それぞれのハロウィン

ハッピーハロウィン!

……原型がお盆であることを思うとなんだか奇妙な気がします。そうは言ったものよ私周辺では、10月31日は実質お菓子の日。「トリックオアトリート」の「トリック」はさておいて、「トリート〜♪」と言いながらお菓子を渡し合う新たなイベントが誕生しました。「トリート調達しないと!」「一方通行トリートだけどごめんね」という言葉が、まるで何年も使い馴染まれた言葉のように飛び交うのが、我々の日常であります。

まいです、ごきげんよう❀皆さんはハロウィンと聞いて何を思い出すでしょうか。

小学生の私は、「子ども会」という地域の会が開くハロウィンイベントを毎年楽しみにしていました。百均で買ったマントとハットで魔女になった次の年、手作りのカチューシャと矢印型のしっぽで小悪魔になり、小学5年生になると、いよいよ器用な母親を召喚し赤ずきんの衣装を作らせ、次の年はアリスを作っていただきました…笑 途中からおとぎ話になっていることの指摘はよしてください。ビジュアルを大事に思うお年頃だったのでしょう。(写真に残っている私は、“パン食い競走”のように吊るされたお菓子に、信じられないほど全力で食らいつくという、ありえないアリスの姿で写っています。友だちはちゃっかり隣で控えめのピースをしているというのに…。)

ちなみに二十歳を過ぎた今年は、相方とカボチャのお菓子でも作ろうとしていたのですが、11月に延期になるという始末…。

ここ10数年間の私のハロウィンで一貫していることといえば、「もはや10月31日にこだわっていないこと」と「お菓子イベントだと思い込んでいること」の2点だと思います。 

そういえば今年は例のメープルクッキーを食べてないなあ。カナダとKALDIに売っているので、どちらか近い方で買ってこようと思います。

*****

さて、今年の10月31日は火曜日でしたね!

私は三限までの授業を終えた後、六本木ヒルズの「ブラック・ジャック展」を訪れました。贅沢なほど数々の漫画の原稿、手塚治虫の医学生時代のノートなど、見応えのあるものばかりでした。森ビルの52階で開催されていて、ご存知の方はおわかりになると思いますが、あそこはあまり広くないんです。ですがその中にしきつめられた沢山の資料を見ているとみっちり二時間は、経過してしまいます。

手塚治虫ならではの、愛らしいイラストと、医師免許を持った彼だからこそ描ける専門的なストーリー、命に対する問や葛藤はいつの時代の人の心にも刺さる重たくそして鋭いものがあります。

どうしてもハロウィンと結びつけると、ブラック・ジャックはちょっと仮装みたいです。

今年のハロウィン(当日)はいつもとは一味違うものになりました。

言ってしまえば、今日だって明日だって自分しだいで記念日になる。

オリジナルイベントいっぱいの幸せな大学生活を送りたいです。

TIME

ご無沙汰しております、みちるです。

 

街の中央通りに人々が集まる様子を見るとき、人の消えた周縁を想像する。
人の流れと状態とを視覚的に感じながら、在東京少女であることを悔しく思う。

じきに我々は、死者の日を迎えることでしょう。
生とは光を感じることであって、決して見ることではない。私は人を感じることで、死者の日に舞い戻る予定のジョーイ・ラモーンに成り替わることを計画する。

「そこ、ほくろの位置をまちがえないように」

その通り。たったひとつ、唯一あなたにだけは看破されてしまうような身体的特徴に細心の注意を払わなければいけない。
しかし、局部のほくろを自分で見るのはあまりに勿体ないと思いませんか。

 

(間奏)

 

年末を意識するのにも早すぎないような時期だ。

私は年内にリリースされるという『クロックタワー』の復刻版をずっと待ち続けているのだが、夏以来めっきり続報が絶えている。
数年前に友人宅でPS3版をプレイし、想像を絶するほどの長い時間をかけてようやく真っ当なエンディングに到達した。「真っ当な」という表現をとるのは、本作では序盤に用意された複数の死亡ルートもエンディングの一つとして数えられるためだ。マップやアイテム、トラップが初期化ごとに変化する『クロックタワー』の絶望を味わいながら、辛くもジェニファーの生還を見届けたとき、私は(もう続編をプレイできないかもしれない)と思うほどに一つの完結した物語を愛していた。
結局、正式な続編ではないながらエッセンスを継承した『DEMENTO』も友人のプレイで確認したが、やはり『クロックタワー』ほどの満足感は得られなかった(のちに私が極端な犬派へと転向したことで犬ゲーの側面を併せ持つ『DEMENTO』の評価は一変する)。

『クロックタワー』は、出産の悲劇を描き出した作品として読むことができる。この点については『DEMENTO』も共通しているのだが、後者はより観念的に産むことについての問題を含むうえ、操作キャラクター・フィオナにはある程度敵を退けるすべが用意されている。
『クロックタワー』において操作キャラクター・ジェニファーはひたすら逃げ回り、アイテムを回収し、イベントをこなす。ジェニファーは基本的に逃走しながらマップを開拓していくことになるので、通常アクションに「攻撃」の選択肢はない(非常時のパニック対応を別として)。
10代の孤児であり少女であるジェニファーらがなす術のない脅威に相対してエンディングにかけて意図せず成長してしまうさまは、怪母メアリーが孤独と共に膨張させてきた問題と、あるいは問題の発端となった出産という出来事と重ねられる。

後作でのネタバラシというか伏線回収で怪児の生まれる理由や怪児出産そのものについて言及があるようだが、無印単体を考える場合はあまり気にしないほうが得策ではないかと思われる。
例えば小説版では、シザーマンとなる怪児は或る一族の女性の腹に出現する次元の扉を通して生まれるとされており、つまりメアリーと初期シザーマンおよび地下洞窟の嬰児との間に血縁関係はないことになる。私はこの設定について膣を経由した巨大嬰児の出産の不可能性に鑑みて追加されたものではないかと考えているが、実際のところ小説版における出産についての詳細な設定は不明であるから、予想の範囲を出ない。ただ個人的には、少なくともメアリーは血縁関係を当然のものとして把握していてほしいという希望があるので、小説版はあくまで別作として確認している。

即ち少女の成長、女の出産、喪の作業、という三種類の問題が(前者二つについては「女性の」)肉体の不随意性というひとつの軸をもって展開されるのが『クロックタワー』であった。多少古い作品なだけあって人物の造形があまりはっきりしなかったので、そういった面でも復刻版には期待しているのだが、果たして年内に発売されるのだろうか。生前のウォルター・シンプソンの形影は登場するのだろうか。望むらくは、私の愛する『クロックタワー』が卒論完遂ののちすぐに新たなパッケージを我々の前に披露してくれるように。道端のカラスに祈るばかりだ。

 

またお手紙書きますね、大好きです。    みちる

健康第一

 この間、久しぶりに発熱しました!といってももう元気なんですが、風邪ひいて3日間ぐらい微熱が続いた感じです。全然体温的には高熱な訳じゃなく37.0前後だったのですがこれがなかなかしんどくて!節々が痛いし頭もガンガンして目眩もするしでなんかだいぶダメダメでした。子どもの時って別に37.0くらいだったら全然平気だったのにね、歳をとっちまったんだなぁって……。
 私自分のことあまり熱とか出さない方だと思ってたんですが最近意外とそうでもないなと思って。年末年始にコロナになった時にも久しぶりに熱出したな〜とか思いましたがなんだかんだ風邪ひいて微熱出すのは1年に1回くらいやってる気がします。でも骨折とかしたことないし大病もないし手術とかもないのでまあ体は丈夫な方でしょうよ。
 熱出したのが10月半ばとかだったと思うんですがそこから鼻水が止まらなくて!喉もガラガラしていて!どうもこれは花粉症っぽいんですが、もう!しんどくて!部活とかバイトしながら自分の鼻水で溺れそうでした。めっちゃ鼻かむからズタズタだし!なんなんですか!花粉で苦しむのは春だけで良くないですか!私、秋花粉はないと思ってたんですがいつから秋もダメになったんですか???2、3年前からだと思われます。花粉、マジでやめてほしい。年々酷くなってる気がします。でもアレルギーって検査したことないけど恐らく花粉ぐらいで基本的に何でも美味しく食べられるのでまあ私は健康体と言えるでしょうよ。
 そんなこんなで私が如何に健康な人間かを語って参りました。が、私は関節が弱い。関節が私のパーフェクト健康ボディへの道を阻んできます。まだ21なのに。嫌すぎる。いつでも元気に生きたいです。では。

Special day

皆さん、こんにちは!

先日、無事にまた、1つ年を重ねることができました、ももこです。

家族からは誕生日になってすぐおめでとうラインが…。友人たちからはお祝いの言葉と共にプレゼントまで頂き…。本当にありがたい限りです。

ある友人に「名前からてっきり春生まれだと思ってたよ~」と言われました。…た、確かに!恥ずかしながら、20年近く生きてきて、自分の名前を季節から連想したことがなかったんです。というのも、ずっと前に母から、私の名前は中国の「桃」に託された意味に由来すると聞かされていまして…。中国では「桃」は不老や長寿のシンボルとされる縁起物なのだそうです。今年履修している中国文学の授業でも、「桃は古代から今日に至るまで縁起物として人々に親しまれているんですよ」と紹介されまして、聞いた瞬間は恥ずかしかったりもしたけど、何だか誇らしかったりして…。この文章を書いている今も、「何か名前負けしてるよなぁ~」なんて思いつつ、誰かが自分のために一生懸命考えてくれた名前って、それだけで価値のあるものなんだって感じています。

私はしばしば、自分が生まれた日がどんな日なのか、同じ日に生まれた人にどんな人物がいるのか、無性に調べたくなってしまう時があります。

(ちなみに…、私と同じ誕生日の有名人・偉人には、初代内閣総理大臣である伊藤博文、『ドリアン・グレイの肖像』で知られるイギリスの作家オスカー・ワイルドなどがいます!あと、これは最近知ったのですが、藤原道長がかの有名な歌「この世をば我が世とぞ思ふ望月のかけたることもなしと思へば」を読んだ日が、私が生まれた日と同じだったんです!ここに並んだ名前を見ると、何だか恐れ多くなっちゃいます…)

こういう行動をしてしまうのは、自分が生まれた日に何らかの意味を持たせたい…という生への執着だと思うんです。不安になった時、自信が無くなってしまった時、あんなことやそんなことを成し遂げた偉人や有名人が自分と同じ日に生まれ、歴史上の分岐点となることや重要なことが自分の誕生日に起こっていたとしたら…、少しだけ前を向ける気がするんですよね。自分がこれまで生きてきた人生とは関係ないところで、私は生まれた時から特別な存在なんだって認識したいんだと思います。

でも、自分がそうやって執着する誕生日は、意外にも普段の日常と変わらず、ゆっくりと穏やかに過ぎていくんです。一人暮らしをしていて改めて思うのですが、家族といた頃はそれこそパーティーなんかをしてもらうわけですけど、一人でいると、これがまあ、本当に普通の日と何も変わらない時間を過ごします。

総理大臣になる人物が生まれた日だって、数々の名作を遺す文豪が産声を上げた日だって、きっと穏やかな日であったに違いありません。誕生日には、ただ、あなたが生まれた日を祝い、その存在を特別に思う人たちが何人かいて、あなた自身もその喜びを噛みしめて感謝する…。それだけで十分なんじゃないかなと思います。

思えば、私にとって何気ない今日が、誰かにとっては特別な日かもしれない。そう考えると、世界は穏やかに見えて、毎日が特別な日なんですよね…。

人間は生まれた瞬間に、いつかはこの世界に別れを告げることが決定されます。だからこそ、生に執着して、それが一番簡単に感じられる誕生日にすがるんだと思います。でも、特別なのは生まれた日じゃない。特別なのは今日を一生懸命生きるあなたであって、私たちは過去に生きているわけではありません。

誕生日とは、「本当に特別なものは何か?」ということを私たちに考えさせてくれる点において、特別な日なんだと思います…。

本日もお付き合いいただきありがとうございました!それでは、また!

色づく

 最近は朝晩冷え込みますね。自律神経が狂いやすくなっていると思うので、しっかりご飯食べてしっかり寝ましょう。

 日本文学科に入って以降、見え方が大きく変わったなと感じることが一つあります。それは、美術館や博物館に飾ってある巻物や絵の文字が言語情報として認識できるようになったことです。

 日本文学科では1年次に必修で「崩し字」を学びます。みみずがのたくったように見える、古文書とかにありそうなアレですね。そうです。本当に読めるようになるの!?と思うかもしれませんが、大丈夫です。絶対に読めるようになります。絶対にスキルが身につくようにカリキュラムが組まれています。

 崩し字が読めるようになった結果、美術館に飾ってある巻物や和本の「よくわからない書物の文字らしいもの」が一気に「言語情報」とか「物語」として読めるようになりました。もちろん崩し字だけではなく、文学に関する知識があって理解できることだとは思います。それでも崩し字について学ぶ前後では見えてくる世界が全く違いますし、はじめて博物館で崩し字を読んだ時のときめきは忘れられません。何がかいてあるのかわかる、わかるぞと。ムスカの気持ちもわかります。博物館の解説文も丁寧にわかりやすく解説してくれると思いますが、文字が読めるだけでなく、知識の有無でその面白さは100倍、いや1000倍ぐらいには変わるんじゃないかと思います。世界がパッと色づいたようなこの面白さ、是非みなさんにも感じてほしい。つまり日本文学科はいいぞ、という布教です。

これは文字に限った話なので他にもたくさんあるのですが、それはまた次回にするとして。

 ここのところ、室内に暖房がかかるようになったからなのか、すごく肌が乾燥しませんか?特に手が。甲なんかがっさがさでひび割れてしまってつらいです。そこでおすすめのハンドクリームですが、ユースキンは高保湿でべたつかず、香りもうっすらつく程度なので激推しです。体調が悪くて強い香りがダメな時でも使えるのがありがたい。私は去年出た限定パッケージのものを使っています。あと、お家用ならアトリックスのハンドクリームも使いやすいです。手タレの方がお使いと聞いて買ったのですが、ピーチティーのいい香りがしてリラックスできるので寝る前に塗っています。(決してメーカーの回し者ではありません)

まだまだ日中の紫外線が降り注いでいるので、日焼け止め塗って日傘さしてしっかり保湿していきましょうね。では、また。

 

Je t’aime

皆さん、こんにちは。

秋も深まり、朝晩の寒暖差に服装を悩ませる季節ですね。

後期の授業も3分の1ほど終了し、2023年は残り2ヶ月ほどで時間の流れが早く感じます。

世間はもうすぐハロウィンですね。日本では仮装という名のコスプレをして街中を、風を切って歩ける日になっていますが(偏見)、もともとハロウィンは死者を思い、あの世からくる死者をもてなし供養する日として大切にされていたそうです。供養を怠ると魔女や悪魔が来て災いをもたらすので、身を守るために仲間の振りで仮装が始まったという説があり、今の日本の娯楽イベントとは離れている印象を受けます。クリスマスもバレンタインデーも日本では娯楽イベントに発展を遂げるので、そこは日本人の寛容さというか、ミーハー気質を感じます。

ハロウィンをテーマに書こうとPCに向かったものの、話題にできることがありすぎてまとまらず、小一時間ほど悩んでいました。長考の結果、やはり最推し様の誕生日を祝おうかと思います。最推し様というのはアイドルゲーム「あんさんぶるスターズ」に登場するValkyrieの斎宮宗(以下、宗様)のことです。宗様は来る10月30日お誕生日を迎えます。「ハロウィンじゃないのか」と思われた方もいるかもしれませんが、宗様の誕生日が10月30日、つまりハロウィンの前日であることを語らせてください。

宗様は、生粋の芸術家で舞台芸術とも呼ぶべきアイドルの舞台を自身のユニットValkyrieにて制作しています。今でこそ芸術を愛する情熱的なアイドルですが、登場時はかなり変わり者で気難しい人物という印象が強かったのです。その背景として、所謂天才に分類される宗様は、学園の治安を正すための生贄にされ、創作活動を行えなくなっていたということがあります。同じく生贄になった「五奇人」が一人ずつ討伐され、メインストーリーに繋がるのですが、「五奇人」の他に「三奇人」というワードも存在します。「五奇人」のなかの「三奇人」という括りで、この言葉を作った人物が生贄を選ぶ際、「三奇人」では強すぎるため、綻びを生むために2人追加して「五奇人」にした経緯があります。穿った考え方をすれば、数合わせ。「三奇人」になれない、(誉め言葉として使いますが、)バケモノになれない宗様。宗様がハロウィンの前日に誕生なさるのは、そんな背景が透けて見えるようで、私の情緒は非常に狂わされています。

未だ過去に囚われている悲しきヲタクなので、悲観的な考察をしてしまいがちですが、今の宗様が芸術を創造してくださるという事実があればそれだけでもいいと思っています。むしろ10月30日であることが、人間を愛する宗様を人間にしている所以だとも言えますね。

何より、宗様がこの日に沢山の人にお祝いされているのを見るのが、私の幸せなのです。

誕生日の日付だけで、話がここまで進められるのはヲタクの性だと感心します。正直まだ足りない。宗様の年齢を越えようと敬愛するこの気持ちは変わらないので、敬称をつけて呼ばせていただきます。余談ですが、斎宮宗は創り出す舞台の芸術性から、ファンの間で大いに信仰されており、「斎宮宗教」という言葉があったり、ファンが信者を自称したりと重めに愛されています。

宗様誕生祭まであと数日。そろそろ美味しいケーキとクロワッサンを探す旅に出かけます。

今回もお付き合いいただきありがとうございました。

思い出振り返り日記。~京都・下鴨神社編~

皆さん、こんばんは!ずきです。

10月25日は「リクエストの日」なのだそうです。1936年の10月25日に、ベルリンのドイツ放送局で世界初のラジオのリクエスト番組が始まったことにちなんで制定されたとのこと。ラジオでの「リクエスト」というと今では当たり前のように感じますが、どのようなことにも「始まり」があるのだと再認識させられました。

・・・

さて、前回のブログでもお伝えしましたが、10月21日~23日にかけて、一人京都旅行に出掛けておりました。帰ってきたばかりのずきさん、何を語るのか。皆さんどうぞお楽しみに。
それでは、このコーナーに参りましょう!(?)

『思い出振り返り日記~!』

・・・

さぁ、始まりました。『思い出振り返り日記。』のコーナー。私、ずきの旅行の様子についてお話していくコーナーです。慣れたような雰囲気で紹介していますが…何を隠そう、今回が初回です。慣れない形でのお届けで緊張していますが…良かったら最後までお付き合いくださいねっ!今回は「京都・下鴨神社編」と題してお送りしていきますよ~。今回の旅の最大の目的は、世界遺産・賀茂御祖神社(以降:下鴨神社)で開催の朗読劇『鴨の音(かものね)』の観劇です。それでは行ってみましょう~。

・・・

まずは1日目。
朝9時半、東京駅発の新幹線に乗り、約2時間半で京都駅に到着した私。予約していた駅近くのホテルには15時チェックインでしたが、荷物を預かってもらうために早めに行ったところ、そのままチェックイン出来ました。
部屋は修学旅行で泊まる部屋のような、昭和な雰囲気漂う和室の部屋。5人ほどの大人数が泊まれそうな部屋に1人!でんぐり返しだって、ダンスだって堂々と出来てしまう広さです。部屋の鍵は最近ガチャガチャでも見かける、四角いアクリルキーホルダー付きっていう…あの長方形のキーホルダー、伝わります…かね…?

まあ、そんなわけで荷物を置いて、とても身軽になりました。ただ、1日目の朗読劇開演は19時。現在13時。まだ時間があります。『せっかく京都に来たから、観光したい!』となり、三十三間堂(蓮華王院)とその向かいにある京都国立博物館に行ってきました。
三十三間堂は、自分が行っていなかった10年の間で発掘や敷地内の整備が進んでいたり、京都国立博物館では特別展のために名品ギャラリー(平常展示)が休止していたりと、予想外の出来事に驚くこともありつつ、楽しんで来ました。

さて、そこからバスで移動し、会場である下鴨神社に到着です。会場物販で個人的にお目当てだった、公演台本と琥珀糖を購入!両方とも、観劇後のお楽しみですね。

現地での購入品(台本と琥珀糖)、鳥居の前にて

最近は日が暮れるのも早くなってまいりましたが、この日もあっという間に辺りが暗くなり、冷え込みが厳しくなりました。
よく考えてみたら、神社は普段17時ごろには閉場してしまうので、19時に神社に居られるなんて、なかなか無い経験ですよね。では、ここで(ラジオコーナーという設定は無視して)会場の雰囲気を写真でたっぷりお伝えします。

楼門の提灯ライトアップ

ご出演の声優の皆さんや関係者の方々、協賛の団体名が書かれた提灯の並びは圧巻です。昨年も訪れましたが、昨年よりも明らかに提灯の数が増えていました。写真には映っていませんが篝火も焚かれていて、温かさと幻想的な雰囲気が心地よかったです。
楼門をくぐってすぐ、正面にある「舞殿(ぶでん)」で朗読劇が繰り広げられます。

舞殿・1日目開演前に座席付近から

朗読劇の今年のサブタイトルは「恋詠歌林(れんえいかりん)」。毎年、下鴨神社に伝わる話や境内にある神社に絡めて話が展開しているのですが、今年は「恋の和歌」がテーマ。下鴨神社に関わりがあった式子内親王や藤原定家が物語に登場していました。

話の展開や人物の関係性は知識がないと少々難解な部分があったので、日本文学科で知識を身につけられて良かったと思いました。(ただ、忘れていることもあったので、ホテルで台本を読んで復習しておきました。)

物語は、時空を越えて紡がれる、心温まる恋のお話。
天気予報になかった小雨が降り、さっと上がったと思ったらどこからともなく風が吹く、という自然の演出もあって、声優さんの演技と神社の力を心ゆくまで楽しむことが出来ました。
心温まるお話の余韻に浸ろうと思いましたが、やはり屋外!小雨も降ったことで、とんでもなく寒い…!カイロ以外の防寒具をホテルに置いてきてしまったことを後悔しながら、その日は足早に会場を後にしました。

・・・

2日目。
朗読劇の余韻に浸って起床。大変良い目覚めでございますが…。
起床時間、10時。
えっ。
10時ですよ、10時。いくら何でも遅すぎますね、反省。でも、ぐっすり寝ることが出来たので結果オーライ。
この日の予定は下鴨神社の散策だけ、何せ今回は1人旅!のんびり気ままに行動です。

楼門と秋空

そんなこんなで、正午頃に神社に到着。お昼の景色は、夜とはまた違った雰囲気ですよね。秋晴れの空に、楼門や鳥居の朱が映えていました。

昨年は月曜1限の授業があったために長く居られなかったので、今回は思う存分満喫してきましたよ。その様子をお伝えしましょう。

みずみくじ、結果は…

まずは、境内の御手洗池(みたらしいけ)で引いた「みずみくじ」。結果は…大吉!!!内容は上々でしたが、「願い事、油断すれば叶わず」とのことなので気をつけたいと思います。

参拝記念パネルと媛守(ひめまもり)

そして、こちら。参拝記念の顔出しパネル。声優ファンにとっては聖地のようなパネル。というのも、これまでの出演者の皆さん(全員ではありません)が、このパネルに顔出しで写真に映ってくださっているんです。昨年は見つけられなかったので、念願のご対面!記念に授かった「媛守」と共に記念撮影。

この神社のお守りとして有名なのが、この「媛守」と「彦守」、それから「鴨の音守」。是非参拝される際はお手に取ってみてください。お守りとの素敵な出会いがありますように…。

ここで1つ、後悔したこと。「みたらし団子」を食べ忘れたこと!「みたらし団子発祥の地」と言われている場所のみたらし団子…。散策の計画に入れることを失念しており、戻ってきてから思い出すという失態。来年の公演に行けそうだったら、リベンジします。

・・・

さあ!公演2日目です。やはり演技は”生もの”でして、1日目と2日目で声優さんが演技を変えている箇所は勿論、今年は1日目と2日目で演出が変更になっていると感じた場面が幾つかありました。(台詞の抑揚の入れ方や台本にないアドリブ、台詞を読む役者さんの変更など)その違いを世界遺産の神社で楽しむことが出来たのも、贅沢な話です。

舞殿・2日目終演後に座席付近から

終演後の挨拶の際、声優の皆さんが楼門の上の方を指さして和やかに談笑されていたのですが、この日は1日目よりも綺麗に月が出ていました。ちなみに1日目は開演19時で、2日目は開演17時。2時間も違えば、月の位置も違いますよね。月の輝きと幻想的な会場の雰囲気、忘れられないものになりました。

・・・

さて、ここで1曲。お届けしますのは……。あ!ラジオコーナーという(設定である)こと、「忘れてた」なんて言わないでくださいね……!

「朗読劇『鴨の音』第四夜~恋詠歌林~」のエンディングテーマ。藤井フミヤさんで「君に会えてよかった (2012 Album Mix)」です、どうぞ。
(藤井さん公式YouTubeチャンネルからのお届けですが、こちらはYouTube Music Premiumのメンバーの方のみ視聴可能とのことです。ご了承ください!)

お届けいたしましたのは、藤井フミヤさんで「君に会えてよかった (2012 Album Mix)」でした。

・・・

あっという間に、最終日の3日目です。行きと同じく、帰りも朝9時半の新幹線で帰りました。なぜなら、東京に戻ってきたら自宅に荷物を下ろしてそのまま大学に行くつもりだったから!12時頃に東京駅に着いて、家に帰って月曜4限(15時10分から)なら間に合うと思って予定を組んでいたんです。
しか~し!ここでまさかのアクシデント!新幹線の運転見合わせ……。ちょうどこの日、沿線で火災が発生し、一時運転見合わせになってしまったんです。幸い、1時間程度の遅れで済み、さらに大学の授業も先生の体調不良で対面からオンデマンド型に変更。計画よりものんびりした旅になりましたが、ある意味運が良かったのかもしれませんね。
そんなわけで、私の一人京都旅行は無事に終了したのでした――。

・・・

…ということで、お送りしてきました『思い出振り返り日記。』
いかがだったでしょうか。そろそろ、お別れのお時間です。

藤井フミヤさんの「未完成タワー」をお聞きいただきながらのエンディングとなります。

実はこの朗読劇『鴨の音』、ラジオ版も放送されています。毎週日曜日に声優の中井和哉さんと下野紘さんがパーソナリティーをされている番組です。

https://www.joqr.co.jp/qr/program/kamonone/

このブログは、『鴨の音』というコンテンツへのリスペクトを込めて書かせていただきました。気になる方は是非、チェックしてみてくださいね!前回も紹介しましたが、改めてリンクを貼っておきます。

https://www.kamonone.com/

今回はかなり長めに(おそらく過去最長で)お送りしましたが、最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
『思い出振り返り日記』。ここまでのお相手は、ずきでした。
それでは、また。

荷物投げ合ひ

泣いている自分が嫌い。多分、我を忘れて同級生とケンカばかりしていた小学生の自分を思い出すから。そのおかげで涙なしでは見られないヒューマンストーリーを回避する癖がついてしまった。癖だから、直そうとすれば直るのかもしれない。でも今はやっぱりミステリーが好き。

アニメとマンガの時代だなと思う。絵がきれい。声もきれい。話の展開がいい。登場人物の性格がいい。どんどん人気作品が登場して、人気作品が完結して、また新たな人気作品が登場する。読んでみたいもの、平安の姫君なら「ゆかし」とでもいうのだろうか、そんな作品はたくさんある。でもどれから手を出そうか。

そうして本屋を出るころに手にしているのは決まって1冊の小説。最近やっと気が付いた。本屋に立ち寄ったとき、私は小説コーナーで立ち止まっている時間が一番長い。マンガは誰かに読み聞かせてもらおう。

現実的すぎるのはいや。そうかといって現実離れしすぎるのもいや。私はやはりわがままだ。

一人部屋の中でぼんやり過ごすのが好き。休日の過ごし方で一番好きなのは一人ベッドの上でぼんやりすること。「ベッドの上で」という表現は嘘じゃない。高校までは畳の上に布団を敷いて寝ていたが、大学に入ったちょうどそのタイミングで我が家にベッドなるものが輸入されたのだ。だからラクだとか分かりやすいからだとかそういった理由で「ベッドの上で」なる表現を使っているわけではない。ーーベッドが我が家に輸入されてから早くも1年以上が経過した。それでも私の中で「ベッドの上で」寝ることにはまだ少し違和感がある。

目標は口に出すべきか否か。計画は紙に書くべきか否か。口に出した目標は達成できない。紙に書いた計画の通りに自分は行動できない。否。口に出した途端に目標を達成した気分でいる自分がいる。紙に書いた計画を実行する意志が弱い、あるいは計画が書かれた紙を無くしたか。

日記がある。毎日は書いていない。一週間に数回の時もあれば、数週間に1回の時もある。要するに気まぐれなのだ。気の向いた時に当たり障りないことを書くだけ。もしかしたらこれは日記ではないのかもしれない。日記でないとしたら何だろう。落書き?

先日気まぐれに自分の書いた落書きを見返してみた。曰く、

10月5日(木)

 早く寝よ。

あまりおもしろくなかった。

強い人間になりたい。非常事態でも冷静かつ正確に対処し、人を思いやり、自分の調子も崩さない。正しさと優しさと強さを持った人間になりたい。

トモダチの輪は、イロイロ。

こんにちは、あこです。

先日、2泊3日で北海道へ行ってきました。

中学時代の友人と、二人旅。

8年ぶりに行きたいお寿司屋さんがありまして、「ここのお寿司めっちゃ美味しかったんだけど、〇〇一緒に行かん??」と軽めに誘ったところ「え、行く!!!」と強めなOKをいただき、無事に実現しました。

うにの小鉢に始まり、帆立貝バター焼き、焼き穴子、槍イカ、きんき、赤身、中トロ、ニシン、ボタンエビ、いくら丼……

美味しすぎて、3品目からは「もう、辛い…」と言いながら頂いていたそうです (コワ)

社会人になったらまた来るんだ。と、密かに心に決めました。

家族以外の人(友人)と泊まりの旅行に行くのはお互い初めてだったのですが、食に関する熱意(←)や、行動力、諸々の価値観が恐ろしいほどにマッチしてしまい、とても楽しい時間でした。

また、一緒に旅行しようね!

*****

一緒に旅行した友人は、中学校の3年間を同じクラス・部活で過ごした人でした。(高校・大学は別の学校)

出会って10年。驚きの年月です。

ですが、(誤解を恐れずに言うのであれば)10年間ずっと「仲良し」だったわけではなく、中学時代は、単なる「同じクラス・同じ部活の人」という感じでした。

もちろんお互いの顔や名前は知っていましたし、何かあれば話していたと思いますが、本当にそれだけ。

お昼ご飯を一緒に食べるとか、遊びに行くとか、そういうことはなかったのです。

それなのに、中学卒業後。なぜかもう一人の子を含めた3人で月島のもんじゃを食べに行くことになり、高校時代は3人で何度か食事に行きました。

しかし、彼女の大学受験やコロナ禍のステイホーム期間などがあったことで、すっかり連絡が途絶えてしまいました。せいぜい年賀状を送る程度で、「仲良し」とは程遠い距離感だったように思います。

そして大学2年生の秋。

確かSNSのストーリーのコメントきっかけだったと思いますが、その子と2人で会うことになり、めちゃめちゃ気が合ったので、その後も年に2回会うようになりました。

そして、今回の旅行に至ります。

今まで文章を読んでくださった方はお気づきかもしれませんが、「なぜか」「確か」「〜だったと思う」など、彼女との交流の軌跡(?)は、不明瞭な点が多いです。

一応北海道で友人とも話したのですが、お互い「まさか旅行する仲になるとはね〜」「中学の時からは考えられないね〜」「なんで仲良くなったんだっけね〜」と曖昧な記憶で、結局答えは出ませんでした。

「仲良くなる」とか「友達になる」理由・意味なんて、あってないようなものなのかもしれません。

いつ出会うかは分からないし、いつ「仲良く」なるかはもっと分からない。

“ご縁”って、不思議ですね。

*****

思い返せば、大学時代は「つながり直す」ことが多かったように思います。

彼女の他にも、高校時代に同じコミュニティ属していたけれど遊びに行くことはなかった人と、大学3年になってからサシで会うようになりました。

その人についても、なんでサシで会うようになったのか、全然覚えていません。

中高時代に”出会って”いた人と、大学時代に「仲良く」なる。

お互いに”合う”タイミングが合った、ということかもしれません。

大学入学前、色んな人に「大学は世界が広がるよ」「たくさんの人に出会って、人脈が広がるよ」と言われました。言われなくても、そう思い込んでいた節もありました。

だけれど、今になって思うのは、「輪を広げることと、新たに”出会い”続けることは、必ずしも一致しない」ということです。

「大学生は、サークルに入って、学内外問わず色々な人と出会って、人脈を広げないと!」

「沢山の人に出会うことで、新たな人脈が生まれるから!」

「人脈が広がれば、新たな刺激・情報が増えるよ!」

そもそも「人脈」という言葉自体があまり好きではないですが、私自身、「新たな出会い」「新たな友達」に取り憑かれて、自分を見失ってしまった時期があります。

でも、ふと後ろを振り返ってみれば、私は、私たちは、既に沢山の人と”出会って”きています。

そして、自分が変わってゆくように、他の人もまた、変わっていく。

その人自体とは既に”出会って”いても、その人の”新たな一面”、”まだ知らない一面”は、必ずあるはずです。

そして、その一面を知ることもまた、”新たな出会い”なのではないでしょうか。

もちろん、昔の友人とばかり関わって、新たな環境・新たな出会いを拒絶することは、良くないと思います。

だけれど、「新しいこと」に固執する必要もまた、ないと思います。

古くて、新しい関係。

全ては、タイミング。

「輪」の広げ方は、いろいろ。

それでは、また。

この数日乗ってないから

こんにちは、ゆきほです🍵

インフルエンザに、なってしまいました……(厳密には検査で陽性は出ていませんが、後述の状況的に陽性の可能性もかなり高いとのことで休んでいます)

私より先に家族が4人中2人感染してしまったため、手洗いとか消毒とかマスクとかすっごい頑張って潜伏期間をギリ乗り越えられたんじゃないか…?と思った矢先の発熱で、体温計を見たときには膝から崩れ落ちました。

私、昔からほんっっっとうにインフルだけはすぐもらっちゃうんです。どんな対策をとっても絶対に伝染るんです。

風邪すらそんなに引かないし、インフル以外の感染症も記憶にある限りでは罹ったことがなくて、小学校で流行ったノロウイルスとか今のコロナとかも全部逃れてきたのに。逃れてきたのに、インフルには絶対なるんです。私の体調は元気かインフルかのほぼ2択なんです(それは言い過ぎ)

中高生になってからは数年に1度ペースに落ち着いたものの、小学生のときは流行初期に新型インフルエンザに罹ったり、ワンシーズンに2回罹ったり。正直インフルには慣れているのに、学校を休むと「あのゆきほさんが!?学校休み!?」と先生たちにすごくびっくりされました。あんま体調崩さないとこうなりますよね。

幼稚園のときから今もお世話になっているピアノの先生に「インフルになっちゃったのでお休みします」と電話したら、「ええ?また?」と言われてしまいました。「ゆきちゃん本当にいつもなるわよね〜」だって。

私はひと足先になっちゃいましたが、今大流行中みたいだし、何より奴らはこれから先がメインシーズンなので……!皆さんお気をつけください。

この文章を書いている時点でお察しの通り、私はもう割と元気ですが、発症後5日のルールに基づきもうちょっとおうちにいないといけません。家にいるのも好きですが、そろそろ外に出たいです。

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現在2023年10月22日の21時55分。まだWordにいますが、遅くとも22時半には完成して更新できているんじゃないかな?と希望的観測を抱きつつキーボードを叩いています。

私はいつもこのブログを書くとき、電車の中で急に「あっ今回これ書こう!!!」ってひらめいたらガーッと書いて、家に帰ってからLINEの自分しかいないグループに送ってパソコンのWordに貼り付けて勢いに任せて変なこと書いてないか確認して、それから投稿するっていう形を取っています(違う場合もあります)

そのひらめきが更新日当日になるか、直前の更新日の翌日になるかはその時になってみないと分からないんですけど、大体3日前には大方書き上がっていることが多いです。特に今年は朝の授業をあまり取っていないため行きも帰りも電車で座れることが多く、考え事もはかどるため早く書き上がることも多いかな?という感じですね。更新日当日の帰りに「どうしよう!!何もない!何書こっかな!!」って絞り出すことももちろんあります。この前のガラスの仮面の話とか当日帰りに書いたパターンです。

スマホのタイピングよりパソコンのタイピングの方が早いのに、なんでわざわざスマホで打ってるんだろう?といつも自分では思っていますが、多分高校の文学部時代にスマホのカウントメモというアプリに小説を書いていたから、文章を書く=スマホっていうのが体に染みついちゃってるんでしょうね。でも私特技:タイピングって言ってるから、どっちにしろ早いほうではあると思います。小学生のときのタイピングゲームの産物です。

そう考えてみると電車の中で文章を書くっていうのも高校文学部の名残かもしれないですね。高校は電車で片道15分くらいだったので、締め切り当日の朝の電車から昼休み、帰りの電車、放課後と使って必死で絞り出して書いていました。残念ながら間に合わなくて編集担当の友達に頭を下げることも多々ありましたが。

同じような書き方をしているのに、ブログの更新日はちゃんと守れて高校生の時は締め切り破り常習犯だったのはどうしてなんだろう。きっと高校の部活の編集担当だった友達が今の私を見たら「なんでよ締め切り守れるやん!!」ってなると思います。ごめんなさい、期限がある創作が苦手だったんです。

そろそろ駅に着きます。地下から地上に上がったくらいで軽く寝ちゃったけど書けた方じゃないかな。なんで地下じゃなくて地上で寝ちゃうんだろう。暗いときに寝とけばいいのに。

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現在22時45分。見積もりがちょっと甘かったですね。

ではまた。