでしたが、それ以上の興味はない上に前述の通り古典の魅力に惹かれてしまいましたので、そちらを専攻することといたしました。

 

しかし4年にもなってそれはいかん、興味がないと逃げ続けてばかりではよくないと、そんな危機感を覚えた私が近現代文学への知見を深めるために取った授業が、「近現代文学講義3」という授業です。

こちらの講義では石川淳という作家の作品を題材に扱っております。

彼は戦中から戦後という激動の時代を生きた人であり、またフランス文学にも精通している人物です。

さらに放浪を繰り返す人生だったというのもあり、現在の東京上野付近に生まれるものの、九州へ行ったり世田谷にいたりと東京の内外を問わず様々な場所を点々としていたそうです。

加えて当時の文豪らにしては長生きであるということで、多くの作品が残っており、晩年も筆をおくことなく書き続けた作家だったそうです。

 

そんな彼が書いた作品の中で、これまでの授業で読んできたのは「焼け跡のイエス」という小説でした。舞台は戦後。焼け野原と化した上野にある闇市。そこで主人公である<わたし>は少年を見かけます。<わたし>はその少年を救い主イエスと見ることから物語が動いていく…というそういったあらすじになります。

 

結末は知ってしまうと面白くありませんのでここではあえて言及しません。

しかしこの小説全体を通して、「この結末であることの意味」というのは必ず存在しています。

その背景となったものには果たして何があるのか…。

そういったことを、グループワークなどで交流する他の受講生らの意見や先生の講義から探っていきます。

 

授業で教わった「読み方」も、書いてしまえば読み方が定義づけされてしまうのであえて言及はしません。本学科に入れば、こんな近現代文学初心者でも、それぞれの読みが探していけますので、ご安心くださいませ。それだけお伝えしておきます。

この一連の講義を通じて感じたことは、「本質はそこまで古典文学と離れていないのかもしれないな」ということでした。

 

言ってしまえば確かに当たり前のことですが、私は古典文学と近現代文学をまるで別物だと認識していました。それはそうですよね。そもそも古語か現代語かの違いがある。

でも私にとっては古語の方が読みやすかったし、感覚が理解しやすかったんです。

むしろ、同じ現代語なはずのに近現代文学はまるで理解ができない、別世界のものだと思っていました。つまり、共通点が見出せなかったんです。

ですが、そんなことはなかったんです。多少なりとも両者には共通点が存在していた。

 

さて、それはなんだと思いますか?

 

今のところの私が感じているのは、「誰もが書き残したいことがあったから筆をとっている」ということ。

古典文学だってそう。誰かが「書き残したい」(古典世界の場合は特に「貴重な紙に資源を割ける環境であったか否か」もかかわってきますが…)と思ったから書き残すんです。

近現代文学はその「書き残したい」という思いや主張がより明確に、作家の個性という形となって表れているような気がします。何か強く訴えたいことや描きたいことがあり、それに沿う最も最適な手段を取る、というのが近現代文学の表現方法のように思います。

 

古典はむしろ逆で、過去の作品をいかに面白く・巧みに引用して変容していくか、という方へ矢印が向きます。そこが作者の腕の見せ所なんです。

古から今へ、その流れが少し把握できたかな、というところで今回はここまでにしようと思います!

 

次回は…何を書こうかしら…そろそろ推し語りとかしたいんですが、なんと今更ながら父にこのブログの存在を知られてしまいましたので、そう自由に発信ができるのかと言われると微妙なところになってしまいましたね…。見ているのか否か分かりませんが(笑)

見ていたら直接言ってくるでしょうから、その時を待ちましょう(笑)

 

というわけで、今回はここまで。

お読みいただきありがとうございました!