小さい宇宙と大きい宇宙のはなし

みなさん、こんばんは。しおん🦜です。

今回はフラクタルについてのお話をしたいと思います。

私は史学科との共通授業である文化人類学の方法という授業を履修しているのですが、その中で岡倉天心、ヴィヴェーカーナンダ、ガンディーが影響を受けた思想としてアドヴァイタ、つまり不二一元論を学びました。不二一元論とは、先生のスライドをそのまま引用させていただきますと、「一」のもの(こと)のなかに「多」なるものを見、「多」なるもの(こと)を「一」なるものと見る。こと。また、二つかそれ以上の異なって見えるもの(こと、存在)が実は一つである(「不・二」=「一」)と見るというものです。

例をざっくり言ってしまえば、ガンディーは「禁欲に成功したから独立運動が成功し、禁欲に失敗したから独立運動が失敗した」と自身の禁欲という「一」のなかに独立運動という「多」を見て、実際に実践に移していたという訳です。

ここで皆さんここまでフラクタルという言葉が出てきていないとお思いでしょう。フラクタルとは、簡単に言ってしまえば、「一部分を取り出しても全体と似た形になる」というフランスの数学者が導入した幾何学の概念のことです。

例えて言えば、リアス式海岸は遠くから見るととてもギザギザとしていて入り組んだ形をしていますよね。しかしそのリアス式海岸をアップにしていって一部分を見た時も全体のリアス式海岸にとても良く似た形をしているというものです。

もっと簡単に言えば、一つのブロッコリーを分解していくとまた小ブロッコリーができ、また、それを分解しても小ブロッコリーの小ブロッコリーができるというものです。

このことについて学んだ私は以前から考えていたことに「フラクタル」という言葉がぴったりであることに思い至りました。

このことを思いついた経緯はこんなものでした。

ある日の朝、目が覚めた時にカーテンはぴったりと閉まっていて、部屋の中は真っ暗でした。ですが、外からは車の走る音が聞こえてきます。その時私は、外はきっと明るいのだなと思いながらその音をじっと聞いていました。そのうちに車の音の先に街路樹の葉っぱのこすれる音がしてきました。その音は聞きながらその葉っぱの音を出している風が吹く音が聞こえました。その風はどこから吹いてくるのか考えると、それはきっと空の上から吹いているのだろうと思いました。空の先には何があるのか考えるときっと星があって、その星もきっと小さな音を出しているのだろうと思いました。その星の先に何があるのか考えた時、その先は真っ暗でした。考えているうちに閉じていた目をあけると、やはり部屋の中は真っ暗でした。

そうしたときに思ったのです。自身と宇宙はぐるぐると回っていて、層状になっていると。私の部屋は一層目であり、六層目であり、十一層目であり、十六層目であると。

ですが、これに明確な名前があるとは思ってもみませんでした。

先生からフラクタルについてお聞きしたとき、まさしくこれだと大興奮しました。

そして、層状の一層、六層という考えを持っていたのですが、フラクタルのどこを切ってもそのようになるというということを聞いて、私が布団の中で考えていたことよりもっと、もっと、ずっと、多く世界は細分化でき、また、もっと、もっと、ずっと、大きくとらえることもできるのだと考えなおしました。

私の部屋は、一層目であり、二層目であり、三層目であり、永遠に数えることができます。

そして、これに当てはまるのはなにも私の部屋ではなく、すべてのものに言えることで、皆さんが両手を合わせた、その隙間にも小さな小さな宇宙はあるのだと私は思います。

どうですか、一度手のひらの中に小さな宇宙を作ってみては。意外と面白いものですよ。

お付き合いいただきありがとうございました。

それでは、また。

しおん🦜

シュレディンガーの猫とおにぎりのはなし

皆様こんばんは。しおん🦜です。

本日はシュレディンガーの猫の実験とおにぎりが似ているのではないかというお話しです。

先日、妹と母が作ってくれたお弁当のおにぎりを持って少し遠くの公園まで散歩に行った時のことです。かわいい猫様がいらっしゃったので写真を撮っていた時に、ふと思ったのです。シュレディンガーの猫とおにぎりは似ているんじゃないかと。

皆様はシュレディンガーの猫という実験をご存じでしょうか。不快に思う方がいらっしゃるかもしれませんが、実験の内容を説明させていただきます。

もし、無理だなと思われましたら、気分が悪くなってしまう前に読むのをお止め下さい。

まず、猫を外から様子を見られない箱の中に入れます。そうしたら、いつ自然崩壊するかわからず、自然崩壊を起こした場合必ず猫が死に至る放射性原子を同じ箱内に入れます。箱の蓋を閉じ、しばらく待った時、箱を開けるまでは、猫が生きているか死んでいるかわからず、その状態の時には、猫が生きている世界と猫が死んでいる世界がある。というものです。

この実験では、猫が生きているか生きていないかということに焦点が当てられますが、ここでは、確実性と不確実性について着目させていただきます。

まず、前提として実験が成り立たなくなってしまうため、箱の中に必ず猫は入れるものとします。

まとめますと、

・放射性原子の自然崩壊が起こるかどうか   →不確実

・放射性原子の自然崩壊が起こるタイミング  →不確実

・放射性原子の自然崩壊が起こった時の猫の死 →確実

ということになります。

では、おにぎりではどうでしょう。

後で少し使う私の情報としまして、たらこおにぎりが好きだと少しだけ覚えておいていただきたいです。

猫の時と同じように、おにぎりがなければこれは成り立たないので、おにぎりはここにあるものとします。

一般的なおにぎりを考えた時、のりが巻いてあるかどうかは置いておいて、外から眺めるだけでは具が入っているかどうかわかりません。また、具として何の具が入ってるのかもわかりません。そして前に書いた通り、具としてたらこが入っていた時に私は喜びます。

こちらもまとめますと、

・おにぎりの具が入っているかどうか →不確実

・なんの具が入っているか      →不確実

・たらこが入っていた時に喜ぶ    →確実

ということになります。

シュレディンガーの猫と、おにぎりを比べた時、どちらも不確実と不確実によって確実が支えられているということが見て取れます。

こんな理由から、私はシュレディンガーの猫はおにぎりに似ているという結論に辿り着いたのです。

皆様、「感情なのだから、確実ではないだろう」や「ステップが一つ足りないんじゃないか」などなどのツッコミがあるかと思います。ですが、あくまで、似てるな程度の若者の変な思い付きだと、甘い目で見て頂けますと幸いです。

それでは、また。                         

                                 しおん🦜

お団子のはなし

皆様、こんばんは。しおん🦜です。

3回目の更新となりました今回は、お団子のお話をさせていただきたいと思います。

本当は、おにぎりのお話をするつもりだったのですが、この季節ならではということで、急遽お花見とお団子に変更いたしました。

このお話の発端は、先日隣の駅に住む14年来の親友と妹と3人でお花見に行った時にさかのぼります。

レジャーシートを芝生に敷いて他愛もないおしゃべりとお弁当、お菓子を楽しんでいた時、ふと親友の髪に目が留まりました。

これほど長い付き合いの友人と、近所の公園でお花見をしようとなると私などは楽な恰好で出掛けてしまいますが、親友は大変おしゃれさんですので、私と会うときでも完璧にキマった格好でやって来ます。

親友は髪を、三つ編みを組み込んだお団子にしていたのです。長い髪をお団子にするのは普通にあることで、普段であれば「髪型とってもおしゃれだね、かわいいね」くらいですが、なんせここはお花見の場。意味は違えども、お花見といえばのことわざ【花より団子】が頭をよぎるのは仕方のないことだと思いませんか。

桜の下のきれいなお団子は大変風雅で私の中の雅な心を引き出すのと共に、食欲と疑問も一緒に引っ張り出してしまいました。なんの疑問かですって?それは勿論、このお団子が何味なのかです。

お団子の王道と言えば、みたらし団子です。あの金色で甘じょっぱいタレはなんだってあんなにおいしいのでしょうか!親友はつやつやの茶髪ですが、お花見の親友のお団子というにはあまりしっくりきませんね。

では第二の王道、あんこのお団子でしょうか。もちもちのお団子に甘くてふわふわのあんこはまさに至福!ですが、イメージで言うならばくせ毛のお団子という感じでしょうか。

でも皆さん忘れちゃだめですよ。ここはお花見の場なんですから。

花見団子といえばがあるじゃありませんか。そう三色団子ですよ。桜の香るピンク色にほんのり甘酒の白色、それからちょっぴり苦くて大人な味なよもぎの緑色、見えている部分全部がつやつやで桜を見ながら食べる三色団子、なんて素敵!それに親友のつやつやの三つ編みお団子に三色団子は、とってもちょうど良いような気がします。

なんて安直!まあ良いじゃないですか、お花見なんですから。

親友のお団子は三色団子じゃないかという結論が出たわけですが、皆さんもぜひお団子の髪にしている人が居たら何団子なんだろうと考えてみてはいかがでしょうか。

お付き合いいただきありがとうございました。それでは、また。

                                  しおん🦜

奨学金のはなし

皆様、こんばんは。しおん🦜です。

2回目の更新になりますが、今回は奨学金のお話をさせていただきたいと思います。

大学生とお金の苦労は切っても切れないものですが、特に貸与奨学金を借りようと考えている方、給付奨学金を申請しようと考えている方の不安は凄まじいものでしょう。

私も給付の奨学金を頂いて大学に通っている身ですので、その不安は本当にわかります。1年前のこの頃、大学での生活へのあこがれと、学費への心配が心の中で戦っていたのをよく覚えています。

私が今回お話しさせていただく給付奨学金とは、2023年度の日本学生支援機構給付奨学金(新制度)のことですので、異なる点が発生していることもあるかと思います。あくまで参考程度で見ていただければ幸いです。

高校生の終わりに、給付奨学金の申請を終わらせている方もいらっしゃるかも知れませんが、私は情報を得るのが遅く、大学に入ってからの申請になってしまいました。きっと、これを読んでくださっている方の中にもそのような方がいらっしゃるのではないでしょうか。

一足出遅れてしまった、と焦る気持ちはわかりますが、心配しすぎなくて大丈夫です。

大学からの方向けの説明会はかなりしっかりとした説明をしてくださいます。

説明会の日程は、案内の紙をよく見て間違えのないように行くようにしてください。そして、説明会での内容は絶対に間違えないように、メモを取りながら聞いた方がいいです。

時々、説明の中で高校に書類をお願いして、送付していただいたり、取りに行くことが必要になることがあります。時間に余裕をもってお願いした方が後々楽です。

そして、わからないことがあれば学生支援課に相談するが吉です。大学生になったら大抵のことは自己責任だと言われますが、どうしてもわからないことは聞いても良いのです。自分一人で解決できなさそうなことは、抱え込まず人に相談しましょう。怖がらなくても、大学の方たちはとても親切ですし親身になってくださいます。

なにより大切なのは、メールをきちんと確認することです。学校からのメールは正直物凄く量が多く、見るのが嫌になってしまうこともあると思います。ですが、気を抜いた時に限って、大切なメールが来るのはあるあるですから、メールのチェックを欠かさずすることをお勧めします。

また、日本学生支援機構で奨学金を借りたり、頂いたりするときに必ず使うスカラネットというものがあるのですが、これにも注意が必要です。スカラネットは自分の情報を閲覧することは24時間可能ですが、書類提出などは午前8時から25時までしかすることができず、作業が中断されてしまう事もしばしばありますので、時間には余裕を持って書類作成するのが良いと思います。

ここまで長々と書かせていただきましたが、要点をまとめると、

説明会にきちんと行くこと

説明会での話をしっかり聞くこと

書類提出の期限を絶対に間違えないこと

疑問があればすぐに学生支援課に聞くこと

メールを毎日チェックすること

スカラネットは25時から8時まで使えないこと

時間に余裕を持つこと

と、いったことに気を付ければ問題なく申請できると思います。

自分が知りたかったことや、言ってほしかったことをまとめたので、あまりまとまりが無くなってしまいましたが、この話が少しでも皆様の役に立ったり、励ましになれば幸いです。

もし、需要があれば、これ以外の給付奨学金のお話や、授業料減免についてもいつか書きたいと思います。

お付き合いいただきありがとうございました。それでは、また。

しおん🦜

うろこ雲のはなし

皆様、はじめまして。こんばんは。

この度、新しくブログ部の一員となりました、しおん🦜と申します。

私で1年生は最後となります。

日本女子大学への入学が決定した皆様、おめでとうございます。

ブログでは、趣味や私が日々考えていることを共有させて頂きたいと考えております。

大学生初めての春休みも中盤に差し掛かりましたが、雨続きで寒いので、バイトのない日は家の中で暖房をきかせながらゴロゴロとする毎日です。

日本文学科の素晴らしいところ、学べること、できること、これらは私のない文章力で語るよりも、前に投稿していらっしゃる方のブログをご覧になった方がよいと思うので、私は自分の考えていることの一部をお話しして、皆様も一緒に考えていただけたらと思います。

これは、私が小さい頃にふと湧いて、未だに解決されていない疑問なのです。

空は海のようだと幾度となく例えられてきましたが、まるで海のようなら、魚がいてもいいんじゃないかとある日思ったのです。

雲にはいろいろな種類があって、その中にはうろこ雲と呼ばれる雲があります。この雲はサバのうろこのようにも見えることから、サバ雲とも呼ばれることもあるそうです。

では、空が海ならば私達が見ている魚のうろこは、魚のお腹側なのでしょうか、背中側なのでしょうか、はたまた魚を横側から見ているのでしょうか。

それを考えるにあたっては、海の向きを考えなればなりません。私達が今立っている地面は海の底なのでしょうか。それとも、上から魚を覗き込んでいるのでしょうか。もし横から見ているのならば、あるはずのない海の果てを泳ぐ魚なのでしょうか。

まず、上と下という概念自体を捨てなければならないのでしょうか。

そして、うろこ雲と私達は立っているだけでは絶対に交わることはありません。この交わることのない場所を空と言って、その先を海と呼ぶのでしょうか。

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皆様きっと、こいつ訳が分からないことを言っているぞと思われたかと思います。私自身も自分が何を考えて生きているのか今のところ、よくわかっておりません。

ですが、私という人間がこのような人間であることを知っていただけただけでも、1回目のブログの投稿は大成功です。

こんな訳の分からない人間も、日本文学科は快く受け入れてくださいますし、皆様大学生活を怖がることはありません。

取り組んできたこと、これから取り組むこと、日々考えていること、何事も無駄なことは一つもありません。私もこれらの考え事がいつか勉学に結び付くと信じております。

お付き合いいただきありがとうございました。それでは、また。

                                 しおん🦜