皆さんこんにちは。みちこです。
今回は、「理由」をテーマに話をしたいと思います。
以前に話した、「ルーツ」とも関わりがあり、重なってしまうことも多くあると思いますが、最後まで読んで頂けたら幸いです。
(そしておそらくだいぶ複雑な話なので、分かりにくい話かもしれません…。哲学というか、なんというか…。そんな感じのお話です。)
では、始めます。
タイトルに据えた、「理由」を大切に、という言葉。これは、将来の私への願望でもあります。
私はこの度誕生日を迎え、めでたく20歳を迎えることとなりました。
これは、20になって少し浮かれている私が綴る、ちょっとした希望のような備忘録です。
皆さんは、様々なものの「理由」って意識したことありますか?
今回は、その様々な理由の中でも、いわゆる「自分の思考のクセ」のような「理由」についてお話したいと思います。
なんじゃそれ、と思うでしょう。
例えばのシチュエーションです。
皆さんには、問題集を解いていて、自分が何回も間違えてしまう問題ってありましたか?
このたとえでは想像もつかない、という人は、日常のちょっとしたクセでもいいです。
分からないけどなんかいつも間違えてしまうようなこと(例えば、冷蔵庫の飲み物の位置が覚えられないとか)とか、どうしてもできないこと、失敗し続けていることって、何かありますか?
では、何故それはどうしていつも間違えてしまうんでしょうか?
こう考えても、分からない、って意見がほとんどだと思います。私もそうです。
ただ、こんなものはすぐに答えが出るものでもないでしょう。
だってすぐに答えがでているものなら、私たちはすぐに対策方法を思いつくか、人に聞くなど、何かしらのアクションを取ることが出来ます。(もちろん、それらの「分からない物事」から目を背ける、放っておく、という選択肢もありますが…。)
克服できないようなこと、苦手続きなもの、自分の欠点…
そういったものには、ほとんどのものが「理由」を見つけることが難しいんです。
その「理由を見つけるのが難しい事柄」にどのように向き合っていけばよいのか、というのが今回の記事の核の部分となります。
まず、これがどういうことなのか、何故難しいのか、説明したいと思います。
おそらくですが、「そういったものの理由が分からない」ということは、それが「自分であること」の証拠であると私は考えています。
「分からない」ということは、理屈では説明できないもの、ということ。
つまり、「無意識」の状態なんです。
そしてその「無意識の状態」とはすなわち、「それが自分という存在を形作る要素の一つであるということ」という意味であると私は考えています。
そしてまた、「大切にする」といっても、ただそっとそのままにしておくのも違うと思います。
「大切な宝物のように、自分を大事にする」、そういう意味でもないと思います。
「自分を大切にする」ということの意味は、ただ自分に優しい・甘いだけではなく、経験した苦しいことも辛いことも全部ひっくるめて、いつか「いい思い出だ」と言えるような、未来の自分に胸を張れるような、そんなことだと思います。
「可愛い子には旅をさせよ」ということわざがあります。まさにああいった感じのイメージです。
経験、ひいては歩んできた自分の人生(あるいは過去)そのものが、今の自分・そして未来の自分を形作っていくような、ああいったイメージです。
そして、その「経験」や「過去」あるいは「人生」には、必ず「理由」があるんです。
例えば、親が俳優業をしている子どもがいたとしましょう。
その子どもがたとえ親のように俳優を目指しても、それにはそれ相応の理由がある。
親の姿がかっこいいとか、尊敬する、とか。そしてそれらの感情には「エピソード」という名の「理由」がある。
逆も然りです。親のようにはなりたくないと、その子供が別の道を進んだとしても、そこには、家の環境や親の影響が必ずどこかにある。そしてそれが無意識下で「自分という存在」を形作っていくんです。
ここまで、「自分の存在」は周りの環境や人(あるいは出会った人やモノ)に影響されて「無意識のうちに」出来上がっていくこと、だからこそそれらに「理由」を見つけることが難しいということを説明してきました。
大変に難しいことを説明しているので、ひとりよがりな説明になっていないかすごく心配です。
読む方も大変なカロリーを消費していることを承知のうえ、次にこういったものにどう対処していけばいいのか、現時点での私の回答を紹介しようと思います。
結論からいうと、正直私も現時点では回答が見つかっていません。こんな大口叩いておいて、え?って感じですよね…。
というのも、結局自分の性格を変えることに抵抗があるのか、そもそもこのようにできた性格を変えることが出来るのか、というところもまだ分からないんです。
欠点であるところを無理やり克服したとしても、その時の私に今と同じような長所が残っているのか、残らないのなら変える必要がないのではないか、でも欠点は直したい…。と、堂々巡りをしている状態なんです。今も結論は出てません。難しいですね、人生って。
ただ、上記のような仕組みで「思考のクセ」が出来上がっていると理解できたことはいいことなのかな、と思います。
私はある出来事があってから反面教師にしているものがあるんです。ここでは詳細は伏せますが、そこで気づいたのが「思考のクセ」の仕組みでした。
望んでいなくとも、周りの環境や人の影響を良くも悪くも受けてしまっている、と気づいた時がありました。
なので私は、まずは周りの影響を受けて自分の人格は出来上がっているものだと割り切ることにしました。自分の性格・傾向も、利点・欠点、いいも悪いも自分で変えることが難しいものだと、そう思うことにしました。
じゃあ変える必要がないのか、というとそれは違いますし、どうにかしたいんですけどね…。
まだ迷いがあるから進めていないような気がします。
ただ、これを解決するキーワードがさっき言った「理由」なのではないかとは思っています。
無意識下の自分の性格(あるいは自分という存在)を「理由」という形で「意識」している状態にすることで、自覚の材料にもなりますし、人に話すための素材としても機能します。
自覚したら、あとはもうこっちのもの。どんな感情を抱くか、どんなアクションを取るか、人それぞれです。
この「理由」が大事だと思った直近のエピソードを紹介します。
私は現在、車の免許を取るために教習所に通っているのですが、実技の教習を受けている時に、どうして今のような行動を取ったの?と聞かれる機会が多くありました。
その中で自分の中にあるきちんと理由を説明できると、じゃあ次からはこうした方がいいかもね、とアドバイスをもらえる、ということがありました。この時、「理由」を説明することで、自分の傾向と対策を同時に知ることが出来るんだ!と気付きました。
これはかなり貴重かつ大事な経験なのではないかと思い、今回こうしてとんでもなく難しいテーマで書こうと思いついてしまった次第なのです…。どうかお許しください…。
未だに自分ときちんと向き合うことは出来ていません。ただ、「自分の存在」には何かしらの「理由」があると気づいた今、この「理由」が私自身を理解するために必要なことであり、だからこそ大事にしたいのだ、という決意表明をしながら、本記事を終えたいと思います。
今回は頭の痛くなるような難しいテーマに最後まで付き合って頂き本当にありがとうございました。
少しでも何かが印象に残ってくれたのなら、もうそれで合格だと思います。私自身、現時点では何もかも分からないことだらけですから。これから様々な経験をしていく中で何かしらのカギを掴んでいけるのかな、と思います。
次回は、私からこの「理由」を引き出してくれる「言葉(あるいは言語化)」について記そうかな、と思っています。
それでは、失礼いたします。